公開授業と青少年健全育成会議で考える(長文)

先週末は学校評議員をしている中学校の青少年健全育成会議に参加しました。学校公開日でもあったので、会議に先立ち3時間目の授業の後半と、4時間目の授業を参観しました。

学び合いを大切にしている市の学校ですが、子どもたちの話を聞く姿勢が気になりました。どの学級でも、教師が説明している時に顔を上げていない、他のことをしている子どもが見受けられます。英語のコーラスリーディングなどでも、注意されない程度に口は開けるのですが、しっかり参加していない子どもが目立ちます。友だちの発表を聞く姿も今一つ集中していないように感じました。これが3時間目の様子でしたが、どこに原因があるかよくわかりませんでした。4時間目はこのことを意識して参観しました。社会科の授業の導入部分で、やはり子どもたちの聞く姿勢がバラバラでした。この方の授業はよく知っていますが、いつもはもっと集中した姿が見られるはずです。疑問に思いつつ他の授業を見た後にもう一度見てみると、今度は全く違った姿でした。子どもたちがそれぞれの意見を発表する場面ですが非常に集中していました。ただ、発表ごとに授業者が板書しながらコメントをするので、子どもたちの視線は発表者であったり、最初から授業者の方を向いていたりとちょっとばらついていました。
国語で作文を発表し、そのよいところを発表する場面でした。子どもたちが集中していることがよくわかりますが、姿勢がばらついていました。顔を上げずに一生懸命メモしている子どもと、発表者を見ている子どもと両方いるのです。発表者を見ている子どもはメモを取る気がないので、漫然と聞いているのでしょうか。ちょっと気になります。発表が終わって整理する時間が少し取られました。先ほどメモを取っていなかった子どもたちは、みな素晴らしい集中力を見せます。それこそ鉛筆の先から煙が出るほどの速さで書いています。漫然とではなく、頭の中で整理しながら集中して聞いていたことがよくわかります。このような素晴らしい場面を見ることもできました。
また、理科で有性生殖と無性生殖について子どもたちが意見を発表した後、教師がまとめをしている場面です。子どもから出た意見は間違っていたのですが、そのことを教師が説明しました。ところが、子どもたちの反応はいま一つです。あまりしっかり聞いていません。時間がなかったので子どもたち自身に修正させなかったことが原因かもしれません。子どもが説明を納得する時間がないためついていけなかったのかもしれません。しかし、黒板に書かれた表を教師が書き直すと子どもたちはノートに写しだしました。先ほどの社会科の授業でも最後に教師がまとめを書くと、話を聞かずに写している姿が目立ちました。

これらの姿から感じたことは、良きにつけ悪しきにつけ、子どもたちは興味がある、聞く意味があることにはとてもよい姿を見せますが、そうでなければ集中力を失くすということです。また、教師のまとめは説明を聞くことよりも意味がある、そう思っているようです。これをどう評価したらよいのでしょうか。

このような場面も気になりました。英語の授業中に顔を上げず声を出していない生徒がいました。授業者は歩きながらその子どもに近づき、手で注意をしました。このこと自体をそれほど大きなことではないかもしれませんが、そのときの表情が気になったのです。無表情なのです。この日見た授業の多くは教師の表情が薄いように感じました。個性の差はあると思うのですが、教師の笑顔が少ないのです。その結果子どもの表情も硬いのです。もちろん、この日は授業公開日で教師も子どもも緊張していたということはあるのでしょうが。
唯一笑顔が多かった保健の授業は、子どもの言葉に授業者が反応してよい雰囲気に見えるのですが、テンションが上がり気味です。あまり考えずに答えられる発問なので、子どもたちは無責任に反応していたのではないかと思えました。授業者は反応してくれる子どもたちにばかり目がいって、その陰で参加せずに集中力を失くしている子どもがいることに気づいてないようでした。

たまたま見た2つの数学の授業はともに、子どもの様子を見ていないと感じました。黒板を見て話す。教科書を見ながら話す。そんな場面を目にしました。子どもも集中して聞いてはいません。教師がそのことを求めていないからでしょう。
子どもが説明をしても、そのよさをきちんと評価しません。グループで説明を確認し合うのですが、それでは数学の力はつきません。考え方の数学的な価値や再現性といったメタな知識に高める活動がないのです。数学とはどういう教科なのか、そのことを授業者が意識していないのが残念です。私が数学の専門家なので余計にそのように感じるのでしょうか。解き方を学んでも数学の力はつかないと考える私は間違っている。そう思わせるほど、解き方を教えるだけの数学の授業に出合いすぎます。

全体的に子ども同士をつなげようとする教師の姿が見られません。子どもの意見を一つひとつきちんと受け止めるのですが、最後は教師がまとめてしまう授業が多いように思います。そして、教師の笑顔が以前よりも少なくなっている。そのように感じました。集中力のばらつきは子どもたちの問題というよりも教師の問題。もっと言うと、「学び合いの形」は意識しても、それを通じてどのような子どもを育てたいのかという「目指す子どもの姿」を意識していないという教師の姿の現れのように思いました。

青少年健全育成会議は2部構成です。通常の会議の後に、子どもたちと一緒に全体会をおこないます。そこでのメインは地域の大人と子どもたちが一緒に参加する活動です。最初は生徒会が中心となって「コンビニへ行こう」というゲームをおこないます。リーダーが示した商品の字数と同じ数の人数でグループをつくるというものです。2回目は3学年から最低1人ずつ集まってグループをつくる、最後は地域の方も含めてつくる。そういう趣向です。リーダーの声に合わせて声を出すのですが、なかなか声が出ません。一部の子どもは大きな声を出してくれるのですが、なかなか全体には広がりません。既定の人数のグループをつくれずにいる小グループがいくつかできたのですが、その子たちが互いに移動して一緒になって新しいグループをつくらなかったのが妙に気になりました。以前は、このような場面で自然に動けていたように記憶しているからです。
最後の地域の方を含めたグループづくりでは、私をはじめ何人かの方が子どもたちから声をかけられずにいました。しかし、そのことに気づいて声をかけてくれる子どもがいました。私に声をかけてくれたのは女生徒でしたが、その笑顔がとても素敵でした。

後半はこのグループでの活動です。教頭が進行役を務めました。最初は地域の方への簡単なインタビューです。私のグループはシャイな子どもが多かったのか、一部の子どもだけが話しかけてきました。しかし、そのやり取りを他の子どもはしっかり聞いていました。1グループが10人ほどと多かったので、全員が上手くかかわれないのは仕方がないことかもしれません。
メインテーマは防災についてです。非常時に何を持ち出すか、用意されたリストを元にグループで考えるという活動でした。リストにはあえて不要そうなものが入っていたり、水が抜けていたりと、考えるための仕掛けがされています。進め方も、中間に発表を入れてその結果を受けてもう1度グループでまとめるという、よく考えられたものでした。ただ、私の立場でいえば積極的に仕切るのか、それとも子どもたちに任せながら時々口をはさむべきなのか、とてもかかわり方が難しいと思いました。事前に指示があればとも思いますが、一般の地域の方にかかわり方を指示するのが難しいこともよくわかります。私は、観察者に徹することにしました。自分の考えを言う子どもはいるのですが、なかなかその意見がつながりません。また、私以外にいた地域の方が主張した「保険証」は素直にリストに加えます。しかし、中間発表の時、その方が盛んに「保険証」を発表するように子どもたちに働きかけても、だれも動きませんでした。その方はなぜ発表しないのか不思議がっていました。シャイだと思っていたようです。中間発表ではその理由も聞かれます。子どもたちは「保険証」の必要を自分では納得していなかったことがその原因ではないかと感じました。少なくともこのグループの子どもたちは、人の意見を聞くし受け入れることはします。しかし、反対したり付け加えたりと深くかかわることをしません。微妙な距離感を保っています。今の子どもたちの特性なのでしょうか。とても興味深くその様子を見せていただきました。

私たちがグループ活動をしているときの先生方の様子が気になりました。全体を見ている方、仲のいい(?)先生同士で話をしている方、グループの様子を回りながら覗いている方、いろいろです。どう動くべきだと言いいたいわけではないのです。ここでも先生方の表情が気になったのです。進行役の教頭は別にして、笑顔が少ないのです。興味のなさそうな表情、無表情、チェックをしているような目。見守っていると感じられなかったのです。唯一、どちらかといえば指導が厳しいと評判の学年主任が、笑顔でグループの間をまめに回って声をかけていたのが印象的でした。生徒指導を意識している方に共通するのが日ごろから子どもたちと関係をつくっておこうという、このような姿なのです。

最後に、地域の防災リーダーの方から、非常持ち出しのことも含めて、防災について話を聞きました。グループで考えたこともあってか、私のまわりの子どもはとても集中して聞いていました。だからこそ、全体の様子が気になります。話している方には失礼ですが、立ち上がって見回しました。ほとんどの子どもは顔を上げて集中して聞いています。しかし、目線が下がっている子どもも若干います。隣同士でずっとしゃべっている子どもがいたと教えてくれた地域の方がいました。そのまわりの子どもはちゃんと聞いているのですが、「聞こうよ」とは声をかけなかったそうです。そのことを残念に思っておられたようです。地域の方は声をかけるかどうか迷ったことと思います。地域フェスティバルなどでは、積極的に子どもに声をかけ、時には厳しく指導される方です。声をかけづらい何かがあったのでしょう。

子どもたちの素晴らしい姿ととともに、今の子どもたちが抱えているものに少し気づく機会をいただけました。

授業参観中に、たまたま出会った校長に声をかけました。子どもたちの様子が気になったので、そのことについて意見を聞きたかったからです。少し話した後、困ったように話を中断されて教室に戻られました。このことについてメールをいただきました。
4月の公開日にあらためて実感した課題(授業中の保護者の私語の多さ)に、いろいろな策を打って当日を迎えていたそうです。そういえば、当日も、放送で校長が直接保護者に訴えかけておられました。そのことに気づかず私が廊下で話しかけてしまい、さぞかし困ったことだと思います。わざわざお詫びのメールまでいただき、申し訳ないことをしました。
どの学校でも授業参観の際の保護者の私語には困っていることに、あらためて気づかされました。

半日あまりでしたが、子どもたちの様子からいろいろなことを学ぶことができました。今回子どもたちの様子から気づいた課題の多くは、教師が子どもたちに何を求めるかの問題のように思います。市全体で取り組んでいても、授業を通じて子どもたちに求める姿を共有することはとても難しいのだとあらためて感じました。また、子どもたちと直接触れ合うことで、彼らが人間関係で微妙なバランスを保とうとしているようだと気づけました。このような学びの機会を得られたことに感謝します。ありがとうございました。
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