算数の授業で子どもが考える場面について考える

前回の日記の続きです。

5年生の算数の少人数の授業は作図する場面でした。
実物投影機を使いながら授業者が線分を引く、コンパスを使って円を描くといった作業を一つひとつ指示していきます。作業を止めずに作図の様子を見せるのですが、子どもたちは作業を続けていて顔が上がりません。授業者も自分の手元を見ているので子どもたちの様子に気が付かないのです。立っていては描きづらいので、最後は椅子に座って書きながらしゃべります。「大事なのは……」と話しますが、子どもたちの顔は上がらないままでした。
子どもは指示に従って図を描いていますが、なぜこの順番に作業をするのかといったことを考えていません。作図の順番には意味があります。どういう順番で描くのか見通しを持つことが必要です。指示に従って描くだけでは何も考えることはありません。
活動場面でのポイントを押さえ、子どもたちに何を考えさせたいのかを明確にして授業を組み立てることが必要です。

4年生の算数の授業は少人数での、小数の大小を考える場面でした。
個人作業で問題を解いた後、子どもたちが姿勢を正します。「姿勢で教えてくれてますね。ありがとう」と子どもたちをほめますが、黒板に向かって歩きながらで、体は子どもたち向いていません。当然視線は子どもたちに落ちません。残念ながらこれでは子どもたちに「ありがとう」の気持ちは伝わりませんので、当然子どもたちの表情は動きません。こういう形で「ありがとう」を使うと、「ありがとう」が形式的なものになってしまうことに注意をしてほしいと思います。「固有名詞」で、その「子どもと目を合わせ」て、具体的に「何がよいのか」を伝えて、「笑顔」でほめることが大切です。
3.64と3.619のどちらが大きかったかを問いかけます。半分くらいの子どもの手が挙がります。授業者は「手を挙げてくれた人、ありがとう」「みんなで……」と体を使って不等号を示すように指示します。「ありがとう」はよいのですが、次の言葉との間に間がありません。「ありがとう」の言葉が流れてしまいました。残念でした。
子どもたちは体を使って不等号の向きを示しますが、ちょっと遅れる子どももいます。授業者は、全員が同じ方向になったのを見て「大正解」と言います。正解かどうかを判断するのは授業者です。子どもたち自身で根拠を持って正解と言い切りたいところでした。続いて、「何でかというと」と、授業者が説明を始めてしまいました。本当に全員が正解だったのかもよくわかりません。子どもたち自身で説明できることを求めたいところです。
授業者は「まず一番上の位、この3と3、一緒ですか?」と問いかけます。何が一緒なのでしょうか。3という数が一緒なのか、それぞれの数の一番上の位が一緒なのか、はっきりしません。見て当たり前なのかもしれませんが、それぞれの一番上の位が同じ位であることを確認したいところです。こういった細かいところにも、神経を使ってほしいと思いました。
続いて規則的に並んでいる小数の空欄を埋める問題です。授業者はデジタル教科書を使って「5.22」「5.23」と問題を示しながら子どもたち問いかけます。子どもたちはよく集中して見ています。数を読み上げて、すぐに、ここに何が入るかを聞きます。難しいと授業者は言っているのですが、その割には考える時間を与えません。すぐに挙手した5、6人の中から指名をします。その子どもが正解を言うと、賛成とハンドサインが上がりますが、全員ではありません。正解した子どもに理由を説明させます。「0.01ずつ増えている」という説明に、賛成のハンドサインが上がりますが、先ほどより減っています。先ほど賛成といった子どもたちは、本当に納得してハンドサインを出していたのか、ちょっと疑問です。手の挙がらない子どもが気になります。授業者はすぐに別の子どもを指名すると、「5.22、5.23、5.24ときたら、この次に何が入る」と問いかけます。指名された子どものまわりは、体の向きを変えてその子どもを見ます。残りは、授業者とディスプレイを見ていました。問題の答を自分で考えている子どもは、ディスプレイを見ようとするでしょうし、友だちの答が気になる子どもは、体の向きをかえて発表者を見ると思います。面白い光景ですが、授業者はどうあってほしかったのでしょうか。授業者は、「0.01ずつ増えていると○○さんが言ってくれた」と説明を付け加えます。その説明を聞いて正解すると、賛成とまたハンドサインが上がります。「みんな手が挙がってますね。すばらしい」と評価しますが、手の挙がっていない子どももいました。このことに気づいてほしいと思います。
子どもたちが正解を知ることではなく、自分で納得するための場面を用意することが必要です。自分自身で納得するためには、考えたり振り返ったりする時間が必要なのですが、ハンドサインでそれらをすべて省略してしまっていました。

3年生の算数の授業は、1の位が0の時、10で割るとどうなるかの説明の場面でした。
授業者は解答を板書しながら、時々説明をしますが、子どもたちの顔は上がりません。子どもたちは板書を写すことで手一杯です。授業者もそのことが気にならないようです。聞いてもらいたい内容なのでしょうか。こういうことが続くと、子どもたちは授業者の話しは聞かなくていいと思うようになってきます。このことを注意してほしいと思います。板書を優先してもよいと思うのであれば、子どもが写している間はしゃべるのを我慢すべきです。
次の問題の指示をしている時も子どもたちの顔は上がりません。というか、指示の途中で問題を解き始めている子どもがたくさんいます。指示が終わった時には問題を解き終っている子どももいます。「できました」と声を上げますが、授業者は個人指導をしていて、次の指示がありません。子どもたちはそのままじっとしています。とてももったいないと思いました。できた子どもへの指示はきちんとしておく必要があります。
「380÷10はゼロをいくつとればいいですか?」と問いかけて、挙手させます。子どもたちは、0をいくつとるかの問題を解いていると思うかもしれません。定着の場面なので、結論を使って問題を解くこともいいのですが、まずは「380÷10はいくつですか?」と問いかけて、それからどのように計算したかを聞き、その理由を確認するということをていねいにやりたいところでした。
授業者は子どもをほめることを意識しています。「手の挙げ方、きれいですね。○○さん」と指名します。しかし、誰のことかわからない内に指名され、気づいた時はもう立ち上がっています。これでは、せっかく子どもたちによい行動を広げたくても、その行動を共有することができません。「ああ、○○さんの手の挙げ方きれいだね」と間を取り、子どもたちがその子どもを見るのを確認してから、指名したいところでした。ほめ方にもちょっとした技術があるのです。
授業者は「380の0をいくつとったのですか?」と子どもたち問いかけます。「0を1つとった」という答に「0を1つとって38になった」と手順だけを確認して次の問題に進みます。380からとれる0は1つだけです。他の答はあり得ません。そんなことより、なぜ0を「1つ」とれるのかの説明をしっかりと子どもにさせる必要があります。
教科感の問題ですが、算数は手順を覚えて問題を解ければよい教科ではないことを意識してほしいと思います。

この続きは、次回の日記で。
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