これからの進歩が楽しみな若手

昨日は中学校の若手に授業アドバイスを行ってきました。

1年生の社会科は、鎌倉幕府の滅亡についての授業でした。
前時に徳政令の資料(東寺百合文書)を基に、なぜ徳政令が出されたのかといった疑問を子どもたちに出させています。本時は鎌倉幕府滅亡のポイントを考えることを最初に課題として提示しました。考えるための知識として、元寇と分割相続についてワークシートをもとに説明し、それをもとに考えるという流れです。
なぜ徳政令が出されたのかといった疑問から出発し、その原因となる元寇、分割相続を提示して、その結果として鎌倉幕府の滅亡につなげるという発想は悪くありません。授業者は子どもの視点に立って「なぜ徳政令が出されたのか」ということを疑問に思い、そこから出発しようと考えたそうです。子どもの立場から教材を見ることはとても大切なことです。授業をつくるよい視点を身につけてくれたように思います。
前時に徳政令から出発したのであれば、本時もその流れを崩さずに課題として鎌倉幕府滅亡のポイントを提示しない方がよかったと思います。資料を基に考える時の視点を意識して、「なぜ徳政令がだされたのか」だけでなく、「その後どうなるか」で鎌倉幕府の滅亡を考えさせるのです。
授業者は、天下りで元寇をトピックとして提示しその説明を総花的に行いました。そうではなく、徳政令が出されたのはその前に何かあったはずだからと考えさせ、「領有後20年を経過した土地」は返却しなくてよいという記述を手掛かりに、徳政令の前の20年間に何があったかを年表で調べさせると、自ずと元寇と関係がありそうだと気づくと思います。そうすることで、元寇についての知識を得ることに必然性が出ると思います。知識として教えておきたいことはたくさんあるのはわかるのですが、総花的でなく軽重をつけたいところです。元寇とこれまでの戦いを、幕府と御家人の関係(御恩と奉公)を軸にして比較することで、徳政令との関係が明確になるはずです。少し時間をかけて子どもたちに作業させるとよく理解できると思います。
子どもたちは「東寺百合文書」に出てくる「質(しち)」もよくわからなったそうです。資料を基に考えさせたいのなら「資料を読み取る力」が前提として必要になります。わからない言葉はすぐに調べるくせをつけることが大切です。しかし、それにあまりに時間を取られるのも授業としては問題です。「調べさせる」のか「すぐに教えるのか」といった判断も大切になります。
資料を基に進める授業では、資料を基に何がわかるかだけでなく、その前後に何が起こったか、起こるかを考えることも大切です。資料を基に考える視点として価値付けしたいところです。
授業者は単に知識を教える歴史の授業から、歴史の点を線にしてつなげる授業への脱却を意識し始めました。すぐに上手くいくとは思いませんが、確実に進歩していくと思います。今後が楽しみになってきました。

1年生の女子の体育はチームでの創作ダンスの授業でした。
振付を考える場面でしたが、一部の子どもが仕切って他の子どもは積極的に動かないグループ、話し合うが具体的なものが出てこないグループ、どうやってイメージを形にしてよいかわからずに動けないグループといろいろです。
授業者は、子どもたちの様子を見ながら時々声をかけますが、基本は観察に徹していました。今まであれば、すぐにグループの中に入って教えていたのにずいぶん変化しました。子どもの状況をよく理解した上で、次にどうすればよいのかを考えるようになったのです。
例えばハンドボールの授業ではシュートを中心に練習させようと思ったところ、シュート以前にパスがきちんとできないことに気づき、活動内容を変化させたそうです。また、オフェンスのチーム練習では、ディフェンスがただ立っているだけで、練習にならなかったので、チーム内をオフェンスチームとディフェンスチームに分けてゲームのように対抗して練習をさせたところ、真剣にディフェンスをするようになったようです。子どもたちからは「疲れるけど楽しい」といった声が上がってきたそうです。毎回、授業の組み立てを工夫して臨むと、うまくいくかどうかドキドキするが楽しいと語ってくれました。
今回のダンスも、「私が介入しすぎれば私のイメージの押し付けになってしまう。とはいえ、放っておいても動けない。どうするとよいだろうか」と次の対応を考えていました。
最後に子どもたちを集めて、次の時間に向けてのアドバイスをしました。授業者が指示しなくても、どの子どももしっかりと顔を上げて話を聞いています。授業者との人間関係がよくなり、授業規律がしっかりしてきました。また、子どもたちが振付が上手くいかない状況を何とかしたいと思っていることも集中して聞いていた要因でしょう。
授業者は前向きに授業改善に取り組んでいます。いろいろと工夫することを楽しむことができるようになってきました。経験を重ねて引出しを増やしていけば、とてもよい先生になると思います。
私から、子どもたちがダンスをイメージして組み立てることができるための手段を用意することをアドバイスしました。具体的には、タブレット等を使って、先輩のダンスやダンスの構成要素となるステップ、振付などの動画を用意するといったことです。参考にしたくなったらいつでも見られるようにしておくとよいでしょう。また、今回の目標は自分たちのダンスのテーマが見ている人に伝わることになっているので、動画を見てどんな風に感じたかを聞き合うような場面を用意すると、振付を考える時の参考になると思います。

今回の授業者はどちらも前向きに授業改善に取り組んでいます。この姿勢で授業に取り組み続ければ、きっと大きく進歩してくれると思います。

今年の目標

ICT機器の学校での活用が言われています。一昔前は、導入された以上活用しなくてはならないと、利用そのものが目的となっているような場面も見受けられましたが、さすがに最近は見聞きしなくなりました。子どもたちにつけさせたい力をつけるためにどう活かすかという視点が定着してきたように思います。ICTはあくまでも道具だということです。また、一人一台のタブレット環境になってくれば、授業以外の場面でもICTが活用され学校の活性化につながっていくと思います。

私は最近ICTの活用に関して、学校、授業でどう使うかという視点から少し離れて、ICT機器やAIがあたりまえの時代の思考や仕事のあり方はどのようなものかを考えることが増えてきました。例えばアンケートの結果の分析などは、パソコンが普及することで処理の時間が減少し、その結果を見て考えることに時間をかけることができるようになりました。AIが普及してくると分析も自動でできてしまい、その結果をもとに新たな発想が生まれてくるようになるのかもしれません。仕事のやり方や仕事の価値が大きく変わってきます。そのような時代に人に求められる力はいったいどんな力なのだろうかと思うのです。多くの方が、「昔も今もそんなに変わらない。思考力・判断力・表現力だ」と言われるのではないでしょうか。確かに私もその通りだと思います。しかし、思考や判断の視点やそのために必要な知識や技術は変わってくるのではないでしょうか。そう考えると、授業のあり方や構造も変わってくるように思います。

今までの授業や試験ではあらかじめ正解のある問題を解決することが主でしたが、それを通じて身につく力はどのようなものでしょうか。知っている知識を応用する力、過去の問題解決の経験で得た方法(資料の活用や他者との協働といった解決のプロセスなど)を活用する力などがあげられると思います。しかし、今では答のあるような問題は、ネットを検索することですぐに正解が見つかります。ネットの質問コーナーには数学の問題が質問され、その答がすぐに投稿されています。古文の現代語訳を子どもたちに課せばすぐにネットで訳を探す子どもがほとんどでしょう。たとえ自力でやる子どもであっても答の確認はネットを使うと思います。問題や課題を自分で考える必然性がなくなってきています。AIが発達していけばますますこのような傾向は強くなると思います。このような時代になってくれば、授業のありようは変わらざるをえないのではないでしょうか。
先ほどの古文の例で言えば、子どもたちがネットで現代語訳を見つけることを前提にして、思考力をつけるための授業を組み立てることが求められます。また、正解のない問題に取り組ませる授業であれば、解決のプロセスを評価し改善していく力が求められますが、どうすればその力はつくのでしょうか。また、ICTは問題解決の大きな武器になりますが、使いこなす力はどうすればつくのでしょうか。ただ経験を積めばよいわけではないと思います。今までの授業とは異なったプログラム、プロセスが求められていると感じます。これまでの学力観にもとづいた授業をよくするための道具としてだけでなく、今までと異なった視点での授業づくりのベースとしてのICT活用を考える必要があると思います。

私の中で答が明確な形になるにはまだまだ時間がかかると思いますが、ありがたいことに、こういったことを意識した授業づくりを進めている学校で先生方と一緒に考える機会を得ています。今年はこのことについて自分なりの答を見つけることを目標の一つにしたいと思っています。
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