介護技術研修の打ち合わせで引き算の発想を思い出す

昨日は、介護技術研修の打ち合わせを行いました。

研修で何を伝えればいいのかということは、素人の私では全くわかりません。介護のプロである担当の方に聞くしかありません。いつも感心するのが、担当の方がそのポイントを非常にシャープにまとめてくださっていることです。お話を聞いていると伝えたいことがたくさんあることがよくわかります。だからこそ、本当に大切なことは何かを真剣に考えて絞っているのです。限られた時間の中での研修は内容が薄くなることもよくあります。もともと伝えたい内容が少なければ、ただ薄くなっていくだけだからです。伝えたい内容が広く深いからこそ、根本は何か、何を伝えれば自力で他のことを身につけることができるかといったことを抽出できるのです。
このことは授業にも通じることです。若い先生はそもそもこの単元で伝えるべきことがしっかりとわかっていないことがよくあります。まずは、何を教えなければいけないかを足し算することから始まります。教えるべき内容が見えてくると、こんどはその中で何が本当に大切なのか、何が身についていなければいけないのかを考えることになります。子どもたちの活動の時間を保障すると、教師が話す時間は減ってきます。足し算の発想では時間が足りなくなってしまいます。この時間の中で絶対に身につけなければならないものは何か、省くことができるのは何かを真剣に考えなければいけません。これが引き算の発想です。

素人の私が研修を組み立てるためには、足りない知識を調べて獲得することが必須になります。介護に関する知識が限りなくゼロに近い私ですが、思ったほど時間がかかりません。それは、担当の方が大切なポイントが何かをしっかりと伝えてくれているからです。基本になることを教えてもらっているので、他の知識はそれをベースにすれば比較的簡単に身につくのです。授業の大切なポイントを体験させていただいています。

担当者の方は介護技術研修の内容を考えるにあたって、利用者の自尊感情を大切にする、リスクを常に意識するといった基本を絶対に外しません。利用者の目線を大切にしています。そのおかげで、私のような素人でも一連の介護技術に関して外してはならないことが何か明確にわかります。このことも子どもの目線を大切にするという、授業の基本に通じます。

素晴らしい介護職の方に出会えた幸運もあり、介護技術という専門でない分野の研修に携わることで今までとは別の視点で学ぶことができています。このような機会を得られたことに感謝です。

授業改善の進め方の検討

昨日は、私立の中高等学校で授業改善の進め方の検討を行ってきました。教科指導部で検討された案をもとに具体的に詰めていきました。

子どもたちを受容することで、まず良好な人間関係をつくるという私の考えに沿った方針を教科指導部は考えてくださいました。このことはとてもうれしいことです。子どもとの関係の大切さを意識していない先生方もいるのですが、基本的には一気に変えようとするのではなく少しずつ意識する先生を増やそうという姿勢でした。まずは授業改善の種を蒔こうというわけです。現実的な良い判断だと思います。

教科指導部の先生方は、授業を見てその場で私が指摘することで課題がよくわかるという感想をもたれていました。うれしい評価です。授業を見ても、具体的な場面についてその場で指摘されないとよくわからないので、他の先生方にも私と一緒に授業中の子どもの様子を見て回る機会を持ってもらいたいと考えられていました。そういう機会をつくって視点を育てることで、授業を見てアドバイスをもらいたいと考える先生を増やそうというのです。まずは若手がターゲットです。
特定の学級の対応に困っているといった問題も学校内にはあります。グループや教科が抱えている問題を相談する機会も作りたいということでした。目の前の問題を一緒に考えることで、学び合う雰囲気をつくるのです。
こういった小さな取り組みを積み上げていくやり方を取らずに、上から一気に改革を進める方法もあります。しかし、そういうやり方は失敗する可能性も高くなります。この学校に適した進め方を見つけることから始めるのはよいやり方だと思います。
校長の頭の中には授業改善のイメージがあるようなのですが、あえて口出しせずに先生方の中から出てくるのを待とうとしています。先生方に集団としての力がつくことを大切に考えているのでしょう。

まずは6月に行う授業研究を今までとは少し違った形で進めることになりました。子どもの活動を中心に授業を組み立てる視点を授業者と共有する時間を持ち、指導案の検討を一緒に行います。当日の授業検討の視点も子どもの活動を中心にしたものに変えて、グループで行うようにします。授業中の子どもたちの様子を先生方が意識するきっかけになるようなものにしたいと思います。

また、夏休みのような機会に基本的な授業技術を確認するような研修を持つことも考えることになりました。基本的なことでも長い間におろそかになることがあります。若い先生には身についていないこともあります。こういったことを確認する機会を持とうというわけです。

思った以上にたくさんの手立てが教科指導部から提案されました。先生方の抵抗感がない形で進めることを真剣に考えた結果そうなったのだと思います。焦って結果を出そうとするのではなく、時間がかかってもいいので自然な形で学校全体の授業改善が進む方法を模索しています。この学校の授業改善のお手伝いをすることで、今までとは違った気づきがたくさん持てる予感がします。次回は教科指導部以外の先生と話をする初めての機会を持ちます。どのような授業を目指しているのか、どのようなことを課題としているのかとても興味があります。今からとても楽しみです。

文部科学省で公募の審査

先週末は、「学校の総合マネジメントの強化に関する調査研究」の審査員として文部科学省に出かけてきました。昨年に引き続き2度目です。

調査のための調査、研究のための研究ではなく、その成果をいかに全国に普及できるかという視点が大切にされています。公費を使うということは、多くの者の利益となるものでなければならないという姿勢を強く感じました。

審査の内容については詳しく書けませんが、審査員の大切な仕事にプレゼンテーションに対する質問があります。面白かったのが、その内容がよくわからない調査研究も、皆さんの質問とその答を聞いてなるほどと納得できるものもあれば、なんとなくよさそうに思えても質問の答えを聞いているうちに疑問がわいてくるものもあるということです。質問の大切がよくわかります。
これは授業と同じことのように思います。子どもの発言内容がよく伝わらなくても、教師の適切な問い返しで子どもの考えが整理されます。一見わかっているようでも、説明を求めることで理解が不十分な部分が明確になることもあります。皆さんの質の高い質問からたくさん学ぶことができました。

昨年度の調査研究結果の発表会が間もなくあるそうです。昨年度審査員として興味を持ったものがたくさんあります。日程がうまく合うかどうかはわかりませんが、できるだけ参加したいと思っています。
今回もいろいろな視点で学ぶことの多い場でした。このような機会をいただけたことを感謝します。

介護技術研修の参加者から学ぶ

昨日は、介護技術の研修をおこなってきました。今回は「食事介助」がテーマです。いつものことですが、私は介護技術に関しては素人ですので、実務に携わっている専門家の助けを借りながらでした。

まず、摂食・嚥下とはどういうことなのかを確認しました。摂食を単に食事を摂ることではなく、食べることを意識し、食物を認識、食べるための準備をするところまでを含んで考えることを共有し、摂食について何が大切であるかを考えてもらいました。
研修の冒頭でリスクの話をしていたので、参加者の意識は事故が起こらないようにすること集中するかと思いましたが、まず出てきたのが、食べる意欲を持たせるような働きかけでした。無理やり食べさせるのではなく、食べたいと思ってもらうところから始めるというのは、介護される側の視点に立ったものです。こちらから言わなくても、既にそういう意識ができていることはとても素晴らしいと思いました。また、調理をしてくれる人への感謝を挙げる方もいました。これも素晴らしい視点だと思います。こういう気持ちを持つことで、調理する側も気持ちよく個人に応じた対応してくれます。こういうことが質の高い介護につながっていくと思います。

「食事を摂ることを認識する」⇒「食べ物を認識する」⇒「口を開ける」といった摂食の一連の動きは、コミュニケーションが求められるところです。一方的に指示するのではなく、相手の反応や行動をきちんと確認することが大切です。グループで互いにやってみてもらいましたが、言葉だけでなく、アイコンタクト、接触によるコミュニケーションなど、五感をフルに活かしていました。参加者が日ごろからコミュニケーションを大切にしていることがよくわかりました。

食事の介助は個人の状況によってその対応が異なります。そのために、一人ひとりの状態をきちんと把握する必要があります。情報の共有が大切になります。どのようにしているのか、どのようなことが大切なのかを考えてもらいました。
主に介護士が食事介助をする施設もあります。その施設では、介護士が誰にでもわかるようにと、ポイントとなる所に線を引いたりするなどの工夫をして一人ひとりの情報を整理しています。しかし、担当ではない方はそのことをあまり意識していないのではと思っていました。ところが、みなさんその情報があることを知っているだけでなく、その内容もよく読んでいるようでした。それだけでなく、日頃からその介助の様子を観察しているというのです。担当者だけでなく、自分たち全員の問題という姿勢には感心させられました。

この日も参加者の発言や意識から、私自身が学ぶことがたくさんありました。こういう機会をいただいていることに感謝です。

授業評価の打ち合わせ

昨日は、私立の中高等学校で打ち合わせをおこなってきました。この学校は以前より生徒アンケートによる授業評価を外部委託で行っていたのですが、委託先が撤退したため私どもにお声がかかりました。
生徒アンケートによる授業評価は、設問とするだけで教師がそのことを意識して改善が進むという利点があります。意識すればできることであればすぐによい方向へ変わっていくのですが、具体的にどのようにすれば改善するのかという手立てが見えないと、なかなかスコアがよくなりません。努力しているのだが結果が出ないので、結果を見るのが辛くなる。そのことが常態化すると授業評価や授業改善そのものにも意欲をなくしてしまいます。この学校は8年間アンケートによる授業評価を続けてきているのですが、こういった課題が表面化してきているようでした。

もともとは、今年度のアンケートをどうしようかということでしたが、管理職の方とお話しして、授業改善につながる授業評価にしたいという思いを強く感じました。
アンケートの設問も、もしスコアが低いのであれば具体的にどのようにすればいいのかという方法論がなければ改善にはつながりません。また、教師が意識していることが実際に効果的なのかを客観的に見ることも必要です。生徒アンケートは授業改善の有効な手段ですが、それだけでは十分ではないのです。
こういったことをお話しさせていただいたところ、非常によく理解していただくことができました。年2回行っていたアンケートを今年度は1回にして、授業評価アンケートだけでなくトータルに授業改善の方法を探っていくことになりました。

この学校はビジョンの1番目に、「教職員と生徒が信頼し合う」という言葉が入っています。教師と生徒の人間関係を大切にするという発想はとても素敵です。管理職の方の授業に対する姿勢も、本当に子どもたちを伸ばしたいという思いがあふれるものでした。こういう学校のお手伝いができることをとてもうれしく思いました。次回は、実際の授業での子どもたちの様子を見せていただき、その実態をもとに今後の授業改善の方向性を探っていくことになりました。今後がとても楽しみです。

板書の時ほど子どもを見る

廊下から子どもたちのようすを見せてもらっていると、いろいろなことに気づきます。特に教師が黒板の方を向いて板書をしている時の子どもの姿は、学級の状態を映し出してくれます。

まず気がつくことは、子どもの姿がそろっているかどうかです。そろっている時は、黒板を見て「板書を写している」、「板書を注視している」のどちらかです。板書を写しているのは、教師が板書を写すように指示しているか、子どもたちが板書は写さなければいけないと考えているかのどちらかです。この違いは教師が板書を終わって話を始めるとよくわかります。前者であれば、少なくとも教師が話を聞くように指示すれば、子どもは手を止めて教師に集中します。ところが、後者であれば子どもは板書を写すことを優先してなかなか顔を上げようとはしません。
子どもが板書を注視しているのは、学習に対して意欲を持っている時です。「板書を見てね」と言ってもなかなか集中は続きません。教師が何も言わなくても、このような状態であれば、学級は授業規律を含めてよい状態であることが多いようです。

子どもの姿がバラバラなときは、明確な指示が出されていないか、子どもたちの学習意欲が低い場合がほとんどです。4月は板書を写す子ども、板書を注視している子どもに分かれやすい時期です。それは、昨年までの教師がどのようにしてきたかの影響が残っているからです。年度当初からきちんと指示をすればそろっていきますが、教師が板書を見ることを求めずあとから写すように指示をしたりすると、板書をしっかりと見ていた子どもは写すのが遅れて損をしたような気持ちになってしまいます。ルールをきちんと伝えておくことが必要です。

このような違いが起こる一つの要因が、教師が子どもの状態に気づいていないことです。ずっと黒板の方を向いて板書を続け、終わってから子どもたちの方を向くのであれば、子どもの様子に気づくことができません。教師が子どもたちの方を見ると顔を上げてしっかり聞く姿勢をとる学級でも、板書中はボーっとしていることがよくあります。ベテランでも、この学級は授業規律ができている、子どもたちはよく集中してくれると勘違いしていることがあります。板書中は何もせず、教師が板書を終わり子どもたちの方を向いて説明を始めると写し出したという、笑えない学級も目にすることがあります。総じて、教師がよくしゃべり、チェックする目で子どもたちを見ている学級では、子どもたちが受け身で長い時間緊張を強いられるため、教師の視線から解放されると息抜きをする傾向が強いようです。

何の指示もなく板書しながら黒板に向かって話すなどというのは論外ですが、たとえ指示を出していても板書に専念するあまり子どもの様子を見ないというのは問題です。指示通りに子どもが行動できているとは限りません。板書中も、意識して子どもの方を振り返ってみることが大切です。子どもたちの状況を把握することで、授業規律が確立できているかがよくわかりますし、子どもたちに対してどういう指導が必要なのかを判断することができます。板書の時こそ、子どもを見ることを意識してほしいと思います。

管理職研修で講演

昨日は、今年度より全小学校の授業アドバイスをする市の管理職研修の講師を務めました。「やる気を引き出す学校経営」というテーマで、授業改善の例を中心に話をさせていただきました。

大切なことは、管理職からの発信がどれだけ具体的であるかということです。例えば「挨拶のできる子ども」と言っても、大きな声で挨拶はするがこちらが挨拶をする前に立ち去ってしまう子ども、ちょっと立ち止まってこちらの目を見て挨拶してくれる子ども、お客を見つけてわざわざこちらに寄ってきて挨拶してくれる子ども、というように私の目にする子どもたちの姿は様々です。でも、どれも「挨拶のできる子ども」です。どのような姿を目指しているのか具体的な姿で発信しなければ正しく伝わりません。
授業を見ても、具体的なフィードバックをしなければ、見られた側はチェックされたとしか思いません。ポジティブな評価をすることも大切ですが、ただよかったではなく、どこがどのようによかったか具体的に伝えなければ、単なる外交辞令だと思われます。「あの場面はどうしたかったの?それならばここをこうするともっとよくなると思うよ」といった具体的なアドバイスも心がけてほしいと思います。見られてよかった、アドバイスをもらえて授業がよくなった。そういう思いをすれば、やる気を出してくれますし、自分からアドバイスを求めてくれるようになります。
また、授業を見てアドバイスをしたからすぐに授業がよくなるわけではありません。大切なのはその後、できるだけ早い時期にもう一度見ることです。たとえ上手くやれていなくても、やろうとしていれば、その意欲を評価するのです。何らかの変化に対して常にポジティブに評価することが大切になります。子どもを育てることと同じです。
授業研究なども、あたりさわりのない意見、批判的な意見ではなく、具体的な改善につながる意見、よいところを認める意見がでるような工夫が必要です。学校全体に互いを認め合う、学び合う雰囲気をつくることが大切です。

保護者や地域の方の力をうまく活用することも、学校経営にとっては大切なことです。まわりの力を活かすには、一方的なお願いではなく、子どもたちの成長のためにどうすればよいかこちらから相談する姿勢が求められます。一緒に考え、互いに補いながら実行することで、やらされている感のない活動に変わります。また、参加してもらって終わりではなく、その結果子どもたちの成長にどのような変化が見られたかといったことをきちんと伝えることも大切です。自分たちの行動が子どもたちの成長に役立っていることを実感することが自己有用感につながります。このようなことを意識していただけたらと思います。
学校ホームページに関連して、アップする内容を工夫することで保護者や地域の方だけでなく、教員のやる気もアップすることも少し話をしました。

限られた時間の中で伝えたいことを一方的に話す形となったため、参加者が受け身となる時間多く、申し訳ないことをしました。そのような中でも、多くの方(特に女性)が積極的に反応してくださったことをうれしく思いました。いよいよ来週から実際に学校に訪問しますが、どのような子どもと先生方にお会いできるかとても楽しみです。少しでも学校の授業力の向上にお役に立てるよう頑張りたいと思います。

大前暁政先生から刺激と視点をいただく(一部削除)

先週末は、今年度第1回の教師力アップセミナーに参加しました。京都文教大学准教授の大前暁政先生の講演でした。

前半は「学級づくりの筋道」、後半は「理科の授業づくり」についてのお話しでした。共通して感じたのは、まだ若いのに大前先生が実によく勉強されてきたのだろうということでした。特に前半のマネジメントに関することは、どこかで聞いたことのある話ばかりなのですが、ご自身の現場での経験をもとに実践する側の視点で何が大切かを改めて整理されているように感じました。目標を立てても具体的な手立てが見えなければ、実行することはできない。具体的な手立てを持つこと、示すことが大切だという主張は大いに賛同できるものでした。学級経営を考える時に、その大切な要素が授業だという考えも納得でき
るものでした。

後半の「理科の授業づくり」は、大前先生が日ごろ大切にしている視点を伝えられました。これも、一つひとつの内容はどこかで聞いたことがあることなのですが、実践を通じて大前先生の言葉で整理されたことに価値があると思います。

・3つの力(問題解決能力)
比べる・因果関係を考える・規則性(法則性)を探し出す。

・心理的盲点に気づかせる
子どもが素通りしそうな(見過ごしそうな)知識を問う。

・わかった状態から、わからない状態へ
わかった状態からわからない状態へ追い込むことによってより深くかんがえさせることができる。

・問題意識を探り、授業で扱う
子どもたちから疑問や調べたいことを引き出すことで、意欲を持たせる。

こういったことを、具体例をもとに話していただけました。

ただ、示された例が興味を持って調べる、知識を得ることにやや偏っていて、子どもが考えて結論を出すといったものが少なかったことが気になりました。知識を得て、その知識をもとに考えるという流れが、明確になっていなかったのです。考えさせる例でも、そのために何を知識として持っていなければいけないのか、それをどう与えてどう子どもたちに活用させるかの手立てが示されなかったのです。大前先生の中ではきちんと流れがあるのでしょうが、若い先生にはそのことを意識することすらなかなか難しいことです。小学校の先生の多くは理科の専門家ではありません。理科で大切にすべきことが何かをわからずに、ただ同じ実験をやる、課題を与えるだけでは、興味を持たせることはできても、理科の力がつくかどうかは疑問です。もし次の機会があれば、ぜひこのあたりのことを話していただきたいと思いました。

まだ若い大前先生ですが、たくさんの刺激と考える視点をいただけました。ありがとうございました。

机間指導中の子どもの姿

先生が机間指導をしている時、子どもたちの姿を見ていると面白いことに気づきます。先生が近づくと手でノートを隠すようにして体を通路と反対側に向ける子ども、逆にノート見やすいように手をどけて、先生を待っている子どももいます。もちろん、何の変化もない子どももいます。多くの場合、学級ごとにその傾向が異なるのですが、その違いは何でしょう。

机間指導で間違いをチェックされると、子どもはネガティブな気持ちになります。先生がそばを通るたびに間違いをチェックされていると、先生が近づくだけで間違っていたらどうしようと緊張するようになります。
一方、先生がノートを見て○をつけたり、ここがいいねとほめてくれたりするととてもうれしいものです。いつもほめられる子どもは、先生が近づいてくるとほめてもらおうとノートを見えるようにしたり、作業を止めて先生が来るのを待ったりするようになるのです。先生がノートを見ている時に、自然に子どもの顔に笑顔が浮かぶ光景もよく目にします。

先生がいつも子どもの間違いをチェックする目で見ている学級は、机間指導で先生が近づいてくると子どもに緊張が走ります。そして、先生が通り過ぎるそばから緊張が弛んでいくのがよくわかります。子どもは先生にそばに来てほしくないと思っています。
一部の子どもは先生を待っていて、一部の子どもは緊張する学級もあります。これは、正解やいいことを書いていればほめるが、そうでなければ声をかけない、または間違いを指摘する先生の学級で起こります。よくできる子ども、自信のある子どもだけが、○をもらえる、ほめられるので先生を待っているのです。
いつも、よいところを見つけてほめる。たとえ間違ってもできているところまで認めて○をつける。全員にポジティブな声かけをする。こういう学級では、机間指導をしていても子どもに緊張は走りません。課題に取り組みながら先生が近づくのを心待ちにしています。
机間指導をしていて子どもに何の変化もない学級は、先生がただ漫然と子どもたちを見ていることがほとんどです。また、できない子どもだけ個別に指導するような学級では該当しない子どもは、先生に頓着しません。逆にいつも教えてもらう子どもは、行き詰まると先生が来るのをじっと待っています。先生がその子どもに気づかなければずっとそのままです。こういう状態になるのであれば、机間指導はせずに全体が見える位置で子どもたちを見守って、気になる子どもがいればすぐにそこに行けるようにした方がいいでしょう。

机間指導をしている時の子どもの様子は、先生が子どもたちとどういう姿勢で接しているかを如実に表します。子どもたちの姿から机間指導での子どもとの接し方を振り返ってみてほしいと思います。

教務主任の授業(長文)

先日訪問した中学校での提案授業は、教務主任の参観者への強いメッセージを感じるものでした。3年生の社会科で、世界恐慌と各国の対策についての授業でした。

この学校の3年生はとても集中力があり、どの先生も口をそろえて授業がやりやすいと言っています。だからこそ、教師が子どもたちにどのようになってほしいかをしっかり伝えることでより高いところへ到達することができます。特にこの時期は、このことを強く意識して授業規律などをきちんと確立することに力を使わなくてはいけません。授業者は、どのようにすればいいかを様々な場面で示しました。授業開始の挨拶では、しっかり子どもたちと目線を合わせ、全員が自分に集中したのを確認してから礼をします。プリントを配る時には、「ありがとうと言えるといいね」と一言そえます。ほめ言葉や認める言葉をたくさん聞くことができました。

授業の前半では、世界恐慌の前後でアメリカの人々の生活がどのように変わったかを確認しました。好景気の時の大きな広告看板の前で配給を待つ人が列を作っている写真を見せて、子どもたちに質問をしていきます。英語の看板から子どもたちはアメリカと気づきます。看板の明るいイメージから、第一次大戦でアメリカが戦争の影響を受けずに反映したことを子どもたちの口から言わせました。自然な形で学習した知識を活用し復習をさせます。授業者は「そうだったね」と子どもの言葉を認めて進めました。この復習内容が大切であるならば、このことについてもう少し詳しい説明を他の子どもに求めてもよかったかもしれません。時間をあまり使いたくなかったのでしょう。

子どもたちに看板の英語の意味をたずねます。他教科の学習を具体的に活かす場面をつくる姿勢は大切です。この場面は子どもから言葉を引き出すためにていねいに進めました。しかし、社会科の授業としては本質的な部分ではありません。また、意味がわかるかどうかは知識の問題でもあります。子どもたちは考えるのですが、辞書を引いたりする姿は見られませんでした。であれば、すぐに答を引き出して社会科の授業に戻らなければいけません。ちょっとまわりの子どもと相談させて、すぐに発表させればいいのです。

子どもたちを指名しながら、何の行列かを考えさせます。「バッグを持っている」「買い物」「行列ができるのはどんなとき?」「遊園地」「人気のあるもの」・・・、子どもたちはうれしそうな表情で意見を発表します。授業者がうなずきながら、しっかりと受容するからです。子どもの様子を見て、「○○君何かわかっているね」と声をかけます。途端にその子どもの表情が明るくなります。固有名詞できちんと外化を評価しています。また、その子どものまわりの子どもたちも明るい表情になります。子どもを具体的に評価することは、他の子どもにもよい影響があるのです。
授業者は、失業者へのドーナツの無料配布の様子の写真も使って、失業者が増えたことを確認し、現代の日本の状況やアベノミクスについても言及しました。歴史を過去のものとして扱うのではなく、今とつなぐことは大切なことです。
授業者は、世界恐慌で何が起こったかを「不況になって、生活が苦しくなった」と単なる言葉で説明するのではなく、子どもたちに実感できることを大切にしていました。しかし、子どもたちに経済的な知識がないので、どうしても説明が多くなります。不況のメカニズムをできるだけ単純に子どもとのやり取りで気づかせるような工夫があるとよかったでしょう。
「物が大量に作れると何がいいの?」「安くなる」、「よそより安くするためにはどうする」「もっとたくさん作る」、「物を作ったらどうするの」「売る」「買ってもらう」、「作りすぎたらどうなる」「売れ残る」「安売りする」、・・・。これほど単純化していいのかどうかわかりませんが、資本主義経済における市場の大切さもここで押さえておくことで、この後のブロック経済がよくわかるはずです。

授業者は、板書をできるだけしないようにしています。板書をするとどうしてもそれを写すことに意識がいってしまい、考えることをしなくなるからです。その代りに「世界恐慌」といった大切な用語は、全体で何度も声に出させます。写すことよりも覚えることを優先させています。子どもたちは、用語を覚えるだけでなくその意味もよく理解していることが、授業者と子どもたちとのやり取りでよくわかります。授業者は今扱っている内容と関連する過去の学習内容を質問しますが、子どもたちはとてもよく反応するのです。

世界恐慌の結果、失業者が増え生活が苦しくなったことをしっかりと押さえたところで、この時間のめあて「世界恐慌に対して、欧米諸国はどのような政策を行ったのだろうか」を板書します。子どもたちは、素早く写します。前半を子どもとやり取りしながらていねいに進めることで興味を持っていることがわかります。子どもたちに欧米諸国の名前あげさせます。亜米利加(アメリカ)、英吉利(イギリス)、仏蘭西(フランス)、伊太利亜(イタリア)、独逸(ドイツ)と板書します。米、英、仏、伊、独といった略名に慣れさせるためでしょうか、面白いやり方です。授業者は意図的に、亜米利加を左の方に、英吉利、仏蘭西を真ん中に、伊太利亜、独逸を右端の下の方に書きました。
ここで、第1次大戦後の各国の工業生産量?の変化のグラフを資料として配ります。子どもたちは、すぐにソ連だけが順調に発展していることに気づきます。そこで、ソ連が他の国とどう違ったのか、当時の指導者スターリン、5か年計画を押さえました。授業者はソ連の国土が大きいため国内だけで経済が完結できることを世界恐慌の影響を受けなかった理由としましたが、雇用の創出、市場の確保といった他の国の政策と共通の視点で整理しておくとよかったと思います。

子どもたちにメモでいいので3分間で各国のとった政策をノートに書くように指示をしました。この日は短縮授業だったので時間が厳しかったこともありますが、3分間としたことで子どもたちの集中度はとても高いものになりました。どの子も素早く取り組みます。3分経ってもまだ子どもたちは作業をしています。しかし、授業者は思い切りよく止めました。「1つは書いているよね」と確認したところ、手が挙がらない子どもがいます。授業者はその子どものノートを確認して、「なんか書いてあるじゃない」と発表させます。ほとんどの子どもが手を挙げているからこそ、手を挙げていない子どもに目を向けることが大切です。できていない子どもも活躍させようと考えているから、途中でも躊躇なく止められたのです。全員を参加させたいという授業者の思いが伝わる場面でした。

子どもからニューディール政策が出てきました。関連することを他の子どもたちに確認します。公共事業とは何かを説明し、道路をつくる、ダムをつくるといったインフラ整備が行われたことを押さえます。雇用の創出という視点で、「どんな事業をすればいい?仕事をつくるだけなら、穴を掘って埋めてもいいじゃない?」「だれがそんな仕事をつくるの?」といった、不況の原因から考えるという発想もあります。授業者は子どもたちに経済はよくわからないだろうと、経済的な部分を自分で説明しましたが、スモールステップを意識することで、子どもたちで考えられるようにすることはできたように思います。
授業者は政策という事実を調べさせることから出発しましたが、不況の原因から次にどう行動するかを考えていくという発想もあります。授業の前半で雇用が失われたことと市場の必要性を押さえておけば、それぞれを意識した政策はどの国がとったのかを問うこともできたと思います。その上で、他の国はなぜそういった方法を取れなかったのかを問うことで、第2次世界大戦への道が見えてくると思います。
結果から考える発想と原因から考える発想のどちらがよいというのではありません。どのように組み立てると子どもたちが考えやすいかで判断するとよいと思います。いずれにしても、この時代のことは現代社会にもつながるだけに、今を読み解く視点を意識して授業を組み立てたいものです。雇用や市場を意識することで、アベノミクスやTPPといった現在の問題もよく見えてくると思います。

授業者は子どもたちの発言に対して、「ありがとう」と返すことで発言をしやすい雰囲気をつくり、「わからない人いない?」と全員が理解することを大切にしています。ブロック経済では、「他の国が入ってこられないためにどうしたらいいの?」と問いかけ、「関税」という発言に「いいこと言ったね」と評価します。また、「笑顔がいいね」と声をかけてから指名したりと、子どもたちとの人間関係をつくることも大切にしていることがよくわかります。
子どもたちは友だちの発言をよく聞いていますが、中には一生懸命メモを取っている子どもがいます。板書をしないので、メモを取っておこうというのです。この行動自体は悪いことではないのですが、ずっとノートを見続けているのが気になります。発言者の方も見てほしいと思うのですが、悩ましいところです。「基本は発言者を見る、メモを取る時は素早くとって発言者に視線を移す」と、メモを禁止するよりも、よりレベルの高いところを目指すようにできるとよいと思いました。

ブロック経済をとられると、ドイツやイタリア、日本はどうなるかを考えさせ、このことが第2次世界大戦につながっていくことを子どもの言葉から押さえて、最後に、黒板の空いたところにそれぞれの国のとった政策を指名して書かせました。自分たちでまとめるようにすることで、子どもたちは受け身になりません。多くの子どもが、友だちの板書をそのまま写すのではなく、自分で言葉を足したりしてまとめていました。
政策を書かせるだけでなく、何を意識した政策なのか、上手くいったのかどうか、その結果どうなったのかも簡単に付け加えさせればよかったと思います。子どもの言葉でこの日のまとめを発表させて終わりました。

社会科の授業としては、子どもたちの活動をもとに組み立てるために思い切って引き算をしていることが印象的でした。たくさんのことを説明するのではなく、何を理解すればこの時代を理解できるかをよく考えた授業構成でした。ただ、経済については子どもたちに知識がないため自分たちで考えるのは難しいだろうと考えたため、どうしても授業者の説明が多くなってしまいました。「単純化できないか」「どのような知識が必要か」「どのくらいスモールステップにできるか」といった視点で教材研究をすることで、難しい内容も子どもたち自身である程度考えさせることができるようになると思います。

社会科の授業としても見どころが多かったのですが、何より感じたのは「教務主任の授業」だということでした。この時期に教務主任としてみんなに意識してほしいことを伝えるための授業だったのです。子どもたちのどんな姿を目指すのか。どのような授業規律を確立したいのか。そのために具体的にどのようにすればいいのか。そういうメッセージがいたるところから伝わってきました。表情や言葉かけ、指名の仕方や受容の仕方に、子どもたちが安心して参加できる、子どもたちの言葉でつくられていく授業を目指していることがよく表れていました。どの教科の先生にも学ぶことの多い授業だったと思います。
教務主任として2年目の先生ですが、忙しいこの時期に自ら意図的な提案授業をおこなったことに感心しました。教務主任だからこそ、何より授業を大切にしたい。そんな思いも伝わってきました。この学校の先生方もきっとこの思いを受け止めてくれたことと思います。この学校に授業を大切にする空気がますます強くなっていくのを感じます。
若い先生方の成長も楽しみですが、こういうミドルリーダーの成長を見ることもとても楽しみです。この学校がこれからどのように進化していくのか、今まで以上に楽しみになってきました。

有田和正先生から学んだこと

5月2日に有田和正先生が亡くなられました。教師力アップセミナーでは平成16年から8年間にもわたり講師を務めていただきました。愛される学校づくりフォーラムでは昨年、一昨年と登壇いただき、特に昨年は小学校6年生最後の社会科の授業というテーマで模擬授業を行なっていただきました。体調不良のため控室で苦しそうな顔をされていたにも関わらず、舞台に立つといつとも変わらぬ素敵な笑顔で、素晴らしい授業を見せてくださったのが忘れられません。プロの教師の姿をそこに見た思いでした。
私は、自分の専門教科(数学)にこだわらず、どの教科でも授業アドバイスをしています。数学や理科はある程度詳しいのですが、他の教科は現場の先生方から学んできたことを元に話をさせていただいています。社会科に関しては、有田先生との出会いから学ばせていただいたことがとても大きなものでした。

有田先生は追究する子どもを育てることで有名でしたが、ご自身が追究の鬼でした。とにかく、教材になりそうなことは貪欲に追究されます。そのエネルギーは、いつお会いしてもいささかも衰えることがありませんでした。おけがでの体調不良からやっと回復された時にお願いしたセミナーの終了後のことです。「今日はこれからビル風を使った風力発電の写真を撮りに行く」とうれしそうに話されました。まだ、本調子ではないのにその教材開発へのエネルギーに圧倒されたのを覚えています。その時興味を持って追究していることを、本当に楽しそうに話していただけました。私たちが見落とすような、目の前のほんの些細なことに対しても、敏感に反応して教材に変えていく力は凄みさえ感じさせるものでした。

教科書に載せる資料一つとっても、何百もの中から選びに選び、こんなものがほしいと思えば必死になって探すといったことも聞かせていただきました。有田先生の授業から学んだことはたくさんありますが、それ以上に先生の追究の姿勢から学んだことが私の社会科の授業を考える根っこになっているように思います。それ以来、教科書の資料を見ると、なぜここに他の資料ではなくこの資料があるのだろうか、この資料を追求することでどのような学びがあるのだろうか。そんなことを考えるようになりました。教科書の1枚の絵をもとに調べていくと、その背後に何百年もの歴史の流れが見えてくることもあります。1枚の写真に、その仕事に携わる人たちのたくさんの工夫の跡を見ることができます。小学校の1冊の教科書からでも、私が学生時代に学習した以上に深く学べることを知りました。有田先生との出会いにはただ感謝しかありません。

私などとは比較にならないほど深く有田先生から学んだ先生はたくさんいらっしゃいます。その方々によって、これからも有田先生が追究された社会科の授業が深まり広がっていくことと思います。これからも、多くの追究する子どもたちが日本で育っていくことでしょう。
次に有田先生にお会いする時にはどんなお話が聞けるだろうかと、体調が回復される日を心待ちにしていましたが、それもかなわぬこととなりました。今はただ先生のご冥福を心よりお祈りするばかりです。

現職教育と指導案の検討会

昨日は中学校の現職教育で講演をおこないました。それに先立ち先生方と授業を見学しました。前回訪問から2週間ほどしか経っていませんが、それでもいくつか変化が見られました。

3年生はどの学級も相変わらずよい状態なのですが、ここにきて4月の頑張りの疲れが出たのか、学級の中に1人2人集中力が切れる生徒が目につくことがありました。単に体力的な問題なのか、精神的な問題なのかはわかりませんが、学級担任の観察が必要かもしれません。連休明けにはアンケート形式の心理検査も実施される予定ですので、これをうまく活用していただければと思います。

2年生は、3年生と変わらないほど集中している授業がいくつもありました。新学年ということで上手くリセットできたということでしょう。その反面、集中できていない授業も目立ち始めています。教師が一方的に話す時間が長かったり、作業が終わった者への指示がなかったりすると、とたんに集中力を失くすのです。また、子ども同士が上手くかかわれている授業でも、ポツンとかかわれない子どもがいることがあります。こういう子どもを上手くつなげることを意識してほしいと思いました。

1年生は、学級集団の形にまだなっていないという印象です。いくつかの異なる集団がまだ一つになっていないのです。発言者の方を向こうとする集団もあるのですが、2週間前と比べるとその数が減ってきているように感じます。よい行動を評価し、強化することができていないと感じました。一方、子どもたちがしっかりと集中している場面も部分的には見られます。これは例外なく、子どもたち全員が指示に従うまで授業者が待って、徹底している時でした。教師が望めばそのように姿を変えることができる子どもたちだと思います。

この時期ならではの場面をたくさん見ることができました。先生方が時間をかけて子どもたちへの指示を徹底させているのです。先生方それぞれの授業の進め方があります。その進め方や授業規律を子どもたちにきちんと伝えるには時間がかかります。だからこそこの時期は、多少授業の進み方が遅くなっても徹底させるのです。そういった意志を強く感じさせる先生が何人もいたことをとてもうれしく思いました。

この日は教務主任が先頭を切って提案授業をおこないました。この授業の検討会が行われなかったのが、とても残念に思われる授業でした。この授業については別の機会にお伝えしたいと思います。

現職教育ではこの1年の進め方について主任から説明がありました。研究授業については指導案作成を簡略化して、「生徒にどうなってほしいのか=ゴール」「見てほしいところ」に絞り、実際の活動に力を使ってほしいと提案されました。実質を大切にしようという姿勢は好感が持てます。今年度もたくさんの方が授業を公開します。互いに授業を見あえる学校であることはとても素晴らしいと思いました。

私からは、「学級経営・授業の基本の確認」ということで、この時期にしておくべきことを具体的に話させていただきました。ベテランやできている方にとっては言わずもがなのことばかりですが、ここでしっかりと押さえておかないと1年間苦労することになるからです。
子どもとの人間関係をつくる基本は、「笑顔」で接することです。そして、人間関係をつくり上げた上に安心・安全な教室とすることが求められます。子どもをしっかり見ること、学級の規律、授業規律をはっきりと伝えそれを徹底することをいくつかの具体的な場面を例にしてお願いしました。
説明しながら、ああこれは○○先生の授業で見ることができた場面だなと思うことがたくさんありました。この学校は、基本ができている先生がたくさんいることを改めて確認できました。こういった先生方のよさを、互いにもっと学びあえるようになれば素晴らしいと思います。

現職教育終了後、研修部の先生と話をする時間を持てました。今年度異動したばかりの主任ですが、この学校のよいところをまず自分自身が吸収しようというとても素直な姿勢を見せてくれます。こんなことを意識して授業を変えたら、このように子どもたちが反応したととてもうれしそうに報告してくれました。副主任はまだ若手ですが、子どもたちを自分が受け止めることから始めようとする姿勢の方です。よいチームワークが期待できます。
この日、教務主任の授業を見ることができなかった方がいたことや検討会を持てなかったことが残念だったので、今後若手の方に授業のレポートを書いてもらい、授業者のコメントも加えて全体に配ることを提案しました。前向きに検討してくれそうです。

このあと、来月にある学校訪問での指定授業者の指導案の検討会が行われました。社会科と数学科でしたが、それぞれ勤務時間も終わった遅い時間にもかかわらず5名ずつの先生方が参加してくださいました。これだけで、授業者には心強いことだと思います。
社会科は、今年度異動して来たばかりの先生が授業者です。1年生の地理の気候で授業をする予定ですが、内容の検討の前にまず地理は何を学ぶ教科であるかを全体で確認しました。その上で、資料の活用について、資料をもとに何が言えるかを考える演繹的なアプローチとなぜそうなったかを考える帰納的なアプローチがあることを確認しました。どんな資料がよいだろうかという話から、教科書の資料について考えることになりました。教科書はたくさんの資料の中から本当に選りすぐったものを掲載しています。なぜこの資料がこの場所にこの大きさで載っているのか、その意図を考えるだけでも立派な教材研究になります。教科書の吹き出しに書かれた疑問を考えるだけで、ねらい迫っていくことができます。教科書を読み込むことがまず教材研究の第一歩であることを確認できました。
時間をかけた割に、肝心の指導案の姿が見えてくるところまで詰めることができなかったことは申し訳なかったのですが、教材研究についてとても大切なことを学び合えたと思います。指導案をつくる方向性は見えてきたと思います。みんなで協力して、面白い指導案ができるのではないかと期待しています。

数学科の授業者は6年目の先生です。連立方程式の応用の導入の授業です。連立法的式の立式と解くことを分けて考えたいという方向性を事前に明確にしていました。自分で勉強してその方がよいと判断したのです。方向性が明確なので、足が地についた話し合いができます。この授業のねらいを、「わからないものは文字に置き換えればわかりやすい、うまくいく」と子どもたちが言葉にしてくれることとし、立式することを活動の中心にして解くことには時間を使わないことにしました。
ここで参加してくれたベテランがとても素晴らしいアドバイスをたくさんしてくれました。立式だけなら、未知数が2つでなくてもできる。問題を拡張して3元の連立方程式を立てさせてもいい。子どもたちにとってリアリティのある課題なら、子どもたちの野外学習の部屋割りはどうだろうか。参加した全員がなるほどと思うようなことばかりです。とても面白そうな授業になりそうです。
また、自然と子どもたちの現状に話がおよび、しっかり参加して理解してくれるのだが定着が今一つよくないことが課題としてでてきました。直前の復習ではなく、数時間前の復習をすると、「あれ、できたはずなのに」と子どもが口惜しがったといった報告もありました。こういったやり方もあるのだと参考になったようです。以前いた先生がやっていた「音声計算練習」も話題になりました。授業のことをみんなで話す機会を持つことのよさを感じられたように思います。
最後にベテランの方が教科書はなぜこの値を使っているのだろうかと、とてもよい質問をしてくれました。その質問もさることながら、ベテランでもこうして日々教材研究をしていることをさりげなく若い先生に伝えてくださったことをとてもうれしく思いました。

互いに授業のことを話し合う雰囲気が学校の中に広がってきているのを感じます。今年度この学校が大きく前に進むエネルギーを感じた1日でした。次回の訪問が本当に楽しみです。

私学で、今後の方向性について打ち合わせ

昨日は私立の中高等学校で授業見学と打ち合わせをおこなってきました。

今回は若手の教科指導部の先生方と一緒に子どもたちの授業中の様子を見学しました。授業規律に関しては、先生方が子どもたちにどうあってほしいかを明確にしないと成立しません。この日も、先生方がどんな子どもの姿を見たいのかが伝わってこない場面に多く出会いました。子どもの姿をもとになぜそのような姿になっているのかを一緒に考えてもらいましたが、とても素直に聞いていただけました。今までそのような視点で考えたことがなかったということでした。授業に関して他から学ぶ機会が少なかったのでしょう。逆に言えば、授業についていろいろな視点で学ぶ機会があれば大きく伸びる可能性が高いということです。

高校2年生全体に対する校長講話の時間も見学しました。集合時の指導は、学級委員に整列させるように盛んに指示していました。学級委員は命令されているように感じたのではないでしょうか。一方、一般の生徒たちは、自分たちには関係のないことと思っているようでした。リーダーを育てる意図でそのようにしているのかもしれませんが、これでは教師、学級委員、一般生徒の関係が悪くなります。学級委員は先生に叱られた、一般生徒が協力してくれない。一般生徒は、仲間であるはずの学級委員に指示された。そんなネガティブな感情を持つ可能性があります。そうではなく、学級委員に整列の指示確認をお願いする。一般生徒にも学級委員に協力するようお願いし、教師が学級委員をサポートしていると感じさせる。こういう接し方が必要です。「子どもたちになめられてはいけない」という思いが、高圧的な態度につながっているのでしょうが、しっかり受容する姿勢を見せていれば、決して子どもたちはなめたりバカにしたりしません。
その後だったせいもあるのでしょうが、校長が講話で子どもたちに発言を求めてもなかなか反応できませんでした。相手が校長なので、おかしなことを言ってはいけないというプレッシャーもあったのでしょうが、日頃から安心して間違えることができない環境なのだと思いました。校長の話を聞こうとしている生徒はたくさんいます。この子どもたちを評価してあげる場面がほしかったのですが、学年の先生からはよくないことの指摘で終わってしまいました。学年の先生から、我慢して聞くことも大切という価値観が強く感じられました。そうではなく、「他者の話から学ぶことは楽しい、何か学べるはずだ」という価値観に変えてほしいと思いました。

教科指導部の先生方とじっくりお話する時間をいただきました。先生方が一番心配していたことは、学校全体で目指す子どもたちの姿を共有できるかどうかということでした。一人ひとりの授業観が違うことは当然ですが、学校という組織として考えれば基本となるものは共有すべきです。私学であれば、建学の精神がそれに当たるはずです。歴史ある学校ですが、今でもまったく色褪せない素晴らしい建学の精神を持っています。しかし、残念ながらこの学校の先生方はそのことを意識して授業をしているように思えません。トップダウンで建学の精神に基づくことを強く訴えることも可能ですが、できればボトムアップで「こういう子どもたちの姿が見たいね」と先生方に思ってもらえる方がこの学校の現状からはよいように思いました。まずは、教科指導部の先生方を中心として、子どもたちのよい姿をつくり出す授業に挑戦して広げることから始めようとなりました。その第一弾として、新任の先生方による授業研究の場を活かすことにしました。提案授業をする先生を教科指導部の先生方を中心にバックアップし、授業検討会を活性化することで授業について先生同士が学び合う雰囲気をつくりだすことを目指します。教材研究を合同でおこなったり、事前の模擬授業を有志でおこなったりする。3+1授業検討法で授業検討をおこなうことで、授業研究を前向きにとらえる雰囲気をつくる。この方向で具体化することを教科指導部の先生方にお願いしました。
教科指導部の先生方からは、この話とは別に授業に関する質問やアドバイスをたくさん求められました。先生方の向上意欲を強く感じました。特に若い先生方は、具体的なアドバイスを求めているように思います。彼らの向上心をうまく活かしたいと思いました。

いよいよ本格的に授業改善に向けて動き出します。校長は決して焦らず、一歩一歩進めればいいと考えています。まずは、学校内に授業について話し合う雰囲気をつくることから始めたいと思います。

「楽しく、手軽に授業改善をしよう」連載開始

「愛される学校づくり研究会」のホームページで、「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の連載を始めました。

第1回は「楽しく? 手軽に? 授業改善」です。是非ご覧ください。

「コミュニケーションを意識した授業づくり」について講演

一昨日は小学校の現職教育で講演をしてきました。「コミュニケーションを意識した授業づくり」と題して、授業を進めるポイントをできるだけ具体的に話をさせていただきました。

教師と子どものコミュニケーションについては、教師が受容することを第一にするようお願いしました。間違った答でもちゃんと受け止めて聞いてもらえる、先生がいつも見守ってくれている。こういった安心感を持たせることで、初めてコミュニケーションが成り立ちます。言葉を交わさなくても、一人ひとりの子どもを笑顔で見るだけでもコミュニケーションの基本となる人間関係をつくることができます。コミュニケーションを意識した時、子どもに外化を求めることが重要になりますが、こういった関係をまずつくることが求められます。発言をすることに対するハードルの高い子どもはたくさんいます。学年が上がれば自信がないとなかなか発言できません。うなずく、首をかしげる、そんなちょっとした動作をとらえてポジティブに評価することが大切になります。教師が子どもたちをどれだけ見ているかが勝負です。

子ども同士のコミュニケーションを考える時に基本となることは、友だちの発言を聞くことに価値を与えることです。友だちの発言に対してどう思ったか、どう考えるかといったことを常に問いかける必要があります。また、教師の話を聞いて理解することが学習ではなく、自分で考える、自分たちで話し合って答を見つけることが学習であるという価値観を持たせる必要もあります。「わからなければ聞けばいい」とわからないことを聞ける子どもに育てることが大切です。
よくできる子どもは、自分はできたからいいと友だちの発言を聞かないこともよくあります。自分の考えを発表させるのではなく、友だちの考えを代わり説明することを求めることでかかわりを持てるようになります。他者の考えを理解することを評価することで、コミュニケーションが活性化するのです。

子どもたちの活動量を増やすためにも、ペア活動やグループ活動は有効です。ペア活動では聞く側に役割を持たせることが大切です。自分が他者とかかわって役に立ったという自己有用感を持つことで、コミュニケーションを取ろうとする子どもに育っていきます。
グループ活動では、話すことよりも聞くことを大切にしてほしいと思います。自分の考えを持てていなくても、友だちの考えを聞いて自分のものとすることができれば充分です。友だちの考えの中から、自分でこれがいいと選ぶことができればそれも立派な自分の考えを持つことです。こういった評価をしてほしいのです。グループで答を一つにまとめるのではなく、友だちの意見を聞くことで自分の考えをまとめることを大切にしてほしいとお願いしました。

最初のうち少しかたい先生もいらっしゃいましたが、次第によく反応してくださるようになりました。子どもへの指導の具体例を問いかけた時、Iメッセージでほめるやり方を答えてくださる方もいました。素敵な先生がたくさんいそうな学校でした。

若い先生から子どもたちに自由に聞きに行かせるやり方について質問が出ました。聞きやすい友だちに教えてもらうことで、動きが活発になるからでしょう。よい質問だと思いました。このやり方だと一見活性化しますが、テンションが上がってムダ話になる危険性もあります。何より問題なのは、授業での人間関係ではなく、日頃の生活での人間関係で活動が決まることです。生活の場だけでなく授業中でも居場所のない子どもが出てくることが予想されます。固定化された人間でなく、誰にでも聞ける、誰とでもかかわれることが大切です。生活の場で仲のよい子と話をすることは自然なことですが、授業の場にそれを持ち込んではいけないのです。子どもたちの聞き合う活動が活性化しないのであれば、そのための手立てをする必要があります。子ども同士の人間関係に問題があるのであれば、ソーシャルスキルやエンカウンターの時間を取ることもその一つでしょう。教師が子ども同士をつなぐように働きかけることも大切です。授業の中で人間関係をつくることをお願いしました。

研修終了後も個別に相談に来て下さる先生が何人かいらっしゃいました。通級指導教室の担当の方は、非常に具体的な場面での対応についていくつか質問してくださいました。その対応を一緒に考えることで私もとてもよい勉強をさせていただきました。
自分の感情を上手く表現できない子どもが、何を聞いても「ふつう」としか答えないので、こちらから「うれしかった?」と聞いて、言葉を出させようとしたそうです。こちらから強要しているようで引っかかっているといった質問から、子どもたちと真剣に向き合っていることがよく伝わってきます。私にも何が正解かはわかりませんが、「今、うれしそうに見えたよ」と、相手に聞くのではなくこちらか伝えるという視点で接することを提案しました。先生も、表情豊かに自身の感情を表現することを心がけることでこの子どもに変化が出てくるのではないかと思いました。この後どのようになったか聞くのがとても楽しみです。

次回は、実際に授業を見せていただいてお話をすることになります。素直な先生方が多いように感じる学校ですので、きっとよい方向に変わっていくと思います。今からとても楽しみです。

学校ホームページへの情報公開を考える

先週末、ある小学校で大量の体調不良の児童がでたと報道がありました。この時点では原因が特定されていなかったようですが、対応を見るとノロウィルスの感染が疑われているようです。このような報道があった時、保護者だけでなく一般の方も学校ホームページを見て、情報を集めようとします。この学校では、学校の対応と家庭への対応のお願い、また家庭に向けに文書、メルマガを配布、配信したことを伝えていました。翌日には、学校での対応のより詳しい情報とメルマガで配信した内容を掲載していました。

どこまで学校ホームページに掲載するかは判断が難しいことです。保護者でなくても、地域の方からすれば、「どのくらいの数の体調不良が出ているのか」「どのような対応を取ったのか」「家庭への指示は具体的にどのようなことであったのか」など知りたいことはたくさんあると思います。一方。報道を見て興味本位で情報を求めている者に余計な情報を与えて、妙に騒がれても困るので、基本的には保護者に個別に情報を提供して、ホームページでは概略だけを伝えるだけに留めたいという判断もあると思います。学校や教育委員会は判断に悩まれたのではないでしょうか。

注意してほしいのは、配布物やメルマガなど多面的に情報を発信しても、その一部だけを見て判断されるということです。今回少し気になったのが、ホームページに掲載された家庭での対策です。吐瀉物の処理の仕方などが具体的に書かれているのですが、言葉足らずのところがあったのです。学校では塩素系消毒薬で殺菌したことが書かれています。ノロウィルスの疑いがあるとは発表していませんが、ノロウィルスの可能性を考慮しているということです。ノロウィルにアルコール消毒は効かないからです。これはスタンダードプリコーション(標準予防策)に基づく正しい判断です。しかし、家庭での対策は消毒薬としか書かれていませんでした。おそらく家庭への配布物やメルマガでは正しく塩素系消毒薬として、作り方(塩素系の消毒薬は、家庭では利用する時に塩素系漂白剤を薄めて使う)と合わせて伝えていると思います。しかし、ホームページだけを見た方は間違えてしまうかもしれません。もっと怖いのは、保護者でない方が、このことだけで学校はいいかげんな情報を伝えていると批判することです。もしこういうことがあると、学校側は情報を公開することに消極的になってしまうかもしれません。

学校ホームページに何をどこまで情報公開するかはとても難しい判断だと思います。誰が見ているかわからないので、慎重になります。しかし、中途半端なことをして誤解をまねくよりも、できるだけ包み隠さず公開した方がよいと私は考えます。批判や中傷もあるかもしれませんが、日頃からきちんと伝える努力をしていると、それ以上に力強い味方が現れてくれることを何度も見てきたからです。今回のような事件が起こるたびに、学校ホームページでの情報公開の難しさを考えずにはいられません。

活動のつながりを意識する

授業を見ていると教師が話をしているのに、子どもの視線が教科書やワークシートに向いていることがよくあります。プロジェクターや電子黒板で教科書を映している時でも同じような光景を見ることがあります。このような場合、教師の指示や活動の順番が間違っていることが多いように思います。

教科書の○○ページを開きなさいと指示した後、教師が説明を始めても一度教科書に移った子どもの視線はすぐには戻りません。教科書を開けば、誰しも何が書いてあるだろう、今日は何を学習するのだろうと気になります。気にならない子どもの方が心配です。それをそのままにして話をしても子どもの注意は教師に向かいません。少なくともいったん顔を上げるように指示して、全員の顔が上がってから話し始める必要があります。それよりも今見る必要がないのに教科書を開いたことが問題なのです。もし、プロジェクターや電子黒板で教書を映すのなら、手元の教科書を見る必要がありません。そもそも大きく前で映すのは子どもの顔を上げさせるためです。手元の教科書を見ることが必要になった時に、開くように指示をすればいいのです。

ワークシートを配るタイミングも同様です。ワークシートの説明するためには手元にあった方がいいと思うかもしれません。しかし、手元にあればやりたくなります。それを我慢して説明を聞かせると、子どもはおあずけ状態に置かれます。気になって落ち着きませんし、顔も上がりません。子どもが集中して聞いているか、理解できているか、子どもの反応から確認することもできないのです。
ワークシートを配らずに、できれば実物投影装置を使ったり、もし環境がなければ拡大コピーしたものや板書を使ったりして説明した方がずっといいのです。説明が終わって、「じゃ今から配るから、名前を書いたら始めていいよ」とすれば、配られてすぐに取り組むことができるので、おあずけ状態になりません。

子どもたちに指示した活動に対して、その次の活動はつながっていることが大切です。教科書を開いたのなら読む。ワークシートが配られたのなら取り組む。この間に直接関係のない活動を挟まないようにするだけで、子どもの動きが滑らかになり、集中力が増します。このことを意識してほしいと思います。

中学校で新年度のスタートを見る

昨日は中学校の授業アドバイスをおこなってきました。昨年度に続き多くの方が異動されました。この学校で今まで取り組んできたことを共有することが課題です。今年度の研修の進め方も工夫しなければなりません。この日は、まずは各学年のスタートの状態を学年主任と共に観察しました。

3年生はとてもよい状態でした。どの学級もわかりたい、できるようになりたいという意欲を感じます。子どもたちの視線が教師に集中しています。どの子もあきらめずに授業に参加しているのが印象的でした。学年主任も子どもたちのよい点をたくさん伝えてくれます。子どもたちの関係が良好で、男女を問わずよく話し合ってくれるとうれしそうに話してくれました。
初めて担当する先生に対しては、その先生のやり方を理解して慣れるのに時間がかかるものですが、以前からその先生の授業を受けているような雰囲気に既になっているのが印象的でした。全く初めて担当する先生も、とても素直に反応してくれると言っていました。1年生からずっと担当している先生は、今まで受け持っていなかった子どもも、経験のある友だちに教えてもらったり、助けてもらったりしてすぐに慣れてくれたと、子ども同士の関係のよさを実感していました。子どもたちは、指示待ちの受け身の態度ではなく、次に何をすべきかを意識しています。問題を解き終ってもぼっとしていません。日ごろから何をすればいいのかを指導されているのでしょう。教科書を読んだり、問題集を解いたりしています。指示に対しての反応もとても素早いものでした。話をうかがったどの先生も授業がとてもやりやすいと言っていました。3年生の姿は、この学校の目指す子どもの姿を体現してくれていると思います。これまでの2年間の先生方のかかわりが素晴らしかったのでしょう。とてもよいスタートを切れていると思います。
3年生になるとみんなが頑張るので、努力しても思うように相対的な成績(順位)が上がらず、落ち込む子どもが出てきます。全体がよいスタート切れているので、先生方には少し余裕ができると思います。個を見ることにエネルギーを使ってくださいとお願いしました。

2年生は、集中を見せる時はとてもよい状態でした。作業や課題にも真剣に取り組みます。昨年度末に少し目立ち始めた授業に参加できない生徒があまり気になりません。その一方で、受け身になると直ぐに集中力が切れるという特徴はあまり変わっていませんでした。先生が一方的に話していると、みるみる集中力を失くします。逆に言えば、子どもたちに活動させることを意識すればよい状態で授業が進むということです。担任の先生もかなりの数が入れ替わっているので、子どもたちの気持ちもリフレッシュされているはずです。今がチャンスだと思います。子どもたちの活動量の確保を学年全体で意識すれば、よい状態になっていくはずです。このことを学年主任にお願いしました。
また、若手の先生が時間を見て教育相談(個人面談)を始めていました。学年全体で取り組んでいるのかはわかりませんが、とてもよいことです。この時期は子どもがやる気を出すと同時に環境の変化で不安定になりやすい時でもあります。子どもとの人間関係をつくるためにも個別に話を聞くとよいと思います。忙しい時期ですが、必要な動きができていると思いました。

1年生の第一印象は小学生、それも中学年のような姿だということです。授業規律がまだきちんとできていません。授業を受けている子どもたちの姿を見るとバラバラです。出身小学校での様子をそのまま引きずっているようにも思います。例えば友だちの発言をその子の方をきちんと向いて聞く子どもがどの学級にも1/4から1/3くらいはいます。しかし、他の子どもは前を向いたままなのです。このこと自体は大した問題ではありません。この時、授業者が友だちを見ている子どもを評価しないのが問題です。また、友だちの発言をつなぐこともしません。せっかくよい文化を持ってきてくれている子どもたちがいるのに、これではすぐに消えていってしまいます。
これに限らず、先生方が子どもたちへの指示が通るまで待てていません。子どもたちの行動が遅いため待ちきれないのです。このような時は、指示に対する評価をスモールステップで行うとよいでしょう。「教科書の○○ページを開いて」という指示であれば、「教科書を出す」「開く」「目的のページを見つける」それぞれの段階をほめるのです。「○○さん、もう教科書を出しているね。素早い行動だね。うれしいね」「おっ教科書を開こうとしているね。早い、早い」「△△さん、もう○○ページを開いているね」というようにすれば、動きの遅い子どもたちでもほめることができます。教師が子どもたちの素早い行動を望んでいることをほめることで伝えるようにすることが大切です。全体に、挙手や発言、課題に取り組む様子などの子どもたちの外化を評価していません。そのためよい行動があっても、広げることができていないのです。固有名詞でほめることが大切です。
1年生の先生方に対して総じて感じたのが、余裕がないということです。異動したばかり、初めて担任をもった、そういう方が多いので仕方がないと思いますが、この時期に押さえるべきことは少し時間がかかってもしっかりとしておく必要があります。学年主任にはこのことをお願いしました。

今年度新しく研修主任になった方と打ち合わせをおこないました。異動したばかりで学校のことがよくわからない中での担当で、戸惑いもあるようでした。3年生の担当で、子どもたちのよさに気づいています。単に子どもたちがよいのではなく、このように育てるにはこれまでにやってきたことがあるはずだとわかっておられます。これはとてもよいチャンスだと思いました。以前からいる方にとっては当たり前のこととして意識されていない子どもたちへのよいかかわりを明確にすることができるからです。新しく来られた方の視線でこの学校の取り組みを見直すことで、どのようなかかわりが子どもたちを育てているのかを具体的にすることができるはずです。1年間の研修を通じて、この先生の視点でこの学校のスタンダードというべきものをまとめて提案していただくことをお願いしました。経験も豊富で授業に対する感覚もとても素晴らしい方なので期待できそうです。

今年初めて担任を持った先生に少し時間を取ってもらい話をしました。余裕のない状態であることはわかっていますが、「笑顔を忘れずに授業規律、学級規律を確立することを大切にしてほしいこと」「わからないことはあって当たり前だから、臆せずに先輩に聞くこと」、そして、忙しいことはわかるが、「朝少し早く来て教室で登校してくる子どもたちを見ること、雑談をすること」「帰りの会が終わったあと教室に少し残って子どもたちがすぐに部活動に向かうかを確認すること、机の中などの個人スペースの様子を見ること」。こういったことをお願いしました。何をすればよいか、どこから始めたらよいかわからない状態だとは思いますが、優先順位を子どもたちと接することにおいて行動してほしいと思います。

予定していなかった若い先生が2人相談に来られました。「よいスタートを切れていると感じているが、これでよいのか」と確認を求める方。6年目という次は原則異動の年なので、恥ずかしくないだけの教科力を身につけたいと、授業に関して悩んでいることを質問してくれた方。私にとっても刺激となるよい話をたくさん聞くことができました。彼らの成長を感じることができるとても幸せな時間でした。
また、数学科に関してはベテランがほとんどいなくなったので、彼らの教科力をアップするために勉強会を開くことを提案しました。玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)(数学の授業アドバイスを助けてくれる本参照)の読書会です。次に指導する単元を有志で勉強するのです。うれしいことにすぐに前向きな答が返ってきました。この学校に訪問する楽しみがまた一つ増えました。

今年度転任されてきた校長からたくさんのお話を聞くことができました。異動したばかりにかかわらず、子どもたちの様子をとてもよく把握されています。時間をつくっては教室を見回っていることがよくわかります。授業をとても大切にされている方です。前任校での取り組みなど、参考になるお話をたくさん聞くことができました。とても楽しい時間を過ごすことができました。よい出会いに感謝です。

この学校のよい点を再確認するとともに、新たな課題も見つかりました。この1年で子どもたちと先生方がどのように成長していくかとても楽しみです。先生方と共に私も成長できるように頑張りたいと思います。

専門学校の登校指導

先日東京に出張した時に面白い光景を見ました。朝、白衣のような制服を着た方が何人も立って道行く若者に笑顔で挨拶しているのです。一体どういうことだと思いましたが、どうやら近くにある専門学校の先生方が学生に登校指導をしているようです。そこは狭い道路で車がすれ違うのがやっとです。登校する学生がわがもの顔で歩いていると交通のじゃまになるのです。小中学校ならまだしも、専門学校でも朝の交通指導が必要な時代になってしまったようです。

感心したのが、先生方がとても素敵な笑顔で挨拶することです。学生への配慮もあるでしょうが、一般の通行人も気持ちがよくなるような笑顔です。おそらく接客をともなう仕事の専門学校なのでしょう。プロの笑顔のすごさを感じました。一方の学生は明るく挨拶はするのですが、先に挨拶するのは先生です。中には友だちとの話に夢中になって、声だけの学生もいます。私がその学校の教師ならつい指導したくなるような状況でも、先生方は決して表情を荒げたりしません。とにかく笑顔で挨拶をし続けるのでした。登校指導には苦情に対して指導していることをアピールするという要素もあるかもしれません。しかし、先生方の姿は指導ではなく気持ちのよい挨拶で学生を迎えようという思いを感じさせられるものでした。見ている私もよい気持ちになりました。

一般の小中学校でも登校指導をしているところは多いと思います。地域の方から苦情をいただくこともあると思います。その時に子どもたちを指導することばかりに意識がいってはいないでしょうか。中には、登校指導は指導をしていることを地域にアピールするパフォーマンスだと言ってはばからない人もいます。地域の方は、先生方がどのように子どもたちと接しているか、どのように指導しているかとてもよく見ています。そして、もっとも敏感に感じているのが、ほかならぬ自分たち地域の人間に先生方がどのような気持ちで接しているかです。登校「指導」ではなく、子どもたちや地域の方と気持ちのよい挨拶をすることを第一の目的にしてほしいと思います。気持ちよい挨拶ができるようになれば、自然とまわりを気遣った安全な登校となるはずです。専門学校の先生の姿からこんなことを思いました。

データの考察を考える

学校評価や全国学力学習状況調査など、私たちはデータをもとにいろいろなことを考察します。これは学校のことではないのですが、先日こんなことがありました。

「住宅の購入・建築における条件の重視度」というアンケートをもとに、低価格住宅に自分たちの強みを加えれば確実に売れるということを力説する方がいました。20代、30代、40代、50代、世代ごとに2位以下は変わるが、どの世代も「価格」が1位になっているというのがその理由です。それだけ聞けばなるほどと思うのですが、どうも引っかかります。大きな買い物ですが多くの人は値段が安い方がよいに決まっています。しかし、それだけなのでしょうか。
実はこのアンケートは複数回答可だったのです。「価格」を選んだ人はどの世代も80%から90%です。しかし、どの世代でも80%を超して選ばれた項目が複数あります。「耐震性能」はどの世代でも80%を超しています。その他にも、20代では「周辺環境」「防災対策」「生活環境」「セキュリティ」、30代では「日当たり」が80%を超しています。70%を超える項目は、どの世代でも10はあります。つまり、住宅の購入・建築には非常に多くの条件が重視されているということです。その中でも「価格」が一番共通して重視されているということなのです。このアンケートから価格が安ければ売れるとはとても言えません。ではその方はなぜこのように判断したのでしょうか。すべての世代に1番だったのでどの世代でも売れそうだと判断したのでしょうか、それとも意図的に他の要素を無視したのでしょうか。実際のところはわかりませんが、アンケートの元データを見せてもらわなければ私もそういうものかと思っていたかもしれません。

この例は極端かもしれませんが、学校評価や全国学力学習状況調査の考察だけを読んでいるとその判断の根拠がよくわからないことがあります。私が学校評議員をしている学校では、ほとんどのデータを評議員に公開してくれます。おかげで学校の考察もよく理解できるし、私なりの判断を付け加えることができます。とてもありがたい対応です。しかし、元データを公開しろとは安直に言えません。今回の例のようにおかしな結論が独り歩きする危険性もあるからです。学校評価が義務付けられ、全国学力学習状況調査の結果の公表の圧力が高まっています。一部の結果に引きずられてとんでもないことを言いだす人が出てくるかもしれません。

今日は全国学力学習調査がほとんどの学校で実施されていることと思います。この結果をどのように考察し公表するのか、学校現場は厳しい視線にさらされています。拙速な判断を避けてほしいと願うのは私だけでしょうか。
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