小学校での授業アドバイス(長文)

小学校で若手の授業と中堅の学級活動についてアドバイスさせていただきました。

3年生の国語の授業は「こそあど言葉」の学習場面でした。
授業の最初に練習帳を使って漢字の書き取りをしていました。授業者は子どもたちの間を回って一人ひとり丁寧に○つけをしています。子どもたちは○をもらうととてもうれしそうにしています。最後に「まだ○をもらっていない人」と確認をして全員確実に○をつけるようにしていました。中には○をもらったあとに友だちと自分の○を比較している子がいました。どういうことだろうかと疑問を持っていたのですが、授業者から丁寧に書いている子には2重丸や花丸にするといった区別をしていることを聞きました。だから友だちの評価が気になったのです。2重丸や花丸をつけることは悪いことではないのですが、絶対評価よりも個人内相対評価を意識することをお願いしました。せっかく○をもらっても友だちと比べるよりも、自分の進歩という視点の方がよりよいと思います。また、具体的によかったところを声に出してほめながら○をつけることでまわりの子どももそのこと意識すること、子どもたちがだれないようにできるだけ速くまわることもアドバイスしました。
「こそあど言葉」については、子どもたちに具体物を指し示させることで、これ、あれ、それの区別を意識させ、子どもの言葉から違いを明確にさせようとしていました。いいこと言ったとよい発言をとりあげて、「今○○さんが言ってくれたことを言ってくれる」と他の子どもにつなげていました。とてもよいのですが、1人に聞いて終わっている傾向がありました。大切なことであれば、もっとたくさんに聞いてもいいと思いました。
最後にグループで1人ずつ順番に「こそあど言葉」を使って、これは、あれは、それは○○ですと言う活動をおこないました。教師が問題を指示した後、グループごとに1人が発表しての他の子どもがいいかどうか判断します。進行に手間取るグループもいるので、なかなか教師が次の問題を出すことができません。だれるグループも出てきます。教師が問題を出すのであれば、「はい、何番目の人立って」「問題は・・・だよ」「はい言って」「みんなどうだったか教えてあげて」と一つひとつのフェイズを明確にするのも一つの方法です。隣の子の持っている物を指示する問題で、いくつかのグループが「これ」か「それ」でもめていました。後で聞いたところ、授業者はその原因が伝える相手か誰か明確にしなかったことにあることをちゃんとわかっていました。伝える相手が不明確だと「これ」と「それ」の使い方が混乱するのです。ちゃんと子どもたちのようすから気づいています。子どものから学ぶことができる先生です。
もめているグループがあっても、先ほど説明したようにフェイズを明確にすると、どのグループ同じフェイズなのでスムーズにとりあげて話し合いに入ることができます。この場合、教師の指示の足りなかった部分を子どもに気づかせることで、「こそあど言葉」のポイントをしっかり意識させるといった展開も見えてきます。

3年生の算数の授業は5人の差額を1人分の差額を考えてから計算する場面でした。
子どもへの指示が明確で、できている子をほめていることもあり、子どもたちは素早く行動していました。授業の流れは自力解決、グループで相談、グループの意見を発表というものでした。自力解決のところでは、わからないに挙手させて授業者が教えにいきます。1人にかかわっている間、わからない子は手を挙げ続けて待っているだけです。あとからグループで相談させるのであれば、「わからなければ聞いてもいいよ」と言って、最初からグループの状態にして解かせた方がよいでしょう。また、自力解決にこだわるのであれば、図でどこが1人分かを明確にするなど、見通しを持たせてから進める必要があります。
グループでの相談も、グループで答えを出して発表という形のため、一部の子どもが仕切っていたり、発表する子が1人で作業をしている姿が目につきました。相談しても、結論は個人で考えるようにした方がよいと思います。

1年生の算数の授業は100を超す数を数える場面でした。
子どもたちと授業者の関係がとてもよいので、最後まで子どもたちは集中して話を聞いて参加していました。1年生でこの状態は立派です。子どもの言葉を拾える余裕も出てきて、学級経営もうまくいっているようです。
106を160と間違えた子どもに対して「違ってる」とかなり攻撃的な調子で言う子どもが多いのが気になりました。間違いが悪いことではない、間違いはいいことだと、間違いを許容する雰囲気を教室につくることが大切です。
授業者は間違えた子どもに説明させるのですが、うまく説明できません。そこで、106になる説明を始めるのですが、間違えた子どもを参加させません。先生が説明して、「だから106が正解ですね」で、終わってしまいました。たとえば、「1は何が1、6は何が6」と間違えた子に聞いて、自分で気づかせ、「自分で気づいてえらいね」とほめるようにしてほしいと思いました。

5年生の算数は円周率の導入場面でした。
鉛筆を置くように指示をしても持ったままの子どもがいます。授業者は持っていない子を何人か注意するのですが、まだ持った子がいるのに先に進んでしまいます。注意された子はやってない子がいるのにと不満を持ち、注意されなかった子は聞かなくてもいいと思ってしまいます。結果として、指示を聞かない子どもが次々に入れ替わる、モグラたたき状態になります。この学級の現在の状態がこのような気がします。まず些細なことでも、一つひとつきちんと徹底できるまで待つ必要があります。ここを緩めると授業規律が失われてしまいます。
授業の進め方も疑問が残るものでした。教科書についている円の切り抜きをさせるのですが、指示が不明確なこともあり、必要以上にきりとる子、切り取った後それで遊び続ける子、学級の状態がばらばらです。しかも、教科書の図と同じように円を重ねただけで、この時間はもう使いませんでした。何のために切り抜いたのかわかりません。
デジタル教科書を使っていたのですが、デジタル教科書の空欄になっている部分の意味を理解していませんでした。空欄になっているのはその学級の子どもたちから考えさせて、引き出したいところです。それなのに、発問してすぐに「こうなっているね」とクリックして表示していました。授業者はこの教材をきちんと理解しないままただ作業をさせているだけで、子どもたちが考える場面がありませんでした。
授業者はいろいろと悩んでいることと思います。あれやこれやとやろうとせず、まず基本に立ち返って、一つひとつのことを丁寧にやっていくことが大切だと思います。

6年生の国語は、「海の命」の第1時で読みが中心の場面でした。
音声教材の朗読を聞きながら、わからない言葉をチェックしていました。どの子も集中して教科書を見ながら聞いています。聞き終わってもすぐに体が動かずに余韻を感じているようでした。他の学級で同じような場面を見たのですが、その学級では終わった瞬間に伸びをする子、椅子を動かす子ども、一気にざわつきました。集中して聞かずに手遊びをしていた子どもがそうやって動くのです。ごそごそ動いていても窮屈な思いをしていたのです。集中していないとはそういうことです。
これだけ集中できる子どもたちです、どの子も真剣に楽しそうに授業に参加しています。友だち同士相談するような場面でも、すぐに友だちの方を向いて笑顔で話しています。学級の人間関係がよいことがよくわかります。授業者は、昨年学級経営に苦労していたようですが、ほめることをうまく使って一つひとつの指示を徹底し、子どもたちを受容することで人間関係をつくり、このような学級をつくり上げたのです。余裕があるせいか、授業中の笑顔もたくさん見られます。
今回は次のステップへの課題が見つかる授業でした。わからない言葉を発表させて、授業者が説明するのですが、同じところがわからない子が他にいないか聞きません。わからないところを言うのはそれなりの勇気が必要です。他にもいることで発表者は安心できます。「代表で言ってくれたんだね。ありがとう」と評価してすることにもつなげられます。また、いつも教師が説明するのではなく、子ども同士で調べたり、説明させたりすることもあっていいでしょう。教師と子どもの関係に、子ども同士の関係をプラスするよう移行する時期だと思います。
全体で次々読んだり、ペアで読んだり目先を変えているのですが、それぞれの活動、読みの目標が子どもに明確になっていません。一生懸命読んでいるのですが、どのような力をつけようとしているのか子どもが無自覚では困りますし、自己評価もできません。ペアでは読みの間違いをやさしく指摘する子がいたりとてもよい雰囲気なのですが、受け手の役割が明確でないのも気になります。人間関係がよいので、何をやってもとりあえずうまく学習活動は進みます。そのことに甘えずどのような力をつけるのかしっかり意識することが大切です。

4年生の帰りの会を見せていただきました。
教室に入って感じたのは、子どもたちの表情です。とてもよい笑顔が教室に満ちています。その秘密はすぐにわかった気がしました。
子どもの司会で帰りの会が進むのですが、友だちのよいところ、友だちへの感謝を発表する場面がありました。「消しゴムを落としたら、○○さんが拾ってくれました。ありがとう」と発表して、みんなで拍手するというものです。これが、何人も何人も続くのです。「ありがとうが」たくさん生まれる教室であれば表情もよくなります。最後に担任も発表しました。担任も子どもたちと同じ目線で感謝することは、子どもたちの人間関係をよくする上でとても効果的です。担任の「ありがとう」は、休んだ当番の子どもの代わりに牛乳を運んでくれたというものです。おそらく、担任がそうするように上手に仕向けたのだと思います。子どもたちにこうなってほしいという担任の思いを感じました。
ただ、気になったのが、「ありがとう」を言われる子どもより「ありがとう」を言う側の子どもの表情の方がよいように感じることです。半ばイベント化されて、発表することの方が「ありがとう」を言うことより子どもにとって大切になっているのかもしれません。これでは本末転倒です。まず、その場で「ありがとう」をちゃんと言っているか学級担任が意識して見て、そのことを即時に評価してほしいと思います。発表できることよりもその場で「ありがとう」を言えることの方がもっと大切ですから。

私はふだんアドバイスを個別にすることが多いのですが、この日は授業者全員に集まってもらって一緒に話をしました。互いに見合ってはいませんが、それぞれへのアドバイスを聞くことで、学び合えることが多いと思ったからです。基本的な部分が全員できるようになったこと、相談できるような雰囲気が育ってきたということです。
同僚の課題に対しても自分のことにように考えてくれます。こんなやり方はどうだろう意見も言ってくれます。とてもよい雰囲気で進めることができました。この学校への訪問もあと1回です。私がいなくても若手を中心にこのような時間を持ち続けてほしいと思います。ベテラン、中堅も巻き込んで学校全体が学び合えるように管理職がうまく方向づけてくれることを祈っています。
この日もたくさんのことを学ぶことができました。ありがとうございました。
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