授業参観と現職教育

先週末、中学校で授業参観と現職教育でお話をさせていただきました。その前の週にも訪問した学校です(子どもたちの姿から多くのことに気づく参照)。

前回と大きく印象が変わることはありませんでしたが、授業者による子どもの姿の差がより大きくなっていたように感じました。この時期は、子どもたちは新鮮な気持ちで授業にのぞんでいるため、教師が身につけてほしい授業規律を意識して指導すると定着しやすい時です。そのため、わずか1週間あまりでも教師の意識の違いが子どもの姿の差となってあらわれていました。

若手の1年生の英語の授業です。子どもたちが素晴らしい姿勢で教科書を読んでいました。教科書の角度までそろっています。このことにこだわっているのがよくわかります。子どもたち全員にきちんと口を開けて読んでほしいという授業者の気持ちがうかがえます。授業者は自分の教科書を見てはいますが、必ず目を上げて子どものようすを見ています。子どもたちをしっかり見ているからこそ、徹底できているのです。

社会科の授業で机をコの字にして子ども同士に意見を言わせていました。授業者が子ども同士が互いを見ながら聞き合ってほしいと考えていることがよく伝わりました。この教室ではコの字にすると真ん中の間隔が狭く、教師が中に入ることができません。そこで授業者は自分の目線を下げて子どもの視線から外れるようにしていました。その上で、友だちを見ていない子どもには友だちを見るように、目線や手で指示をしています。子どもたちは互いを意識して聞きあえるようになりつつあります。意見に賛成の人は拍手するように指導していました。このとき、拍手しない子どもがいました。その中の一人を指名して、その理由を聞きました。友だちの説明の中の「ファシズム」という言葉がわからないということです。そこで授業者は、「説明できる人」と問いかけ、挙手した子どもに説明をさせました。わからない子どもとわかっている子どもをつなげようとするよい場面でした。
ここで、「ファシズムがわからない人、ほかにもいる?」とわからない子ども同士をつなぐことで、より多くの子どもが授業に参加しやすくなります。その上で「助けてくれる人」とつなぎたかったところです。また、ファシズムの説明をした子どもは、教科書(資料集?)を読み上げました。そうであるならば、「どこに書いてある」と聞き、わからない子ども自身に読んで理解させるようにするとよいでしょう。こうすることで、どうやって知識を得ればよいかがわかりますし、受け身で聞くより理解しやすくなります。その上で、「どう、ファシズムがわかった?」と確認し、まだわからないようであればどこがわからないかをたずね、また子ども同士で解決させるのです。
とはいえ、わからない子どもを大切にしよう、子ども同士をつなげようという意識があるので、授業は確実によくなっていくと思います。

学級活動の時間でも、授業者の差はあらわれます。子どもたちに任せていても、教師が子どもを見ているかどうかは大きな影響があります。教師が何も言わなくても、子どもたちを笑顔で見ているだけで集中力が違います。この時期、子どもが育つまでの間は教師が見守ることがとても大切なことがよくわります。
1年生全体の部活動の人数調整の場面で、直接指導をしていないときもずっと笑顔の若手の教師がいました。簡単なようでなかなかできることではありません。目に入る姿がいつも笑顔であれば、子どもたちはその教師が自分たちを笑顔で受け止めていると感じます。教師が自分たちを受容していると感じ、安心と信頼感を持ちます。実はその教師は学年の生活指導担当です。若い生活指導の教師は、力で押さえようとする傾向が強いのですが、それでは反発を生んでしまいます。まず笑顔で受容しているからこそ、いざというときの指導に従ってくれるのです。このことをわかっているからこそ、意識して笑顔でいたのだと思います。

現職教育は、校務主任の道徳の模擬授業を研修主任がコーディネートして、この学校で大切にしているものを伝える試みでした。授業者は意図的によくない場面もつくり、コーディネータは参加者の気づきを拾い上げていきます。息の合った展開でした。道徳の教科内容ではなく、子どもを見ることにスポットを当てた研修となりました。生徒役の先生も、最初はぎこちなかったのですが、次第に集中しなかったり、おしゃべりをしたりして生徒の気持ちになって参加してくれました。答えられない生徒役に対して、授業者は否定せずにしっかりと受け止めてくれます。感想を聞いたところ、「受容してもらえると安心する」と答えてくれました。この学校で目指していることを肌で感じていただけたのではないでしょうか。おしゃべりをしていた生徒に対しての指導も、一律に注意するのではなく、状況をまず見極めたうえで対応することなども示していただけました。

最後に私の方から、この学校が目指しているものとそのために今の時期に大切にすべきことをお話させていただきました。
この学校で見られる「子どもが笑顔で集中する姿」というのは、なかなか他の学校では見られないものです。そのためには、子どもをしっかりと受容し、子どものよい姿を認めること。できないことを指摘するのではなくできたことをほめること。ほめるためには、そのような姿が見られるような活動をする必要があることなどを、前回と今回見たよい場面を例にして伝えました。具体的な例をこの学校の先生方の授業場面で伝えることができるのはとても素晴らしいことです。研究指定を受けたときに校長がおっしゃっていた「新しい伝統をつくる」ことができつつあるのだと思います。
今年この学校に赴任した方にとっては、この学校が目指すものを言葉で聞くだけでなく模擬授業でも見ることができて、とてもわかりやすかったのではないかと思います。皆さんがとても真剣に参加されているのがよくわかりました。この時期にこのような現職教育を企画した教務主任は立派だと思います。新しく異動して来た方が戸惑うことが多いことを予想した上で予定に組み込んでいたのです。その細かい内容は前回私が訪問した時の学校全体の様子をもとに企画されました。急なお願いにもかかわらず快く模擬授業を引き受け見事にこなした校務主任とそのよさを引き出した研修主任。ベテランだからこその力を見せてくれました。
人事的に厳しい状況ですが、新しい力を加えてよりよい伝統をつくり続けくれるものと期待しています。次回訪問時に子どもたちがどのような姿を見せてくれるのか、とても楽しみです。

寝ている子どもへの対応を考える

授業中に子どもが机にふせって寝ていることがあります。中学校では時々目にする光景です。その時の教師の対応はまちまちです。みんなの前で注意して起こす。その時、「朝ですよ〜」などと笑いを取って、あまり気まずい思いをさせないように気を使う方もいます。机間指導の時にそっと肩をたたいて起こす。その時、「体調が悪いの?」と優しく聞く方もいます。中には、何も声をかけずに無視をする方もいます。
起こされた子どもは、ほとんどの場合そのまま授業に参加し続けます。しかし、中にはまたすぐに寝てしまう子どももいます。そのような場合、単に眠たくて寝ていたのではないでしょう。授業がわからない、やる気がないといった別の要因があるはずです。起こせばよいわけではありません。教師が声をかけないのは、その子には声をかけても無駄だと思っているのかもしれません。どうするのがよいのでしょうか。

教師ではなくまわりの子どもに声をかけてもらうのが一つの方法です。「起こしてあげて」と優しく頼み、子どもが起きれば「顔上げてくれて、ありがとう」「起こしてもらえてよかったね」と笑顔で声をかけ、起こしてくれた子どもにも「ありがとう」と一声かけておきます。叱ることなく、子ども同士の関係をつくることにもつながりますので、どの子どもに対しても有効な方法です。友だちがかかわることで、やる気のない子どもも参加しようという気持ちになってくれます。とはいえ、またすぐに寝てしまうこともよくあります。そういう子どもの場合、その時間だけで解決することはできません。時間をかけて、他の子どもとかかわりながらわかる経験を積むことや、自分の居場所があることに気づかせることが大切です。
子ども同士のかかわりをつくるのにはグループ活動が有効です。グループの形をつくるためには机の移動が必要です。机の移動は参加につながります。友だちから、「○○さんはどう思う」と聞かれることで、たとえわからなくても友だちとのかかわりが生まれます。誰でも意見が言えるような課題であれば、答えてくれるかもしれません。「○○さんはそう考えたんだ」と受け止めてもらえれば、自分の居場所ができたように感じます。聞き合うといった、どの子どもにも声がかけられるような活動が子どもの関係をつくり、発言を認めてもらうことが居場所をつくることにつながります。

ある学校では、「授業中に寝ている子どもをなくす」を目標にしていました。レベルの低い目標ですが」と謙遜されていましたが、決してそうではありません。先生方はただ起こすだけではダメなことをよく知っていました。子どもたちの関係をつくり、居場所をつくることに学校全体で取り組まれました。もちろん今では、そんなことがあったことに誰も気づかないような学校になっています。
寝ている子どもへの対応とその反応から、教師と子どもの関係、子ども同士の関係といった学校の現実が見えてきます。子どもたちが「寝てるなんてもったいない」と思うような教室であってほしいと思います。

作業中に集中力を切らさないために

学級によって、子どもたちに作業をさせているときの集中力の違いがあります。課題の内容や学級の特性だけでなく、教師がその時どのようにしているかが大きく影響しています。

子どもが課題に取り組めていることを確認した後、教師が教卓で次の準備をしていたりするとどうでしょう。子どもの集中力が一時的に切れることはよくあります。顔を上げてまわりを見たときに、教師が他のことをしていて自分を見ていないことに気づくと、この状況を追認されたように感じ、しばらく集中力は戻りません。次に集中力を切らした子どもは、他の子どもも集中力を失くしていることに気づき、安心して息を抜きます。集中力を切らす子どもが次第に増え、学級全体の集中力が落ちてくるのです。

では、机間指導をしている場合はどうでしょうか。子どもたちのそばにて、よい意味でプレッシャーをかけているのですから集中力は持続されるように思います。しかし、机間指導のやり方が問題です。子どもたちの手元を見ながら漫然と移動しているのでは(俗にいう「机間散歩」)、先ほどの例と状況はあまり変わりません。教師のいる位置から離れている子どもには、プレッシャーはかかりません。集中力が切れたとき、子どもが顔を上げても教師の姿は目に入りませんし、その子どもに教師も気づきません。
集中力が切れている子ども、困っている子どもに対してその場で指導すればよいのでしょうか。教師が1か所に留まってミニ授業を始めてしまえば、どうしてもその子どもに集中してしまいます。他の子どもは目に入りません。また、わからなくて集中力を失くしている子どもは、教師が他の子どもを教えているのを見ると、自分も教えてもらうことを期待して自分のところに来るのを待ってしまいます。すぐに教師が気づいてくれればいいのですが、そうでないとおとなしく待っていることができなくなり、ごそごそしてしまいます。
机間指導は教師の死角を増やします。意識しないと全体の様子を把握することはできません。

大切なのは、机間指導をする、しないにかかわらず、全員をしっかりと見守ることです。集中力を切らした子どもがいれば、目で問いかけます。教師が見守ってくれることがわかれば、また課題に取り組みます。もし困っているようであれば、その子どもに対して友だちに聞くように指導したりします。この時、指導にあまり時間をかけないようにします。常に子どもたち全員を見守ることを意識します。このことを意識している教師は、机間指導で子どもの手元を見ていても、次の子どもへ移動する際に必ず死角をつくらないように全体を見回しています。個別に指導していても時々顔を上げて全体を見ています。

子どもたちは、自分が教師に見守られていることを感じることで安心して過ごすことができます。このことが子どもたちの集中力を持続させるのに大切です。子どもが作業に集中しているように見えても、気を許さず、全員を見守ることを意識してほしいと思います。
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