最新更新日:2024/04/26
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 12月12日(月)

 9回ドラマ

 第98回全国高校野球選手権大会の岡山大会。試合終了、で決まったかに見えた岡山の代表校が判定訂正の後、ひっくり返った。玉野光南の1―0リードで迎えた9回。1死1塁で創志学園・難波の打球は投ゴロで1―6―3と渡り併殺、ゲームセットと見えた。玉野光南ナインは喜びに沸き本塁付近で勝利の整列までしていた。打球が判定変更でファウルとなり、再開後に玉野光南を逆転した。
□ 玉野光南高校監督
 協議中に「なるようにしかならない。しっかり切り替えろ」とナインに指示。ただ、一度ゆるんだ緊張の糸を戻すのは難しかった。集中打を浴びた浜口は「夢に描いていた甲子園だと、やっと笑えて(本塁前に)並んでいた。ほっとしてしまった」と打ち明けた。
□ 玉野光南高校主将
 主将は判定に異を唱えることもなく、潔く話した。「審判さんの公平なジャッジで試合が再開となりました。気持ちを切り替えていこうとしましたが、全員が切り替えられていなかったのかもしれません。負けても堂々としていようと、みんなに言いました」
□ 創志学園監督
 「勝者も敗者もある世界。相手の気持ちも考えなさい、と選手には言った。甲子園では上位を狙います」と言った。玉野光南の思いも背負い、初の夏の聖地で戦う

今日のお話 12月12日(月)

金持ち父さんの名言

  言い訳は

  人間の内に潜む

  敗者の言葉だ。

ちょっといい話 12月9日(金)

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 素晴らしい上司

 私は入社4年目で初めての結婚記念日の日の事です。社内でトラブルが発生しました。このままだと全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、私だけ結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えない状況に……。17時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、「これをK物産に届けろ」と言うんです。K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても20時までに着けるかどうかすら分からない。「届けたら直帰していいから」と言うが、直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと23時は過ぎるだろうという時間。文句を言いたかったが、「わかりました」と言って封筒を預かった。中身を見ようとすると 「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」とつれないK課長。不満たらたらの声で「行ってきます」というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かいました。車に乗り込み、封筒を開けると、1枚の紙切れが入っていました。
 「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい。」と書かれていた。会社に入って初めて泣いた瞬間です。その翌年、K課長は実家の家業を継ぐために退社した。送別会の席でお礼を言ったら「そんなことあったか?」ととぼけていた。K課長、あの時はありがとうございます。今もお元気でいらっしゃいますか?

今日のお話 12月9日(金)

金持ち父さんの名言

  人に物事を教える時は

  「サルでもわかるくらい」

  簡単にすることが大事だ。

ちょっといい話 12月8日(木)


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 最高な職場

 人生何がどこで変わるかわからないけど俺はかなりいい方向にいった。そんな話だけど見てほしい。
 おれは大卒から勤続8年目。俺は上司含め、同僚が苦手、というかあまり好きではなかった。ワイワイと騒ぐ職場で馴れ合いもせず、昼飯や飲みも付き合いはするが仲良い同僚なんてのもいなかった。そんな俺の性格を理解してか、周りもあまり俺に近づいてこようとはしなかった。
 ある日外回りから帰ってさっさと席につきコツコツと事務処理をやっていた時の事。上司が近づいてきて、「○○く〜ん、このあいだの件ゲットできたらしいな、よくやった!」普段どんないい事しても褒めもしない上司が、褒めた。しかも超笑顔。さらに部下が、「○○さん、明日某客先に行くんですけど、教えてもらえますか?」って、普段怖がってか俺に聞かないで、俺より下の奴に質問してるおちゃらけ若者が俺に質問してくる。とどめに女の子がコーヒー持ってきてくれたり。明らかに俺は、優遇されすぎていた。おかしい。この時期に昇進か?まさか転勤……、妻子も家もあるのに。って考えてたら。やたら背の低い影が俺に近づいてきた。息子だった……。びびって椅子からころげ落ちた。どうやら幼稚園で父の仕事を発表する事があるらしい。聞いてない。のは俺だけで、嫁が事前に上司に許可もらってたと。それで皆おかしかったのか、息子もなんだか嬉しそうだしいいのかな。普段の俺を見たら、寂しそうだなぁとか思ってただろうな。
 その夜飲み会があった。今回の件、課長が根回ししてくれてたり、うるさい若者が自ら話しかけにきたいと言った事とか、いろいろわかった。泣いた。それからは仕事に感情をだせるようになった。仕事が、職場が楽しいと思えるようになった。そして息子の発表会は行けなかったが、とても誇らしげに語ったみたい。
 皆大好きだ!本当に最高な仲間に出会えて俺は最高です。今、殻を閉じ込めている人に言いたいです!勇気を出して殻を破ってみなと!人生変わるから!

今日のお話 12月8日(木)

金持ち父さんの名言

  たいていの人は
  自分の行動や思考を
  支配しているのが
  感情だということに
  気付いていない。
  感情は感情として
  持っていていい。
  だが、それとは別に
  自分の頭で考える方法も
  学ばなくちゃいけないんだ。

ちょっといい話 12月7日(水)

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 連れていかないでくれ 266  掲載

 私のおじいちゃんは私が生まれるときまでアルコール中毒だったとママに聞きました。毎日毎日、酒・酒で酒に酔い潰れて仕事を休む日も多々あったとの事です。おばあちゃんは、おじいちゃんとの離婚を本気で何回も考えたと聞いた。だけど、おばあちゃんは我慢して離婚せず家を守ってきたんですと。おじいちゃんは、無口で自分のことを喋らない性格です。 だから、おばあちゃんに対しても、冷たそうにみえた感じはします。私が小さい頃もよく口喧嘩してたのを覚えています。でも私は、おばあちゃんもおじいちゃんも大好きだった。私が小学校のころおばあちゃんは乳ガンになり、 闘病生活がはじまった。全摘しなかったため、治ったと思ったらまた再発したんです。しかも、毎回辛い顔をせずに……。
 私が成人して20歳になったばかりの頃、医師からもう長くないと言われた。おじいちゃんは、毎日何回もおばあちゃんのお見舞いに病院へ行っていた。何も話さず顔見て帰る感じだった。それでも毎日毎日、お見舞いは欠かせなかった。数週間後おばあちゃんは、静かに息をひきとった。おばあちゃんを火葬場にもっていくとき、おじいちゃんが泣きながら「きみを連れてかないでくれ」と言っていた。あまりしゃべらないおじいちゃんが……。私は思わず涙がでた。葬儀が終わってからおじいちゃんはずっと元気がなかった。
毎日仏壇の前でなにか唱えていた。こっそり聞いてみたら、「きみ、迷惑かけてごめんな、ごめんな……。」、「俺もいつになるかわからないけど、きみのところにいくから。待っててくれな。」私は涙がとまらなかった。あんな姿のおじいちゃんなんて見たことが無かったから……。それからおじいちゃんは少し明るくなった気がする。いっぱい話すようになった。もちろん私とも……。おじいちゃん!おばあちゃんの分まで生きてください。私もいるからさ!

今日のお話 12月7日(水)

金持ち父さんの名言

  君は物の見方を
  変えなくちゃだめだよ。
  私が問題なんだと思っていたら
  私を変えなければ解決しない。
  もし自分自身が
  問題なんだと気付けば
  自分のことなら変えられるし
  何かを学んで
  より賢くなることも出来る。
  たいていの人が
  自分以外の人間を
  変えたいと思う。
  でもよく覚えておくんだ。
  他の誰かを変えることよりも
  自分自身を変えることの方が
  ずっと簡単なんだ。

ちょっといい話 12月6日(火)

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 マラソン大会 

 そう、俺が小6のときの話です。俺は生まれつきスタミナがなくて、友達も少なかった。そのせいでマラソン大会とか、マジ地獄だったんだ。そんな俺に、やたらまとわりついてくる奴がいて、そいつは明るい性格で、クラスの人気者なんです。俺とは正反対の奴だった。そいつが俺はウザくてウザくて、話とかは受け流してかかわらないようにしてたんですが、向こうから来るんですよ!
 そしてマラソン大会の日。俺は朝からテンションめちゃくちゃ低くて、「今年も絶対途中で倒れるよな」とか考えてた。毎年倒れて、ゴールできなかったし……。そしてスタート。俺は案の定途中で倒れて、救護テントまで運ばれたんだ。マラソン大会の後も授業だったので、その帰りいつも通り1人で正面玄関から出ると、ウザいあいつが、マラソン大会のゴール付近に、朝礼台置いてそこにひも結んで立ってた。で、こっちに手招きしてるんだ。無視しようかと思ったけど一応行ってみると、「ゴールテープ切って!」とそいつが言うんだ。俺が、そのゴールテープの真ん中を通ると、テープが朝礼台からほどけて、俺がゴールした形になった。その後あいつが言ったんだ。「ゴールだ おめでとう」、俺は、久しぶりに声出して泣いたね。そして、そいつに初めて「ありがとう」って思った。こんな俺でもかかわってくれて本当にありがとう。

今日のお話 12月6日(火)

金持ち父さんの名言

  これから先の人生で、
  君は自分よりも頭が良かったり
  速く先に進めたり
  金持ちだったり
  力が強かったり
  才能に恵まれていたりする人に
  何度も出会うだろう。
  そういう人がきみよりも
  有利なスタートを
  切っているからといって
  君が競争に勝てない
  訳じゃない。
  自分を信じ
  たいていの人が
  やりたくないと
  思うようなこともやり
  毎日少しづつ前進し続ければ
  人生というレースは
  きみのものになる。

ちょっといい話 12月5日(月)

泣ける話ちゃんねる

  目元なんてお母さんそっくり

 私たち夫婦にとって、始めての子どもが口唇口蓋裂だった。ショックで子どもの将来を思っては不憫で泣き、奇形の原因は解明されてないだけに、妊娠中の何がいけなかったのだろう、と自分を責めた。正直、全てから逃げ出したかった。先日、生後3ヶ月を迎えた子どもの口唇裂の手術で付き添い入院した。同室の子の面会に来たお婆さんが、うちの子を覗いて驚き「ミツクチ!?可哀想にね」と言った。その夜はそのささいな一言が頭から離れず、泣いた。私のせいで、こんな体で産まれたんだ、私のせいで痛い思いをさせてしまうんだ、と責めた。
 その入院中、違う子どもの面会に来た別のお婆さんが術後の痛々しいうちの子を見て「可愛い赤ちゃんね、目元なんてお母さんそっくりね。」と言った。今まで初対面の人は、みんな口元ばかり見ては同情するような言葉を言ってたので、わたしはすごく嬉しかった。その後、少しお話をして最後に、「この子は幸せな子ね。こうしてずっとお母さんが側に付いててくれてるもの。」「負けないでね!」と言ってくれた。とても幸せな気分になった。もう2度とそのお婆さんには逢えないだろうけど、お礼が言いたいな。
 ありがとう。頑張ります!

今日のお話 12月5日(月)

金持ち父さんの名言

  私は金持ちの家に
  生まれたわけじゃない。
  学校の成績もよくなかった。
  きちんと卒業した訳じゃない。
  また、特に才能に
  恵まれたわけじゃない。
  それなのに今の私が
  たいていの人より
  ずっと金持ちでいる
  理由は簡単だ。
  立ち止まらなかったからだ。
  私は学ぶことも
  そして人生における
  可能性についての
  現実を広げることも
  決してやめなかった。 

ちょっといい話 12月2日(金)

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 14年前

 もう14年も昔の話なので、今は普通に暮しているけど、母が癌で死んだ。しかも子どもだった私達姉妹は最後まで癌だった事は知らされずに死んだ。本当に素晴らしい人だった。たぶん一生私の中で尊敬する人だし、目指すべき人でもある。抗がん剤を投与して髪が無くなり、レースのヘアーキャップをかぶって病室で笑ってる母を今でも思い出す。私の中学の入学式の日に、無理やり病室から出てきてかつらで入学式に出てくれた母。制服姿の私を見て涙する母に、大げさだなーと笑っていた私。後から聞けば、前日父から母に癌を告知されたらしい……。
 東京の病院に移り、北海道の私達の家に無言で帰宅した母に驚きでしばらく涙も出なかった。その後、癌だという事を教えてくれなかった父に激しく怒りをぶつけ、口も聞かなかった。でも、父は父で1人で辛い思いをしてきた事に気づいたのは、母が父に宛てた手紙を見つけた時だった。その手紙の日付の夜、父は真夜中まで帰って来ず目を真っ赤にして、次の日の朝笑っていた事を思い出した。この前飛行機に乗って、前列の方に遺体があるのに気づき、その後ろで黙って座っている男性を見たとき、父も同じように帰ってきたんだなと思い涙が出た。昨日から色々自分の事で悩んでいて、死んでしまいたいと思っていました。でも、このスレッドを見て死んだ母の事を思い出し、また、色々な方々の体験を読ませて貰って自分の愚かさに気づきました。

今日のお話 12月2日(金)

金持ち父さんの名言

  嘘をついたり

  他人を責めたり

  自分を正当化したり

  投げ出したり

  否定したりしていては

  何も学ぶことは出来ない。

ちょっといい話 12月1日(木)

泣ける話ちゃんねる

 錆びた缶 

 俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ……。どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
 去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。泣いたね……。初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

今日の給食 12月1日(木)

今日の給食は、「牛乳、ご飯、サケのからしマヨネーズ焼き、キャベツのおかか和え、薩摩汁」でした。
 薩摩汁は、サツマイモの汁ではなく、薩摩(現在の鹿児島県)で鶏肉や豚肉などの肉入りの味噌汁の名称です。江戸時代の日本は、肉を食べる習慣がなかったが、鹿児島地方だけは肉を食べていて、みそで煮た料理があったようです。明治時代になると、国が肉を食べることはよいことだとすすめたため、薩摩汁は全国へと広がっていきました。
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今日のお話 12月1日(木)

金持ち父さんの名言

  明日やりたいと

  思っていることを

  今日することだ。

ちょっといい話 11月30日(水)

【保存版】スカッとする話〜傑作集〜

  ある日の昼休み 

 高校生の頃の話。ある日の昼休み、隣の教室から合唱が聞こえてきた。何事かと見に行ったら、合唱部が集まって何か歌ってる。そうこうしてるうちにどんどん合唱部員が集まって、ライブみたいになってきた。訳が分からなかったので、隣のクラスにいた友人に話を聞いたら、合唱部員のいじめられっ子が、いじめっ子に、「何か歌ってよ」と絡まれたらしい。普段からおとなしくて、何か言う度にクスクス笑われるっていういじめを受けてたとか……。歌わなかったら、それこそ何を言われるか分からないので、いじめられっ子が泣きそうになりながら、小さな声で歌ってたら、通りすがりの部活仲間が事態を察して、どんどん参加し、いつの間にか他学年の合唱部員まで呼び出してこんな事になったらしい。県代表として全国大会に出る程の実力をもった合唱部が、数十人集まり全員じっといじめっ子の顔を見ながら歌ってる姿は圧巻だった。ちなみにいじめっ子は、何回か逃げようとしたが、部員が取り囲んでる上、1曲終わると間髪入れず次の曲が始まって、逃げるに逃げられない状態だった。終わったら、「この子は何にもしてないだろ」「何かしたのはむしろお前らだろ」「次やったら家まで押しかけて歌い続けてやるからな、俺らはマジでやるぞ」「県大会突破もできない弱小運動部が、合唱部をバカにするとは生意気な」と矢継ぎ早に非難の嵐でいじめっ子が謝るまでやってた。そして後から教師に聞かれても「歌ってただけです」の一点張り。あれからいじめっ子は、いじめられっ子にかかわろうとはしなくなった。もし自分がされたら、怖くて泣き出す自信があるわ。確かその年も県大会1位で突破してたし、甲子園県大会に招待されて開会式で歌ってた。

今日のお話 11月30日(水)

金持ち父さんの名言

  人生に一番害のある言葉は
  「明日」だ。
  この言葉を一番多く使うのは
  貧乏な人、成功しない人
  不幸な人、不健康な人なんだ。
  彼らはよく
  明日から投資を始めるとか
  明日からダイエットを始める
  明日から本を読むなどと言う。
  「明日」という言葉ほど
  多くの人の人生を
  だめにする言葉は他にない。
  私が明日という言葉が 問題だと言うのは
  それを一度も
  見たことがないからだ。
  明日は存在しない。
  明日は夢を見てばかりいる人
  負けてばかりいる人の
  頭の中だけに存在する。
  今日は勝者のための言葉で
  明日は敗者のための言葉だ。

ちょっといい話 11月29日(火)

泣ける話ちゃんねる

  いじめられている君へ  

                東京海洋大客員助教授・さかなクン
 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、誰も口をきかなくなったときがありました。威張っていた先輩が3年になった途端、無視されたこともありました。突然のことで、訳はわかりませんでした。でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲よく群れて泳いでいます。狭い水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。ケガしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所に住み、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
 中学時代のいじめも、小さな部活動で起きました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」と聞けませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかな釣りに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話を聞いてあげたり、励ましたりできなかったけれど、誰かが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
 ぼくは変わりものですが、大自然の中、さかなに夢中になっていたら嫌なことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中で誰かをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。        (朝日新聞2006年12月2日掲載)
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