小中一貫校で現職教育(長文)

昨日は、市の中心部にある小中一貫校の現職教育で講演をおこなってきました。今年度4回訪問する予定です。この日は中学校を中心として授業を見せていただいた後、授業研究でした。

子どもたちがとても柔らかい表情をしているのが印象的です。小学生は安心感が、中学生は優しさがあふれています。廊下ですれ違う子どもたちに笑顔が多いのが印象的でした。小中一貫校なので小学生と中学生が日常的に触れ合うことがその要因でしょうか。小中一貫校のよさを感じました。
1学年1学級で、中学校は1フロアに全学年が、小学校は1年生〜3年生、4年生〜6年生がそれぞれ1フロアという構成です。異学年が日常的に交流しやすいのは、落ち着いた学校ではとてもよいことです。

この日見た総合的な学習の時間では、子どもたちが笑顔で先生と話している姿を見ることができました。先生と子どもたちの関係のよさが感じられます。ところが教科の授業では、子どもたちの笑顔があまり見られません。集中力も今一つです。社会科の時間のことです。熱帯雨林に見られる植物を教科書から拾い出す作業を授業者が指示しました。教科書を一読してノートに書けば終わりなのですが、どうも動きが鈍いのです。答を聞いたところ数人しか手が挙がりません。指名された子どもは「常緑広葉樹」と答えます。授業者は「そうだね」と板書して常緑広葉樹の説明をします。半数以上の子どもがノートに常緑広葉樹と写していました。常緑広葉樹という言葉は試験に出ても、常緑広葉樹はどういうものか試験では問われないのでしょう。言葉で説明されても具体的にはよくわからないので、聞いてもムダと思っているのかもしれません。せめて写真を見せる。できればいくつかの典型的な植物を見せて、どれが常緑広葉樹か説明をもとに選ばせるといった活動をしてほしいと思います。また、教科書を見ればすぐにわかることで数人しか手が挙がらないのは、わかっているけれど挙手することに意味を見いだしていないのかもしれません。授業者が板書してから写す子どもが大半というのは、正解だとわかってから安心してノートをつくりたいのかもしれません。この場面にこの学校の状況が如実に表れていると思います。
友だちの意見を聞くより、正解と言った後の教師の説明を聞く。教師の説明を聞くより板書を写す。自分で調べるより結果を聞く。考えるより答を覚える。教師が一方的な説明して子どもにわかりなさいと説得する。子どもは教師がまとめた板書をしっかり写して勉強した気になる。それで試験には対応できる。そんな姿が浮かんできます。
子どもたちと教師の関係は悪くないので、一部の子どもは教師とかかわろうとします。そのとき、学級全体で共有すべき内容であれば、全体に広げて全員でかかわるべきなのですが、一部の子どもと教師だけで話が進みます。その間他の子どもは自分には全く関係ないという顔をしています。子どもたちの様子から感じたのは、授業で人間関係がつくられていないことです。この学校の子どもたちの人間関係は決して悪くないのだと思います。ただ、授業以外の場面でつくられた人間関係は、気の合う子ども同士の関係、小集団を中心としたものになりやすい傾向があります。授業でつくられる人間関係は、気が合う合わないにかかわらず誰とでもかかわれるものです。どの子にも居場所を保証するものです。これが、安心して暮らせる学級づくりの基盤、生徒指導の基本となるものなのです。

授業研究は1年生の国語の授業でした。授業者の笑顔がたくさん見られました。子どもとの関係もよさそうです。授業は作品を読んで面白いと思ったところをグループで交流する場面でした。1時間の授業のほとんどがグループでの活動でした。一見すると子どもたちが活発に活動しているように見えるのですが、違和感があります。グループ活動の間子どもがうなずく姿を見ないのです。子どもたちはワークシートを見ながら自分が面白いと思ったところを発表します。聞き手は友だちの発表をほぼそのままワークシートに書き込みます。ワークシートにはメモとなっているのですが、メモではなくちゃんと文章で書き留めようとしています。自分で情報を整理することはしていないのです。したがって誰も顔を上げません。目から口、耳から手へと頭を経由せずに活動しているのです。
発表が終わったあと、友だちと同じ考え、違う考えを話し合う場面では、子どもたちのテンションが上がり気味になります。面白いと思うことに根拠を求めるのは難しいことです。個人の感覚に頼るところが多いからです。したがって考えるというよりも感想を述べることになります。国語というよりもエンカウンター的な活動になるのです。そのため、テンションが上がり気味になっているのです。
最後に友だちの考えを受けてもう一度面白さについて自分の考えを書く場面では、子どもたちはどんどん書き進めていました。しかし、友だちの感想から、伏線に気づいた、気づかなかったといった新たな作品の読みの発見がなければ、個人が感じる面白さが変わるわけではありません。面白さを客観的にとらえる視点を明示していなければ、好きなことを何でも言えばいいことになります。だからストレスなく書き進めることができるのです。これでは、考えを深めたとは言えないのです。
国語の授業としては、作品を正しく読み解き、その読み解いた内容を根拠として考える課題とする必要があります。授業者の思いはとてもよくわかりますが、課題をもう少し工夫する必要があるでしょう。

全体で授業検討をする代わりに、私の講演ということでしたので、最初に研究授業について少し話をさせていただきました。
主にグループ活動に関してコメントさせていただきました。子どもたちが互いを見あっていなかった事実を元に、子どもたちが聞きあう関係をつくることや課題の大切さを話しました。
グループを回っているとき、その場で教師が説明する場面がありました。グループでの問題であれば、そのグループの子どもたちで考えるようにうながし、教師がその場を離れる必要があります。学級全体で考えるべきことであれば、その場でミニ授業をするのではなく、一旦活動を止めて、全体の問題として共有する必要があります。このことも伝えました。
授業者は子どもたちが考える授業を目指していたようですが、意識せずにそれと反対のことをしている場面がありました。友だちに自分の考えを発表できない子どもに対して、授業者はいい意見だから友だちに話すよううながします。それでも動かないので、「先生が線を引いたところだけでも読んで」と続けました。「先生が線を引いた」ということは、先生の価値判断です。そこを読めというのは教師のよいと思うことを発表しろということになります。教師が基準になっているのです。最後に、全体で発表させる場面でも「いい人が何人かいる」と宣言した後で2人を指名しました。発表の後、拍手がすぐに起こりました。子どもたちはその発表内容のどこに拍手をしたのでしょうか。教師が「いい人」といったのだから無批判に拍手したのでしょうか。少なくともどこがよかったのかを子どもたちが共有する必要があります。拍手をした人に「どこがよかった」と確認すべきでしょう。また、「いい人が何人かいる」という言い方は、それ以外のほとんどはよくないということです。何をもって判断しているかわからないのに、ダメ出しされているのです。こうなると、子どもたちは教師が求めるものが何かを探るようになります。教師の反応を見て「あっ、外した」と思う子どもが育ってしまうのです。子どもたちに、「いいと思った人、その理由を教えて」と根拠を求め、発表のよさを全体で共有する。こういう活動が、子ども自身が考えるために必要なのです。子どもたちが、教師の求める答さがしをしないように気をつけてほしいとお話しました。

この学校の研究テーマは「多様な考えを引き出す発問の工夫」なのですが、私の講演は失礼とは思いつつ「子どもたちの発言を引き出すために」と、その前段階のお話にしました。まず子どもたちが安心して発言してくれなければ、発問を工夫しても仕方がないからです。
安心して話せる環境づくりには、まず子どもが否定されないことが大切です。笑顔を絶やさず、子どもたちをチェックする目ではなく、育てる・伸ばす目で見てほしいこと。答がわからない子どもが参加できる工夫をすること。たとえ間違えても最後は必ずまわりからほめてもらって終わるようにすること。特にほめて育てることをお話しました。
ほめるにはほめられることを子どもがしなければなりません。ほめる場面をつくることが必要です。子どもに外化を求めることが重要になるのです。うなずくだけでも、首をかしげるだけでもいいのです。子どもの反応をとらえてポジティブに評価することが大切です。
認め、ほめることは、まず相手をしっかり受け止めることから始まります。その第一歩が聞くことです。教師も子どもも聞く力が求められます。特に教師の話ではなく、友だちの話を聞く姿勢を子どもたちにつくることが大切です。「○○さんの話をみんなで聞こう」と、話す側ではなく聞く側を主体として指名する。聞くことに価値を持たせるために、聞く姿勢をほめる。友だちの意見に対してどう思ったかを聞く。こういう工夫が必要になります。
本当に基本的なことばかりを話しましたが、皆さんとてもよく反応してくださいました。この市で何校も現職教育でお話をしているのですが、このような反応してくださるところは稀です。なかなか自分のスタイルを変えようとしない先生が多く、話をしてもあまり手ごたえを感じないことが多いのです。前向きに聞いていただけたことは、とてもうれしいことです。

授業者からは、自分が担任している学級では子どもとの関係ができているので、子どもが安心して参加できる授業ができそうなのだが、他の学級ではうまくいく自信がない。どうすればいいのかという質問が出ました。常に笑顔で子どもたちを否定せずに受け止めていけば大丈夫であることを伝えました。

また、音楽の先生からは、「わかった人と聞いてはいけな」と聞いたが、自分は「わかった人、わからなかった人」と聞いている。子どもたちは「わからない」と手を挙げてくれるのだが、この聞き方はいけないのかと質問されました。笑顔の素敵な先生です。わからないと手を挙げられるのは、安心して「わからない」と言える雰囲気をつくっているということです。そうであれば、全く問題がない事を伝えました。もし、それだけはっきりと子どもがわからないと言ってくれるのなら、わからなかった子どもの立場を強くするやり方があることを伝えました。「わかった人、わからなかった人が納得できるように説明をして」「わからなかった人、簡単にわかったらダメだよ。納得できるまで、何度も説明させよう」というように、挑発するのです。

この市の中学校では、授業を見せることになかなか積極的になっていいただけません。廊下から子どもの様子を見せていただくのがやっとです。ところがこの学校では、教室に入ってじっくり見させていただけます。また、校長が一緒に授業を見てくれることはまずないのですが、1日同行して私の話を聞いてくださいました。先生方の反応といい、この学校の授業改善への意欲を感じました。先生方と子どもたちにどのような変化が起こるか、次回の訪問がとても楽しみです。
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