学校公開日の授業で考える

昨日は、中学校の学校公開日に参加してきました。希望してくれた若手の先生に授業の解説をしながら校内を回りました。

今年度、この学校での授業参観は研究授業ばかりで、普段の授業を見たのは初めてです。参観していて気になることがいくつかありました。
特に1年生に顕著なのですが、全体での活動場面で子どもたちのようすがばらばらなのです。友だちの発表場面では、顔を上げて教師を見ている者、発表者を見ている者、聞いてはいるようだが(言葉に反応するのでわかる)下を向いている者、集中せずに頭が動く者がいます。教師が話しているときには関係ない話をしゃべっている者がいます。ところが、教師が板書をすると、ほとんどが写しだします。その後教師が説明を始めても、まだ書き続けている子どもも目立ちます。
一方ペア活動など、子ども同士の活動は積極的に見えます。ところが、すぐにテンションが上がっていくのです。研究授業で見ていた姿とかなり異なっていました。

この日はその原因を考えることを意識して授業を観察しました。
「しゃべらない」「静かにしなさい」といったネガティブな注意が目立ちます。これは、外から圧力を加えて形をつくろうとするものです。静かにさせることが目的になっています。教師の求める形をつくれという強制で、子どもにとっての意味はありません。そのため、一時的に修正されてもすぐに元に戻ります。そのたびに注意を聞かされると、ちゃんと規律を守れている子どもは嫌になります。教師に対しても注意されている子どもに対しても、負の感情を持ちます。また、注意されてから直せばよい。逆に注意されなければいいんだと考えるようにもなり、どこまで許されるかを計るようになっていきます。
そうではなく、「○○さんの話を聞こうよ」と何が大切なのかを伝えることや、「どんなことを話していたか聞かせて?」「授業に関係のないことを話していたの。残念だな。みんなと一緒に聞こうよ」というように「I」メッセージを使ってポジティブに言い換えることが必要です。

教師は子どもの発言を否定はしませんが、受容的な言葉や態度があまりありません。発言を教師、子どもたちがポジティブに評価することや、教師が笑顔を見せることもほとんどありません。瞬間的に笑う場面はあるのですが、子どもたちの笑顔も少なかったように思います。一問一答のやり取りが多いことも気になりました。
発言しても評価されない、最後は教師がまとめてしまうので、子どもたちは発言することに意味を感じていないようです。そのため、積極的に発言しなくなっているように思います。
子ども同士の活動も、相手のために役立っていると感じる場面が少ないため、かかわる意味を見いだせていません。子ども同士の活動が、受け身の状態から解放される息抜きの時間になっています。また、わかった子どもが一方的に説明している場面にも出会いました。当然説明する側のテンションは上がります。しかし、これでは説明される方はなかなか受け止めることはできません。聞く必然性、聞こうとする意欲を持たせることが必要です。

まず形をつくるのが先だと教師が思うようなことがあったのかもしれません。しかし、外から圧力をかけて行動を変えようとすることで、かえって子どもとの人間関係を壊してしまうこともあります。もう一度原点に戻って、子どもを受容し、認め、ポジティブに評価することを大切にしてほしいと思います。

これとは別の気づきがありました。デジタル教科書を使って授業をしているのですが、ディスプレイがとても小さいのです。ディスプレイは教室の前方右横に置かれています。ディスプレイに近い席の子どもは顔を上げるのですが、左後方の子どもは距離があるので手元の教科書を見ています。そのためかどうかわかりませんが、授業者はあまり子どもを見ていないようにも感じました。子どもの顔を上げるために使われている場面でこれでは「?」です。せめてディスプレイを黒板の前に持ってくればよいのでしょうが、じゃまになるからか物理的に無理なのか、授業はそのまま進んでいきました。せっかくの機器がこれでは活かされていません。対策を考えるべきでしょう。

いっしょに教室を回った先生方は、とても前向きな姿勢を見せてくれました。子どもへの指示が徹底しない、子どもが挙手しない、反応してくれないといった悩みも相談してくれました。実際に授業中の子どもたちのようすを見ながら何が起こっているのかを考え、具体的な授業技術についてお話をさせていただきました(「指示を徹底させる」「子どもの発言を引き出すには」参照)。とても素直に聞いてくれます。しかし、このような基本的な授業技術が共有化されていないことは問題です。先輩や同僚から学んでいるべきことです。また、授業研究のときとこの日のようすの乖離も気になります。授業研究が特別なものになってしまい、普段の授業と連動性のないものになっているのかもしれません。日々の授業の延長上に授業研究があり、そこでの学びを毎日の授業に還元していくことが大切です。
この学校での授業研究の在り方を振り返ってみる時期が来たのかもしれません。私自身もどのようにかかわるべきか、考え直したいと思います。多くのことを考えるきっかけとなった1日でした。
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