中学校で初任者の授業アドバイス

昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。初任者の数学の授業でした。

教室は子どもたちの笑顔にあふれていました。その理由はすぐにわかりました。授業者が子どもに対して受容的な態度を取っているからです。授業者の素敵な笑顔も時々見られます。友だちの発表に対して、「わかった人」とつなぐ姿勢もあります。「何を言ってもいいよ」「反応して」と子どもの外化を求めます。子どものつぶやきにも反応します。
しかし、つぶやきはその子どもとのやり取りだけで、きちんと全体の舞台にはのせません。子どもの発言の数学的な価値やよさについては、評価しません。否定をせずに受け止めるだけです。子どもの発言が価値づけされ、それを受けて子どもがより深く「考える」場面はありませんでした。授業者にとって都合のよい言葉だけを使って、結局は自分が説明をします。しかし、子どもたちは、自分たちの言葉を教師が受け止めてくれるので、気軽に言葉を発します。これが時として授業規律を乱してしまう危険性があります。
授業の進め方も、指示が多く、作業の意味を考える、考えさせることはできていません。子どもたちは、なぜこの作業をしているかわからずに活動しています。ミステリーツアーです。子どもたちをつなごうと「わかった人」と聞いても、全体に確認するだけで「わかった」を具体的にしません。意見の発表も、1人指名した後、「大体同じ」であれば、あらためて発表させません。互いの考えをわかり合う場面はありませんでした。
結局授業の流れは、教師が指示して、子どもが作業をする。その結果を聞いて教師がまとめるだけで、子どもが考える場面が非常に少ないのです。教師はまとめの中で、自分が思う「考えること」を話すのですが、子ども自身で考えていないので残りません。そのことが如実に表れたのが、その日の最後の発問でした、子どもたちに「なぜこのような定義をしたか」自分の言葉で書くように指示しました。日本語がおかしかったこともあるのですが、ほとんどの子どもが固まっていました。一部の子どもが「何を書けばいいかわからない」と友だちと話しているのですが、それは拾いませんでした。

受容ができることに対して、その他の授業技術の拙さが印象的です。ずばり、「アンバランス」なのです。
おそらく、受容できることは教壇に立つ以前に身に着けていたものだと思います。教師としてトータルに考えて意識していることではなさそうです。これはとても危険です。受容することで子どもたちとの関係はつくれますが、それで良しとしてしまうと他の多くのことがおざなりになってしまうからです。欠けている部分があることを謙虚に認めて、意識して補うことをしてほしいと思います。とはいえ、アンバランスは、中途半端にバランスがとれているよりは、はるかにましです。高い方にそろえていけば、素晴らしいものになるからです。そうなることを期待しています。

数学の授業としては、残念ながら授業内容を云々する以前の問題でした。
線、直線、線分といった用語が適当に使われています。正しい用語を使って話せません。当然子どものあいまいな表現を聞き返して正しく修正させることもしません。数学では、∠AOD=90°と∠AODが直角というように、角の大きさと角を同じ記号∠で表します。このことを意識する場面でも曖昧なまま進めていきます。点と直線の距離にいたっては、距離を線分と間違って定義してしまいます。

教科書を閉じて授業を進めているのですが、それは授業者が教科書の内容を正しく理解しているという前提で初めて許されることだと思います。定義すら間違えるのですから、まだ閉じたまま進めるのは危険です。
また、垂直の導入を教科書は紙を斜めに折り、折り目の直線を重ねるように折ることで垂直な線をつくっておこないます。しかし、授業者はひし形を対角線で折ることで垂直な線をつくって導入としました。教科書の意図がわかった上で、ひし形を導入に使うのであれば問題はありません。教科書は、垂直を「つくるよう」に折ることで垂直の特徴(平面を等しい角で4等分する)や対称への布石を意識したり、斜めに折ることで鉛直との違いを意識したりできるように考えています。ひし形の対角線は、折るという行為でつくられた垂直ではありません。対角線は折らなくても互いに垂直に交わります。折ることで、目に見えるようにしただけです。その違いは意識されていませんでした。残念ながら教科書の意図はわかっていなかったのです。ひし形を活かすのなら、たとえば「このひし形を折って、垂直な線をつくって」と問いかけることです。「あれ、1組しかできない?」と揺さぶることで、教科書のねらいと同じことが達成できます。わからなければ、わかろうとしなければいけません。また、わからないのに勝手に変えることは危険です。先ずその通りにやってみて、子どもたちの反応から学ぶことも必要です。

授業後のアドバイスの時に、数学的な間違いについて聞いてみました。ほとんどが「わかっている」という答でした。指摘されたことの内容は「わかっている」ということかもしれません。そうでなく間違えたことを言ったことに「気づいている」だとすれば、これは深刻な問題です。修正していないからです。そのことの大切さが意識されていないのです。数学の教師としては致命傷です。次の時間にきちんと修正しないようであれば、残念ながら教壇に立つ資格はないでしょう。そうでないことを信じています。
よいところもたくさんある先生です。大きく伸びる可能性を持っています。そうなるかどうかは今後の授業に対する姿勢にかかっています。1年後に大きく成長した姿を見せてくることを期待します。
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