次の課題が見えた授業研究(長文)

前回の日記の続きです。

授業研究は1年生の国語の文法の授業で行われました。接続語の学習です。授業者は今年小学校から異動になった7年目の先生です。
授業者は最初に授業の流れとゴールを明確にしました。「教科書を読む」「教科書の内容をワークシートにまとめる」「ワークシートの問題を個人で解く」「問題ができたら短文をつくる」「グループの全員が問題を解けたらグループで答えを確認する」という流れを簡潔に説明します。この場面だけでなく、授業のどの場面でも指示が簡潔で明快でした。ゴールも短文を全員がつくれると明確なのですが、ちょっと気になることがあります。それは、国語の授業として短文つくれることが目標でいいのかということです。そのことを意識しながら授業を見せていただきました。

授業者の話に小さくうなずく子どもが何人もいます。子どもがしっかりと反応してくれます。日ごろから、子どもに反応をうながし、評価していることがわかります。ワークシートの説明場面では、ワークシート見ている子どもと授業者を見ている子どもがいます。授業者としてはどちらの姿を望んでいたのでしょうか。実物投影機を簡単に利用できる環境であれば、おそらく全員の顔が上がるように指導していたのだと想像します。プリントを使う場面ではICTの環境が整ってほしいと改めて思いました。

授業者は範読している時に一度読み間違えました。理由は、視線を子どもたちと教科書との間を行き来させていたからです。この場面に限らず、子どもたちを見ることを常に意識しています。子どもたちがいつもよく集中している理由がわかります。
ペアでの音読では「記憶に定着させてください」と目標をはっきりとさせています。しかし、その目標に対して評価が明確ではありません。このことを意識するととてもよい授業になっていくと思います。ペアでの音読は、間違えたところを教え合っている姿も目にします。互いに向き合っているよい関係のペアをたくさん見ることができる反面、前を向いたままのペアも目立ちます。この学級に限らず、この学校ではだれとでもかかわれる人間関係をつくることが難しいように感じます。授業の中で子ども同士の関係をつくることをもっと意識する必要があると思います。

授業者はあまり机間指導をしません、しかし、子どもたちを非常によく見ています。机間指導よりも、全体を見ることの方が大切にしています。ペアの音読終了後、教え合っていた子どもたちのことを具体的にほめていました。ありがとうという言葉も、よく聞かれます。ポジティブな評価を大切にしていることがわかります。子どもたちとの関係のよい理由がわかります。

続く作業の指示も明確でした。確認をした時に、多くの子どもが反応します。当然、子どもたちは素早く作業に移ります。ムダのない進み方です。子どもたちに与えた時間は8分です。この時間は子どもたちが集中しないとできない時間なのでしょう。どの子ども集中して取り組んでいます。日ごろから、子どもたちが頑張らないとできない時間を設定しているのだと思います。時間が来てもまだ終わっていない子どもも何人かいますが、延長しません。問題を解いた後の時間にやっておくように指示します。安易に延長しないことも、子どもたちが集中する理由でしょう。
ここで、問題になるのは写すことの意味が何かです。子どもたちは教科書を写すことに慣れているのでしょう。目が教科書を追いながら一定のリズムで写しています。しかし、先ほどの音読と同じく記憶することがねらいなら、そのことをもっと意識した作業にすべきでしょう。音読の評価とあわせて、教科書を見ないで写す。接続語ごとに、一度でまとめて写すといった指示をするとよいでしょう。
子どもの作業に対して、丁寧に書いているといった評価も忘れません。しかし、国語の授業としてのねらいを評価する具体的な基準がないために、行動面での評価しかできません。

問題を個人作業で解かせます。個人作業ですが、わからなくて友だちに聞いている子どももいます。そういう関係ができているのであれば、最初からグループで個人作業を行ってもよいと思います。わからない時にわかるための方法を持たせていなければ、わからない子どもはそこで止まってしまいます。そのための一番簡単な方法が友だちに聞くことです。
授業者は接続語を選ぶにあったて、根拠を説明できるようにと子どもたちに求めます。根拠を大切にしていることがよくわかります。
グループでの答え合わせは、子ども同士がしっかり聞き合えていると感じました。しかし、この時間で学習した「順接」「逆説」「並列」といった国語の用語を使って説明しているグループはあまり多くはありません。子どもたちの活動だけを追えば自然につながったよい授業に見えるのですが、国語としてみると個々の活動がきちんとつながっていないのです。日常的な言葉を、定義や概念が明確な用語に置き換えて話すことでより正しく伝わります。それが用語を学習する目的の一つです。ここでは、そのことを意識してほしいのです。「この日学習した用語を使って説明しよう」という条件をつける。答え合わせの途中でいったん止めて、用語使って説明していたグループに発表させて、そのことを評価して全体で共有する。このような、働きかけをしてほしいのです。

全体での確認場面では、各グループで答の確認ができていた問題を「1番は全員ができている」ととばしました。よい判断だと思います。子どもたち全員が正解を確認できている問題の解答をしてもだれるだけです。
全体での説明の場でも、子どもたちから出てきた用語は「順接」「逆接」「付加」だけでした。国語の授業としては、用語使って説明したことを評価することが大切です。「他の例も用語使って説明して」とつなげていけばよかったと思います。

2文をつなぐ接続語を入れる問題で、接続語を1つ入れてから「何の仲間」と問いかけて、他の接続語を導き出していました。実はこれは論理としては逆なのです。2文の関係から「順接」や「逆接」といったことがわかります。そこから、入れるべき接続語が決まるのです。感覚で選んだ接続語をもとに考えるのはおかしいのです。現代文は私たちの母語ですから感覚で答を出すことができます。そうではなく、文法をもとに正しく伝わる文にする、解釈することが文法の学習の目的の一つです。試験で解けることだけを考えて感覚で答えることを教えては、高等学校で古文に出会った時に困ってしまいます。

問題の中に、「順接」「逆接」どちらも入るものが用意されていました。「頑張った」「結果が2位」という文をどうつなぐかです。「どちらかなのか」「どちらでもいいのか」子どもたちに説明させます。「順接」の場合は、今まではあまりよい結果でなかったので2位がよい結果と思える。「逆接」の場合はもっと上を目指していたので、2位が悪い結果と思えると何人かが説明をします。子どもの説明の後、「どうですか」と授業者が聞き、「いいです」と子どもたちが答える場面がありました。他の子どもに「もう一度、○○さんの考え説明してくれる」「同じような考えだった人いる?あなたの考えを説明してくれる」とつなぎたい場面でした。
子どもたちはそれぞれの場合の説明をしましたが、「だからどちらでもいい」という言葉は出てきませんでした。しかし、授業者は「どっちでもいい理由を言ってくれたね」とつないでしまいました。おそらく授業者は意識していないのですが、結論を自分が出してしまっています。子どもに根拠を持って発言させるのですが、正解かどうかの判断を授業者がしている場面が目立ちました。これでは「教師が根拠を求めるから、根拠を言う」ことになってしまいます。根拠をもって話すのは、みんなに納得してもらうためだという価値観を持たせることが必要です。子ども同士がかかわる活動を大切にしているのですが、教科の内容に関しては、教師とつながっているだけで、子ども同士はつながっていないのです。

接続語を選ぶことで伝わることが変わることもあることは押さえましたが、接続語を学んだことの国語としての意味は明確になっていません。この日扱った問題は、接続語がなくても2文の関係がわかり意味が通じるものがほとんどです。あたりまえです。だから、接続語を選べるのです。とはいえ、接続語を入れることで2文の関係がより明確になります。読み直したりしなくても、意味がよく伝わるのです。ですから、説明文では接続語に注目して読むことが大切になります。おそらく日ごろそのようなことは指導しているはずです。その根拠が明確になる場面でもあるのです。

最後に子どもがつくった短文を発表させました。子どもたちに使われている接続語が適切かどうか考えて聞くように指示をしました。とてもよい指示です。聞くことを大切にしていることがよくわかります。しかし、発表の後「いいよね」と授業者が適切かどうか判断してしまいました。これでは子どもが聞く意味がありません。判断を子どもに委ねることを意識してほしいと思いました。

検討会では、子どもたちの授業に取り組む姿、授業規律のよさが評価されました。目指す姿がはっきりしていて、それを徹底していることがクローズアップされます。その通りです。問題はその方法です。個性はあっていいのですが、できていないことを指摘するのではなく、できていることをほめるようにしてほしいことを皆さんにお願いしました。
今回の授業はこの学校が目指す授業の姿の中間地点を教えてくれるものだったように思います。授業者は「話し合い」ではなく「聞き合い」が大切であることを子どもたちに意識させています。子どもたちはしっかり聞き合うことができています。集中して授業に取り組んでいます。だからこそ、教科としてどのような学びがあったのか、どのような学力をつけたのが問われるのです。そのことを問うに足る授業を見ることができたのはとても素晴らしいことです。
授業者は自分では子どもの活動を全部見ることができないので、子どもの振り返りでは、自分の頑張ったことだけでなく、友だちの頑張りやよかったことを書くこと大切にしています。とてもよい発想です。子ども同士の関係づくりにはとてもよいことです。しかし、そこに留まってしまってはいけません。教科として学んだことは何かを子どもに明確に意識させることが大切です。逆に言えば子どもたちが何を書いてくれればよいのかを授業者が意識して授業に臨むことが大切なのです。今回の授業は、そのことを少し意識するだけで大きな進歩をすると思います。

検討会終了後、国語科の先生方とお話しする時間がありました。全体ではあまり話ができなかった教科のことを中心に話させていただきました。
授業者から学級経営と授業に関して迷いがあるという話を聞くことができました。自分の学級に学校に来られない子どもがいる。自分の学級経営や授業に問題があるのではないかというのです。謙虚に自分を振り返ることができるからこそ、あれだけの子どもたちを育てることができているのだと思いました。
教師と子どもの人間関係と比べて、子ども同士の関係が弱いように感じました。簡単に答を出せることではありませんが、ここに原因があるのかもしれません。子どもの発言や活動の評価を子ども同士でさせることを意識するとよいのではないかとアドバイスしました。

いつも言っていることですが、基本がしっかりできているから、指摘することや課題もそれだけ多いのです。授業規律が守られ、子どもの聞く姿勢ができているからこそ、教科の力をどうつけるかという課題が明確になってくるのです。この学校がたどり着こうとしているところと次の目的地を示してくれた授業でした。授業者だけでなく、学校全体にとって、そして、もちろん私にとっても学びの多い授業研究でした。
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30