ネット時代の変化の速さ

昨日は、中学校で新1年生の保護者対象にお話しをさせていただきました。

皆さんには次のようなことをお願いしました。

・子どもを無条件に愛する(よい子だから愛するのではない)
・子どもに家族としての役割を持たせる
・家庭の中で「ありがとう」のことばを大切にする
・子どもには職業観を話す
・学校も保護者も子どもの幸せを1番に考えている。互いに話を聞く姿勢を持つ

最後に携帯電話との付き合い方を話しました。
昨年はプロフという言葉を知らない保護者がかなりいたのですが、今年はほとんどいません。この変化の速さには驚きました。
昨年は、メール依存症やプロフの危険性を話していたのですが、今年は携帯ゲームについての話も付け加えました。1年前は携帯ゲームがこれほど問題になってくるとは思ってもいませんでした。子どもたちを取り巻く環境の変化がこれほど早いと、どうしても大人の対応が後手に回ってしまいます。新しいサービスや環境が出てきても変わらない、ネット時代を生きる基本を子どもたちにしっかり身につけさせることが大切だとあらためて思いました。

授業づくりの過程をみせる

昨日は、4月から活動予定の授業づくりプロジェクトについて、その進め方を仕掛け人と相談しました。

授業を発表することを目的とするのではなく、その授業がつくられていく過程を伝えることを大切にしたいと考えています。

・どんな子どもの姿を目指したのか
・そのためにどんな手立てを考えたのか
・実際の子どもの姿はどうだったのか
・どのように修正したのか

このような試行錯誤の上で、授業はつくられていきます。その過程をしっかり見せることで、授業づくりの視点が明確になり、よい授業の構成要素が明確になると思います。

公開授業ですばらしい授業をみて自分もまねしようとしたがうまくいかなかった。うちの子どもではダメだ。こんな言葉を聞くことがよくあります。
単に授業の流れや発問をまねてもうまくかないのは当然です。それまでにどう子どもたちを育ててきたかによって授業の姿は変わってくるからです。

1時間の授業は、それまでの積み重ねの上に成立しています。点でとらえるのではなく、そこに至る過程に注目することで初めて授業は理解でき、また再現できるのだと思います。
授業づくりの過程を明確することで、多くの先生方の参考になるプロジェクトにしたいと思っています。

研修会の参加者から元気をいただく

昨日、一昨日と算数・数学の授業力アップの研修講座にスタッフとして参加しました。

昨年、今年と模擬授業を中心にした研修を行いました。今回もリピーターの方がたくさんいたことをとてもうれしく思いました。

私は中学校を担当していますが、この1年間で大きく進歩された方がたくさんいらっしゃいました。たった、2日間の研修で授業がうまくなるわけがありません。この方たちは、この1年間、研修で学んだことを地道に努力されてきたに違いありません。実際、2日目の実習では、1日目に指摘されたことをしっかりと意識しておられました。指摘を素直に受け入れる姿勢が伸びる教師の条件であることがよくわかります。

この研修では、あれやこれやと理屈をたくさん教えるのではなく、実習を通じて大切なポイントを具体的に意識し、身につけてもらうことを大事にしています。
私たちスタッフにできることは、何を課題として意識すればよいかのアドバイスだけです。
当り前ですが、身につけるためには、本人が毎日そのことを意識して授業をする必要があります。本人の姿勢が一番大切です。ただ漫然と授業をしているだけでは、決して授業力はつかないのです。

次にお会いする時には、皆さん大きく進歩していることと思います。参加者の学ぶ姿勢、やる気に私たちスタッフもたくさんの元気をいただきました。

楽しいお酒をいただく

昨日は、幾何ツールを使った授業研究会の前夜祭ということで、楽しいお酒をいただきました。

毎回、検討会の司会という大役をいただくのですが、その会を通じてたくさんの方と知り合え、多くのことを学んでいます。
うれしかったのは、昨年の授業者の方が、大きく成長されていたことです。授業に対する考え方、目指す子どもの姿が非常にシャープになっているのです。今まで漠然ととらえていたものを意識して言葉にするようにしたそうです。外化することにより、明確になっていったのです。授業もずいぶん進化したことでしょう。

残念ながら、今回は彼の授業はありませんが、検討会では視点のはっきりした明快な考えを聞けることでしょう。どんな場面について彼の意見を引き出そうか、今から楽しみです。

愛される学校づくり研究会に参加

日曜日に愛される学校づくり研究会に参加しました。実践報告と2月に開催するフォーラムの打合せでした。

実践報告は、公にできない内容ですが、学校現場が抱える深刻な問題について勉強させてもらいました。

フォーラムでは、2つのセッションに参加します。「愛される学校となるための学校広報と学校評価」をテーマとしたパネルディスカッションではコーディネータを務めますが、3人のパネラーからの提案を受けて、3年間研究会でやってきたことをまとめていくという大役です。事前に細かい打ち合わせができない状況ですが、仕込みのないライブ感覚でのディスカッションを会場の参加者と一緒に楽しめたらと思っています。
もう一つのパネルディスカッションでは、「愛される学校となるためにすべきこと」をテーマにパネラーとして提言をさせていただきます。他のパネラーの方とうまくかみ合うような提案ができるかドキドキしていますが、ちょっと違った目線での愛される学校づくりを提案したいと思っています。

定員は200名ですが、満員になることが予想されます。ご興味のある方はぜひお早めに参加申込みをしてください。

佐藤曉先生から学ぶ

教師力アップセミナーで佐藤曉先生のお話しを聞かせていただきました。

佐藤先生は大学の研究者ですが、学校現場での実践を大切にされています。年間200回も授業研究に参加されているとのことです。実際の授業での子どもたちの学びの軌跡を具体的に示してのお話しは大変説得力にあふれていました。

発達障害の子どもの対応について直接先生とお話しすることができましたが、「これが正解という対応があるわけではない」という言葉が印象的でした。
この子はこういう障害があると診断がくだりレッテルが張られると、今度はそのレッテルが独り歩きをする。障害はその子どもの持つ多くの要素のほんの一部でしかない。その一部分で全体を規定することはおかしい。子ども一人ひとりと向き合い、その子に応じた対応を考える。障害があるなしに関係なくどの子に対してもアプローチの仕方は同じであるはずだ。区別する必要はない。手探りで一人ひとりに応じた対応を見つけていくしかない。

あらためて、一人ひとりを大切にすることの意味を教えていただけた気がしました。ありがとうございました。

教師の人事評価

私学の経営にかかわる方とお話ししていると、人事評価のことが話題になることがあります。頑張っている方により多くの給与を与えたい。報われる形にしたいということです。
時として、給与の割に働いていないと感じる方の給与を下げて、その分を頑張っている人に回したいと言われることもあります。気持ちはわかるのですが、給与規定の改定が必要だったり、なかなか難しい面があります。

学校改革に成功しているところでは、人事面の評価を給与に反映させるのではなく、ポジションに反映させていることが多いように思います。成果を上げている人は、例え若手でも責任のあるポジションにつける。ベテランでも成果を上げていない人はそのポジションから退いてもらう。また、必要に応じて新しいポジションを作って活躍する機会を与える。ダイナミックな人事が学校の活性化につながっています。

教師も子どもたちと同じで、自己有用感を持つことが、いきいきと働く原点だと思います。要は、自分のやったことがきちんと評価されていると実感できることが大切なのであって、学校の実情に応じていろいろと工夫の余地はあるはずです。ここが、学校経営の腕の見せ所なのです。

次年度に向けて考える

気が早いと思われるかもしれませんが、三ヶ日は次年度も継続してお手伝いする予定の学校のことを考えていました。4月になってから新たな行動を起こそうとしても、1年で最も忙しくかつ学級づくりにとって最も大切な時期にそんな余裕はありません。3月末までに準備を終えていなければなりません。今の時点で明確な方向性が打ち出されていなければ、間に合いません。
多くの課題を抱えている場合、緊急度の高い課題が優先されます。しかし、次年度のことを考えた時に、今手をつけておかなければならないことがあります。わかっていてもどうしても余裕がないために後回しにされがちですが、ここでやっておかないと次の1年の動きが取れなくなってしまうのです。
あわただしい3学期ですが、今の課題を明確にして、解決のための準備を怠りなくしてほしいと思います。

学校の応援団

昨日は、学校評議員をさせていただいている学校のおやじの会(おやじ限定でなくお母ちゃんも参加している)の忘年会に参加させていただきました。

学校と子どもたちのことを話題に楽しい時間を過ごしました。子どもたちの成長のみならず、先生方の変化、成長も本当によく見ていただいています。もちろん厳しい意見も出ますが、それも子どもたちを育てるという視点でのことです。

この学校のことというわけではないのですが、学校が地域の方にお願いをするとき、あまり負担にならないようにという発想で、これだけやっていただければとスポット的なお手伝いを頼むことが多いようです。そうではなく、学校の思いを伝えてもらい、きちんと責任のある仕事を頼まれる方が、多少物理的負担が増えてもやりがいを持って積極的に参加できるという話がでました。自分たちのやっていることが、子どもたちの役に立っていることを具体的な成果として実感したいというわけです。自分たちが能動的に関わるために、学校がどのように動いている、子どもたちがどのような活動を行っているのかをきちんと知らせてほしい。そうしてもらえれば、自分たちでどのように関わればよいのかを考えることができる。このように話されていました。
この学校では、何年にもわたる積み重ねの中、こういう関係ができつつあるのです。

これからの学校には、このおやじの会のように地域と学校をつなぐパイプ役、緩衝材となっていただける応援団が必要になってくるのだと思いました。

若い先生に学んでほしいことを考える

先週末は、教師力アップセミナーの次年度の講師について相談をしました。

ここ数年は若い先生の参加が増えてきています。若い先生の役に立つ内容を増やすという視点で講師の選定を進めました。私も仕事上で若い先生と話す機会が多いのですが、授業等ですぐに使えるネタをほしがる傾向にあるように思います。そうではなく、もっと基本的な教師として身につけるべきものがその前にあるように思います。

どのような姿勢で日々過ごすことが教師力を高めてくれるのか。
学級経営の基本となる子どものとの関係をどのように作っていけばよいのか。
研究授業のような特別な授業ではなく、日々の授業をどのようにして作っていけばよいのか。

次年度はこのようなことを学んでいただけるようなセミナーを企画しました。多くの若い先生方によい学びをしていただきたいと、手分けして素晴らしい先生方に講演をお願いしているところです。よい返事がもらえることを期待しています。

生徒募集競争

先日、大阪の私学の副校長とお話しする機会がありました。昨年度まで大阪府立高校の校長をされていたそうです。
学校会改革のお話が中心だったのですが、府立高校長時代のお話も聞くことができました。

・毎月のように校長対象の研修がある。
・学校の中長期計画策定して教育委員に直接面談で説明する。
・募集に関しては、オープンスクールや中学校訪問だけでなく、塾への説明会もおこなう。

中でも募集に関することが強く印象に残りました。公立高校が塾対象に説明会をする状況というのは、ちょっと想像がつきませんでした。
大阪は、私学も公立も授業料が無償です。府立の高校も何もせずに生徒が集まる状況ではないのでしょう。学校間の募集競争を否定する気持ちはありませんが、こういった競争が最終的に、学校の中身の向上につながってほしいと思います。入学した生徒をどれだけ成長させるかが、学校にとって一番大切なことですから。

学校全体で学びの質を上げる難しさ

昨日は中学校の公開研究会に参加しました。

小学校の頃に学級崩壊を経験した学年もあり、生徒指導上大変であったと聞いていましたが、どの教室も落ち着いた雰囲気で、笑顔があふれる授業でした。子どもたちの学び合いをベースにした授業づくりのよさが感じられます。先生方が互いに学び合って授業を作っているのがよくわかります。授業検討会でも授業のよいところから学ぼうとする姿勢を感じました。

多くの学校を見させていただいて感じるのは、子どもたちが落ち着いて学びあえる雰囲気をつくるところまでは比較的に短期間(2年前後)でできるが、その学びの質を学校全体として高めるのがとても難しいということです。
一人ひとりの学びをきちんと見ることに加えて、課題と子どもの動きの関係、考えを深めるためにどのように子どもの意見をつないでいくかといったことにも意識を向けて授業を見ていかなければならないからです。課題や考えを深めるということに関しては教科の知識がどうしても必要になってきます。これを全体の協議の場でうまく話し合うのは難しいことです。教科や一つひとつの授業の固有の問題からどの授業にも通じることを整理して共有化することはとても難しいのです。したがって、同じ教科の人間が集まっての授業研究も必要になってきます。しかし、1校だけでこれを実現するのは人数の関係でなかなか難しいことです。ある程度広域の勉強会を作る必要があります。

今回の授業検討会でも、2回のグループでの話し合いにおける個々の場面での子どもたちの学びをよく観察していましたが、最初の話し合いでテンションが高い子が多かったのに対して、次の課題では話し合いがうまく始まらず、しばらく動きがなかったという事実については話題になりませんでした。

最初の課題は知識を持っている子にとっては、それほど難しいことではなかったようです。わかっている子どもが説明したくてテンションが上がってしまったのです。一方、ベースになる知識が曖昧な子は、説明を聞いてもすぐにわからないようでした。「わからないから教えて」と聞くことができる子どもが育っているので、なんとかわかってもらおうと、ますます力を入れて説明する子と、どう説明すればわかってもらえるのかを考えながらじっくりと説明する子に分かれたようです。その結果、グループによってテンションが変わっていったようです。
知識を持っている子がすぐに答えがわかることを課題にした時に起こりやすい事象でした。

2回目の話し合いでは、与えられた課題が曖昧だったため、何を話していいかわからない状態でした。ところが子どもたちはそこで、教師から与えられた言葉(課題)を自分たちなりに解釈して、話し合いを行いました。その結果、全体の場では全く異なった視点での考えが発表されました。それぞれの視点を明確にすることを教師が意識しなかったため、発言をきちんと学級全体に広げることができませんでした。話し合いの内容を深めるチャンスを逃してしまったのです。

だから、この授業がよかった、悪かったということではありません。そこで起こっていたことに気づき、どう理解するかということです。そこで学んだことが授業づくりに生きてくるのです。

管理職の方と少しお話をする機会がありました。私が感じたことはとてもよく理解されていました。今の状態はまだまだ通過点で、ここからが本当の踏ん張りどころだと話す姿に、来年はもっと素晴らしい学校になっているに違いないと確信しました。

充実した研究会で学ぶ

日曜日に参加した研究会は実践報告もレクチャーも大変内容の濃いものでした。

中学校での縦割りによる探求活動(総合的な学習の時間)の実践は、

ゴールは「・・・について」ではなく「・・・なのか」と自分たちの考え、結論を明確にする。
インターネットなどで調べるだけでなく自分の足で調べる。
中間発表を入れて、他者の意見をブラッシュアップするチャンスを設ける。
子どもだけでなく、大人の評価も受ける。

といった、1年のサイクルで回す場合の基本がきちんと押さえられた活動で大変参考になるものでした。
この活動に、縦割りを活かした、3年間のスパイラルで子どもたちが伸びる仕組みをぜひ組み込んでいただきたいと感じました。

レクチャーでは、私自身がよくわかっていると思っていたことを、私にない視点を付け加えてまとめられていました。おかげで考えを深めることができました。感謝です。

また、保護者の学校評価の興味深いデータも見せていただきました。荒れている学年のデータは、学校に対する評価が低いのですが、教師への信頼や努力に対する評価は高いのです。結果が出ていないことへの不満と、そうは言っても目の前で教師が頑張っている姿は評価しているということでしょう。あらためて、「愛される教師を作る(になる)のは簡単だが、愛される学校を作る(になる)のは難しい」と感じました。

3時間余りの会でしたが、本当に充実した時間で、たくさんのお土産をいただくことができました。

今泉博先生から学ぶ

教師力アップセミナーで、今泉博先生のお話を聞かせていただきました。

「推理と想像」をキーワードに、どの子も発言したくなることを目指す授業の具体例をたくさん話されました。
発言するためには安心して話せる状況が大切である。そのために間違いを活かして、間違いをほめて、そこから授業を深めるという主張は大いに納得できました。
子どもの参加意欲を増すために、だれでも発言できる質問からスタートして、次第にねらいに迫る発問を加えて、考えを深めていくという展開です。どの例もよく練られたものでした。

ここで、注意をしたいのはだれでも答えを言える質問は、根拠のない無責任な発言につながることです。

「遣唐使はどうやって唐にいった」
「泳いで」
「いかだ」
「船」
・・・

特にクイズのような質問はそうなりやすいのです。今泉先生の素晴らしいところは、子どもを引き付け参加させたところで、子どもたちが関わりながら、根拠を持って内容を深めていくための発音や手立てをきちんと用意していることです。

「どんな人が行った」
「お坊さん」「役人」「通訳」・・・
「それじゃ、いかだじゃだめだ」
「船だ」
「どんな船」
「大きな船」
「帆がある」
「エンジンがある船」
「そのころはエンジンはないから違うよ」
「帆だけじゃ風がないと動かないから、人が漕いだ」
・・・
地図を見せて、
「どこから出発したんだろう」
・・・
「どこを通ったんだろう」
・・・

このような授業は、深い教材研究に支えられています。教えたい内容を明確にした上で、子どもたちがそれを見つけ理解していくためにどのような授業展開をするのか、どのような発問を用意するのかがとても大事なのです。ここがしっかりしていないと、子どものテンションだけが上がり、無責任な発言ばかりが目立つ、思考や深まりのない授業になってしまします。特に参加された若い先生にはこのことを強く意識してほしいと思いました。

学校と地域の関係を考える

昨日は、私が関わっている中学校で行われた地域ふれあい学びフェスティバルを見学してきました。地域の方と学校が一体となって、イベントや体験講座、模擬店を運営し、多くの方に楽しんで参加しながら、学んでいただきたいというものです。
私が見学するようになって、今年で7年目です。当初は地域の方と有志の生徒が中心となって企画運営してきましたが、昨年からは生徒主体の学校行事へと変わりました。
変更になった時は、地域の方も、生徒も先生も自分の役割が明確でないまま形だけが先にあるような状態でした。今年は、生徒の動きが昨年よりも格段によくなり、自分たちが中心となる意識が芽生えてきました。生徒だけで新聞社に取材を求めたり、地域を回って広報活動をしたようで、参加される方の数が飛躍的に増えていました。先生も自分の担当に応じて生徒たちを如何に活躍させるかに心を砕いておられました。

地域の中心となっている方々のお話を聞くこともできました。この学校を支える地域の人間としての思いを持って企画してきたのですが、昨年は生徒主体ということで、積極的に企画もできず、仕事をお願いされるばかりでどう関わっていいのか戸惑ったようです。その経験を生かし、今年は学校側とも連絡を密にとり、まず子どもたちにどのように育ってほしいのかを共有化したようです。そして、そのために自分たちがどうすればよいか考え、生徒自身が自分たちのフェスティバルとして責任を持って行動するように働きかけてくださったのです。子どもたちの成長のために、生徒主体で運営したいという学校の思いを受け止め、主体から生徒のサポート役へと自分たちの関わり方を変えてくださったのです。

これからは、学校と地域の協力が今まで以上に求められてくると思います。しかし、学校と地域とが同じ思いで動くことは簡単ではありません。子どもの成長のために互いに協力し合う。その点でまず一致することから始めなくてはなりません。その上で、自分に何ができるかを考え、そのことを伝えあうのです。決して相手に何をしてもらいたいかではないのです。
この地域では、今までとは違った学校と地域の関わり方が生まれました。これが正解でこのやり方を続けていけばよいということではありません。今までのやり方にこだわるのではなく、子どもたちの成長のために互いが変化できる柔軟性を持ち続けることが大切だと思いました。

小中学校の連携

昨日は中学校の授業研究に参加しました。規模の小さい中学校で全員が同じ小学校の出身です。この日は小学校の先生がたくさん参観してくれました。一部の先生は残って授業検討会にも参加していただけました。

小学校の先生が中学校の授業を参観することで、自分の教え子たちが卒業後どのように成長しているのかを授業を通して見ることができます。その子どもたちの姿から自分たちの授業や指導を再評価し、指導の改善へとつなげることができます。
中学校の先生にとっては、子どもたちの小学校での様子を知ることができます。特に子どもたちの具体的な名前が上がってくるような授業研究では貴重な情報が得られます。

そして、このような試みを通じて小中9年間を一貫したものとして、そのつながりをしっかり意識して子どもたちに接してもらえることがポイントです。小学校から中学校への移行時期は、思春期と重なります。この難しい時期を乗り切るためには小中が手を取り合って子どもを育てていける体制が求められます。授業を互いに見合うだけでなく、中学校の教師が小学生を教える、小学校の行事を中学生が手伝う、小学生が中学校の行事に参加する。つながりを意識することでいろいろな連携が生まれてくることと思います。

教科を好きになる

若い先生に、「どんな授業をしたい」「子どもたちにどうなってほしい」という質問をよくします。最近よく聞く答えが、その教科を「子どもが好きになる」です。

まず、興味関心を持ってもらうことが第一歩。
好きになれば勉強をするから力も付く。

このように答える先生の授業を見て気になることがあります。
それは、どうもその「教科を好きになる」ではなく、その先生のその「教科の授業を好きになる」を目指しているように見えることです。

雑談やクイズで盛り上げる。
物を作ったり、作業が多い。
子どものテンションが上がる場面が多い。
考える場面が少ない。
説明は先生が面白おかしくする。

こんな特徴があります。

誰でも参加できること、誰でもできることを中心にすることで子どもは活動します。先生の話が面白ければ、確かに子どもは楽しそうです。しかし、これだけで本当にその教科を好きになるのかよくわかりません。おもしろいショーに参加して楽しんでいるとしか見えません。子どもが自分たちで考えて問題を解決する姿が見られないからです。自分で考え、「わかった」「できた」「そういうことか」と教科内容を理解して、またこんな課題を「考えたい」と思って初めてその教科を好きになったといえるのではないでしょうか。

好きなることで考えるという発想だけでは、子どもは考えません。考える場面が授業になければ、考える必要がないからです。自分で考える、自分で解決するという経験を積んで初めてその教科が好きになるのだと思います。

教科を好きになることと先生を好きになることは違います。楽しい、おもしろい先生になって好かれることは教師の目的でありません。その先生がいなくなっても、その教科を好きであり続けるような授業を目指したいものです。

野口芳宏先生から学ぶ

教師力アップセミナーで、野口芳宏先生のお話しを1年ぶりに聞かせていただいた。今回の目玉は、若手の授業実践のビデオを見ての先生の解説であった。

授業を見る視点の鋭さ、明快な解説には学ぶことが多い。今回の授業をもとに、ワークシートのあり方、動作化についてお話しをされたが、特に教材内容と教科内容という視点で動作化をとらえたのは私にとっては新鮮で、自分の視野の狭さを反省させられた。

しかし、それ以上に学んだのは、授業の切り取り方であった。授業者のよいところをきちんと評価されていたのはもちろん、問題点を取り上げるにも、この授業の問題としてではなく、手法そのものの問題としてより一般化してお話しされた。こうすることでこの授業に対して参加者は否定的な気持ちにならずに話を聞くことができる。授業者も素直に受け入れることができる。私は授業を解説したり、アドバイスをする場面にこういった配慮がきちんとできているのか、授業者や参加者にネガティブな気持ちを持たせていたのではないか。反省させられることばかりである。

野口先生の厳しいが温かい語りは、私のようなひねくれ者にも素直な気持ちを思い出させてくれる。私自身、人をこのような気持ちにさせることができるようになるのは一体いつのことなのだろうか。遠い道のりだが、一歩ずつ前進しようと思いを新たにさせていただいたセミナーだった。

大学の講義の様子に思う

たまたま大学の講義を見る機会がありました。建物を見るのが目的だったのですが、時間の都合で授業中に教室に入ることになってしまい、失礼ながら講義の様子が目に入ったのです。

講義の中ごろだと思いますが、すでに半分くらいの学生は机に倒れていました。後ろの方では、背中を向けて友だちと雑談をしている者もいます。起きている学生も話を聞いているものはほとんどいません。講師の先生は学生の様子に頓着せず、淡々と話を続けています。ちょっと悲しくなりました。
学生にとっても講師にとっても不幸な時間です。今の学生は、大学の先生の授業技術はと非難する気はありません。この講義が大学の講義を代表するものだとも思いません。ただ、この状態を改善するにはどのようなことが必要なのかを考えさせられました。

もう何年も前のことになりますが、私が関わらせていただいていた中学校で、授業を改善しようという動きが起こりました。そのころ教室にはやる気のない生徒、寝ている生徒の姿が目についていました。何とかしたい、せめて寝ている子をなくそうと先生方は授業改善に取り組みました。数年後には寝ている生徒の姿を見ることはなくなりました。これは一部の先生の頑張りで達成できたのではありません。「私の授業は大丈夫」「あの先生の授業はちょっと」と個人の問題とせず、共通の理解のもとに全体で取り組み、授業を工夫し、互いに公開し、学び合って達成できたのです。

いま大学では学生による授業評価が進んでいます。しかし、授業改善を先生個人にゆだねていてはなかなかよい方向には向かわないと思います。授業を先生方の共通の問題とすることが改善への第一歩だと思います。

指導案について思う

先週末は中学校で授業参観と研究発表当日の指導案のアドバイスを行ってきました。

A4で2枚の指導案なのですが、授業の細部まで伝わってくるものと、なかなか見えないものがあります。その差はどこから来るのでしょうか。
ここでの説明は具体的にこうしよう、わからないようだったらこうしよう、ここでの活動はここを中心に見ようと授業者が具体的な授業イメージ(子どもの姿、それに対する自分の対応)を持っているかいないかの違いが大きいのです。
授業イメージが固まっていない指導案は、流れは書いてあるのですが、具体的な記述が少ないのです。

「説明する」
「指示する」
「できていない子を個別に支援する」

こういう言葉は書かれているのですが、具体的に「・・・」と説明する、指示する、「・・・」ができていない子には「・・・」という支援を行う、といった記述が少ないのです。どのように説明するのか、支援するのかを直接聞いても明確に答えられなかったりします。

指導案は事前に授業を検討するために作るものだと思います(授業を参観する方のためという視点もありますが、それは二義的なものでしょう)。事前に授業のイメージを明確にするための作業の結果と言ってもいいかもしれません。そこがはっきりすれば、どう改善すればよいかを事前に考えることもできます。
指導案を通じて事前に授業を検討することはよいことですが、授業が始まってしまえば、もう指導案にこだわる必要はありません。実際の子ども状況で授業はどんどん変わるものだからです。

授業をよくしていくために必要なのは、事前にどんな子どもの姿を見たいかを明確にし、そのために何をするかを具体的にし、実際の子どもの姿から学ぶことだと思います。指導案という形式にこだわらず、授業のイメージを明確にすることを毎日の授業で心掛けて、子どもの姿から学んでほしいと思います。
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