子どもたち自身で考え、結論を出した授業(長文)

前回の日記の続きです。

6年生の一つ目の国語の授業は、熟語の構成を考えるものでした。
授業者は、毎時間の漢字練習の前に、漢字の成り立ちを教えているようです。象形文字で構成した漢字を表示して、構成している象形文字の説明をします。「認」について、「忍」の字を会意文字として説明し、その意味を元にその意味を説明しますが、「忍」の意味と「認」の意味とは直接関係ありません。「認」は形声文字で、「忍」の音を借りてきただけです。しかし、授業者はあたかも関係あるように説明してしまいました。形声文字を理解していなかったようです。こういった知識をきちんと理解して、子どもたちに誤ったことを教えてしまわないようにしてほしいと思います。

漢字練習帳の内容を読ませたり、書き順の練習をしたりしますが、集中していない子どもが目につきます。ルーティン化して、流れ作業のようになっているのかもしれません。活動の評価を意識しないと、ただやるだけになってしまいます。一つひとつの活動の目標と評価をはっきりとさせるとよいでしょう。

漢字の練習が終わったあと、子どもたちが顔を上げるのを待つのですが、しっかりと集中しません。手は止まっていますが、授業者を見ていない子どもが目立ちます。背伸びをしている子どもがいるのですが、授業者は「めあてを書きます」と、次に進みました。子どもたちにどのような姿になってほしいかを意識する必要があります。
めあてを読むように指示をして、板書をします。子どもたちは一字ずつ読むのですが、集中していない子どもがいることが気になります。授業者は板書に専念しているので、その様子はわかりません。書き終ると、一斉に読ませます。この時は、子どもたちはよく集中していました。授業者が見ていると違うようです。
子どもたちは、読み終ると、指示をされなくてもすぐにノートにめあてを写します。こういったルールがきちんと浸透しているのはよいことです。ただ、すぐに動けない子ども、書くのが遅い子どももいます。書けた子どもは姿勢を正してじっと待っています。全体のスピードを上げることや、早い子どもに次の指示を与えることも意識してほしいと思います。

黒板に熟語を貼りながら、読める人は読むように指示をします。これは知識ですから、知らない子どもは何ともできません。貼り終わった後、読んでみようと全員で読みますが、読めない子どもはわからないままです。きちんと読みを確認する場面がありませんでした。わからない子どもがわかる場面をつくることを意識してほしいと思います。
6つの熟語を2つのグループに分けるのが課題です。どういう基準で分けるのかを4人のグループで話し合います。
授業者が課題の説明している途中に「わかった」と声を出す子どももいました。グループになると、勢いよく話す子どもが目立ちます。わかったので、しゃべりたいのでしょう。同時に何人もの子どもが口を開きます。その一方で、最初から授業に集中できていない子どもは、ここでも参加できません。授業者は前から子どもたちの様子を見ていましたが、この子どもに対して友だちとかかわるようにうながしたいところでした。
授業者は、子どもたちのテンションが上がりきらない前に話し合いを止めました。よい判断です。理由は後でいいから、まずグループに分けてほしいと問いかけますが、「理由を言いたい」という子どもがいました。よい反応ですが、授業者は特に対応しませんでした。「○○さん、意欲的だね」と評価したいところでした。

指名した子どもが熟語を2つのグループに分けます。同じかどうかを確認すると、ほぼ全員の手が挙がります。授業者は、「そうなの。みんな同じなの?」と返しますが、手を挙げていない子どももいます。ここは、手を挙げていない子どもに、「○○さんは違うの?」と声をかける必要があったと思います。同じだと答えることがわかっているかもしれませんが、反応することを求めることが大切なのです。こういったことが、全員参加の第一歩なのです。

理由をたずねると、挙手する子どもが減ってしまうことが気になります。先ほどグループで確認をしているのに発言しない理由を考える必要があります。ここは、挙手に頼らずに指名してもよい場面だと思います。上手く説明できない子どもがいてもよいのです。その時こそ授業者の出番です。2つに分けられた熟語を取り出して、「これとこれはどこが違うと思ったの?」というように、具体的な言葉を引き出すような問いかけを考えておく必要があります。
指名した子どもは、一方は「真反対」だけど、片方は「そうじゃない」と説明します。授業者は、「なるほど」と受容して、そのまま黒板に書きます。「そうじゃない」に反応する子どもがいます。そこを突っ込みたいのでしょう。
「同じように、真反対とそうじゃないのグループに分けた人?」と聞くと、子どもからは「違う」という声が上がってきます。指名された子どもは、「増減とかそういうのは逆の意味で、行進とか身体は同じようだけどちょっと違う」と答えました。授業者は「逆」と「同じような」と板書します。「ちょっと違う」が落ちたことが残念でした。「堂々」「益々」といった言葉もあるので、「全く同じじゃないんだね」というように確認したかったところです。授業者は似た意見かどうかを全体で確認します。「大体同じ」と手を挙げる子どもがいますので、同じと一緒にしてしまわずにその子どもにも聞きたいところです。ちょっとした違いを取り上げることも大切だからです。
続いて指名した子どもは、「反対言葉」と「似た意味の言葉」と説明します。授業者はみんなが言ってくれたように、反対の言葉を組み合わせてできた熟語と、もう一方はそうじゃないんだけれど、同じような、似たような言葉を組み合わせてできた熟語とまとめました。ここまで、上手に子どもの発言をつないでいたのですが、最後に授業者がまとめてしまったのが残念でした。子どもたち自身で最後にまとめさせたかったところです。
気になるのが、反対「言葉」と言葉を使ったことです。ここは、同じ意味を持つ「漢字」とまとめていくことが必要です。漢字にはそれぞれ意味があることをきちんと押さえることが必要です、そのためには、訓読みをさせることも必要でしょう。音は中国語本来の読み、訓はその意味を表わす日本語に対応させた読みであることをきちんと教えることが必要です。

授業者は結論を説明しながら板書します。気になったのが、子どもが言った「逆」を「対」という言葉に直したことです。できれば子どもの言葉を活かしたいところです。用語として教えるのなら、これを「○○という」と明確に定義する必要があります。また、対は反対でなくても組になっていれば使う言葉です。用語としてあいまいです。「反対」「反意」を使うべきだと思います。
子どもがまとめを写している間、授業者は黙って子どもたちを見ていました。子どもたちの集中を妨げず、見守ろうとしているのはよい姿勢だと思います。

最後の課題は、「忠誠」「仁愛」「玉石」「公私」の4つの熟語を先ほどの2つのグループに分けるというものです。今度は子どもたちが知らなさそうな言葉が混じっています。その漢字や熟語の意味を知らなければ手が出ません。そこで、グループに一冊、辞書を用意します。解決のための手段を与えるのはとてもよいことです。授業者は「一つひとつの言葉の意味を調べると……」と使い方を説明しますが、先ほどの問題で確かめることをしておけば、すぐに活動に入ることができたと思います。ここでも「漢字」ではなく「言葉」を使っていたのが残念でした。また、課題を提示した後、聞いたことのない熟語や意味の分からない漢字があるかを確認して、「どうしよう?困ったね」と投げかけて、辞書の必要性に気づかせてもよかったかもしれません。

すぐに話し出すグループもありますが、先ほどのまとめをまだ書いている子どもがいて動き出さないグループもあります。机を移動させずに体の向きを変えて話し合っているため、4人がきちんと向き合わずに、全員がかかわり合えていないグループもあります。机をきちんとくっつけることも大切だと思います。
先ほどと違ってよくわからない言葉もあるので、子どもたちのテンションは上がりません。一生懸命考えています。これまで集中していなかった子どもが、自分の前に辞書を置いて取り組んでいます。それに対して他の子どもがページをめくったりしてかかわり合っています。うれしそうに取り組んでいたことが印象的でした。
予定の時間が来ましたが、子どもたちは結論が出ないのか、まだまだ熱心に取り組んでいます。授業者は時間を延長しました。子どもたちがかかわり合って問題に取り組めているので、よい判断だと思いました。
5分ほどして、子どもたちの集中が切れてきました。ぼつぼつ活動の止めどきです。何分でやるようにと指示すると、その時間はやり続けなければいけないと考えがちですが、状況に応じてその前でも止める判断も必要です。

作業を終えて、全体で確認します。ここで指名された子どもは、「最初のは、……」と熟語を読まずにグループ分けだけを行います。授業者は「読んで」と指示します。よい対応ですが、ここまで熟語の読みを確認していないので、グループ分けの結果を聞く前に、全体で確かめたいところでした。
「玉石」がどちらのグループなのか意見が分かれます。子どもから「意見交換したい」という声が上がります。子ども自身の疑問になっています。よい展開です。子どもが積極的に自分の考えを発言したくなっています。
「どちらも丸いもの」「玉は値打ちがあって、石は値打ちがない」「玉は凹凸がなくて、石の方は凹凸があって……」と次々に意見が出てきます。その間、一生懸命辞書を引いている子どもも目立ちます。授業者は、「ほうほう」「ああ」「なるほど」と受容しながら上手に子どもの言葉を引き出します。辞書を引いて、「○○さんは、玉は値打ちがあって、石は値打ちがないと言ったけれど、宝石は石だけれど値打ちがあるから、似た意味の漢字の組み合わせ」という意見も出ます。白熱してきます。
「(辞書の)玉のところを見てみて」という説明をする子どもがいます。「何ページ?」と声が上がります。ページを伝えると、子どもたちが辞書をめくります。説明を続けようとする子どもを授業者は制して、そのページを開くまで待たせます。「美しい石、宝石と書いてあって……」と続けますが、他の子どもたちは辞書を囲んで真剣に見合っていました。「石は美しくない」と言うと、「宝石は石だよ」「宝の石とかいてあるよ」とすかさず反論が出てきます。双方譲りません。
授業者は辞書を持って何か言いたそうにしている子どもを指名します。「……つまらないものと書いてある」と発言しますが、子どもたちはちょっと興奮気味で、よく聞き取れません。授業者はすかさず「みんな聞いた。今の○○さんの言ったこと」注意を引きます。聞いていた子どもから「本当だ。辞書の玉石のところに書いてある」という声も上がります。授業者が何ページに書いてあるかを共有すると、全員が辞書をのぞき込んで確認します。どうやら決着がついたようです。全員が反対の意味の漢字でつくられた熟語だということを納得して終わりました。

子どもたち自身で疑問を持ち、自分たちで考え、議論し決着を付けました。辞書を与えたことが、子どもたちが根拠を持って考えることにつながっていました。とてもよい授業だったと思います。授業者が子どもたちの発言をしっかり受容し、余計な言葉を足さなかったことがこのよい状況をつくり出したと思います。このような状況をつくりだすことができるので、あとは子どもたちが何を考えればいいのか、そのための課題をどうするのか、何を焦点化すべきなのかといった、教材研究とその場での判断が勝負になってきます。
教材研究の面では、まだ課題も見られます。よい学級の状況を活かすためにも、教材研究を大切にしてほしいと思います。今後が楽しみな先生でした。

この続きは次回の日記で。
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