初任者にとって基本は難しい?

前回の日記の続きです。

3年生の担任は初任者です。国語のわからない言葉の意味調べの場面でした。
授業者は子どもの発言を「なるほどね」と受け止めることができます。一見受容ができているように見えるのですが、常に同じ対応です。発言に対する評価もありません。マニュアル的に対応しているように感じました。「○○している子はいい」とよい行動をほめることがあるのですが、固有名詞でほめていないので、子どもは自分がほめられたとは思いません。
一部の挙手をする子どもとの間だけで授業が進んでいきます。同じ子どもが何度も指名されるのが気になります。
落ち着かない子どもが一人います。隣の子どもが「静かにして!」と何度も注意をします。他にも、子どもが他の子どもを注意する場面がありました。気になります。授業者があえて注意をしないという対応もありますが、他の子どもに影響がある時には何らかの対応が必要です。少なくとも迷惑をかけられている子どもに対して、「我慢してくれてありがとう」ということは伝える必要があります。
ディスプレイに「たなばたさま」の歌詞を表示し、その後で教科書を開きます。教師にも同じ歌詞がありますが、これは意味のない行為です。今はディスプレイに注目させる時です。
教えてもらっていないからわからないはずだと言いながら、「知っている子はいないかな?」と「砂子」の意味を子どもに聞きます。今日は言葉の意味を調べることを学ぶ時間です。「教えてもらう」という言葉はあまり相応しくありません。「知らない言葉はどうすればわかるか?」を問いかけるべきでしょう。
ワークシートを配り、班長に辞書を取りに来させます。課題の説明をしますが、子どもは辞書に気を取られて集中していません。延々と説明が続きます。言葉の意味を調べること、調べ方、どのようにワークシートに書くのか、こういったことをまとめて指示をするのです。これでは、子どもは理解できません。「辞書の使い方を確認する」「辞書を引いてみる」「辞書に何が書いてあるかを確認する」「複数の意味がある時はどうするかを考える」「ワークシートに整理する」といった一連の活動を、ステップごとに確認をする必要があります。全体で一つひとつ試しにやってみることが必要でしょう。この活動の目標もはっきりしないまま活動に入りました。
案の定、子どもたちは何をどうすればいいのかわからなくて、授業者に質問します。活動中教科書がじゃまになっています。辞書の箱を下に置くように指示しますが、きちんと聞く態勢をとらせていないので、徹底しません。気がついた子どもが他の子どもの箱をかたづけています。
辞書を引いて、「あったー」と声を出す子がいます。「あったら意味を書きましょう」と指示していますが、一連の活動を理解していないので、このような状態になっていることに気づいていません。「どうやって書くの?」と次々に質問が出てきます。行き当たりばったりで、指示を繰り返しています。子どもは全体の場面では評価されないので、個別に授業者に聞いて相手をしてもらおうとしているように感じます。
子どもが友だちにすぐに文句を言います。昨年はこの子どもたちを見ていてこのようなことは気にならなかったので、今年になって子ども同士の関係が崩れ始めているようです。
全体で発表させるのですが、子どもがなかなか静かになりません。授業者の声が大きくなります。これは逆効果だと気づいていません。全員が授業者に注目していないのに進めます。
2人しか挙手をしないのに指名しました。他の子どももノートには作業の結果が書かれています。なのに、発表しないというのはどういうことでしょうか。教室の雰囲気が悪くなっていることや発表してもいいことがないと感じていることが原因のように思います。基本的にほめられることがないのです。
「砂子」は国語辞書には載っていません。そこで、授業者が写真を見せて説明しますが、載っていないことを調べさせる意味は何でしょう。結局わからなければ授業者に教えてもらうという姿勢をつくってしまいます。辞書には種類があることと、百科事典と国語辞典との違いを教えて、百科事典で「砂子」調べた結果を見せたいところでした。
七夕がもともとどんな行事だったかを子どもに問います。知っていなければわかりません。ヒントを出して考えさせます。かつては習字を上手くなるように願っていたということを説明しますが、あまり意味のあることではありません。さっさと説明すればいいのです。
子どもたちに短冊を書いてもらうと言うと、何を書くのかを明確にしていないのでテンションが上がります。授業者は「聞きなさい」と強い声で制止をします。コントロールできないと上から押さえつけようとします。これでは、子どもたちとの人間関係が崩れていきます。
この後で、短冊に書くテーマを提示します。「クラスをよくするための願い事」です。子どもは、「自分の願いがいい」と反発します。子どもにとって、その必然性がないのです。国語の授業としてこの活動の目標は何かわかりません。学級の状況がよくないのでこういう課題にしたのなら、まず子どもたち自身がそのことが課題と感じるような場面が必要です。
子どもが書き始めると、下書きをするように指示を追加します。これでは徹底しません。指示に従えてない子どものミスを指摘する子どもがいます。助けるというよりも非難という感じです。あとから、名前を書くように指示しますが、どこに書くかよくわかりません。そもそも授業者が貼った見本には名前がないのです。
授業後の挨拶は、だれも授業者を見ていないまま終わりました。このことが象徴的でした。
授業者の視線の先には、子どもの姿がありません。自分の感覚で、「これでわかるだろう」と思って授業を進めています。経験の少ないうちはそうかもしれませんが、授業中の子どもの姿を見て修正されていくものです。3ヶ月経とうとするこの時期でも、それができていないのです。子どもの視点で授業を見ることができていません。自分の言葉が子どもにどう受け取られるか、子どもはどのような過程で理解するのかといったことを考慮できていないのです。
基本的なことでも、それをきちんと実行することは初任者にとっては難しいものです。ゆっくり時間をかけて成長すればいいのです。とはいえ、当面は急いで学級の状態を落ち着かせる必要があると思います。子どもたちの中にあった、昨年までの貯金がなくなっているのです。授業規律を、子どもを認め、ほめることでつくることから始める必要があると思います。それと並行して、授業者にはどのような子どもを育てたいのか、どのような子どもの姿を見たいのかを自身に問いかけてほしいと思います。
管理職を含め、多くの先生方がこの先生にアドバイスをしています。何を言われているのか、具体的にどのようにすればいいのか、もしわからなければ自分から何度も聞きに行くことが大切です。アドバイスを素直に受け止め、前向きに取り組んでほしいと思います。

学校全体としては、先生方は子どもを受容することができています。先生と子どもの1対1の関係は良好だと思います。次の課題は、子ども同士をつなぐことと、活動の目標を子どもにわかる言葉にして自己評価の場面をつくることです。校長は個々の学級、先生方の課題をよく把握されています。昨年は先生方が課題を共有して、短い期間で大きく進歩しました。今年も次回訪問時にはよい変化を見ることができると期待しています。
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