何を予習させるか

授業を理解するには予習が大切だと言われます。中学、高校と学年が上がっていくにつれその重要性が指摘されます。その理由の一つに授業を進める速さがあると思います。教える内容がどんどん増えていくからです。授業者から見れば、その日学習する内容を子どもたちが事前に理解していれば、説明もより簡単にでき、たくさん進めることができます。
ここで、注意してほしいことがあります。子どもたちが予習をして理解できるのであるのなら、授業を聞く必要ないということです。先生の説明をちゃんと聞かなくても答はわかっています。予め答を知っているので授業中に考え、悩むことはありません。よく理解できた気になります。しかし、これで力はつくのでしょうか。推理小説で事前に犯人を知っていては、頭を悩ませながら読みません。推理力もつきませんし、第一面白くありません。これと同じことです。
例えば、台形の面積の公式を事前に教科書で予習をさせることを考えてみましょう。教科書には考え方も書いてあります。授業中に子どもたちに考えさせたいことが、予習することで知識として知ってしまうことになります。これでは、意味がありません。
予習をしてよくわからなかった子どもが、わかりたいと意欲的に授業に臨めばよい効果はあるはずですが、予習を前提にして早く進むことを意識すれば、結局わからなかった子どもはよく理解できないままになってしまうことになります。では、予習はどのように考えればいいのでしょうか。

予習では、次の授業で学習することを事前に知識として獲得させておくというのではなく、その授業で必要になる足場を固めておくという考え方が大切です。先ほどの台形の面積の学習であれば、「三角形や正方形、長方形、平行四辺形の面積の公式を復習するような課題」「四角形を三角形に分解したり、2つの図形をくっつけて1つの図形にしたりして面積を求める問題」を課すといった、台形の面積を求める時に使う考えを事前に復習しておくという発想です。その時間で必要となる知識や考え方の確認です。特に学年や学期をまたいでつながるような課題であれば、すぐに思い出せない子どももたくさんいます。過去の学習を思い出させておくために事前に復習させるのです。
ここで注意をしてほしいのが、漫然と問題を解かせるのではなく、その時間で「必要となる」知識や考え方に限定して復習することです。例えば、国語で説明文の授業をする時に、以前に学習した説明文の読み取りの問題を解かせることには意味がありません。どのようなことに注目したか、説明文の読み取りで大切なことは何だったかを復習させるのです。ノートを見ればいいのだから授業中に復習してもよいと思います。しかし、事前に自分でノートを見て書き出すといった作業をしておけば、よりしっかりと思いだすことができます。地理などであれば、その時間に比較したい地域の特徴を確認しておくという方法もあります。
もちろん、国語で音読をしておくといったことも大切な足場です。また、事前に必要な知識を調べさせることも足場を固めることになります。言葉の意味を調べる。社会や理科で語句や資料を調べたり、探したりする。授業で考えるために必用な作業を事前に済ませて足場をつくることも意味のあることです。

ここで、注意してほしいことは、予習に頼りすぎると予習をしてこなかった子どもが授業に参加できなくなることです。かといって、予習していなかった子どもに合わせて授業をしてしまえば予習をしてきた子どもの努力が無駄になってしまいます。やってきた子どもを活躍させながらやってこなかった子どもも参加できるように工夫をすることが必要です(やってきたことを無駄にさせない参照)。

予習は、授業で教える内容を事前に学習させるのではなく、その授業で必要となる足場を固めるという発想で考えることが大切です。考えるための知識を確認しておく。より深く考えるための時間を確保する。そういったことのために予習を活かしてほしいと思います。

教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわり

教師がしゃべりすぎないことが大切ということが言われます。よく目にするのが、子どもから正解や正解につながる言葉が発表された後、その言葉を受けて教師が説明を続ける場面です。本人は子どもから出てきた言葉をもとに進めているつもりなのですが、一番大切な根拠や考え方は教師の言葉で進んでいます。子どもの発言に対して教師がその何倍もしゃべっていることがほとんどです。子どもの発言は単なるきっかけで、教師が自分の言葉で説明しているのです。結局、子どもが教師の説明を聞いて納得することを求められる受け身の授業になってしまいます。このようなことを避けるために、しゃべりすぎないようにと言われるわけです。

教師がしゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言を増やし、できるだけ子どもの発言だけで授業を進めようとすることになります。どんな発言に対しても「なるほど」と受容して、安心して発言できる雰囲気をつくる。「同じように考えた人いる?」と、たとえ同じ考え方でも、何人も指名して全員が納得できるまで発表させる。「自分の言葉でまとめてみよう」と、子どもたち自身でまとめさせる。こういう姿勢が求められます。子どもたちは、教師が余分な言葉をしゃべらず、説明をしないので友だちの発言をしっかり聞き、自分の言葉で説明できるようになっていくはずです。経験の浅い教師でも、しゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言量が確実に増え、子どもの言葉だけで進む授業になっていきます。しかし、それだけで、子どもたちに力がつくとは言えません。このような、教師があまりしゃべらない、説明しない授業では、子どもたちの発言が言葉不足で全体によく伝わらないことや同じことが次々に発表されるだけで考えが深まっていかないことがよくあるのです。実は、教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわりがあるのです。

例えば、子どもの発言がだらだら続いて整理できていなければ、一度発言が終わったあと「なるほど、どうみんな納得した?」と子どもたちに確認して、「まだ納得していない人がいるからもう一度、みんなに聞かせてくれる」と再度発言させます。途中で止めながら、「ここまで納得した」と子どもたちが発言を理解するための時間を取ります。言葉足らずであれば「今、・・・と言ってくれたけど、それってどういうこと?」とより詳しい説明を求める。「○○さんの考え説明できる人?」と他の子どもに考えを説明させる。
発言を重ねていくのであれば、「今、言葉を足してくれたね」「ちょっと違うところがあったね」「共通のことがあったね」と考えをつなぐことを意識した気づきを促す。「みんな△△に注目しているけど、それってどういうことかな?」「今、2つの意見が出てきたけれど、どっちが納得できる?」と焦点化し、時にはグループに戻してより深く考えさせる。
こういった教師の言葉やかかわりが必要になります。

教師がしゃべりすぎないことは、子どもの発言を引き出し、子どもの言葉で進む授業の第一歩です。説明しないからこそ、発言を整理し、子ども同士をつなぎ、考えや意見を焦点化するといった、子どもの考えを共有化し、より深めるための教師の言葉やかかわりが必要になります。しゃべりすぎないことにこだわるあまり、このことを忘れてしまってはいけません。説明する以上に大切な出番があるのです。しゃべりすぎないからこそ、何をしゃべるかが問われるのです。
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31