先輩の思い出

学級経営について書いていて、思い出すのが新任教師時代の先輩のことです。

先輩の学級の副担任として過ごした1年間で学級経営の基礎基本を学ぶことができました。若さと勢いだけであった私が、少しは広い視野を持てるようになったのも、その先輩のおかげだと思っています。

先輩は私が副担任として朝と帰りの短学活はもちろん、学級活動にかかわるにすべての時間に参加することを許してくれました。自分が担任になって思いましたが、学級経営をつぶさに人に見られるのは決して居心地のよい物ではありません。それでも、私の思いを受け止めてくれたことは本当にありがたいことでした。3年間の子どもの成長を考えて、今何をすべきか、何を話すべきか、多くを語らず自分の実践を通して教えてくれました。

せめてものお礼にと印刷物があればなんでも私が印刷しますと申し出ると、快く受け入れてくれました。机の上にメモと一緒に原稿を置いていってくれます。メモには原稿のねらいなどが書いてあります。事前に資料を見ることで、どう使うのか自分なりに想像してみます。そして、実際の場面で先輩の使い方を見ることで、いつ、どんな資料で、どのようなことをすればよいのか、実によくわかりました。思えば、1学級分の印刷など大して手間ではありません。わざわざメモをして人に頼むほうがよほど面倒です。私を育てるためにお願いすると言ってくれていたのです。

生徒や保護者との面談も状況が許す限り同席させてくれました。先輩の一人ひとりの生徒に関する記録もその時みせていただきました。今この生徒はどのような状況であるか、それに対してどう方向づけていくのか、事前にきちんと方向性を持って臨んでいました。しかし、自分から一方的に伝えたいことを話すのではなく、まず相手から話を聞くという姿勢をきちんと貫かれていました。聞くということの大切さを、このとき教わったような気がします。

学期末になると、「あなたも副担任として子どもたちを見ているので所見を書きなさい」と生徒名の入った一覧表を手渡されました。苦労して書いた私の所見を見ても特に何も言ってはくれませんでした。しばらくすると、「写し間違いがあるといけないから確認して」と、通知表を私の前に置いて行きました。通知表の所見欄は先輩が2段に仕切って、上に自分の所見、下に私のものが書かれていました。若いころガリ版と鉄筆でプリントをつくりすぎて、細かい字を書くのがつらいはずなのに、狭い所見欄に2人分の所見をびっしりと書いてありました。先輩の所見と自分のものを比べて読めば、私の子どもを見る力がどれほど浅く、足りないか、言われなくても痛いほどわかります。何も言わずに私に子どもを見る視点を教えてくれました。

あと2年先輩のそばで学ばせてほしい、真剣にそう願いました。しかし、先輩は笑って、「もう私からは卒業して、自分のやり方を考えてやらなければ。これは卒業祝い」と何冊もの本をプレゼントしてくれました。その中には本屋では手に入らないので、わざわざ取り寄せてくれた物もありました。翌年から担任を持つようになりましたが、この時いただいた本は本当に役に立つものばかりでした。

跳ねっ返りの私に、やさしく、時には厳しく、多くを語らず、実践で教えてくれた先輩。先輩のそばで学んだ1年が教師としての私を作ってくれたのだと思います。私の教師時代は、永久に追いつけない先輩の背中を追いかけていたような気がします。
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