先生が互いに学び合っていることがわかる社会科の授業

昨年度最後の中学校への訪問のことです。先生方への授業アドバイスと、現職教育のまとめの時間に次年度へ向けての課題と方策についてお話をさせていただきました。

この日は社会科の授業をたくさん見せていただきました。

3年生の1つ目の社会科の授業は文化についての復習の場面でした。
資料のプリントを配って課題の説明をします。子どもたちは資料をもらってテンションが上がります。「あっ、これは何々だ」と自分の知っているものを見つけてうれしくなったのかもしれません。子どもの学習意欲の表れとも言えるのですが、ちょっと説明に集中するまで時間がかかりました。拡大コピーも準備してあったので、プリントを配る前にこれを使って説明した方がよかったかもしれません。
プリントには各時代の文化に関する資料がたくさん印刷されています。それがどのようなことを示しているのかを調べるのが課題です。文化の変遷を考えさせようというねらいでしょう。
子どもたちは、それが「○○時代の○○の絵」「○○文化を代表する建物」というように何の資料かを確認していきます。しかし、それ以上深く考えようとせずに、次の資料に向かいます。ちょっともったいないように思いました。
子どもたちに答を発表させますが、友だちの発表を聞いていない子どももいます。授業者はそれに気づいて、「聞いてあげなきゃ」と声をかけます。友だちの発言を聞くことを意識出ているのはとてもよいことです。ただ、「あげなきゃ」という言い方は「してあげる」というニュアンスを感じます。「聞こうよ」でよかったと思います。
発表した答がそれでよいかどうかを授業者が判断しますが、その資料に関連したことについてはそれ以上問いかけません。このことを含めて一連の流れが一問一答形式のクイズに近くなっています。
課題を、資料に示されているような文化が起こってきた背景を考えるようにしても面白かったと思います。「人物」「政治」「経済」といった視点や、「天皇」「貴族」「武士」「僧侶」「商人」「大衆」といった誰が文化の担い手(パトロン)なのかという視点で整理させると、文化の側面から歴史全体の流れを感じることができたと思います。
授業者は前向きに授業改善に努めている方です。この1年で授業観もずいぶん変わりました。この学校に赴任してきてカルチャーショックを受けたようですが、大きく成長されたと思います。今年度の授業がどのようなものになるのか、とても楽しみです。

3年生の2つ目の社会科の授業は、テロについて考える授業です。こういった、今そこにある問題について考えることができるのが社会科の魅力です。
過去の戦争の写真を見せて、これが何戦争かを確認します。9.11の写真を見せ、これがテロであることを押さえます。子どもたちはとても興味を持って見ています。
この日の課題は、「新しい戦争の特徴は何か?」ですが、戦争とテロという言葉の違いが子どもにきちんと理解されていません。そもそも「テロ」を単純に「戦争」といっていいのかも疑問ですし、「新しい」というからには、過去と比較することも大切です。この課題に取り組む前に、過去の戦争はどういうものだったのかをまとめておくことも必要だったと思います。子どもにとって課題が今一つ明確でなかったために、グループでの話し合いは方向性のない雑談のようになっていました。
「戦争は何を解決する手段だったのか?」「戦争に勝つことで得られるものは何だったのか?」という視点で子どもたち話し合わせた後、戦争をテロに置き換えて考えさせるといった展開もあったと思います。
題材や流れを工夫しようとしています。何を考えさせたいかもかなりはっきりしていると思います。同じことをさせようとしても、課題の伝え方、与え方で子どもたちの動きは大きく変わってきます。そこのところを意識するとよいと思います。

3年の3つ目の授業も、同じくテロについて考える問題でした。
池上彰の文章を読ませて、テロについて考えさせます。この文章では、テロが増加した原因について、イラク戦争によってフセインの支配が終了したことを挙げています。フセインがいろいろな宗教勢力や部族を力で押さえていたから、それまでテロも起こらなかったという話です。子どもたちに全くない視点を与えることで、考えの幅を広げるというのは、新鮮でした。子どもたちなりに、テロが起きる理由を考えさせるきっかけとして有効だと思いました。戦闘場面とテロの場面を比較することで、戦争は戦場という非日常の場所で起こるが、テロは私たちの日常生活の場で起こることに注目させます。難しい定義ではなく、子どもたちとって直感的に理解できることで、明確に違いを意識させるのは見事だと思います。
子どもたちから、テロにおける対立を「どっちもどっち」だという意見が出てきます。授業者は双方の立場や主張をそれぞれ納得できるかを問いかけます。ここをどのように扱うべきか、授業を見せていただきながら考えてしまいました。子どもたちは何が対立の原因となっているかをしっかり理解できているのか疑問だったからです。授業を途中からしか見ていませんので、何とも言えないのですが、子どもたちの様子からはどうもわかっているようには見えないのです。このことについて時間をとるという発想もあるのですが、所詮わずかな時間で理解することは不可能です。授業者はここに時間をとるのではなく「テロをどうやってなくす?」という課題に時間をとることを選びました。
この課題には当然正解などありません。子どもたちからすごい答がでてくることを期待しているわけではありません。「この問題を自分たちの問題としてこれからも考え続けてほしいし、考えなければならない。そのきっかけになればよい」と考えているのだと思います。「友だちの多様な考えに触れて、より深く考えようとする」「テロに関連するニュースを目にしたら、興味を持ってくれる」、そんな子どもたちの姿を願っているのだと思います。
授業者の子どもの成長への思いが感じられる授業でした。

2年生の社会は、明治後期から大正時代の日本の社会の変化をとらえる授業でした。
資本主義が浸透し、軽工業から重工業に経済がシフトしていきます。農村の変化などいくつかのテーマに分かれて子どもたちが調べ学習をしていました。そこでまとめたことを自分のグループに戻り、聞き合うジグソー型の学習でした。
子どもたちのテンションが高いことが気になります。作業はしているのですが、あまり考えているようには見えません。友だちのまとめを聞いていますが、事実が話されるだけで、なぜそうなったかという原因や理由については触れられていません。そのことを考えることに時間を使いたかったところです。
「軽工業から重工業へ移った」とまとめても、その理由はわかりません。発展を支えたのが重工業と説明しても、それは結果です。資本主義が広がって、農村に小作人ができると言われても、なぜそうなるのか子どもたちは理解できたでしょうか?
資本主義を考える上で、産業革命によって社会がどのように変化したかを押さえておくとよかったと思います。大量に物を作ることができるようになりましたが、そのためには工場や設備のためにより多くの資本が必要となります。また、そこで働く労働者も必要です。大量に作られたものを消費してもらわないと物が余って不況になってしまいます。こういったことがわかっていないと、社会の変化をみる視点が定まりません。
「子どもたちに何を考えさせたいのか」「どのような課題であれば子どもたちは考えるのか」「考えるために必要な知識や資料は何か」「知識や資料は与えるのか、調べさせるのか」といったことを考えておく必要があります。
子どもたちは安心して授業に参加できるようになっていますので、こういったことを意識するとグンと授業がよくなると思います。

1年生の社会の授業はあまり時間をかけてみることができませんでした。
勘合貿易についての場面でしたが、授業者が説明しすぎているように思いました。若手ですが、教材研究をしっかりして工夫した授業をしています。まとめとして説明していることを子どもたち言わせることができるとよいと思います。これからどのように進歩していくか楽しみな先生の一人です。

教科書を説明して用語を覚えさせるような古いタイプの授業は一つもありません。この学校の社会の先生方が互いに学び合って授業の質を向上させているのがよくわかった一日でした。

この続きは次回の日記で。
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