最新更新日:2024/04/26
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令和6年度が始まりました。1年間どうぞよろしくお願いいたします。

今日のお話 5月20日(金)

    竹村 健一の名言

  一つ確かなことがある。

  それはたいていのことは、

  人が案ずるほど

  むずかしくないということだ。

ちょっといい話 5月19日(木)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   癌で死ぬ怖さより-余命宣告-

 ぶっちゃけて、俺はもうすぐ死ぬ。末期だからって医者も自由にしなさいってさ。余命宣告で半年が精一杯だって。俺には娘がいる。今年で10歳になるんだけど、マジで良い子なんだ。母親いないんだけど、グレずに真っ直ぐ育ってくれた。ありがとう。
 卒業式、見れそうにない。ごめんな。
 入学式、おめでとうって言ってやれそうにない。ごめんな。
 成人式、大きくなったお前を撫でてやれそうにない。ごめんな。本当にごめんな。
 毎日、お前の笑う顔見て、お前の将来を思う。どんな男と結婚するんだろうとか、どんな道に進むんだろうとか、孫の顔とか。
 癌で死ぬ怖さより、まだ小さいお前を1人にしちまうことが辛くて、苦しい。謝っても謝りきれない。だから、少しでもお前が笑えるように、残った時間をお前と一緒に笑顔で過ごすよ。

 安希、俺の娘に生まれてくれてありがとう。

今日のお話 5月19日(木)

    竹村健一の名言

  9回裏2死満塁。

  3点負けている試合で、

  あなたに打順が回ってきた。

  さあ、どんな気持ちで

  バッターボックスに入る?

  相手のピッチャーは

  「常識」という名の大男で、

  豪速球をビシビシ投げ込んでくる。

ちょっといい話 5月18日(水)

泣ける映画と本のホームページより

   オヤジと釣り    

 ガキの頃にオヤジと川に釣りに行った。鮎釣りという特殊な釣りで常に川の流れの中に腰の辺りまで水に浸かって行う釣りなんだけど、ガキだった俺は何度も流されそうになった。その度にオヤジの腕が伸びてきてオレをガッチリ掴んで助けてくれた。時にはオレのベルトの辺りを強引に掴んで助けてくれた。
 それから20年近く経った今年の初夏にオヤジが体調を崩して倒れた。幸いにも1週間ほどで退院できた。退院してしばらく経ってオヤジが鮎釣りに行くというので、心配した母がオレに付いていくように言った。オレも年老いて病み上がりのオヤジが心配だし付いていくことにした。
 そして当日、午前中は順調に釣りを楽しんでいたんだけど午後になってポイントを変更して少し流れがキツイところに移った。オレは歩き回ってポイントを探しているうちにかなり流れが激しく、立っているのがやっと、という感じのところに入ってしまった。体力も限界まできたので流れの緩いところに戻ろうとした瞬間、足を滑らせてこけてしまった。それを見ていたオヤジが流れを横切ってオレのところまで速攻できてくれて無言でニッコリ笑って手を伸ばした。そしてオレの腕を掴むと流れの中からオレを引き上げてくれた。ガキの頃と同じでその腕はゴツゴツしていて力強く逞しかった。
 オヤジまた来年も一緒に行こう!

今日のお話 5月18日(水)

    竹村健一の名言

  人生、守りに回るよりも

  攻めた方がいい。

  守ろうとすると

  人間小さくなるばかりで、

  発展性がないし、

  勢いというものがなくなってくる。

  やりたいと思うことに

  一直線に突き進むという積極的な姿勢が、

  凄まじいエネルギーとなって周囲を圧倒し、

  結局は何事もうまく運ぶことになるのだ。

ちょっといい話 5月17日(火)

泣ける映画と本のホームページより

   その頑張りを、誰かが必ず見ている   

 バブルがはじける前、うちは割と景気がよくて……。だけど、家の中は荒んでた。父ちゃんはほとんど家に帰ってこないわ、イライラすると母ちゃんを怒鳴る。母ちゃんは、俺にあたる。俺は、弟をいじめてた。まさに殺伐。
 で、バブルがはじけた。俺が高校のときだった。父ちゃんは根は優しい人なんだろうと、今になって思う。父ちゃんが他人の連帯保証人になってて、5億近い借金を背負った。家族全員生きるのに必死になった。特に父と母が凄かった。今でも尊敬してる。もうちょっと細かく書けば、みんなも尊敬するんじゃないかってくらい頑張ってた。うちの暮らしはそんな感じだから、俺は高校卒業後は大学に進学したかったけど、結局はあきらめた。高校に行きながら、バイトをした。俺は、毎日毎日働いてた。色んなバイトをした。21時出勤で5時終業の力仕事の危険なバイトもした。一番長く続いたバイトでは、最後は店長代理をしてた。苦情処理の達人になりました。俺は、バイトと勉強漬けの毎日を2年間続けた。
 その当時、弟は中学生だった。以下は母親から聞いた話。
 中学の国語の先生から、いきなり母親に電話がかかってきた。「弟の作文を読んで感動いたしました」とのこと。『尊敬する人』という題で作文を書かされて、弟は俺のことを書いたらしい。俺は未だにその作文を読んだことがない。だけど、上に書いたような家の事情や俺の今の生活を書いたらしい。そして、俺のことを尊敬してる、と。
 俺は何か救われたような気がしたよ。だってさ、どんなにかっこよく書いたって高卒フリーターですよ。どんなに頑張っても「フリーター、必死だな」って、大卒の奴らに言われたらそれっきりですよ。普段はそんな素振りも見せず、あの無愛想な弟に尊敬されてるって、びっくりした。そりゃもう嬉しかった。いじめまくってた弟に尊敬されてるなんて思わなかったからね。国語の先生は「お兄様によろしくとお伝えください」だってさ。弟はどんな風に俺のことを書いたのか分からないけど、先生が感動したっていうんだから、俺のこと相当よく書いたんだろう。
 正しい方向に頑張っていれば、その頑張りを誰かが必ず見ていて……。誰かに認めてもらうってのは、とても嬉しいことです。と言うお話です。

今日のお話 5月17日(火)

    竹村健一の名言

  慣れたところで、

  ある程度身についたことだけ

  やっていた方がラク。

  そういう惰性的な日々を送っていると

  かならずダレてくる。

  それより落ちることは

  ないかもしれないが、

  決して上昇していくこともない。

  「井の中の蛙」で

  終わってしまう。

今日のお話 5月16日(月)

    竹村健一の名言

  あり余る時間の中で

  何かをやったところで、

  それは暇潰しにしかならないだろう。

  忙しい時間をやりくりして、

  本当にしたいことをやるからこそ、

  そのひとときを

  心から楽しむことができる。

  それが、本当の

  「ゆとりある人生」

  ではないだろうか。

ちょっといい話 5月13日(金)

泣ける映画と本のホームページより

 お願い お姉ちゃん 生き返って   

 私にはお姉ちゃんがいます。勉強教えてっていっても「お前みたいなばかに教えたって無駄やし」とかよく言われてました。喧嘩したら本気でたたいてきた。話しかけたら「うっさぃ。あほ。しゃべりかけんな。きもいんじゃ」って言われたりしました。家族で旅行にいくときも、「沙菜(私)が行くなら行かない。」とか言ったり……。
 そんなお姉ちゃんは今年の冬病気で死んでしまいました。家族はお姉ちゃんはあとちょっとしか生きられないことわかってました。もちろん私もです。死んでしまったときは、「これでもういじめられなくなる。」と思ってちょっと安心しました。でも…。
 姉のお葬式が終わったあと母にこんな話を聞きました。それは去年のあたしの誕生日、母と姉が夜二人でいたとき。姉「お母さん。私を産んでくれてありがとう。とっても感謝してるよ。でもね。沙菜を産んでくれたことにはもっと感謝してるよ」あの姉がこんなことを言ったんです。あんなに私のこといじめてたのに……。そして、その後母は姉が私に書いた手紙をくれました。
 「沙菜へ。今までごめんね。私は沙菜がいつも羨ましかった。沙菜はこれから生きていけるし、私は自分の病気を知ってから沙菜に優しくすることができなくなりました。ごめんね。こんなお姉ちゃんでごめんね。沙菜はお姉ちゃんの誇りです。こんなお姉ちゃんなのにいつも笑って喋りかけてくれたし。沙菜の笑顔を見るたびに死にたくないって思ったよ。ありがとう。本当にごめんなさい。」手紙にはそう書いてありました。病気や薬のせいで手も満足に動かせなかったのに……。「字は震えてて、ぐちゃぐちゃで、手紙を読み終わるのに2時間もかかったよ。お姉ちゃん。私が風邪ひいたときはすっごく優しかった。お姉ちゃん。私が本気でお姉ちゃんの言葉に傷ついたときはすぐに気づいてあやまってくれた。ごめんね……、ごめんね……、ごめんね……、こんな妹が産まれてきてごめんね。もっとお姉ちゃんのこと考えればよかった。お姉ちゃんが死んじゃったとき安心なんかしてごめんね。お願い。お姉ちゃん、生き返ってよ?私、謝るから、お姉ちゃんも謝ってよ。お姉ちゃんの耳で聞いて、お姉ちゃんの声で言って。」
 お姉ちゃんの分まで生きるよ、生きるけど。悲しくて悲しくてしょうがないよ。

楽田小学校 現職教育グランドデザイン 5月13日(金)

 楽田小学校 現職教育グランドデザインをアップしました。

 http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 5月13日(金)

    竹村健一の名言

  棚からボタモチが

  落ちてくるのを待っているのは、

  まだるっこしい。

  第一、いつまでたっても

  落ちてこないかもしれない。

  ちょっと背伸びをして、

  棚の上を眺めてみよう。

  そこにボタモチがあるなら、

  踏み台か何か持ってきて、

  ひと足早くいただこうではないか。

ちょっといい話 5月12日(木)

泣ける映画と本のホームページより

 奇跡の手紙

 ウェディングプランナー有賀明美さんのブログより! 超感動です!
 先日、お手伝いさせていただいた結婚式でとっても素敵なキセキが起きました。
 お父様のことがとても大好きなご新婦。一足さきに海外で挙げた結婚式で、お父様とバージンロードを歩いた時の幸せだったそのときの気持ちを嬉しそうに何度もお話してくだいました。バージンロードを歩くご新婦とお父様のお写真も見せて頂き、お父様の表情を見ていたら、きっとお父様も愛する娘へ伝えたいお気持ちが、たくさんあるんだろうなぁと感じました。花嫁の父こそきっと心に秘めた様々な想いがたくさんあるはず。でも、なかなか披露宴の中で花嫁の父が想いを伝える機会はありません。なければ、つくればいい。というわけで、ご新郎のご協力のもとご新婦のお父様へ連絡をし、愛する娘へ伝えたい素直なお気持ちをお手紙につづってきて頂くお願いをしました。照れくさくて無理、と断られるのも覚悟していましたが思いのほか、「伝えたいことがたくさんありすぎてうまくまとめられるかな……」という前向きなお答え( ´艸`)
 披露宴当日、お父様のお席へご挨拶へうかがいました。「お手紙……、書いていただけましたか?」そんな私の質問に照れくさそうに胸ポケットから取り出したのは、くしゃくしゃの紙。それは、何度も何度も書き直し、読み返した跡の残るくしゃくしゃになったお手紙でした。そのくしゃくしゃの手紙を見た瞬間、何だかいろんなお父様の想いが伝わってきて、思わず胸があつくなってしまいました。披露宴も終盤。本来なら花嫁のお手紙の時間。「ここで、新婦から感謝のお気持ちを込めてご両親へお手紙を……、と言いたいところですが、その前に……」、お父様にスポットがあたります。驚くご新婦。ざわめく会場。前代未聞の花嫁の父のお手紙の朗読です。
 「娘が生まれるとわかった瞬間、嬉しくて嬉しくて……。幼いころはおてんばだった君、怪我をしないか毎日気が気じゃなくて……。」溢れ出す愛が溢れた想い出話に、新婦も会場のゲストも涙を流しながら聞き入り、本当に温かい優しい空気が会場を包んでいました。そして、こんなエピソードが。「君は小学生のころ、学校でいじめに合っていました。毎日泣きながら帰ってくる君。学校に行きたくないと駄々をこねる君を厳しく叱ってしまったこともありました。けれど、君が眠りについた後、厳しく叱ってしまったことを後悔しながら、君の寝顔を眺めながら、この子だけは何があっても守りぬかなくては!どんなことがあっても自分はこの子の味方でいよう!と頬を撫でて語りかけていたものでした。」
 このエピソードがお父様の口から語られた瞬間、ご新婦は堰をきったように顔を覆って涙されました。その理由はすぐにわかりました。いよいよ、花嫁からのお手紙。そのお手紙の中に何とこんなエピソードがありました。
 「私が小学生の頃、学校でいじめに合っていました。つらくてつらくて、学校に行きたくなくて……。そうお父さんに伝えると厳しく怒られたこともありました。でも、泣きながら私がお布団に入ってしばらくたつと、お父さんはそっと私の隣にやってきて、私のほっぺたを何度も撫でてくれましたね。その手があったかくて優しくてとても安心して、明日も頑張ろうと思えました。お父さんはきっと今日まで、私がすっかり寝ていると思っていたと思うけど、本当は私、毎晩、起きていたんですよ。お父さん、あのときはありがとう」そう言って、にっこりとお父様のほうに笑いかけるご新婦。今度はお父様が顔を覆って涙される番でした。何十年ぶりに魔法が溶けたように明かされたある日の父と娘の素敵な記憶。お父様からのお手紙とご新婦からのお手紙とその両方のエピソードが重なった瞬間、幼い新婦の頬を撫でて優しく語り掛けるお父様と、寝たふりをしながらそんなお父様の気持ちを嬉しく感じている父娘の姿が、その情景が鮮明に浮かんできて……。
 私は……。会場の隅のPA室の裏に隠れて……、涙が止まりませんでした。会場もこの素敵な偶然のキセキに感動に包まれ、父娘に贈る温かく優しい拍手がしばらく鳴り止みませんでした。
 そこにいる人のすべての心がひとつになった瞬間。〜 One Heart Wedding  〜。まさに体感した瞬間でした。

楽田小学校 学びの学校づくり 5月12日(木)

 「楽田小学校 学びの学校づくり」をアップしました。

http://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/files/231018...

今日のお話 5月12日(木)

    竹村 健一の名言

  チャンスの女神というのは 

  非常に短気だから、

  あまりゴチャゴチャいってると、

  サッサと場所を替えてしまう。

ちょっといい話 5月11日(水)

泣ける映画と本のホームページより

   親孝行したくなるコピペ   

 内定0の状態が延々と続き、しかも本命の最終落ち…。と鬱なときに親に電話してみた。その日はおやじの誕生日。「内定をプレゼントしたかったんだけどねー」とおれ。いつもはあんまりしゃべらないおやじが一言、「それでもがんばるお前の姿が今年の誕生日プレゼントだ」。親の前(電話口だけど)ではじめて号泣した。悔しいのとうれしいのと、たかが就活でここまで弱ってる自分が情けなくて…。でも、本当に親を大切にしなきゃっておもった。
 「親父ありがとう」…

今日のお話 5月11日(水)

    竹村 健一の名言

  人間の大きさは

  プライドに比例すると思う。

  小さなことを気にしたり、

  小さなことで傷ついたりするのは、

  プライドが低い証拠だ。

  プライドが低ければ低いほど、

  世にプライドを傷つける種も

  多いことになる。

  たとえば

  「自分はいかなる場合でも、

  決して人にバカにされたくない」

  と考えていたとしても、

  世にあるかぎり、

  それは不可能に近い。

  道を歩いていて、

  つまづいて転んでも、

  笑う人は笑うのだ。

  「そんな連中に笑われたっていい。

  たかがつまずいただけではないか。」

  そう思ったとき、

  プライドは

  ぐんと高くなったことになる。

  今度他人がつまずくのを見たら、

  「大丈夫ですか?」と

  声をかけたい心境にもなろう。

ちょっといい話 5月10日(火)

 学校に行きたいな -女の子と連絡帳-

 俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初は「あいつだけズルイなぁ……。」なんて思ってたよ。んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して……。それの繰り返し。「なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!」って、一人でブーたれてたのをよく覚えてる。
 そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。ただの興味本位だったんだけど。連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。『今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。学校に行けば、私も輪に入れるのかな……。』
 ショックだった。学校行かないのって楽な事だと思ってたから。ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、
普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。「いつでも、待ってるからな。体がよくなったら遊ぼうな!」って。でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに「もう、連絡帳は届けなくていいの。」って言われた。あまりにも突然だった。俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。「この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないだん。」そんな事考えたら涙が溢れて、止まらなくって……。ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。
 そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。就職したり、結婚したり、子どもが生まれたり……。今まで、本当にいろんな事があった。時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。

 『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね。』

今日のお話 5月10日(火)

    竹村 健一の名言

  人生の目指す頂上は

  人それぞれ。

  そして、その頂上へ登るルートも

  決して一つではない。

  右から登っても、

  左から登っても、

  回り道をしても、

  最終的に

  頂上にたどり着きさえすれば

  いいわけだ。

□ 竹村健一 プロフィール
 大阪府出身のジャーナリスト、評論家、著述家。毎日新聞社の英語新聞「Mainichi Daily News」の記者を経て、「山陽特殊鋼」へ入社。その後「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学」客員教授などを務める。その後、文筆活動を開始。パイプを銜えた独特な風貌や独特の口調でも有名であり、多くの芸人が物真似芸を披露している。

ちょっといい話 5月9日(月)

泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−

   兄弟3人で暮らさないか

 両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。俺はびっくりした。
兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」
なんて事を言ってた。俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから、頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。
 それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった……。葬式で俺も妹も泣きじゃくった。葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実を知ることになった。
 両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった……。色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた……。強くておもろくてやさしかった……。自分の小遣いからお菓子買ってくれてた……。俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った……。いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった……。自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった……。おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった……。俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声を押し殺して泣いてたの知ってたよ……。
 やべえ思い出して……。もうこれ以上書けねえわ 何もできんかったわ……。ホントなんも……。
 最後に言わせて。 最強最高の兄ちゃん!!!。あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。

ありがとう。ありがとう!!!

今日のお話 5月9日(月)

    渡辺和子の名言

  例えば日常の挨拶。

  相手の方に期待した

  “欲しいな”と思うものが

  もらえなかった時

  それは一つの損を

  したわけです。

  けれども、シングルに

  損を終わらせないで

  もう一つ損をする。

  くださらなかった方を許し

  むしろこちらのほうから

  差し上げる。

  それは「ダブルの損」

  なのですが

  この「ダブルの損」をして

  初めて愛が生まれ

  主体性が保たれるのです。

  「求めるよりも

  与えるのが本当の愛」

  ということです。
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