学校公開日の授業を見て考える

一昨日は、アドバイザーをしている中学校の学校公開日に参加しました。研究授業と違った普段の授業の様子を複数の教科にわたって見ることができるので、とても多くのことを学べました。

学校全体としては落ち着いているのですが、細かく見ていくと気になる点がいくつかありました。子どもの姿が教師によって違うのです。「話を聞く時に顔が上がっていない」「友だちの発言をしっかりと聞いていない」といった場面をよく目にします。ところが、同じ学級でも別の時間ではしっかりとできているのです。教師が目指す姿を明確にしていれば、しっかりと応えてくれる子どもたちということです。できていないのは、そのように思っていない、意識していないということです。この傾向は学年が下がるにつれて顕著でした。

面白かったのが1年生の学級の様子の違いです。1つの学級はとても明るく反応もよいのですが、テンションが上がり気味です。子どもたちの関係はよいのですが、考えに詰まってくると相談ではなく雑談になっている姿が目立ちました。課題を解決するための手段や材料が明確になっていないと活動が停滞しますが、そのような場面で起こるのです。一方、もう1つの1年生の学級では、そのような場面ではそのまま停滞したままでした。
共通していることは、グループ活動などで、考えを聞き合うといった学び合いの基本はできているのですが、まだ互いにかかわり合う力が弱いということです。わからなければ聞く、手詰まりになった時にどうしようと相談するといったことが、まだできていないことです。こういう場面では、「授業者がグループに対してかかわりを促す」「いったん活動を止めて全体で考える手段や視点を確認してグループに戻す」といった対応が必要になります。
では、この2つの学級の違いはどこにあるのでしょうか。授業での問題以上に日ごろの学級経営や行事での差が大きいように思います。最初の学級は授業以外でよい人間関係がつくられているので、行き詰まったときに日ごろの人間関係が現れて雑談になってしまうのです。もう1つの学級はそういう日ごろの人間関係があまりできていないのではないかと思います。
このことは、総合的な学習の時間の発表会の様子にも表れていました。各自が職業調べの発表をポスターセッションの形で行うのですが、その時の発表者、聞き手の様子が大きく違っていました。最初の学級は原稿に頼らず、友だちの方を見て発表する子どもがほとんどでした。聞き手も発表者を見てよく反応しますが、テンションは上がりすぎていません。笑顔がとても多かったのが印象的です。もう1つの学級は、原稿を見て発表する子どもがほとんどで聞き手と目を合わせません。聞き手の反応もとても少ないのです。発表の仕方などは指導の差もあるのでしょうが、子どもたちの反応の違いはそれだけではないと思います。集団の特性で片づけられないものを感じました。

2年生で少し気になったのが、一部の子どもたちと先生との人間関係です。あからさまなことは何もないのですが、先生の言葉を聞いていてもがそれを受け止めようとしていないのです。わからないから聞いてもダメだと思っているのかもしれないとも考えたのですが、友だちとかかわる場面ではちゃんと積極的に活動するのです。このことは、子どもが先生を受け入れていないことの現れと私には感じられたのです。簡単に結論を出すようなことではありませんが、来年度に向けて意識しておきたいことです。

3年生は、さすがに高校受験直前で「わかろう」「わかりたい」という気持ちをとても強く感じました。友だちに教えてもらっても、「どういうこと」と納得できるまで、真剣に聞き返しています。1年生で多かった、友だちが教えたことをそのまま写している姿とは大きく違っていました。そのようなよい姿をたくさん見る反面、全くかかわれない子どもが何人かいました。受験から外れてしまっている子どもかもしれません。そういう子どもたちとかかわる余裕を他の子どもたちがなくしてしまっているように思いました。今の時期よく見ることなのですが、なかなか難しい問題です。
わからない子どもはどの学年にもいます。そういう子どもは孤立しやすいのですが、それを教師が助長している場面に出合います。教師が個別に教えているのです。それをしすぎると、子どもたちはその子は教師が面倒を見るものだと思ってしまいます。ますます孤立してしまうのです。他の子どもたちに教えてもらうように、子ども同士をつなぐことを一番にしてほしいと思います。子ども同士で教え合うことは十分に可能なはずです。実際に、教師が個別に対応指定子どもを、グループで他の子どもが一生懸命に教えている場面に出合いました。理想は、授業中以外でも友だちに教えてもらえるようにすることですが、少なくとも授業中は教師が個別に教えない方がよいと思います。

社会の授業でのことです。グループでどのようなことを話したかと、資料を見て気づいたことを聞きます。子どもが気づいた事実を答えた後、教師はさらに「そのことからどんなことが言える」と聞きます。子どもは答えに詰まってしまいました。漠然と気づいたこと考えさせていたのに、さらに考察を求めたのです。問題は、教師が求めていることが、気づいた事実からより深く考えることだと子どもたちが理解しているかどうかです。せっかく答えたことは評価されずに、想定外のことを聞かれて「答えられなかった」という負の気持ちで終わってしまいます。
同じことは他の学年でも起こっていました。共通の問題があるということです。「気づいたこと」というのは、何を答えればいいのかが明確にならないまま授業が進んでいたということです。社会科では、資料から何を読み取り、それをもとにどのようなことを考えなければいけないかを教える必要があります。子どもの気づきを「○○と△△を比較したんだね」というように視点を整理して評価する。「みんなどう、□□さんの気づいたこと、納得した」と共有し、「このことから、どんなことが言えそう?」と全体で深める。深めたことをその視点や深まりを再び評価して、共有する。こういうことを何度も繰り返して経験することで、教えていくのです。

家庭科の授業は、消費者教育でクーリングオフの話でした。電子黒板を使って消費者からの相談を表示します。この例がクーリングオフ可能かどうかを1分間で判断させ、すぐ次の相談を提示します。授業者は、まわりと相談はしないようにと指示しますが、何人かは相談を読むとすぐにまわりに声をかけていました。興味を持っている、自分の思いついた考えを確認したいのです。数人の子どもが教科書を見ていますが、ほとんどの子どもは教科書を開かず解答しています。この様子が気になりました。授業者に確認したところ、教科書を使ってクーリングオフの説明をしたそうです。であれば、もっと教科書を確認していいはずです。子どもたちは、根拠をあまり意識せずに漠然と考えているということです。結論ではなく、根拠を意識させることが大切です。そうすれば、もっと教科書を見て考えるはずです。相談することが悪いことではありませんが、その前に根拠を考えていれば、相談しようとするまでにもう少し時間がかかるはずです。すぐに相談していたのは、根拠を明確に意識していなかったからだと思います。答ではなく、根拠を大切にすることを意識してほしいと思いました。

3年生の数学で、若い講師が子どもに根拠を何度も聞いている場面に出会いました。かなり意識をしています。直角二等辺三角形の辺の比が1:1:√2になる説明でした。直角と45°が与えられているだけの三角形で辺の比を求める問題です。指名した子どもは「辺が等しい」と説明します。どの辺のことか聞きます。記号がついていないので、「その辺」といった指示語になります。記号をつけるというつぶやきを拾って、直角を挟む2辺の長さが等しいことを確認し、子どもから直角二等辺三角形という用語を引き出しました。丁寧に進めていますが、そこで「三平方の定理から・・・」と進めました。ここで、大切なのは、45°という条件と直角から残りの角が45°になること、底角が等しいから二等辺三角形になることを押さえることです。どの根拠を大切にしなければいけないかという教材のとらえ方が甘いのです。また、指名した子どもと1対1の関係になってしまい、他の子どもが参加できていません。根拠を他の子どもにつなぎ、全体に共有することが必要です。板書も結果だけが書かれていて、根拠がどこにも残っていません。根拠を板書してもいいですし、すきまを作って子ども自身に根拠を書かせてもいいでしょう。せっかく授業者が意識している根拠を子どもたちがもっと意識するような工夫がほしいと思います。
授業後に少し話をしました。以前のアドバイスを参考に、根拠を問うことを意識して授業をしていることを話してくれました。今回のアドバイスの後、根拠を聞くといっても教材研究がしっかりできていなければダメだということがわかったと気づいてくれました。挙手にたよらず指名するという以前のアドバイスに関連して、「どの子なら答えてくれるだろうと考えて指名するのだが、指名してみると答えられないことがある。子どもが自信を失くすことが怖いこともあり、どうしてもできる子を指名してしまう」という悩みを話してくれました。「まわりの人助けてくれる」とまわりの子どもに助けを求め、答えることができれば、「よく聞けたね」「助けてくれてありがとう」「助けてもらってよかったね」と2人をほめる。「じゃあ、あとでもう一度聞くね」といったん席につかせ、他の子どもの考えが出た後で再度指名して答えさせ、必ずほめて終わる。こういうことをすれば、答えられなくても困らないし、子どもが自信を失くすこともなくなることを説明しました。素直にアドバイスを受け止めて実践しようとしているから出てくる悩みです。これから伸びていくことが期待できます。

多くのことを考え学んだ1日でした。子どもたちが落ち着いているからこそ、学校として取り組まなければならないことが明確にあります。なんとなく、グループを使い学び合いができているように見えますが、個々の場面を見ると子どもたちがしっかりと学び合っているとは言い難い状況がありました。学校として目指す子どもの姿を今一度共有して、その実現のために学校全体で具体的に何に取り組むのかを明確にする必要があります。苦しい時期を乗り越えた学校は、人が入れ代っていくうちにいつの間にか何が大切であったかを忘れてしまい、形だけが残ってしまうことがよくあります。この学校がそうならないために、何が必要かをいろいろと考えました。次回訪問時に、このことについて管理職や教務主任と相談したいと思います。
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