最新更新日:2024/04/26 | |
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ちょっといい話 5月10日(火)
学校に行きたいな -女の子と連絡帳-
俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初は「あいつだけズルイなぁ……。」なんて思ってたよ。んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して……。それの繰り返し。「なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!」って、一人でブーたれてたのをよく覚えてる。 そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。ただの興味本位だったんだけど。連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。『今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。学校に行けば、私も輪に入れるのかな……。』 ショックだった。学校行かないのって楽な事だと思ってたから。ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、 普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。「いつでも、待ってるからな。体がよくなったら遊ぼうな!」って。でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに「もう、連絡帳は届けなくていいの。」って言われた。あまりにも突然だった。俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。「この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないだん。」そんな事考えたら涙が溢れて、止まらなくって……。ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。 そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。就職したり、結婚したり、子どもが生まれたり……。今まで、本当にいろんな事があった。時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。 『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね。』 今日の給食 5月10日(火)
今日の給食は、「牛乳、ご飯、サバの塩焼き、ほうれん草のなめ茸和え、親子煮」でした。
親子煮は、鶏肉を煮て鶏卵でとじた料理です。鶏肉と卵が親子関係になることから名づけられました。シャモ料理専門店でとり鍋のしめに卵でとじて、ご飯とともに食べていたものを親子煮と言っていたのが、後に食べやすいようにご飯にかけて親子丼としたそうです。 5年生種もみまき 5月10日(火)
5年生が、楽田コミを始め地域の方のご指導をいただきながら、種もみをまきました。
今年も、この種もみまきから「楽田古代香り米づくり」が始まります。 5年生 種もみまき
2・3時間目に5年生が、種もみまきを行います。雨のため、体育館の下で行う予定です。
8時半過ぎから楽田コミュニティの方に準備をしていただいています。 1年生 心電図 5月10日(火)
1年生の心電図検査をランチルームで行います。準備が整いました。
学級通信より 5月10日(火)
学級通信より
「決まり・ルールを守ること」 決まりは、みんなが楽しく、気持ちよく過ごすためにあるのだと思います。たとえば、サッカーを想像してみましょう。もし誰かがいきなり手を使ってしまったら、一緒にやっている人はつまらなくなりますよね。みんなが「足だけでボールをさわる」というルールを守るからサッカーはおもしろいんですよね。「廊下を歩こう」というきまりも、みんながあわてず、落ち着いて歩けば、友だちとぶつかってけがをすることも少なくなり、みんなが気持ちよく生活できますね。 5月に入り、だんだんとクラスにも慣れてきました。4月よりも一歩成長するために生活を振り返ろう。 ルールは、人を縛るためにあるんじゃない。人が毎日を楽しく過ごすためにある。 今日のお話 5月10日(火)
竹村 健一の名言
人生の目指す頂上は 人それぞれ。 そして、その頂上へ登るルートも 決して一つではない。 右から登っても、 左から登っても、 回り道をしても、 最終的に 頂上にたどり着きさえすれば いいわけだ。 □ 竹村健一 プロフィール 大阪府出身のジャーナリスト、評論家、著述家。毎日新聞社の英語新聞「Mainichi Daily News」の記者を経て、「山陽特殊鋼」へ入社。その後「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学」客員教授などを務める。その後、文筆活動を開始。パイプを銜えた独特な風貌や独特の口調でも有名であり、多くの芸人が物真似芸を披露している。 55月10日(火) 朝
ふれあい農園付近にシロツメグサの白い花がたくさん咲いています。
今日は、1年生心電図、2年生知能検査、5年生種もみまきを行います。また、1年生の下校がお迎えなしになります。 □ シロツメグサ 江戸時代に、オランダからのガラス器輸送時の詰め物として使われたためツメクサの名になった。3小葉でまれに4小葉が混ざる。四葉のクローバーとして縁起ものとされる。 現職教育 5月9日(月)
15時20分から現職教育を行いました。今後の研究の進め方について、全職員で確認をしました。
ちょっといい話 5月9日(月)
泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−
兄弟3人で暮らさないか 両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。俺はびっくりした。 兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」 なんて事を言ってた。俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから、頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。 それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった……。葬式で俺も妹も泣きじゃくった。葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実を知ることになった。 両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった……。色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた……。強くておもろくてやさしかった……。自分の小遣いからお菓子買ってくれてた……。俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った……。いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった……。自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった……。おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった……。俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声を押し殺して泣いてたの知ってたよ……。 やべえ思い出して……。もうこれ以上書けねえわ 何もできんかったわ……。ホントなんも……。 最後に言わせて。 最強最高の兄ちゃん!!!。あんたに負けんこと俺がんばるけん! 妹のことも心配せんでいいけんね。 ありがとう。ありがとう!!! 一斉下校 5月9日(月)
今日は、15時に一斉下校です。まもなく出発します。
1年生図画工作 5月9日(月)
1年生の教室北側廊下に「おひさま にこにこ すきなもの なあに」の作品が掲示してあります。
北舎 掃除 5月9日(月)
北舎の掃除の様子です。
どの学年の子どもたちも一生懸命掃除をしていました。 今日の給食 5月9日(月)
今日の給食は、「牛乳、ロールパン、ペンネのクリーム煮、ごぼうサラダ、ミニトマト」でした。
ペンネのクリーム煮のホワイトルウは、給食室で作っています。手作りホワイトルウにペンネというパスタが入っています。ペンネは、ペン先のような形をしたショートパスタです。ペンネをよく見ると、細かい溝が入っています。そこにチーズやソースがたまりやすいので、こってりしたチーズやソースと相性がよいのです。 楽田スクールガード情報交換会およびPTA生活安全懇談会5月9日(月)
楽田スクールガード情報交換会およびPTA生活安全懇談会を8時45分から応接室で行いました。
「雨天時傘を差したときの1列での登校を徹底してほしい。」、「農業用水に水が入ったので十分注して登下校してほしい。」、「安全な下校が課題。」などの意見をいただきました。 ご家庭でも安全な登下校についてご指導をお願いします。 今日のお話 5月9日(月)
渡辺和子の名言
例えば日常の挨拶。 相手の方に期待した “欲しいな”と思うものが もらえなかった時 それは一つの損を したわけです。 けれども、シングルに 損を終わらせないで もう一つ損をする。 くださらなかった方を許し むしろこちらのほうから 差し上げる。 それは「ダブルの損」 なのですが この「ダブルの損」をして 初めて愛が生まれ 主体性が保たれるのです。 「求めるよりも 与えるのが本当の愛」 ということです。 5月9日(月) 朝
4日間にわたり家庭訪問、ありがとうございました。ゴールデンウィークも終わり今日から再スタートです。
今週の予定は以下の通りです。 9日(月)スクールガード会 1年・5年:聴力検査 10日(火)1年:心電図 2年:知能検査 1年:お迎えなし下校 11日(水)児童集会(代表委員) 眼科検診 12日(木)2年・4年・6年:耳鼻科検診 6Hクラブ 13日(金)2H2年生:1年生と遊ぶ会 中庭でザクロの花が咲いていました。 □ ザクロの歴史 旧約聖書や古代の医学書などにも登場しているザクロは、5000年以上前から栽培されていました。昔から健康や美容によいとされており、好んで食べられていたようです。原産地であるイランからシルクロードを通って中国やヨーロッパに伝わり、日本へは平安時代に渡来したといわれています。 ソフトボール大会 5月8日(日)
五月晴れのもと、楽田コミュニティソフトボール大会が山の田運動公園で行われました。本校も「楽球会」として参加しました。
結果は大接戦の末1回戦で負けてしまいましたが……。 気持ちのよい汗を流すことができました。 ちょっといい話 5月6日(金)
泣ける話.com −思いっきり泣いて心のデトックス−
俺が守ってやる 掲載 中学の頃、学校でいじめにあっていた。教室に入れなくていつも保健室に通っていたいじめの事は家族にも言っていない。ただ私のワガママで保健室に通っているだけ、と教師両親は思っていた。いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった……。でもまわりに心配かけたくなくて、いつも無理して笑っていた。 辛くて孤独でどうしようもなくて、死んでしまおうと決心した日、高校生の兄が修学旅行から帰ってきて私にお土産をくれた。どこかのドライブインに売っているような、キーホルダーのオルゴール。長崎に行ってきたハズなのに……。幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、兄にはいつもイジメられた記憶しかない。だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった。そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、私はそのお土産を「こんなのいらない!」と投げつけてしまった…。すると、その衝撃でオルゴールが鳴った、題名は知らないけど、「涙など見せない強気なアナタをこんなに悲しませてるのは誰なの?」っていう歌詞の曲が……。兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ。 兄は泣いていた。初めて兄が泣いているのを見て、呆然としていると、兄がポソリと言った。「お前をイジメていいのは兄貴の俺だけだ。それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない。俺は知ってるから、お前が家で我慢して笑ってる事。小さい頃からいつも俺の前で泣いてたんだから、我慢なんかしなくていいんだぞ。俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、他人に妹をイジメられて黙っていられる兄貴じゃないからな。」その言葉を聞いて、私は号泣、学校のイジメの事を全て吐き出しました。泣きすぎて喘息で咳き込みながら、全部……。兄は横に座って聞いてくれていました。全部話し終わると、「よく頑張った」とひとこと言って頭をポンポンとなで、「今日は寝ろ、明日は学校行かなくていい」と言って部屋から出て行きました。しばらく1階で母親と兄が会話している声が聞こえてきました。 翌日からしばらく学校を休み、再び登校すると、イジメはかなりされなくなっていました。教師に聞くと、兄が中学の職員室に乗り込み、ぶちギレて言った様でした。高校の生徒会長が乗り込んできたため、教師も慌ててイジメに関して動き、結果私を含め多人数がイジメの被害にあっていた事も判明しました。 その何年か後、私は旦那と知り合い、結婚式を挙げた時、兄貴は「小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た。でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。」と……。兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ。お返しに今日は私が兄ちゃんを泣かすから。 一斉下校 5月6日(金)
雨の中の一斉下校になりました。
13時30分に出発です。 |
犬山市立楽田小学校
〒484-0858 住所:愛知県犬山市字城山97番地 TEL:0568-67-1005 FAX:0568-69-0335 |