最新更新日:2024/04/26
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 7月14日(木)

泣ける話ちゃんねる

 がんばる  

 がんばるという意味……。
 親友からの電話。「足が痛いから入院するよ。大した事はない、1週間くらいだって」笑いながらの連絡だった。「そっか、がんばれよ」、まあ日常的な会話。その時大して気には止めなかった。1週間後、まだ入院してるとのこと。本を土産に病院を訪ねた。病室に入ると、そこには右足の無い親友がいた。一気に視野が狭まり、親友が見えなくなった。その日の夜、久しぶりに自転車で一緒に通った高校まで走ってみた。16年前と景色はさほど変わりない。田んぼ道、涙が溢れて止まらなかった。
 もうその親友はいない。癌だった。足を切断しても全身への転移は止められなかったらしい。でも親友は死ぬ直前まで生きることをあきらめてはいなかった。死ぬ前の日、「足が痛いんだ。退院した後困るからさすってくれよ」「今まで親に迷惑かけたからさ、退院したら家の事業継ごうと思うんだ。帳簿だけでもつけれるようになりたいから簿記教えてくれよ。」がんばってた。すごくがんばってた。
 その日から自分自身、「がんばる」って言葉を使わなくなった。というか使えなくなった。親友に失礼で……。何十年後か親友に会うことがあるだろう。「いい人生送れたかい?」と聞かれたら、「うん、がんばったよ」と言えるような人生を送りたい。

今日のお話

    田中角栄の名言

  自分が今のところまで来たのは、

  自分から求めるよりも、

  周りから支えられたものに忠実だったから……

  と云った方が当たっている。

  与えられた仕事に全力を尽くすことが、

  新しい場面を開く結果になるものだ

ちょっといい話 7月13日(水)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  おじいちゃんの2回目のプロポーズ

 この話は悲しい話ではありますが感動します。見てください。
 僕のおじいちゃんは、某有名大学出身でとても頭も賢く、運動神経も抜群で、小さい頃はよく勉強やスポーツなど、色々とおじいちゃんに教えてもらっていた。そんなおじいちゃんが大好きで尊敬していたし、誇りでもあった。しかし、今はおじいちゃんに勉強を教えてもらっていない。正確に言えば、教えてもらう事ができなくなってしまった。僕が高校2年生の頃、おじいちゃんは痴呆症になってしまったのだ。今では、僕の事も、実の娘の僕の母親も分からなくなってしまって、いつも僕たちに、「初めまして」とあいさつをしてくる。唯一、奥さんである僕のおばあちゃんの事は分かっているみたいだったけど、ここ最近になって、おばあちゃんの事も分からなくなってしまった。しかし、おばあちゃんは毎日笑顔で、懸命におじいちゃんの世話をしていた。
 今年の年初め、家族みんなで集まって家でごはんを食べようとなり、久々に家族全員で集まることになった。家族の誰一人分からなくなってしまって、とても緊張をしているおじいちゃんに、おばあちゃんが笑顔で家族のみんなを紹介していった。すると、いきなり、おじいちゃんは真剣な顔をして、おばあちゃんに向かって話し出した。「あなたは、本当に素晴らしいお方だ。いつも素敵な笑顔で、僕に笑いかけてくる……。あなたが笑ってくれたら、僕はとても 幸せな気持ちになれます。もし、独り身なら、ぼ、僕と結婚してくれませんか?」家族全員の前でのプロポーズだった。2回目のプロポーズに、涙をぽろぽろこぼしながら、おばあちゃんは笑顔で、「はい」と答えた。
 みんな感動しすぎて泣きじゃくりました。本当にいいおじいちゃんをもちました!

今日のお話 7月13日(水)

    吉川英治の名言

  晴れた日は晴れを愛し、

  雨の日は雨を愛す。

  楽しみあるところに楽しみ、

  楽しみなきところに楽しむ。

□ 吉川英治プロフィール
 戦前から戦後にかけて活躍した日本を代表する国民文学作家。司馬遼太郎と並び日本を代表する歴史文学作家として高い人気を誇っている人物であり、様々な職を経て作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家としての地位を確立。1935年から連載を開始した『宮本武蔵』(NHK大河ドラマ・映画化)は幅広い読者層を獲得し、大衆小説の代表的な作品となる。戦後は『新・平家物語』『私本太平記』を執筆した。

ちょっといい話 7月12日(火)

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  不器用な俺 

 俺はいつも笑ってるからって、悩んでないわけじゃないし、
 弱音を吐かないからって、辛くないわけじゃないし、
 強く見えるからって、強いとは限らないし、
 友達が多いからって、独りじゃないわけでもない。
 なかなか人前で本心を見せられないだけ、
 不器用なだけかもしれない。
 ただの「強がり」って言われればそれまでな小さな男……。
 でもなんか弱さを見せれないんです。
 そんな俺……。

今日のお話 7月12日(火)

    田中角栄の名言

  私は小学校高等科の卒業である。

  しかし、いささか仕事のコツはしっている。

  われと思わん者は、遠慮なく大臣室へ来てくれ。

  上司の許可は要らない。

  何でも言ってくれ。

  できることはやる。

  できないことはやらない。

  すべての責任は、この田中角栄がとる。

ちょっといい話 7月11日(月)

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  鏡の前で笑顔の練習をする中学生の弟の話

 もう何年も前になる。中学生の弟が鏡の前で1人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。服や髪に気を遣いだし、彼女ができたと喜んでた時期だった。だから今度は、笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。その後もそういう姿を幾度か見掛けた。どれだけか経って、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
 前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて、「○○(弟)は、笑ったらお父さんにそっくり!」って言ってたんだよ。俺から見ても、確かによく似てる。父が死んだのは弟がまだ幼いときで、弟は父の顔を憶えていない。父は写真を撮られるのが苦手だったから、笑顔の写真が1枚もない。弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。でも、そんなわけないんだよな。弟は、ああやって父に会ってたのかと思うと、なぜか弟に申し訳なく切なくなる。
 あの時、からかわなくてよかった。

今日のお話 7月11日(月)

    田中角栄の名言

  休まなきゃならんけどね、

  働いてから休め。

  それから いい時ばっかりじゃないから

  悪い時は、うち(家)に戻ってこい、

  貸した金は忘れてもいいから

  借りた金はね、返すまで絶対に一生覚えてろ、

  それだけは今でもね 死ぬまで忘れてらんねぇな

   (実母から言われたこと)

ちょっといい話 7月8日(金)

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  余命宣告された父からのメール

 余命宣告された父からのメールになります。このメールは余命があと数ヶ月と知らされた父から届いた最後のメールになります。今思い出しても泣けてきます。
 お前達がいつか結婚する時の為にお父さんコツコツと積み立てしてきたんだよ。悔しいよ。お前たちの晴れ舞台が見れなくて……。
 普段は無口な父の娘に対する強い愛情を知ったと同時に、「悔しいよ」の一言から父の色々な思いがすごく伝わり、携帯を握ったまま私は小さい子どもみたいに声を上げて泣きました。本当にどうしたらいいの……。

今日のお話 7月8日(金)

    田中角栄の名言

  好むと好まざるとに関わらず、

  たたなければならない時がある。

  総理という職責は、なりたいと思ってもなれない。

  なりたくないと思っていても、

  やらなければならない時があるんだよ

今日のお話 7月7日(木)

    田中角栄の名言

  遠くの親類よりも近くの他人が大切だ。

  自分だけが金持ちになっても、

  近所隣が貧乏では、結局、やっていけない。

  裕福になってもらうことだ。

  そのためには金を持っている奴が金を出して、

  まわりを助けてあげなくてはならない。

  みんながよくなれば、自分もまた、よくなる。

ちょっといい話 7月6日(水)

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  昔話の感動する話

 昔話の感動する話になります。この話を見ると心にゆとりが大切だなと感じました。他人を思いやる気持ちをもって下さいね。
 地獄にある食堂のテーブルの上には、たくさんの美味しそうなお料理がのっているそうです。食事の時間になると、地獄にいる人間達が食堂に続々と入ってくるそうです。彼らは、いつも愚痴ばかりで不平不満をこぼしてます。その性格が滲み出てるのか、顔まで嫌な顔をしているそうです。体は餓鬼ように骨と皮だけのやせ細った手足に、ぽっこりと膨らんだお腹をしています。これはよく漫画で見る光景ですよね。みんな、テーブルを囲んで席に着きました。テーブルの上には、長い長いお箸が置いてあります。手で食事をする事を禁じられているので、その長いお箸を使って食事をしなくてはなりません。彼らは、必死にそのお箸でご馳走を食べようとするのですが、お箸が長すぎて自分の口に食べ物が入りません。結局、何も食べる事ができず空腹のまま愚痴をこぼしながら食堂を出ていきました。
 一方、天国の食堂はというと、テーブルには地獄の食堂と同様に美味しそうなお料理が並んでいます。天国にいる人達はいつもニコニコ幸せそうな顔をしてます。食事が始まると、彼らはテーブルを挟んで座り、地獄に住む人達と同じ長いお箸を使って食事を始めました。もちろん天国でも手で食べることは許されてませんが、みんな楽しそうに食事をしています。地獄の食堂と違う唯一の点は、彼らはそのお箸を使って、自分の向かい側に座る人に食べさせてあげてるんです。そのため全員が楽しく食事ができて、満足そうに食堂をあとにしました。天国でも地獄でもおいてあるものは何も変わりがありません。何一つ変わりがないのに、自分の事ばかり考えていては幸せにはなれない。相手のことを考えられたならば、自分も幸せになれる。この心のあり方が大切ですよね。

今日のお話

    田中角栄の名言

  世の中には他人様の噂話、

  伝聞をいつもポケットに入れ、

  それを放出することで

  1日の生活が回っているアホがいる。

  自分の言葉無いのは寂しいことである。

ちょっといい話 7月5日(火)

泣ける話ちゃんねる

  祖母の手紙 

 彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。それが反対の理由でした。「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母にもそう言い放ったんです。その2日後でした。彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。探して探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
 もう10年近く前の話です。祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。その時の手紙です。
●●へ(彼の名前)
 ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。貴方のお父さんとお母さんが死んだ時、私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。ばあちゃんは年であるしお金もない。何も何も持ってはおりません。貴方への愛情だけです。そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた、とてもとてもよい子に育ってくれました。そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。幸せになってください。ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。とてもとても幸せでした。
 妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。

今日のお話 7月5日(火)

    田中角栄の名言

  僕は運だけでここまで来た。

  人間の一生というのは、結局、運だ。

  実力があり、いくら自分が自負してもダメなものはダメ。

  努力、努力。努力と根気と勉強。

  こういったものが、運を捕らえるきっかけになる。

ちょっといい話 7月4日(月)

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  妹の携帯電話

 妹が亡くなって2年の歳月が流れました。妹からの最後のメールを見て命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か……。白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦しむだけで短い生涯を終えた。14才でした。
 妹が2才半のとき、微熱が続き、病院に行ったときには「白血病」と診断……。その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした。「妹がいなければ遊びに行けたのに!!」当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。でも、両親が妹ばかり世話し、愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね。
 その妹が亡くなって2年。両親は抜け殻がとれたような静けさです。私もですが。99年の12月中旬、突然妹が「携帯電話がほしい」と、言い出しました。私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね。もちろん大急ぎで買いに行きました。そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。そして、私が家に帰る頃には、正午を過ぎてクリスマスを迎えた寒い夜になっていました。寝ようと思ったら妹からのメールです。「さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。迷惑ばかりかけてごめんね。おにいちゃん。ありがとう」。これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、「病院に行くから支度しなさい」、「さっき別れたばかりなのにまた行くの?なんで?」と思いました。病院に行くと、さっきまで元気だった妹が顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。あとで看護婦さんに聞いてわかったことなんですが、携帯電話を強く握り締めて離すのにたいへんだったと……。それを聞いて涙がいっぱいあふれました。妹の携帯電話は解約しましたが、2年経ったいまでも遺影の横にそっと置いてあります。 妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。
 天国でも携帯電話が使えるといいなぁ。

今日のお話 7月4日(月)

    田中角栄の名言

  無理は、しなければ、しないほうがいいんだよ。

  苦労というものは、いい部分もあるが、悪い部分もある。

  苦労はしてもいいけど、無駄な苦労はしないほうがいいんだ。

ちょっといい話 7月1日(金)

泣ける話ちゃんねる

  親へのプレゼント 

 社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。
 服でもバックでも、他に何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。
 今でも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。いつも素直になれなくてごめん。マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。
 おまいら生きてるうちに親孝行しとけ。いなくなってからじゃ後悔しかできないぞ。これはマジだ。

今日のお話 7月1日(金)

    田中角栄の名言

  人間は、

  やっぱり出来損ないだ。

  みんな失敗もする。

  その出来損ないの人間そのままを

  愛せるかどうかなんだ。

  政治家を志す人間は、

  人を愛さなきゃダメだ。

  東大を出た頭のいい奴はみんな、

  あるべき姿を愛そうとするから、

  現実の人間を軽蔑してしまう。

  それが大衆軽視につながる。

  それではダメなんだ。

  そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、

  その人たちを

  そのままで愛さなきゃならない。

  そこにしか政治はないんだ。

  政治の原点はそこにあるんだ。

ちょっといい話 6月30日(木)

泣ける話ちゃんねる

  双六

 オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。当初、見知らぬ土地に来て間もなく、当然友達もいない。いつしかオレはノートに、自分が考えた双六を書くのに夢中になっていた。それをばあちゃんに見せては、「ここでモンスターが出るんだよ」、「ここに止まったら3回休み〜」、ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。やがてオレにも友達ができ、そんなこともせず、友達と遊びまくってた頃、家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
 先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。開いてみると、そこには、ばあちゃんが作った双六が書いてあった。モンスターの絵らしきものが書かれていたり、何故かぬらりひょんとか妖怪も混じっていたり……。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
 最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように……」。人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
 ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
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