よい課題がたくさん見つかった授業(長文)

先週末は小学校の授業研究でアドバイスをしてきました。昨年度、講演や授業公開で何度か訪問した学校です。今回はどのような変化があるか楽しみでした。研究授業に先立ち、2時間ほど若手の授業を中心に参観しました。

前回見た公開授業では、ICTを活用しなければというプレッシャーのせいもあって、先生方がかたくなっていました。今回はそういう縛りもなく自然な姿が見られることが期待できます。
全体的に感じたことが、子どもの姿、姿勢にばらつきがあることです。顔が上がっていない子ども、体が後ろに反っている子ども、手遊びをしている子どもとバラバラなのです。ある学級では子どもは教師の話を聞いていますが、妙にリラックスしています。ほとんどの子どもが、体を後ろに反らしています。中には椅子の前脚を上げている子どももいます。集中していれば体は前に傾きます。娯楽映画を見る姿勢と言えばいいでしょうか。その理由は、説明した後に、教師が必ず板書することを知っているからです。集中して聞かなくても、板書を写せば問題がないことがよくわかっているのです。
子どもたちはあまり集中していないのですが、騒がしくしたりはしません。先生方がそれ以上を望んでいないのでしょうか、集中していないことをあまり気にする様子がありません。子どもを指名しても1問1答ですので、友だちの発言を聞こうとはしません。友だちの発言が終わらないうちに手を挙げる子どもの姿も目につきます。子どもが数人しか挙手しなくても指名して進めていきます。わかった子どもしか授業に参加できないので、わからない子どもは板書を写すといった作業しか参加できません。正解が出ると、それに続いて、延々と先生の説明が続きます。こういう状態が続くと、さすがに子どもたちの姿勢の乱れも露骨になってきます。そのような場面では、一度話をやめて子どもたちの集中力を回復させることが必要ですが、逆に先生の声がどんどん大きくなり、テンションが上がってしまいます。「聞きなさい」と押し付けてしまうのです。教師のテンションが上がると子どもたちはますます授業から離れていきます。注意が必要です。

体育の授業でのことです。授業者は子どもが全員注目していなくても話を始めてしまいます。指示をしても確認は返事だけで、具体的な確認はしません。指示を徹底させるということができていません(指示を徹底させる参照)。この授業だけでなく全体的な傾向です。
グループでのボールを使ったゲーム的な活動の場面でしたが、活動の目標が明確でありません。活動の内容は指示されるのですが、どうなればよいのかという目指すもの、評価の基準が不明確なのです。体育の授業でよくあることですが、活動することが学習の目的化しているのです。
この授業に限らず、授業のめあてはあっても、その内容が、子どもたちが自己評価できる形で示されていないことが気になります。当然授業中の評価場面もほとんどみられません。子どもが発言しても、教師の求めるものであるかどうかの判定はしますが、ポジティブな評価はありません。このことと、子どもも教師も表情に乏しいことと無縁ではないでしょう。

ここまで読むと学校が荒れているのではないかと心配されるかもしれませんが、そのようなことはないのです。学級が大きく崩れている感はありません。おそらく授業以外の場面では先生方は笑顔で子どもたちと接しているのに違いありません。子どもたちとの人間関係は決して悪くないのです。ただ、その人間関係が授業でつくられたものではないのです。授業に子どもたちの安心感がないのです。
基本的な人間関係はできているのですから、どの子どもも安心して参加できる授業を先生方が意識するだけでどの学級もすぐによい方向へ変わりだすと思いました。

授業研究は4年生の国語でした。今年異動して来た方の授業です。そのせいか、教室の雰囲気は他の学級とは若干違っていました。子どもたちの姿勢は、ほぼ全員背筋が伸びています。授業者が日ごろから学習規律を意識していることがわかります。しかし、背筋が伸びているということは集中していることを意味してはいません。背筋を伸ばすという形を求めている可能性があります。気になるところです(集中と緊張参照)。
前時の復習の場面です。授業者は手の挙げ方をほめました。ほめることで学習規律をつくっていることがわかります。よいやり方です。しかし、だれの挙げ方がよかったか、主語がありません。固有名詞でほめることで、ほめられた子どもは自分がほめられたとはっきり意識します。まわりの子どもも、○○さんのようにすればいいのかとよくわかるので、よい行動が広がりやすくなります。また、「みんないいね」とほめるのを目にしますが、中高学年では自我が出てきますので、自分がほめられたとは思いません。「○○さん、・・・がいいね。△△さんもいいね。みんな、ちゃんと・・・できていていいね」と固有名詞でほめた後、「みんな」をほめると、先生はちゃんと全員を見てくれていると感じ、本当にほめられたと思ってくれます。
最初の発問に対して数人しか挙手をしませんでした。しかし、授業者は指名して発言させます。1人指名してそうだったねと次に進んでいきます。わざわざ最初に復習する内容ですから、本時に必要なことのはずです。であれば、全員がきちんと思い出すことが必要です。早く進めたいのはわかりますが、数人しか挙手しない状況で進めるというのはおかしなことです。子どもたちはわかっているけれど挙手しないのでしょうか。挙手をしていないにもかかわらずだれも教科書やノートを開いていないのが気になりました。復習の場面では教科書やノートを見てはいけないというルールなのかもしれませんが、そうだとすると、やめるべきでしょう。復習の目的は試験とは違います。この時間に学ぶために必要な足場を子どもたちの中につくることです。思い出せなければ、すぐに教科書やノートを見て思い出す習慣をつけるべきです。挙手しなければ覚えてなくても困らない、思い出さなくても誰かが答える、先生が説明してくれるでは子どもが授業に参加しているとは言えません。
「教科書を見ていいよ」という指示が、他の質問の時にありました。次々に手が挙がります。しかし、まだ探している子どもがいるのに指名してしまいした。ここは待ってあげたいところです。また、ほぼ全員が挙手をしている時も、1人指名して終わりでした。まわりと確認すればみんな発言できます。子どもたちが全員口を開いているのが確認できれば、それでもう大丈夫なはずです(ほとんどの子が挙手するとき参照)。

指名して音読させます。最初の子どもには上手に読めたとほめました。よい対応なのですが、どこがよかったか具体的ではありません。音読の目的は何か、聞いている子どもは何を意識して読むのかがあまり明確になっていないようでした。明確にすることで、評価の観点も見えてきます。ほめる時は必ず具体的に何がよかったのかがわかるようにすることが大切です。また、次に音読した子どもには何の評価もありませんでした。これでは、自分はダメだったんだと思ってしまいます。子どもに発表させたのなら必ずポジティブな評価をすることを忘れないでほしいと思います(ほめることは難しい?参照)。

ワークシートに考えを書かせる作業中に、授業者はヒントになることを何度もしゃべります。おそらく机間指導をしていて望むような答が書けていなかったのでしょう。子どもの集中を乱しますし、何より子どもたちは「先生は何を求めているのだろう」と教師の求める答探しを始めてしまいます。もしヒントを出したければ、いったん作業を止めてするべきです。それよりも、「友だちと相談していいよ」と子ども同士で考えさせたり、全体で少し意見を出させて焦点化した上でもう一度個人作業に戻したりする方がよいでしょう。もし時間がないのなら、まず少しまわりと相談する時間を取って、すぐに発表させ、子ども同士をつなぎながら深める方法もあります。

作業中に○つけをする場面がありました。しかし、机間指導をしながら一部の子どもだけに○をつけているのです。○をもらえなかった子どもは、自分はダメなのかと自信を失くします。せっかく自信をつけさせようとしているのに逆効果になってしまうのです(子どもに自信を持たせる!?参照)。○をつけるのなら、全員に○をつけるようにしなければなりません。○つけの基本です。部分肯定の発想で、何かしらよいところを見つけほめることを忘れないでほしいと思います。

子どもの発言を授業者が、「・・・ということですね」とまとめた時に、子どもが言っていない言葉にすり替わってしまうことがありました。注意したいことです。「本当はそういってほしかったんだ」と、子どもは自分の意見が認められなかったと感じます。教師の求める答探しをするようにもなっていきます。また、子どもからねらった意見が出なかった場面で、授業者は一生懸命解説をします。子どもたちに教師が望む考えを持たせたいという気持ちが前面に出てしまいました。子どもたちは教師の考えをわかりなさいと強要されているように感じます。子どもたちの自由な考えが出にくくなってしまいます。ますます、教師の求める答探しをするようになっていきます。子どもたちから必ず出てくると信じて、子どもの考えをつなぐようにしてほしいと思います。子どもたちから出るのを待っていると時間が足りなくなるということをよく言われますが、そんなことはありません。子どもの発言に対して教師は3倍くらい、中には5倍、10倍話す方もいます。教師が発言量を減らせば子どもたちは何倍も話すことができるのです(子どもの発言量と教師の発言量参照)。

グループ活動で自分の考えとその理由を話し合う場面がありました。授業者は、「話し合って」と指示しました。子どもたちは、順番にワークシートを読みます。聞いている子どもは鉛筆を持って自分のワークシートを見ています。ワークシートが悪いわけではないのですが、ワークシートの内容を話し合わせるとこういう状態になりやすいのです。ワークシートを見ないで話すように指示することが必要です。
子どもたちは一通り発表が終わるとそれで活動はほぼ止まってしまいました。話し合うにも根拠がないのです。授業者は理由も言えれば言うようにと指示をしていますが、明確に理由を求めなければ感想になってしまいます。常に「どこ」に書いてあるのかと、本文を根拠にする必要があります(国語の授業で大切にしたい問いかけ参照)。
また、「話し合い」ではなく「聞き合い」にすることが大切です。一方的に話して自分の役割は終わった、ではグループ活動の意味がありません。どんな考えが出たか、どの考えが一番納得できたかを発表させるような、子どもが友だちの意見を聞くようにする工夫が必要になります。
全体発表で本文を根拠に理由を説明している子どもがいました。しかし、授業者は次々指名していきます。ここは立ち止まり、その本文の場所を全員で確認する。他の子どもにそこから何がわかるか問いかけるというようにつなぐことで、考えを広げ、深める良い機会だったと思います(子どもの発言つなぐことを考える参照)。

授業者は「話し合い」を終わったあと、「伝え合って」くれたと評価しました。このこともとても気になります。「話し合い」と「伝え合い」は違います。子どもたちには伝え合うという意識はありません。実際に、伝え合ってもいません。それなのに伝え合うと評価すると、こういう活動が「伝え合う」ことだと思ってしまいます。「伝え合った」と評価するためには、伝わったかどうか確認が必要です。そのような場面がないのに「伝え合った」と評価してはいけないのです。

最後の課題で、作業が終わった子どもが手を横に下げてじっと待っているのが気になりました。これも学習規律としてルール化されているのかもしれませんが、早くできる子どもがいつも待たされるのであれば、そのうち我慢ができなくなります。全員ができるのを待とうと思うとほとんど全員が待たされます。そんなことはできないとなると、遅い子どもは置いてきぼりになります。工夫が求められます(作業スピードの差をどう埋めるか参照)。

これだけ課題があるということは、見るべきものがあったということです。実際に授業者はとてもよい視点をたくさん持っています。「学習規律を徹底させる」、「ほめてよい行動を広げる」「○つけで自信をもたせる」「グループ活動で学び合いをさせる」「考えに理由を求める」など、どれもとても大切なものです。1時間の授業でこれだけの視点を意識していると感じられることはめったにありません。意識はできているので、あとは一つひとつを具体的にどうすればいいか学べばいいだけです。この授業者はおそらく急速に成長すると思います。次回の訪問が楽しみです。

授業検討会は、グループでよいところを3つ、改善点を1つ見つける「3+1授業検討法」(グループを活用した「3+1授業検討法」参照)でおこなわれました。先生方は、最初は少しかたかったのですが、次第に顔も上がりよい話し合いになっていきました。授業規律のことや理由を問うことなど、授業者が意識していることがよいこととしてたくさん話されました。課題としては、しゃべりすぎたことが挙げられました。先生方が互いに学ぶにはとてもよい授業と検討会だったと思います。

私の方からは、どの子も安心して参加できる教室の雰囲気をつくってほしいことをお願いしました。具体的には、どんな発言でもまず笑顔で受け止めること。子どもが答えたらすぐに説明をしてしまう1問1答からの脱却。わからない子どもを参加させるために、わかった人と聞かずに困った人と聞くこと。どんな意見が出た、何が納得できたと、聞いていれば答えられることを問うことなどを話しました。
具体的な場面に即してお話しできるので、前回の講演よりもよい反応をしてくださいました。ありがとうございました。

授業を見ている時に簡単な解説をしたのですが、たくさんの方が私の横で真剣に聞いてくださいました。検討会終了後も若手の先生方が長時間懇談する時間を取ってくれました。先生方の熱意と向上心が感じられます。次回は11月に訪問の予定ですが、その時までに皆さんきっと大きく進歩していることと思います。とても楽しみです。
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