子どものつまずきに寄り添う(長文)

前回の日記の続きです。

2年生の算数は問題をテープ図に表わして考える場面でした。
授業者は子どもたちをほめることを意識していますが、表情が乏しいために上手く伝わっていないように見えます。教師は意図的に笑顔をつくることも必要です。これはある意味「訓練」です。いつも笑顔でいられるように、子どもたちに笑顔が伝わるよう意識することをお願いしました。

問題を黒板に貼って、子どもたちに読ませた後、たずねていることは何かを問いかけます。指名された子どもが問題文の該当箇所に波線を引きます。子どもたちは集中して見ています。授業者は指名した子ども見ながら「そうだね。はい、よしよしよし」と声をかけていました。子どもを認めるよい声かけに思えますが、授業者がこれで正解だと判断していることが他の子どもに伝わります。「どうですか?」と書き終った子どもが聞くと、全員が「いいです」と反応しますが、子ども自身で判断したかどうかはよくわかりません。
どうすればよいのかは難しいところですが、正解であってもなくて、いつも笑顔でうなずいて受容するとよいと思います。授業者が正解しか受容しないとわかってしまうと、「受容=正解」と思うようになってしまうからです。

この日のめあてを板書して写させます。子どもたちが書き終ったころを見計らって、予告なしに「はい、テープ図を使ってはじめの人数を求めよう」と声を出します。続いて、「はい」と手を叩いて子どもたちにめあてを読ませます。子どもたちは視線を上げずに声を出します。中にはまだめあてを書き続けて口を開かない子どももいます。口を開くように指導しないと、自分の作業を優先してもいいと思うようになります。よくない行動を強化することになってしまいます。ここは、作業をいったん止めて、子どもを集中させてからめあてを確認したいところでした。

問題文のわかっているものの部分に線を引かせます。挙手させるのに「自信がある人」と言葉を足します。手を挙げかけて下ろした子どもがいたことが気になります。指名した子どもが前に出て書こうとするときに「本当に大丈夫ですか?」と念を押します。授業者は意識していないと思いますが、子どもに無用のプレッシャーをかけています。
書き終わった後、「どうですか?」「わかりました。同じです」という定型のやり取りが行われます。授業者は「そうです。すばらしいです」と称賛しますが、すぐに続けて「『子どもが遊んでいます』はいりますか?」と問いかけます。「いらない」と言葉が返ってきますが、このやり取りがおかしいことに気づいてほしいと思います。「すばらしい」とほめたそばから否定されています。子どもたちは「同じです」と言いながら、「遊んでいます」は必要ないと答えます。「そうです。すばらしいです」「わかりました。同じです」といった言葉一つひとつの重みが無くなって、形だけに流れています。
「同じです」と子どもが言った後、「同じ?」と確認して、ハンドサインを出している子どもに「あなたはどこを引いた?」と聞くとよかったと思います。まったく同じかもしれませんし、「遊んでいます」を除いているかもしれません。また、子どもたちを見ていれば「同じです」と言っていない子どもに気づきますから、その子どもに聞いてみるのもよいでしょう。違う意見が出てくれば、「同じようだけどちょっと違っているんだね。どっちがいいだろう考えてみよう」と考えさせることができます。「ちょっと違う意見が出たね。どう?」と最初の子どもに確認してもよいでしょう。毎回ていねいに確認しろと言うわけではありませんが、このようにすることで形式的に「同じです」を言わなくなると思います。

「子どもが帰ったということは、増えますか?減りますか?」と問いかけます。こういう問いかけは算数ではとても危険です。「増えるから足し算」「減るから引き算」という発想になってしまうからです。そもそもテープ図を使うのは、問題文の表わす状況を半抽象であるテープ図で表わし、そこから抽象である式を考えるためです。どういう計算になるかをテープ図から考えるのです。また、「増える」「減る」という言葉を使う時には何からという起点が必要です。「はじめの人数から」といった言葉をきちんとつけることを意識しなければいけません。
授業者は減ることを確認してから、「子どもがいます」と問題文を子どもと読み上げながら、手を広げて動作化します。「13人帰った。どっちにすればいいですか?」と言いながら手の幅を狭めます。手の幅が何を表わしているかが明確でないまま動作化をします。子どもは何となく手を動かしているだけです。混乱していくことが予想されます。この後「18人になりました」と言いますが、手はそのままです。18人がどこかは、明確になりません。最後に、「はじめは何人いましたか」と続けますが、ここでも手は動きません。これでは、手の幅と問題文がどう対応しているかはよくわかりません。この動作化の意味がよくわかりませんでした。
今やったことを前でやらせようとします。手が挙がるのは数人です。指名された子どもは授業者と同じように動作化します。多くの子どもたちは、当然のように「わかりました。同じです」と反応しますが、反応しない子どもも出てきます。子どもの集中が次第に落ちていきました。
授業者はもう一度、動作化しながら、最後に「この部分は何?」と聞きます。子どもからは「18人」と言う声が聞こえます。授業者はそれを無視して「残った数」と言い換えます。「残った数」が手の幅で表わされるのも抽象化です。この部分はきちんと子どもたちに納得させることが必要でした。

「じゃあ、はじめの部分はどこになるかわかる?」と問いかけ、それを簡単な図でかいて表わしてみようと続けました。
「最初に子どもがいます」と黒板に丸い形を書き、「続きを簡単な図で表わしてください」と指示します。日ごろから簡単な図とはどういうものか子どもがわかるような活動をしているのでしょうか。少なくとも私は何を書けばよいのかわかりません。子どもたちの動きが気になります。
子どもたちが作業を始めてからも、「13人、18人はどこでしょうか?」「さっきの動きを思い出してね」と言葉を足します。何を書いていいのかわからない子どもがたくさんいるからでしょう。たとえこの言葉が子どもたちに届いても、何を書けばいいのかよくわからないように思います。
指名した子どもに図をかかせますが、はじめの人数と、残った数が混乱しています。はじめの人数の横に帰った13人を足します。わからなかった子どもはそれを写しています。「いいですか?」に子どもたちが反応しないので、授業者が「増えますか?減りますか?」と子どもたちに減ることを確認した後、修正するようにうながします。しかし、指名された子どもは言われていることがよくわかりません。起点が明確になっていないことと、13人、18人という数と、はじめの人数、残った人数という言葉が混乱しているのです。結局正しく修正できなかったので、授業者は席に戻して、別の子どもを指名しました。その子どもは「ここがおかしいと思います」と図を指で示しますが、どうしておかしいのか授業者が説明するように指示しても、言葉が出ませんでした。
授業者はもう一度全体で動作化をします。手を広げこれは何の数と問いかけます。「はじめの数」と一人がつぶやくと、「そう、最初の数」とすぐに返します。子どもたちは授業者の動きをただ真似しています。自分で理解しながら手を動かしていません。一つひとつの動きを理解する場面がないからです。
再び子どもを指名して、図を修正させます。授業者は子どもの横に立ってアドバイスをしました。正解を書かせたいからです。「いいですか?」という問いかけに、子どもたちは反応できません。授業者が強い口調で「いいですか?」と言うと、何人かの子どもが「いいです」と答えました。それを受けて授業者は説明を始めました。授業者の考えに無理やり子どもを従わせているように見えます。間違えた子どもの考えを聞きながら、子どもたちの言葉で修正していくように進めることが大切です。子どもの考えや発言に沿って授業を進めることを意識してほしいと思います。
この後、丸でかいた図をテープ図に直すように指示しますが、丸で図をかくことが、子どもたちの理解につながっていません。最初からテープ図で、きちんと理解させた方がよかったでしょう。

ここでは、図は2つのことを表わすことを意識して授業を構成する必要があります。この問題の場合、はじめの人(数)、帰った人(数)、残った人(数)の関係と、それぞれが何人かという具体的な数です。
今回はテープ図の学習なのですから、「はじめにこれだけいました」と実際にテープを用意して、「帰った人は?」とテープの一部分の色を塗ることや、はさみで切るといったことをするとよいでしょう。「残った人は、どこ?」と問いかけ、次に、色を塗ったのなら「はじめはどこ?」、切ったのなら「はじめはどうすればつくれる?」といった問いかけをすればいいでしょう。「合わせたところ」「合わせる」といった言葉が出てくれば、何算になることが図からわかることに気づいてくれると思います。
テープ図で、はじめの人(数)、いなくなった人(数)、残った人(数)の関係を明確にし、その上で、わかっている数を書きこませることで、テープ図を使って式を立てることができることに気づかせるのです。

子どもたちは、もともとの図がよく理解できていないまま、機械的に丸でかいた図をテープ図に直そうとしています。発表するように子どもたちに求めますが、ほとんど手が挙がらない状態です。
2人の子どもを指名します。1人の子どもは、帰った人の部分をはじめの数としています。授業者は「どっちが正しいでしょうか?」と子どもたちに聞きますが、すぐに自分で説明を始めます。その説明は、先ほどの図を使って行いますが、そもそもその図がよく理解できていなかったのですから、意味はあまりありません。
間違えた子どもに「どうすればいいでしょうか?」と修正する機会を与えます。授業者は言葉での答を期待していたのですが、その子どもは前に出て自分の手で修正しようとしました。授業者の問いに言葉で答えられなかったのかもしれませんし、自分の手で修正したかったのかもしれません。授業者は子どもが修正している時に、「これを見て」と先ほどの丸でかいた図を見るように指示します。子どもの答を正解にすることばかりを考えているように見えます。
授業者が「これでいいですか?」と聞くと子どもたちからは、「いいです」という言葉が返ってきます。「本当にいいですか?なんかおかしくない?」と問い返すと、「おかしい」という言葉が返ってきました。子どもを指名すると、「帰った数とか、残った数がかいていません」と答えます。これはよい指摘だと思いますが、授業者の望んでいた答ではありませんでした。「どうですか?」という発表者の言葉をさえぎって「あっ、それね」と「13人ってなんの数だっけ?」と続け、図に説明の言葉を書き足しました。授業者が指摘してほしかったのは、テープ図の13人と18人の長さが逆転していたことでした。「もう一つなんかないですか?」と問いかけると、3人ほど挙手しました。指名すると「18人の方が多いのに、13人の方がでかい」と答えます。それを聞いて「あー」「そうそう」という声が上がりました。ここは、声を上げた子どもを指名して、「どういうこと?」と、もう一度説明させたいところです。友だちの発言を聞いて理解したということを評価することにつながります。しかし、授業者はすぐに自分で説明を始めました。ちょっと言葉足らずの説明だからこそそれを活かしたいところでした。

「?はどこ」と聞かれているところに色を塗るように指示しますが、子どもたちの動きは重く、間違える子どもが目立ちます。授業者は机間指導をしますが、間違えている子どもに対して、結論を誘導しています。個別に指導することに気がいって、全体を見ていません。すぐに、子どもたちは集中を失くしました。
指名した子どもに図をかかせますが、「いいですか?」に対して「いいです」と反応できる子は半分ほどしかいません。ハンドサインを信じるなら、子どもたちはよくわかっていない状態です。しかし、授業者は「ここに色を付けた人がいるけれど、ここは違う」と結論を伝えるだけです。なぜ子どもたちが間違えたのか、間違えた子どもが自分でできるようになるためにはどんな活動が必要なのかを考えていませんでした。

この後、求める計算が足し算か引き算かを考えさせますが、よくわからない子どもが多くいます。机間指導で個別に指導しますが、一方的に説明しています。子どもの困り感に寄り添って声をかける必要があります。挙手が4人だけで、指名して進みました。子どもたちの集中はすっかり落ちています。「引き算でやった人がいるけど、テープ図をよく見てね」と間違えた子どもたちに対して説明しますが、なぜ間違えたのか、どこでつまずいているのかがわからないとできるようにはなりません。テープ図の意味がわかっていない子どもに、テープ図をよく見て考えろと言っても無理です。そもそも、子どもたちは本当にテープ図をつくれるようになっているのでしょうか。
次の練習問題ではそのことが浮き彫りになります。テープ図を正しく書けない子どもが目立つのです。最後に「テープ図を見るとわかりやすい」とまとめますが、テープ図をかけるようになっていなければ、意味のないことです。

授業者は正解を書かせることに意識がいってしまい、子どものつまずきに寄り添うことができていませんでした。子どもがどこでつまずくのか、つまずいいているのかを意識し、どうすればそのつまずきを解消できるのかを考えて授業を組み立てる必要があります。子どもができる、わかるようになる場面を授業の中にきちんと組み込んでほしいと思いました。

この続きは次回の日記で。
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