居宅介護支援事業者連絡会で講演

昨日は、市の居宅介護支援事業者連絡会の研修で講演を行ってきました。ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方が対象のものです。介護におけるコミュニケーションについて話しました。私が毎月行っている介護研修に参加されている方も一部いらっしゃいましたので、その研修のダイジェストにプラスして集団とのコミュニケーションについても触れることにしました。

コミュニケーションの基本の確認として、「笑顔」と「受容」の大切をまずお話ししました。「しまった」と相手や自分が思うようなときにとっさに笑顔になれること、そのためには日ごろから意識して笑顔をつくる訓練をしておくことが大切です。また、相手を受容していること伝えるために、相手の外化に対してうなずく等、きちんと反応することも大切です。相手を受容することは、相手のことをよく聞くことからはじまります。ただ単に言葉を聞くのではありません。相手の伝えたいことを理解しようとすることです。

では、相手に伝わるためにはどのようなことが必要でしょうか。まず、相手が話を聞こうと思ってくれる関係をつくることが大切です。上から目線の言葉づかいでは、よい関係をつくることはできません。Iメッセージやポジティブな表現を使うように意識することが大切です。

デイサービスなどでは、利用者全体とのコミュニケーションも必要です。集団とのコミュニケーションに関して、次のような話をさせていただきました。

・「1対多ではなく、1対1がたくさんある」
全体に対して話をするのではなく、一人ひとりに話をするつもりになることが大切です。漫然と全体を眺めるのではなく、一人ひとりを見て、視線を落としコミュニケーションを取ることが必要です。

・「一方通行ではダメ」
相手に反応を求め、相手の反応に笑顔でうなずき、しっかりと受け止めることが大切です。

・「指示が通るまで待つ姿勢」
指示がきちんと全員に通るまで待つことが大切です。できていないのに次の指示がすれば、ついていけない人が出てきます。行動を早めたければ、できていない人を注意するのではなく、できた人をほめる発想が大切になります。

・「確認が大切」
話したことが伝わっているかどうかを確認する必要があります。言われたことを理解するのに時間がかかることもあります。確認に対する反応をせかさないようにすることが大切です。

介護職員と利用者の縦の関係をまずつくることが大切ですが、そればかりでは、介護職員が全員と対応しなければいけなくなります。利用者同士の横の関係をつくることを意識することも必要です。共通の話題を振って利用者同士をつなぎ、関係ができればそこから離れて利用者だけで話が進むようにするといったかかわり方が必要です。利用者がどのようなことに興味を持っているか、どのような話題なら話が弾みそうかといったことを、日ごろのかかわりの中でつかんでおくことが大切です。

質疑応答で、とても興味深い質問がでました。「相手の目をしっかり見て笑顔でうなずきながら対応したのに、へらへらしていると言われてしまった。どうすればよいのか」というものです。原則をきちんと守っています。「なぜ」と思うのも当然です。実際にその場を見たわけでないので何とも言えませんが、おそらく相手と関係なく、自分のリズムでうなずいたりしていたのだと思います。相手の状況に応じて反応しなければ、きちんと聞いているようには思えません。自分の言葉に対して笑顔になったと思えば、へらへらという言葉は出ないでしょう。自分との関係にかかわりなく、いつも笑顔でいるのだと思ったので、へらへらと言ったのです。じっと話を聞いていて、相手の言葉が途切れたときに笑顔でうなずくというように、相手のリズムに合わせて反応することが必要です。

今回の研修は、お仕事の後の遅い時間にもかかわらず、100名ほどの方に参加いただけました。熱心な方が多いことに感心しました。最初は少しかたい雰囲気だったのですが、途中からしっかりと反応しながら参加していただけました。考えてもらう課題をいくつか用意したのですが、皆さんとても真剣に取り組んでいただけ、私が想像しなかったような素敵な答えもたくさん出てきました。日ごろから良好なコミュニケーションを取ることを意識しておられるからだと思います。

日ごろはお会いすることの少ない、教育以外の分野の実践者と接する機会をいただけたことに感謝します。自分の専門とは違う分野の方から学ぶことはとても刺激的でした。逆に私の話が皆さんにとって少しでも刺激となったのであれば幸いです。

「対話力」をテーマに介護関係者向け研修を行う

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「対話力」がテーマです。相手の気持ちをどう受け止め、どう返せばいいのかを具体的な場面に即して考えていただきました。

話し相手になる時には、相手の感情面に意識することが大切です。言葉の裏にはいろいろな思いが隠れています。同じ言葉でも、人によって隠れている思いは異なります。時には、話題をふることで相手の言葉を引き出そうとしていることもあります。いくつかの可能性を考えることが必要です。言葉に潜む感情を察知し、相手の気持ちを想像しながら会話をすることが重要になります。注意してほしいのは、相手の感情に対して「気持ちがわかる」と安易に同調しないことです。特に負の感情の場合、相手が自分の体験をわかるはずがないと反発する可能性もあります。また、「そんなことはないですよ」という下手な励ましは危険です。相手の言っていることをそんなことは「ない」と否定しているからです。負の感情を含めて丸ごと受け止める、理解していることを伝えることが必要になります。「相手の言葉をまず受容する」「相手の気持ちを引き出す」「別の可能性を相手に気づかせる」「前向きな言葉を相手に言わせる」といったカウンセリングマインドで接することが大切です。

「自分は話し下手でまわりの人と上手くなじめない。まわりの人は私といても楽しくない」と考えてみんなの輪に入ろうとしないが、実は入りたいと思っている方に対してどのように対応すればいいかという課題に、グループで取り組んでいただきました。対話を考えてもらえればと思っていましたが、素晴らしい対応を考えたグループがありました。
自分たちが話をしてもなかなか動いてくれない方もいる。また、特定の人にかかわってばかりはいられない。そこで、声をかけてくれそうな方の横に座席を設定するという対応です。人は何か課題に直面した時に、自分が対応しようとすることが多いのですが、そうではなく、第三者を上手く活用するのです。その手段として環境を変えるという発想です。学校でも通用する考え方です。もし、上手くいかなければ、また別の人と組み合わせればいいのです。時間をかければきっとその方にあう方が見つかることでしょう。その方との関係を軸に、他の人と関係を作っていけばいいのです。
さすがは毎日現場で実践をしている方々です。私も学ばせていただきました。

最後に、相談事をされた時の対応についてお話ししました。相談は、自分の決定を後押ししてほしいだけのこともあります。そんな時、いくらこちらの考えが正しいと思っても、そのことを強く主張しすぎると反発を招くこともあります。相手の考えを否定しないように注意しなければなりません。人の数だけ考え方があることを忘れないことが大切です。
また、相手が相談するということは、信頼してくれているということです。その信頼を裏切るような行為をしてはいけません。プライベートなことは、たとえ職場の仲間であってもしゃべらないようにする必要があります。もし、他の職員にも話す必要があると考えたら、必ず本人の許可を得てほしいと思います。

この日も、職場での実践に基づいた対応からたくさんのことを学ばせていただきました。よい勉強の機会を得ていることに感謝します。

「楽しく授業研究しよう」第12回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第12回「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」での学び(その1)が公開されました。

ぜひご一読ください。

チームワークが支えた授業研究

前回の日記の続きです。授業研究は、1年生の体育で男女混合でのフラッグフットボールでした。フラッグフットボールは1チーム5人で行う、アメリカンフットボールをもとにしたゴール型ゲームです。タックルの代わりに腰につけたタグを奪うことで身体接触を無くし、ドリブルやシュートといった難しいボール操作もないので男女混合でも競技がしやすいのが特徴です。攻撃と守備がはっきり分かれ、1回の攻撃ごとにハドルと呼ばれる作戦会議があり、一人ひとりに役割が振られます。子ども同士のかかわり合いが競技の中に明確に位置づけられています。子どもたちが作戦を立てやすいように前時までに基本的な攻撃パターンをいくつか練習しています。
そして、今回は特別にゴールをすると得点が2倍になるキーパーソンを設定しています。キーパーソンを意識することで作戦の幅を増やし、活躍する子どもを増やそうというわけです。キーパーソンは、相手からなってほしくない生徒を2人指名させ、残りの3人から選ばせます。こうすることでより多くの生徒が得点にからむ活躍ができると考えたのです。
競技の特性や特別ルールから、この授業のねらいが見えてきます。子どもたちがどのようなかかわりをするのか楽しみです。

授業規律という点で少し気になる点がありました。集合させて説明する時に顔が上がらない子どもの姿が目につきます。チームの誰かが聞いていれば困らないこともあって、全員が集中しているというとは言えません。ここは、全員の顔が上がったのを確認してから説明を始めたいところです。また、ウォーミングアップに何をするかの指示はあったのですが、活動のポイントや注意事項の確認がありませんでした。復習として、子どもを指名して確認するとよかったと思います。また、チームの活動場所への移動も歩いている子どもがほとんどでした。移動などもできるだけ素早くするように指導したいものです。
ウォーミングアップは、パスと1対1のランプレーでした。子どもたちの声が聞こえないことが気になります。「ナイスパス」といった評価や、「○○に気をつけよう」といったアドバイスの声がほしいのです。ランプレーの練習でもプレーしていない子どもから声が出ません。練習のポイントの確認が必要だということです。

まずチームごとに時間を取って基本の攻撃パターンを考えます。外から見ていると、子どもたちは作戦を考えるための根拠をあまり持っていないように見えます。前時までに基本的な攻撃のパターンを学習しているはずですが、それぞれどのような特徴があり、どんな場合に有効なのかは意識されていなかったようです。ここであまり時間を取るよりも、まず1試合経験させてから各チームが考えたことを発表し、全体で共有した方がよかったと思います。再度作戦を考える時間を取れば、より深く考えることができたはずです。
試合で気になったのは、守備側の動きです。基本的な守備がわかっていないのです。攻撃陣に対して後ろに下がったまま対峙します。この競技では相手の動き出しを止めることが守備の基本です。これでは走りだして加速する時間が十分に取れてしまうので、攻撃陣のスピードが乗ってしまい止めることが難しくなります。
実はこの授業の指導案を考えるために、先生方の有志で実際にフラッグフットボールをやってみたそうです。延べ20人ほどの方が自主的に参加されたそうです。このチームワークのよさがこの学校の魅力です。先生方はこれまでフラッグフットボールの経験はなかったのですが、プレーを通じて攻撃の動きを止めるために誰をマークするかと考えたり、動き出しを止めなければいけないことに気づいたりしたようです。自然にディフェンスラインを前に上げるようになったようです。このことから、授業者は教師が働きかけなくても、子ども自身で気づくと考えていたようです。
しかし、守備側の子どもたちはハドルをしません。攻撃側のハドルが終わるのをボーっと待っているのです。守備側が対応することで攻撃側も作戦を工夫する必然性が出てきます。この状態では、作戦を立てる活動は活性化しません。守備側が組織的に対応するという視点が子どもになかったのです。
途中でいったん止めて、全体で守備について考える時間を取るべきでした。しかし、対戦相手を変えながら最後まで試合を続けました。
前時までの基本的な攻撃のパターンの練習時に、守備側はどうすれば防げるのかを考える場面をつくるべきだったように思います。作戦がわかっていれば止める方法が考えられることを知って、初めて互いが作戦を立てる必然性が出てくるのです。

最後にうまくいった作戦、逆に相手チームのうまかったところを聞きました。しかし、なぜよかったのか、どうすれば防げるのかといったことを考える場面はありませんでした。単に発表しただけで終わりです。また、見事なタッチダウンパスを決めたチームがありました。そういうチームを評価して、作戦を立てるのにどんなことを話し合ったかを聞いてもよかったかもしれません。

先生方は自分たちがこのゲームを経験したこともあって、各チームの様子、特にハドルの様子をとてもていねいに観察していました。授業検討会でどういうことが発表されるかとても楽しみです。
検討会では、まず、各チームでの話し合いの場面での授業者の働きかけが話題になりました。
授業者がこんなやり方もあると教えるとその作戦に決まってしまう。そこで、「やってみればいいじゃん」と子どもの背中を押すようにしていた。このことがきっかけで、子どもたちが次に進むことができていた。
よくわかっていないと思える子どもに「わかった?」授業者が問いかけたところ、首を横に振った。わかっていないことに気づいた子どもがフォローしてもう一度説明をし始めた。
自分がプレーすることに不安を持っていた子どもに「カバーしてくれるよ」と授業者が声をかけたら、安心して動いた。
前向きな言葉かけや子ども同士をつなぐような働きかけが大切なことがよくわかります。しかし、個々のチームに個別にかかわりすぎると全体を見ることができません。体育では、事故が心配ですから常に全体に気を配ることが求められます。個々へのかかわりの時間を短くして、全体の状況を把握するよう意識することも大切になります。また、個別の指導で見つけた個々のチームのよい気づきや行動を全体に広げる場面をどうつくるか考えることも必要です。最後に発表しても、そのことをすぐに実践する場面がないので、活かすことができません。もし、最後になってしまったら、次時の最初にそのことを確認して思い出させてから学習に入る必要があるでしょう。

子どもたちは、作戦を考えて攻撃することで、次第にかかわり合いが深くなっていったようです。一人ひとりに役割があるので、自分のすることを理解しなければいけないからです。
ただ聞いていただけの子どもが、自分からどうすればいいのか聞くようになった。おとりを続けていたキーパーソンが、「そろそろボールに触りたい」と自己主張した。できる子が優しくフォローする姿が見られた。男女混合でやったソフトボールの時には、男子に任せて積極的に動かない女子が目立ったが、フラッグフットボールでは自分の役割があるのでしだいに女子が活躍する場面が増えていった。
このようなことが語られました。先生方は子どもたちのかかわり合いを実によく観察しています。今回の検討会で印象に残ったのは、子どもたちの様子がすべて固有名詞で語られていたことでした。先生方の授業を見る目も進歩していることがわかります。

今回授業者は経験のない競技に挑戦してくれました。その経験の足りない部分を、先生方が子どもと同じように競技をしてみせることで補ってくれました。だからこそ、授業者だけでなく、参加された先生方の学びも大きかったと思います。
作戦を立てなければプレーできないという話し合う必然性が盛り込まれている競技なので、子ども同士のかかわり合いをうまくつくりだすことができました。話し合う必然性のある活動の大切さがよくわかりました。それと同時に、話し合いをより深めていくためには、教師の働きかけや授業の組み立の工夫が必要であることも確認することができました。このことは体育に限らずどの教科にも通じる学びです。
よい雰囲気の中、私もたくさんのことを学ぶことができました。チームワークのよさがこの学校の進歩を支えていることがよくわかる授業研究でした。次回の訪問が今からとても楽しみです。

確実な変化が見られる中学校

先日、中学校の現職教育に参加してきました。今年度5回目の訪問で、4回目の授業研究です。この日に授業研究は体育で、私がまだ見たことがないフラッグフットボールの授業でした。指導案からも教材研究がしっかりされていることが伝わります。どのような子どもの姿が見られるのかとても楽しみでした。

授業研究の前に、学校全体の様子を2時間見せていただきました。一部の先生を除いて教師が一方的にしゃべる場面を見ることがなくなりました。子どもの言葉から授業を進めようとしています。子どもを受容することと合わせて、この学校に定着してきています。確実によい変化が現れています。ただ、子どものつぶやきに対してすぐに個別に反応する場面が目につきます。全体で共有すべきことであれば、まず全体に対して再度言わせて、みんなで考えることが必要です。そうでなければ、あとで個別に対応すればいいのです。全体の場で個人的なやり取りは必要ないのです。
子どもに発言を求めるのはよいのですが、挙手をした子どもだけを指名する傾向が強いように感じます。挙手した子どもだけで授業を進めるのではなく、全員が参加することを意識してほしいと思います。「すぐに指名をせずにまわりと確認させる」「1問1答を避け、挙手に頼らず何人も続けて指名する」「発言をなるほどと思った子どもにその理由を聞く」というように、子ども同士をつなぎ、子どもに参加することを求めてほしいと思います。

また、子どもの発言意欲も少ないように感じます。ほぼ全員が正解できているはずでも、数人しか手が挙がらない場面がよくあります。その原因の一つに、子どもたちの発言をポジティブに評価していないことが上げられます。受容はするのですが、評価や価値づけがないのです。よい発言をしても評価されなければ発言意欲はわきません。
もう一つの原因は、課題のゴールが不明確で活動の評価がはっきりしないことです。活動に対する指示はあるのですが、「何のために」「どうなればいいのか」という目的と目標が子どもたちにわかる形で示されていないのです。教師が評価しなくても、「やった」「できた」と自己評価ができれば、それなりに達成感があるのですが、その評価の基準が見えなくては自己評価できません。ただやらされているだけす。当然発言意欲もわかないのです。

授業規律も一部の学級で緩んできているように思います。よい状態の学級は、教師や友だちの発言をとても集中して聞いています。が、子どもたちの作業を止めずに教師が説明を始めている学級では、子どもが落ち着きません。作業が終わったら大きな声で「終わった」と宣言したりもします。次の指示がないので、まわりと雑談してもいいはずだと主張しているのです。基本がいつの間にかおろそかになっています。
今年度も残りわずかですが、これらの課題への対策を具体的にして、年度内に取り組んでいくことが必要です。研修部のメンバーは実行力のある方たちですから、すぐに動いてくれることと期待しています。

社会科の室町時代の授業です。東山文化と北山文化について、代表的なものの写真をもとに「比べてわかること」を個人でワークシートに書かせていました。指示が具体的なので取り組みやすいのでしょう。子どもたちはとても集中していました。この比較することが授業のゴールであればいいのですが、おそらくそうではありません。とすると、このことに時間をかけすぎてはいけません。一番考えさせたいことに使う時間がなくなってしまうからです。授業者に確認したところ、2つの文化の違いの原因を考えさせることで、かかった費用の違いから「戦乱」、いぐさの利用から「二毛作」というように、室町時代の出来事や特徴を整理させたかったということです。しかし、比較に時間をかけすぎて、時間が足りなくなり十分な活動ができなかったようです。「比べてわかること」は、取り組みやすいからこそ全体の場で発表させることで素早く共有し、出てきたことをもとに主となる課題を考えさせるべきだったと思います。

何人もの若手がアドバイスを聞きに来てくれました。この日見た授業のことだけでなく、今抱えている課題について質問もしてくれました。
「理科の岩石の授業は、観察はしても最後は石の組成などの知識を教えることになってしまう。どのようにすればいいのだろうか」という質問をしてくれたのは、2学期の授業研究でとても素晴らしい授業を見せてくれた若手です。この日の授業でも、子どもたちはとても集中していて、素晴らしい姿を見せてくれました。授業者からは自信も伝わってきます。しかし、そのことに甘んじることなく、よりよい授業を目指していることをとてもうれしく思いました。
まず、岩石の観察で見つけたことを、「黒い粒がある」「粒が大きい」・・・といった子どもたちの言葉で表現させ、全体で共有させます。続いてこれらを比較することで、共通なこと、異なることを明確にします。これらの子どもたちの気づきを、教科書や資料集を参考に理科の用語を使って表現することを次の課題にします。「黒い粒」は「雲母の結晶」、「粒が大きい」は「結晶が大きい」というように置き換えていくことで、知識と自分たちの観察がつながっていくはずです。このようなアドバイスをしました。

「体育のダンスの授業でどうしてもうまくできない子どもが何人かいる。この後のグループでの創作活動で上手く仲間に入れないのではないか心配だ。どうすればいいのだろうか」という質問がありました。初任者ですが、子どもたち全員が活動できるようにすることを意識して授業をしています。子どもたちを活動させることができるようになり、表情がずいぶん明るくなっています。授業が楽しくなってきたようです。だからこそ、出てきた質問です。
音楽の速さについていけないのであれば、音楽ばかり頼らずにカウントを使って練習することも一つの方法です。教師が個別に対応しようとするより、子ども同士のかかわりあいでできるようにすることも大切です。向かい合ってカウントを取りながら同じ動きをする。できる子が相手に合わせて早さを調節する。苦手な子のペースでできる子を真似することで動きを覚えることができます。子ども同士がかかわらなければできない活動を工夫するのです。また、グループの創作では全員が同じ動きをするのが原則かもしれませんが、苦手な子と他の子どもとの動きを変えるという方法もあるでしょう。苦手な子どもの単純な動きとまわりの子どもの動きのコントラストを活かそうという発想です。苦手な子どもを隅に置くのではなく、あえて真ん中にして活かすのです。
この課題は、今回の授業研究にもつながることでした。授業研究については次回の日記で。

佐藤正寿先生から多くのことを学ぶ(長文)

本年度最後の教師力アップセミナーに参加しました。奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生の「子どもたちが熱中する社会科授業」という講演でした。

10の視点で社会科だけでなく、どの教科にも通じる授業づくりのポイントを紹介されました。

視点1 基礎基本を楽しく
佐藤正寿先生は、社会科クイズを知識の定着によく利用されます。クイズ形式は盛り上がりますが、知識を問う問題は知らなければ答えられません。時間を与えたからといって答がわかるわけではありません。時間をかけるとだれてしまいます。テンポよく進めるのがポイントです。既習事項は知っていることが前提ですので、クイズになじみます。未習であれば、扱い方に注意が必要です。「あれ、なんだろう」と興味を持たせるような問題であること、そして、子どもがなんらかの根拠を持って考えるような仕組みが必要です。
今回示していただいた例、「日本で一番大きな島はどこ」という問い(クイズ?)を考えてみましょう。地理の問題ですから地図と連動させることが大切です。子どもは日本地図を頼りに考えます。日本地図を表示することが必要になります。もちろん手元に地図帳を用意してもいいでしょう。本州という正解が出たところで、「島」の定義が問題になります。実は、この問いは、島の定義を知識として教えて定着するものでした。もちろん、大きな島を探すことで、島に関する知識も身につきます。定義をもとに、2番目、3番目を確認します。そして、四国の次に大きい島はと聞き、本州が島だと気づかなかった子どもにも、「択捉島」を発表させることで活躍させます。子どもたちと地図を結びつけることで、地図を身近なものとするねらいもあります。島に関連して、「日本に島はいくつあるでしょうか」と質問します。これこそ知らなければ答えられない問題です。推測でしか答えられません。しかし、子どもたちがいくつだろうと考え推測することで、6,853という細かい数字までは頭に残らないかもしれませんが、少なくとも概数は印象に残ります。島国だといわれる日本にどのくらいの島があるのかを知識として身につけることにつながります。単に、「日本には島が6,853あります」と教えるより、はるかに楽しく、そして定着するわけです。

視点2 資料にあったスモールステップ
これは私もよく言うことなのですが、「気づいたことは何ですか」では、なかなか子どもは答えられません。視点がはっきりしないからです。そこで佐藤先生は、スモールステップに分けて考えさせることを提案されます。
最初は基礎項目の理解です。まず資料のタイトルや出典を確認します。タイトルに「領土面積」とあれば、学習用語である領土の意味を確認します。「領土」があるのだから、「領海」や「領空」といった関連用語も合わせて確認をしてもいいでしょう。出典から、信頼できる資料かかどうかを判断します。グラフであれば、軸の項目なども確認し、どのような情報なのかをまず理解した上で「減っている」「増えている」といった全体の傾向をつかみます。
基礎項目を理解した上で。「比較」「推測」「解釈」をします。資料の事実を比較することで、その理由を「推測」する。教科書や他の知識と関連付けて「解釈」する。こういう活動を行うのです。子どもたちから疑問が出てくることもあります。今回は日本の年ごとの領土のグラフを例に説明されましたが、1945年のものだけ色が変わっていました。そのことに疑問を持つ子どもがいるはずです。この時は連合軍に占領されていたから色が変わっていたのです。こういった子どもの発言を評価しながら、資料をもとに深く考えさせるというわけです。

視点3 資料の見せ方
資料の一部分を見せないことで子どもの興味・関心を引き出すことができます。隠れているところに何があるのだろうかと考えさせるのです。答は教師が教えてもいいですが、教えなという選択もあります。自分で調べさせるのです。例えば、コンビニのおにぎりの横には何があるかを隠しておきます。「おにぎりと一緒に飲み物を買うから飲み物だ」と気づかせることから、「並べ方の工夫」につなげていきます。一つの例から、より一般化して広げていくのです。
見る視点を変えるだけで世界は違って見えます。韓国や中国からみた日本の地図を提示されました。日本海を挟んで日本列島から沖縄までが韓国や中国の進出を阻む壁のように見えます。彼らが領土問題に敏感になることがわかるような気がします。立場を変えてみる、多面的に見るといったことの大切さを知らせることもできるわけです。
愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」では、有田和正先生の授業を若手がICTを活用して追試しました。コンビニの店員から見た店の様子をパノラマ写真にして、その一部分を見せることからスタートしました。これも同じ発想です。
このフォーラムの内容は、(株)プラネクサス発刊の「野口芳宏・有田和正・志水廣 授業名人が語るICT活用 −愛される学校づくりフォーラムでの記録」で知ることができます。単にフォーラムでの発言や内容をまとめた記録ではありません。このフォーラムに向けて若手とベテランが授業名人に近づこうとどのような努力をしてきたか、その挑戦と成長の姿が書かれています。名人が語った言葉には、ICT活用を超えて授業とはどうあるべきかという本質があふれています。授業力をつけるとはどのようなことなのか、授業とはどうあるべきかを考える参考になるはずです。ご一読をお勧めします。

視点4 見えないものを見えるようにする
絵や写真資料でも、「気づいたこと」と問いかけることがあります。視点2でも語られたように、パッと見ただけでは「気づいたこと」はなかなか出てきません。視点2と同じようにまず「題」などからどんな図や写真であるかを確認します。その上で、「見えるものは何か?」と問いかけます。子どもにとって答えやすい、簡単な発問から始めて活動させるのです。ささいなことであっても子どもから出てきたことは受容しほめます。次第に細かいところまで気づいていきます。見えるものから「比較」もでてきます。こうして、全員が考えるために共通の基盤がつくられていきます。ここを足場にして、深い読み取りをさせていくことになります。子どもの考えを広げ、「どうして、・・・となっているのかな」といった切り返しで焦点化していくのです。
また、教科書等の資料ではスペースの都合で一部分しか載せられていないこともあります。原典を全部見せることで、違った気づきもあります。資料の見せ方で伝わる内容が変わるという、情報リテラシーの学習にもつながっていきます。

視点5 「知りたい・調べたい」に転化させる
教師が教えるのではなく、子どもが知りたいと思うようにすることが大切です。資料から、「質問したいこと」「知りたいこと」「調べたいこと」を子どもたちに出させます。「知りたいこと」は「知らないこと」でもあります。それを発表するということは自分の無知をさらけ出すことにつながります。私たちが思う以上に言いにくいことでもあるのです。時には失笑を買うこともあります。安心して発表できる雰囲気をつくる必要があります。佐藤先生はこういう場面では、「なるほど」という言葉を多用します。肯定も否定もしない受容の言葉だからです。
佐藤先生のかつての実践が紹介されました。「もし、学校のまわりに交通安全施設を作るとしたら、どこに何を作ったらよいか」という課題です。
「学校のまわり」という条件は、子どもたちが「自分で」調べられるからです。作るものは1つに限定します。限定することで「吟味」が必要になるからです。焦点化する過程で「判断」が求められます。
子どもたちは、交通量を調べるといった実態調査や聞き取りをしました。警察に聞くことで横断歩道の設置などの条件が法律で規定されていることを知ります。子どもたちが問題解決しようと自分で活動することでダイナミックな単元構成となります。プランを作るという最終ゴールは、社会参画の意識を持たせるものです。佐藤先生の社会科観がよくわかるものでした。

視点6 学習用語を身につけさせる
学習用語はどの教科でも大切にしたいことです。私は常々、言語活動では日常用語と学習(学術)用語を自由に行き来させることが大切だと思っています。客観的な定義をされた言葉と自分の持っている言葉とをリンクさせることで、用語が内包している概念を理解できると考えるからです。
佐藤先生は、社会科の用語にこだわりながら授業を進めておられます。物事を明確にするにはコントラストが重要です。用語の定義を明確にするために、「違い」を知ることが有効です。佐藤先生が例に挙げた「山地と山脈」「沼と湖、池」「標高と海抜」「工業地帯と工業地域」などの違いはきちんと教えておきたいものです。
用語を定着させるためには、教科書を音読させるとよいということです。秋田県では「朝音読」といって予習として音読をさせる学習習慣があるそうです。教科書を音読することで、自然な文脈で用語と触れることになります。定着させるための一つの方法だと思います。

視点7 布石を打つ
かつて有田和正先生は、スーパーマーケットで毎日試食をすることを宿題にしたそうです。そのうち子どもは「何のために試食をするのだろうか」と疑問を持つようになります。子どもの中に「知りたい」が生まれてきます。1週間ほどすると「売りたいものを試食させている」と気づきだすそうです。そこで、スーパーマーケットの学習をするのです。事前に布石を打つことで、子どもたちが深く学習するための下地をつくるのです。
例として、「○○日記」というアイデアを教えていただきました。「ごみ日記」「天気予報日記」「CM日記」などをつけさせて紹介するのです。興味・関心よっては思わぬ子どもが反応します。日ごろとは違った子どもを活躍させる機会にもなります。
この他にも、「係を作って新聞を切り抜いて今日のニュースを貼り出させる」「学習する地域に関連する物を事前に子どもたちに持ってこさせ、物産展を開く」といったアイデアが示されました。

視点8 ICT活用はマッチするものをシンプルに
ICTは準備に時間がかかるとなかなか使う気になれません。準備がシンプルなことが大切です。実物投影機による拡大はシンプルですが、とても効果的です。教科書を拡大するだけでも、焦点化・視覚化・共有化が簡単にはかれます。拡大した教科書に書き込むことで共有化ができます。何ページの何行目と言わなくても、拡大して「ここ」とするだけで指示が明確になります。教科書のさし絵を表示して題をつけるだけでも、立派な教材です。また、発表用のまとめを大きな紙に書かせると時間がかかりますが、通常の大きさの紙に書かせれば時間はそれほどかかりません。実物投影機で拡大をして発表させればいいのです。
佐藤先生はフラッシュ型教材をよく活用されます。授業開始時に、復習問題を提示して○×をリズムよく答させるだけでも、手軽なよいウォーミングアップになります。
ICT活用するために授業スタイルを変えるのではなく、「準備が簡単」「部分活用」の発想で、今までのスタイルにICT活用を加えることが、日常的なICT活用につながるというお話は、具体例とあいまってとても説得力のある主張でした。

視点9 キー発問の類型化とネーミング
1単元、1単位時間の授業のねらいに迫る中心的な問いを「キー発問」と定義されています。社会科のものの見方・考え方につながる発問です。佐藤先生は授業の中で必ず「キー発問」を入れるようにされています。この「キー発問」を類型化しておくことで、発想しやすくなるということです。

・「5W1H」 「いつ」「どこ」「だれ」「なに」・・・と聞く
武士の世の中が始まったのは「いつ」?
「だれ」が安全な暮らしを守っているか?
魚の値段には「なに」の費用が入っているか?

・選択発問 「賛成か反対か」「もし、・・・したら」
あなたは農薬を使うことに「賛成か反対か」?
「もし」食料自給率が「下がったら」?

・焦点化発問 「条件は何か」「・・・と言えるか」
工業が盛んな地域の「条件は何か」?
貴族の暮らしは一言で言えばどんな暮らし「と言えるか」?

このように整理されると、確かに発問がつくりやすくなります。他の教科でも活用しやすくなるように思いました。

視点10 地域のよさ・日本のよさを伝える
これは佐藤先生のブログのタイトルにもなっている言葉です。「他の国や地域の方に、胸を張って自分たちのよさを伝えてほしい」「日本人として、日本と言う国に誇りを持って生きてほしい」「自分たちの国や地域を愛してほしい」という想いだと思います。
ともすると、自分たちの国や地域に誇りを持つことは他の国を貶めることと勘違いされることがあります。自分たちが1番素晴らしいのだという、間違った愛国心と同一視されることもあります。決してそうではありません。自分たちの国や地域を愛するからこそ、他者の同じ気持ちを理解し尊重できるのです。このことが国際社会を生きるための条件だと思います。佐藤先生の社会科の教師としての原点を見せていただいたように思います。

最後に、佐藤先生の価値ある出会い、有田和正先生とのことを話されました。有田和正先生の「教師を跳び越える子どもを育てる」授業にあこがれ、追い続けてこられました。「価値ある出会い」が自分を変えてくれたということです。価値ある出会いは誰にでもあるはずです。あこがれの先生とつながり、徹底的に追試をすることで成長できる。そう伝えられました。
また、成長と関連して教師のステージということも話されました。
・第1ステージ 基礎を学ぶ
・第2ステージ 学校の柱(中堅)となる
・第3ステージ 学校のリーダーとなり、後輩を育てる
今自分がどのステージなのか意識して、そのステージに必要なことを学んでほしいということです。
気がつくと2時間の講演があっという間に終わっていました。

社会科の授業のポイントをわかりやすく整理して教えていただけました。佐藤先生が教えてくださった視点は社会科だけでなく、どの教科にも活かせるものです。今回、その具体例を模擬授業の形で見せていただけました。そこには、子どもの発言の受容・評価といった受け、挑発・ゆさぶりといった切り返しなどの授業の基礎技術がたくさん盛り込まれています。授業技術だけに着目してもとても学びの多い講演となっていました。また、教師の成長と言う視点でもとても大切なことを教えていただけました。
佐藤先生の懐の深さを改めて実感させられました。素晴らしい講演を本当にありがとうございました。

中学校で抱えている課題を伝える

先週、中学校で授業アドバイスと現職教育に参加してきました。

1年生は、授業者によって子どもたちの態度が大きく異なるという状況に変化があまり見られませんでした。というより、同じ学級でこれほど違うかというほどの差が見られます。授業が上手くいっていない場合、その理由の1つは、授業者と子どもたちとの人間関係が上手くいっていないことにあります。子どもたちに受容的な教師が多いため、高圧的で押し付けているように感じさせると子どもたちが反発します。席を立ったり騒いだりするわけではないのですが、教師の話に対して集中しないことで反発を示します。もう1つの理由は、教師の一方的な話が続くことにあります。ずっと受け身の状態になるので、集中力が切れてしまいます。子どもに問いかければ反応し集中が戻るのですが、授業者が受け止めたり取り上げたりしないので、すぐに元の状態に戻ってしまいます。
また、教師の説明の時に髪の毛を触ったりする女子の姿も気になります。授業者に対して「つまらない」「わからない」「参加させて」と訴えているように感じます。それでも板書は写しています。授業に参加する気持ちが全くないわけではないのです。こういう子どもたちを無視せずに、声をかけるといったかかわりを持つようにする必要があるでしょう。

2年生も授業者や場面で異なる姿を見せます。しかし、その様子は1年生とはかなり異なっています。例えば、教師の立ち位置で顔が上がるか、下を向くかが変わったりします。「今は聞き流してもいい」「あっ黒板の前に立った、重要な説明をするからしっかり聞こう」といった判断が働いているのです。状況を読んでいると言ってもいいでしょう。このことをどう評価するか難しいところです。「子どもらしくない、功利的な態度だ」と否定的にとらえるのか、「状況を判断して、力をコントロールするのは成長した証拠だ」と肯定的にとらえるのか、どちらの考え方もあるでしょう。いずれにしても、教師がこうあってほしいという思いを子どもに伝えれば、それに応えてくれるはずです。私には、その場その場で教師が望むことを忠実に写しだす、鏡のように見えます。
子どもとの人間関係の構築に失敗したと感じる若手の教師が若干います。テンションを意味なく上げる雑談をしたりして、一部の子どもとだけ盛り上がり他の子どもが離れていった。表面的には子どもを受容しているようにふるまうのだが、思い通りに子どもが動かないと、表情や対応から子どもを認めていないことが伝わってしまった。こういったことが原因のようです。このことを素直に自分で認めることができれば、変わることができるはずです。気づいてくれることを期待します。

この日見た授業で気になったり、面白いと感じたりした場面をいくつか紹介します。
結果だけが書かれる板書が目につきます。板書を見てもその結論が出てきた根拠がわからないのです。もちろん、何らかの形で根拠が語られているのでしょうが、それがどこにも残っていないのです。根拠が書かれていない板書を写すことで、子どもたちは結果のみが大切だと考えてしまいます。
また、数学で子どもに答を板書させた後の対応が気になりました。答を書いた子どもに一切発言させずに、教師が勝手にその答を判断し、時には修正しながら説明します。しかも根拠は一切書かれません。これでは、子どもに板書させる意味がありません。最初から教師が説明した方が時間の無駄がないだけまだましです。別の教室では子どもの書いた答にただ○をつけるだけの場面がありました。これも子どもに板書させる意味がわかりません。机間指導で全員わかっていると確認できているのなら、あえて板書させる必要はないでしょう。もしわかっていない子どもがいるのであれば、その子がわかるための手立てが必要です。
一方若手の数学の先生の板書が変化し始めました。大切なこと、まとめをわかりやすく色を変えるなどの工夫が出てきたのです。その日の授業で何が大切かをしっかり教材研究しなければできません。当然授業もポイントを押さえたものに変わりつつあります。ただ、まだ思考の過程や大切な根拠が何かは押さえられていません。次の課題でしょう。

TTの机間指導で子どものノートをよく見ている場面がありました。間違いや足りないことを指摘していきます。しかし、ほめる言葉は一言もありません。子どもは間違いをチェックされていると感じます。否定しかない机間指導です。発想を変えて、できていることをほめてほしいと思います。間違いがあれば、「ここまであっているよ」「ここはいいね」と言えば、どこがおかしいか気づきます。子どものやる気を引き出そうとすることが大切です。

ベテランの社会科で、日清戦争後の2枚の風刺画をもとにした授業がとても興味深いものでした。絵の表わしている当時の状況を教科書や資料集の事実と照らし合わせて読み取ろうというものです。かなり高度な内容です。子どもたちはしっかりと考えようとしていますが、一部の子どもしか意見を言うことができません。まず、絵に何が書かれているか全員で共有し、そこからこの絵に描かれた状況はどのようなものかを全体で確認する。それから、その状況は、どんな歴史的事実、状況を表わしているのかを教科書や資料集をもとに考えさせるというスモールステップを踏むとよいと思います。授業者は忙しい立場なので日ごろはなかなか授業について話すことができないのですが、この日は久しぶりにじっくり話し合うことができました。とても楽しい時間を過ごすことができました。

現職教育は、今年度の総括です。最初は、教科ごとのこの1年の実践報告でした。正直教科によって実践の密度は大きく異なっていました。教科全体でテーマを持って取り組んだところ、個人レベルで取り組んだところ、特に何に取り組んだのかよくわからないところといろいろでした。
研修主任からは、子どもたちにこうなってほしいという姿に対して、その姿を実現するための手立てとして何がベストなのかをより深く追究してほしいということが話されました。熱い思いが伝わってきます。

私からは、現在この学校が抱えている課題についてお話しさせていただきました。
1年生、2年生に見られる子どもの姿は、教師が子どもたちに何を望んているかを表わしています。顔を上げて話を聞いてほしいといった授業規律一つ取っても、そのことにこだわり続けた方の教室ではきちんとできています。意識しなくなってしまえば、いつの間にか子どもの姿はバラバラです。教師が望めばできる子どもたちです。逆に言えば、望まなければできないのです。
子どもを受容できる先生が増えています。しかし、挙手に頼る授業が目立ちます。挙手した子どもしか指名しなければ、わかっている子ども、自信のある子どもだけで授業が進んでしまいます。子どもの言葉を引き出す技術が必要です。発言を引き出すためには子どもに自信を持たせることも必要でしょう。机間指導で○をつけたり、「いいね」と声をかけたりするといった方法があります。もっと簡単なのは、間違えても恥ずかしくない雰囲気を教室につくることです。どんな答でも、「なるほど」と認めてもらえる。たとえ間違えても、修正する機会を与えられて、最後は必ずほめられて終わる。このようなことを意識して授業を進めるのです。
子どもの同士の関係は決して悪くはない、というよりかなりよいのです。ペアやグループでの活動もおおむね機能しています。が、かかわれない孤独な子どもも目立ってきています。人間関係の問題なのか、学力的にきびしくて話し合いに参加できないのか、教師はきちんと見極めることが大切です。特に、学力的な問題であれば教師が授業中に個別に対応しすぎないことが大切です。子どもたちが、「あの子は先生が対応してくれるからいい」と思ってしまうと、かかわらなくなってしまうからです。他の子どもとかかわれるように働きかけることが大切です。
子どもが授業に参加できていれば学力がつかなければおかしいはずです。先生方の教科力が問われます。そのためには教材研究が不可欠です。規模の大きい学校です。同じ教科の先生が複数いるのですから、日常的に授業のことを話題にしてほしいと思います。個人商店の集まりにならないように、教科で方向性を持って子どもたちの学力向上に取り組んでほしいと思います。
来年度からやろうでは、なかなか変わることができません。今年度は残りわずかですが、今から変えようとすることが来年度につながります。このことをわかってほしいと思います。

今年度もたくさんのことを学ばせていただきました。子どもたちと先生方に感謝です。ありがたいことに、来年度も授業アドバイスをお願いされました。どのような学びがあるか今からとても楽しみです。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その3)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」の3つ目の模擬授業は、岩倉市立岩倉中学校の校長の野木森広先生でした。中学校の理科「電流とその利用」です。コーディネーター(司会者)は私が務めさせていただきました

模擬授業は、豆電球の明るさの違いを説明することを課題としたものです。予め動画にとっておいた実験を見せながらの授業でした。授業者は、「子どもに実験をさせる」「教師が演示実験をする」などの方法を実際に試した結果、20分という制限された時間内で完結させるのは難しいと判断して動画の利用に行き着きました。動画を利用することで時間が短縮されるだけでなく、どこに注目すればよいかを画面に示すこともできます。仮説や推測を確認する目的であれば、このような使い方はとても説得力があります。

回路につなぐ金属の違いで、豆電球の明るさが変わることを動画で見せます。授業者は子ども役の反応をしっかり受け止めます。反応に対して「ありがとう」「いい反応ですね」といった言葉を返します。「技能は◎ですね」といったポジティブな評価も欠かしません。今回のフォーラムの模擬授業者は、どなたも子どもを受容し、評価するということは外しません。三者三様の授業スタイルにもかかわらず共通しているということは、このことが子どもと授業者のやり取りの基本であることがよくわかります。

他の線と比べてニクロム線につないだ豆電球の明るさが暗くなるのは、分子の中を電子が流れにくいからだという粒子モデルを授業者が提示します。こういったモデルは子どもが考えて出てくるものではありません。子どもに考えて出させようとしても、塾などで習って知識として知っている子どもが活躍するだけです。それよりも、このモデルを使って事象を説明することができるかに重点を置くことが大切だということです。
その手始めが、次の「ニクロム線を長くすると豆電球はどうなるか、それはなぜか説明しよう」という課題です。結果を予想させ、実験どうかなるかを見せます。「今見たことを言葉で説明して」と言語化を求め、「ニクロム線が長いと暗い」「長くなると電気が流れにくい」「ニクロム線が長くなると抵抗が大きくなる」と事実をより理科的な表現に変えさせ、理科用語の「抵抗」につなげていきます。教科の言語活動では、教科的な表現、教科用語と結びつけることが大切です。これも3人の模擬授業者に共通していました。

ニクロム線が長くなると抵抗が大きくなる理由をグループで考えさせ、「ニクロム線の分子の数が多くなるから」と先ほどの粒子モデルでの説明を引き出します。
モデルを使って納得のいく説明させることで「分子」に注目させてから、この授業の主課題を提示します。「針金を熱すると豆電球の明るさはどうなるか、それはなぜか説明しよう」です。ここで、明るくなる場合と暗くなる場合の両方の場合の理由ついて考えさせます。どちらか一方の立場で考えさせるのが普通ですが、とても面白い進め方です。個人で考えさせた後、グループで相談です。どちらか一方の立場でしか考えられない子どもも出てくるはずです。友だちの意見を聞く必然性が出てきます。どちらが正解かを問うていないので、自分の考えを主張するというよりも、それぞれの考え方を理解し、実際にはどちらが正解となるかを客観的に考えることにつながります。グループ活動を活性化し、深く考えさせることにつながります。
この時、会場も授業を見るのではなく一緒になって考え込んでいたのが印象的でした。優れた発問だったということです。

明るくなる場合は、「電子の動きが活発になるから」。暗くなる場合は、「分子が動いてじゃまをするから」「鉄が酸化鉄になって流れにくくするから」といった意見が出てきました。ここでは、議論はしません。どんな理屈も現実と異なればそれは棄却されるのが理科だからです。
実験の動画を会場も含めて全員真剣に見つめていました。課題が自分たちのものになっているということです。実験は2回続けて確認されました。結果は「暗くなる」です。このことから、「分子が動いてじゃまをする」か「酸化鉄になって流れにくくなった」のどちらかが妥当な理由だということになります。授業者は、暗くなった後、熱するのを止めた時に再び明るくなったことから、酸化鉄の説は棄却されることを説明しました。時間があれば、「この2つのどちらが正しいのかを知るためにどのような実験をすればよいか」と発問したいところでした。授業者は20分の制限がさぞ恨めしかったことでしょう。

最後に、どんどん冷やしていくと超伝導が起こることを説明しました。極限まで温度が下がると分子の運動が止まることと超伝導から、電気抵抗の正体が分子運動であると考えられるようになったこと、それまでは正体がよくわかっていなかったことを話されました。科学の本質を伝える話です。性質や法則を見つけても、その原因や理由がわからないことはたくさんあります(例えば飛行機が空を飛ぶのはベルヌーイの定理で説明されますが、本当のところはよくわかっていません)。あくまでも仮説を積み重ねていくのが科学であることに気づかせるものでした。このような授業を続けていけば、子どもの理科的なものの見方・考え方を育てることにつながると思いました。
授業者が理科をどのような教科であるととらえているかがよくわかる素晴らしい模擬授業でした。

この模擬授業ではICTを活用した授業検討を行います。授業検討者はタブレットPCを持ち、心が動いた時にどこで動いたかを画面のボタンを押して知らせます。今回は、子どもたちのグループ、授業者、黒板をボタンに設定しました。サーバーにはいつ、誰がどのボタンを押したかが記録されます。同時に、それぞれの端末には今どのボタンが押されたかが色で表示されます。一定期間にたくさん押されれば色が濃くなっていきます。時間が経てば消えていきます。端末を見ることで、今授業検討者がどこに注目しているかわかるようになっています。記録されたデータは、1分ごとに集計され、このデータをもとに授業検討を進めます。授業はPCと接続されたビデオカメラを使ってサーバーに録画され、各場面をすぐに呼び出すことができます。
今回は授業検討者の多くの心が動いた部分を中心に協議するにする「3シーン授業検討法」を、このツールを使って行うことになっていました。現在開発中のシステムで、このバージョンを実際に使うのは今回が初めてです。どのように利用して進行するか考えるため、リアルタイムで集計データを見ながら模擬授業を参観していました。ところが、途中から、模擬授業そのものよりもデータに意識がいってしまいました。困ったことに気づいたのです。ツールでは、どのくらいボタンが押されたか1分ごとに集計されます。当然その数が多いシーンをもとに検討を進める予定でした。しかし、押された数の多い時間帯の中身を細かく見ていくと特定の方がたくさん押していたので数が増えていたのです。その一方で、合計はそれほど多くないのですが、ほぼ全員が押している場面があります。また、私的には非常に心が動いた「明るくなる、暗くなる、両方の理由を考える場面」を含む後半は、ボタンが押された総数がかなり少ないのです。これをどうとらえ、どう検討会を進めればいいのか授業検討会を前にして混乱していたのです。

結局、たくさん押された場面と、ほぼ全員が押していた場面に絞って検討を進めることに決めました。このことで頭がいっぱいだったため、ツールの説明を雑にして進めてしまいました。集計画面を見ながら、この場面が多い。一方この場面は、総数こそ少ないがほぼ全員が押していると説明して検討に入りました。会場の方はこの画面を始めてみる方ばかりです。この数字が何を表わしているのか、といった説明をしながら、まずたくさんボタンが押されている場面に注目して、「3シーン授業検討法」の基本的な進め方に則って進行すべきだったのです。事前に私が情報を分析した結果をもとにいきなり進行したため、本来目的とした授業検討ツールの紹介としてはわかりにくいものになってしまいました。せめて、事前に分析をせず、その場で会場の皆さんと一緒にどう進めるかを考えながら行えば、また違ったことになっていたはずです。時間を意識しすぎて失敗してしまいました。

検討の中で、特定の子ども役の様子が話題になりました。その子ども役の様子を追っかけていた検討者が、他の場面での様子を紹介します。ここで、ツールを使うことでその場面をすぐに再生することができました。ダイナミックに授業を振り返るツールとしての可能性を感じましたが、そんなことよりも基本となる部分をまずは会場全体に伝えることが必要でした。後半にボタンが押された数が少ないことに関連して、企業会員の授業検討者から次のような言葉を聞くことができました。「授業をどのように見るかよくわからなかったので、途中からボタンがたくさん押されたところを見るようにした」とのことです。経験の少ない若手に置き換えて考えればなるほど思わせる発言でした。
これは想像ですが、授業検討者がこのツールに慣れていないため最初は勢い込んでたくさん押したが後半は疲れてしまった、後半授業が興味深く進んだため見ることに集中してしまった、もしくはこの両方が、後半ボタンが押されなくなった理由だと思います。へたくそな進行でしたが、授業検討ツールに関して多くのことに気づくことができました。

3つの模擬授業と検討会の終了後、会長の新城市立千郷小学校の校長小西祥二先生を司会として、コーディネーター3人でまとめを行いました。ここで玉置先生からツールが参加者によく伝わっていなかったのでもう1度説明しましょうと提案していただきました。この時間を取っていただいたので、ツールについては一定の理解を得ることができたと思います。ありがたいフォローでした。
しかし、それぞれの授業検討法で心が動いたかという会場への問いかけでは、私の力不足でICTを活用した授業検討法は一番挙手が少ない結果になりました。このツールは開発担当者が連日徹夜でここまで仕上げてくれたものです。この日もうまく動くか心配で会場で待機していただいていました。感謝するとともに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
会場からは、司会者の力量に頼らず、誰もがどの場面に注目して議論すべきかわかりやすくするために、グラフ化したり、見せ方を工夫したりするとよいものになるではないかというアイデアもいただきました。ありがたいご意見です。
アンケートでも、このツールの可能性を認めた上での指摘や意見がたくさんありました。感謝です。

私の力不足を棚に上げさせていただけば、会全体としてはとても充実したものになったと思います。次回に期待する声もたくさんいただきました。
最後に九州から参加していただいた女性の退職者から、「大して期待せず参加したが、とても素晴らしいフォーラムだった。若い先生にとってはICTの敷居は高くない。こういったツールが広がることで先生方の力量も向上するはずだ。未来の光がしっかりと見えた気がする。ぜひ頑張っていただきたい」とノーマイクで会場全体に響き渡る大きな声でエールを送っていただけました。この一言で救われた気がしました。大感激です。
確かな手ごたえと課題、そしてたくさんの元気をいただけた1日でした。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」の2つ目の模擬授業は、奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生でした。小学校の社会科「モンゴルの人々のくらし」です。

佐藤先生の授業は基本となる考え方、流し方がはっきりしています。内容がワンパターンというのではありません。大まかな学習の流れが「ウォーミングアップ(復習)」「ゴールの提示」「第1課題(活動)」「第2課題(主課題・活動)」「ゴール(まとめ)」という形に決まっていて、子どもたちは次にどのような活動があるのかわかるため、見通しをもって授業を受けることができます。また、社会科の観点「(社会的事象への)関心・意欲・態度」「(社会的な)思考・判断」「(観察・資料活用の)技能・表現」「(社会的事象についての)知識・理解」が必ずすべて取り入れられています。このことは、たとえ今回のような20分の短い模擬授業でもきちんと守られています。

今回のウォーミングアップは東アジアの国についての復習です。地図と国旗をスクリーンに表示して、国名をテンポよく、時間のことも考慮してか全体で言わせます。子ども役の言う国名に対して、正式名称も必ず確認します。単なるウォーミングアップではなく、知識の定着も意識しています。
続いてゴールの提示です。この日のゴールは「モンゴルの人々はどのようなくらしているのだろうか」という課題に対して「ノートに説明を書くことができる」でした。

第1課題は「モンゴルについて知っていること、思っていることをノートに書きなさい」です。書かせた後、ペアで確認をします。ペアの人の書いたことを自分のノートに写しているのを「いいですね。他の人から学んだことを書き加えていますね」とほめています。「他の人から学んだことを写しなさい」という指示ではありません。よい行動を見つけてほめることでよい行動を広げようとしているのです。こういうところに佐藤先生の自ら考え行動する子どもを育てようとする姿勢がうかがわれます。
子ども役に発表させます。どの発表もきちんと受け止め評価します。「地図帳に注目した」といった社会科的な価値づけも忘れません。いつものことですが、その場では板書をせず、後で必要なものだけを板書します。テンポを大切にしていることと、余計な情報を残したくないことがその理由でしょう。ゲル、力士、料理の3つを板書して、今日はゲルについて勉強することを伝えます。子どもから出てきたことをもとに課題や活動がつくられています(もちろん、コントロールはしているのですが)。

ペアでゲルについて何を知りたいかを考えさせます。「知りたい」は子どもたちの言葉を引き出しやすい発問です。知りたい意欲を持たせることで、次の展開での子どもたちの集中度は上がります。「知りたい」は知識の獲得意欲につながります。知識は原則教えるか、調べるしかありません。時間があれば図書館やインターネットで調べることもできますが、今回は時間がないのでもちろん教える形になります。しかし、一方的に教師が説明するのではなく、子どもたちの「知りたい」をまずスクリーンに写真で見せます。子どもたちが写真(資料)から知識を学ぶことを優先します。その上で、必要な説明を簡潔に加えます。そのため授業のテンポがよいのです。ゲルを組み立てる写真を見せ、大人たちが協力して数時間で組み立てられことを説明します。簡単に組み立て、分解ができるゲルの特徴から、家畜と一緒に年数回移動しているモンゴルの人々の暮らし方につなげていき、「遊牧民」という言葉を押さえました。「遊牧民」から出発するのではなく、子どもたちの興味関心を引きつけたゲルに着目することから、遊牧民の暮らし方に思い至らせるという展開は、部分から全体を想像する、資料からその裏にあるものを推測する力をつけることにつながります。社会科でつけたい力を意識した展開です。

ここで、第2課題です。「遊牧民は現在も同じようなくらしをしていると思うか」です。子どもたちに挙手をさせます。考えは分かれます。本来はここで時間をかけて、根拠を持って考えさせたいところです。「どのような資料がほしいか考える」「教師が用意した資料をもとに議論する」などの方法が考えられます。時間の制限あるので、今回は教師主導で進めました。
最初に見せたゲルの写真のトリミングしていた両端を広げて見せました。そこには、太陽電池や衛星放送用のパラボラアンテナが写っていました。子ども役からも驚きの声が上がります。最初の写真が布石になっていました。一部分を見ていた時と資料から見えてくるものが大きく違います。車やバイクも使っていることを示して、昔のような生活を維持しながらも文化(現代)的な暮らしをしていることを伝えます。ここで客観的な資料を提示します。
モンゴルの遊牧民の数が、以前は人口の80%だったのが、現在は13%に下がっているグラフと首都ウランバートルの人口が40万人から122万人増えたグラフを重ねてスクリーンに映します。視覚的にわかりやすい資料です。そして、現在のウランバートルにあるゲル地区をグーグルアースで見せることで、遊牧民が都市に定住している様子を実感させます。ICTを活用することで、とても説得力があります。都市への定住の理由として、「子どもの教育」「現金収入」「牧草地の減少」を授業者が説明しました。時間があれば子ども役に推測させたいところでした。

書かせる代わりにどんなこと思ったかペアで話をさせて、まとめに入りました。「1つの国を見る時多面的に見ることが大切である」という社会科としての見方・考え方でした。なるほど、ここでも、ゲルの写真が布石になっていました。外国の教科書における「日本では人力車で移動している」「日本人は下駄をはいている」といったおかしな日本の記述を紹介して終わりました。

今回は資料をもとに知識を与え、知識によって子どもたちの認識や考えを変容させ、深めていく授業でした。時間の関係で子どもたち自身で考えさせる場面が少なかったのが残念です。最後のまとめも、本当は子どもたちから言わせたいところだったと思います。逆に言えば、時間があればきっと考えさせていたはずだということが見える授業だったということです。それは、「ペアでの意見交換を多用することで、一人ひとりの表現活動の時間を保障している」「子どもの興味関心や、子どもの気づきをもとに授業を進めようとしている」「子どもが考える根拠となり得る資料を準備している」といったことから伝わってくるのだと思います。
これだけの内容を20分という限られた時間の中で授業として成立させる手腕は、さすが達人と言えるものでした。

授業検討は、4人のグループで行う「3+1授業検討法」で行いました(詳しくは教育コラム「楽しく授業研究をしよう」参照)。授業検討者は、2色の付箋紙に「よかったところ、参考になったところ」「疑問に思ったところ、改善点」に分けてメモを取りながら授業を参観します。グループではその付箋紙をもとに「よかったところ、参考になったところ」を3つ、「疑問に思ったところ、改善点」を1つにまとめて、模造紙を使って全体に発表するというものです。コーディネーター(司会)は小牧市立岩崎中学校の校長の石川学先生です。
授業検討者がグループで話し合っている間、会場でも同じように考えていただきました。模擬授業が素晴らしかったこともあり、会場の皆さんも真剣に考えておられ、まわりと話し合っている姿がたくさん見られました。

2つのグループの発表は、
最初のグループ
よいところ
・資料の提示のタイミング
・知りたいことは何ですかとう発問で子どもの興味を引き出した
・日本が外からどのように見られているかに注目させた
改善点
・子どもの意見がからまなかった

2つ目のグループは
よいところ
・しっかり起立して発言させるなど、「授業規律」が意識されていた
・どう思う、どんなことを知っていますか問いかけ、そこから子どもの言葉をうまく拾いながら進めていく「授業技術」
・説得力のある資料
改善点
・知識中心になってしまった

でした。

このまとめに至るまで、たくさんのよいところがグループ内で紹介されたことと思います。この検討法は、まとめそのものよりも、その過程をグループで共有することにそのねらいがあります。若手、中堅、ベテラン、個人のフェーズに合わせて多様な学びがあることと思います。

コーディネーターは、2つのグループが共に着目した資料に関連して、どこから探すのかを授業者に質問しました。基本は、「文献を探す」でした。文献には新しいものがないので、そういうときはインターネットを使うが、信用できないデータも多いので、できるだけ信用ができそうなものを探すようにしているそうです。ICTを活用されている佐藤先生だからこそ、文献に当たることの大切さを実感されているのでしょう。こういう言葉を引きだすのも、コーディネーター(司会者)の大切な役目です。

今回の授業では「知識」を与え、写真や資料によって「関心・意欲」を持たせ、隠したもの、隠されたものを意識することで「資料の見方」を教え、部分と全体を見ることで社会科的な「ものの見方」を考えさせました。社会科の4つ観点を意識してすべて扱っていることを授業者が説明してくれました。

最後に、この検討法の感想を佐藤先生に聞きました。
若い人やベテランの授業者にとってはよい方法ではないか。若い人は力がないので自信がない。よいところをたくさん言われれば元気が出る。一方ベテランはプライドがあるから、批判的なことが多く出れば授業者になろうとしない。そういう点でこの「3+1授業検討法」は価値があるということです。もちろん佐藤先生にとっても、自分が気づかなったよさを指摘されることで、意図的にそのよさを活かすことができるようになるので参考になるということでした。しかし、佐藤先生は、「3+1」ではなく、「3+3」でも「3+10」でもいい、改善点や課題をたくさん言ってもらいたい。その方がたくさん学べるということでした。たしかに、「3+1」にこだわる必要はありません。授業者や学校の集団の状況に応じて、柔軟に対応すればいいことです。よいところと改善点の比率をあらかじめ示しておくという仕組みを活かし、あとは、その比率をいくつにすればよいかを状況にあわせて決めるだけです。そのことを佐藤先生から改めて気づかせていただきました。

次のICTを活用した授業検討法については、「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その3)」で。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その1)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」は、授業研究を活性化させるための授業検討法の提案です。最初に私から、今回のフォーラムで授業検討法について提案する理由と各授業検討法についての簡単な説明を行いました。

・ほとんど意見がでずに、司会者が順番に指名して無理やり発言させる。
・発言がつながらず、一向に議論が深まらない。
・授業者に対する質問ばかり続き、それに対して「私ならこうする」と持論ばかりが主張される。
・一部の力のある教師が場を仕切り、他の意見を押さえてしまう。
・若手が意見を言うと否定されてしまい、発言意欲を失くしてしまう。
・発言しようにも、何を言っていいかわからない。

私たちはこのような状況を変えるための授業検討法を研究しました。目指したのは、どんな提案授業でも、どんな参加者でも、そしてどんな司会者でも、検討会が焦点化され教師集団が成長することです。
3つの模擬授業に対して、それぞれ異なった方法で検討会を行う形で進めていきました。

最初の模擬授業は一宮市立尾西第一中学校教頭の伊藤彰敏先生の国語の授業でした。中学1年生対象の「俳句を読む」でした。子ども役は、毎回会場と愛される学校づくり研究会の会員から8名ずつが選ばれます。授業検討者は会員のみ8名が務めます。
松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を音読させます。「古池や」でいったん止めてちゃんと全員がしっかり言えているかどうかをチェックします。子ども役の読み方に「元気がない」と挑発します。声が大きくなったところで、順番に指名します。、一人ひとりの読み方をほめて、きちんと評価しています。さすが私たち研究会の国語のエース、こういった基本は外していません。列で読ませたりして、大きな声で読めるようにしてから、「目を閉じてゆっくり読みましょう」と指示をします。このコントラストも見事です。子どもたちが俳句をじっくり味わって読むことになります。
作者を確認しますが、指名した子どもが「小林一茶」とぼけます。「おしい、同じ江戸時代」とポジティブに受け止めます。松尾芭蕉がでてきたところで、どんな古池のイメージが浮かぶかを書かせます。
子ども役は一生懸命書いていますが、時間で切ります。「途中でも書かない」と明確に作業を止めてから、列で発表させました。「たくさん書いているけど、これが1番だと思うものを言ってください」と条件をつけます。ただ書いたものを発表するのではなく、もう一度振り返って吟味をさせるよい働きかけだと思います。最初の発表者が、古池の情景とは違うずれた意見を発表しました。質問とずれていることを指摘するかと思ったのですが、「なるほど」と受け止めて次の子ども役へと続けました。「苔むしている」という意見がありました。すかさず「どういうこと」と切り返します。そのままスルーして進むのでもなく、授業者が自分で説明するのでもなく、発言者に説明を求めます。しかも、「どういうこと」と答えやすい言葉で切り返しています。地味な場面ですが、授業者の実力がよくわかります。
「素敵だと思った」意見はどれかを聞きます。とても上手な聞き方です。「いいと思った」は上から目線に聞こえることがあります。「素敵」は共感的な表現です。子ども同士の人間関係をつくることにもつながります。聞いていれば答えやすい問いかけですが、聞いていなければもちろん答えることはできません。このような問いかけをいつもしていれば、子どもたちは必然的に、友だちの発言を聞くようになると思います。

ここで、五感とは何かを子どもに確認します。子どもの発表に合わせて、準備したカードを貼っていきます。五感を貼り終わったあとに、「他にもある」と第六感という言葉を引き出します。授業者の「第六感を具体的にするのが国語」という言葉から、根拠を大切にする国語を目指していることが伝わってきます。
この句でどんな感覚が使われているか、五感を一つずつ取り上げながら、全体に挙手で確認します。挙手が多いとカードを上にずらし、少ないと下げてどの意見が多かったかをわかるようにします。子どもの意見を視覚化する面白い方法です。「味覚」に手を挙げる子ども役がいました。五感全部の確認が終わったあと、だれの意見を聞きたいか問いかけます。当然、味覚に手を挙げた子どもに聞くことになります。「池の水の味」という言葉が出てきます。「なめちゃったんだ」と受け止めて、「なるほどと思った人」と他の子ども役にたずねます。何人かの手が挙がります。こういったちょっとずれたように感じる意見でも、否定せずに「なるほど」ということばでつないでいるのは見事だと思いました。子どもが安心して発言できる雰囲気づくりにつながると思います。

この俳句はどのような感覚が中心であるかを個人で書かせます。1人の子ども役を指名して発表させました。「書いてあったね」と促して、「心の視覚」という言葉が出させました。子ども役から笑いが起きました。「今、笑うところじゃない」とたしなめます。この言葉がすぐに出てきたということは、変わった意見を言った子どもが恥ずかし思いをしないように日ごろから意識をしているということです。
「心の視覚」とはどういうことかを発言者に確認します。発言者はうまく自分の考えを言えません。「実際には視覚ではなく・・・」といった発言に対して、「どういうこと」と聞き返しながら、言葉を足させます。「水の音だけを聞いて想像した」という言葉を引き出しました。拍手が起こります。授業者は大切な言葉なので、もう一度言わせます。「感動しちゃう」というつぶやきを拾い、「どういことに感動したか」と問い返します。子どもの言葉を大切に受け止めながら、問い返すことで根拠やその内容を常に明確にしようとします。

「どんな音だと思う?大きい音?小さい音?」と聞いていきます。答えられない子どもには「もう一度聞くから、考えておいてね」と、すぐにとばして次の子どもを指名しました。もう一度聞くとしておけば、とばされてもその後集中して参加します。テンポを崩さないよい方法です。「小さい音」から情景が広がっていくことを子ども役の発言から共有しましたが、それで終わりではなく、最後に「俳句を読むときは五感に頼る」と俳句を読むための方法を明確にしました。「古池や」の句を読むことを通じて俳句を読む力をつけようとする授業でした。
20分と短い時間でしたが、子どもの言葉を活かす授業、根拠をもとに考える国語の授業とはどのようなものかが具体的に示されたと思います。

この模擬授業の検討は、「3シーン授業検討法」を用いて行われました。この授業検討会のコーディネーター(司会)は午前の部でもコーディネーターを務めた、小牧市立小牧中学校の校長の玉置崇先生です。「3シーン授業検討法」は、授業検討者が「よかった」「気になった」などと心が動いた場面を、授業の開始から1分ごとに挙手してもらい、多くの人の心が動いた3つのシーン(今回は時間の関係で2つとなりました)に絞り、その場面をビデオで確認しながら検討をする方法です(詳しくは教育コラム「楽しく授業研究をしよう」参照)。

授業検討者の心が動いた場面は、何と言っても「心の視覚」の場面でした。皆さんの意見を聞いていきます。心が動いた場面ですので、どなたもしっかりと意見を発表します。「『心の視覚』という言葉を投げかけることで、共通の問題意識を持ち始めた」「『心の視覚』を『聴覚』に結びつけたことが素晴らしい」といった意見です。「心の視覚」を取り上げたことで子ども役に変化が起きたこと、考えを深めた授業技術が焦点化されていきました。ここで玉置先生は、「心の視覚」が子どもから出てくるとは予想はしていないはずと、授業者はどのような展開を予め予定していたかを聞きます。「静かさを表現している句なのに、なぜ『水の音』と音なの?」という疑問から考えさせるつもりだったそうです。なるほどと思わせる展開です。だからこそ、それをあっさり捨てて子どもからでてきた「心の視覚」を取り上げたすごさが浮かび上がります。「心の視覚」は子ども役からでてきた笑いでもわかるように、「わけわからない」言葉です。「だからこそ、ここから出発することで、子どもに考えさせることができると判断をした」という授業者の言葉から学ぶことは大きいと思いました。授業検討者の意見と授業者の考えを見事につなげる進行です。

もう一つの場面は、古池のイメージを発表させた場面でした。「これが1番だと思う」という言葉のよさ。発表に対する切り返しなどの授業技術について意見が出ました。玉置先生は「どの意見が素敵だと思った」と問いかけたことについて、「素敵」とした意図を授業者にたずねます。「素敵」とすることで、子どもたちの考えが「かきまぜられる」という答が返ってきました。「よかった」は答につながるものが選ばれます。「素敵」とすることで子どもの考えを一度混乱させ、多様な考えを引き出せるということです。ですから、日ごろから「素敵」という聞き方よくするそうです。私の考えとはまた違った意図になるほどと納得しました。

玉置先生は、「司会者の特権で気になるところを聞くのもいいです」と、古池のイメージの発表でずれた答えが出たとき何を考えたかを授業者に質問しました。このように、随所で司会者の意図的なかかわりを解説しながら進めます。授業者は、正直困ったと話しました。机間指導の時にいいことを書いていたので、その子ども役の列を指名したのだそうです。なるほど、受け止めながら、その間対策を考えていたそうです。「他にも書いていたでしょう」などと教師の都合で発言をし直させるのではなく、ここはすっぱりあきらめて、次に進めたということのようです。

多くの人の心が動いたところを取り上げることで、たくさんの発言を引き出すことができます。「3シーン授業検討法」のよさがよく伝わったと思います。そして、司会者がそれを焦点化し、この授業のよさを引き出し、授業者の意図とつなぐことでより多くのことが学べる検討会になりました。「検討会を授業としてみれば、全員参加をさせなければならない」という玉置先生の締めの言葉が司会者の重要性を象徴していると思います。玉置先生の司会者(授業者?)としての実力を見せつける検討会になりました。午後の部の最後のまとめで、3つの授業検討法を見て心が動いたかという問いかけをした時に、「3シーン授業検討法」に会場の手が一番挙がったことでもよくわかります。

次のグループを活用した「3+1」授業検討法については、「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その2)」で。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午前の部)

2月9日に愛される学校づくり研究会主催の「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」が開催されました。関西では初めての開催でした。前日の太平洋側の大雪で交通事情の悪い状態にもかかわらず、多くの方に参加いただけ、盛況のうちに終了しました。確認したところ、当日欠席者はほんの数人だったようです。会員の中には大変な思いをして会場にたどりついた者もいます。参加者の中にもそのような方がたくさんいらっしゃったのではないかと思います。ありがたいことです。
午前の部は、昨年に引き続き校務の情報化を劇で伝える、「劇で語る! 校務の情報化 パート2」、午後の部は、授業検討法を模擬授業と共に提案する「楽しく授業研究をしよう」でした。劇の役者に、司会者、コメンテーター、模擬授業の授業者、子ども役、コーディネーター、授業検討者、一部のゲストを除いてすべて私たち研究会の会員です。どの会員も1人何役の大忙しでした。そんな私たちを支えてくれるのがいつもの企業会員のスタッフの皆さんです。おかげで、私たちは自分の出番に専念することができました。感謝以外の言葉がありません。もちろん裏方だけでなく、劇の役者に、模擬授業の子ども役、授業検討者にと大活躍していただきました。

午前の部は、基本的に昨年度のフォーラムの内容(「劇で語る! 校務の情報化」で、校務の情報化のポイントを伝える(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午前の部)参照)を踏襲しています。それぞれの劇をバージョンアップし、より主張を明確にしたものです。

・校務支援システムの導入によって学校がどのように変わるか。
・情報をデジタル化し共有することで業務の質がどのように向上し、効率化されるか。
・学校ホームページで学校が比べられている。あればいいのではなく、その質が問われている。
・学校ホームページは外部だけでなく、校長の考えを職員に伝える内向きの発信として活用できる。
・学校ホームページだけでなく、印刷物などの特性を生かし、さまざまな手段で学校の様子を伝えることが大切である。
・緊急時のメール配信は日ごろから家庭に届くかどうかのチェックをしてこそ活用できる。
・学校評価は学校の情報提供と合わせて、小刻みに行うことでより鮮度の高い情報が手に入り、学校経営に反映させやすくなる。

このような内容を、各劇団が、時にスクリーンに情報を映し出しながら、笑いと共に皆さんに伝えました。練習時間もほとんどない中、昨年以上に洗練された「芸」を皆さん見せてくれました。逆に、昨年の素人くささが懐かしくなるほどでした。

劇団ごとに、司会の玉置崇先生からコメンテーターや座長に質問を投げかけて、主張をより明確にする予定でしたが、今回はその必要がほとんどありませんでした。昨年と比べて劇がブラッシュアップされ、シャープに伝わったからです。ということは、コメンテーターの出番もあまりないということです。おかげで私は昨年と比べてずいぶん楽をさせていただきました。その代り、特別ゲストとしてお呼びした小牧市立小牧中学校のPTA副会長の斎藤早苗さんとのやり取りが今回の目玉です。斎藤さんはPTAの部屋というページで保護者の立場で発信しています。このページは学校のホームページとはリンクされていますが、その管理は学校からは独立しています。校長の考えを受けて、保護者の立場で他の保護者へ再発信したり、時には学校に対しても厳しい指摘をします。小牧中学校では、学校の戦略会議にPTAや地域コーディネーターも参加しています。これからの学校と保護者、地域との関係のあり方を示してくれているように思います。参加された管理職の方は、斎藤さんのような方に是非PTA役員になってほしい、小牧中学校がうらやましいと思ったでしょうか。それとも、そこまでPTAに胸襟を開くのはちょっととしり込みをしたでしょうか。本当のところを聞きたいところでした。また、開催地の京都の先生にも登壇いただき、京都市の校務支援システムの現状をお話しいただきました。
コメンテーターの国際大学GLOCOMの豊福晋平先生のコメントで印象に残ったのが、保護者は通知表などの一部のものを除いて、紙ではなくネットでの情報提供で十分だと思っているというデータでした。学校からの情報提供は、紙からネットに変わろうとしているのです。
私からは、学校評価を活かすかどうかは、学校をよくしたいと思っているかどうかであることを伝えました。義務だからと年に1回アンケートを取って集計し、それで終わりでは何の意味もありません。学校の目標に対してその評価方法を必ず決め、アンケートを利用するのであれば、どの項目と連動させるかをはっきりさせ、年度途中で必ず中間評価をし、その結果をもとに対策を取り、その結果どのように変化したかを再度評価することが必要です。学校をよくしたいのなら、このような取り組みをお願いしたいと伝えました。

笑いを交えながらも主張の明確な劇と、いつもながらの玉置先生の名司会で校務の情報化について参加者の方も、楽しみながら考えを深めることができたと思います。
午後の部については、愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その1)で。

授業研究に学校の進歩を見る

昨日の日記の続きです。授業研究は、3年生を担任している初任者の算数の授業でした。

小数の大きさの学習です。まず最初に教科書とノートを開かせます。めあてを板書しますが、脱字をしました。それに気づいた子どもが指摘をします。そのとき、「ごめんなさい、ありがとう。よく気づいてくれましたね」と言葉を返しました。とてもよい対応だと思います。以前と比べて、子どもたちとの人間関係がよくなっていると感じたのもこのようなことが影響しているのかもしれません。

黒板に最初の課題、「2.3は1を何こと0.1を何こあわせた数ですか。また2.3は0.1を何こ集めた数ですか」を貼ります。課題を黒板に貼るのであれば教科書を開く必要はありません。黒板への集中を妨げる可能性があります。授業者はノートに答を書き、考えをまとめるように指示をします。子どもが書き始めてすぐに、黒板に数直線を貼りました。ここで、数直線の性質の確認をします。なぜこのタイミングか疑問がわきます。課題に取り組む前にヒントとして提示するつもりだったのを忘れたのかもしれません。子どもか書き始めているということは自分の考えを持てているということです。ここであえて提示するということは、子どもに数直線で考えろと誘導していることになります。もし、違ったことを考えている子どもがいれば、混乱する可能性があります。

できた子どもに、いつものようにしていいと指示します。できた子どもから友だちと確かめ合います。5人のうち真ん中の2人がちょっと手間取っています。端にいる子どもが移動して3人となり、真ん中の子どものすぐ横で確かめ合いが始まりました。ノートを手に、立って話をします。これでは、できていない子どもにはプレッシャーがかかると同時に集中力を乱されることにつながります。人数が少ないので確かめ合うのに移動が必要になるのはわかりますが、それならば最初からグループの形にしておけばいいでしょう。5人ですので、全員の考えを全体で確認することもできます。できた子どもへは、「他の説明を考える」といった別の指示でもよかったかもしれません。

子どもに答を言わせます。「1が2個、0.1が3個」と答えます。子どもたちから「いいと思います」という声が上がります。続いて、考え方を問いました。まず答はあっていると安心させてから、説明させようということなのでしょう。
子どもが説明している間、授業者はしゃがんでいます。教師ではなく、友だちに説明するという意識を持たせようとしています。しかし、黒板の数直線を使って説明している時に、聞いている子どもの視線は発表者を向いているのですが、発表者は黒板の方を向いてしまっていました。ここは指導したいところです。

子どもが説明しをした後に、授業者は余計な説明をしません。次の子どもを指名します。数直線を使って、「0.3は3つの小さい線です」と目盛りを指して説明した子どもがいました。授業者は「図を使って説明してくれところがよかった」と評価して、先に進みます。評価するのはとても大切なのですが、ここで「図」を使ったことをよかったと言うのはちょっと疑問です。算数的な道具である「数直線」を使ったと評価すべきでしょう。また、「小さい線」は用語として「目盛り」に修正する必要があります。「小さい線って何?」「なんて言ったっけ?」と子どもたちに問い返して、確認すべきところです。目盛りという言葉を子どもたちから引き出して、「目盛りが3つなんだ。目盛りが3つってどういうこと?」「目盛り1つはどれだけ?」「何が3つだと目盛りが3つなの」といった問いかけをし、「目盛り1つが、0.1」「目盛りが3つで、0.1が3つ」と数直線の目盛りの意味から、「0.3は0.1が3つ集まったもの」を説明させたかったところです。子どもたちに、ただ続けて説明を重ねさせても考えが深まるわけではありません。教師が子どもに問い返したりして、焦点化することが必要です。昨日の日記にも書いたように、他の先生方と共通する課題でした。
とはいえ、以前に子どもが説明するとすぐに自分で説明を始めていたことを思うと格段の進歩です。発表がよく聞けていないと思えば、子どもにもう一度言わせます。授業者が説明をしないので、子どもは自分たちで積極的に説明しようとします。授業への参加意欲が高くなっています。

1人の子どもが困っています。何がわからないかを言うことができません。「答はわかるけどまとめ方がわからない」というのです。子どもたちは、わかってもらおうとその子に向かって一生懸命説明します。何がわからないかを聞かれる、わかったかを確認されるので、責められているように感じたのでしょうか、わからない子どもの表情が暗くなります。何がわからないかが明確でないまま、いろいろとを言われてもなかなか納得できないようです。こういう状況であれば、とりあえず答はわかったのだからと、納得して見せる子どもが多いのですが、この子どもは「考え方がわからない」と言い続けました。この子どもがわからないと言い続けてくれたので、他の子どもたちは何とかわかってもらおうと頑張ります。この間授業者はしゃがんだままです。子どもたちは互いに見合って、よい表情で話し合っていました。子どもたちのかかわり合う力を感じることができました。そういえば、昨年の担任はグループを活用しながら、教師ができるだけ前に出ないで子ども同士をかかわらせることをしていました。今年度になって、そのような姿を見なかったのですが、授業者がしゃべることを控えたことで引き出すことができたようです。

子どもたちは、自分の説明を繰り返すしかありません。どこがわからないかわからなかったからです。わかっている子どもに説明させるのではなく、わからない子どもに、わかっていること、気づいていることを言わせる発想も必要です。ノートを見ると「1/10の位が3こ」と書いてあります。授業者が位取り記数法しっかり意識して指導してきたことがわかります。このことを説明させればよかったと思います。途中で数直線を出したため、それを使って説明しなければいけないと思ってわからなくなったのではないでしょうか。「1/10を小数に直すといくつ」と問い返し、「0.1は数直線のどこにある」と数直線につなげれば、様子は違ったかもしれません。また、答は「1が2個、0.1が3個」でよいのですが、「2.3は、1が2個、0.1が3個合わさったもの」と言葉を足してやることも必要だったと思います。「数直線のどこに、1が2個、0.1が3個ある?」と数直線とつなぎ、「合わせるとどこになる?」「いくつになる」と問い返すという方法もあったように思います。

わからない子どもが納得してくれないので、授業者も手詰まりになってしまいました。そこで、次の問題をとばして、教科書の類題に取り組ませました。「3.8は1を何こと0.1を何こあわせた数ですか。また3.8は0.1を何こ集めた数ですか」です。子どもたちは先ほどと同じように集まって確かめ合います。最後には全員立って話し合っています。授業者はその様子を後ろから覗いていました。この状態になるのであれば、やはりグループにして話し合わせた方がよいでしょう。あらためて、全体で発表しますが、説明の苦手な子どもが、指で数直線をなぞりながら数を言って説明しました。指の動きも立派な表現手段です。「みんな気がついた。○○さんは指を使ってくれたね。どうよくわかった」といった評価をしたいところです。しかし、類題ですから説明自体は先ほどと大きくは変わりません。結局、「考え方がわからない」といった子どもは最後までわからないと言ったままでした。

以前見た2回と比べると授業者は大きく変化していました。子どもの言葉を大切にしようとしています。授業者がしゃべらなくなっただけ、子どもの発言意欲が増しています。また、友だちとのかかわりを大切にするようになっています。とてもうれしい変化でした。

授業検討会では、この授業をどのように皆さんが評価するかとても楽しみでした。
まず子どもたちがしっかりとかかわっていたことが評価されました。授業者が自分で説明しなかったことも、肯定的に見ています。わからなかった子どもが最後までわからないと言えたことは、とてもすごいことだと評価した上で、どうすればよかったのかに話し合いが集中しました。授業者への批判は一切なく、自分が授業者だったらどう対応しただろう、どう対応すればよかったのだろうと、自分のこととして考えていました。とてもうれしいことです。検討会の場ででた疑問や課題を次の授業研究へ引き継いでいくようになってほしいと思います。

今回授業者が苦しんだのは、どこがわからないのかが明確でなかったことです。子どもは一気に説明します。その説明がわかったかどうかを聞いても、どこがわからないかは明確になりません。説明を途中で止めながら、「ここまで、納得した?」と確認することで、つまずいているところが明確になります。説明を授業者が意図的に区切ることも大切です。
この場面が多様な意見を出させたいのか、数直線を使って説明できるようにしたいのかでも進め方は違ってきます。もし後者であれば、最初に前時の復習をするといいでしょう。定規を使って小数を導入していたのですから、2.3cmを定規をつかってあらわすのです。「2cmだから1cmの目盛りが2つ、0.3cmだから1mmの目盛りが3つ」「1mmの目盛りはcmでいうと0.1cm」「1cmの目盛りを2つ、0.1cmの目盛りを3つ」といったやり取りをしておくのです。こうすることで、最初の課題は自然に数直線に結びつけることができます。

わからなかった子どもは、2.3を序数でとらえていたのではないかという意見がありました。「合わせる」「集める」が強調されていなかったのでその可能性はあります。類題ではなく、教科書の「0.1を28こ集めた数をかきましょう」に取り組ませた方がよかったのではないかと言うわけです。逆の視点で考えることで理解できることはよくあります。「数直線上で、0.1を23個集めることを、数えながらおこなうと、2.3になる」「0.1を10集めると1だから、1を2個と0.1を3個として、数直線上で合わせると2.3になる」「23は10が2つと3を合わせたもので、0.1が10で1だから、2と0.1が3で2.3となる」といった説明をひかくすることで、数直線での考え方、位取り記数法での考え方をつなぐことができたかもしれません。

授業検討会は前向きな意見ばかりで、とてもよい雰囲気でした。授業だけでなく、授業検討会もよい方向に変化してきていると思います。
足かけ2年間のおつき合いでしたが、とても貴重な学びをすることができました。私にとって小規模校でのアドバイスは初めての経験でした。小規模であるが故に、教師が子どもとかかわりすぎてかえって子ども同士のかかわりが弱いということは盲点でした。また、少ない人数ですの、子どもたちの変化もよく見ることができます。先生方の変化がどう子どもたちに影響するのかもよくわかりました。このような素晴らしい学びの機会を得られたことに心から感謝します。

小規模校で共通の課題が見えてくる

先週末は、小規模小学校で授業研究と授業アドバイスをおこなってきました。

1年生は国語の授業でした。授業者は子どもの言葉をしっかり受け止めることができます。子どもたちとの関係もよさそうです。
「歯が抜けたときにどのようにしたか」をノートに書かせる場面でした。1人の子どものノートを見て、ページをとばして使うように指示します。ノートを見て指示の必要性に気づいたようです。そのあと、1人ずつ順番に同じ指示をしました。わずか5人だからできることですが、ここはすぐに作業を止めて全体で行うべきでしょう。似たようなことが続いて起こります。1人の子どもが「ティッシュ」の書き方がわからないとたずねます。授業者は黒板の端に「テ」と書いて次にどう書けばいいかその子に問いかけました。しかし、その子が反応できないので他の子どもに聞きます。突然全体の問題に変わってしまいました。他の子どもたちは一瞬何を聞かれているかわからなかったのですが、すぐに自分の作業を止めて、参加しました。少人数だからすぐに全員が参加できましたが、このようなことが続くと子どもたちの集中力は落ちてしまいます。全体で考えたいと思ったのなら、明確に作業を止めて、「○○さん、何に困ったの」と本人に言わせ、「みんな、助けてくれる」と、明確に全体の課題とするべきです。
作業の進み方に差があります。終わった子どもがいるので、グループで聞き合うようにと次の指示をしました。まだできていない子どもがいるのにグループの形にして、全員できたグループから次の活動に移らせます。3人のグループではまだ書き続けています。一方2人のグループは聞き合うことも終わったので、授業者は次の指示をしました。まだ、その前の活動も終わっていないグループには、指示は通りません。その場になって、何をするんだっけということになります。その様子を見て授業者は個別に再度説明します。子どもたちは、困ったら先生の方から助けてくれると考えるようになってしまいます。授業者は活動の最初に全体を見通した指示ができていません。ゴールもはっきりさせていません。子どもたちは何がゴールのかわからないまま、授業者に言われたことをやっているだけでした。授業者は何かあれば個別に対応するという癖がついています。小規模な学校に起こりやすいことです。個別対応が悪いのではなく、それに頼ってきちんと指示をせず、子どもに見通しを持たせて授業を進めていないことが問題なのです。

2年生は、生活科の時間でした。以前に気になった子どもがこの日は目立ちません。子どもたちが落ち着いて授業に参加できています。どのおもちゃを作るかを全体で相談する場面でした。子どもたちに発表させますが、授業者はしっかり受け止めても意見をつなごうとはしません。少人数なので、全員に発表させることができるからです。子どもたちも、一度発表すると全員が発表し終わるまで出番はないので、しばらく集中を失くします。すべて教師が受け止めるのではなく、他の子どもにどう思ったか、同じ意見か違う意見かとつなぐことが必要です。
「暑い」とか「寒い」とか、何かと教師に訴える、自分のことをかまってほしい子どもについて相談されました。かかわりを求めているので聞いてあげた方がいいのか、それともわがままだと拒否すべきなのか悩んでおられるようでした。他の子どもとかかわれるようになることを意識して、「○○さんが暑いと言っているけど、みんなはどう?」と聞くようすることをお話ししました。他の子どもに承認されることで、かかわりを持とうという気持ちになります。自分の言うことを聞いてくれないこともあるでしょうが、我慢も覚えていくことが必要です。いつも拒否されるようであれば、「○○さんが辛そうだから、みんな少し我慢してくれる」と教師が間に入るようにすればいいでしょう。

4年生は算数の授業でした。1人が意見を言うと「いいと思います」と声が上がります。わかったがどうか確認すると、先ほど「いいと思います」と言ったのに手が挙がらない子どもがいます。「いいと思います」は無責任な承認です。いいと思うだけで、いいという根拠を明らかにする必要はありません。「思った」だけでいいのです。何人も指名して発表させますが、わからない子どもはわからないままです。同じ説明を重ねられても、わかりなさいと脅迫されているようなものです。子どもの発言に対してより詳しい説明を求める切り返しや大切なことを他の子どもに復唱させて全体に広げるといった、つなぐことが求められます。そして、わからない子どもの「困った」に寄り添うことが必要です。発表を途中でとめながらそこまで納得できたかを確認し、わからないところを明らかにする。わからない子どもに、どこで困っているか直接聞く。子どものつまずきを全体で共有し、それを子どもたちの力で解決していくことを目指してほしいと思います。
授業者は子どもの言葉をとても大切にしています。そして、ほとんどの子どもがわかっているからと先に進めるのではなく、全員がわかることを大切にしています。最後にまだ数人わかっていないと判断して、隣同士で確認をさせました。そのあと、先ほどのわかっていなかった子どもは、なんとか説明できるようになりました。よい対応だと思います。
子どもの言葉を大切にすればするほど、教師のかかわり方が難しくなります。今この場面は、切り返すべきか、同じように考えた子どもにつなぐのか、納得していない子どもに確認するのか・・・、どのようなかかわりが必要かを意識することで、この授業者は大きく進歩すると思います。

5年生は、国語の「大造じいさんとがん」で大造じいさんの気持ちを発表する場面でした。黒板に貼られた本文の拡大コピーに、子どもたちがその文から読み取った気持ちが付箋紙で貼り付けられています。一人ずつ自分の考えを前で発表します。4年生と同じく、友だちの発表に対して子どもたちは「いいと思います」と返しますが、「いい」という根拠は問われません。同じ文に付箋を貼った子どもにも発表させて、どこが同じでどこが違うかを全体で考えたり、気持ちと関連する記述を発表させたりすることで、考えを深めることができます。このような活動を組み入れてほしいと思います。
国語の力をつけるという点では、気持ちを読み取るための視点を明確にしておくことが大切です。この教材では、「主人公の言葉や行動」だと思います。読解力をつけることは、こういった視点をたくさん持たせることが必要です。このことを意識してほしいと思います。
また、全員が「いいと思う」と反応したわけではありません。なぜ「いい」と言わなかったのかを聞くことで、同じ文から違う読み取りが出てくるかもしれません。どの子どもからも言葉を引き出すことを大切にしてほしいと思います。

6年生は社会で、身近にある福祉の問題について調べたことをもとに、どう対応していけばいいのかを考えて発表する場面でした。まず圧倒されたのは情報量の多さでした。実際に聞き取ったことや調べたことが教師の壁に貼られています。黒板にも多くのことが書かれています。それをもとに考え、発表します。友だちの意見を参考にした部分を明確にして発表してくれた子どもがいました。授業者は「○○さんが、あなたの・・・という意見を参考にしたと言ってくれたけれど、どう思った」とつなげようとしました。よいかかわらせ方です。しかし、その子どもは反応できませんでした。自分の発表の準備で手いっぱいで、よく聞いていなかったのです。課題が子どもの処理能力を超えているのです。
授業者は教材研究に対して熱心で、いろいろと準備もしています。そのため、どうしても準備したものをすべて与えようとします。この時間で身につけさせたいもの以外は、思い切って捨てる勇気も必要です。子どもたちの状況に合わせて、必要に応じて活用すればいいのです。このことは、この学級のできる子どもたちにも言えることです。調べたこと、考えたことをたくさん発表します。本人以外は1回聞いただけでは理解できません。整理する力をつけるために、「一番大切だと思う1つに絞る」「字数制限をする」といった条件をつけることを考えてもよいでしょう。大切なもの以外を切り捨てる「引き算の発想」を大切にしてほしいと思います。

今回、学校全体で共通の課題が見えてきたように思います。皆さん同じように子どもの言葉を大切にし、しゃべりすぎないことを意識しています。子どもの言葉を活かすということは、ただ子どもに発言させ続けることではありません。子どもの言葉を深め、大切なことを共有していくことが大切です。小規模な学校なので、全員に発言の機会を保障できます。そのため、個々に発表するだけで、発言がつながらないことが多いのです。小規模な学校だからこそ、子ども同士がかかわることを意識する必要があります。
このことは、授業研究でも浮かび上がってきました。授業研究については、明日の日記で。

若手の成長に驚く(長文)

前回の日記の続きです。授業研究は若手がT1でおこなうTTの授業でした。小学6年生の算数の割合、全体の何倍になるかを考えて解く課題でした。

授業者は、本時で使う何倍の何倍の考え方を導入で復習しました。「今日は○○さんに特別におこずかいをあげよう」と言って、子どもたちに「えっ」と思わせ、引き付けます。子どもたちはとても楽しそうに授業者の次の言葉を待ちます。授業者と子どもたちの人間関係がよいことがよくわかります。続いて、△△さんには○○さんの2倍、□□さんには△△さんの3倍あげるとして、□□さんは○○さんの何倍になるかを聞きました。具体的に○○さんに1000円あげたら、△△さんはいくら、□□さんはいくらと2倍の3倍は2×3倍になることを確認しました。授業者は余計な説明はせずに、できるだけ子どもたちの発言で進めようとしていました。子どもたちは発言者の方をしっかり向いて聞いています。形だけでなく、しっかり聞こうとしています。丁寧な導入で時間がかかったように思っていたのですが、3分しか経っていません。子どもがたくさん発言していても、授業者の説明が少なかったので時間がかかっていないのです。授業者の余分な言葉を減らすことが子どもの活動量を保障することにつながることがよくわかります。簡潔でポイントを押さえた導入でした。
続いて、授業者は「全体の何倍にあたるかを考えて、問題を解こう」とめあてを口頭で言ってから、ノートに書くように指示します。指示と同時に板書を始めるのですが、多くの子どもが板書を見ないで書いています。授業者の言葉を頭に記憶して書いたのです。授業者よりも早く書き終る子どももいます。全員書き終るまでにほとんど時間がかかりません。よく鍛えられています。

教科書の問題を読んで、わかっていること、知りたいことを確認します。わかっていることは全体の面積が1000m2、全体の2/5が広場、広場の1/10が砂場。求めるのは砂場の面積です。
全体の2/5は全体の2/5倍、広場の1/10は1/10倍であることを押さえながら、「全体→2/5倍→広場→1/10倍→砂場」と関係図をつくり、自力解決に入りました。
子どもたちは説明を聞いている間はノートを写しません。問題を解く時は、ほとんどの子どもが板書を見ないで関係図を書いています。しっかりと理解していることがよくわかります。先ほどのめあてを写すこともそうですが、聞いたことをしっかり頭の中に入れようとする子どもたちに育っているように思います。また、問題文を印刷して配り、ノートに貼らせることでムダな時間を省いています。時間に余裕ができることが影響しているのでしょうか、どの子どもをていねいに図や式を書いています。ノート指導もしっかりされていると感じました。
子どもたちは、「広場、砂場と順番に計算する」「1つの式で連続してかけ算をする」「2/5×1/10を計算して全体の何倍になるかを求めてから計算する」といろいろな解き方をしていました。机間指導で、授業者が何人かの子どもと話しています。できた子どもに説明をさせているのです。一方T2は手の着いていない子どもの個別指導に時間をかけています。2人とも全体を見ている時間が少ないことが気になります。
できたところで、ノートを間においてペアで説明を聞き合うように指示しました。子どもたちは、頭を寄せ合って指で関係図を指しながら聞き合っていました。子ども同士の関係のよさがよくわかります。しかし、いろいろな解き方があるのですから、それを子ども同士で評価したり、自分と違っていればそれをノートに書くといったことをするとよかったように思います。説明できたことで満足しているようにも見えました。

子どもを指名して、説明をさせます。ここでも子どもたちは友だちの話をよく聞いています。1人説明が終わると、同じように考えた人を指名して、また説明させます。子どもの説明は足りない言葉や、わかりにくいところもありますが、授業者は受容の言葉以外は余分なことを言いません。そのため、友だちの発言をしっかり聞かなければわからなくなります。1回でわからなくても、次の説明を聞けばいいので集中力は切れません。同じように考えた子どもは、自分が説明をすることになるかもしれないので、しっかり聞きます。発表した子どもも、自分の説明と比べるのか、ちゃんと友だちの発言を聞いていました。ただ、よくできる子どもが3回目の説明の時には集中を切らしていたのが気になりました。2回聞いて、もう理解できたからいいと思ったのでしょう。同じ考えの人だけをつなぐのではなく、「○○さんの説明、納得した?まだ、納得していない人がいるみたいだけど、○○さんの考えを説明してくれる?」と違う考えの人をつなぐことも必要です。特によくできる子どもには、「自分はできたからいい」ではなく、他者の考えを理解し説明できるようになることや、友だちが納得できる説明を求めることが大切です。先ほどのよくできる子どもは、ペアで相談する場面で、自分のペアの子が指名されてうまく説明できた時にとてもよい笑顔を見せました。自分の説明が役に立ったことがうれしいのです。
授業者は子どもの言葉で授業を進めようと、自分の言葉を非常に少なくしていました。これはとても大切なことです。しかし、何人かの子どもに発言させるだけでは、必ずしも考えが整理されたり、深まったりするわけではありません。「ちょっと待って、今言ってくれたこと、みんな納得した?」と確認し、「納得できていない人がいるみたいだね。どういうことかもう少し詳しく聞かせてくれる」と切り返したり、「納得した人と手を挙げてくれた人、どういうことか説明してくれる」とつないだりすることが必要になります。また、発言を比較して、「○○さんの説明と違うところがあったね」「足してくれたことがあったね」と違いを取り上げて考えを深めることも大切です。次の課題が見えてきたように思います。

関係図を使って説明をしたあと、面積図に2/5とその1/10を書き込み、砂場の面積が全体の2/5×1/10倍になることを確認しました。面積図で表わすだけの活動です。なぜここで面積図を取り上げるのかよくわかりません。授業者は教科書に書いてあるから取り上げただけで、自身がなぜ教科書が面積図を扱うのかがわかっていなかったようです。
2/5が2/5倍だからと関係図に書き込むことで、何倍の何倍を計算すれば全体の何倍かがわかるというのは、かけ算の性質から考えたことです。分数で表わされる割合では、感覚的に納得できない子どももいるのです。実際に1000÷2/5÷1/10とした子どももいました。計算した結果がおかしくなるので、かけ算に直しましたが、今一つ腑に落ちていません。そこで、面積図が橋渡しをするのです。面積図はこの面積の問題の半抽象的な図になります。全体の2/5である広場とその1/10になる砂場を面積図に表わすと、分数のかけ算の説明の図と同じものができます。ここがポイントです。そのことに気づかせると、砂場は全体の(2/5×1/10)が出てきます。当然教科書の図は(2/5×1/10)「倍」とはなっていません。割合のままで扱っています。面積図と関係図を比較してみることで、関係図の結果も納得のいくものになります。そのために教科書は面積の問題で考えさせたのです。面積図は関係図を納得するために取り上げたのであって、あくまでも関係図が主なのです。このことは、次の図書館の本の割合の問題で、ヒントとして書かれているのが関係図だけで、面積図がないことからもわかると思います。
また、授業者は2/5×1/10で1/25倍になると、「全体」の1/25倍とは言いません。めあてでも使っているのに、「全体」という言葉が落ちてしまっていました。割合がどうなるかを考えるのですから、「全体」に対してどうであるかは重要です。面積図では特に全体を押さえることで、割合を意識させやすくなります。算数では、「何の」何倍、「何の」何分のいくつというように、「何の」にあたる部分(基準、元になる量)を明確にしておくことが大切です。このことを常に意識してほしいと思います。

一見地味で目立ちませんが、T2の動きが印象に残りました。授業者と阿吽の呼吸で、子どもの発言を板書します。ここは発言が終わるまで待ってから、ここはすぐにとタイミングを計っています。また、発言をよく聞いて余分なものをつけ足しません。図書館の本の割合の問題で、発表した子どもが、「関係図で童話は全体の3/10、日本の童話は童話の3/5」と説明しました。関係図なので「倍」をつけ足したいところですが、子どもの言った通りそのまま板書しました。「同じように考えた人」と次に指名された子どもは「倍」をつけて説明しました。ここで、違いを取り上げれば板書を活かすことができたのですが、授業者は気づきませんでした。ちょっと残念な場面でした。

子どもの言葉を大切にして授業を進めていたのですが、最後は、「全体の何倍になるかを考えると・・・」と授業者がまとめてしまいました。ここまで、子どもの発言にこだわったのですから、なんとか子どもにまとめさせたいところでした。とはいえ、「全体」を落としていたので、子どもにまとめさせようとすると苦しい展開になったことは予想されます。難しいところです。

教材研究や教科書の理解、切り返しやつなぎなど、課題はたくさん浮き彫りになりましたが、授業規律のよさや、教師と子ども、子ども同士の人間関係のよさ、子どもの言葉を活かし教師の説明を減らすといった素晴らしい点がたくさんありました。昨年度初めて授業を見せてもらった時から比べると長足の進歩です。この学校の若手は、切磋琢磨しながら急速に進歩しています。また、それを支えるベテランも着実に進歩しています。当然学校全体がとてもよい状態になっています。このことは授業検討会の様子からもわかります。

授業検討会はグループを活用した「3+1授業検討法」で行われましたが、みなさんとてもよい表情で楽しそうに授業について話しています。とくに若手が生き生きと話し合いをまとめているのでが印象的です。全体での発表も私がここにいる必要がないのではないかと思うほどしっかりしたものでした。私が指摘しようと思ったよいところについては、見事に焦点化されていました。また、改善点については、みなさん面積図の扱いをどうすればよいのか悩まれたようでした。この授業で見るべきところを皆さんでしっかりとらえていました。
私からは、なぜ授業規律が上手くできているかといった、子どもたちのよさをつくり上げているものと、面積図の扱いについてお話ししました。そして最後に校長からもリクエストのあった机間指導について授業者に質問しながら説明をしました。
授業者が机間指導中に子どもに説明をさせていたのは、指名して発表させるためのリハーサルということでした。しかし、ペアであれだけ話せるのですからペア活動を充実させた方がよいと思います。ただ、説明し合うのではなく、よくわからないところを聞き直す、どこがよかったかを伝えるといったことでブラッシュアップすればいいのです。常に全体を見ることを意識して、困っている子ども、動きが止まった子どもへの対応を中心にすべきでしょう。対応と言っても、個別指導をするということではありません。「ここを見てごらん」「これは何を表わしている」と固まっている子どもが動き出せるような短い言葉をかける、「友だちに聞いてごらん」と子ども同士をつなぐというなことをするのです。特に声かけは、子どものつまづきに合わせて、どんな言葉をかければよいかを事前にしっかり教材研究をしておく必要があります。個別指導をするよりも教科力が問われると思います。授業技術が上がっていくにつれて教材研究の重要度が増していくのです。

この学校のアドバイスを始めてまだ2年にもなりませんが、皆さんがとても素直に授業改善に取り組んでいて、その成果が既にたくさん出ています。とてもうれしく思います。また、先生方が真剣に授業に取り組んでいるので、私が学ぶこともそれだけ多くなります。このような学校に出会えたことをとても感謝しています。来年度も続けてアドバイスをさせていただくことになりました。この学校がどのように進化していくかとても楽しみです。

講師や異動者の前向きな姿勢に学校の力を見る(長文)

昨日は、小学校で授業アドバイスと授業研究の助言をおこなってきました。授業アドバイスは今年度異動して来られた方と期限付き講師の方が中心でした。

5年生の算数の授業は割合を計算してグラフを描く場面でした。子どもたちはグループで、割合を計算してパーセントに直す作業をしています。計算が苦手な子どもは電卓を使っていました。子どもたちは真剣に取り組んでいます。その状態で授業者はまだ時間が必要な子どもの確認をしたり、指示を出します。しかし、子どもたちは自分の作業に集中して聞いていませんでした。一方、作業止めるように指示して「1、2、3・・・」とカウントアップをすると、すぐに静かになり授業者に集中します。きちんと授業規律ができています。であれば、先ほどの指示もきちん止めてからすればよかったのです。
グラフを描く前に割合とパーセントの確認をします。各グループごとにどの値を書くかを割り当てて、黒板に貼った表に書き込ませます。子どもたちはうれしそうに前に出ていきます。しかし、各グループで既に答の確認は終わっています。おかしな答の子どもはいない状況に見えました。ここは、順番に指名して値を確認するだけでよいところです。個人作業の後の確認とは状況が違います。まだグループ活動の進め方に慣れていないのかもしれません。ここは、値の確認よりは、割合の割る数(全体、基準となる数)と式の確認に力点を置いた方がよい場面だったと思います。作業に入る前にこのことはしっかりと押さえていたようですが、大切なことなのでもう1度子どもの言葉で確認したいところです。
続いて円グラフを描く作業に移りました。子どもたちは順調に作業を進めていますが、授業者は一旦作業を止めて、グラフの描き方をまとめた紙を貼って確認をしました。どうやら描き方がわからない子どもが若干いたようです。子どもにまとめを読ませるのですが、ほとんどの子どもには、この時点では必要のないことでした。全体で時間を取ることではなかったように思います。もし、確認をするのならグラフを描く作業に入る前にしておくべきでしょう。困っている子どもがいれば、それを見るように指示すればいいだけです。また、せっかくグループで作業しているのですから、友だちに聞くように声をかければそれで問題ないはずです。子どもたちはグループでかかわり合えているのですから、それを活かすことをすればいいのです。
とはいえ、子どもたちはしっかり育っています。授業規律もできてきています。授業者は過去のアドバイスをたくさん取り入れています。ベテランの方ですが、授業をよくしたいという姿勢を強く感じることができました。とてもうれしいことです。

3年生の算数はテープ図を使って、どんな計算になるかを考える場面でした。デジタル教科書を使って問題把握をします。鳩が5羽、8羽と2回にわたって飛び立った後、残りが17羽だったとき、最初に何羽いたかという問題です。授業者は指示に対して素早く行動できた子どもをほめています。子どものよいところを認めようとしていることがよくわかります。残念なのは、ほめる声が少し小さいことです。本人には伝わっているかもしれませんが、全員には聞こえていません。どのような行動がほめられるのかを伝えることで、よい行動を広げることが大切です。
問題文を読んだ後、図を使って考えるというこの日のねらいを伝えます。今までどんな図を使ったかと問いかけると、子どもがすぐに反応してつぶやいてくれます。「テープ図で書く」という言葉をひろって進めました。子どもの言葉を大切にしようとしています。つぶやきを積極的にひろってくれので、子どももよく反応します。しかし、全員が反応するわけではありません。教師がすぐに説明するのではなく、つぶやいた子どもに「今言ったこと、みんなに聞かせてくれる」と子どもの言葉を全体で共有して、「どう、○○さんがテープ図と言ってくれたけれど、どんな時使ったか覚えている?」とつなぎながら、他の子どもも参加させたいところです。
しかし、この展開では問題とねらいとの関係はよくわかりません。教師が示したねらいからテープ図が出てきましたが、子どもたちはその必要性を感じているわけではありません。例えば、「どう、式がすぐにできそう」と問いかけて、「何算をすればいいかよくわからないね」「どうするとわかりやすいかな」と図の必要性を引き出してから、ねらいを提示したいところです。
教科書の図は遠くに5羽が飛んでいて、8羽が飛び立っている図が描いてあります。問題把握の段階でこの図を使ってもよかったかもしれません。「5羽は図のどこにいる?8羽は?」と確認しながら、デジタル教科書の図に○で囲むことで、関係がよくわかります。「図で見るとわかりやすね。問題をわかりやすくする図で、今までどんなものを使ったっけ?」と続けて、ねらいを引き出すといったやり方もありそうです。
テープ図に書くという言葉を引き出した後、各自に問題の関係をテープ図に書かせます。どの子どもも手が動いています。今までの指導がきちんとできている証拠です。とはいえ、すぐにできる子どもと時間のかかる子の差はあります。早くできた子どもは手持ちぶさたです。次の課題を準備しておくか、まわりの子どもと見せ合って自分のと違っていたらどこが違うか確認させるといったことをするとよいでしょう。
授業者は、1人の子どもを指名しました。突然指名された子どもはちょっと不安な顔をしましたが、授業者が「すごい、アイデアだ」とほめると、表情がぱっと明るくなりました。うれしそうに、黒板にテープ図を書きました。2つに区切って、「飛んでいったはと」と「残ったはと」と飛んで行った鳩をまとめたのです。授業者は「飛んでいったはと」とまとめたことを評価して、数を書きこみます。飛んで行った鳩の数がすぐにわからないことを確認して計算で求めました。この考えを取り上げることはいいのですが、この場面ではきちんとテープ図が書けて、そこから式を立てられることが最優先です。まず一般的な答を全員が理解し、できるようになることが大切です。この図しか取り上げないので、ちゃんとできているのに、それをわざわざ消してこの図に書き直している子どももいました。先ほどのものも含めて、いくつかのテープ図を紹介して、それらを比較すればよかったと思います。そして、「飛んでいったはと」とまとめたことを子どもたちに評価させるのです。教師がすごいと言っただけでは、どうすごいのか子どもたちはよく理解できません。評価の根拠を子どもたちが共有することが大切です。その後、それぞれのテープ図から式を立てて、「テープ図のよさ」を確認するのです。
授業者はテープ図に続いて線分図を紹介しました。用意した線分図の紙は子どものテープ図と値の順番が違っていました。子どもが混乱してしまう可能性があります。せっかく準備したのですが、ここは用意したものを使わずに、チョークを使って同じ順番に書くべきだったと思います。こういうこともあるので、線分図は横線だけを書いておいたものを準備して、その場で完成させるようにするとよいでしょう。
新しく出た用語「線分図」を全体で何度か言わせて定着を図りましたが、個別に何人か指名して言わせることも必要だと思います。指名されることを意識すると、言えるようにしなければと適度なプレッシャーがかかるからです。
前回訪問時と比べて、授業者は子どもの言葉を活かそうとしていることがよくわかります。ずいぶん進歩しています。子どもの言葉をしっかり受け止めるので、子どもの反応が増えています。しかし、すべて授業者を受け止めて説明するので、反応できない子どもはなかなか参加できません。次の課題は、反応する子どもと、反応できない子どもをどうつなぐかということです。次の機会にどのような進歩を見せてくれるか楽しみです。

2年生の算数は問題の答を求める計算がかけ算になることの説明の場面でした。年度当初と比べると子どもたちがずいぶん落ち着いてきました。気になった子どももほとんど目立ちません。授業者は意識して子どもたちのよい行動をほめようとしています。以前は子どもの悪いところを注意して直そうとする傾向が強かったのですが、ずいぶん変化していました。
図を見て気づいたことを言わせる場面で、手を挙げて指名された子どもが答えに詰まってしまう場面がありました。答えられないので数人が当ててもらおうと手を挙げましたが、授業者が優しく声をかけて待ってあげたのですぐに手をおろしました。他の子どもも集中を切らさずに待つことができ、答に詰まった子どもは図を見ながら答えることができました。とてもよい場面でした。この他にも、「後で聞くからね。ありがとう」と声をかけてその場は一旦座らせて、あとでもう一度挽回の機会を与えるという対応もあります。大切なことは、答えられなくても恥ずかしい思いをしなくて済む、安心して参加できるということを具体的な場面で学級の全員に伝えることです。子どもたちがとても意欲的だったのは、授業者のこのような対応が影響しているのではないかと思います。
問題文を読んで、わかっていることは何かを答えさせるところで、指名した子どもが条件を全部読み上げました。すると1人の子どもが、「一気にそこまで言うか」とつぶやきました。授業者はその場ですぐには取り上げずに、発表したことをきちんと確認をし、その上で、先ほどの子どもを指名して全体に対して発表させました。子どもの発言をしっかり受容した上でよいつぶやきを全体で共有させる、よい対応でした。
子どもにかけ算になった理由を発表させる場面です。子どもは、問題文を抜き出して説明します。授業者は「他に」と次の子どもを指名します。何人か指名しましたが、結局、授業者が求める「何のいくつ分」という言葉はでてきません。最初の復習場面では押さえて板書もしたあったのですが、子どもはそこを意識できていませんでした。最後は授業者が説明して、話型を導入しました。否定はされなかったのですが、子どもたちは自分の発言は授業者が求める答ではなかったのだと感じてしまったと思います。「他に」というつなぎの言葉は、遠回しな否定になることが多いのです。できるだけ使わないようにしたい言葉です。「なるほど、ありがとう。○○さんとは違う意見があるかな」というように、一つひとつの意見を認めて、できるだけ同列に扱うことが大切です。
今回の場合、子どもたちは、何を答えていいのかよくわかりませんでした。手がかりがないのです。問題に解く前に、再度「何のいくつ分」になるとかけ算だということを確認しておく必要があったと思います。また、子どもの発言に対してどう切り返すと、ねらった言葉に近づくかも考えておくことも大切です。「・・・だから○×△のかけ算になったんだね。○×△ということは・・・」と「○の△分」という言葉を引き出し、「○って何が○なの」「△ってどこからわかった」というようにして、ねらった言葉に近づけていくのです。1人の子どもとだけやり取りするのではなく、全体に問い返すことも必要です。指名された子どもの問題で自分は関係ないと思わせてはいけないのです。常に全員が自分の問題として考えることを意識して対応する必要があります。
授業者は経験も豊富で力のある方ですが、異動当初は学級経営が思うようにいかない時期ありました。今までの自分の経験と違う文化に触れて、ちょっと戸惑っていたのだと思います。これまでの経験に新しい視点を取り入れることで大きく進歩すると思います。

特別支援学級は、足し算の練習をしているところでした。以前は複数の子どもが在籍していたのですが、今は数的能力に困難を抱えている子どもが1人だけです。どうしても子どもの依頼心が強くなりやすい状態なのですが、授業者は適度な距離を取るように意識していました。子どもが一生懸命ワークシートの問題に取り組んでいる時に、笑顔を絶やさず、子どもが答を書くたびにうなずきながら見守っていました。子どもと直接目が合うわけではありません。しかし、子どもが安心して課題に取り組めているのは、このような姿勢で接していることが大きく影響していると思います。集中力を切らして顔を上げた時には、優しい笑顔に出会います。このことが子どもに安心感を与えるのです。
できることとできないことの接点を意識しながら、少しずつできることを増やしていくようにお願いをしました。

今回授業アドバイスの対象の方は、前回に引き続きの方ばかりです。それでも、アドバイスを受けるということは、授業に対してとても前向きだということです。期限付き講師の方へ学年主任が事前にアドバイスをしたりもしていたということです。学校全体で、授業改善に取り組もう、支えようという雰囲気があります。こんなところにも、この学校が急速に進歩した理由があるように思いました。

授業研究については、次回の日記で。

素直に見えているだけなのか

野口芳宏先生がよく言われるように、伸びる教師の条件の一番は「素直」だと思っています。多くの場合、若手に授業アドバイスをすると、とても素直に聞いてくれます。「素直ですね」と管理職や教務主任にお話すると、「素直なんですけどねぇ・・・」と返事が返ってくることがあります。それに続く言葉は、「なかなか変わらない」「実行してくれない」です。これはどういうことなのでしょうか。どうやら、彼らは素直な「態度」を見せているだけで、素直にアドバイスを「聞き入れる」「実行する」ことはしていないらしいのです。
こだわりがないので反論しない。真剣に聞き入れようという気もないので、素直に話を聞いているように見せているだけなのかもしれません。

このことはコミュニケーションの取り方とも関係がありそうです。同僚とうまくコミュニケーションを取っているように見えるのに、授業のことや学級経営に関して一人で抱え込んでいることがよくあるのです。「よい先輩や同僚がいるのだから、気軽に相談したら」とアドバイスをしても、なかなか実行ができないのです。
企業の新人のコミュニケーション力が落ちているというニュースを目にしたことがあります。SNSなどを通じてあれだけ仲間とつながっていたい若者がなぜと思いましたが、どうやら彼らのコミュニケーションは、仲間外れにならない、他者から攻撃されないことを第一にしているようです。自分の考えを正しく伝える、相手の考えを正しく受け止めるといったことよりも、表面的に円滑な人間関係をつくることを優先しているのかもしれません。上司から見れば、「指示したことをきちんと実行しない」「自分の考えをはっきり伝えようとしない」、結果「コミュニケーションがとれない」となっているのでしょう。

アドバイスの場面で「素直」な態度と感じていたのは、今の若い世代のコミュニケーションのあり方を、「素直」と勘違いしていただけなのかもしれません。もちろん、本当に素直にアドバイスを実行して伸びていく若手もたくさんいます。素直に見えているだけなのか、本当にそうなのかを意識してアドバイスする必要があります。
このことは、授業とも共通することです。子どもが静かにしていれば、聞いているかというえばそうではありません。ちゃんと反応を見て、必要に応じて問いかけや確認をしながら話をする必要があります。このことを忘れ、よく聞いてくれていると勘違いして一方的に話し続けてしまうことがよくあります。そうならないようにと先生方にアドバイスしている私が、同じようなことをしていたのではないかと恥ずかしくなります。
原点に戻り、授業者の本音を聞き出し、その上で自ら変わろうとしてもらえることを目指してアドバイスをしなければと思います。まだまだ、修行中の身です。

算数の「数と計算」分野で大切にしたい問いかけ

算数では、四則演算を正の、整数・小数・分数で何年もかけて学習します。年をまたぐ継続的な指導です。6年間の指導で一貫性があることが望まれます。「数と計算」分野で共通した問いかけについて少し考えてみたいと思います。

まず意識してほしいのは、算数での四則演算の基本になっているのが10進法だということです。今私たちが通常使っている計算は、10進表記をもとに方法が考えられているのです(よく知られているようにコンピュータの世界は2進法です)。10進表記の優れている点は、0から9までの数字だけを使って数を表わしていることです。このことを意識して学習を勧めることが大切です。

71の「7」と17の「7」は同じ数字の「7」でも、位が違うので表わす数は異なります。70と7です。しかし、「7」という数字が使われているということは何かが7あることを表しています。そこで、大切な問いかけは、「何が○つのなの」です。71であれば「71の7は何が7つあるの?」となります。筆算の考え方もこういう問いかけを日ごろからしていると明確になってきます。72と63を足すとき、7は10のかたまりが7、6は10のかたまりが6です。同じ10のかたまりだから足せるわけです。こう考えることで必ず1桁の計算に帰着できます。かけ算であれば10のかたまりを何倍すると考えればいいわけです。

小数であれば、「0.2の2は何が2つあるの?」です。こうすれば0.2+0.5は、0.2は0.1が5つ、0.3は0.1が3つとなるので、5つと3つを足すことに帰着できます。0.1が8つあるから0.8という説明が自然になります。小数点をとるという考え方をした子どもにたいしては、「小数点をとった2は何が2つなの」とその意味を問い返せば混乱せずにすみます。分数であれば、2/3は2は1/3が2つと考えればいいのです。では、分母はとなります。分母の3は「(2を)3つに分けた」を表わします。3等分する3なのです。ちょっと違いますね。

ここでもう1つ大切な問いかけがあります。分数や比、割合、単位で大事になるものです。それは「基準」です。何のいくつ分と言った時の「何」にあたるもの、分数で言えば単位分数、先ほどの「位」も1つの基準です。割り算で言えば割る数です。
先ほどの分数の分母も、基準をあらわすととらえればいいのです。分数の足し算は、分母が同じであれば、基準が同じですから、分子を足せばいい。分母が異なればそれぞれの基準が違うわけですから、基準を同じにしなければいけない。だから通分だという発想です。基準が同じだとまとめられる例はたくさんあります。かけ算でも2×3+2×4は2×(3+4)とまとめられます。
比の値を考える時も、「基準は何?」と問いかけることで、分子と分母の混乱が避けられます。比の値が等しいことを扱う問題では、この問いかけをすることで基準を間違えなくなります。単位の変換でも同様です。

このように、一見違うことのようですが、少し広い概念でくくることで、一気に世界がつながっていきます。算数の「数と計算」分野では、「何がいくつ」「何が基準」という問いかけを大切にすることで、6年間の学習のつながりがとても明確になるのです。このことを意識して授業を組み立てると、とても教えやすくなると思います。

1時間の授業から多くのことを学ぶ(長文)

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昨日は、中学校の授業研究でアドバイスをおこなってきました。若手の数学の授業でした。

三角形の等積変形を使って問題を解く場面した。授業の最初は前時の復習です。授業者は教科書、ノートを閉じた状態で進めたいのですが、何人かの子どもがノートを開いていました。ちゃんと準備ができていることをほめてから、閉じるように指示をしました。ちょっとしたことですが、子どもを認めようとする姿勢で接していることがよくわかります。

前時に学習した等積変形について子どもたちに問いかけます。まわりと相談する時間を少し与えてから、指名していきます。相談している子どもたちから聞こえてくる言葉が気になりました。「底辺と高さが等しければ面積は同じだよね」というように、「底辺」と「高さ」という言葉がよく登場するのです。「底辺の長さ」と「高さ」が同じ三角形は面積が等しいのは当たり前です。このこと自体は三角形の等積変形と直接関係のない性質です。三角形の等積変形は、底辺が共通で、底辺にない頂点を通って底辺と平行な直線上に頂点がある三角形の面積は等しいというものです。高さは証明(説明)の根拠としては出てきますが、等積変形ということでは必要のない言葉です。このことから、子どもたちは等積変形と、その根拠が混乱していることが見て取れます。案の定、子どもたちの発表は、前時に学習した事柄がトピック的に出てくるばかりで、等積変形をきちんと説明する言葉は皆無です。授業者は、ただ受け止めるだけで次々指名していきます。「三角形で」と考えている対象を明確にしてくれる子どももいますが、授業者は評価しません。授業者自身も「三角形の等積変形」と言うべきところを「三角形の」を落として単に「等積変形」と言っています。数学の教師としては言葉が雑です。頂点と高さが混乱した子どももいます。言葉が足りなくて、何を言っているのかよくわからない発言もあります。友だちの意見がバラバラで収束していかないので、何が正解なのか子どもたちも不安になっていきます。だからこそ集中して聞いています。集中することはいいのですが、これでは三角形の等積変形がどういうものか定着しません。子どもの言葉を切り返して深めたり、足りないところを他の子どもに補わせたりして、しっかりと押さえなければいけません。子どもが発言するだけでつながらないのです。「確かに底辺の長さがと高さが等しいと三角形の面積は等しくなるね。確かに、そんな話をしました。よく覚えていたね。それって等積変形とどういう関係があったんだっけ」と切り返したり、答えられなければ「だれか助けてくれる」とつないだりする必要があります。
授業者は「みんなの説明に共通した言葉があったけど・・・」と共通の言葉をキーにして進めようとしました。「底辺」「平行」を取り上げて、黒板に図を描きながら説明を始めました。子どもたちは、混乱しているのとわかりたいとの両方で真剣に黒板を見ています。その中で1人、黒板を全く見ない子どもがいました。先ほどの復習の場面では指名されても「わからない」と発言しなかった子どもです。この時間は、この子ども(仮にA君とします)を中心に見ようと決めました。
底辺が「共通」と言葉を足し、頂点を通って底辺と平行な直線を描き、底辺が共通で平行線上に頂点のある三角形を描いて、2つの三角形の面積が等しいことを確認します。もう1つ同様に描いて、これも面積が等しいことを確認して、形が変わっても面積が等しいと説明をしました。
三角形の等積変形を用語として使っているのですから、明確な定義も必要です。黒板には図だけで、平行といった条件などは何も残っていません。これでは、論理的な思考ができるようにはなりません。因果関係が明らかになっていないのです。

教科書を見ると等積変形という用語はありません。「底辺が共通の三角形」としてまとめてあります。

1つの直線上の2点A、Bとその直線と同じ側にある2点P、Qについて、
1) PQ‖ABならば、△PAB=△QAB
2) △PAB=△QABならば、PQ‖AB

ここで注目しなければいけないのは、2)は1)の逆であることです。1)は三角形の等積変形を表わしていますが、逆も押さえたいので、等積変形というまとめ方をしていないのです。
授業者はこのことをあまり意識していません。そして、このことが本時の課題の解決に決定的な影響を与えたのです。

本時の課題は最初の図にあるような四角形の土地の境界線ABCを、点Aを通る線分ADにあらためるというものです。教科書は点Dを与えているのですが、授業者は、あえて線分ADを与えずに、境界線だけの図を描いたワークシートに、大きく「等積変形を利用して面積の等しい図形を作ろう!」とタイトルをつけ、「ア、イそれぞれの土地の面積を変えないで、点Aを通る直線をひくとき、どのようにひけばよいでしょうか」としました。授業者は、等積変形を使うとことを前提にしています。思考がそこからスタートします。つまり先ほどの1)を使うということです。教科書は「図のように、折れ線ABCを境界とする2つの土地ア、イがあります。それぞれの土地の面積を変えないで、境界を、点Aを通る線分ADにあらためるとき、点Dの位置は、どのように決めればよいでしょうか」となっています。
続いて「考え方」として、「求める点Dがとれたとすると」としています。もしそのような条件を満たす点があればと帰納的な発想をしているのです。このとき、△ACB=△ACDとなることから、AC‖BDが言えます。先ほどの2)を使うのです。ここから平行線を使って作図できることを導こうというアプローチです。欄外の枠の中にも「逆向きにみる―求める点がとれたとして考える 見方・考え方」としてあります。この違いが、どう子どもたちの思考や活動に影響を与えるのでしょうか。

授業者は、ワークシートを配って課題を読みますが、子どもはワークシートを目で追っているだけです。課題を把握できているか確認もなく、すぐに個人作業に入りました。固まっている子どもとすぐに手が動く子どもに分かれます。この問題の解き方を知っていると思しき子どもはすぐにAとCを結び、点Bを通って線分ACと平行な直線を引きます。一方、そもそも何をすればいいかわからない子どもは、手が全く動きません。課題がよくわかっていないのです。教科書は、境界という言葉を使い、ていねいに説明しています。一方授業者は、言葉をずいぶん削っています。その分課題把握に時間をかけなければいけないのですが、そこをしなかったのが原因です。また、タイトルの「面積を等しい図形を作ろう」に引っ張られてアとイの面積を等しくするのかと勘違いしている子どももいたようでした。
「土地の境界がまがっていると使いにくいじゃない。そこで境界を直線にしたいんだよ。ただ、点A通るようにしたいんだ。できるかな。あっ、もちろん境界線を変えたからといって、それぞれの面積が変わっちゃったら怒るよね。境界線は変えてもそれぞれの面積は変わらないようにしてね」といった補足をしたり、「点Aを通る線分を境界にする」「それぞれの面積を変えない」ことを子どもに確認したりすることで、課題をしっかり把握させたいところです。
わかっていると見えた子どもの中には、点Aを通る線分ではなく、点Cを通る線分を引く者もいました。やり方は知っているので、パターンで線分を引いてしまったのでしょう。これも課題をしっかり把握していなかった証拠です。

すぐに答がでた子どもは、手持ち無沙汰にしています。そこで、授業者はグループになるように指示しました。できた子どもがいるグループは、できている子どもが教え始めます。自分から教えてと言えない子どもが何人もいるのですが、できている子どもは一生懸命に教えようとします。おせっかいな感じではなく、わかってもらいたいという素直な気持ちに見えます。ただ、4人で話すというよりは、1対1になっています。そのため、うまくかかわれない子どもも出てきます。しかし、よく見ると説明している子どもの手元の図を見たりしています。どの子もわかりたいという気持ちはあるのです。先ほどのA君は、女子2人が話し合っている時に参加できませんでした。しかし市松模様の座席なので、その様子はよくわかります。気にはなっています。顔が上がらないのですが、やはり目は女子のワークシートを見ていました。A君がこんな線になるのではないかと引いた線が、女子の書いた線とよく似ています。女子2人の話が一段落ついた時、声をかけました。自分の線が似ていたので聞こうという気持ちになったのかもしれません。この後、女子2人に交互に教えてもらうことで、自分なりに納得できたのでしょうか。笑顔を見ることができました。

一方できた子どもが1人もいないグループは、手詰まりです。問題把握もしっかりできていないので、意味なく線を引く姿が見えます。なかなか相談しながら先に進むことができません。そもそも、何をどうすればいいのか、手がかりがないのです。中には定規を点Aに当てて、回転させながら、どんな線になるか考えている子もいましたが、そこから先には進みません。この子どもの活動を取り上げて、「点Aを通る線分を探しているんだ。いいね」と評価し、「どのあたりになりそう」「この線が正しかったとして、何が言えそう」と全体に問いかけることで教科書の流れに持っていくこともできました。授業者はこの子どもの動きは気づいていたのですが、自分の考えていた方向性とは違うのでこの動きを活かすことは思いつかなかったようです。

半分のグループが行き詰っていました。そこで授業者は活動を止めました。よい判断です。この時、授業者は「ヒントを出してもらおう」と言いました。ヒントという言葉はあまりよい言葉ではありません。答がわかっている者が上から目線で出すのがヒントだからです。「ヒントを言って」と授業者が指名して子どもに言わせれば、その延長上に正解があるということにもなります。これが「正解」と言うことと同じです。しかし、授業者は、「最初に何をしたか教えて」と聞きました。初手を聞くのは、行き詰まっている子どもにとっては、動き出すよいきっかけになります。しかも事実を聞くだけですので、正しいかどうかの判断は子ども自身に任せることになります。よい聞き方です。であれば、最初のヒントという言葉は余分だったように思います。
「三角形をつくる」が出てきました。しかし、行き詰まっている子どもはよくわかりません。授業者は他のグループにも聞きましたが、やはり「三角形をつくる」です。三角形をつくることが面積を変えずに境界を引き直すこととどうしても結びつかないのです。ここがポイントだったのです。授業者はどうして三角形をつくるのかとは問い返しませんでした。ある意味賢明だったように思います。グループでのその子どもの説明は「等積変形を使うのだから、三角形を作らなければならない」だったからです。ワークシートのタイトルがここで効いているのです。授業者は意識していたのかどうかはわかりませんが、解き方を誘導していたということです。この説明を聞けば、行き詰まっている子どもはますます苦しくなります。なんで等積変形を使えばいいのかが今度はわからなくなるからです。「こうしろと指示されたから納得できなくてもやる」「こうやれば解けるから解き方を覚える」という割り切りのできない子どもほど行き詰まりやすいからです。そうでなければ、最初から等積変形を使おうとしているはずです。
授業者は、「具体的にしよう」と問いかけ、AとCを結んで△ABCを作りました。求める線が引けたら、全員が説明できるようになってと、グループに戻しました。等積変形を使えば点Aを通る線分で△ABCと面積の等しい三角形がつくれます。取り敢えずほとんどのグループは正解をつくることができました。しかし、ここから子どもたちの苦戦が始まります。2つの三角形の面積が等しいことは言えるのですが、そこから、それがどうして土地の面積を変えないことになるのかうまく説明できない、というか自分でも納得できないのです。互いに説明し合うのですが、すっきりとしないようでした。

ここで教科書が、「線分ADが引けたとして」と、帰納的な発想をした意図が見えてきました。土地の面積が変わらないなら、2つの三角形の面積も変わらないことに気づきやすいからです。演繹では、三角形をつくる必然性が見えません。三角形の等積変形を使って解くからという理由しか見つからないのです。そうでなければ、三角形をつくることを解き方として知っているからでしかないのです。誘導されて解くことで、解き方を知識として手に入れることはできますが、誘導なしで問題を解く力をつけることはできません。教科書は問題解決の手段の1つとして、帰納的な発想を身につけさせようとしていたのです。

解き方を理解していた子どもは、ほとんど考えることはしませんでした。彼らにとってこのままでは何も学ぶことはない1時間になります。彼らの学びの期待がかかるのが、全体での説明の場面でした。うまく説明できない子どもを納得させることができるかどうかが、彼らにとっての大きな課題です。
指名された子どもたちは、前に出て一生懸命に説明します。言っていることは間違いではないのですが、論理の因果関係が明確になっていない上に、一つひとつの説明にまとまりがありません。途中で立ち止まることなく話が続きます。説明を聞いている子どもたちはわかりたいと真剣なのですが、よく理解できません。表情はさえません。発表者は、理解してもらえていないことがわかるので、何度も同じ説明を繰り返します。授業者は、黙って見ているのですが、いったん説明を止めて他のグループに交替させます。次のグループも同じ状態になったところで時間となりました。

授業者は子どもたち同士で理解させたいと思い、じっと我慢をしていたのでしょう。子どもの説明に続いて自分が説明を始めなかったのは立派です。しかし、子どもの説明は必ずしも他の子どもにすんなりと受け入れられるわけではありません。聞き手のわからないところを確認して、説明の足りないところを補ったり、整理したりさせる必要があります。ここが教師の出番です。子ども同士をつなぐのです。1回説明させれば、子どもの考えはわかります。そこで、「まだ納得できていない人がいるようだね。もう1度説明してくれる」ともう1度説明をさせるのです。説明の流れはわかっているので、教師が意識的に区切って整理をさせます。「ちょっと待って、みんなここまで納得できた」と途中で止め、大事なところは他の子どもを指名して確認したり、「今説明してくれたこと、あなたの言葉で言ってくれる」と説明を求めたりして共有させます。また、説明が不足していると思えば、「どう、今のところもう少し詳しく聞かせてくれる」とより詳しい説明を求めてもいいでしょう。
こうすることで、子どもたちは友だちの説明をじっくりと理解できますし、説明する子どもは、自分の考えをどのように整理して説明すれば伝わるのかを学ぶことができます。

授業者は子ども同士で考えること、わかり合うことを大切にしたいと考えていることがよくわかります。その方向は間違っていません。しかし、それは教師がただ黙って見ているだけでいいということではありません。適切なかかわり方が必要なのです。切り返して深めることや言葉をつないで共有していくことが教師に求められます。授業者はそのことはわかっているのですが、教材の理解が不足しているので、どう切り返し、どの言葉をつなぐのかがよくわからないのです。
この授業でいえば、三角形の等積変形は何がポイントなのか、そして課題を解くために子どもつまずくのは何かをしっかり考えていなかったのです。そして、教科書が「底辺が共通の三角形」の性質をなぜあのようにまとめているのか、なぜ帰納的な発想で進めようとしているのかを理解できていなかったのです。そのため、子どもの様子を見て授業を修正することや、子どもへの働きかけを変えることができなかったのです。

授業者はこの日体調を崩し、午前中は休みを取って医者に行っていたそうです。にもかかわらず、授業は明るい雰囲気で、そのことを感じさせないものでした。また、言われたことをきちんと実行しようとする素直な気持ちを持っています。授業者にとって課題である教科の力は、身につけようとしても授業技術と違ってすぐに結果が見えません。しかし、この授業者ならば、きっと地道に努力を続けてくれると思います。次に会う時にどのような成長を見せてくれるか、とても楽しみです。

昨日の日記に書いたように、私もいろいろと教材や課題について考えていましたが、授業を見て子どもの実態をわかっていなかったと反省させられました。すぐにできる子どもとできない子どもに分かれることは想像通りだったのですが、正解を作図できた子どもでも、これほど説明ができないとは思っていませんでした。「境界に道路を作りたいのだが、入り口を別の場所にしたい」という、点Aではなく、辺上の他の点を通る境界線を引くというジャンプの課題を考えたのですが、この日の子どもたちに、いきなり提示するのは現実的ではないと感じました。もしこの課題を使うのであれば、まず、三角形の面積が同じであれば土地の面積が変わらないことを全員に納得させる必要がありそうです。そう考えると、教科書は子どもの実態を実によくとらえて展開が考えられているのです。完敗です。教科書の課題を安易に変えている授業をよく見ますが、まずは教科書をしっかり読みこんで理解してからのことです。若い教師は、とにかく1度はそのまま教えることをしてほしいと思います。実際にやってみることで教科書の意図がわかってくると思います。その上でアレンジもできるのです。

授業検討会は、グループでの検討です。どのグループも子どもたちが説明に苦しんでいるのを見て、課題の与え方や展開の仕方、ヒントの内容といった教科の問題に深く入り込んで話し合っていました。全体での検討は教科の問題にあまり深く入り込んでも他の教科の先生にとっては得ることが少ないのですが、先生方は教える側の視点ではなく、子どもの視点で課題や展開を考えていたので、これならば意味のある話し合いになったのではないかと思います。子どもの視点を意識することはどの教科にも共通して大切なことだからです。しかし、具体的にどうすればいいのかを全体の場でそれ以上話し合ってもあまり意味はありません。それこそ、教科の先生がじっくりと話し合うべきことです。そこで、各グループの発表の後、司会者は「子どもの様子はどうでしたか」と視点を子どもに切りかえました。とてもよい判断です。すると、私が注目していたA君や日ごろ参加できない他の数人の子どものことが話題になりました。「この授業では、彼らが参加できていたことに驚いた。自分の授業ではなかなか参加できない」「どういったことが参加できる要因なのだろうか」といった発言が出てきました。このことに話題にして再びグループで話し合いました。「彼らにもできるようなことをやらせたいが、他の子どもがそれでは満足できない」「自分からは『教えて』と聞こうとしない。友だちが教えようと声をかけてくれるが、なかなかうまくかかわれない。どう支援していいかよくわからない」といった意見がでてきました。
このことに関連して、私からは、先生方は子どもたちをとてもよく見ているが、子どもに対して評価が少ないことをお話ししました。今回の授業であれば、授業者もA君がしっかり参加できていることに気づいていました。しかし、そのことを認めてほめるような声かけはありません。大切なことは、その子なりの進歩をしっかりと評価してよい行動を後押しすることです。課題のレベルが高くても、その子が活躍できるところはきっとあるはずです。今回の課題であれば、「点Bを通る直線は線分ACとどんな関係の直線だった?」と友だちの説明の確認を求める。「どことどこを結んだ?」「どんな図形を作った?」ともっと簡単なことでもよいのです。誰でも聞いていれば答えられるようなことでも、「そうだね。よく聞いていたね」と評価するのです。グループ活動であれば、友だちに何を教えてもらったかを聞いてもいいでしょう。「どんなことを聞いたの」「いいことを聞いたね」とほめるのです。答えられなかったら、「どんなことを話したかもう一度伝えて」とグループの子どもに助けてもらい、自分の口でそのことを言わせ、「ちゃんと聞けて、答えられたね」と評価するのです。
すぐに参加できるようにはならないかもしれませんが、少しでも参加できる時間を増やすことが大切です。子どもたち一人ひとりの何をほめるか、ほめる場面をどのようにつくるかを常に意識してほしいと思います。

検討会終了後、校長、教務主任と来年度に向けての話をさせていただきました。この学校で育った若手が今後どんどん異動していくことになります。新しく異動してくる先生も増えてきます。そのような状況ですから、「学校全体で共通で取り組むべき最低限のことを明確にして、全員で確認をすること」、また、「これまでの積み重ねをもう一歩先に進めるために、教科の内容について互いに学び合う空気をつくること」の2点を特にお願いしました。人事的には厳しい状況が続きますが、きっとこの壁を乗り越えてくれると思います。

この日は、1時間の授業からとても多くのことを学ぶことができました。子どもたちがわかりたいと真剣に授業に取り組み、苦しんでくれたからこそ気づけたのです。いいかげんな授業態度であれば、わからない原因が課題や授業の進め方にあるのか、子どもたちのやる気のせいかわかりません。子どもたちをこのような状態にした、授業者を含むこの学校の先生方のおかげです。子どもたちと先生方に感謝です。

研究授業の教材を検討する

昨日は、本日参観予定の数学の研究授業の指導案の教材について少し検討していました。日ごろはポイントを確認し、子どもたちがどのような動きをするだろうかを想像するくらいで、あとは実際の授業を観察してアドバイスを考えます。教材について事前にはそれほど深く考えないのですが、グループでの活動の課題が、解き方を知っている子どもがいればその子が教えて終わってしまうようなものだったので、さすがにこれではちょっとまずいなと思い、どうしたものかを考えていたのです。

解き方を知らない子どもの思いつきをつぶしたくない。では、そういう子どもたちはどんな考え方をするだろうか。子どもの気持ちになって考えてみます。そして、その考えはどう評価すればいいだろうか。活かすことはできるだろうか。
また、教科書の課題を活かして、子どもたちの考えを広げるような課題はできないだろうか。塾などで問題を解いたことがある子どもも一緒になって考える課題となるだろうか。その課題は、考える必然性をあるものにできるのだろうか。教材研究の基本を改めて思い出すことになりました。

代案となる課題や進め方はいくつかできたのですが、実際の子どもの様子を見てみないと、それが適当なものかどうかは判断できません。極端な話、解き方を知っている子どもがほとんどいなくて、グループ活動がかかわり合いのあるよいものになる可能性もあります。逆に、子どもたちはほとんど全員が解き方を知っているかもしれません。提示する課題は、子どもたちの状況に合わせて考えなければなりません。今回は私自身が教材研究を少ししたので、いつも以上に子どもたちの様子を見るのが楽しみです。

私がどのような代案を考えていたのかは、授業の様子と合わせて明日の日記で報告したいと思います

「楽しく授業研究しよう」第11回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第11回ICTを活用した授業研究が公開されました。

ぜひご一読ください。
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