挑戦的な授業

前回の日記の続きです。

3年生の国語は、俳句の季語と語感についての挑戦的な授業でした。
「自転車で坂を上れば(   )」という句の穴埋めを考えさせるものです。「山笑う」「花曇り」「春一番」の3つから語を選択します。

俳句の鑑賞で大切なことは何かと問いかけます。復習ですのでたくさん手が挙がってほしいところですが、あまり手が挙がらなかったのが残念です。「省略されているところを想像する」という答えが返ってくると、それを授業者が確認して先に進みます。一問一答形式になっているので、子どもたちが積極的に参加する意味がなくなっているのです。

子どもたちはかろうじて「春一番」は春の季語だとわかりますが、言葉をどれか選ぶといっても、そもそも言葉の意味がわかっていません。そこで季語辞典を使って意味を調べさせます。ところが用意した季語辞典は何種類かあり、索引や並べ方がそれぞれ異なっています。子どもたちは互いに相談しながら調べますが、中にはなかなか見つけられない子どももいます。また、辞典の説明も「春の季語、春の山の明るい感じを表わす」といったものですから、それを読んでも語感をつかむことはなかなかできません。例えば、山笑うはもともと画論から来た言葉ですから、それにふさわしい絵を見せる、花曇りの様子がわかる空の写真を用意しておく、春一番であれば新聞の写真入りの記事を見せるとかして、子どもたちの感覚に直接訴えることも必要だったと思います。
子どもたちはこの語感つかめないので、なかなか選ぶことができません。授業者は省略されたものというキーワードで俳句の世界を広げようとしていますが、なかなかイメージは広がらないようです。このキーワードは少し漠然とし過ぎるように思います。もう少し具体的に「どんな坂が浮かぶ?急な坂?なだらかな坂?「どんな場所?山?海?街?」「どんな自転車?ママチャリ?ロードバイク?」「どんな様子で登っている?颯爽と?必死に?」というように具体的に問いかけた方が、子どもたちのイメージは広がりそうです。

俳句の世界の広がりを子どもたちに実感させようとする意欲的な授業でした。実験的な部分もあるので、発問や進め方にもう一工夫必要でしたが、挑戦したからこそ見えてくることでもあります。私自身が大いに刺激される授業でした。ベテランの先生でしたが、無難な授業ではなく、いろいろなスタイルに挑戦する姿勢には感心しました。次回はどのような授業を見せてくださるのかとても楽しみです。

頭を使って英語を話す

前回の日記の続きです。

1年生の英語は人物紹介のゲームをする場面でした。3人一組で行うビンゴです。各自、5×5のマスに数字を書き込みます。友だちに関することを”Is he(she)○○?”と質問しますが、番号ごとに○○の内容が異なります。聞かれた人はその友達がどうであるかを想像して、”Yes(No),he is. He is(not) ○○.”と答えます。”Yes” ”No”だけでなく必ず”He is ○○.”と言い直すことを求めることがポイントです。同じ質問をもう一人に”Are you ○○.”と問いかけ、その答が同じ”yes”あれば選んだ番号のマスがY”に、同じ”no”であれば”N”となります。異なる時には”×”です。”Y”か”N”が一列並べばビンゴとなります。パターンは”Is he ○○?”と”Is his favorite ○○ △△?”の2つが用意されています。2つ目のパターンでは△△の部分は自分で考えることが必要です。子どもに自分の言葉を話させる工夫や仕掛けがほどこされています。代名詞を意識して問答させる練習でした。

子どもたちは英語でのゲームの説明を一生懸命に聞きます。授業者は実際にデモンストレーションを見せることで、英語だけで理解させようとしています。子どもたちを上手く集中させていました。
子どもたちは真剣に取り組むのですが、顔が上がりません。手元のプリントを見ながら読んでいます。プリントには○○に入る言葉が英語で書かれており、まだ学習していない単語についてはカタカナで読みもついています。問答のパターンも書かれています。言葉の表す意味や質問の状況を頭に思い描いて言葉を口にしているわけではありません。パターンに従って読んでいるだけです。また、どう答えていいのか困っている時に、3人それぞれに役割があるのでなかなか助け合うことができません。1人増やして4人のグループにし、プリントは余った1人持たせて、困った時にアドバイスをしたり、間違いを修正したりする役割を与えるといった方法もあります。

文字を読ませる代わりに、単語を表わす絵やイメージのアイコンを使って、そのアイコンから言葉を紡ぐことをさせるとよいでしょう。例えば、幸せそうな雰囲気を表わす絵をアイコンにして、”He is happy.”と言う練習をしておくのです。基本的な言葉を使えるようにしておいて、アイコンを見て言葉を引き出す練習をするのです。
また、子どもたちは”he” “she” “it”の使い分けがよく理解できていないようでした。これについても、”situation”をもとにもっと練習しておくことが必要だと思いました。

授業者は以前と比べて表情もよくなり、子どもたちに考えて言葉をしゃべらせようとしています。しかし、残念ながらまだ活動を優先して、パターンや文字を読ませること中心の授業展開から抜け出せていませんでした。頭を使って英語を話す場面をより工夫してほしいと思います。
前向きに授業づくりを工夫している方なので、次回の訪問でどのような進化を見せてくれるか楽しみです。

この続きは次回の日記で。

教科で身に付けさせたい力が何かを考える

前回の日記の続きです。

2年生の数学は文字式の活用の授業でした。文字を使って、奇数や偶数の性質を説明する場面です。

授業者は子どもたちとうまく関係をつくることができています。子どもたちが積極的に授業に参加する雰囲気がつくられています。
最初に、奇数と偶数について知っていることを子どもたち言わせます。子どもたちの知識を確認して、この日の課題を考える足場にするのはよいことです。ここで注意しなければいけないのは、定義と性質の違いです。小学校ではこのことを混乱して教えている例がよくあります。ある数が偶数になるとことの根拠は最終的に偶数の定義です。定義と性質が混乱してしまうと循環論法に陥ることもよくあります。また、仮定と結論の関係も大切です。逆が必ず成り立つ保証はありませんから、偶数の性質を持っているからといってその数が偶数になるという根拠にはなりません。言葉にして説明するかどうかは別にして、因果の方向性を意識させることも必要です。

子どもたちは自信がないのか、なかなか手が挙がりません。授業者はペアで相談させたのですが、ちょっと気になる言葉を発しました。「思いついた」ことを話すようにと言葉を足したのです。「思い出した」ならよいのですが、「思いついた」は想像、予想です。その検証が必要になるものです。「どうやって解いたらよいか?」という発問に対する指示ならばよいのですが、ここは「知っていること」=「知識」「結論」ですから、ふさわしくない言葉のように思います。そんな細かいことと思うかもしれませんが、ちょっとした言葉の使い方も、考え方や論理性を育てることに影響するのではないかと思います。

ペアで相談した後は、手がよく挙がります。どうすれば子どもたちの積極性を引き出せるかよく知っています。この場面に限らず、子どもたちをうまく活動させます。残念なのが、子どもたちの発言を価値付けしたり、整理するための切り返したりがあまりできていないことでした。
奇数を「割り切れない」と説明する子どもがいました。言いたいことはわかりますが、「それってどういうこと?」「なにで割り切れないの?」と不足している言葉を明確にさせる必要があります。「割り切れない」に関連して、余りがあることも言わせたいところです。「2で割ると余りが1」を押さえておくことは、奇数を2n+1(nは整数)と表わす時や、3で割り切れない整数を表わす時の布石となります。
「2で割れる」という言葉も出てきましたが、そのまま受容するだけです。ここでは「割れる」という言葉にこだわることが必要です。「3は2で割れるから偶数だよね?」と返すことで、「割り切れる」という数学の言葉で表現し直させたり、「小数はダメ」といった言葉を引き出して、考えている数が整数であることを意識させたりすることが必要です。数学として何が大切かを常に意識してほしいと思います。
また、子どもたちから出てくる偶数や奇数の性質に対して、「いつでも?」「絶対に?」成り立つかを問いかけることも必要でしょう。それがこの後、文字式で説明する必然性につながります。授業者は、このあと「文字を使ってもそうなるの?」と問いかけますが、既に小学校で証明されていることが前提になっています。ここでのねらいは、すべての場合で成り立つことは、文字式を使うことで初めて説明できることを理解することです。文字式を使った説明と小学校でやった説明の違いを意識させたいところです。

子どもたちは発言をよく聞こうとしているのですが、授業者が発言をすぐに板書するので、写すことを優先して聞かなくなってしまいます。数学的な見方・考え方を意識して発言を切り返し、つなぐことで整理し、「どうまとめればいいかな?」と子どもたちにまとめさせてから、その言葉を板書するとよいでしょう。

文字式で偶数と奇数を表わすことを考えさせます。子どもたちにどんな文字を使いたいかを問いかけます。「gとk」という答えに対して、なぜその文字を使うのかを問い返しますが、ここは「文字は2つ必要なの?」と、文字を使い分ける意味を考えさせることが必要です。同時に扱うのであれば、文字を変えないと連動してしまうことを押さえる必要があるのです。
偶数は2kで落ち着きましたが、奇数は2g+1、2g-1と分かれました。ここで実際にgに整数を代入して、どうなるのか比べてみるといったことが必要です。この2つの表し方だけでなく、2g+3や2g-3でも奇数を表わせることも確認したいところです。どの表し方でもgをすべての整数とすればすべての奇数を表わせることを確かめることで、文字式を使う意味が見えてきます。奇数は2g+1と表わすと機械的に覚えさせないようにしたいものです。

この学校の先生方からは、子どもたちがなかなか発言できないことが課題として挙げられていますが、この授業では実によく子どもたちが発言していました。授業者の受容的な姿勢や子どもたちを上手にかかわらせることで、子どもたちがいきいきと発言する場面がたくさんありました。ただ、全体の場で挙手して発言することを苦手にしていると感じる場面はまだありました。子どもたちの積極性を引き出すためには、受容することに加えて、発言の価値付けを意識して、自己有用感を高めることが必要だと思います。
気になったのが、授業者が子どもたちつけたいと考えている「数学の力」がずれていたことでした。問題の解き方を子どもたちに考えさせることが中心になっていて、この授業で身に付けさせなければいけない数学の力や見方・考え方はどのようなものかがよくわかっていないようでした。子どもとのかかわり方はとても上手な先生です。数学の教師としての基本に立ち返り、数学とはどのような教科なのか、数学で身に付けさせるべき学力とは何なのかをじっくりと考えてほしいと思います。そこが、明確になれば大きく飛躍すると思います。

この続きは次回の日記で。

発言を価値付けすることが大切

前回の日記の続きです。

2年生の理科の授業は、金属の燃焼の実験の考察場面でした。
各グループの実験結果を共有します。1グループ毎に1つの燃焼の結果を発表させ、「違ったら言って」と確認します。他のグループのデータに異議を申し立てることになるのでなかなか言いだしにくいかもしれません。同じかどうかを確認して、「大体同じ」という言葉を拾って「どこが同じ?どこが違う?」と返すと、実験結果のどこに注目しているのかが明確になってくると思います。結果の確認だけであれば、各グループの結果を一斉に板書させて、比較する方がかえって効率的かもしれません。
指名された子どもは自分の言葉で発表するのですが、他の子どもたちはあまり真剣に聞いているように見えません。授業者が子どもの発言をすぐにまとめてしまうので聞く必要がないのです。

燃焼の実験の前後で質量が変わらないグループがあります。「増えるの?変わらないの?どっち?その理由も考えて」とこの点について問いかけることが実験の持つ意味について考えを深めるよい機会となったと思いますが、授業者はうまく対応できずに、うやむやの内に増えることに結論づけられていました。
授業者はこの実験結果から「金属は燃える」と結論づけますが、マグネシウムや鉄だけで一般化しています。子どもたちに何が言えるのか問いかけたいところです。「すぐに燃える金属や時間をかけて燃える金属があるようだね。すべての金属は燃えるのかな?」と疑問で終わらせてもよいと思います。

燃えた後の質量が増えた理由を問いかけます。そもそも燃焼前後の質量を比較するのは何のためでしょうか。何らかの意図・ねらいがあって実験は行われているはずです。授業者は木を燃やしたときと比較するのですが、実験の前に木は燃えると軽くなったことを押さえてから、質量を測る必然性を持たせておきたいところでした。
授業者は子どもから発言が出てこないので、「重くなるのだから何かを取り入れているはず」「人も何か食べると重くなる」といったヒントとなる言葉で一生懸命誘導します。誘導自体はあまりよいことではないのですが、子どもから発言を引き出したいという強い思いを感じました。

「息を吸収する」という言葉が出てきました。「燃やしている時に息を吹きかけると燃え方が熱くなって・・・、それは息を吸い込んだから燃え方が激しくなったから」と説明します。授業者は燃えたできた物に「息が入っている。それでいい?」と全体に返します。他の子どもにつなぐと「予想なんだけど、息を取り込んだというから、何かと反応して違う物質に変わったんじゃない」という言葉が返ってきます。「何かと?」と授業者が発言を板書しながら返すと「気体の何か?」と答えます。とてもよいやりとりなのですが、指名された子ども以外がなかなか参加しません。授業者はどうしても発言者に視線が行ってしまいますが、子どもたちの反応や表情で指名することも必要です。視野を広く持てるとよいでしょう。

この場面に限らず、子どもたちは指名されれば発言をするのですが、今一つ自信がなさそげです。発言中も、発言後も表情はさえません。子どもたちの発言を価値付けすることが求められます。息を吹きかけると燃え方が変わることを発言したのなら、やや大げさでも「おお、『息を吹きかけると、燃え方が変わる』確かにそうだよね」と受容し、「息を吹きかけることで変化があるんだよね。そこに秘密がありそうだと気づいたんだ」というように価値付けするとよいでしょう。たとえ求める正解でなくても、発言のよいところ価値付けすることで子どもたちは安心して発言するようになります。子どもたちの発言を評価することを意識してほしいと思います。
授業はここで時間切れとなってしまいましたが、この発言をうまく焦点化していくことが次の時間の課題でしょう。

実験を通じて燃焼の定義を探っていく展開であれば、「燃やすものが違っても変わらないことは何か?」「現象に共通のこと、ものは何か?」という視点が必要です。燃焼を定義してから、金属は燃えるかどうかを考える展開であれば、「燃焼すると、酸素はどうなるの?」「何が酸素とくっついた?」といった問いかけから考えを深めることができるでしょう。
授業を通じてどのような力、見方・考え方をつけさせたいのかを明確にすると授業の展開がはっきりすると思います。

授業者は子どもの発言を大切にしようとしています。子どもの発言を優しく受容できます。だからこそ、発言の評価、価値付けが大切になります。このことを素直に受け止めてくれました。次回のどのように授業が変化しているか楽しみです。

この続きは次回の日記で。

目指す子どもの姿を明確にして授業をする

先日、中学校で授業アドバイスをしてきました。

3年生の社会はファシズムの学習でした。
授業者はファシズムの恐さをどのように子どもに気づかせるか、発問を相当悩んでいたようです。ヒトラーの演説に歓喜する聴衆の写真から子どもたちが気づいたことを取り上げ、ヒトラーの人気の理由を考えさせます。考えると言っても子どもたちは教科書や資料集からそれに関係のある言葉を抜き出しているだけです。調べることと、考えることを明確にしておかないと「考えろ」と言っても答えを探すようになってしまいます。
ヒットラーの政策と当時のドイツの置かれた状況を整理した後、ユダヤ人虐殺をドイツの人々はなぜ容認したのかを考えさせます。ファシズムの恐ろしさを子どもたち自身で気づかせようとして考えた発問です。
面白い発問ですが、まだ子どもたちの課題になっていませんでした。授業者に問われたから考えるのであって、なぜだろうと疑問に思っていないのです。「ドイツの人たちは残虐な人なの?」「君たちがドイツ人だったらどうした?」と、ちょっと道徳的ですが、揺さぶることも必要だったと思います。
この答は教科書や資料集には書かれていません。しかし、子どもたちは教科書や資料集で答を探しています。挙手で意見を求めても数名しか手が挙がりません。特定の子どもが発言するだけで他の子どもはあまり真剣に聞きません。その理由はすぐにわかります。授業者が一問一答で子どもたちに問い返しながら、反応する子どもの考えを誘導しています。求める答えが出た後は、授業者の一方的な説明が始まります。子どもたちは、参加しなくても授業者の説明とまとめを聞けばよいのです。自分なりの答が出せた子どもは友だちの考えが気になるので話を聞こうとしますが、そうでない子どもには聞く必然性がないのです。
授業者は、この発問の答を自分なりに一生懸命に考えてきたようです。アンネの日記の話なども準備していました。そのためどうしても用意したことを話したくなってしまうのです。教材研究を頑張ったことが授業としてはマイナスになってしまいました。準備したことすべてを使うのではなく、あえて省くという引き算の発想も必要です。
「子どもが考えたくなるような課題の設定や提示の仕方を工夫する」「考えるために必要な知識を整理して、どうやって与えるのかを考える」「子どもから出てくる発言を予想して、それをどうやって深める」。このような授業の進め方についてもエネルギーをかけることが大切です。
授業者は前向きで素直な方です。今後度の成長が楽しみです。

1年生の体育は笑顔の素敵な先生でした。バレーボールをバスケットゴールに向かって投げる的当てゲームの時間でした。
最初にウォームアップも兼ねて、ボールぶつけやしゃくとり虫、ジャンプなどを順番に行うサーキットを行います。子どもたちは遊びの要素があるのでとても楽しそうです。子ども同士の関係もとてもよさそうです。ただ、一つひとつの運動で何を意識するのかが明確でないので、活動しているだけになっています。特に、ボールぶつけはこの後の的当てのための練習でもあるので、ただ投げるだけでなく投げ方なども意識できるとよかったでしょう。
この日の主活動を説明するために集合させますが、子どもたちはのんびりと移動しています。集まってもすぐに整列して指示を聞く態勢になりません。ところが、この後活動を終えた後に再度集合する場面では素早く行動できました。授業者が早く集まるように指示を出したからです。子どもたちは授業者が意識して指示したことはきちんとできるのです。指示がなくても自分自身で判断して行動がとれることを授業者が目標として意識することで、子どもたちは大きく成長すると思います。
子どもたちへの活動の指示は授業者が一方的に話す形なってしまいました。時間と共に集中力が落ちていきます。試しに一度やってみようとしますが、1グループずつ別々に行い、他のグループは別の場所で活動します。ここは1グループでよいので、代表のグループにやらせ、それを見あうことで互いに学び合うことを意識させたいところでした。
グループの活動でも子ども同士のかかわりが弱いように感じました。よいプレーが出ても、ほめる言葉が仲間から出てきません。そもそも友だちのプレーを見ていない子どもがほとんどです。自分が活動していない時に何を大切にするのかを意識させる必要があります。中には積極的に友だちの投げたボールを拾って次に渡す子どももいますが、こういった行動が評価されません。授業者が意識して価値付けしないと子どもは互いに認め合えません。活動中に子どもたちのどんな姿を見たいのかを授業者が明確にすることが大切です。見たい姿を意識すれば授業のどの場面がポイントか、子どもたちの何を評価するのかがはっきりすると思います。
インクルーシブ教育の関係もあり、サブでもう一人先生がいますが、二人の連携があまりないのが残念でした。活動場所がグループごとに分かれていたので、意識して連携を取ることが重要です。特に一方が個別指導している時には、もう一方が全体の様子を見ていること求められます。互いに意識してほしいと思います。
授業者は力のある方なので、子どもたちに求める姿を意識すればすぐに授業は大きく改善すると思います。次回、授業を見させていただくことが楽しみです。

この続きは次回の日記で。

頑張りすぎないで

昨日は小学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は全学級の授業を見て、一人ずつアドバイスをさせていただきました。

全体的に子どもたちは落ち着いています。子どもに対して受容的な先生が多く、関係も良好です。笑顔でほめることのできる先生がたくさんいらっしゃいますが、「○○さんの△△がいい」と固有名詞で具体的にほめることはあまりできていないようです。子どもたち一人ひとりの様子をあまり意識して見ていないようです。全員が指示に従っていなくても次に進んでしまい、結果として「なんだ、指示に従わなくてもいいんだ」と授業規律が緩みかけている学級もあります。また、ほめることが具体的でないと、子どもが何をすればよいのか気づけないので、どうしてもできていない子どもを注意することになりがちです。そうではなく、「○○さん、すぐに顔を上げてくれたね、ありがとう」とほめ、それを見てまねした子どもにも、「△△さんも、早いね」「□□さんも」・・・、と固有名詞で具体的にほめることで授業規律を撤退させるとよいと思います。
声をかけて顔を上げさせても、先生が話し始めると集中力が落ちる学級が多いことも課題でしょう。授業規律が形式なっていて、顔を上げて先生と目を合わすのは何のためか意識させていないからです。「先生の方を見てくれてうれしいな。これから大切なことを話すから、よく聞いてね」「○○さん、しっかりうなずきながら聞いてくれているね」と授業規律の本質を意識することが大切です。また、授業者が指示して動かそうとするので、指示されないことはしなくてもよいと子どもたちが考える学級も目にします。指示に従えるようになれば、指示しなくても動けるようにすることが肝心です。「次に先生は何を言うと思う?」・・・「よく気づいたね。○○さんはもうやっているね」というようにして、徐々に指示を減らすとよいでしょう。

先生方は子どもの発言を大事にしようとしています。このことが教室のよい雰囲気につながっています。しかし、挙手に頼った一問一答が多く、子ども同士をつなぐことをしていないので、わかる子どもや自信のある子どもと先生だけで授業が進みます。発言者としっかり目を合わせ、発言をよく聞き、問い返しながら言葉を引き出そうとはしているのですが、その間他の子どもの様子が目に入っていません。友だちの発言に反応する子どももいるのですが、それに気づかず、すぐに自分で説明や板書を始めてしまいます。子どもが友だちの発言を聞いていても、そのことをほめられたり認められたりすることはありません。これでは発言を真剣に聞く価値がないので、友だちが指名されても他人事になります。発言を聞かずに一休みしたり、板書を写したりするようになります。また、先生方は発言を受容していても、その発言を価値付けすることはできていません。子どもたちにとって、発言することの価値も低いのです。これでは発言意欲は低下していきます。
それでも、子どもたちは先生のことが好きなので、誰でも答えられる問いかけや根拠が求められないような発問に対しては、先を争って挙手し、テンションが異常に上がります。一問一答で進むので、最初に指名されないと発言の機会がないこともテンションが上がる原因です。似たような考えの子どもや友だちの意見に納得した子どもをつないで、最初に指名した子ども以外にも活躍の機会を与えることが大切です。

気になる子どもを注意したり、個別に指導をしたりすることに追われている若手の姿を目にしました。一人を注意して次の子どものところに行くと、先ほどの子どもはすぐにもとの状態に戻っています。常にだれかを注意をしている、モグラたたき状態です。その間、自分のやるべきことが終わった子どもたちは所作なさげにしています。この状態が続くと他の大多数の子どもたちの気持ちが先生から離れてしまいます。まずは、全体の子どもたちと関係をつくってから、気になる子どもに時間を割くようにするとよいでしょう。無視しているようで気持ち的に難しいとは思いますが、一時的に手をかけないという選択肢もあることをわかってほしいと思います。

先生方は、どなたも素直に私の話を聞いてくださいました。前向きな言葉をたくさん聞くことができました。「頑張ります」と言って席を立たれる先生が多かったのはうれしいことですが、ちょっと肩に力が入り過ぎているようにも感じました。頑張りすぎない、無理をしないことも大切なことです。指摘された全部のことをやろうとするのではなく、一つでいいので、とりあえずやれそうなことに挑戦してくれれば十分です。次回の訪問を楽しみにしたいと思います。

教務主任は1日中私と一緒に学校を回ってくれました。個別のアドバイスにもすべて立ち会ってくださいました。情報過多状態で、私以上に疲れたことと思います。すぐに整理しようとせずに、2、3日してから振り返ってみるとよいと思います。その時思い出せたことが、本当に納得できたこと、腑に落ちたことだと思います。それを整理して、今後の方針を決めていただければよいと思います。教務主任にも「頑張りすぎないで」と声をかけたいと思います。

授業改善へのエネルギーを感じる

前回の日記の続きです。

高校2年生の英語はコミュニケーションの授業でした。
表情のよい子どもたちが多いことが印象的でした。特にペアで活動している時はよい笑顔がたくさん見られます。子ども同士の人間関係のよいことがわかりますが、一部の男女のペアで距離を取っているのが気になりました。かかわりを促すような働きかけが必要でしょう。
授業者は私が見ているので緊張していたのかもしれませんが、表情が少しかたいようでした。子どもたちも、授業者が話している時にあまり顔が上がりません。子ども同士での活動の時と比べて表情が今一つです。そのせいか、活動の指示が上手く伝わりません。活動に入った時に、まわりの子どもに何をすればよいのか聞いている姿が目につきました。顔を上げさせてこちらに集中させることと指示の確認が必要でしょう。子どもたちは決して英語に対してやる気がないわけではありません。英語ができるようになりたい、わかりたいと思っていることが子ども同士での活動の姿から伝わってきます。課題は子どもたちとの関係です。このことを意識することで授業の様子は変わっていくと思います。具体的には、笑顔で子どもたちの行動をポジティブに評価し続けることです。

子どもたちに発音を注意して全体で練習させます。この時、「ここができていない」という表現で注意をしました。注意をする時は原則として、「こうするとよい、もっとよくなる」ということを伝えるとよいでしょう。気持ちを前向きにすること、具体的にどうすればよいか次の行動がわかることが重要です。また、途中で「さっきよりいいよ」と声をかけますが、何がよいのかよくわかりません。「さっきより大きな声が出ているね、いいよ」というように、何がよいのかを具体的にすることが必要です。また、「○○さん、口がしっかり開いているね。いいよ」と固有名詞でほめるとほめられたことがよくわかりますし、誰のまねをすればよいのかもわかるので、よい行動が広がります。
読み方の練習では教科書を読ませるのでどうしても顔が下を向き、声が出にくくなります。また、口元もよく見えないので誰がしっかりと声を出しているかわかりません。この日は後半でプロジェクターを使っていましたが、そうであれば最初から教科書をスクリーンに映してそれを見て読ませるとよかったでしょう。ICT機器のこういった使い方も覚えてほしいと思います。

動画を見せて、その内容をもとにワークシートの質問に答える場面がありました。まわりと確認するのですが、動けるのはできている子どもだけです。確認と言われても、書けていない子どもはなかなか自分からは動けません。また、机が離れていることもかかわりにくいことの要因となっています。隣同士しっかり机をくっつけるよう指導してから活動をするとよいでしょう。
答を確認し合うだけでは、わからなかった子どもができるようになるわけではありません。できない子どもができるようになる場面をつくることも大切になります。このことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

授業者は非常に素直にアドバイスを受けて止めてくれました。私が指摘した子どもたちの表情や様子についても、自分で気づき課題と認識していました。子どもたちをよく見ることができています。英語科はチームワークがよく、同僚から教えてもらったり相談したりできると話していましたので、きっと課題を解決しながら成長してくれることと思います。

高校1年生の国語の授業は対比を意識して読み取る場面でした。
前回の私のアドバイスを受けて、文を読み取るための力を意識していました。今回の授業では「対比」がキーワードです。対比を意識しているのですが、基本は一問一答になっていました。授業者が求める答が出てくると、すぐに説明し始めます。このことを教えなければという気持ちが勝ちすぎて、どうしても一方的にしゃべり続けてしまうのです。テンションが上がっていき、子どもたちもその圧に負けてしだいに顔が下がってしまいます。しかし、説明することだけに意識がいってしまい、子どもたちの顔を見る余裕がなくなってこのことに気づきません。授業者の結論を一方的に子どもたち説得し続ける授業になってしまいました。
子どもに考えさせる場面をどうつくるかを意識してほしいと思います。課題を解かせる場面だけでは不十分です。わからなかった子どもがわかる場面や全員で考えを深める場面が必要です。結論ではなく、どのように考えたかという過程や根拠を問う。発言に対してどう思うか他の子どもとつなぐ。こういったことが大切です。
授業者は授業を改善する意識はありますが、授業の構成や発問に意識がいってしまい、子どもたちが考えるために何が必要かを意識できていませんでした。教師ではなく子どもの活動を意識することを強くお願いしました。

この日授業を見せていただかなかった先生とは、校内を一緒にまわりました。教室ごとに子どもたちは集中しているか、考えているかといったことを問いかけながら授業を見ていただきましたが、子どもの様子から自分の授業ではどうだろうかと、自分の教室で起こっていることに思いを巡らせていました。子どもの状況を判断することは、授業改善の第一歩です。このことに気づいていただけたと思います。次回授業を見せてもらうのが楽しみです。

学校はどの学年も基本的によい状態です。しかし、一部ではありますが、一方的に先生がしゃべり続ける授業では、既に子どもたちが授業から離れてしまっている状態が見受けられました。個人や教科の問題ではなく、担任や学年(学校)全体の問題ととらえる必要があると思います。
ちょっと気になったのが、高校1年生です。とても明るく、いい意味で子どもらしい学年です。子ども同士の関係もよさそうなのですが、授業中どの学級でもまわりを跳び越えて遠くにいる子ども同士がつながる場面が目につくのです。オリエンテーション合宿で子ども同士の人間関係ができ、それがそのまま授業に持ち込まれているようです。授業では生活面とは関係なく、だれとでもかかわれることを意識することが大切です。このことを忘れると、孤立して不適応を起こす子どもが出やすくなるので注意が必要です。
また、中学校では同じような場面で子どもたちの態度が大きく異なることが気になりました。授業者が説明をしている時に私たちが廊下を通り過ぎるとそれに気づいて何人かの子どもがこちらを見ました。その後、子どもたちがすぐに集中を取り戻し何事もなかったように授業に戻る学級と、次々に他の子どもたちがこちらに気を取られてなかなかおさまらない学級とがありました。どちらの授業者も特に子どもたちに声は掛けていません。子どもたちが授業者の話を大切だと思っているのかどうかの差かもしれません。少なくとも集中が戻らない学級では授業者が一声かけるべきでしょう。授業者の問題と言ってしまえばそれまでですが、子どもたちは実に素直にその時の状態を表します。高校受験のあるなしも関係するとは思いますが、中学3年生になると授業者の差が子どもたちの態度の差となって表れにくくなるのが普通です。授業者個人の問題とせずに、子どもたちの成長の問題ととらえて、学年(学校)全体で取り組んでほしいと思います。

この日は、中学校の新教科と来年度から特別の教科になる道徳について相談を受けました。
新教科では、言語技術についての取り組みから始めています。主語と述語を見つける課題に取り組ませたところ、全問正解から3割ほどしか正解できない子どもまでかなりばらつきがあったようです。この差をどう埋めていこうということが話題になりました。これだけの差を個別に教師側で対応するのは難しいと思います。また、全問正解の子どもでも感覚的にわかっているだけできちんと説明できるかどうかは疑問です。できた子どもには間違えた子どもが納得できる説明をする。間違えた子どもはその説明を聞いてできるようになる。このことを意識させて子ども同士をかかわらせる場面をつくることをアドバイスしました。
また、この新教科を何コマかをまとめて行うのか毎週1回行うのか、どちらが効果的かも悩んでおられました。特に言語技術のような内容はどの教科でも意識させたいものですから、週1回でよいので、すべての教科で機会を見つけて取り上げていただくとよいと思います。たとえば数学なら、問題文で何が問われているかを確認するときに主語と述語を意識させるといったことです。新教科で何を扱っているかを伝え、それを意識したことをほんの少し授業に取り入れてもらうのです。校内ネットワーク上でこのように扱ってみたという実践の簡単な書き込みをしてもらい、互いに参考にし合えば広がっていくと思います。
道徳については、今までほとんど実践していなかったためどのように進めていけばよいのか戸惑っているようです。優れた道徳の実践はたくさんありますので、そういったものを参考にしてとりあえずやってみることが大切だと思います。意識してほしいのは、子どもたちを変えよう、このように考えさせようとすると先生の求める答探しをするようになってしまうことです。まずは本音を引き出し、子どもたちの心を耕すことを目標としてほしいことをお伝えしました。
相談者の方々からは大変だけど楽しいという言葉が出てきました。このような言葉をこの学校の先生方から聞くことが増えてきました。先生方の前向きな姿勢がこの学校の推進力となっています。どのように学校が変わっていくのか毎回とても楽しみです。

子どもたちが考える授業にする

私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。この日は今年度採用者と若手を中心に授業を見せていただきました。

1年生の歴史の授業は秦の時代の学習でした。
秦の時代の官僚による地方統治である郡県制と周の封建制とを比較しました。周の封建制を図にしたことを思い出させ、図にするとどうなるかを子どもたちに問いかけますが、すぐに自分で図を書き始めます。前回の図を確認させ、違いがわかるような図を子どもたちに書かせるといった課題を与えないと、子どもたちが考える場面がありません。単なる制度の比較だけでなく、なぜ変更する必要があったのかを問いかけたいところでした。

子どもたちに意見を聞いても、数人の挙手で指名して、すぐに正解と言って解説を始めます。子どもたちは発言者を見ずに、授業者の方を見て説明を待ちます。しかし、板書が始まるとそちらを写す方を優先します。授業者は子どもの顔が上がっていない状態でもしゃべるのをやめません。この場面で子どもたちどうあってほしいかが意識されていないのです。

この日の中心の課題である「万里の長城はなぜつくられたか」を個人で考えさせた後、6人のグループで順番に発表させ、班長がまとめて発表します。
子どもたちは、教科書や資料を見ながらその内容を写すだけで、写し終ると手持ちぶさたにしています。グループでの発表は指定された順番に行うのですが、発表者は書いたものを読み、他の子どもたちは自分の手元を見たままで視線が交わることがありません。班長の発表も「匈奴から守るためにつくった」といったものばかりが順番に出てくるだけでした。
授業者は子どもたちに、万里の長城について考察させ、子ども同士で考えを交流させたかったようですが、この発問、活動ではグループを使っても一問一答形式の答探しと変わりません。子どもたちはこれまでの社会の授業で資料をもとに考えることをあまり経験していないようです。社会的なものの見方・考え方が育っていません。基本から始める必要があります。まず、事実(知識)を教科書や資料から見つける、そしてそれを元に考えると段階に分けて、考えるステップを教える必要があります。
教科書や資料を見ればわかる「匈奴から守るためにつくった」という事実は、子どもたちに見つけさせ、どこに書いてあるかを確認して全体で共有すればよいのです。この基本となる知識をもとに考えさせるのです。例えば、万里の長城がどのくらいの長さかを確認して「こんな壮大な物をつくるのにものすごくお金も労力もいるよね。そんなに匈奴は脅威だったの?どのくらいの勢力だったの?こんなことをする必要がほんとうにあったの?」と言ったことを問いかけて揺さぶり、資料をより詳しく調べたり、考えたりすることを求めるのです。

グループは生活班でしたが、学習のグループと生活班は分けた方がよいでしょう。学校生活のすべての場面で生活班が基準となると逃れない関係になってしまいます。生活の中で誰とでもうまく関係がつくれる必要はありません。しかし、授業ではどんな子どもともかかわれることは身につけさせたい大切な力です。生活班を授業に持ち込むと、そこでの関係が持ち込まれて上手くかかわれなくなってしまう危険性があるのです。

グループでの交流は、友だちの考えを聞くことを中心にします。手元を見るのではなく、友だちの顔を見て聞く・話すことをルールにし、司会者は設けずにフラットな関係で進めるとよいでしょう。原則、結論を一つにまとめることはせずに、それぞれの考えを深めることを目指します。一つにまとめることで、せっかく出た多様な意見が消されることも避けられます。もし、一つにまとめるのであれば、決定のためのプロセスを明確にすることが必要です。そうでなければ決定要素(根拠)がないため、恣意的に決まってしまうからです。学習では挙手などで結論を出すことは避けなければいけません。常に根拠を求めることが必要です。

全体での発表は、グループの意見ではなく自分の考えを求めることが必要です。個人を指名して、「グループではどんな意見がでた?」「あなたは、その中でどれが一番納得した?」といった聞き方をするとよいでしょう。グループを順番に指名するのではなく、「似たような意見が出たグループは?」と似た考えをつないで発表させ、同じところ、異なるところを焦点化して深めていくことも大切です。

授業者は子どもたちに考えさせたいと思っていますが、考えさせるための方策を持っていません。ただ課題を与えてグループにすれば考えると思っているように見えました。また、基本は一問一答型で子どもに答えさせた後は、自分の説明で全員にわからせようとする説得型の授業です。授業者の理路整然とした説明よりも、たどたどしい説明を「今の説明どういうこと?」「どう説明すればよいの?」と子どもたちが自分たちで理解しようとし考える場面をつくることで、教師の無駄のない説明よりも深く理解できます。先生が説得する説得型でない、子どもたちが自分たちで納得する納得型の授業を目指してほしいと思います。

授業後アドバイスをしましたが、授業者は素直に聞く姿勢を見せてくれました。これまでこういった視点で授業を考えたことがなかったようです。次に授業を見せていただく時にどのような変化をしているのか楽しみです。

この続きは次回の日記で。

記録は注意する材料ではなく成長を見守るためのもの

学校では、子どもたちの忘れ物や提出物などをチェックして記録することがよくあります。3回忘れ物をしたら、ペナルティを課すといった先生もいらっしゃいます。
このようなチェックを全面的に否定するつもりはありませんが、少し考えてほしいことがあります。それはこれが子どもたちにとってネガティブなものになっていないかです。多くの場合、記録はよく忘れる子どもを注意するための情報源になっています。「○○さんは忘れ物が多いので気を付けてあげてください」と保護者に対してお願いをする時のエビデンスとして利用されることもあります。保護者が事実を知って、子どもを注意する材料になっています。きちんと提出するのがあたりまえのことなので、できている子どもがほめられることはあまりありません。先生も、○○さんは忘れ物が多い、どうしようと記録を見てため息をついています。これでは、だれの気持ちも明るくなりません。

なんとか忘れ物をなくしたいと思っての手法ですが、注意することで行動を変えようとすることは、言われたからやるという行動パターンにもつながります。自主性が育ちにくいのです。チェックされるからではなく、忘れ物をしないように自ら意識できるようにすることが大切です。
具体的には、子どもたちをほめる材料にすることを意識するのです。例えば何日か続けて忘れ物が無ければシールをあげるといったやり方です。注意をしてほしいのが、全員が忘れ物をしないことを目標として強く押し出さないことです。ある子どもが忘れ物をして達成できなかった時に、その子どもが非難される恐れがあるからです。たまたま全員が忘れ物をしなかった時に、「すごい」「うれしい」と喜ぶくらいがよいでしょう。
では、忘れ物をした子どもにはどう対処すればよいでしょうか。忘れないためにどうするのかを一緒に考える姿勢で接します。どうしたら忘れ物をしないか一緒に考えてあげるのです。4月の時期であれば、忘れないためにどんな工夫をしているか、するとよいかを全体で共有することも必要でしょう。忘れ物が多い子どもに対しては忘れ物が減ったことをほめるようにします。記録はそのために使うのです。
保護者に対しても、「○○さんは頑張って忘れ物が減っています。ゼロになるまでもう一息ですので、見守ってあげてください」といった伝え方をすると、自然と協力していただけると思います。

全員の忘れ物をなくそうと意気込む先生も多いと思いますが、ほめて育てていくことで忘れ物は減っていくはずです。「全員」と力を入れ過ぎず、できない子どもに対しては、根気よく長い目で見守ってほしいと思います。記録は注意する材料ではなく、子どもの成長を見守るためのものと考えてほしいと思います。

社会人に必要な力を学校でどうつける

新社会人対象の研修をしていて感じたことを書きたいと思います。

提出期限がある課題をさせた時に、期限までに完成することを目標としているということです。時間が足らなくて内容に少々不足があったとしても、とりあえず形を整え、時間内に完成すれば課題をクリアしたと考えているようでした。発表であれば、その時間に発表できればよしということです。出来栄えは二の次で、提出、発表することが目的となっています。また、グループの課題ではすぐに役割分担をして個人作業で進めます。効率的に完成させることを優先しているのです。
仕事となれば、これでは困ります。内容、結果に責任が生じます。少しでも良いものにすることが求められますし、そもそも求められるレベルに達していなければ話になりません。提出すること、発表することが目的ではありません。このことを理解していないのです。
締め切り直前に提出され、手直しさせるにも時間がないため徹夜でやり直した。せめて、修正する時間を見積もって仕事をしてほしいという上司の嘆きも耳にします。
だからと言って「最近の若い人は……」と非難するつもりはありません。逆に彼らに申し訳ないと頭を下げたくなるのです。それは私たちが彼らに与えてきた教育の結果だと思うからです。

学校では、課題を期限までに提出させることに重きを置いていることが多いのではないでしょうか。提出期限までに出さない子どもに対して、何とか提出するようにしつこく働きかけ、時には居残りさせても完成させようとします。とりあえず提出することが目標となっています。手抜きに対して再提出させることはあっても、基本提出すればそれでOKで、評価はA、B、Cといった簡単なものがほとんどです。評価して、それをもとにより良いものに仕上げさせるといったことはまずありません。
まずはきちんと提出させることが基本だ、課題をきめ細かく評価するというのは時間的に無理だという声が聞こえてきそうです。その通りだと思います。ただ、課題に取り組むにあたって、修正・改善するという活動を取り入れてほしいのです。総合的な学習の時間などはそのよい機会だと思います。発表がゴールとなる活動では、途中に中間発表を入れて評価し合い、ブラッシュアップする時間を設けるのです。活動の最後に反省しても、次にそれを活かす機会はなかなかありません。中間発表を入れることで修正・改善するという過程を組み込むのです。

また、グループで何かを創りだす活動に関しては、協力することのよさをきちんと価値付けしていないことが多いように思います。課題を達成することが目的化して、課題達成のために何をやったか、よりよいものにするためにどのような工夫をしたかが問われていないのです。結果を評価することはあっても、過程を問う場面に出会うことはあまりありません。子どもたちが仲間と一緒に取り組むことのよさを意識する場面が必要なのです。
課題に取り組むことで自然に気づくことができるのが理想ですが、それほど簡単ではありません。課題の与え方にそれなりの工夫が必要になります。そこで、作業を分割するというのが一つの方法になります。目的・目標をグループで共有する時間をつくる。続いて、それを達成するためにどんなことが必要か、どんな工夫をするのかといったことをグループで相談し、それが終わってから作業を分担するのです。
仲間と知恵を出し合うことで新たな気づきがある。互いの考えをキャッチボールすることでより考えが深まる。そういう体験を意図的に積ませることが必要です。

私が出会った新社会人はとても優秀でした。研修を通じて目に見えて成長します。今までこういったことを考える機会がなかっただけなのです。
学校教育では、社会で必要な力をつけることが求められています。先生方がその力を意識し、教育活動のどの場面で身につけさせるのかを考えてほしいと思います。

子どもたちが落ち着いていることが、先生の成長を妨げる!?

今週の始めに。今年度授業アドバイスを行う予定の中学校の授業公開に参加しました。まずは学校の現状を知るためです。

市全体で学び合いを進めている地区の学校で、子どもたちはとても落ち着いています。グループでの活動も手慣れたものでした。
2年生は道徳、3年生は特別活動の時間でした。気になったのが視線です。視線が発表者の方に向かっていない子どもが目に付くのです。友だちの発表をきちんと聞こうとしていないように見えます。中には素早く発表者の方に体を向ける学級もあるのですが、向きを変えるだけで集中しているようには見えません。子どもたちが友だちの発言を聞こうとしていない理由の一つに、授業者が発表者とだけやり取りし、発言を他の子どもたちにつないでいないことがあります。聞くことの価値がないのです。
一方、授業者の視線も、子どもたち一人ひとりに向いていません。何となく全体を見ているか、発表者だけを見ているのです。子どもたちが今どういう状況か知りたいという気持ちが感じられません。聞いている子どもの反応をもとにどの子どもとつなごうか、次はどう展開しようかと考えていないのです。また、一人ひとりに注意を払わなくても子どもたちが落ち着いていて、スムーズに授業が進むので、先生方は一向に困らないのです。
特に道徳では、子どもの反応をよく見ないと、ここで揺さぶる、もう少し他の子どもにつなげるといった次の展開を決めることができません。先生方が子どもの考えを深め、本音に迫りたいと思っているのか疑問でした。道徳以外でも子どもの状況や反応にかかわらず、予定している一つの流れにそって進めている授業が多いように感じました。

また、どの授業でも、一つひとつの活動のねらいが明確になっていないように思いました。各場面で、子どもにどうあってほしいのか意識されていないことも、先生方が子どもたちをよく見ないことの原因のように思います。
例えば、1年生の理科の花の観察の場面では、一人ひとりが異なる花のレポートをグループで机をくっつけて書いています。子どもたちはそれぞれで教科書のレポートのテンプレートを見ながら項目を埋めています。友だちとかかわる姿はありません。完成後に交流するのでしょうが、この場面でグループを使うことで子どもたちつけたい力は何でしょうか。テンプレートを見れば困らないので友だちとかかわる必然性はあまりないようです。グループであることを特に意識した活動でないのなら、つけたいのはテンプレートにそってレポートを書く力でしょうか。それともレポートの書き方そのものを覚えることなのでしょうか。確かにそれらも必要でしょうが、まずは何のためにレポートを書くのか、そのためにはどのような要素が必要なのかを考えることが大切だと思います。
途中から見たので、考える場面があったのかもしれませんが、少なくとも黒板には観察の視点やレポートに必要な要素などは残されていませんでした。子どもたちはひたすら教科書を見て書いていますので、こういったこと意識しているようには見えません。この時期ですから、初めての観察、レポートだと思います。理科の観察は何のためにするのか、レポートにどんな目的があるのかをまず考えさせることから始めてほしいと思います。そういったことを考えるのであれば、グループが活かせます。個別にレポートを書くにしても、友だちが何を書いたか、自分と比べてどうなのかといったことが気になるので自然と話し合うことになると思います。友だちのレポートや教科書の例と比較することで、理科的なものの見方・考え方が身に付くと思います。
レポートやまとめを書く場面は理科に限らずいろいろな教科であるはずです。社会科など、他の教科のレポートと比較をするといったことも面白いと思います。他の教科と連携を取ることで、教科を越えた学びにつながると思います。

グループや全体の話し合いの場面では、結論が共有されることが多いように感じました。根拠や過程が大切にされていないように感じます。作業が目的化して、答探しや穴埋めをすることがゴールだと思っているように見えました。子どもたちは、先生が自分たちに何を求めているのかよく知っています。先生を見抜いています。子どもたちが聞く姿勢をとればそれで聞いていると先生が思っていれば、子どもたちは発表者の方を向くだけでしっかり聞こうとはしません。子どもたちの姿は、先生が求める姿と重なるのです。

この日の授業者は若い方が多かったのですが、指示の仕方や授業規律のつくり方といった基礎的な技術が未熟でした。先生が特に意識しなくても、最初から子どもたちが落ち着いているので、こういった技術を身につける必要性がないまま、経験年数だけが増えているようです。この市の他の学校でも同様の傾向を感じています。

今回訪問させていただいたおかげで、校長と課題を共有することができました。語弊があるかもしれませんが、子どもたちが落ち着いていない方が先生方に課題意識があるので授業改善は進みます。先生方に課題意識を持っていただくためにどのようなかかわり方をすればよいか悩みます。
校長と密に相談しながら、授業改善を進めていきたいと思います。

できない子どもができるようになる場面をつくる

間が空きましたが、前回の日記の続きです。

授業研究は、2年生の国語で「しかけカード(開くと立体的になるカード、ポップアップカード)」の説明文の工夫について考えるものでした。子どもたちが、説明文をもとに「しかけカード」をつくる活動をした後の授業でした。

授業者は、子どもたちが授業の準備に気を取られて、まだ聞く準備ができていないのに説明を始めました。準備が終わるとちゃんと集中できる子どもたちでしたので、少し待ってから話すとよかったと思います。
ワークシートを配った後、よい姿勢を取るように指示しますが、この時期であれば指示しなくてもよい姿勢が取れるようになっていてほしいと思います。いつも子どもたちに指示をしていると、指示がないことはやらなくてもよいと思うようになります。子どもたちが指示に従えるようになったら、指示をしなくても動くようになることを目指してほしいと思います。
「分かりやすいせつめいのくふうをみつけよう」とめあてを板書して、ワークシートに写させます。素早く書いてよい姿勢を取る子どももいますが、なかなか終わらない子どもも目に付きます。授業者は黙って待っていますが、早く書くことを求めることも必要です。一つひとつの活動に対して、子どもたちにどうなってほしいという目標を意識することが大切です。
「漢字は読める?」と確認してから、全員で読ませます。続いて、「工夫ってどういうことかわかる?」と問いかけますが、子どもたちの反応はありません。「あんまり、ぱっとわからないね」と言ってから、「昨日カードをつくるのに教科書見たね」と教科書を開くように指示をします。該当部分を印刷した紙を貼って、「昨日、ぱっと作れた?見ながら作った?」と話しますが、相変わらず子どもたちは反応できません。「みんながカード作れたのは、なぜ?」と質問しますが、どう答えてよいのか戸惑っています。授業者が何を説明しているのか、何を求めているのかよくわからないのです。「写真で説明していていると文だけよりわかりやすいね」と、授業者が一方的に説明を続けますが、なぜこの説明をされるのかよくわからないので、子どもたちには話の先が見えません。理解させたいことと、理解させるための活動を明確にして授業を組み立てる必要があります。

「工夫」の概念を理解させたいのであれば、その「工夫」がない場合と比べてどちらがわかりやすいのかを考えさせるとよいでしょう。どこが違うのかを言わせ、こういうことを「工夫」というと説明するのです。逆に、わかりやすくするために、どんなものを使っているか、どんなことをしているのかと、「工夫」を使わずに問いかけ、最後にこのようなことを「工夫」というと定義してもよいでしょう。
授業者は、「写真があるといいね、これが作者の工夫です」とまとめます。結局、工夫という言葉を説明せずに、めあてに対する答の例を示す形になりました。これでは言語感覚は育ちません。問いの答を探すことが学習になってしまいます。

授業者はわかりやすい説明の工夫を見つけることを指示しますが、「何個もあるのでたくさん見つけるように」と説明を加えるなど、言葉を何度も重ねるので、子どもたちは何をすればよいのかよくわからなくなっていました。
子どもたちが活動を開始するまで17分も経ってしましたが、その間子どもたちはよい姿勢を取り続けていたのが印象的です。子どもたちと授業者の関係は決して悪くはないのです。それだけに、指示を簡潔なものにしていれば、子どもたちの様子は大きく違っていたと思います。

活動をするように指示した後、すぐに鉛筆を持つ子どもがあまりいません。何をすればよいかよくわからないのです。ここまで、授業者はずっとしゃべっていましたが、ポイントとなることが黒板にも子どもの手元にも残っていません。黒板を使って整理をしたり、子どもの言葉で言い直させたりといったことが必要でした。
途中で手の止まっている子どもの姿が目に付きます。することがなく手持ちぶさたにしています。できた子どもには次の指示をしておくことが必要ですし、何をすればよいのか困っている子どもには、何らかの手立てが必要でした。授業者は5分間と指示をしたので、それまで待っていましたが、子どもの状態によって途中で切り上げるという判断もあったと思います。
続いて、グループで発表させます。まず一人ひとりが順番に自分の見つけたものを発表してから、話し合うようにと指示します。授業者は、「難しかった、書けなかったという人もいたと思います」と指示する前に言っていたのですが、「発表して」と指示することで、書けなかった子どもが何もできなくなることに気づきません。また、話し合うと指示しますが、何を話すのかは具体的に指示されていません。手のつかなかった子どもが悲しそうな顔をしていました。
子どもたちが机をくっつけてから、グループで意見をまとめて発表するように追加で説明します。子どもの勢いをそいでしまうので、グループになる前に指示した方がよいでしょう。
結局答を出せた子どもが発表し、ペンを持った子どもが発表用の透明シートに写すだけです。参加できない子どもが何人もいます。答を見つけられなかったのですから当然です。できなかった子どもができるようになる場面を作ることが必要です。
グループの代表者を前に並ばせて順番に発表します。発表者は教室の斜め前に立ってシートを読み上げるだけです。声が小さいこともあり、聞いている子どもたちは何を言っているのかよくわかりません。聞く側の役割もハッキリしないので、反応もできません。だれも参加できない場面でした。せめて、自分たちと違う考えはあるか、同じものはといった視点を持たせることが必要でしょう。そのような視点を持たせるのであれば、代表者がグループの意見のまとめを持って前に並んでいるというのでは困ります。
できる子ども、できた子どもだけが活動し発表するだけになりました。

工夫を見つけるためには、まず工夫とはどういうことかその概念を理解させることが必要です。そのための活動、場面をつくらなければなりません。また、ただ工夫をみつけて発表するだけでは考えは深まりません。その工夫が、「しかけカード」をつくる過程のどこでどのように役立ったかを意識させ、工夫をグルーピングして、子どもの言葉で整理させたいところでした。このような経験を積み重ねていくことが、子どもたちが説明をする力をつけていくことにつながります。
単元のねらいを意識して、授業を構成していくことが大切です。ねらいとそれを達成するための活動を明確にした授業を意識してほしいと思います。

新年度になりました

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