受容だけではテンションが上がる

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度2回目の訪問でした。3人の先生の授業を見せていただきました。

1年生の授業は算数の数の大小の応用の問題でした。
子どもたちの授業規律は悪くないのですが、授業者がしゃべる時間が長いと子どもたちの視線が下がることが気になります。子どもたちの発表の場面では逆にテンションが上がりすぎます。授業者が子どもたちをしっかりと受容しているので、子どもたちの発言意欲が高いのです。ただ、これだけテンションが上がるのには理由があるはずです。どうやらそれは、子どもの発言が不十分でも授業者が修正して認めてしまうことにあるようでした。例えば、数の大小の理由を「4と5を比べた」と子どもが説明すると、「いいね、10の位を比べたんだね」とすぐに修正して認めます。通常子どもは、自分の言葉を勝手に変えられると認められたように思わないのですが、授業者がしっかりと受容するので気にならないようです。とにかく発言すれば認めてもらえるのでどんどん発言しようとするのです。この場合であれば、「4と5を比べたって、どういうこと?」と問い返し、本人に言葉を足させる必要があります。発言しっぱなしにさせずに、適度なストレスをかけるのです。こうすることで、テンションは下がるはずです。
子どもの発言を認めますが、結局説明は教師がしています。しゃべる時間が長いのです。子どもたちは先生の説明の間は活躍する場面がないことを知っているので、受け身が続くと集中力を失くし視線が下がるのです。
授業者は上がったテンションをすぐに下げることもできるの、騒がしくて収拾がつかなくなるということはありません。子どもの発言を「それってどういうこと?」と聞き返す、「今の意見になるほどと思った人?」とつなぐようにすると、子どもたちの様子は変わると思います。
お店の商品を50円で買えるかどうかが課題です。「買える」「買えない」の理由を問うのですが、どのレベルを求めるのかが問題です。「○○は50より大きい」「小さい」、「50が○○より大きい」「小さい」という答でよしとしています。ここは、もう少し深める必要があります。「商品の値段より持っているお金が大きいか同じでないと買えない」ことを押さえる必要があります。「買える」「買えない」といった生活に即した問題を算数の抽象の世界につなげる過程を大切にすることで応用力をつけるのです。では、どのようにすればよいのでしょうか。よく使われるのが「何?」で聞くことです。「○○って何?」「△△の値段」「50って何?」「持っているお金」「△△の値段と持っているお金がどうなの?」「△△の値段より持っているお金が大きい」「△△の値段より持っているお金が大きければ買えるんだ」「同じだったら?」「同じでも買える」「△△の値段より持っているお金が?」「大きいか同じだったら買える」といったやり取りを発言者や他の子どもたちとするのです。
うっかり数の大小を間違った子どもがいました。他の子どもに確認し、「間違っちゃったね」と指摘しました。その後、間違ってもいいんだよということを繰り返してフォローしましたが、その子どもは席につくと伏せってしまいました。発言すれば絶対認めてもらえる予定だったのにその逆の結果になったからです。授業者はフォローしたつもりだったのですが、「間違った」という言葉を何回も使ったので、逆に強調したことになってしまいました。「間違い」はそのことを指摘するのではなく、自分で気づかせ修正させることが基本です。例えば、「48は50より大きい」と間違えたのなら「48は50より、お、お、き、いんだ」とちょっとゆっくり繰り返せば、本人が気づいて修正すると思います。修正したら「ああ、小さいんだね」と笑顔で返してあげれば、本人は失敗したと思いません。ちょっとしたことですが、大切にしてほしいことです。この後、隣の席の子どもが、何度も声をかけていたことが印象的でした。声をかけられても、なかなか反応できませんでしたが、こういう声かけをしてくれる子どもがいるのはとてもよいことです。机間指導の時などに、「声をかけてくれてありがとう」と伝えておくとよいでしょう。

授業者には、次のステップとして、自分ですべて説明しようとせずに子どもの言葉を活かすこと、子どもに返す、子ども同士をつなぐことを意識してほしいことをお願いしました。素直な方なので、きっと大きく成長してくれると思います。

この続きは明日の日記で。

総合的な学習の時間について考える

中学校の学校公開日で、授業を参観してきました。

子どもたちは落ち着いているのですが、若手の授業で集中力が感じられません。顔を上げているのですが、視線が先生に向かっていません。授業者も全体を見てはいるのですが、子どもたち一人ひとりに視線を送っていません。形だけの授業規律に終わっています。
子ども同士の関係はよいので、グループにすればかかわり合うこともできるのですが、理解したい、解決したいというエネルギーを感じません。取り敢えず相談しているという印象をぬぐえませんでした。

1、2年生の総合的な学習の時間の発表がありました。
1年生は、職業について自分たちが調べたことを学級全体に対してグループごとに発表します。子どもたちは、取り敢えず前を向いているのですが、友だちの発表を理解しようという感じではありません。ここでも視線が上がらない子どもが目立つのです。発表者も用意した原稿を読んでいるだけなので、顔が上がりません。この発表会の目的や目標が子どもたちに意識されていないことが気になりました。
発表者は、誰に何を伝えるのかを明確に意識しなければいけません。同じように活動した学級の仲間なのか、この日来られた参観者の方なのかがよくわかりません。また、発表は原稿を読むことではありません。例え原稿を見ながらでも、口を開く時は聞き手と目を合わせることが大切です。こういった指導がされていませんでした。対象が参観者であっても、そこにいる子どもたちが聞く意味がなければ、ただ何も考えずに座っているだけになります。自分たちがそこに存在する意味を明確にすることが大切です。
仲間に伝えるのであれば、仲間が知らなかった情報を提供する、自分たちと一緒に考えてもらうといった目標が必要です。聞き手もそのことを意識することで、仲間の発表を評価できます。参観者を対象とするのであれば、発表者以外の子どもたちの役割が不明確です。こういう場合は、参観者の立場で聞き合う発表練習を事前に行い、互いの発表をブラッシュアップするとよいでしょう。どうすればよくなるかを伝え合って、本番までに発表をバージョンアップするのです。本番では、自分たちが意見を言ったので、発表がどのように変わったかが気になるはずです。よくなったことを見つけるという目標が生まれます。

2年生は、職場体験をもとに、「なんのために働くのか」というテーマで、学級の代表者によるパネルディスカッションを子どもの司会で行いました。お世話になった職場の方もお呼びして最後にコメントをいただくというものです。
子どもたちは自分の考えを発表します。中学生らしい意見が発表されます。発表後、相手の意見に対して質問をしていきます。上げ足の取り合いに見えるものもあります。わからないことを質問するのはよいのですが、ディスカッションはディベートではないので相手の考えを否定して自説を通すことが目的ではありません。意見を交換することを通じて課題を解決したり、考えを深めたりすることが目的です。その方向性がはっきりしていないことが気になりました。ディスカッションでは司会の役目が大切です。パネラー同士で勝手に話が進んでいたのですが、話の要点をまとめながら話題を焦点化することが必要でした。中学2年生にこれを求めるのはかなり無理があります。1回や2回リハーサルしたくらいではできるものではありません。日常的に経験を積ませることが必要です。司会だけは教師がするという選択もあるかもしれません。
参観している保護者に意見を求めることで盛り上がりますが、それと子どもたちの意見をつなぐことはできませんでした。授業と同じく、つなぐということは難しいと改めて実感しました。
最後に職場体験の企業の方が自分の考えを含めてコメントしてくださいました。子どもたちの議論を深めるように意識されています。子どもたちは大人のすごさを感じてくれたと思います。ディスカッションの途中で一度コメントいただいて、それをもとにしてディスカッションを続けても面白かったと思います。

総合的な学習の時間でどのような力をつけるのかの議論をあまり聞かなくなりました、活動することで取り敢えずよしとする学校が多いような気がします。子どもたちにつけたい力を意識することで、今回の活動でも違った形になったはずです。総合的な学習の時間が始まってかなりの時間が経ちました。もう一度原点に立ち返る時が来ているのかもしれません。

この日見せていただいた授業について、旧知の社会科の先生とお話ししました。授業アドバイスというよりも授業談義です。この単元をどのように進めていくとよいのかを一緒に考えました。とても楽しい時間でした。
GDMに取り組んでいる若手の先生から、質問を受けました。許可を求める”Can you 〜?”をどのようにして教えればいいのか悩んでいました。”can”の”root sense”から許可の意味を気づかせる”situation”が思い浮かばないようです。一緒に考えているうちに、カップラーメンは使うことを思いつきました。カップラーメンをつくる場面で、タイマーをセットしておいて、”Can I eat?”と聞くことで、3分経たなければ”No, you can’t.”、3分経てば”Yes, you can.”です。こうすることで、「できる、できない」から「許可」へとつながっていくと思います。授業のヒントになったようでした。うれしいことです。
こういった時間は私にとってもとても楽しいものでした。しかし、先生同士でこういう時間が日常的に取れていないように感じました。忙しいこともあるのでしょうが、授業について気軽に相談し合ってほしいと思います。

この日は行事が盛りだくさんな1日で、教務主任や管理職の方とゆっくり話をする時間をあまり取れませんでした。次回訪問時に、学校の課題について相談したいと思います。

ノウハウを伝えることを考える

介護研修の打ち合わせを行ってきました。

介護の現場にはいろいろなノウハウを持った方がいます。そのノウハウをどのような方法で共有化するかが話題になりました。本人が直接教えるという方法がありますが、それでは広がりは限られています。マニュアルにするというようなことが必要になります。
介護の現場では働かれている方にノウハウをマニュアルの形にしろというのはあまり現実的ではありません。ちょっとしたコツをメモ書き程度でもいいのでといってもなかなか難しいものがあります。自分のやっていることのポイントを抜き出すというのは、だらだら書くことよりもよほど難しいからです。こういった場合はライターが第三者の立場で聞き取りを行い、それをもとに書き起こすという方法があります。言葉として語られないところを補いながらどう伝わるものするのかがポイントです。介護に詳しいことよりも、相手から聞き取る能力、聞き出す能力が要求されます。このようなライターを見つけることが近道であろうという結論でした。介護ノウハウの共有化をプロデュースするという仕事について、今まで以上に考えることになりそうです。

一方、学校現場ではたくさんの方が授業に関する本を書かれていますが、それでもほんの一部の方です。しかし、素晴らしい授業技術を持った方はもっとたくさんいらっしゃいます。それを埋もれさせるのは惜しいことです。多くの先生がこれから学校現場を去っていかれます。彼らの持っているノウハウをどのような形で残し伝えていくかは大きな課題です。この学校現場のノウハウを形にするということは、私の中で大切な仕事となっています。一人ひとりの先生方が持っているノウハウをその授業から学び、整理し、具体的な場面に即して伝えるのです。どれほど伝わっているかわかりませんが、この日記もその一環です。学校現場に埋もれているいろいろなノウハウを明確な形にして、多くの先生方に伝えたいのです。
以前にもお伝えしましたが、昨年に書き下ろした授業改善に関する本が現在著者校正の段階です。脱稿してからも、新しく学んだことがたくさんありますが、ひとまずは、その時点でお伝えできることをまとめたものになっています。多くの先生の手元に届くことを願いながら、最後の仕上げに取り掛かります。

私の仕事は、介護を含め、そのノウハウや技術を形にして伝えることです。人と出会い、その方の持っているよさを見つけることと言ってもよいでしょう。「よさ」を見る、見つけるという視点を常に忘れずにいたいと思っています。

学力がつくために必要なことに気づけた授業

先日、小牧市立小牧西中学校の松浦克己先生の英語の公開授業を参観してきました。前回はGDMの授業を見せていただいたのですが、今回の授業は、教科書の内容をGDMの手法を活用して行うというものでした。松浦先生のGDMの授業は何度も見せていただいているのですが、教科書を教える場面を見せていただくのは初めてのことです。

1年生の授業で、学校生活の紹介の場面でした。
授業の前半は通常のGDMと同じく”All English”でのライブです。数のカードを使って、”before”、”after”、”from 〜 to 〜”、”between 〜 and 〜”など、既習事項の復習を行います。これらは教科書の内容と関連するような例を使って行います。国名を復習し、”Japan”に対して”Japanese” というように、言語につなげていきます。”Japanese”と板書する時に、”Japan”でいったん手を止めてから、”ese”と書き足します。単語の成り立ちを意識させています。続いて、単語を言語から教科に広げます。自分の大学時代の語学の選択を、黒板に書いた言語をつかみ取る動作をすることで”take”で表現することを伝えます。
こういった既習事項は、すぐに思い出せない子どものためにどこで学習したかを伝えます。子どもたちは、自分のファイルからその学習のプリントを探して見る習慣がついています。過去の学習と現在を結びつけることを意識させています。
板書された単語を”country”、”language”、”subject”というようにカテゴリーを示して○で囲みます。”What do you like?”と全体を囲んで、広く訊かれていることを示し、続いて”What subject do you like?”と訊く範囲を黒板で示しながら、限定した範囲でのたずね方を伝えます。

新出の”each”をGDMの手法を使って学習します。”There are two persons.”、”They have four bags.”という状況を絵に描かせます。それぞれが2個ずつ持っている場合もあれば、1個と3個の場合もあります。いろいろな場合があることを確認して、2個ずつ持っている場合をどう表現するかを考えさせます。表現する必然性をきちんとつくるのです。これがGDMのよいところです。”One has two bags.”、”Another has two bags.”と”one”、”another”の復習をします。続いて、いくつも同じものがある場合を提示し、”One 〜.”、”Another 〜.”、 ”Another 〜.”、・・・と何回も表現させ、これでは伝えるのが大変だと感じさせます。ここで”Each 〜.”という表現を導入して、”each”の意味と使い方を教えます。この導入であれば、”Each has two bags.”というように”each”が単数であることを説明しなくても自然に理解します。今回は”every”は学習しませんでしたが、この”situation”で学習すれば”each”と”every”の違いを理解しやすいと思いました。

ペアで学習したことの確認をさせます。ここで机間指導はしません。個々に教師が確認することは時間的に無理でしょう。ここは、通常であれば全体の様子を見るべき時なのですが、黒板を消したり、掲示したものを片付けたり、次の場面への仕込みに時間をかけています。なぜでしょう?ライブ中は子どもたちが必死に考えています。こういった意味のないことに時間がとられて間が空くと集中力が切れてしまいます。こういった間はGDMのライブにとって致命的なものになってしまうので、ペア活動の間に済ませておくのです。松浦先生の授業におけるペア活動の時間にはそういう側面もあるのです。ですから、ペアでの学習は子どもたちの関係がしっかりできていることもあり、子どもたちに任せておきます。もちろん、間違えて修正できないペアもあります。それは、全体での確認で修正するのです。といっても特別なことをするわけではありません。指名して言わせたり、全体で練習したりすることで十分なのです。子どもたちが、わかろう、わかりたいと思ってしっかりと聞いているから自分で修正できるのです。子どもがしっかりと参加している授業だから成り立つことです。

この後、新出の単語の確認をして、教科書の本文に入ります。会話文のテキストをただ読むだけでは、GDMのライブのように”situation”が子どもたちにわからないので理解が進みません。松浦先生は、どんな場面であるかといった会話の簡単な状況を補足しながら、文を読みます。ちょっとしたことが子どもの理解を助けます。”natural speed”にこだわることや暗唱などはせずに、子どもたちが読みながら理解することを目指します。本文を理解するために必要なことは、最初のライブの場面の既習や新出事項で網羅されています。英文の表わす”situation”を共有することで、特に解説がなくても子どもたちは理解していきます。
”change classrooms”を子どもが「移動教室」と言っていたのが印象的でした。この言葉が一般的な言葉なのかよくわかりませんが、教室を移動して学習することを「移動教室」と言うようです。英語の表わす”situation”を理解して、その”situation”を「移動教室」と自分たちの言葉で表現したのです。英語を正しく理解しているということです。英語を訳して日本語で理解する子どもからは出てこない言葉でしょう。”change”に引きずられて教室を「交換」、「変える」といった訳をする子どもがほとんどだと思います。まだ1年生ですが、子どもたちに力がついていることがよくわかる場面でした。

通常の授業では、テキストを使って教えていきますが、松浦先生の授業では逆です。授業のほとんどはテキストを理解するためのベースになることの学習、練習です。最後にそれを活用してテキストを理解するのです。これは、他の教科の学習、特に数学とよく似ていると思いました。これまで学習したことや新しい知識を組み合わせた問題をいきなり解くことはしません。授業の初めにこの日必要となる既習事項を確認する。続いて新しい知識を学習し適用問題である程度定着させる。そこで初めて、応用的な問題を解きます。松浦先生の授業では、前半のライブが既習事項の確認、新しい知識の学習と定着になっています。それらの応用の場面が教科書のテキストなのです。

これだけで授業時間はいっぱいなので、書く時間はほとんどありません。ムダのない密度の濃い授業でも、そこまでは無理です。書くことは、毎日出される1Pと呼ばれる宿題で補います。ノートの1ページを使って自由に学習して提出するものです。この日の例文の単語を入れ替えて練習する子どももいれば、過去の学習とつなげて新しい文をつくってくる子どももいます。予習をする子どももいれば、単語を書くだけの子どももいます。松浦先生は授業の合間に、「こういったことをやっている人がいる」とよい学習をほめ、どういう学習がよいかそれとなく教えます。「授業をしっかり聞いていればわかるから」と予習はしなくてもいいことも伝えます。自由と言いながら、ちゃんと学習の方法を伝えています。また、教科書のワークブックも宿題にしますが、それもノートに書かせます。ワークブックはきれいなままなので、試験前にもう一度復習に使えます。こうして、子どもたちの学習量を保障しているのです。集めたノートは簡単なコメントをつけたり添削したりします。ただ、検印を押すのと違って、子どもは先生が自分を見てくれているのだと思います。こうしたことも、子どもたちの学習意欲を高めることにつながるのです。

今回の授業から、松浦先生の授業で子どもたちの学力がつく理由がよくわかりました。また、松浦先生の学年では、英語以外の教科の学力も必ずと言っていいほど伸びるのですが、その秘密も見えてきたように思います。これまでは、「やればできる」という気持ちになることが子どもたちの学習意欲につながり、それが学力向上の要因だと思っていました。それだけではなかったのです。過去の学習とつなぐことを意識させる、自分で復習内容を考えさせるなど、英語に限らずすべての教科に共通する学習の仕方をきちんと教えています。宿題のノートの内容を見ているので、子どもたちの意欲の状況や変化もわかります。子どもたちの学習意欲や定着度をしっかり把握しているので、学年経営にすばやくフィードバックすることができます。
また、松浦先生の授業に対する子どもたちのアンケートの結果も面白いものでした。「授業が楽しい」に肯定的な回答(5段階の5と4)が67%、「授業が難しい」に肯定的な回答が65%に対して、「授業がわかる」に肯定的な回答が73%です。「難しく」ても、「わかる」から「楽しい」という図式が見えてきます。「易しい」ことをわかるのではなく「難しい」ことをわかるから楽しいのだとも言えそうです。このことも、子どもたちが自信を持って学習に臨むための大切な要素だと思います。

検討会では、参加された先生方からたくさんの質問がされました。その一つひとつに対する松浦先生の回答も大変参考になるものでした。私を含め参加者の多くがたくさんのことを学べた授業でした。松浦先生は今年で退職されるので、このような機会を持つことがこれからは難しくなります。貴重な機会を得られたことに感謝です。

子育てに関する講演

先日、中学校区の生徒指導連絡会の教育講演会に講師として招かれました。「子どもたちをどう育むか」というタイトルで、子どもたちのメンタルケアとネットのつき合い方についてお話をさせていただきました。40名程度とうかがっていたのですが、50名以上の方に参加いただけました。予定より多かったのは民生委員といった地域の方々が参加してくださったからです。保護者だけでなくこういった地域の方にこの学校が支えられていることよくわかりました。子育てが終わった方たちで、直接自身に関係の話が主であるにもかかわらず、とてもよく反応して下さり、熱心に聞いていただけました。

子育てに関するお話をさせていただく時は、最初に、お子さんのよいところを10以上書き出していただき、それをまわりの方と共有していただくようにしています。子どもが産まれてきた時は、五体満足なだけで喜んでいたのに、次第に親の欲が出てきます。○○できるようになってほしい。できるようになればもっともっととより高いものを望んでいきます。足りないことばかりを指摘しているうちに、子どものネガティブばかりを見るようになってしまいます。よいところが意外と書けないことから、そのことに気づいてもらおうというわけです。参加者の表情は最初緊張しているのですが、子どもたちのよいところを聞き合うことで笑顔がとても増えます。これがもう一つのねらいです。ポジティブな言葉をたくさん浴びると気持ちもポジティブになるのです。このことにも気づいていただき、家庭を明るい前向きな言葉で満たしてほしいのです。
ありのままでいいと思っているのでほめる言葉が見つからないという保護者の方がいらっしゃいました。「ありのままでいい」というのは、とても素晴らしい言葉です。お子様はきっと素直に育っていることと思います。この言葉を全体に紹介させていただきました。
子どもの自己有用感を育てることが子育てにはとても大切です。「家庭での役割を持たせること」「Iメッセージを大切にすること」「無条件で子どもを認め、愛すること」などをお願いしました。「あなたが産まれてくれてよかった」というメッセージを送り続けてほしいと思います。

ネットに関しては、禁止するという発想ではなく、つき合い方を教えることが大切だとお話ししました。ネットのこちら側にも向こう側にも人がいることと残念ながら善意の人ばかりでないことを子どもたちに伝えることが必要です。また、自分が発信したことがどのよう受け止められるかという想像力を持つことも大切です。こういったことをお子さんに伝えてほしいとお願いしました。
子どもが失敗したりトラブルに巻き込まれてしまったときに、身近な大人に相談できるかどうかが被害を食い止めたり最小にするためのポイントです。そのような関係をつくることを意識してほしいことを最後にお願いしました。

この学区の中学校のPTA会長と歓談する時間を持つことができました。PTAの仕事を通じて子どもたちを育てることに喜びを感じておられることが、とてもよく伝わりました。下のお子さんがもう中学校を卒業なので、小中学校とかかわってきたこの地域でのPTA活動もこれでいったん終わりです。このような人材と学校の縁が切れてしまうことをとても残念に思います。ご本人にももっとやりたいという意志があると感じました。ある市では、こういう方の受け皿として地域コーディネーターという仕事がありますが、その意味を改めて感じました。この市でも、こういう方を組織的に活かすことをぜひ検討してほしいと思いました。

とても素晴らしい参加者のおかげで、私もとても楽しく話をさせていただきました。ありがとうございました。

子どもが挙手しない理由を考える

昨日の日記の続きです。

6年生の授業は図画工作でした。前時までにつくったスチレンボードの版を使って足踏み印刷をする場面でした。版の配置を変えて何回も印刷することで、作品を構成します。
授業者は作品例を一つ上げて、気づいたことを何でもいいから言うようにと問いかけます。子どもの手はなかなか挙がりません。「気づいたこと」では何を答えていいのかわからないのです。こういった場面では、幾何学的な配置をしたもの、動きを意識したもの、はみ出させたもの、インクの濃淡を利用したものなど、子どもたちに使わせたい技法や工夫がみられる作品をいくつか用意して違いを問うと、多くのことに気づかせることができます。こうすることで、創作のイメージが広がりますし、作業中に「はみ出てもいいの」といった質問が出たりすることもなくなります。
黒板には印刷の手順が貼りだされていますが、言葉での説明です。言葉だけで説明してもわかりにくいので、実際に見せることが必要になります。最初、教卓でやってみせたのですが手元はどうしても見にくくなります。足で踏んで印刷する時になって、見にくければ前の方に移動してもよいと指示をしました。最初から前に出させるか、ビデオカメラで写して見せるといった工夫が必要でしょう。
印刷の手順の説明の後に、構図を考えさせました。これでは指導と活動がずれてしまいます。作品例を見た後に構図を考えさせ、印刷の手順の説明の後すぐに作業をさせるべきでしょう。
足踏み印刷は床の上で行うので、インクで床を汚さないようにと注意をしますが、具体的にどのようなことに気をつければいいのか、子どもたちに考えさせて共有するか教師が指示をする必要があります。子どもたちは椅子を出しっぱなしにするので、机と離れた位置に新聞紙を敷きます。インクは机の上でつけるので移動距離が長くなり、落として汚す可能性が高くなります。授業者は作業の途中で、じゃまだから椅子をしまうように指示しました。しかし、新聞紙を敷く場所までは、指示しませんでした。大した問題ではないように思えますが、理科の実験などでは危険を伴うものもあります。具体的な指示をどこまでするかは別として、常に細かいところまで意識することが大切です。
作業が始まってすぐに個別に指導を始めましたが、まずは全体の様子を見てスムーズに動けているか確認をする必要があります。指示や指導の流れ、教師の動きをきちんと考えて授業を構成することをお願いしました。

4年生の道徳は、みんなで協力することをテーマにしたものでした。なわとび大会で上手く跳べない子どもがいるときにどうしようか考える場面でした。
授業者は笑顔を絶やさずに子どもたちの考えを受容しようとしています。落ち着きがなく友だちの話を集中して聞くことができない子どもには、目線や手で発言者の方を向くように指示します。
子どもの意見は、どうすればみんなで上手く跳べるようになるかという発想がほとんどでした。言い換えれば、どうすれば勝てるかです。実際の行事で考えれば、勝てる学級は1つだけです。勝利とは別の価値を意識させることが大切です。ここでは、上手く跳べない子どもの気持ち、まわりの子どもの気持ちを想像させることを軸にするとよいでしょう。最終的に、どの子どもにとってもよかった、楽しかったと思えるようにするには何が大切かを考えさせるのです。
最後に自分の体験を振り返らせました。鉛筆を持って書こうとする意欲を見せるのですがなかなか手が動かない子どもが目につきました。話題によっては同じような体験を持っていない子どももいます。また、この授業であれば行事等で協力した経験を書けばいいのか、上手くやれない子どもがいてその問題を解決した経験を書けばよいのかわからなかったのかもしれません。同じような体験を振り返りで書くよりは、最初に「上手くできなくて困ったことない?」と体験を問いかけて、「その時どんなこと思った?」「どんな気持ちだった?」と聞くことで資料を自分に引き寄せて考えられるようにした方が有効なように思います。
道徳は子どもによい変化を求めることが大切です。最後の振り返りは、この日の授業を受けて考えたことや考えが変わったこと、過去の経験ではなくこれからどうしたいか、どうしようと思うかについて書かせるとよいと思います。

指定研究授業は6年生の国語でした。「言葉は動く」という説明文をもとに、世代によって異なる言葉を分類する場面でした。
授業者は、緊張気味で、子どもたちもやや硬くなっていたようでした。前時の復習で、時代や世代によって異なる言葉の分類を確認しましたが、手がなかなか挙がりません。挙手した子どもが指名されて答えると、「賛成です」と声が上がります。ノートを見ればわかるのに見ようとしなかったのは、わかっていたからでしょうか?わかっていたけれど手を挙げなかったのでしょうか?どうも子どもたちは、挙手して発言することに価値を見いだしていないように感じます。復習の場面では、すぐに教科書やノートを確認する子どもを評価することが必要です。それをしないということは、わかっているか参加する気持ちがないということです。挙手に頼らず指名することも必要になってきます。指名して答えられなかったら、教科書やノートを見るようにうながし、きちんと答えさせるのです。
「乳母車」と「ベビーカー」を例にして、この日の作業を説明します。授業者は、筆者の3つの分類「暮らしの変化」「生活には関係なく変化」「心の持ち方を表わす言葉」のうち、「暮らしの変化」によるものと説明しますが、なるほどと納得できるような説明になっていません。大人の私たちでも説明が難しいと思います。これは国語の授業ですから、自分たちの考えで分類することはあまり意味がありません。筆者の考え方に従って分類する必要があります。そこがよりどころです。この作業に入る前に筆者の分類の方法をより具体的に確認する必要があったのです。
子どもたちがあらかじめ調べてきたものをグループで発表して、その中で各自が面白いと思ったものについて分類し、その理由を書くというのがこの日の課題です。インターネットを使ってたくさん見つけてきた子どももいますし、家族に聞いてきた子どももいます。全く準備できていない子どももいます。手持ちの材料があまりに違うのも問題です。集めてくること自体は国語としてはあまり意味がありません。社会科であればまた違いますが、そうであれば集め方を共有する必要があります。国語ですので、子どもたちが集めたものは材料として全体で共有した方がよいように思います。ここで、「面白い」というのが曲者です。辞書で調べたくらいでは、それがどの分類になるか明確な根拠を見つけることが難しいものがたくさんあります。子どもたちは、考える材料がないので相談することもできず、辞書を調べたりしますが明確な根拠をみつけることができません。「本気」と「まじ」などを選んだ子どもなどは、分類してもその根拠を上手く説明することができませんでした。あらかじめ筆者の考えに従って分類しやすいものをいくつか用意して、その中から選ばせるとよかったでしょう。同じ言葉を選ぶ子どもが出てきますので、考えをつなぎながら深めることができます。

全体では、この授業を例にしながら、子どもたちがわかっているのに挙手をしないことについてと教材研究の大切さについて話をしました。
挙手をしない理由は大きく分けて、「自信がない」「挙手をして発言する価値がない」の2つがあります。自信を持たせるだけでなく、間違えても恥ずかしくない、発言することに価値を持たせることが必要です(子どもに自信を持たせる!?参照)。わかっているのに発言しない子どもたちは、「もし間違えれば恥をかく」「正解しても特にいいことはない」ので、リスクばかり高くて得られることが少ないと思っているのです。

学校として授業規律が確立してくれば、今度は授業の質が問われます。教材研究がより求められるようになります。また、挙手が少ないということから、その裏にある課題も見えてきます。この学校であれば、こういった課題に学校全体で取り組むことができるのではないかと思います。今後の変化が楽しみです。

授業規律の次に考えること

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。今年度2回目の訪問で若手を中心に7人の授業を見る予定でしたが、インフルエンザのために6人となりました。
前回訪問時には授業規律が気になる場面がありました。20分の長い休息時間では、遊ぶことに夢中で授業開始に間に合わない子どもが目立っていましたが、この日は、どの学級も開始時間には授業が始められる状態になっていました。学校全体として授業規律を意識してきたことがわかります。授業規律がしっかりしてきたからこそ、次の課題が見えてきました。

4年生の国語は訓を手がかりにして、熟語の意味を考える場面でした。
挙手の場面では、手の挙げ方がいいと上手にほめています。子どもたちを認めて授業規律をつくっていることがよくわかります。ペアで相談する場面などでは子どもたちはしっかりとかかわることができます。ところが、答を求めると手が挙がらないのです。このことが気になりました。子どもが発表すると、「いいです」「賛成」といった言葉が返ってきます。友だちにチェックされているような気持ちになりそうです。「トウブン」という言葉にはどんなものがあるかを問う場面でのことです。「砂糖」という発言に対して「砂糖がどれだけ含まれているか」と授業者が勝手に言葉を足しました。「長い間」に対して、「しばらくの間」を加えます。子どもは自分の答が教師の求める答と違ったのだと感じます。子どもが一つ答えるとそれに対して教師がたくさんの言葉をしゃべります。最初は上がっていた子どもの顔がだんだん下がってきました。また、子どもたちに知識をよく問います。学習したことであればよいのですが、学習していない知識を「考えて」と聞きます。まだ習っていない漢字の読みを聞いても知っている子どもしか答えられません。考えてもわかることではないので「考えて」と問いかけるのも意味がありません。こういった場面を積み重ねていくとだんだん挙手して発言することに消極的なってしまいます。
漢字の読み方に音と訓があることを確認しますが、その説明はありません。この授業では訓が漢字の意味に対応する日本の言葉であることを押さえておくことで、訓を手掛かりに熟語の意味がわかることに気づけます。既に学習したことなので、子どもから訓の説明を引き出したいところです。思い出せない子どもには、ノートや教科書で探させることも必要です。以前の学年での学習内容であれば、ICT機器を活用して教科書の該当箇所を提示するといったやり方もあります。過去の学習とつなげることが大切です。子どもの学習が、漢字の訓を漢字辞典で探す作業になっていました。

1年生の国語は「たぬきの糸車」という教材で、本文からそこに書かれていない登場人物の気持ちを読み取る場面でした。
驚いたのが、子どもたちがとても授業に集中していることでした。私たちが教室に入ってもしばらく誰も気づきませんでした。授業者は子どもたちをとてもよく受容しポジティブに評価しています。子どもたちが安心して授業に参加していることがよくわかりました。遅刻して登校した子どもに対して、そのまわりの子どもが鞄をおろしたりして授業に参加する手助けをしています。とてもよい学級経営ができています。手伝った子どもたちに「ありがとうね」と授業者は声をかけます。こういうところにも学級の雰囲気のよさの秘密があるのでしょう。
ペアでの学習の指示も非常に明確です。列の前に移動しながらこちらの列、こちらの列と具体的に役割を指示します。子どもたちがとてもスムーズに活動に移りました。
子どもたちは先生がよくほめてくれるので活動に前向きです。ペアの一方が本文に書かれているたぬきの動作をし、他方がその時のおかみさんの気持ちを言葉にするという活動に一生懸命に取り組んでいました。交代で何度も繰り返すうちに、次第にテンションが上がっていったことが気になりました。目標が活動することになっていたからです。
何組かを前にでて発表させます。すぐに言葉が出てこない子どもにも寄り添いながら待つことができます。聞いている子どもたちも集中力を切らずに待つことができます。その理由の一つが、授業者が発表者だけでなく、聞いている子どもたちにもしっかり視線を落としていることです。先生が見ていてくれるので、子どもたちは待てるのです。
子どもの発表をほめて板書します。できればここは、「今、○○さんが言ってくれたこと、黒板に書きたいから教えてくれる?」と子どもを活躍させたいところです。板書で確認しながら、どこがよかったかを聞いてつなぐことも視野に入れるとよいでしょう。
この授業のねらいは、どこでおかみさんの気持ちが変わったかです。そのことについては、一通り発表が終わってから、発言内容の板書をもとに考えました。考える時間もほとんどないので、授業者がまとめるような形になりました。ペアでの活動の時に、互いの言葉を聞いてどこで気持ちが変わったかを相談させるとよかったでしょう。全体での発表でも、どこでかわったかを聞いて、自分の考えと比べさせるといった活動をすると、本時のねらいにもっと近づくことができたと思います。

5年生の算数の授業は百分率の導入場面でした。
子どもの答に対して、授業者が「正解ですね」と判断していました。机間指導でほぼ全員ができていたのでしょうが、子どもに説明を求め、その説明に納得したかで判断したいところでした。
デジタル教科書の百分率の説明(定義)を読ませますが、ディスプレイが見にくい子どもは手元の教科書を見てもいいという指示をします。これでは、意味がありません。画面を拡大するなどして顔を上げさせる、それが無理なら使わない方がよいでしょう。デジタル教科書の動画を使って、%記号の書き方を練習します。ワイヤレスマウスもあり手元で操作できるのに授業者はディスプレイをずっと見て指示をしています。動画の再生が始まれば、子どもたちの様子をしっかりと見るべきです。
フラッシュカードで割合を百分率に、百分率を割合に直す練習をします。なぜそうなるかの理由の説明や確認はありません。いきなりです。わからない子どもも全体でやっているのでなんとなくで答えてしまいます。そのあと、すぐに問題練習です。練習を始めてから、19.7%といった問題に☆をつけて練習して来なかったけれど後で説明すると言います。また説明を忘れていたと、いったん練習を止めて、0.3=30%とは書かないことを伝えますが、その理由は説明しません。%は割合にしか使わないけれど、0.3は0.3m、0.3gというように何にでも使えます。30%mという使い方はしないことと関連づけるとよいでしょう。
答え合わせをしますが、結局19.7%が0.197となる説明はせずに、何問できてかを聞きます。あとから説明するからいいと言っておきながら、何問できたかをチェックされては、わからなかった子どもは釈然としないと思います。
この後に、どうやって求めたかの手順をまとめます。百分率にするには100倍、百分率から割合を求めるのには100で割ることを押さえますが、定義との関連は全く説明されません。これでは、算数は解き方の手順を覚える教科になってしまいます。定義を根拠としてやり方を考えることから始める必要があります。
最後に、どうして百分率を使うのかを考えようと言って、どんなところで百分率を使っているかを問いかけます。いろいろなところで使われていることを確認して終わりです。百分率を使う理由は最後までわからないままでした。これでは子どもたちの頭には???しか残りません。グラフの学習で目盛りの大きさを変えて差がはっきり見えるようにしたことなどと関連づけて、変化や違いがわかりやすくなることを子どもたちから出させる必要があったと思います。
算数では根拠がとても大切ですが、そのことを授業者はよくわかっていません。手順は、定義を根拠にして見つけ出さなければなりません。生活の中での使用例を比較してそのよさに気づき、算数が自分たちの生活に役立っていることを実感させる必要があります。こういう算数の基本的な流れをまず理解してほしいと思います。

この続きは、明日の日記で。

教材研究の大切さを改めて考える

昨日の日記の続きです。

1年生の授業は算数で、2桁の数の大小を考える場面でした。
前時の復習で2つの数を提示して、数の大小を問いかけます。子どものたちの手が勢いよく上がりますが、「説明もできる人?」と授業者が言葉を足すと手が下がってしまいます。かなりの子どもが残念そうな顔をします。ここは、何人かに答えさせてから、「理由も説明できる?」と聞いてあげたいところです。指名された子どもは「10の位を比べて・・・」と手順を話し、「いいですか?」と聞きます。子どもたちはすかさず「いいです」と答えます。こういったやり取りには注意をしてほしいと思います。自信がなくて発表できなかった子どもが、すぐに「いいです」と返すのは、「なんとなく」条件反射で答えたり、無責任に発言したりしている可能性があります。すぐに正誤を判断すると、基本最初の一人しか発言のチャンスはありません。発言したい子どもは他の子どもを押しのけて発言しようとしたり、指名されないと悔しがったりします。また、「いいです」というのは見方によれば、上から目線の言葉です。友だちにチェックされている気持ちになることもあります。もし、「違います」とダメ出しされると、友だちに否定されたようにも感じます。「なるほど」と受容し「○○さんは?」と何人も指名したり、「同じように考えた人?」「なるほどと思った人?」とつないだりするとよいでしょう。「いいです」と子どもたちに言わせるのなら、「いいです」と答えた子どもに「もう一度説明してくれる?」と返すといいでしょう。こうすると無責任に「いいです」という声を上げなくなります。
ここで、注意をしてほしいのは「手順」と「根拠」の違いです。説明といった時に「手順」を言わせると、手順を覚えるのが算数だと思ってしまいます。手順を覚えることも必要ですが、なぜその手順でいいのかをきちんと考え理解することが大切です。「最初に10の位から比べるんだね。1の位は見なくていいの?」「それってどういうこと?」というように子どもたちに返しながら、根拠を子どもたちの言葉で説明させるようにすることが大切です。
10の位が同じ数の大小の説明で、「1の位が2違うから」と答えた子どもがいました。次の子どもは「1の位が2大きい」という表現しました。ここでは大小を比較しているので、ただ「違う」ではなく「大きい」というべきです。子どもにそのことを気づかせるために「1の位が2、お、お、き、い、ん、だ」と「大きい」を強調するとよかったと思います。
デジタル教科書を使ってこの日の課題の把握をします。いくつかの2桁の数を降順に並べるのです。教科書の例で並び替えをするのですが、その手順を考える場面がありません。続いて、授業者は2つの班対抗でゲームをして「戦ってもらいます」と宣言します。一部の男の子は興奮します。意欲を上げるのには勝負事はよいのですが、対抗するより絶対的な評価をした方がよいと思います。1人ずつカードを引かせて、カードに書かれた数の降順に並ぶ時間を競います。このゲームであれば、「10秒を切れるかな?」といった目標を与えるとよいでしょう。口頭で説明した後、「やり方はわかった?」と確認します。「ゲーム」のやり方か、「降順に並ぶ」ためのやり方なのか聞いていてちょっと迷いました。明確にするためにも、「ゲーム」という言葉を付け加えた方がよかったかもしれません。口頭だけの説明なので子どもたちは今一つ理解していないようです。そこで最初の班が前でゲームをやる時にゆっくり確認しながら行いました。しかし、本番なので子どものテンションは上がっています。カードを一人ひとりに引かせて、スタートまで見ないように指示しますが見たくてたまりません。子どもに引かせることは悪いことではないのですが、考えさせたい時には意味なくテンションは上げない方がよいと思います。教師がカードをシャッフルしてさっと配ってすぐに始めた方がよいでしょう。ゲームのやり方を説明するのであれば、練習として数人でやってもいいでしょう。
子どもたちは、互いのカードを見合いながら並びます。大きい数を引いた子どもは先頭に並んでじっとしています。これを全体で3回行いました。問題はこの活動の目的です。教科書の次の問題は、22、□、24、25、□、・・・と1つずつ増やした数を考えたり、同様に1つずつ減らした数を考えたりするものです。序数と数の大小の関係を意識するものです。ここにつなげるのですから、そういう活動にする必要があります。大人から見るとなんということのない問題ですが、ゲームの後やってみると、戸惑っている子どもがいました。先ほどのゲームとつながっていないのです。ゲームを1回やった後、作戦会議をさせてから次の挑戦をするといったことが必要だったと思います。
人数が少ないと互いに比べることで簡単に並べ替えることができます。工夫の余地はありません。そこで、全員にカードを配って並べ替えさせてもいいかもしれません。個々に比べていては並べ替えるのはとても大変なので、工夫をする必然性があるからです。教科書には1から100までのカードを使っていることがヒントとして書いてあります。「1番大きい数は?」「100」「100の人いる?」「次に大きい数は?」「99」・・・として、順番に並ばせることで、数の並び方と大小の関係を意識できるようになると思います。
算数の授業は、簡単に見える問題を扱う場面でも、その概念を形成するためにはスモールステップを意識して組み立てる必要があります。教材研究は欠かせません。授業者は子どもたちを楽しく活動させることを意識していたのですが、算数として何を大切にしなければいけないかの研究が少し不足していたようです。
教材研究の大切さをお伝えしました。

4年生の国語はウナギの産卵場所を調べる説明文の授業でした。
この日の学習範囲をペアで音読します。教科書の上手く読めなかったところ、間違えたところに線が引いてあります。聞き手はその教科書を預かって、上手く読めたら消しゴムでその線を消すというものです。なかなあ面白いのですが、ペアで上手くかかわれていないところがありました。読み終わった後に、よかったところを伝えるといったことが必要です。また、全体で「ペアの人の読みが前よりよくなった人教えてくれる?」とペアの人をポジティブに評価する場面をつくることで、人間関係をつくったりするとよいでしょう。
全体で音読した後、どのように調査が進んだか子どもたちにたずねます。一連の音読の目的がよくわかりません。音読しながら読み取るのはそれほど簡単ではありません。通常、音読は声をしっかり出して、間違えずに滑らかに読むことが目標になります。少なくともペアの音読のやり方からするとそうです。読み取ることは、意識されていません。読み取ったことを問いかけるのであれば、考え、整理する時間を与えることが必要です。
授業者は子どもたちの発言をつないでいこうと切り返しの発問をすぐにします。しかし、発言者の考えを全体で共有する時間がありません。まだきちんと理解できていないのにその意見に関する発問がされるので、ついていけません。戸惑っているうちに、すぐに反応できる子どもが挙手して指名され、次へ進んでいきます。せっかく自分の考えを発表しようとしていても、発言の機会が失われます。一見すると意見がつながっているように見えるのですが、発言する子どもはどんどん絞られていきます。ほとんどの子どもはお客様状態で、参加できなくなってしまいました。
まずは、発言に対して「どこでそう考えた?」「どこに書いてある?」と根拠となる本文を確認します。その上で、「同じように考えた人」「なるほどと思った人」と返し、何人かを指名し、全体で共有します。ここで、初めて切り返していくのです。こうすることで多くの子どもが話し合いに参加できます。また、いきなり切り返していくのではなく、子どもたちの意見を一通り聞いて、発表したい気持ちを満足させてから、深めていくという方法もあります。
授業者は、課題に対する答を子どもたちから出させることにこだわっていました。しかし、全員ではなく、誰かが求める答を言ってくれればいいと考えているように見えます。少しでも早くゴールにたどり着くよう誘導するために切り返しをしているのです。質問の答えを知ることが国語の授業の目指すところではありません。質問の答えを見つけることを通じて、読み取る力をつけることです。読み取る力はどうすればつくのかを明確になっていないので、答探しの授業になっているのです。
授業者は、自分で見つけさせたいのでワークシートは使わないようにしているのだが、全員が参加してできるようにするためにはワークシートが必要なのかと質問してくれました。ワークシートはスモールステップで答を見つけるための一問一答になりがちです。質問に答えることで整理できるのですが、読み取るために何を考えればよいのかを自分で見つけ出す力が必要です。その視点を育てることを意識したものでなければ、ただの穴埋め問題です。もし利用するのならワークシートを構造化し、次第に質問や作業自体も空欄に、最後は白紙となるようにステップアップしていくといった発想が必要だと思います。読み取るために何をすればよいかを子どもたちがわかるようになることが大切なのです。ワークシートを使うかどうかによらず、やはり読み取る力とは何かをまず授業者が明確にすることが必要なのです。その上で、この教材をつかってどのような活動をするとよいのかを考え、授業を組み立てていくのです。
授業者は国語の授業で悩んでいたようです。これ以外にもたくさんのことを質問してくれました。それらすべてに明確な答えを与えることができたかどうかはわかりませんが、新たな一歩を踏み出すきっかけになってくれればと思います。

前回訪問時にアドバイスした方の授業も見せていただきました。その時のアドバイスを意識してくれていることがよくわかります。子どもたちのつぶやきもよく拾います。学校全体に子どもたちを受容する雰囲気ができているように思いました。しかし、そのことが、子どもが先生とのかかわりばかりを求め、子ども同士のかかわり合いが上手くいっていないことにもつながっています。友だちの発言を聞くことで参加できる場面や子ども同士で評価し合う場面をつくり、つながることのよさを感じられる授業を目指すことが求められます。このような指摘を四役の方はしっかりと受け止めてくれました。謙虚に課題として改善する方向で考えてくださいました。四役が課題意識を共有することができれば、間違いなく学校はよい方向に変わっていきます。この学校の今後の変化が楽しみです。

教師の受容と子ども同士のかかわりについて考える

先日、1学年1学級の小規模小学校を訪問しました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。今年度2回目の訪問で、残りの3人の授業アドバイスを行いました。

前回訪問した時に、子どもたちがとてもよい表情で挨拶してくれることが印象的な学校です。この日もそのよさを感じたのですが、あることに気づきました。子ども同士のかかわりが弱いのです。学年によっては、男女の関係が悪い学級もあります。理由の一つが1学級の人数が少ないことが挙げられます。そのため、どうしても教師が1人の子どもとかかわることが多くなるからです。今回の訪問では、授業でそのことを感じる場面が多くありました。

5年生の社会科の授業は、情報の陰の部分の学習でした。
授業者は前回訪問した時にとても上手に子どもに対応していることが印象に残った方です。今回も、よい表情で子どもたちをしっかりと受容しています。新聞の広告などを使って、情報が私たちにどのような影響を及ぼすかに気づかせます。ここで気になるのが、子どもたちはしっかりと反応するですが、他の子どもの言葉をあまり真剣に聞かないことです。発言者も先生に向かってしゃべります。先生と子どもの1対1の関係で授業が進むのです。子どもたちは友だちの発言に対して、反論や疑問、時には揶揄するような言葉をその場で返します。これは、この学校全体に共通したことのように感じました。先生方は子どもの言葉をしっかりと受け止めますが、基本は一問一答です。子どもたちは発言したことで満足します。同じ意見の子どもは次に発言する機会はありません。先生方はその場でしゃべったことでもよい意見はしっかりと拾ってくれます。挙手をしないでも発言すれば認めてもらえるチャンスはあります。間違えた意見でも流されるだけで、恥をかくことはありません。そこで子どもたちは、同意ではなく友だちへの反対意見や批判をその場で口にするようになるのです。また、一部の子どもの攻撃的な発言が場を支配するようになると、教室の雰囲気が悪くなります。子どものよい発言は、「いい意見だからみんな聞こう」と全員に対して再度しっかり発表させ、「同じように考えた人いる?」「今の意見なるほどと思った人」とまず同じ考えをつなぎ、共有することが大切です。また、無責任な攻撃的発言も、あえて全体の場できちんと発表させて、「どう思う?」と他の子どもにその意見に対する意見を言わせたり、「理由を聞かせて?」と根拠を求めたりすることも必要です。このように対応することで友だちと共感することを大切に思うようになり、攻撃的な発言が減っていきます。友だちのあらを探すのではなく、友だちが何を言いたいかをわかろうとする気持ちを持たせるのです。
授業者は子どものつぶやきを拾いながら上手に話を進めますが、子どもの言葉を他の子どもに広げるのではなく、自分の言葉に置き換えて説明しています。できるだけ、子どもの言葉のままで共有させることを意識してほしいと思います。

テレビ番組の納豆ダイエットのねつ造問題を題材として、間違った情報が「どんな人に、どんな影響がでるのだろう」とワークシートの課題を与えます。子どもが課題に取り組んでいる間にこの日のめあて「情報が与える影響について考えよう」を板書します。課題は陰の部分に焦点化していますが、めあては特に陰に限定していません。めあてと課題のずれが気になりました。
机間指導で子どもをほめながら、よい所に線を引いています。しかし、全員ではありません。途中の子どもでも、「いいところに目をつけているね。○○についても書いてくれるといいね」と部分肯定しながら声かけしてほしいと思います。子どもたちは先生に認めてほしいと思っているので、全員に声かけすることを心がける必要があります。その上で、ペアなどを活用して子ども同士が認め合う場面をつくることで子どもの関係がよくなっていくはずです。

子どもたちの発表をすぐに授業者が板書します。時には板書の段階で、授業者が修正することもあります。子どもの意見を修正する時は本人に修正させてから板書するようにしないと、教師の求める答を探すようになります。また、板書をあえてしないで、「番組を見た人」というように「どんな人が」に視点をあてて、その人への影響について発言をつなげ、「じゃあ、いろいろな意見が出てきたけれどまとめてくれる」とノートやワークシートにまとめさせたり、発言させてその言葉をそのまま板書したりするというやり方もあります。
他の子どもが気づかなかった視点の意見が出た時に多くの子どもが「ああ」と反応しました。とてもよい反応です。ここは、「ああ」といった子どもたちにその理由を聞きたいところです。授業に「聞くことで参加する」「反応することで参加する」ことを評価することが大切です。

続いて松本サリン事件で無関係の被害者が容疑者となったことを話題に、間違った情報が人々にどのような影響が出たか考えます。子どもたちは、それぞれの意見を発表するのですが、友だちの意見を聞いて考えが深まる場面があまりありませんでした。子どもの意見を聞いて授業者がまとめていくので、子どもはあまり考えなくていいのです。また、情報が教科書に取り入れられてから日が浅いこともあり、授業者自身がどのようにこの内容を整理していいか明確な視点がなかったこともその原因です。情報の光と陰を考える時に、情報のこちら側と向こう側を考えるという視点が有効です。情報の発信者と受信者、送り手と受け手のそれぞれの気持ちや意図を想像するのです。テレビの番組を制作する人はどんなことを考えるのだろうかと想像することで、ねつ造起こりやすいという危険性に気づけます。自分がネットに流した情報を見た人はどんな気持ちになるだろうかと想像することでトラブルを防ぐことができます。善意の気持ちで発信した情報が人を傷つける可能性にも気づけます。また、情報の外にいる人のことを意識することも大切です。SNSの中だけで情報交換していると、そこに参加していない人はどうなるだろうかといったことを想像するのです。情報を間にはさんで、その向こう側とこちら側、そしてその外側を想像するという視点を持つことで、授業の軸が明確になったと思います。

子どもが一生懸命に説明するのですが、上手く伝わらない場面がありました。授業者の表情がかたくなり、それを見て子どもの表情が曇りました。授業者はこの時の子どもの表情の変化にちゃんと気づいていました。余裕がなくなり表情がかたくなったせいだと原因も理解しています。こういった場面では、教師が何とか理解しようとするよりも、子ども同士に任せた方が上手くいくことが多いようです。「○○さんの言っていることはどういうことかな?だれか先生を助けてくれる?」というように子どもに助けを求めると、友だちの発言を一生懸命に理解しようとしてくれます。子どもの発言は子ども同士の方がわかり合えることがよくあります。すべてを教師が理解してコントロールしようとする必要はないのです。

授業者は、こういった私のアドバイスを非常に素直に受け止めてくれました。力のある方なので、子ども同士をつなぐことを意識していただければすぐに授業はよりよくなっていくと思います。今後が楽しみな先生でした。

残り2つの授業については、明日の日記で。

体育の授業研究で子どもを見ることの大切さを考える

昨日の日記の続きです。体育の授業研究は男子のダンスの授業でした。授業者は2年目の先生です。EXILEの音楽に合わせて規定のダンスを踊ります。

子どもたちの始めの挨拶の声は大きいのですが、子どもの体は静止しません。大きな声とは言っても、全員がしっかりと出しているわけではありません。一部の子どもがテンションを上げているのです。また、挨拶の場面に限らず、活動のけじめがはっきりしていないことが気になります。まだ子どもが聞く態勢ができていないのに話し始めます。授業者の話は聞いているのですが、顔が上がらない子どもが目立ちます。授業者は子どもたちに自分と目線を合わせることを求めていないのです。体育では指示を徹底することが特に求められます。徹底しないと事故につながります。子どもたちときちんとコミュニケーションを取ることを意識してほしいと思います。

この日の目標はリズムよくダンスをすることと伝えます。「リズムよく」というのは感覚的でわかりにくい目標です。これが具体的どのようなことか、子どもたちが理解している必要があります。前時までに説明したのかもしれませんが、この日の目標ですから、確認する必要はあるでしょう。「リズムよく」を子どもたちの言葉で説明させてみる。いくつかの例を見せて、どれがより「リズムよく」なっているかを言わせる。そういう場面が必要です。また、自分の姿を見ることはできないので、自分が「リズムよく」やれているのかどうかは判断できません。自己評価ができないのです。子ども同士で評価し合う、ビデオなどを利用するといった工夫が必要です。

これまで覚えたダンスを全体で復習します。授業者は子どもたちに背を向けて踊ります。子どもたちに向いて踊ると動きが逆になって混乱することが理由です。しかし、何よりも子どもを見ることが大切です。教師が逆の振り付けで踊れるように練習することが必要かもしれません。それが難しければ、代表の子どもに前で躍らせておいて、自分は全体を見るというのもよいでしょう。代表の子どもと一緒に1小節踊っては振り向くといったやり方もあります。いずれにしても子どもたちを見る工夫をしてほしいと思います。
子どもたちを見るという点で、非常に残念なことがありました。理由はわかりませんが、振り付けを覚えていない子どもがいました。まわりを見ながらできるところは何とかやろうとしますが、わからなくなると止まってしまいます。しかし、授業者はその子どもに気づかず支援をしませんでした。続いてグループでの練習になりましたが、やはりついていけません。自分から「教えて」と仲間に教えてもらうこともできません。まわりの子どもは自分たちがやることに夢中でかかわろうとしません。結局その子どもは途中で参加することあきらめて見学者のところへ行ってしまいました。授業者はこの一連の動きに気づいていませんでした。確かにすべての子どもの動きを把握することはできないかもしれません。だからこそ、グループ活動を活かして、互いに助け合うことをきちんと指導しておかなければなりません。ここにこの学年の抱えている問題が見えてきます。子どもたちが孤立した友だちにかかわり合おうとしないのです。子どもが悪いのではないのです。子ども同士をつなぐような動きを教師がきちんとできていないのです。そのため、学級に居場所のない子どもができてしまうのです。
見学者のところに行った子どもは、友だちのやっている様子を見ています。グループの代表が次の振り付けを教えてもらっているところも後ろから見ています。本当はみんなと一緒に踊りたいのです。その様子を見ていると辛いものがありました。
見学者の扱いも気になります。何も指示されずにただ座っているだけです。グループの代表が振り付けを教わっている間、残った子どもたちで練習をします。CDを操作するといったことでもいいので役割を与えて、仲間とかかわらせたいところです。

振り付けを全体ではなくグループから2人ずつ代表を集めて教え、彼らをグループの教師役にします。効率はかえって悪いのですが子ども同士のかかわり合いをつくろうという考えです。振り付けのパートごとに代表を交代してすべての子どもに教師役を経験させます。よい発想だと思いますが、代表の子どもはなかなかうまく教えられません。2人の役割を決めるなど、教え方を指導することが必要かもしれません。最初の段階で、上手く教えられたグループを紹介して、教え方を共有する方法もあります。授業者が指導せずにただやらせる場面が目立ちます。
代表を集めて教える時も、残った子どもに対する指示だけして、すぐに隅で教え始めます。残った子どもたちはすぐには動きません。それでも、音楽が鳴ると練習を始めます。しかし、何を意識して活動するのか指示がないので、ただやっているだけです。子どもたちを見ていると雑にやっている者も目立ちます。練習中にかえって下手になるグループもありました。ここは、指導者がいないので、グループで向かい合って動きを確認するといった、子ども同士が互いにかかわりあう活動をさせる必要があります。また、子どもたちが動き出すまできちんと見守って、それから代表の指導に入るべきでしょう。

授業全体として、活動することばかりで子どもが振り返ったり、評価したりする場面が全くありません。子どもは音楽に合わせて体を動かして楽しいようですが、それではこの授業の成果としては不十分です。目標としている「リズムよく」を達成することが意識されていません。また、グループでやるということは、個人では味わえない楽しさを感じさせる必要があります。動きがそろった時の楽しさは、グループでなければ味わえないものです。そのこともあまり考えられていませんでした。しっかりと練習ができているグループ、上手いグループ、上手くなった子どもに脚光を浴びさせることも必要です。
授業を構成する大切な要素がこぼれ落ちていました。今回はダンスという危険の少ない単元でしたが、子どもたちをきちんと把握しコントロールすることを意識しないと、種目によっては大きな事故が起きる可能性を否定できません。このことは、体育の教師として、経験が少ないからといって許されることではありません。とにかく子どもを見ること、見守ることを意識してほしいと思います。

この日は要請訪問で体育の教科指導員の方が助言をしてくださいました。さすがに専門家です。目標設定や伝え方、考える場面の設定など、体育の授業での大切なポイントを的確に指導されました。体育の専門でない私にとって、とても参考になる資料もいただくことができました。よい学びをさせていただきました。ありがとうございました。

子どもを評価する必要性を感じる

一昨日は、中学校で授業アドバイスと体育の授業研究への参加でした。前回訪問から冬休みをはさんで2か月以上経っています。子どもたちの変化が気になります。この日は、2年生と1年生を中心に授業を見せていただきました。

2年生は教科による差があるのですが、全体的に授業に対する参加意欲が低いように感じました。話は聞いているし与えられた課題には取り組むのですが、集中力がないように感じるのです。
英語の授業ではフラッシュカードを使った発音の練習で、顔が上がらない子どもが目立ちました。顔を上げない子どもも口は動いています。まわりに合わせてなんとなく声を出しているようなのです。ところが、後半課題を前で先生にチェックしてもらう場面ではとても意欲的になっていました。ペアで相談している姿も見えます。合格という評価があるので意欲的なっているのです。また、数学は少人数で行っているのですが、どの教室も集中度が高いように見えました。わかりたいという気持ちを感じます。わかった、できたという手ごたえを感じやすい教科ですので、意欲を持てるのかもしれません。
子どもたちは手ごたえをほしがっているように思えます。自信を持たせることが必要だと感じました。授業を含め様々な場面で子どもたちをポジティブに評価してほしいのです。そのためには意図的に評価する場面をつくることが必要になります。ちょっとしたことでよいのです。子どもたちが自己有用感を感じるような活動を学年経営や学級経営、授業の中に組み込んでほしいと思います。
また、3学期になって進路指導に力を入れているそうです。進路指導はともすると進学指導になりがちです。うっかりすると、今頑張らないと希望の学校へは入れないぞという脅しになってしまいます。子どもたちは、自分は進学で失敗するのではないかと不安になり、かえって勉強への意欲が低下することがあります。そうではなく、まず15年先の将来を考えることが必要です。社会に出て自分はどんなことに頑張っているのだろうかと想像するのです。まだ中学生で具体的なイメージは湧かないかもしれません。しかし、「今自分がやるべきことをきっと一生懸命にやっているにちがいない」、そう考えさせるのです。そうすれば、今やるべきことをきちんとやることが将来につながるはずだと前向きな気持ちにさせることができると思います。子どもたちに暗い将来でなく、明るい未来に目を向けさせるのです。実際にどのような指導を先生方がしたのかわかりませんが、このようなことを意識してほしいと思います。

1年生は、授業によく集中しているようでした。社会科の調べ学習でもノートにぎっしりと書き出しています。ただ、以前と比べると全体的に授業に向かうエネルギーがやや低下しているように感じます。授業を見ているとほめる場面が減っているように思います。できて当たり前のことはもうほめないというのは間違いではありません。そのかわりに次は何ができたらほめるのかを明確にすることが必要です。子どもたちがよい状態なので、先生方はもっと高いところを目指しているのだと思います。その結果、子どもたちは高い要求をまだ達成できていないのでほめられていないのでしょう。ここは苦しいところなのですが、スモールステップを意識して、わずかな向上を見逃さずにほめるようにしてほしいと思います。

1年生の社会科の歴史の授業では、いろいろなことを考えさせられました。
授業の初めに年号の小テストを行います。語呂合わせの覚え方も教えますし、その出来事の簡単な復習もします。そのこと自体は決して悪いことではないのですが、なぜその年号を覚える必要があるのか、歴史的な意味をきちんと子どもたちに伝えてほしいと思いました。
続いて、ディスプレイに職人の絵を写して、「職業は何?」と聞きます。教科書を調べようとした子どもに「見ちゃダメ」と言います。この職業が何かを考えることにあまり意味はありません。単に知識です。授業者としても子どもに興味を持たせたいだけですので、ここに多くの時間を使う必要はありません。用意した絵を見せて質問し、わからなければすぐに教えて次にいけばいいのです。最後に、「これらの職業の共通点は?」と聞けば、これまでの学習から室町時代に生まれたという答が出てくるはずです。その上で、なぜでこの時代だったのかと問いかければいいのです。クイズを授業に活かすには3つの視点があると思っています。「既存の知識の復習」「興味づけ」「考えるきっかけ・視点を与える」です(クイズの有効な使い方参照)。この場面は「興味づけ」ですので、正解や考える時間を与える意味はあまりないので、テンポよく進めたいところです。
子どもたちに、農業、商業、村の視点で室町時代に何が起こったかを調べさせます。子どもたちは、集中して作業を行います。たくさんのことを書き出しています。それぞれについて、順番に子どもを指名して答えさせます。板書はしません。そのため、子どもたちは友だちの発表をしっかりと聞いて、じぶんの書き出したものと比べています。しかし、発表者に対する評価がありません。しっかり聞いている子どもたちとつなぐこともしていません。ちょっともったいないと思いました。同じことを書き出した子どもを挙手で確認するだけでも子ども同士がつながっていくと思います。また、全員を立たせて、書き出した数が少ない子どもから一つずつ発表させて、発表するものが無くなったら着席するといったやり方もよいかもしれません。
全員発表してから、まとめをします。先生がまとめてしまうのかと思ったら、子どもたちに言わせて板書します。子どもを上手く参加させています。ただ、声を出す子どもが少ないのが少し気になりました。途中で指名を混ぜてもよかったかもしれません。子どもたちは板書写すのではなく、自分のノートと照らし合わせています。その項目に線を引いている子どももいます。板書は確認の場であって、大切なことは自分の手でノートに書かれています。子どもたちの自己有用感を高めるよい進め方だと思います。
しかし、社会科の授業として考えると、ちょっと疑問を感じます。「二毛作」「堆肥」「馬借」「惣」といった用語が並ぶだけになっています。これらのことがつながらずに終わってしまいました。できれば、ここまでの時間を短くして、これらの因果関係を考える時間を取りたいところです。これらの間に因果関係をつけるような活動です。そうすると、第一次産業の発達が第二次産業の発達につながることや、第二次産業の発達が結果的に第一次産業のさらなる発達につながるという相互依存の関係が見えてきます。室町時代に商業経済が発達したことの理由もはっきりと子どもが理解できるのではないかと思います。これは一つの例ですが、この時代から子どもたちに何を学ばせたいのか、そのためにどのような活動をさせたいのかを考えることが大切に思います。このようなことをアドバイスさせていただきました。
授業者はとても素直に話を聞いてくれます。この学校に異動して1年目ですが、授業は目に見えて進歩しています。この素直さが原動力だと思います。次回授業を見せていただくことがとても楽しみです。

この日は、1人で授業を見る予定でしたが、私を見つけて空き時間に一緒に回ってくれた若手が2人いました。この2人に共通していたのが、廊下から教室を覗いてすぐに子どもたちの集中の度合いや、気になる子どもの姿に気づけることでした。簡単なことのようですが、意外と気づけない方が多いのです。彼らが日ごろ自分の授業で子どもたちをよく見ていることがわかります。こんなところからも成長を見ることができます。とてもうれしいことです。

体育の授業研究については明日の日記で。

学校運営の改善について学ぶ

先日、平成26年度「学校の総合マネジメント力の強化に関する調査研究」中間成果報告会に参加しました。この日は、慶應義塾大学SFC研究所の木幡敬史先生からの「コモンズ型学校評価支援ツールの開発による組織的な学校運営改善支援に関する実証的研究」についての報告でした。

何年も続いている研究なので、確実に深化しているのを感じます。具体的には、子どもの学び・学校生活状況についての分析の手法と子ども・家庭およびコミュニティスクールの情報共有プロセスに関する調査研究と、学習支援を指向した学力のデータの時系列分析に関する調査研究、これらの普及のための条件等の調査でした。
学校での分析の結果を見て驚くようなことはあまりありません。大切なのは、私たちの感覚ではなく具体的なデータでそれを客観的に示せることです。ただアンケートを取って集計しただけでは、学校の状況は改善されません。その結果をもとに次のアクションプランをつくるまでの手法を明確にしたことにその価値があります。
しかし、具体的なアクションプランなどは私の目には学校、子ども、家庭、地域それぞれがやることがあまりに多く書き出されていて、実際にそれらすべてが実行可能か疑わしく感じます。たくさんの課題が出た時に、それを一度に解決することは難しいことです。因果関係の仮説を立て、まずどこから手をつけるのかを考えることが必要です。発表者に質問したところ、重点化して絞り込むという作業を勧めてもなかなかそこには行き着かないということでした。強いリーダーシップを持つ方がいなければ、焦点化することは難しいのかもしれません。
こういった手法が広がっていくためには、課題に対する対処の具体的な方法が明確になっていることが必要です。課題があぶりだされるばかりで、その解決策がわからずに改善されることがなければ、課題の指摘はかえって学校を苦しめるだけになります。今回の例でできた課題は、どの学校でも指摘される可能性のあるもので、世の中にはたくさんの成功例があると思います。どれがその学校に適するのかは別として、参考となる具体例のデータベースも合わせて整備することが必要になってくると思います。是非、そういったことも今後視野に入れてほしいと思います。

学力のデータの時系列分析については、ある課題テストの合格者と不合格者のその後の成績の変化を時系列で追ったものが示されました。ここでも感じたのは、その結果を見て次にどのような対策を取るかです。こういったツールや手法で浮かび上がった課題をどのようにとらえてどう改善していくのかは、学校現場の解決力が問われるところです。こういった研究が進めば進むほど、学校の力がより問われることになると感じました。

現場の改善について、まず必要なことはその課題の共有です。私自身そのことで苦労することもあります。こういったツールや手法が広がることで、改善への第一歩が踏み出しやすくなることを期待します。よい学びをさせていただきました。このような機会をいただけたことを感謝します。

研究会で刺激を受ける

先週末は、愛される学校づくり研究会でした。
前半はあと一月余りと迫った「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪」の最終打ち合わせでした。細部にわたり事務局が案を作ってくれていたので、比較的スムーズに確認作業が進みます。私の出番は午後の部「楽しく、手軽に授業改善をしよう」ですが、細かい部分は実際に授業を見て、参加者と一緒に検討をしていく過程で決まってきます。大まかな流れと、コーディネーターの役割を確認して終わりました。当日の授業者は準備万端整っている方も入れば、まだこれから細部の詰めを行う状況の方もいます。だからどうというわけではありません。何れにしても授業検討する価値のあるものになることは間違いないはずです。参加者と一緒に大いに学ぶことが期待できると思います。
フォーラムはまだ席があるようです(申し込みはこちら)。予定のつく方は。是非参加を検討ください。

この日の後半は、会員の大学の先生のお話でした。日本の学校でのICT活用の在り方について、北欧との比較を元にその問題点を示されました。現時点では詳しい内容は書けないのですが、この先日本において学校でICTをどのように活かしていくべきかについて、参加者が真剣に考える時間となりました。ここでの話し合いの内容を是非フォーラムのような場でお伝えすべきだと思いました。私個人としてもその場でたくさん発言させていただきましたが、まだまだ思うところはあります。研究会で次年度以降のテーマとしようという提案もされました。実に刺激的な研究が始まりそうな予感がします。研究会のメンバーに火を点ける、とても素晴らしいお話でした。この研究会の会員であることの幸せを感じた日でした。

私立の中高等学校の将来への対策を考える

先週は私立の中高等学校におじゃましました。全体的には落ち着いた状況が維持されていました。1年生では英語を中心にグループ活動など、子どもの主体的な活動場面が多く見られるようになってきました。

グループ活動を取り入れるようになった若手の国語教師と一緒に教室を参加しましたが、子どもたちの集中度や雰囲気を即座に読み取るようになっていました。日ごろ自分の授業で子どもたちをしっかり見ていることがわかります。言葉の端々に自信が出てきているのも感じます。いろいろなことを意識して取り組み、手ごたえを感じているからでしょう。驕ることなく、工夫を続けてほしいと思います。

英語科の先生からいくつか相談を受けました。習熟度別上位層にTOEICの問題を挑戦させたが手がつかず、中には寝てしまう子どもも出てきたというのです。子どもたちはほとんどの単語の意味もわからない状態ということでした。子どもたちはできるようになりたい、わかりたいと思っているのです。それでも寝てしまうのは、解決の糸口を全く見つけられなかったからなのです。そこで、子どもたちが自力でこの問題を解決するために必要なことを整理する必要があることを伝えました。「問題の”situation”を理解できる」「キーとなる単語の意味をわかっている」といったステップを考えるのです。そして、それは自力で考えるのか、与えてしまうのかという判断も必要です。経験の浅いうちは、こちらである程度与えて「何とかやれそうだと」という見通しを持たせてやることも必要です。このアドバイスを受けて、さっそくその日の別の学級での授業を修正していました。この動きの軽やかさが素晴らしいです。”situation”、キーワードの手がかかりを与えたところ、子どもたちはしっかりと問題に食らいついていました。その前の学級と比べると取り組めた問題数は大きく減ってしまったようですが、子どもたちの集中度は違っていたようです。授業後話を聞いたところ、事前に子どもたちの目線で問題を解くことを考えることの大切さを感じてくれていました。教材研究の大切さを再認識してくれたようです。

他の英語の先生は、Q&Aでその解説をていねいにしていました。この問に答えるためには、質問文に対する答え方と質問の内容に対する本文の読解の両面が必要でした。解説の前に子どもたちがどちらでつまずいているのかを明確にすることが必要です。”when”や”why”に対する答え方は、事前に簡単なQ&Aで練習をしておけば思い出せるはずです。その上で取り組めば、つまずきの原因は本文の読み取りになります。子どもが理解し、できるようになるために何が必要なのか、そのスッテプを教師が理解していなければなりません。また、できなかったところを教師が完璧に説明するのではなく、子どもができるようになるために、どのような活動をさせればよいのか考えてほしいことを伝えました。授業者も頭では十分わかっているつもりでした。それでも、ついつい自分が説明してしまうものなのです。そのことに気づいて素直に改善しようとする姿をとてもうれしく思います。
また、英語の文法を意識することよりも、言葉の構造、語順を感覚的に見につけることをしてほしいことをお願いしました。主語、動詞という文法用語で理解するのではなく、こういった言葉はこの位置にくるといった語順を、ジェスチャーやピクチャーカードなどを利用して身につけさせるのです。

この日は大学入試改革を含めた学力観、授業観の変化にどう対応するかということを関連の部の方々とお話しさせていただきました。基礎学力テストが実施されれば今まで差がないように見えていた中下位の集団の差がはっきりと見えるようになることが予想されます。新たなランク付けがなされる可能性が高いのです。プレテストを見てから対応しても、それはどこの学校も同様ですからその時点での差を埋めることは難しくなります。私立の学校としては今から対策を立てることがチャンスにつながります。問題は具体的にどのような対策を立てるかです。まずは、高等学校の授業で求められる中学までの基礎基本をできるだけ早い時期に100%にすることだと私は思っています。その上で、高等学校の基礎基本を確実に積み上げるのです。具体的にどのようにしてこれを実現するのか、年度内に決定していただくことをお願いしました。
どの組織でも前向きな方ばかりではありません。だからこそ、学校全体の総意としてこの方向に進むことが必要になるのです。この学校の将来がどのようなものになるのか、その分岐点が今だと思います。

子どもの脳機能と学級での生活との面白い関係

子どもの脳機能の発達を調べ、訓練するソフトの活用研究のお手伝いをしています。先日、学校生活意欲と学級満足度を測る検査とこのソフトのスコアとの相関関係についての報告を受けました。子どもたちの抑制力と安定して学級生活が送れているかの間になんらかの相関関係がありそうだということです。これに限らず、脳機能と学級での子どもの立ち位置との間にはいろいろな関係がありそうです。
学級での人間関係と子どもたちの脳機能の間に相関関係があることが今一つピンと来ないのですが、言われてみればそのようなことがあっても不思議はありません。どのような因果関係があるのかは今の時点で全くわからないのですが、いろいろと調べてみる価値はありそうです。こういったテストや検査などの客観性のある情報からも想像以上に多くのものが得られそうであることがわかりました。

日ごろは自分の目で見た子どものたちの様子から、学級の状況や授業を分析しています。よくも悪くも自分の目に頼って授業アドバイスをしていますが、それだけでなく客観性のある情報を積極的に活用することも必要だと思いました。個人情報の問題もあり、そういったものを見せていただくことは難しいのですが、観察したことと合わせて、検査にこういった傾向が見てとれるのであれば、こうするとよいといったアドバイスは可能だと思います。子どもたちの授業での様子とこういった検査の関係を今まで以上に意識して授業アドバイスをしていきたいと思います。

法的リスクマネジメントを考える

介護関係者向けの研修の打ち合わせを行いました。テーマは「法的リスクマネジメント」です。介護の現場では、いろいろなリスクがあります。何か事故があれば、その責任を必ず問われます。賠償問題などが起こったときには過失の有無や、予防措置を取っていたかなどが法廷で争われることもあります。私が担当しているこの研修も、事故の予防措置の一環として法的なリスクを回避するという側面もあります。訴えられた時に、会社としてきちんと研修を通じて事故の予防措置をしていると主張できるからです。しかし、見方を変えれば事故の責任を利用者や従業員にあるとするということにもなります。そうではなく、利用者も従業員も会社も、関係者すべてのリスクを軽減するものにする必要があります。

学校で起こる法的リスクの問題も同様だと思います。例えばテストの採点のために自宅に答案を持って帰ることを考えてみましょう。最近では校長の許可を得ないと持ち帰れないとする学校がほとんどだと思います。忙しい先生方に答案を持ち帰るなと言うことは現実的でないことはよくわかっているはずです。それなのに面倒な手続き取らせるのは、現実を無視した、管理的な発想にも見えます。しかし、決してそうではないのです。わざわざ答案を持ち帰る許可を取ったとすれば、そのこと意識していますので、帰りに寄り道をするといったことはしないと思います。時々新聞紙上で目にする、パチンコをしていて盗まれたといった問題は起きにくくなるはずです。また、ルールを守っていて紛失等の事故があったとしても、然るべき手続きを踏んでいたのですから組織のルールの問題となります。結果として個人を守ることになります。それに対して明確なルールがなく、個人の判断で持ち帰って事故が起こった場合、その責任がより大きくなると考えられます。面倒でもこういった手続きをルール化するのは、事故防止と事故が起こった場合の個人の責任を軽減するという効果があるのです。

法的リスクマネジメントを考えるにあたって、誰かの責任を回避するという発想ではなく、関係者全員にとってのリスクを軽減させるような仕組みを考えることが大切です。このことを改めて考えさせられました。

学び続けるエネルギーをもらう

先日友人たちと会食しました。参加した同級生たちは、この3月までに60歳になって一旦会社を退職し、引き続き同じ職に就くか関連会社で同様の仕事をするようです。活躍できる場を持っていることもあるのでしょう、みな元気でエネルギーに溢れていました。
一人の友人は、「これからは今まで蓄えてきたもので勝負する」と言っていました。その分野では著名なエンジニアで、教科書も執筆しています。第一線のエンジニアとして蓄えたノウハウに自信を持っていることが伝わってきます。また、別の友人はいつまで仕事を続けていけるかは、「時代にマッチアップできているかどうかで決まる」と言っていました。マスコミの仕事をしていて、雑誌などにも署名記事を書いています。依頼に対応できる発信力を保てるかが勝負というわけです。
私たちの年代になると今まで蓄えたものがベースになることは間違いありません。しかし、それだけではすぐに時代に取り残されてしまいます。その厳しさを知っているからこそ、エンジニアの友人は、今まで蓄えた最先端の技術、ノウハウで「勝負」するといったのでしょう。エンジニアの友人も、ジャーナリストの友人も、これからも学び続けていくことは間違いないでしょう。自分たちが時代に追いつかれるまでは走り続けるのだと思います。彼らが引退するまではまだ時間がありそうです。

教育の世界はどうでしょうか?社会の変化の影響は確実に学校にも押し寄せています。今までの授業のパラダイムは明らかに変わろうとしています。しかし、残念ながら今までの授業感に囚われて変わろうとしない方も目にします。その一方で、定年後再任用になってもセミナーなどで学び続けている方もたくさん目にします。ベースとなるものがしっかりとあるからこそ、新しいことに対応することができるのだと思います。学ぶ意欲(と体力・気力)があれば、ベテランの方がより高いところにいけるのかもしれません。
私はと振り返ってみると、教師として大した蓄積があるわけではありません。今も昔も多くの先生方や子どもたちから学び続けるしかありません。それはこれからも変わらないでしょう。学び続ける力を無くした時が引退する時だと思っています。

節目の年を迎えましたが、本当の節目はまだ少し先のようです。学び続けるエネルギーを友人たちからもらいました。

秋田喜代美先生から学ぶ

今年最初の教師力アップセミナーは東京大学大学院教育研究科教授の秋田喜代美先生の「子どもがつながる授業、質の高い学びのある授業をめざして」という講演でした。秋田先生のお話は、自分の考えや理論を強く主張するというよりも、自分の研究や学校現場で学ばれたことを私たちと共有し一緒に考えようというスタンスでした。とても納得性の高い、学びの多いものでした。

教育の質と関連して、子どもたちが大人になっときに必要な力を考えなければならないというお話をされました。全くその通りです。秋田先生が例に挙げられた、15年後に社会で必要とされる力を考えることはそれほどたやすいことではありません。教育に携わるものは、社会の流れや変化をしっかりと観察しその先を見通すことが必要ということです。ともすると、目先のことに追われてそのことを忘れてしまいます。心しなければと思いました。ここで、協調的な問題解決のテストが開発されたことが紹介されました。こういう力が求められてきているということでしょう。テスト対策をするのではなく、本質的にどうすれば私たちが願う力を子どもたちにつけるのかを考えることが求められると思います。
教育の質を2つの次元で説明されました。1つは「安心・居場所感でつながっている」、もう1つは「文化的価値ある対象に夢中になれる」です。前者は、私の授業アドバイスの基本となっていることです。しかし、後者については、そのためのアドバイスがなかなかできていないことが実態です。改めてこのことをきちんと伝えていかなければと思いました。
また、教師が選択肢をたくさん持つことが大切であるということも話されました。教師の理屈ではなく子どもの側の視点に立って授業を進めてほしいというメッセージだと受け止めました。子どもの状況に応じた対応をするためには、選択肢が必要となるからです。

授業の質を深める手立てとして3つのステップを示されました。

1 誰でも参加し良さを認め合う
子どもたちが考えたことが見えないとコミュニケーションが成り立ちません。子どもたちのつぶやきを拾い、広げていくことが大切になります。
2 学びを深め創り出す
内容が拡散して薄いと語ることが少なくなります。意見の違いを焦点化して、根拠や理由を考え深めることが大切になります。
3 思考や理解を吟味する
学びを確かなものにするためには、授業をやりっぱなしで終わるのではなく、子どもの言葉で学んだことや今後の見通しをまとめることが必要になります。

私としてはこの3つのことの大切さはよく理解しているつもりですが、こうしてお話を聞くと3つ目の「思考や理解を吟味する」ことをきちんとアドバイスの折に伝えきれていないように思いました。もっと意識しなければと改めて反省です。

授業では「待つ」と「聴く」が大切だということと合わせて、人と一緒に考え、自分たちの持っているものをベースに考えると、「自分たちの力でやり遂げた」という言葉が出てくるということが話されました。「私がやった」「自分でできた」という言葉を、私はずっと大切にしています。秋田先生から同じような言葉が紹介されたことをとてもうれしく思いました。
「教師の指示でする形式的な拍手ではなく、子どもたちから『自然』にでるものを大切にしたい」、「あらかじめ準備した明確に発せられる『プレゼンテーションの言葉』ではなく、その場で考えながら小さく、ゆっくりと発せられる言葉を聞き取ることを大切にしたい」という話には、大きくうなずきました。子どもたちがつながるために大切なことだと思います。

面白かったのは、ある公開授業のビデオを見て何人かの方に感想を聞いた場面でした。全く同じものを見ても、見る視点が全く違っていたのです。休息時間に知り合いの方の意見も聞きましたが、その方の授業観をよくわかるものでした。授業を見て感じることにその人の授業観が反映するのです。だからこそ、授業研究が大切だと改めて思いました。どの考えが正解か議論するのではなく、互いの授業観にふれあい学び合うことがよりよい授業をつくっていくためには必要なことだと思います。

学び合いを支える道具立てについても面白い話を聞くことができました。「個々の学びや立場を可視化するツール」「つなぐためのツール」「吟味のためのツール」と分類した上で、ホワイトボードや付箋紙を使った例を紹介されました。互いの考えを吟味して深めるためには、ただ話し合うだけではうまくいきません。道具の使い方もこのように分類して視点をはっきりするとより有効に活用できると思います。

秋田先生は教師の創意工夫が必要であることをいろいろな場面で強調されます。最近の教育関係の講演では、こうすればうまくいく、こうすればよいというノウハウ的な話が多くなっているように思います。教師に創意工夫を求める秋田先生の姿勢は、先生方の力を信じていることの裏返しだと思います。秋田先生の学校現場を見る目の温かさを感じました。

今回のセミナーの司会進行を務めた若手の教師は、事前に秋田先生の著書を読んで勉強したそうです。しかし、一度読んだだけでは難しくてよく理解できなかったようです。しかし、今回のお話しはとてもよくわかったそうです。もう一度読めばきっとよく理解できそうだとうれしそうに話していました。本から学ぶことも大切ですが、直接お話を聞くことでより一層理解が進むこともあります。教師力アップセミナーのねらっているところの一つです。
スタッフも含め、参加者にとって学びの多い講演でした。秋田先生本当にありがとうございました。

子どもから学ぶ

若い先生方に「子どもから学びましょう」とアドバイスすることがあります。その時に教師になったばかりのことをよく思いだします。当時、自分としては一生懸命に教えているつもりでも、子どもたちの成績はあまり伸びず、その原因を「これまでの学習が定着していないから」「きちんと家庭で復習していないから」と自分以外に求めてしまいました。しかし、本当にそうであれば、これまでの学習を定着させる活動や家庭学習をするように仕向けることをする必要があります。責任回避をするだけで、そのための行動を起こしませんでした。ある単元で子どもたちの成績が悪いと「この単元は、子どもたちは苦手なんだ」と子どもたちのせいにして諦めたこともありました。
しかし、先輩が、具体的にここがわかっていないからと、そのための問題練習をさせているのを知って、自分が子どものつまずきを本当にはわかっていないことに気づいたのです。
「なぜこの単元は苦手なんだろう?」「どこでつまずいているのだろうか?」と本当の原因を見つけてその具体的な解決策を考える必要があったのです。そのためには、問題ができたできなかったという結果ではなく、その過程をしっかりと見ることが必要です。
このことに気づいてから、机間指導ではどこでつまずいているかを意識して見るようにしました。また添削問題を自作しました。問題の内容や順番を工夫して、例え白紙に近い解答の問題があっても、その他の問題の正誤でつまずきの原因が見えるようにしたのです。添削の時に簡単なアドバイスを書き込んでからやり直させることで、どのようなアドバイスが効果的かも知ることができました。こうしたことを積み重ねて、子どもがどこでつまずくのか、それを解消するためにどのようにすればいいのかを知ることができました。
子どもたちは添削問題に真剣に取り組めばわかるようになることに気づくと、積極的に取り組むようになりました。わかるようになると授業の集中度も変わってきます。子どもの問題ではなく、私の問題だったのです。子どもたちのわからない、できないという事実を素直に認めて、そこから学ぶことをして初めて授業が改善されたのです。私を成長させてくれたのは間違いなく子どもたちでした。

子どもたちから学ぶということが言われます。それは、子どもを見て、単に何ができた、何ができないという事実を知ることではありません。その事実から子どもの目線でその原因を考えることが必要です。また、その原因や対策を知るために、意図的な働きかけも必要になります。子どもから学ぶということは受け身ではありません。積極的に働きかけ、それに対して子どもがどう反応し変化したかを知ることで初めて学ぶことができるのです。このことを意識してほしいと思います。

子どもたちの安心感

授業を考える時のキーワードの一つに「子どもたちの安心感」があります。この安心感について少し考えてみたいと思います。

子どもたちは、授業に安心して参加できることを望んでいます。不安な状態でいることは、子どもでなくても苦しいものです。では、安心感を持たせるためにはどのようなことに注意すればいいのでしょうか。
一つは、授業のゴールを明確にすることです。今からどこに行くかわからないのにただついてきなさいと言われれば、大人でも不安になります。行先は常に明確にすることが大切です。授業のめあてや、それを達成するためにどういう順番でどのようなことをやるのかステップを明確にすることが必要です。わかりやすく黒板の横に書いておくのも一つの方法です。それにもとづいて、今どこのことをやっているかを子どもにきちんと伝えておけば、授業の見通しと自分の位置がわかるので安心して授業を受けることができるのです。

子どもが恥をかく心配がないということも安心して授業に参加するために大切なことです。間違ってもバカにされない、何を言っても大丈夫という雰囲気をつくることを意識しなければいけません。例え間違った答でも笑顔で「なるほど」と受け止めることが大切です。同様に、まわりに認められることも大切です。「今の意見、なるほどと思った人?」「納得した人?」と友だちに認められる場面をつくったり、「同じ考えの人?」と子ども同士をつないで関係をつくったりすることが求められます。ペアやグループの活動で互いに認め合う場面をつくることも有効な方法です。子ども同士だけではありません。教師が子どもをほめて認めることもとても大切です。学級に子どもたちの居場所をつくることが求められるのです。

忘れてならないのは、子どもが授業の内容をわかることです。学習内容を理解できなければ、自信を失くし不安になるのは当然です。わかる授業を心がけるのは、安心感を持たせるという視点でも大切なことなのです。課題に取り組む時などは、どうしても差が出てきます。わかった子ども、できた子どもを中心に答を聞くのではなく、わからなかった子どもに寄り添うことが大切です。そのために意識してほしいのがスモールステップです。一気に答を求めさせるのではなく、細かく分けることで一つひとつのハードルを低くするのです。こうすることでハードルをクリアさせやすくできますし、例え自力でクリアできなくても次で挽回する機会を与えることができます。達成感を持たせやすくできるのです。

「子どもたちの安心感」をキーワードにして、ここに挙げた3つのポイント「授業に見通しを持つ」「学級に居場所がある」「授業の内容がわかる」を大切にすることで、どの子どもも安心して参加できる授業をつくることができると思います。ぜひ、このことを意識してほしいと思います。
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