学校改革の賞味期限

昨日は私立高等学校の校長先生とお話しをしました。いわゆる底辺と言われる公立高校を校長として立て直した方です。

話の中で、公立校は学校改革をしても校長が3代目になるとダメになるという言葉が出てきました。3代目になる頃には、当時を知る教員もいなくなり、いろいろなものが形骸化していくということです。当時考えた企画の結論だけが残り、何故そうなったか、どのように変遷したのかといった過程が学校の中に残らない。改革の精神を残すような人事的な策もない。原因はこんなところでしょうか。よい伝統というものは教員を通じてはなかなか残らないのでしょうか。

私が研究発表をお手伝いした中学校の校長が、新たな伝統をつくりたいとおっしゃったことを思い出しました。単に授業を変えるのではなく、授業について考える、改善し続けるということを伝統にしたいということです。

また、ある中学校では授業をよくするということを子どもたちに考えさせ、授業に臨む姿勢や学び方を子どもたちが次代に伝えていくという試みをしています。子どもたちが伝統の担い手になることで、確実によい形で継続しているようです。

学校改革は、実は改革することよりもそれを継続・発展させることの方が難しいのかもしれません。その時うまくいったことでも、時代が変わり、教員・子どもが変わっていけば必ずうまくいかないことが出てきます。
あらためて、改革の精神を持ち続け、時代の変化に耐えるための仕組みをどう学校につくるかという課題を考えさせられました。
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