最新更新日:2024/05/02
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 11月9日(水)

泣ける話ちゃんねる

 母は他人

 私が5歳の時、両親は離婚(原因は父のDV)。私は、母親に引き取られました。しかし、大学の卒業旅行のためパスポートを作ろうと戸籍を取り寄せたら超びっくり。私、父親と父の前妻の子どもだった。つまり、私を引き取って育てて大学まで行かせてくれた母は、父親の後妻。つまりは全くの他人。あまりの衝撃に何も言えぬまま日々を過ごし、結婚する時にやっと母に聞いてみた。母は、あっさりと事実を認めた。私の実の母は、私が1歳の時に死去。育ての母親は、私が3歳〜5歳まで父と結婚していたのだそうだ。何故他人の子を引き取った?という質問には、「あの人(私の父親)の所に置いちょったら、何されるか分からん。かわいそうじゃけ、連れて来てしもた」とのこと。私自身が親となった今でも、母の情の深さには敵わない。母は、今血の繋がらない孫達に囲まれてとても楽しそうです。

今日のお話 11月9日(水)

永 六輔の名言

 知識がありゃいいってもんじゃない。

 その知識を生かす智恵がなきゃ。

ちょっといい話 11月8日(火)

泣ける話ちゃんねる

 不思議な家族 

 よくある話でオカルトじゃないが、一生で1番不思議だと思ってる話。
 5歳下の弟は、生まれつきの脳障害+知的障害でかなり重度。障害が判明した生後3ヶ月の時は「10歳まで生きられない」と言われ人工呼吸器付けっ放し、10歳の頃には「成人できないだろう」と言われ、そんなこんなで現在24歳(私29歳)。おかんに教えられたのは「お前の弟はずっと3歳児だと思いなさい」。身体は24歳だけどね。実際は3歳児以下。言葉出ない、数かぞえられない、ボタンも1人で留められない。私が大人になるにつれ、我が弟ながら不思議なのは、「なんか言葉わかってんだよな、こいつ」「あー」「うー」程度しか声出さないけどこっちも何かわかるんだよね。家族で食事に出たりすると周囲が不思議そうにちらちら見てる。仲よいしな俺ら。誕生日にプレゼント買って帰ったりすると、昔はとにかくはしゃいでたけど、高校生くらいの頃から少し恥ずかしそうにしたりするから「オトナになったな」と思ったり。でも私やおかんが化粧してると、真似して鏡持って来たりするのはやっぱ3歳児っぽい。この脳障害の子は、大抵成人するかしないかで亡くなる。あと、表情が乏しいというか作れない。なんだけど、こいつはすんごくよく笑うんだ。満面の笑み。専門医も不思議がってるし、養護学校や作業所でも「○○ちゃんはよく笑うわねぇ」と人気。で、一番不思議なのは最初に書いた余命の件。結局今現在も(薬は手放せないけど)元気だし、一生歩けない、て言われたけど歩いてるし。
 これは全部、おかんパワーだと私は信じている。おかんは本当は専業主婦にはなりたくなくて、弟に手がかからなくなったら働くつもりだった。が、息子は大変な状態で生まれてきた。(ここで施設に預けっ放しにする親も多い)そこからのおかんは凄かった。栄養士さんに指導してもらって特別食を自分で作ることにし、入院しっ放しにはさせなかった。物凄い勢いで勉強して必死でリハビリに励んで、弟は歩けるようになった。あの余命宣告は何だったんだ?と子ども心に「医者ってアバウトだなー」とか思ってた。でも私が親のグチを聞ける程度に大人になった頃、教えてくれた。「本当は○○連れて心中するつもりだったんだよねー」、笑いながらいうなおかん。更におかんは癌になっちまって、それすらも、「息子残して死ねないし」で克服しちまった。もうここまでくると、我が母ながら頭上がらんっつーかなんだその強さ、と。おかんが私を産んだ年をもうかなり通り越してるんだけど、うちのおかんクオリティを見ていると自分が親になる自信がさすがにぐらつく。無理無理ぜってー無理、って思う。けどおかんは、「お母さんは家から出られない人生だった、あんたは結婚しても働きなさい」って言う。がむしゃらに働いてきたけど、最近おかんみたいなおかんになりたいなと思うようになった。弟もおかんも、実はおとんもすごく不思議だーと今更思う三十路目前。長文失礼。

今日のお話 11月8日(火)

永 六輔の名言

 名医は一人では名医になりません。

 その医者を支えるチームがあって

 初めて名医になれるんです。

ちょっといい話 11月7日(月)

泣ける話ちゃんねる

 ゆがんだ顔の似顔絵

 息子が母の日の似顔絵を持って帰ってきた。ゆがんだ顔におにぎりの海苔のような髪型。にじんだ目に赤い線を引いただけの口。お母さんは知ってるよ。きみがどれだけこの絵を描くのに苦労したか。息子は発達障害で、何よりも描くことが苦手だ。園の先生は「何枚も何枚も泣きながら書き直して、後ろ姿をどうやって描いたらいいかわからないってパニック起こしてたんです」と言ってた。ありがとう、一生大切にするよ。生まれて初めて描いてもらったお母さんの顔。これ、笑っているんだよね。いつか君が大きくなって、自分の世界が表現できるようになったとき、ピカソを超えるようなすごい力を手に入れると思うよ。

今日のお話 11月7日(月)

永 六輔の名言

□ 常識とは

 政治家の常識は、国民の非常識。

 同じことです。

 医者の常識は、患者の非常識なんです

  これは事実を言っているのでしょう。
   親の常識は、子どもの非常識、
   子どもの常識は、親の非常識、
  これも当てはまりそうです…。 

ちょっといい話 11月4日(金)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

 おばあちゃんの1000円札

 私の学生時代、貧乏旅行をした時です。帰途、寝台列車の切符を買ったら、残金が80円しかない!もう丸1日以上何も食べていない。家に着くのは約36時間後……。空腹をどうやり過ごすか考えつつ、駅のホームでしょんぼりしていたんです。すると、見知らぬお婆さんが心配そうな表情で声を掛けてくれた。わけを話すと、持っていた茹で卵を2個分けてくれた。さらに、私のポケットに1000円札をねじ込もうとする。さすがにそれは遠慮しようと思ったが、お婆さんいわく、「あなたが大人になって、同じ境遇の若者を見たら手を差し伸べてあげなさい。社会ってそういうものよ」私は感極まって泣いてしまった。お婆さんと別れて列車に乗り込むと、同じボックスにはお爺さんが……。最近産まれた初孫のことを詠った自作の和歌集を携えて遊びに行くという。ホチキスで留めただけの冊子だったので、あり合わせの糸を撚って紐を作り、和綴じにしてあげた。ただそれだけなんだが、お爺さんは座席の上に正座してぴったりと手をつき、まだ21歳の私に深々と頭を下げた。「あなたの心づくしは生涯忘れない。孫も果報者だ。物でお礼に代えられるとは思わないが、気は心だ。せめて弁当くらいは出させて欲しい。どうか無礼と思わんで下さい」恐縮したが、こちらの心まで温かくなりました。
 結局、車中で2度も最上級の弁当をご馳走になり、駅でお婆さんに貰ったお金は遣わずじまいだった。何か有意義なことに遣おうと思いつつ、その千円札は14年後の今もまだ手元にあります。腹立たしい老人を見ることも少なくないけれど、こういう人たちと触れ合うことができた私は物凄く幸運だし幸せものです。

今日のお話 11月4日(金)

永 六輔の名言

□ 生きるとは

 生きているということは、

 誰かに借りをつくること。

 生きてゆくということは、

 その借りを返してゆくこと。

ちょっといい話 11月2日(水)

【保存版】スカッとする話〜傑作集〜

  あんたみたいなババアはねぇ、生きている資格もありません 

 自分のじゃなくてばあちゃんの話だけど。駅の階段を登ってるときに、盲導犬を連れている人を見かけた。そしたら80歳くらいのババアがスーッと近付いてって、持っていた杖で盲導犬のお尻を殴ったそうだ。当然、盲導犬は鳴かないし止まらない。飼い主さんは気付かなかった。カッとなったばあちゃんは、そのババアの腕を掴んで、盲導犬が見えなくなるのを待って、「目の見えない人を誘導する偉い犬になにすんの!あんたみたいなババアはねぇ、生きてる資格もありません!」と言って、キョトンとしてるババア尻目に、とっとと立ち去ったそうだ。
 我がばあちゃんながら誇りに思う。

今日のお話 11月2日(水)

永 六輔の名言

□ 教育

 叱ってくれる人がいなくなったら、

 探してでも見つけなさい。


ちょっといい話 11月1日(火)

  中央大学駅伝部の主将のインタビューが名スピーチだった

 波乱の展開となった第93回箱根駅伝予選会。大正時代から続く87回連続出場の記録が途絶えた中央大学駅伝部。大会後の1年生主将のあいさつ。
 失礼します。7月より 駅伝部の新主将として 3ヶ月間やってまいりました。1年の舟津彰馬と申します。まず最初に、多くの応援を頂き本当にありがとうございました。多くの沿道の応援が、選手の力となり、予選通過とまでは行きませんでしたが、しっかりと変わった姿を見せられたと思います。自分が主将になって先輩方に迷惑をかけながら、3ヶ月間しっかりやってきました。先輩方も自分をサポートして、今までやってきて下さいました。試合を見ていただいても中央大学が前に出てレースを作っていく走り、しっかりと貪欲にタイムを狙っていく走り、見ていただいたと思います。11位という本当にあと1歩の順位で、本当に申し訳ありませんでした。この夏多くの課題をもって、しっかりとやってきました。外部から心無い声や本当に今年大丈夫なのか、と多くの声をいただきました。けど自分たちは……、やれると思って、今までやってきました。それに対して誰も文句は言えません。もし、先輩方に文句を言うような人がいれば、自分が受けて立ちます。自分にすべてぶつけて下さい。先輩に心無い声やそんなことを言うような人がいれば、自分が許しません。確かに外の人から見れば、自分たちの頑張りが足りなかったから予選通過できなかったと、それは否定できません。自分たちの頑張りが足りなかったこそ、こうやって後1位のところで(予選通過を)逃してしまったと、自分たちも分かっています。でも走る姿を見ていただいた通り、本当に 変わってきたと思います。自分が1年生主将で、本当に悔しく思った先輩もいます。だけどこうやってついてきてくれて、全員で走れたということは、これから自分の人生や先輩の人生にとっても大事になってきます。逆にここでの敗北を忘れてしまうと、人間としても選手としても成長できません。自分たちは、この日のことを忘れるわけにはいきません。忘れるつもりもありません。なので、これからまた新しい時代が始まりますが、変わらぬ応援、宜しくお願い致します。本日は、本当にありがとうございました。
 気をつけっ 礼っ!!

今日のお話 11月1日(火)

永 六輔の名言

□ 若い時代

 若いうちは貧乏がいいです。

 貧乏は歳をとってから経験するものではありません。

ちょっといい話 10月31日(月)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

 最高の車を造るからな

 3人兄弟の末っ子だったオレ。オレが小学生だった時に、兄貴が高3だった。車好きの兄貴は、自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、頭は決してよくなかったので、私立の大学にしかいける大学がなかった。兄貴は親父に「大学に行きたい。」と言ったが、親父は「家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。」と言った。かげでその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。その後、兄貴は高卒で就職した。数年後、同様に2番目の兄貴も高卒で就職した。そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。自分でいうのはなんだが、学校での成績はかなりいい方だった。しかし、親兄弟には迷惑はかけれないと進学は諦めていた。迷惑をかけないように、「オレも高校卒業したら就職するから。」って家族にいつも言っていた。そんな時、2人の兄貴が「お前は安心して好きな道を歩め。大学に行きたいなら、はっきり言え。オレがどうにかしてやる。お前は頭もいいし、オレの出来なかった夢を叶えてくれ。」と言ってくれた。嬉しかった。大声で泣いた。
 数年後、オレは無事に大学を卒業、兄貴の夢であり、オレの夢であった自動車会社に就職することができた。兄貴は喜んでくれてはいたが、さぞ悔しかっただろうと思う。申し訳ないことをしたと思っている。面と向かって言うのは照れるので、ここで言わせてもらいたい。兄貴、ありがとう。いつか、最高の車を造るからな。

今日のお話 10月31日(月)

永 六輔の名言

□ 忙しさ

 人間、ヒマになると悪口を言うようになります。

 悪口を言わない程度の忙しさは大事です。

今日のお話 10月28日(金)

永 六輔の名言

□ 若さとは

 人間、
 今が一番若いんだよ。
 明日より今日の方が若いんだから。
 いつだって、
 その人にとって今が一番若いんだよ。

 実は、いつももうこんなに歳をとってしまった!とよく思うことがありましたが、解釈しようですね。今が1番若いと解釈して意識したほうが行動できそうです。

■ 永 六輔プロフィール
 幼少期は浅草の寺に育ち、疎開先の長野で終戦を迎える。『日曜娯楽版』への投稿が縁となり三木鶏郎の下で放送作家として出発。テレビ放送黎明期に『夢であいましょう』の制作などにより一時代を築いた。また『黒い花びら』『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』など作詞家としても活躍。メディアの寵児として歩みつつも原点であるラジオを愛し『誰かとどこかで』『土曜ワイドラジオTOKYO』などの名物長寿番組がある。著述においては『大往生』ほか随筆、人語録、芸能史など多数。町人文化に軸足を置いて伝統的価値観の復権を訴えている。

ちょっといい話 10月27日(木)

泣ける話ちゃんねる

 ママ 一緒に乗り越えような

 結婚し、ようやく5年して待ちに待った子どもが産まれた。2年経って、子に障害があることが判明し、何もかもが嫌になって子どもと死のうと思った。そしたら、旦那がメールで「好きで好きでたまらない貴方と結婚できて嬉しかった。子どもが、俺たちの間に生まれてきてくれて嬉しかった。でも、障害があることが分かって、貴方は苦しんでるね。子どもは、きっと世界一幸せだと思うよ。貴方とオレの子だから。人より遠回りするかも知れない、ゆっくり成長するかも知れない、でもその分、いろんなものが見れるよね。2人3脚でしっかり歩いて行こうよ!本日の幸せ。子どもが『ママ〜すき!』と言えた。ありえない時間に起きて(朝5時)3人でした散歩、思いのほか楽しかったな。夕飯のぶり大根うまかった!3人で入った狭いギューギューのお風呂、たまにはいいもんだ。なっ!今日だけでこんなにいっぱい楽しい事あったろ?明日は、どんな幸せあるかな^^、なっママ。最後に、子どもが寝たらDVD観よ!奮発して買ってきたぞ!ママの好きな「古畑」。もういっこ幸せ増えたな。辛いことは、日にそう何回もあるもんじゃない。楽しいこと、幸せなことは日に何度でもある。ママ、一緒に乗り越えような!」
 これ見て、立ち直り、しっかり受け止めて約束通り、2人3脚で楽しく過ごしています。

今日のお話 10月27日(木)

◇ 20代からの自分を強くする「あかさたなはまやらわ」の法則

 □ ヤ行・ラ行

【や】やり直すのに遅いことはないこと
【ゆ】勇気は体験から生まれること
【よ】余裕がないと人を傷つけること
【ら】ライバルがいたほうが良いこと
【り】リラックスを心がけること
【る】ルールを破っても良いこと
【れ】冷静になって考えること
【ろ】ロマンを忘れないこと
【わ】わかっているのとできるのは違うこと

ちょっといい話 10月26日(水)

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 おばちゃんとの約束

 子どもの頃よく通ってて、仲良かったおもちゃ屋のおばちゃん(当時)。自分にも子どもができたら、そこで思い出話の1つもしながら、子どもに何か買おうと思ってて、おばちゃんも「将来、○○君(俺)に子どもができたら、おばちゃんが何かプレゼントしてあげる」と冗談交じりに言ってた。
 そんな俺に子どもができて、数年がたった。やっとおもちゃにも興味をもち、「ヒーローの変身セットが欲しい」と言う。しばらく振りに実家に帰り、そのおもちゃ屋に行った。気分は子どものまま。「おばちゃ〜ん!こんにちは!」出てきたのは40歳前の綺麗な奥さんだった。「あれ、おばちゃんは?分厚いメガネ掛けてて、昔レジに立ってたと思うんですけど?」「母です。去年の暮れ亡くなりました。不慮の事故で……。」歳だとはいえ、まだ亡くなる様な歳だと思ってなかったからショックだった。取り敢えずお線香をあげさせて貰った。すると娘さんが奥からショベルカーのおもちゃを出してきて、聞けば亡くなる1ヶ月前にふと思い出したかの様に、近所に住む俺の親戚から子どもがいる事を聞いたのを娘さんにポツリと話し出し、約束は守らなきゃとラッピングまでしてくれていたらしい。
 泣いた。息子の目の前で大粒の涙を流して泣いた。あんなガキの頃の口約束を覚えていてくれたなんて。亡くなった事のショックと、おばちゃんのやさしさが本当に心に染みた。おばちゃん、ありがとう。息子に大事に使うように言うよ!いつか、お礼言いに行くから。

今日のお話 10月26日(水)

◇ 20代からの自分を強くする「あかさたなはまやらわ」の法則

 □ マ行

【ま】迷ったらすぐにやってみること
【み】みんなという言葉に安心しないこと
【む】群れずに「違い」を意識すること
【め】目上の人に甘えてもいいこと
【も】目的がない行動は無駄であること

ちょっといい話 10月25日(火)

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 中2の秋のある日、姉といつものように口喧嘩した話 233 

 中2ぐらいの頃の話です。うちは家族が、おかんと姉ちゃんしかいません。だから、ちょっと貧乏でした。ちょうど思春期真っ只中な時期に、貧乏なのが恥ずかしいっていう気持ちがあり、ちょっと反抗的でした。その頃よく姉ちゃんと口喧嘩していて、事あるごとに衝突していました。
 中2の秋のある日、いつものように口喧嘩していました。姉ちゃんが、俺のする事にいちいち口を挟んでくるのが嫌で、俺は姉ちゃんじゃないから口出すなって言いたくて、「他人なんだから関係ないだろ!」って怒鳴りました。そしたら、急に姉ちゃんの顔が鬼のように恐くなり、胸ぐらを捕まれて壁に押しつけられました。年齢が5才上の姉ちゃんの力は強くてかなり痛かったです。「いってーな!!」って怒鳴りながら姉ちゃんを睨みつけたら、鬼のような顔のままボロボロ泣いてました。びっくりしてたら、姉ちゃんに「他人なわけねーだろ!!、家族なんだよ!!、わざわざ他人なんかに口だししねーよ!!、家族だから心配なんだろ!!、大事な弟なんだよ!!。」って怒鳴られました。そこで、自分が言ったことを理解しました。その瞬間、涙が溢れ出てきました。止めたくても止められなくて、声にならない声で謝りました。しばらく二人で大泣きしてました。
 思えば、普段は憎まれ口を叩いてたけど、本当に辛いときはいつも助けてくれてました。小さい頃もおかんが仕事でいないとき、ずっと一緒にいてくれてました。姉ちゃんも『おかん』でした。そんな姉ちゃんも今月結婚しました。旦那さんと一緒にいるときとても幸せそうでした。姉ちゃんが幸せになってよかったです。シスコンって言われても、俺は姉ちゃんが大好きです。いつもありがとう!
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