待つことを考える

知識を問う発問であれば知っている子どもの手がすぐに挙がります。しかし、考えることを求める発問であれば考える時間を待つ必要があります。待ち続けても子どもから反応がなくて、つい教師が説明を始めることもあります。どこまで待てばよいのかは難しい問題です。待つことについて少し考えてみたいと思います。

発問したあとは、まず子どもが考えているのかいないのかチェックすることが必要です。その差は外見からはわかりにくいのですが、多くの場合、考えているときは発問が終わったあと、頭が下を向いたり教科書やノートなどの手掛かりを探したりします。友だちと相談することが普通の学級であれば、まわりの子と相談を始めます。しばらくすると早い子どもの手が挙がりますが、ここですぐに指名をすると他の子どもは考えるのをやめてしまいます。あわてて指名せずに他の子どもの考えがまとまるまで待つことが必要です。手を挙げた子どもには、うまく説明できるように準備することや、まわりと確認することを指示しておきます。できるだけ多くの子どもが自分の考えを持てるまで待つことが必要です。
ここで気をつけなければならないのは、子どもたちが行き詰まっているかどうかの判断です。考えて続けているのであれば待つことに意味がありますが、一人で考えても手掛かりがない状態であれば集中力が切れてきます。この状態で待ち続けていれば授業がだれてしまいます。まわりと相談させたり、全体で話し合ったりする場面に移行する必要があります。

では、発問のあと子どもたちが考えようとしていない場合はどうでしょうか。この場合に注意してほしいのは、何が問われているか発問そのものが理解されていない可能性があることです。課題を理解しているかどうかの確認場面をつくる必要があります。課題を理解しているにもかかわらず考えようとしないのであれば、待つことはムダです。考えるための前提となる知識が子どもたちにない可能性があります(考えるための足場をつくる参照)。
また、子どもたちに問いかけても十分に考える時間を取らずに教師が説明して終わる授業を続けていると、子どもたちは自分で考えようとしなくなってしまいます。考えなくても、待っていれば答がわかるからです。考えたということが評価され、自分たちが考えなければ答が手に入らない。そういう授業であることが求められます。子どもの言葉をひろい、つなげながら子どもの言葉で答をつくっていく姿勢が大切です。

子どもが考える時間を教師が待てないと、子どもたちは考えることをせずに誰かから答えが出てくることを待つようになります。かといって、集中力が切れているのに待ち続けていても時間のムダです。授業で待つことは大切ですが、ただ待てばよいわけではないのです。待ち続けるのか待つのをやめて次の場面に移るのか、子どもたちの状況を常に把握し判断することを意識してほしいと思います。
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