最新更新日:2024/05/17
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 5月12日(木)

泣ける映画と本のホームページより

 奇跡の手紙

 ウェディングプランナー有賀明美さんのブログより! 超感動です!
 先日、お手伝いさせていただいた結婚式でとっても素敵なキセキが起きました。
 お父様のことがとても大好きなご新婦。一足さきに海外で挙げた結婚式で、お父様とバージンロードを歩いた時の幸せだったそのときの気持ちを嬉しそうに何度もお話してくだいました。バージンロードを歩くご新婦とお父様のお写真も見せて頂き、お父様の表情を見ていたら、きっとお父様も愛する娘へ伝えたいお気持ちが、たくさんあるんだろうなぁと感じました。花嫁の父こそきっと心に秘めた様々な想いがたくさんあるはず。でも、なかなか披露宴の中で花嫁の父が想いを伝える機会はありません。なければ、つくればいい。というわけで、ご新郎のご協力のもとご新婦のお父様へ連絡をし、愛する娘へ伝えたい素直なお気持ちをお手紙につづってきて頂くお願いをしました。照れくさくて無理、と断られるのも覚悟していましたが思いのほか、「伝えたいことがたくさんありすぎてうまくまとめられるかな……」という前向きなお答え( ´艸`)
 披露宴当日、お父様のお席へご挨拶へうかがいました。「お手紙……、書いていただけましたか?」そんな私の質問に照れくさそうに胸ポケットから取り出したのは、くしゃくしゃの紙。それは、何度も何度も書き直し、読み返した跡の残るくしゃくしゃになったお手紙でした。そのくしゃくしゃの手紙を見た瞬間、何だかいろんなお父様の想いが伝わってきて、思わず胸があつくなってしまいました。披露宴も終盤。本来なら花嫁のお手紙の時間。「ここで、新婦から感謝のお気持ちを込めてご両親へお手紙を……、と言いたいところですが、その前に……」、お父様にスポットがあたります。驚くご新婦。ざわめく会場。前代未聞の花嫁の父のお手紙の朗読です。
 「娘が生まれるとわかった瞬間、嬉しくて嬉しくて……。幼いころはおてんばだった君、怪我をしないか毎日気が気じゃなくて……。」溢れ出す愛が溢れた想い出話に、新婦も会場のゲストも涙を流しながら聞き入り、本当に温かい優しい空気が会場を包んでいました。そして、こんなエピソードが。「君は小学生のころ、学校でいじめに合っていました。毎日泣きながら帰ってくる君。学校に行きたくないと駄々をこねる君を厳しく叱ってしまったこともありました。けれど、君が眠りについた後、厳しく叱ってしまったことを後悔しながら、君の寝顔を眺めながら、この子だけは何があっても守りぬかなくては!どんなことがあっても自分はこの子の味方でいよう!と頬を撫でて語りかけていたものでした。」
 このエピソードがお父様の口から語られた瞬間、ご新婦は堰をきったように顔を覆って涙されました。その理由はすぐにわかりました。いよいよ、花嫁からのお手紙。そのお手紙の中に何とこんなエピソードがありました。
 「私が小学生の頃、学校でいじめに合っていました。つらくてつらくて、学校に行きたくなくて……。そうお父さんに伝えると厳しく怒られたこともありました。でも、泣きながら私がお布団に入ってしばらくたつと、お父さんはそっと私の隣にやってきて、私のほっぺたを何度も撫でてくれましたね。その手があったかくて優しくてとても安心して、明日も頑張ろうと思えました。お父さんはきっと今日まで、私がすっかり寝ていると思っていたと思うけど、本当は私、毎晩、起きていたんですよ。お父さん、あのときはありがとう」そう言って、にっこりとお父様のほうに笑いかけるご新婦。今度はお父様が顔を覆って涙される番でした。何十年ぶりに魔法が溶けたように明かされたある日の父と娘の素敵な記憶。お父様からのお手紙とご新婦からのお手紙とその両方のエピソードが重なった瞬間、幼い新婦の頬を撫でて優しく語り掛けるお父様と、寝たふりをしながらそんなお父様の気持ちを嬉しく感じている父娘の姿が、その情景が鮮明に浮かんできて……。
 私は……。会場の隅のPA室の裏に隠れて……、涙が止まりませんでした。会場もこの素敵な偶然のキセキに感動に包まれ、父娘に贈る温かく優しい拍手がしばらく鳴り止みませんでした。
 そこにいる人のすべての心がひとつになった瞬間。〜 One Heart Wedding  〜。まさに体感した瞬間でした。

楽田小学校 学びの学校づくり 5月12日(木)

 「楽田小学校 学びの学校づくり」をアップしました。

http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 5月12日(木)

    竹村 健一の名言

  チャンスの女神というのは 

  非常に短気だから、

  あまりゴチャゴチャいってると、

  サッサと場所を替えてしまう。

ちょっといい話 5月11日(水)

泣ける映画と本のホームページより

   親孝行したくなるコピペ   

 内定0の状態が延々と続き、しかも本命の最終落ち…。と鬱なときに親に電話してみた。その日はおやじの誕生日。「内定をプレゼントしたかったんだけどねー」とおれ。いつもはあんまりしゃべらないおやじが一言、「それでもがんばるお前の姿が今年の誕生日プレゼントだ」。親の前(電話口だけど)ではじめて号泣した。悔しいのとうれしいのと、たかが就活でここまで弱ってる自分が情けなくて…。でも、本当に親を大切にしなきゃっておもった。
 「親父ありがとう」…

今日のお話 5月11日(水)

    竹村 健一の名言

  人間の大きさは

  プライドに比例すると思う。

  小さなことを気にしたり、

  小さなことで傷ついたりするのは、

  プライドが低い証拠だ。

  プライドが低ければ低いほど、

  世にプライドを傷つける種も

  多いことになる。

  たとえば

  「自分はいかなる場合でも、

  決して人にバカにされたくない」

  と考えていたとしても、

  世にあるかぎり、

  それは不可能に近い。

  道を歩いていて、

  つまづいて転んでも、

  笑う人は笑うのだ。

  「そんな連中に笑われたっていい。

  たかがつまずいただけではないか。」

  そう思ったとき、

  プライドは

  ぐんと高くなったことになる。

  今度他人がつまずくのを見たら、

  「大丈夫ですか?」と

  声をかけたい心境にもなろう。

ちょっといい話 5月10日(火)

 学校に行きたいな -女の子と連絡帳-

 俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初は「あいつだけズルイなぁ……。」なんて思ってたよ。んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して……。それの繰り返し。「なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!」って、一人でブーたれてたのをよく覚えてる。
 そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。ただの興味本位だったんだけど。連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。『今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。学校に行けば、私も輪に入れるのかな……。』
 ショックだった。学校行かないのって楽な事だと思ってたから。ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、
普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。「いつでも、待ってるからな。体がよくなったら遊ぼうな!」って。でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに「もう、連絡帳は届けなくていいの。」って言われた。あまりにも突然だった。俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。「この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないだん。」そんな事考えたら涙が溢れて、止まらなくって……。ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。
 そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。就職したり、結婚したり、子どもが生まれたり……。今まで、本当にいろんな事があった。時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。

 『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね。』

今日のお話 5月10日(火)

    竹村 健一の名言

  人生の目指す頂上は

  人それぞれ。

  そして、その頂上へ登るルートも

  決して一つではない。

  右から登っても、

  左から登っても、

  回り道をしても、

  最終的に

  頂上にたどり着きさえすれば

  いいわけだ。

□ 竹村健一 プロフィール
 大阪府出身のジャーナリスト、評論家、著述家。毎日新聞社の英語新聞「Mainichi Daily News」の記者を経て、「山陽特殊鋼」へ入社。その後「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学」客員教授などを務める。その後、文筆活動を開始。パイプを銜えた独特な風貌や独特の口調でも有名であり、多くの芸人が物真似芸を披露している。

ちょっといい話 5月9日(月)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   兄弟3人で暮らさないか

 両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。俺はびっくりした。
兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」
なんて事を言ってた。俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから、頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。
 それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった……。葬式で俺も妹も泣きじゃくった。葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実を知ることになった。
 両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった……。色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた……。強くておもろくてやさしかった……。自分の小遣いからお菓子買ってくれてた……。俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った……。いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった……。自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった……。おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった……。俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声を押し殺して泣いてたの知ってたよ……。
 やべえ思い出して……。もうこれ以上書けねえわ 何もできんかったわ……。ホントなんも……。
 最後に言わせて。 最強最高の兄ちゃん!!!。あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。

ありがとう。ありがとう!!!

今日のお話 5月9日(月)

    渡辺和子の名言

  例えば日常の挨拶。

  相手の方に期待した

  “欲しいな”と思うものが

  もらえなかった時

  それは一つの損を

  したわけです。

  けれども、シングルに

  損を終わらせないで

  もう一つ損をする。

  くださらなかった方を許し

  むしろこちらのほうから

  差し上げる。

  それは「ダブルの損」

  なのですが

  この「ダブルの損」をして

  初めて愛が生まれ

  主体性が保たれるのです。

  「求めるよりも

  与えるのが本当の愛」

  ということです。

ちょっといい話 5月6日(金)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

 俺が守ってやる  掲載

 中学の頃、学校でいじめにあっていた。教室に入れなくていつも保健室に通っていたいじめの事は家族にも言っていない。ただ私のワガママで保健室に通っているだけ、と教師両親は思っていた。いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった……。でもまわりに心配かけたくなくて、いつも無理して笑っていた。
 辛くて孤独でどうしようもなくて、死んでしまおうと決心した日、高校生の兄が修学旅行から帰ってきて私にお土産をくれた。どこかのドライブインに売っているような、キーホルダーのオルゴール。長崎に行ってきたハズなのに……。幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、兄にはいつもイジメられた記憶しかない。だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった。そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、私はそのお土産を「こんなのいらない!」と投げつけてしまった…。すると、その衝撃でオルゴールが鳴った、題名は知らないけど、「涙など見せない強気なアナタをこんなに悲しませてるのは誰なの?」っていう歌詞の曲が……。兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ。
 兄は泣いていた。初めて兄が泣いているのを見て、呆然としていると、兄がポソリと言った。「お前をイジメていいのは兄貴の俺だけだ。それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない。俺は知ってるから、お前が家で我慢して笑ってる事。小さい頃からいつも俺の前で泣いてたんだから、我慢なんかしなくていいんだぞ。俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、他人に妹をイジメられて黙っていられる兄貴じゃないからな。」その言葉を聞いて、私は号泣、学校のイジメの事を全て吐き出しました。泣きすぎて喘息で咳き込みながら、全部……。兄は横に座って聞いてくれていました。全部話し終わると、「よく頑張った」とひとこと言って頭をポンポンとなで、「今日は寝ろ、明日は学校行かなくていい」と言って部屋から出て行きました。しばらく1階で母親と兄が会話している声が聞こえてきました。
 翌日からしばらく学校を休み、再び登校すると、イジメはかなりされなくなっていました。教師に聞くと、兄が中学の職員室に乗り込み、ぶちギレて言った様でした。高校の生徒会長が乗り込んできたため、教師も慌ててイジメに関して動き、結果私を含め多人数がイジメの被害にあっていた事も判明しました。
 その何年か後、私は旦那と知り合い、結婚式を挙げた時、兄貴は「小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た。でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。」と……。兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ。お返しに今日は私が兄ちゃんを泣かすから。

楽田小学校 「いじめ防止基本方針」 5月6日(金)

楽田小学校 「いじめ防止基本方針」をアップしました。

 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 5月6日(金)

    渡辺和子の名言

  不要な枝葉を切り落とし

  身軽になること。

  維持や執着を捨てて

  素直になること。

  他人の意見に耳を傾けて

  謙虚になることが

  成熟ということ。

ちょっといい話 5がつ

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   ひらがなの手紙

 私が幼稚園のときに亡くなったお母さん。当時ひらがなを覚えたての私が読めるように、ひらがなオンリーの手紙を遺してくれた。

  みいちゃんが
  おかあさんのおなかにやってきてくれた
  あのひからずっとおかあさんは 
  せかいでいちばんのしあわせを
  みいちゃんからもらっています。
  おかあさんのだいすきなだいすきな 
  だいじなだいじな みいちゃん。
  こんどはみいちゃんが 
  せかいでいちばんしあわせになってね。

 お母さん、私、この秋に結婚するよ。世界で一番幸せになるよ。

今日のお話 5月2日(月)

    渡辺和子の名言

  大切なのは

  「人のために進んで

  何かをする」こと。

  「人に迷惑をかけない」から

  もう一歩進んで

  「手を差し伸べる」気持ちが

  愛の実践につながる。

ちょっといい話 4月28日(木)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   ぼくもう3年生やもん 

 JR大久保駅(兵庫県)から通勤してたんですが、週2日は10時までに舞子に着けばよい時期がありました。朝ゆっくりできるし、電車は空いてて快適でした。ホームへの階段降りてすぐベンチがあり、そこに書類カバン置いて缶コーヒー飲んでると…、「おかぁちゃん!ここ座れるで!座りや!」と小学生くらいの男の子。しまったと思い、俺はベンチのカバンをどけました。「ほら2人座れんでー」、母親と目が合い、俺は座るとこにかばん置いてたバツの悪さから会釈しました。「おっちゃん!ここ座るとこやで!モノ置いたらあかんねんで〜」、「ごめんな〜ぼうず偉いな〜」、「ボクもう3年生やもん」(おい鼻水出てるぞ)
 親子はそこから2つ目の明石駅で降りて行った。仲よさそうで、なんだかいいなぁって思いました。
 それからも何度かこの親子と一緒になりました。「おっちゃん、また大きいカバン持って…、仕事大変やな〜」、タメ口…。その度にこのガキとは話をするようになったんですが「おかあちゃん おかぁちゃん」、言ってるこいつがまぁまぁカワイく思ってました。
 ところがしばらくこの親子とは会わなくなり、俺もこの遅い出勤がなくなってしまってた頃。その日は日曜に休日出勤になってしまい 、お昼頃ホームで電車を待ってると、例のガキがその日は父親といました。「今日はおとんとお出掛けか?」、「うん!いまからおかぁちゃんとこ行くねん」(え?親て別居中?)、「おかぁちゃん病院おってんけど今日帰ってくんねん」。へえ…こいつが母親を気遣ってたんは通院の付き添いやったからか。いいとこあるやん。「おっちゃんも仕事頑張れやぁ」、 やっぱタメ口…。
 それから半年くらいたって、駅前がクリスマス一色になった頃に再び俺はそのガキに会いました。「今日は1人か?おかんは元気か?」、「おかぁちゃん死んでもてん…」情けない大人で何も言ってやれないまま同じ電車に乗りました。そんな重い病気やったんや…、だからこいつはあんなに気遣って、おかぁちゃんおかぁちゃんて…。この半年めちゃ悲しい思いしたんやろなぁ、とか考えてたら電車の窓の外見ながら泣けてきました。俺が降りる駅が近づいてきて、「どこまで行くん?ひとりで大丈夫か?」「大丈夫や!ボクもう3年生やもん」(今日は俺が鼻水出してた)

今日のお話 4月27日(水)

    渡辺和子の名言

  一生の終わりに残るものは

  自分が集めたものではなく

  自分が与えたもの。

ちょっといい話 4月27日(水)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   天国からのビデオレター 

 サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。その時、サキちゃんはまだ2歳。「あなた、サキのためにビデオを3本残します。このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。そして3本目は…。○○○の日に見せてあげてください」まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。
 そして、サキちゃんの3歳の誕生日。
 1本目のビデオがかけられた。(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」
 サキちゃんの小学校入学の日。
 2本目のビデオ。「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。サキちゃん、ちゃんと聞いてね。ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」
 そして3本目のビデオ。
 そのタイトルは、こう書いてあった。新しいママが来た日のサキちゃんに。そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。なつかしいママの顔が映し出された。「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。……。サキちゃん。今日で本当にお別れです。……。サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)ママ、もっと生きたい…。あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。あなたの成長を見つめていたい…。じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。それは、『ママを忘れる魔法』です。ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」そこでビデオは終わった。
 しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。パパと、新しいママにも効かなかった。ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
 天国のママに見てもらうために

今日のお話 4月27日(水)

    渡辺和子の名言

  この世に「雑用」

  という用はありません。

  私たちが用を雑にした時に

  雑用が生まれます。

ちょっといい話 4月26日(火)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   オムライスとご飯

 20年前ぐらいの前の話。当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。子ども3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。それでもどん底だった……
 俺は中学卒業してすぐ働きに出た。死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。飯食いに行こうって話になった。
 メニューの漢字……読めなかった。読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。店員、固まってた。クスクスって笑い声も聞こえてきた。
 そしたら同級生、「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」……。
 店出た後、同級生が一言、「うまかったな」って言った。「仕事がんばれよ」って言ってくれた。
 泣けてきた。心の底から人に「ありがとう」って思った。そいつは今でも親友です。

今日のお話 4月26日(火)

    渡辺和子の名言

  今という瞬間は

  今を先立つわたしの歴史の

  集大成であると同時に

  今をどう生きるかが

  次の自分を決定する

  ということです。

  人生は点のつながりとして

  一つの線であって

  遊離した今というものはなく

  過去とつながり

  そして未来と

  つながっている。

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犬山市立楽田小学校
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