最新更新日:2024/05/07
本日:count up3
昨日:169
総数:663433
令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっといい話 7月8日(金)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  余命宣告された父からのメール

 余命宣告された父からのメールになります。このメールは余命があと数ヶ月と知らされた父から届いた最後のメールになります。今思い出しても泣けてきます。
 お前達がいつか結婚する時の為にお父さんコツコツと積み立てしてきたんだよ。悔しいよ。お前たちの晴れ舞台が見れなくて……。
 普段は無口な父の娘に対する強い愛情を知ったと同時に、「悔しいよ」の一言から父の色々な思いがすごく伝わり、携帯を握ったまま私は小さい子どもみたいに声を上げて泣きました。本当にどうしたらいいの……。

今日のお話 7月8日(金)

    田中角栄の名言

  好むと好まざるとに関わらず、

  たたなければならない時がある。

  総理という職責は、なりたいと思ってもなれない。

  なりたくないと思っていても、

  やらなければならない時があるんだよ

今日のお話 7月7日(木)

    田中角栄の名言

  遠くの親類よりも近くの他人が大切だ。

  自分だけが金持ちになっても、

  近所隣が貧乏では、結局、やっていけない。

  裕福になってもらうことだ。

  そのためには金を持っている奴が金を出して、

  まわりを助けてあげなくてはならない。

  みんながよくなれば、自分もまた、よくなる。

ちょっといい話 7月6日(水)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  昔話の感動する話

 昔話の感動する話になります。この話を見ると心にゆとりが大切だなと感じました。他人を思いやる気持ちをもって下さいね。
 地獄にある食堂のテーブルの上には、たくさんの美味しそうなお料理がのっているそうです。食事の時間になると、地獄にいる人間達が食堂に続々と入ってくるそうです。彼らは、いつも愚痴ばかりで不平不満をこぼしてます。その性格が滲み出てるのか、顔まで嫌な顔をしているそうです。体は餓鬼ように骨と皮だけのやせ細った手足に、ぽっこりと膨らんだお腹をしています。これはよく漫画で見る光景ですよね。みんな、テーブルを囲んで席に着きました。テーブルの上には、長い長いお箸が置いてあります。手で食事をする事を禁じられているので、その長いお箸を使って食事をしなくてはなりません。彼らは、必死にそのお箸でご馳走を食べようとするのですが、お箸が長すぎて自分の口に食べ物が入りません。結局、何も食べる事ができず空腹のまま愚痴をこぼしながら食堂を出ていきました。
 一方、天国の食堂はというと、テーブルには地獄の食堂と同様に美味しそうなお料理が並んでいます。天国にいる人達はいつもニコニコ幸せそうな顔をしてます。食事が始まると、彼らはテーブルを挟んで座り、地獄に住む人達と同じ長いお箸を使って食事を始めました。もちろん天国でも手で食べることは許されてませんが、みんな楽しそうに食事をしています。地獄の食堂と違う唯一の点は、彼らはそのお箸を使って、自分の向かい側に座る人に食べさせてあげてるんです。そのため全員が楽しく食事ができて、満足そうに食堂をあとにしました。天国でも地獄でもおいてあるものは何も変わりがありません。何一つ変わりがないのに、自分の事ばかり考えていては幸せにはなれない。相手のことを考えられたならば、自分も幸せになれる。この心のあり方が大切ですよね。

今日のお話

    田中角栄の名言

  世の中には他人様の噂話、

  伝聞をいつもポケットに入れ、

  それを放出することで

  1日の生活が回っているアホがいる。

  自分の言葉無いのは寂しいことである。

ちょっといい話 7月5日(火)

泣ける話ちゃんねる

  祖母の手紙 

 彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。それが反対の理由でした。「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母にもそう言い放ったんです。その2日後でした。彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。探して探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
 もう10年近く前の話です。祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。その時の手紙です。
●●へ(彼の名前)
 ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。貴方のお父さんとお母さんが死んだ時、私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。ばあちゃんは年であるしお金もない。何も何も持ってはおりません。貴方への愛情だけです。そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた、とてもとてもよい子に育ってくれました。そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。幸せになってください。ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。とてもとても幸せでした。
 妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。

今日のお話 7月5日(火)

    田中角栄の名言

  僕は運だけでここまで来た。

  人間の一生というのは、結局、運だ。

  実力があり、いくら自分が自負してもダメなものはダメ。

  努力、努力。努力と根気と勉強。

  こういったものが、運を捕らえるきっかけになる。

ちょっといい話 7月4日(月)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  妹の携帯電話

 妹が亡くなって2年の歳月が流れました。妹からの最後のメールを見て命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か……。白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦しむだけで短い生涯を終えた。14才でした。
 妹が2才半のとき、微熱が続き、病院に行ったときには「白血病」と診断……。その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした。「妹がいなければ遊びに行けたのに!!」当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。でも、両親が妹ばかり世話し、愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね。
 その妹が亡くなって2年。両親は抜け殻がとれたような静けさです。私もですが。99年の12月中旬、突然妹が「携帯電話がほしい」と、言い出しました。私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね。もちろん大急ぎで買いに行きました。そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。そして、私が家に帰る頃には、正午を過ぎてクリスマスを迎えた寒い夜になっていました。寝ようと思ったら妹からのメールです。「さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。迷惑ばかりかけてごめんね。おにいちゃん。ありがとう」。これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、「病院に行くから支度しなさい」、「さっき別れたばかりなのにまた行くの?なんで?」と思いました。病院に行くと、さっきまで元気だった妹が顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。あとで看護婦さんに聞いてわかったことなんですが、携帯電話を強く握り締めて離すのにたいへんだったと……。それを聞いて涙がいっぱいあふれました。妹の携帯電話は解約しましたが、2年経ったいまでも遺影の横にそっと置いてあります。 妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。
 天国でも携帯電話が使えるといいなぁ。

今日のお話 7月4日(月)

    田中角栄の名言

  無理は、しなければ、しないほうがいいんだよ。

  苦労というものは、いい部分もあるが、悪い部分もある。

  苦労はしてもいいけど、無駄な苦労はしないほうがいいんだ。

ちょっといい話 7月1日(金)

泣ける話ちゃんねる

  親へのプレゼント 

 社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。
 服でもバックでも、他に何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。
 今でも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。いつも素直になれなくてごめん。マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。
 おまいら生きてるうちに親孝行しとけ。いなくなってからじゃ後悔しかできないぞ。これはマジだ。

今日のお話 7月1日(金)

    田中角栄の名言

  人間は、

  やっぱり出来損ないだ。

  みんな失敗もする。

  その出来損ないの人間そのままを

  愛せるかどうかなんだ。

  政治家を志す人間は、

  人を愛さなきゃダメだ。

  東大を出た頭のいい奴はみんな、

  あるべき姿を愛そうとするから、

  現実の人間を軽蔑してしまう。

  それが大衆軽視につながる。

  それではダメなんだ。

  そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、

  その人たちを

  そのままで愛さなきゃならない。

  そこにしか政治はないんだ。

  政治の原点はそこにあるんだ。

ちょっといい話 6月30日(木)

泣ける話ちゃんねる

  双六

 オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。当初、見知らぬ土地に来て間もなく、当然友達もいない。いつしかオレはノートに、自分が考えた双六を書くのに夢中になっていた。それをばあちゃんに見せては、「ここでモンスターが出るんだよ」、「ここに止まったら3回休み〜」、ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。やがてオレにも友達ができ、そんなこともせず、友達と遊びまくってた頃、家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
 先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。開いてみると、そこには、ばあちゃんが作った双六が書いてあった。モンスターの絵らしきものが書かれていたり、何故かぬらりひょんとか妖怪も混じっていたり……。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
 最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように……」。人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
 ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

今日のお話 6月30日(木)

    田中角栄の名言

  政治家は発言に、

  言っていい事・悪い事、

  言っていい人・悪い人、

  言っていい時・悪い時、

  に普段から

  気を配らなければならない。

ちょっとい話し 6月29日(水)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  名校長先生の教員生活最後の授業 

 この話は名校長先生の教員生活最後の授業の感動する話になります。本当に素晴らしい話になりますので見てください。以下先生の授業の話になります。
 私が考える教育の究極の目的は「親に感謝し親を大切にする」です。高校生の多くは今まで自分1人の力で生きてきたように思っている。親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。これは天草東高時代から継続して行ったことですが、このことを教えるのに1番ふさわしい機会として、私は卒業式の日を選びました。
 式の後、3年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、私が最後の授業をするんです。そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、生徒をその横に正座させる。そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。「今まで、お父さん、お母さんにいろんなことをしてもらったり、心配をかけたりしただろう。それを思い出してみろ。交通事故に遭って入院した者もいれば、親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんとお母さんの弁当に文句を言った者もいる。」そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。「おまえたちを高校へ行かせるために、ご両親は一所懸命働いて、その金ばたくさん使いなさったぞ。そういうことを考えたことがあったか。学校の先生にお世話になりましたと言う前に、まず親に感謝しろ」、そして「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、今、お父さんお母さんが隣におられるから、その手ば握ってみろ」と言うわけです。すると1人、2人と繋いでいって最後には全員が手を繋ぐ。私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。「その手がねぇ……、18年間おまえたちを育ててきた手だ。分かるか。親の手をね、これまで握ったことがあったか?おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。今、ゴツゴツとした手をしておられるのは、おまえたちを育てるために大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」その上でさらに「18年間振り返って、親に本当にすまんかった、心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。
 私は「よし、目を開けろ。分かったや?私が教えたかったのはここたい。親に感謝、親を大切にする授業、終わり」と言って部屋を出ていく。振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。
 こんな最高の先生いますか!?でも親に感謝は本当にいなければいけませんしするべきです。

今日のお話 6月29日(水)

    田中角栄の名言

  俺の目標は、

  年寄りも孫も一緒に、

  楽しく暮らせる世の中を

  つくることなんだ。

ちょっといい話 6月28日(火)

 泣ける話ちゃんねる

  親父の金庫 

 3年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは3人兄弟なんだけどおふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ。とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫を開けることにしたんだけど、これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ。何となく俺たちは子どもの頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で子どもの前で笑ったことも1度もなくて旅行なんてほんとに行かなかった。子育てもお袋に任せっきりでガキの頃はマジで親父に殺意を覚えたよ。んで、1番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前でニヤニヤしながらガサガサやってんのを見たとか言ったから、俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ。んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」と言ったからワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ。
 そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ。それを見た一番下の弟が「これ、俺のだ!」と言って俺から取り上げたんだよ。次に出てきたのは、何かの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”と言い出して……。その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」。その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ。その中には子どもの頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ。それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなも何だか泣き出しちゃって、俺も最初は、何でこんなものが金庫の中にあるのかが分からなくて。何だよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっとウツになってたんだけど、少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ。このとき俺は、親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと、さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと、子どもの頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
 親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている。

今日のお話 6月28日(火)

    田中角栄の名言

  どんな境遇におかれて

  辛い思いをしても、

  天も地も人も恨まない。

ちょっといい話 6月27日(月)

泣ける話ちゃんねる

  1人っ子ばんざい 166  掲載

 私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかは、お誕生日とクリスマスの年2回しか買ってあげてないんだ。息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
 ごめんね。あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。 親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
 この前の、子どもの日。夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。「1人っ子はかわいそう」、「ロクな大人にならん」、「今からでも第2子は遅くない」、「今の医療なら、なんとかなるやろ?」。困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。ああ、仕方無いが、我慢しよう、嵐が過ぎるまで……そう思ってた。その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。「ロクな大人の『ロク』って何さ?」、「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが『ロク』なんか?」、「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」、「ロクな大人の『ロク』がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」、「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん1人っ子で」、「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。1人っ子ばんざい!」。一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時、「母さん、おれを産んでくれてありがとう。1人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」照れくさそうに言って、ちまきを2〜3個引っ掴んで、「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」飛び出していったよ。
 次の週、「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。誰かに聞いてもらいたかったんだ。

今日のお話 6月27日(月)

    田中角栄の名言

  君達ね、

  自分の置かれている立場を

  有り難てェことだと

  思わんとダメですよ。

  寝言を言ったり

  不満ばかり言っている奴は、

  人生終わるまで

  不満を抱き続ける人間になるぞ。

  社会が悪い、政治が悪いなんて言って、

  一体何があるんだ。

  人に貢献できるようになってから

  言うべきじゃ。

ちょっといい話 6月24日(金)

泣ける話・涙腺崩壊/まとめサイト

  俺とじいちゃんは「じい」「若」と呼び合っていた 

 俺の近所に住んでた爺さんの話。
 1人暮らしだった爺さんは子ども好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで、老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを2人で真似して【俺】「じい!今日も遊びに来たぞ。」、【爺】よくぞいらっしゃいました。」なんて呼び合って遊んでいた。そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。俺は「じい」に呼びかけてみた。「じい、俺だぞ。覚えてるか?」ダメもとのつもりだった……。が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き、そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。「若、ご立派になられましたな。」
 感動しました……。

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
犬山市立楽田小学校
〒484-0858
住所:愛知県犬山市字城山97番地
TEL:0568-67-1005
FAX:0568-69-0335