改善へ向かう力を感じる授業、変えられない授業

中学校で授業アドバイスをしてきました。今年度4回目の訪問です。

子どもたちの様子は、微妙に変化してきています。
3年生はよい状態を維持できているのですが、少し息切れしている子どもが出始めたように思います。授業によっては集中力を失くしている子どもが少し目につきます。
2年生は、授業によって子どもの見せる姿の違いが大きくなってきたように感じます。子どもたちに今何を求めているのかを伝えればよい姿を見せてくれるのですが、そうでなければ子どもは楽な方に流れていきます。聞く必要がないと思えば、聞かない。先生の説明よりも板書を写すことを優先する。そういうことです。先生にかかわらず、自分がどうあるべきかを考えて行動できるようになってほしいと思います
1年生は、少し気になる状態が目につきだしました。学校に慣れてきたこともあるのでしょう。集中力を失くし、テンションがおかしくなる場面を目にします。注意して子どもたちを押さえるという発想ではなく、子どもたちのよい行動を認めて広げていくことを意識して、再度授業規律から立て直すことが必要に思いました。

今年異動して来た先生の3年生の英語の授業は、毎回いろいろと工夫をされています。授業をよくしたいという向上心を強く感じます。
子どもたちのノートに○をつけていました。これはやる気を出させるのによい方法ですが、解答できれば○をつけることになっているのか、できた子どもが○をつけてくれと手を挙げていました。自分に○がつくまでその子どもは待っていることになり、時間のムダです。最初に次の指示と、順番に回ることを伝えておく必要があります。
子どもの反応を大切にしているのですが、一部の子どものつぶやきだけで進んでしまいます。他の子どもは、そのやり取りは自分に関係ない、参加しなくてもよいと考えているように感じました。でてきたつぶやきを全体で共有する、他の子どもに意見を求めるといったことをして、全員参加を求める必要があります。
“situation”を意識して、絵の場面と文章を連動させようとしています。暗記しているそのままの文章ではなく、一部分を変えることを意識していました。英語を聞き取りながら、その”situation”を理解する練習を大切にし続けてほしいと思います。
予習させた文章を”listening”する場面がありました。暗唱していれば、聞き取れます。そうでなく、ここで初めて学習する表現を練習した後、その演習として”listening”行うようにするとよいと思います。1回聞かせてすぐ答を言うのではなく、聞き取れたことや使われていた表現の一部でいいので互いに聞き合って、もう一度聞かせるといったことをするとよいでしょう。できなかった子ども、わからなかった子どもができるようになる場面を授業につくることを意識してほしいと思います。
いつも熱心に授業を改善しようとしている方です。まだしばらくは試行錯誤が続くと思いますが、きっと大きく進化すると思います。次回もとても楽しみです。

3年生の社会科で、歴史川柳をつくるという活動がありました。「その時代の様子がわかる」ということが条件です。子どもたちは熱心に取り組んだのでしょう。友だちの作品を真剣に見ています。「時代の様子」というキーワードをつけることで、その時代に何が起こったか、その時代をどうとらえるかを考えて教科書や資料集を見ることになり、より深く学習ができます。面白いやり方だと思います。子どもたちがどの川柳がよかったかを真剣に投票している姿が、なによりこの学習への子どもたちの取り組みを物語っていました。こういった工夫が日常的に行われていることが素晴らしいと思いました。

初任者の3年生の国語の授業は、ワークシートもとに進めるものでした。授業者は子どもたちに考えさせたいと思っているということですが、ワークシートの課題をこなしていくだけで、なぜそこに注目するのかといったことを子どもたちが意識することはありません。最後は、その解答を一問一答で確認し、授業者が説明するものでした。子どもたちは課題にしっかり取り組みますが、試験問題を解く練習をしているようなものです。受験を意識しているのでしょうが、読解力がつくとは思えません。授業観を含めて、国語の授業とはどういうものかをもう一度考えることが必要でしょう。
次回訪問時に、一緒に教材研究をすることを約束しました。前向きに授業改善に取り組んでくれることを期待しています。

1年生の国語の授業は、説明文を扱っていました。説明文を通してどんな国語の力をつけたいのかがわからないものでした。「○○を2つ抜き出せ」といった課題を出します。これ自体が一問一答形式の試験問題と気づかないようです。2つと指定した時点で、子どもたちにとってみれば、教師の考える正解があるということになります。授業者は、指名して正解であれば、それで次に移ります。根拠の確認もありません。子どもたちは教師の求める答探しをしているだけです。授業者は無自覚で子どもたちの考える力を奪っているのです。
このことを説明しても、なかなか授業を変えることができません。自身の受けた授業が、そういった受験に特化した一問一答形式だったのでしょう。こういった負の連鎖を断ち切ることの難しさを感じます。

2年目の先生の1年生の英語の授業は工夫が感じられるものでした。
“situation”を意識してジェスチャーをしながら練習をします。ただ、一つひとつのジェスチャーの動きがはっきりしません。ジェスチャーは名詞などの単語や、動詞句、前置詞句などと一対一に対応させることが重要です。一つひとつの言葉との対応を明確にして、語順通りにジェスチャーすることで、英文の構造を子どもたちに意識させることができます。
英語の授業では、本文にそって先生の読みを聞いて、同じ文を読む練習をよく目します。この先生に限りませんが、こういった活動の目的が今一つよくわかりません。英文を覚える練習なのか、文字を読む練習なのかがよくわからないのです。英文を覚える練習であれば、読むことと切り離した方がよいと思います。言葉を文字で覚えてしまうからです。文字を読む練習であれば、まず耳と口で練習して言葉を覚えてから、練習をすべきだと思います。時間の短縮なのかもしれませんが、話す聞くと、読むは分離した方がよいように思います。

授業研究が2つありましたが、それについては明日の日記で。
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