素晴らしい授業研究から学ぶ

先日、市の研究指定校になっている中学校で授業参観と授業研究をおこなってきました。2回目の訪問です。前回は研究の中心となる研修主任と中堅の先生との打ち合わせが主でしたので、この間に学校が変化していることは全く期待していませんでした。

教室を回ってちょっと驚きました。全体的に学校の雰囲気が変わってきています。修学旅行や野外活動といった行事があったせいか、以前より子どもたちの関係がよいように感じました。しかしそれだけではありません。前回には見られなかった先生の姿がありました。
社会科で、子どもの発言をしっかり受け止めて、必ず他の子どもにつないでいる先生がいました。子どもの発言をうなずきながら笑顔で受け止めている英語の先生がいます。友だちの答を全員で繰り返して言わせていました。子ども同士をつなぐことを意識しています。一人ひとりの子どもの意見を「なるほど、素晴らしい」とうなずきながら評価している国語の場面にも出合いました。理科の時間に、子どもたちがグループの形に素早く机を移動していました。先生は「すみやかな移動、ありがとう」と評価していました。子どもたちをほめて伸ばそうとしています。また、子どもが友だちの方を見て話しを聞く場面をたくさん見ることができました。一方、子どもたちの見せる姿が授業によって大きく違ってきました。子どもたちが興味を持って集中できる場面が増えてくると、つまらない場面では集中力が今まで以上に落ちてしまうのです。学校がよい方向へ変わるときにも悪い方向に変わるときにも見られる現象です。もちろんこの学校は前者の例ですが。

全体で勉強会のようなことはしていないということでしたが、研修主任を中心に目指したい子どもの姿とその姿をつくり出すための授業技術等を発信していたようです。しかし、それだけではこの短期間にこれだけ変化することはありません。素直に受け止めることができる先生でなければ、情報の発信だけ変わったりしません。教師にとって一番大切な資質を持っている先生が多いということです。この学校が今後大きく進歩すると期待できます。

授業研究は、研修主任が自らおこないました。自分たちが目指そうとしている子どもの姿を実際の授業で先生方に見ていただくことで共有化することがねらいです。子どもたちがどんな姿を見せてくれるか期待と不安が入り混じります。
2年生の数学の連立方程式を利用して文章題を解く課題の2時間目でした。
まず感じたのが、子どもたちが柔らかい表情で集中していることです。これは授業者が終始笑顔で子どもたちと接していることと無関係ではないでしょう。安心感のある教室です。これまでの活動の確認の場面です。前時に「40円の鉛筆と60円の鉛筆を合わせて30本買ったときに1440円でした。何本ずつ買ったか」という問題をそれぞれの考えで解いています。どんな答になったかを聞きます。中には答まで出せていない子どももいます。指名された子どもがまだできていないと答えた時でも、「言ってくれてありがとう」と優しく言葉を返します。ありがとうの言葉をたくさん聞くことができました。
40円の鉛筆18本、60円の鉛筆12本という答と40円の鉛筆15本と60円の鉛筆14本という答が出てきました。後者は合計30本を満たしていません。明らかに間違いです。しかし、その考えを授業者は取り上げて発言させました。合計30本というのは授業者のひっかけだというのです。むちゃくちゃな意見ですが、他の子どもたちはニコニコと聞いています。このような子どもに対しては冷めた視線が集まることも多いのですが、そのようなことはありません。温かい学級づくりができています。
理由を聞きます。40円と60円を足して100円。全部で30本だからその15倍で1500円になる。1440円と比べると差は60円だから、60円の鉛筆を1本減らしたというのです。授業者は同じ答になっている他の子どもにも説明させました。最初の子どもに同じ考えかどうか確認します。ちょっと違うと一生懸命に説明します。教師が判断してしまうのではなく、本人に判断させるというのは大切なことです。教師が常に判断する人になってしまうと、子どもは自分で考えなくなってしまうからです。
授業者はこの考えが正しいかどうかは結論づけずに、「およその見当をつけて考えてくれた」とまとめました。この言葉は子どもから出てきた言葉ではありません。正解かどうかではなく考え方で価値づけしたいという姿勢はよいのですが、子どもから出させるような活動をすべきだったでしょう。考え方の説明を発表させるのに時間を取られすぎたのでやむを得なかった面もあるのですが。

続いて他の考えを発表させます。表で考えた子どもに前に出て考えを板書させます。その間子どもたちは書かれる内容を理解しようとしています。表の項目が何かが明確でない子どもをあえて指名したのでしょう。一見しただけではこの表が何を意味しているかわかりません。「わからないところが言える人」と子どもにたずねます。いくつかの項目が子どもたちから上がってきました。一つずつていねいに子どもたちに聞いていきます。「ちょっとヒント。これ単位をつけるとしたら」と問いかけます。子どもが「本」と答えたら、「本ときたら」とつなげていきます。わかった子どもに発表させるときも、必ず複数指名します。友だちの発言を理解できたかも確認します。全員を参加させたいことがよく伝わってきます。しかし、なかなか全員に発言させることができません。隣同士で相談させる場面をつくりました。しっかりと話し合えています。全体では話せなくても隣とならば話せるのです。このような時間をもう少しとってもよかったでしょう。ただ、数人が参加しませんでした。気がついたのなら、相談するようにうながしてほしかったところです。
よく話し合っていた女子を指名したのですが、答えてくれませんでした。この場合は、「どんなこと話した」と聞くとよかったでしょう。答が出ていなくてもわからないところが明確になれば、他の子どもに「助けて」とつなぐこともできます。ちょっと工夫をすることで、もっと多くの子どもに発言する機会を与えることができると思います。
途中で数人の子どもが集中力を失くしました。その中には連立方程式で解けている子どももいます。この子どもは、ちゃんと連立方程式で解けているから聞かなくていいと考えたのかもしれません。この一連の活動が何のためのものなのか、価値づけが明確でなかったことが原因かもしれません。いろいろな考え方を理解し、それぞれのよさを見つけ、使えるようになることの数学的な価値を伝えておきたいところです。

授業は、表の説明がそれでよかったのか表を書いた子どもに確認した後、連立方程式、1元方程式で解いた子どもに発表させて時間となりました。発表させたのは、x、yの説明を書いていない子どもでした。説明が不完全なものを元に相手の考えを読み取らせようという授業者の意図を感じます。
これらの考え方の価値づけをするところまで進みたかったところですが、授業者はそのことよりも、友だちの考えを理解し合うことにこだわりました。数学の授業としては、いろいろと意見もあるところでしょうが、育てたい子どもの姿を大切にした授業でした。参加した先生方は、この子どもたちの姿をどのようにとらえられたのでしょうか。検討会が楽しみです。

検討会はとても素晴らしい意見がたくさん出ました。発表された先生方はどなたも、子どもたちの姿を肯定的にとらえていました。子どもたちの姿をつくっているのが授業者の子どもとのかかわり方にあることもよく気がついていました。授業記録の係からは、記録を取っていて、教師の発言が少ないことや、「ありがとう」という言葉が多いことを発表してくれました。私が気づいたことはほとんど皆さんから出てきました。意見が途切れることもなく、気がつくと私が話す時間になっていました。私が話すよりこのまま続けた方がよいと思うぐらいでした。
私からは、子どもを受け止めようとしている先生が増えたこと、その結果、子どもが見せる姿が授業場面で変わってきたこと。発言をしっかり受け止めようと発言者ばかりを見すぎて、全体が見えていないことなどをお話しました。

検討会後もたくさんの先生方が話を聞きに来てくれました。素直で前向きな先生がたくさんいらっしゃいます。夏休みには、今回の授業研究の結果をふまえて、来年の研究発表に向けてのロードマップがつくられます。自分たちのやりたように、そして研究発表がゴールではなくその先も続くことを意識するようにと校長からは要望が出されました。どのようなものがつくられ、どのようにこの学校が変わっていくかとても楽しみです。
素晴らしい授業研究と先生方の学ぶ姿勢から、私も多くのことを学んだ1日でした。ありがとうございました。
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