子どもたちにどうあってほしいかを意識することの大切さを感じた授業

中学校の体育の授業アドバイスを行ってきました。

授業者は、3年目の若手です。3年生の女子の跳び箱の授業を2つの学級で1時間ずつ見せていただきました。
どの学級も子どもたちは落ち着いています。ただ、ランニングや準備運動など、緩いと感じる場面もあります。ただやっているという感じです。この活動で意識してほしいことが明確になっていません。準備運動のラジオ体操はしっかりと体を曲げる、伸ばすができていません。授業者が見本で意識的に動かしているところはまだいいのですが、私から見て授業者も流していると見えるところは、子どもの動きがだらだらしています。準備運動なのでそれほど気合を入れなくてもいいのかもしれませんが、どんな時もしっかり運動しようという意識は持たせたいと思います。
面白いのが、準備運動を見ているだけでも、学級間の運動能力の差を強く感じたことです。実際に、跳び箱を跳ぶ活動ではその差が顕著に現れます。学級の状況に応じて活動内容を変えることは大切なのですが、現実には難しいものがあります。こういった差に対応するのは、どの教科でも悩ましい問題です。

子どもたちは挨拶の時はよい姿勢なのですが、体育委員が出欠の報告をする場面では緩みます。授業者の意識は報告者に向いていて、首が動きません。他の子どもたちに今どうあってほしいかが意識されていないのです。この場面に限らず、授業者が子どもの姿を意識していない時には子どもたちの集中力が落ちたり緩んだりする傾向がありました。常に全体を見ようという意識が少し弱いようです。体育の教師にとって全体を見ることはとても大切です。説明をする時にも、子どもの顔が上がっていないのにしゃべる場面が何度かありました。気づいた時は集中するように指示しますが、全員の視線が上がるまで待てませんでした。

授業者は「腰を高く持っていくよ」と口で説明しますが、跳び箱のような種目は言葉で言ってもなかなかわかりません。ビデオなどで見せる、演示する、子どもにやらせるなどして視覚に訴えた上で、「どうだった?」と子どもの言葉で言わせることが必要です。こうすることで、視覚的なイメージと言葉が結びついていきます。今度はその言葉を使うことで、イメージが浮かぶようになるのです。体育では、活動だけでなくこういった言語活動も大切になります。

子どもの活動の様子を「はい、いいね」とほめますが、なんとなくほめているだけではよいものは広がっていきません。具体的に何がどのようによいのか伝えなければ、まねをしてはくれません。活動をさせますが、できるようになるために何を意識させればよいのかがはっきりしません。何となくやっているうちにできたというパターンになりそうです。前時までにやったことを復習でやらせるような場面でも、「この前説明したように」とやったことだからと端折ります。せめて、「どんなことをやった?」「ポイントは何だっけ?」と問いかけ子どもたちに言わせることではっきりと意識させたいところでした。

子どもたちの活動の隊形に対して授業者の立ち位置が気になります。長方形の短辺側に立ちます。後ろの方はどうしても見にくくなります。また、授業者の視線が手前に落ちることも気になりました。班ごとに跳び箱を跳んでいる場面で子どもたちに声かけをするのですが、すべて手前の班に対してだけです。跳べなかった子どもが手前にも奥にもいたのですが、奥の子どもにはアドバイスはありませんでした。
途中で班を回って補助に行くのですが、全体が見えない方向に体が向いていました。後で聞いたところによると、利き手の関係で反対側からは上手く補助ができなかったそうです。子どもに補助をさせるのは難しいのですが、上手く手伝わせて、自分は全体を見ることを意識してほしいと思いました。補助に専念するのではなく、途中でまわりを見るようにすべきだったでしょう。
できない子どもに対して、授業者が個別に指導することには限界があります。できないのが一人ならいいですが、何人もいれば手は回りません。特に体育は個別指導に手をかけすぎると事故の危険が増します。活動を工夫し、子ども同士のかかわりの中でできるようになる仕組み考えること大切です。

全員が一斉に同じ活動をしている時の活動量は多いのですが、跳び箱を跳ぶ活動では、順番を待つのでどうしても活動量が減ります。ただ跳んでいるだけでは、上手いかないところを修正できないので、なかなか上達しません。待っている時にどんな活動をさせるかが大切です。できる子どもは、友だちの跳ぶ様子を観察してよいところを真似しようとしたりしますが、漫然と待っている子どもが大多数です。バディを組ませるなどして互いによいところ、課題を伝え合うといったことが必要なります。
そのためには、ポイントをきちんと意識させなければいけませんが、授業者が一方的に説明することがほとんどです。子どもの目で見させて、子どもの言葉に直させることが大切です。
子どもの演技で拍手をさせますが、形式的になっています。どこがよかったのかを具体的にしないのでよさは広がりません。中には口を開いている子どもいるのでどこがよかったのか聞きたいところですが、授業者は演技者しか見ていませんでした。子どもの活躍の場面をもっとつくってあげたいところでした。

最後に、子どもたちに跳ぶためのポイントは何かを考えさせます。指名して発表させますが、子ども同士をつなぐことはまだできません。手前の子どもを指名した時には、授業者ではなく後ろを向いてみんなにしゃべるように指示しましたが、一番端の列の真ん中あたりの子どもを指名した時には、授業者の方を向いて発表しても向きを変えさせませんでした。授業者も発表者をずっと見ているので、子どもたちが発表者の方を向いていないことに気づかなかったのでしょう、見るように促しませんでした。
子どもたちの発表を受けて、授業者が解説をして終わります。子どもたちの言葉でたくさん言わせて自分のイメージを持てるようにすることが、できるようにするためには大切です。少ししゃべりすぎです。一番問題なのは、この場面が授業の最後だということです。ポイントを意識できても、実際にやってみる時間はありません。次の時間に思い出させても、せっかくのイメージは消えています。しかも今回、次の時間は別の技に入ります。
子どもからでたポイント「踏み切り」を受けて、そうだね「踏み切り」が大切だねと、「踏み切り」を正解として黒板にまとめとして書き、写しておくように指示しました。定期試験に出すから最後にまとめたように感じてしまいました。

授業研究を、跳び箱という「できた」「できなかった」がはっきりわかる種目で行ったことは立派だと思います。女子の場合、跳び箱を跳べない子どもも多いのですが、ほとんどの子どもが跳べるようになっていました。跳べるようになるためのステップを意識した活動ができていたように思います。ベテランの教科指導員のアドバイスがあったそうです。体育はできるようになるためのステップがはっきりしていて、それが蓄積されている教科です。よき先輩から素直に学んでいることは素晴らしいと思います。
個々の子どもたちとの関係もとてもよいと思います。ただ、授業の中で、できていないことを注意してしつけているように感じました。子どもたちのよいところを具体的にほめて、他の子どもがまねしようとすることで、よい行動を増やすことを意識してほしいと思います。

授業者はとても素直で、前向きです。指摘されたことを自分のものしようという意識が強く感じられました。子どもたちができるようになるためにどのような活動が必要なのか、それはどこがポイントで、子どもたちにどう意識させるのかを考えることで、大きくレベルアップすると思います。検討会では、教科指導員の先生ともご一緒できました。私にとっても参考となるアドバイスをたくさん聞くことができました。とても学びの多い時間でした。このような機会を得られたことに感謝です。
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