参加者も講師も多くのことが学べた研修

先週末は、毎年1講座を任されている、市主催の研修会の講師を務めました。「子どもが授業で考えるための教師の役割」をテーマに、前半は最近めきめき力つけた中堅の先生に数学の模擬授業をお願いし、後半はそれを受けて私が話をしました。

模擬授業は、図に子ども役が引いた線分をもとに課題をつくり、考えを深めていくものでした。

導入の数分間でも学ぶべきことはたくさんありました。子ども役とのやり取りは「なるほど」と受け止め、必ず最後に「ありがとう」の言葉が添えられていました。子どもをまるごと受け止め、認めることが実に自然におこなわれていました。
まず線分を引くという課題の確認を全体でおこない、個人作業に入りました。そのとき、「できたら鉛筆を置いて、顔を上げてくれるとうれししいです」と指示をしました。ちゃんと「うれしい」とIメッセージで結んでいます。
また、個人作業では、早くできた子どもへの指示が大切ですが、作業の途中で指示をしても徹底しません。原則通り、最初に指示をしています。今回は短い作業時間でしたので、次の課題を与えるのではなく顔を上げさせることにしました。これにはもうひとつの意味があります。顔を上げさせることで、作業の進み具合がわかるのです。得てして、教師は短い時間でも机間指導をしたがる傾向にあります。今回はいくつも線分を引かせる課題だったので、だれがどのような図を書いているかあらかじめ把握してから指名したいところです。しかし、全員が取り組めていればだれを指名しても対応できるので、授業者は前で子どもたちの様子を観察していました。

5人の子ども役を指名して前で自分の図を書かせます。「順番に書いてね」「順番ということは前の人と違うのを書くということだよ」と指示をします。こういう指示をすることで、自然にバリエーションが広がります。机間指導で、「この図を書いてね」と指示しなくてもこんな方法もあるのです。お見事です。しかし、このやり方だと同時に書けないので時間が余分にかかります。指名されなかった子どもにとっては、待っている無駄な時間が長くなりそうです。ところがどの子ども役も真剣に前を見ています。その理由を聞いてみると、自分のものと同じかどうか気になるという答でした。子どもも同じです。自分が真剣に取り組んだことであれば、興味を持って参加するのです。そうであれば、この時間は無駄ではなく共有化のための時間として有効に機能しているのです。
子ども役が書いた図に書いた人の名前を書き込んでいきます。この図と言わずに「○○さんが書いてくれた図」と固有名詞を使って区別しています。自分の名前を言われることで、子どもたちは自己有用感を持つことができます。些細なことですが、一人ひとりを大切にしていることがよくわかります。

いよいよ本時の課題です。引いた線分が交点で何対何に分割されているかです。すぐにわかる図もあれば、ちょっと手がつきそうもないのもあります。全体ですぐにできそうなもの、何とかなりそうなもの、難しそうなものに分類します。大切なのは、子ども役が判断しているということです。積極的にかかわることで自然に自分たちの課題となっていくのです。

簡単な問題を指名された子ども役が前で説明します。数学的に十分ではない説明でしたが、そのことを指摘せずに、「納得した人」と全体に問いかけます。授業者はあえて「わかった人」と聞きません。「わかった人」と聞けば、それが正解だと暗に知らせることになり、わかりなさいという強制につながるからです。このとき、かなりの数の手が挙がりましたが、手を挙げなかった子ども役に問いかけることで、「ぼやっとしている」という言葉を拾い上げました。この「ぼやっ」を共有化していくことで、説明の不十分なところを明確にしました。その際も教師が説明していくのではなく、まわりと相談しながら、子ども自身に見つけさせる活動をたくさん取り入れていました。
指名された子ども役がうまく説明できなかったときも、まわりと相談する時間をとり、その子ども役に「できそう?」と声をかけとフォローしていました。子どもの困り感にしっかり寄り添っています。
子どものつまずき、困り感を共有し、また説明できなかった子どもに再挑戦させ、失敗で終わらせないようにする配慮など、たくさん学ぶべきことがありました。

子ども役から出てきた「チョウチョウ形」という言葉をうまく使いながら、この形ならわかることを共有化した上で、補助線を必要とする問題へと移りました。時間の都合であらかじめお願いしておいた方に正解を発表してもらいました。その説明に皆が納得したあとからが本当に考える場面でした。どうしてその補助線を引こうとしたのか? いつも「チョウチョウ形」をつくればいいのか? 線分の比を求める問題は何に注目すればいいのか? これを子どもたちに問うのです。この時間だけで力がつくわけではありません。毎日の授業でこのようなことを問い続けることで知識と知識がつながりメタな知識へと昇華され、再現性のある力がつくのです。
模擬授業で子ども役を経験することで、参加者の方にこのことが伝わったことと思います。

とても学びの多い模擬授業を受けて、後半は皆さんが学んだことや感想を聞くことから始めることにしました。今回の講座は、小学校の初任者が全員参加でしたので、彼らに聞くことにしました。十数人全員に起立してもらい、一人ひとりに問い返しながら内容を深めてみました。私と彼らとのやり取りが、子どもの考えを引き出したり、深めたりするときの参考になるように少し意識しました。どの先生も実に優秀で、素晴らしいことにたくさん気づいていました。誰ひとりとして同じことを言いません。それだけ、模擬授業の学びが多かったということです。これだけでもう十分と言いたいところですが、補足として私の方からも話をさせていただきました。

最近感じるのは、「勉強=覚えること」と錯覚し、とにかく答を早く欲しがり、勉強を量や時間で測る、機械的、訓練的な学習をする子どもたちが多いということです。そうではなく、しっかり考える子どもに育てるためには、子どもにとって必然性のある課題を準備し、結果でなく過程を大切にし、再現性のある思考を求めることが必要です。その前提として教室が安心して間違えることのできる場所でなければなりません。その基本となるのが、教師と子ども、子ども同士の人間関係です。教師が子どもを受容し、どんな発言でも必ずポジティブに評価すること、子どもの言葉を全体で共有し認め合うことが必要となります。その上で、答がわからなくても参加できる問いかけをし、たとえ間違えても必ず最後はできたとポジティブになって終わらせるようにするのです。
また、教師が子どもたちに委ねる勇気も必要です。すべて教えるのではなく、問題を焦点化し、課題を子どもたちの共通のものにすることで子どもの学びを支えることも教師の大切な役割なのです。
具体的な課題の考え方、考えを広げる問いかけ・焦点化していく問いかけなどお話したいことはたくさんあったのですが、省略させていただきました。このあたりのことは、模擬授業からきっとつかんでいただけていることと思います。

私の進め方が悪く、時間を延長してしまい申し訳ないことしてしまいました。それにもかかわらず、多くの質問もいただきました。その中で印象的だったのは、教育実習のときに、子どもに発言させた後「ありがとう」を言ってはいけない。教師は教える立場なのだからと指導された。「ありがとう」を大切にしようと講師は言われたがどうなのでしょうかというものです。実は、これはよく聞く話です。とくに中学校で多いようです。教師は子どもよりも上の立場でなければ子どもたちを指導しにくいという考え方です。しかし、いくら教師が上から目線で子どもに対しても、子どもが教師を尊敬し、自分より上の立場と認めなければ面従腹背されるのが落ちです。一人の人間として子どもを認める教師を子どもは尊敬します。形で上に立つのではなく、真に子どもに認められ、言うことをきちんと受け止めてもらえる教師になるように努めることが大切だと思います。それには、まず教師が子どもを認め、子どもの言うことをきちんと受け止めることです。その第一歩が「ありがとう」だと思います。

模擬授業だけでなく、参加者の発言からも多くのことが学べた研修でした。参加者も、講師である授業者と私も、互いに多くのことを学ぶことができました。このような機会を得られた幸運に感謝します。
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