読み物資料を活かした道徳授業を考える

先週末、本年度第1回の教師力アップセミナーに参加してきました。貝塚市立木島小学校長川崎雅也先生の「共感・感動で心をはぐくむ」というタイトルの読み物資料を活かした道徳授業のお話でした。

川崎先生の、「心は具体的な行動によって見える」という考え方は大いに納得できるものでした。登場人物の行動からその心に迫るという手法は、読み物資料を活かすための大切な視点だと思います。
 川崎先生の考える道徳授業の流れは、「ストーリーの把握」「登場人物の心を考える」「道徳的問題点とその変化を考える」、最後に「生き方を考えることにつなげる」というものです。読み物資料を活用する基本は、主人公(登場人物)があることをきっかけに生き方(ありよう)が変わる場面を中心にその心の変化を深く掘り下げることにあります。そのためには、「ストーリーの把握」「登場人物の心を考える」といった資料の読み取りの部分はできるだけ時間をかけず、主人公の変化を考えることに時間を使うということを強く主張されました。しかし実際には、まるで国語の授業のように読み取りに時間をかけ、肝心の主人公の変化を深く考える時間がほんのわずかしかない授業に多く出会います。深読みすれば、子どもたちに深く考えさせることができないので、そこに時間をかけてもすぐに終わってしまうからなのかもしれません。

川崎先生は、この主人公の気持ちが変化する場面でかかわる登場人物を助言者と呼んでおられました。この助言者とのかかわりを通じて、主人公の気持ちを問いかけ、子どもの考えを深めていきます。この時、子どもの考えは、大きく3つに分類できます。
1つは、自分の行動の反省(過去)、次に他者(助言者)への気持ち(現在)、3つ目が次の行動(未来)です。特に最後の「次の行動を考える」ことが、子どもたちに自分がどう生きるかを考えさせることにつながる一番大切な部分です。子どもたちにそこまで考えさせなければ、道徳の授業としては薄いものになってしまいます。
また、子どもたちに深く考えさせるためには、映像でなく読み物であることが大切だと言われます。読み物は書かれていないことを想像するよさがあります。登場人物の表情が書かれていないからこそ、子どもたちはその時どんな表情をしていたのか考えます。これが絵やビデオであれば、顔が見えてしまえば終わりです。子どもによって異なる考えも生まれません。リアルなだけにかえって表面的になってしまうのです。読み物資料の「書かれていない姿が見える」よさを活かそうと意識して授業をつくることが大切であると感じました。

川崎先生は読み物資料のよさを活かしながら、子どもたちの考えを深める場面を見事に模擬授業で示してくださいました。どんな意見も「いいですね」とほめしっかり受容します。順番に指名しながら時には、「えー、○○じゃないの」と突っ込んで、より多くのものを引き出します。受けと切り返しの技術の素晴らしさに感心しました。ほめることで、どの子も安心して発言できる雰囲気がつくられます。順番に指名することで次は自分の番だとプレッシャーをかけ子どもたちに考えざるを得ない状況をつくります。たくさんの考えを聞かせることで、一人ひとりの考えを深めていきます。ここぞというところでは、教師が説明するのではなく切り返すことで、子どもたちの言葉で考えを深めていきます。教師が迫ることで、まさに「主人公の着ぐるみを着て」考えさせる授業になっていました。

川崎先生の見事な模擬授業に、この授業を実践したいと思う若手の教師も数多くいると思います。しかし、ほとんどは子どもたちの考えをこれほど深めることはできないのではないかと思います。この授業を成立させている要因は、授業者の資料に対する深い読みとその上での子どもへの切り返しの技術です。子どもの発言を受け止めて次の子どもを指名するのか、切り返すのか。切り返すのなら何を問いかけるのか。その判断と返しの言葉は、はたで見ているよりもはるかに高度なものだからです。
川崎先生は、教師と子どもとの1対1のやり取りをもとに授業を進めていきます。そのため、教師の力量が大きく問われます。経験の浅い教師にはハードルが高いのではないでしょうか。こういう場合は、子ども同士をつなぐことを意識するとよいと思います。「同じように思った人いる?」とつなげば、子どもが考えを足してくれます。「今の考えを聞いてあなたはどう思った」と問いかければ考えが深まっていきます。教師がうまく切り返せなくても、つなぐこと意識すれば子どもたちで深めていくことは可能だと思います。こんなことを考えました。

また、「主人公の気持ちを深く考えることで子どもたち自身の生き方を考えさせる」というのが道徳としてのねらいなのですが、時として、他人事になってしまい自分に引き寄せられない子どももいるかもしれないと思いました。このことをたまたま参加していた知り合いの校長に話したところ、資料を使う前にそのテーマに関したことを子どもに問いかけておき、最後にもう一度同じことを問いかけることで自分に引き寄せることができるのではないかと教えていただけました。なるほどと思いました。こういう進め方もよいかもしれません。

川崎先生が提案された道徳の授業のあり方が非常にレベルの高いものだっただけに、講演の間、ずっといろいろなことを考え続けました。読み物資料を使った道徳の授業に私が長い間感じていた疑問の多くを解決していただけました。本当に有意義な時間でした。川崎先生、ありがとうございました。

授業参観での保護者の様子を考える

中学校での授業参観での保護者の様子がいくつかの学校のホームページで話題になっていました。廊下でおしゃべりをしてうるさいというのです。保護者に訴えるだけでなく、何らかの手立てが必要だとの意見も多くあります。先日訪問した学校でも、先生方の話題になっていました。どこの学校でも問題となっているようです。このことについて少し考えてみたいと思います。

小学校ではこのようなことはあまり話題になりません。子どもは自分の保護者に来てほしい、見てほしいと思っています。子どもの期待に応えるためにも保護者は教室に入って授業をしっかり見ようとします。また、子どもが活躍する場面が小学校は多いので、自分の子どもの活躍場面を見ようと集中して参観します。授業の内容も保護者に十分わかるものなので、余裕を持って参加することができます。
裏を返せば、中学校はこの条件を満たしていないということです。
思春期の子どもたちは保護者が来ると恥ずかしいから来ないでと言います。
一方通行の講義形式の授業では、保護者にとって興味のない、よくわからない教科の話を聞かされる時間がほとんどです。子どもたちも、一部の子どもが発言するだけで、あとは受け身で板書を写しているだけです。保護者が見たいと願う、子どもの活躍の場面はほとんどないのです。
教室に入らずに廊下でつい世間話をしてしまうのもむべなるかなという気がします。

では、どうすればいいのでしょうか。
子どもが来ないでと言うのを変えるのはなかなか難しいことです。教師が「君たちの授業での姿は素晴らしい。この素晴らしさを知ってもらおう」とできるだけ具体的に子どもたちのよい姿をほめ、その姿を見てもらいたいことを伝える。一方、保護者も「みんなの・・・している姿がすてきだったね。あなたも・・・を頑張っていたね」と、参観後できるだけ具体的にほめる。このとき、自分の子どもだけでなく、学級全体もほめるとよいでしょう。友だちと比較して悪い点を指摘するのではなく、両方をほめるようにします。この時期の子どもは友だちとの関係がとても大切です。共にほめられることで見られることに肯定的な気持ちになれるのです。こういうことを地道に続けていく以外によい方法はなかなか思いつきません。もちろん、子どもたちのよい姿が授業中に見られることが前提ですが・・・。

2つ目の問題はどうでしょうか。授業の内容がわからないという点については、簡単な授業紹介や、授業の見どころを印刷して配るという対応をしているところもあります。教師が工夫しているところ、授業の内容をわかりやすく解説するなどしているのですが、はたから見ているとどうも効果はあまり感じられません。保護者は授業を受けに来ているわけでも、授業そのものを見に来ているわけでもありません。学校評価の一環で授業評価をするのならともかく、日ごろの授業参観では子どもたちの姿を見に来ているのです。保護者に伝えるべきなのは、授業のどの場面で、どのような子どもたちの素敵な姿が見られるのかではないでしょうか。授業参観で問われるのは、毎日の授業で、子どもたちのどのような姿が見られること目指しているのかだと思います。
しかし、学校として授業で目指している子どもの姿が、保護者の受けてきた授業と異なっている場合などは、外から見ただけではなかなか理解することができません。なぜこのような姿を目指しているか理解されないこともあるでしょう。日ごろから学校が目指す子どもの姿をホームページなどで発信して理解してもらうことが大切です。授業参観の時に、目指している子どもの姿と、そのために学校としてどのような工夫をしているのかについてミニ講演をしてもいいかもしれません。学校で取り組んでいる授業のよさを伝える一番簡単な方法は、保護者に生徒役になってもらい模擬授業をすることかもしれません。
実際に保護者対象に授業をした学校もあります。総合的な学習が導入された時に、その目指すものがどういうものかミニ講演をした例もあります。学校と保護者の見たい子どもの姿を共有する方法はたくさんあるのではないでしょうか。

授業参観で大切なことは、子どもの姿を通じて保護者と学校が理解し合うことだと思います。保護者と学校の見たい子どもの姿が一致すれば、その姿を見ようと積極的に参加してくれるのではないでしょうか。私はそのように考えています。
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