行事での子どもの姿から、学校経営の難しさを感じる

学校評議員をしている中学校の2つの行事を通じて感じたことです。

体育大会でのことです。
以前と比べて生徒数が減ってきていますが、人数が減ったからといって、子どもたちのエネルギーそのものは変わっていないようにこれまでは感じていました。しかし、今年度は少し違った印象を持ちました。
一言で言うと「躾けられている」です。子どもたちの強い意志を感じなかったと言い換えてもよいかもしれません。合わせて気になったのは学年によって子どもたちの様子がかなり違って見えたことです。特に、他学年の競技を観戦している時の姿に違いを感じました。
3年生は、そろって声援しているというより、それぞれの意志で声を出しているように見えます。自然に仲間を応援しているように感じました。2年生は、子どもたちの視線や姿勢がそろっていました。とてもよい姿に見えるのですが、そうしなければいけないからやっているようにも見えます。頑張れと声援したいと思っているのかどうか、よくわからないのです。これに対して、1年生は何となく他学年を応援しているような印象でした。学年によって子どもたちの成長の違いや個性があるのは常なのですが、それ以上に先生方の指導に対する姿勢や考え方の違いがあるように思えました。
どれが正しいというのではありません。小さな学校でもこのような違いがあることが気になるのです。学校としてどのような子どもの姿を目指すのかが揺れているのではないのかという心配です。

同じようなことを、先日行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」でも強く感じました。学校と地域が一緒になって行う、とても素晴らしい企画です。今年は、出し物や出店の数を減らし、1企画に一人、担当の先生をつけることもできたようです。その結果でしょうか、一つひとつの企画は昨年と比べてもよく練られているように思いました。しかし、子どもたちの様子からは、昨年と比べてもエネルギーを感じられませんでした。やらされている感が強いのです。例えば、お客を呼ぶために宣伝を担当する子どもがいますが、ただ歩きながら時々声を出すだけです。それも、目の前にいる人に来てもらおうと目を合わせるのではなく、誰もいない空間に向かって声を出しているのです。かつては、そこまで強引に引っぱろうとしなくてもいいのにと思うような子どもの姿をたくさん目にしました。
現場担当の子どもたちも、しっかりとは働いているのですが、やらなければいけないことだからやっているという、やらされている感が強いのです。
企画によっては、積極的に取り組み楽しめている子どもの姿が見られます。しかし、来場して下さった地域の方に喜んでもらいたい、喜んでもらえたから楽しいと感じている子どもは少ないように思いました。この行事の目指すところが子どもたちに共有されていないことが気になります。
このことは、先生方や地域の協力者にも言えるように思いました。指示を出して子どもを動かしている先生もいれば、じっと見守っている方、自分も役割を持ってそれを果たすことに専念している方いろいろです。地域の協力者も、子どもたちを前面に出して後ろで支えることに徹している方もいれば、先頭に立って子どもたち以上に動いている方もいらっしゃいます。このフェスティバルを通じて子どもたちにどう育ってほしいのかが見えなくなってきました。長い年月(10年以上の歴史があります)のうちに、このフェスティバルが子どもたちや地域、先生方のどのような思いを受け継いでここまで来ているのかが、忘れられているように思いました。
ともあれ、今は学校の行事として行っている(以前は地域と子どもたちの有志で行っていた)のですから、少なくとも、先生方の方向性は一致してほしいと思います。

2つの行事から、学校としてこの方向へ向かっていこうという一体感を感じられなかったことがとても残念でした。いろいろな事情もあると思いますが、学校経営の難しさを改めて感じました。

介護職員の研修で、主体性やチームワークについて考える

介護職員向けの研修を毎月行っています。9月からは、「移動介助」「介護職ができる医療行為」「感染予防」と行ってきました。

参加される方はどなたも前向きで、利用者に対する姿勢も、相手に寄り添うとても素晴らしいものだと思います。しかし、少し気になることがあります。全体的に、主体的に動くことやチームワークの感覚が少し弱いように感じるのです。自分に与えられた仕事は誠実にきちんとこなすのですが、仕事が手一杯になった時に「助けて」と言えない雰囲気があるように思います。逆に言えば、手が足りていないと思っても自分から助けに行こうとしない、これは自分の仕事だと思わなければやろうとしない。そのような空気を感じるのです。
これは、決して参加されている皆さんの仕事に関する意識が低いということではないと思います。与えられた仕事をこなすことが働くことだという感覚が子どものころから染みついているからではないでしょうか。これは、私たちの教育の結果なのかもしれません。

このことは、今、学校で「主体的・対話的で深い学び」ということが言われていることと無関係ではないように思えます。「宿題だからやる」「当番だからやる」のではなく、「宿題を一生懸命やる」「当番を一生懸命やる」という子どもは育ててきたのかもしれませんが、そこから一歩進んで、「自分がやるべきことだから」、さらに「やりたいことだから」と思って行動するような子どもを育ててはこられなかったということではないでしょうか。

自分は指示する立場ではないので、指示をされなければやらない。これをやると仕事が増えて自分の仕事がやりきれなくなる。そう思うと、与えられた仕事だけをきちんとこなす方向に人は動いてしまいます。これをやるべきだと思うからやる。その分手が回らなくなったことを、少し助けてと頼む。助けてもらった分、他の場面で助ける。こういった助け合いの輪ができれば、もっと楽に仕事が進むと思います。当たり前のように「助けて」「手伝おう」が言える雰囲気をつくることが大切です。

学校でも似たようなことを感じることがあります。担任は自分の学級に責任を持って一生懸命頑張りますが、何かあっても自分の責任だからと一人で解決しようとして、どうしようもなくなってから助けを求めることをよく目にします。困ったことがあれば、助けてもらう。その代わり、他の学級のことであっても、自分にできることがあれば積極的に手伝う。学校内にこういう雰囲気をつくらなければ、先生方にとって、そこはとても苦しい職場になってしまいます。

介護や学校の現場に限らず、どの職場でもこのことはとても大切なことだと思います。とはいえ、「チームワークをよく仕事をして下さい」と言ったところで状況は変わりません。職場の雰囲気を変えるのはとても難しいことです。一人ひとりがほんの少しでもよいので、頼る、頼られることへの抵抗感をなくすことがその一歩のように思います。
今後、このことに気づいてもらうような研修も考えていきたいと思います。

子どもから言葉を引き出すために必要なことを意識する

前回の日記の続きです。

6年生のもう一つの授業は、国語の説明文「鳥獣戯画を読む」でした。
ちょっと緊張していたのでしょうか、授業者の表情がかたくなっていました。余裕がなかったのか、子どもたちがしっかりと聞く態勢になっていないのに、授業を進める場面が目立ちます。
電子黒板を活用して授業を進めますが、使用しない時にもディスプレイに教科書が映っているのが気になりました。子どもたちがどこに集中すればよいのかを明確にするためにも、必要のない時には消す習慣をつけるとよいと思います。

「なぜ筆者は絵巻物を提示したのか」という問いかけをします。曖昧な問いかけです。絵巻物を提示することで、「文章全体の構成上どのような効果を狙ったのか」「何を伝えたかったのか」……、何を答えればよいのかよくわかりません。「なぜ」というのは難しい問いかけです。具体的に何?(what)、どのような?(How)などで聞くとよいでしょう。いろいろな意見を出させたいのであれば、「絵巻物を提示したのはどういうこと?」と何を答えてもよいような聞き方をしたいところです。
授業者は、「考えながら音読しよう」とさせるのですが、音読しながら考えるのはそれほど簡単なことではありません。音読のペースが速いことも気になります。考えるのであれば、ちょっとゆっくり目に読む必要があります。子ども自信が気づき、考えるために何が必要かを意識して、活動を考えることが大切です。

筆者は鳥獣戯画を2つに分けて見せていますが、2つに分けた時にどう見えるのかを相談させます。これも曖昧な発問です。「自分たちにどう見えるのか?」「筆者がどう見えると考えているのか?」を明確にしたいところです。
子どもに相談させた後、挙手で進めますが、すぐに手は挙がりません。子どもの反応を待ちたいのですが、手を挙げた子どもをすぐに指名します。
「アニメと同じ原理で動いている」という答が出てきます。それに対して、「どこからわかった?」「どこに書いてある?」と全体で共有する場面が必要ですが、すぐに板書します。子どもたちが写し終らない内に、次の質問をしてしまいました。子どもがじっくり考える時間を与えずに、挙手した子どもを指名してすぐ次に進みます。
子どもから答えを引き出すのに、「漢字二字の言葉を見つける」とヒントを言います。答を「考える」のではなく、漢字二字の言葉を本文から「探す」子どもが出てきます。「先生が注目してほしい言葉がある」と、天下りで指示を出すこともあります。こういう言葉は子どもたちの答探しや誘導につながってしまうことに注意が必要です。

後半は、教科書を閉じて黒板に貼った絵を元に考えさせます。子どもたち自身で筆者と同じようなことに気づかせたいのでしょうか。それとも、筆者と異なる視点を引き出したいのでしょうか。絵は筆者の伝えたいことを理解するための材料や補助です。国語の授業としてはあくまで本文を正しく理解することが中心です。「筆者は○○を根拠としてこうだと言っている」、このことをきちんと理解した上で、絵を見て本当にそうだと思うのか、どう感じるのかを考えさせるとよいでしょう。
最後は、授業者が自分の言葉で説明してまとめてしまいました。子どもたちにとっては、それが答えです。答探しの授業になってしまいます。先に進むこと、結論を与えることをちょっと優先しすぎでした。

授業者が気づいてほしいキーワードに子どもが気づくためにどのような活動すればよいのでしょうか。読み取りの力をつけるためには、どのような課題に取り組めばよいのでしょうか。子どもたちの目線に立って、授業の構成を考えてほしいと思います。
授業者は、随所で子どもを受容する言葉、認める言葉をかけることができています。とてもよいと思います。国語としてその発言にどのような価値があるかという、価値付けができるようになることが次の課題だと思います。それには、どのような発言を子どもたちから引き出したいかという、授業者自身の課題意識が大切になります。子どもの発言をもとに教材研究することを目指してほしいと思います。

子どもたち自身で考え、結論を出した授業(長文)

前回の日記の続きです。

6年生の一つ目の国語の授業は、熟語の構成を考えるものでした。
授業者は、毎時間の漢字練習の前に、漢字の成り立ちを教えているようです。象形文字で構成した漢字を表示して、構成している象形文字の説明をします。「認」について、「忍」の字を会意文字として説明し、その意味を元にその意味を説明しますが、「忍」の意味と「認」の意味とは直接関係ありません。「認」は形声文字で、「忍」の音を借りてきただけです。しかし、授業者はあたかも関係あるように説明してしまいました。形声文字を理解していなかったようです。こういった知識をきちんと理解して、子どもたちに誤ったことを教えてしまわないようにしてほしいと思います。

漢字練習帳の内容を読ませたり、書き順の練習をしたりしますが、集中していない子どもが目につきます。ルーティン化して、流れ作業のようになっているのかもしれません。活動の評価を意識しないと、ただやるだけになってしまいます。一つひとつの活動の目標と評価をはっきりとさせるとよいでしょう。

漢字の練習が終わったあと、子どもたちが顔を上げるのを待つのですが、しっかりと集中しません。手は止まっていますが、授業者を見ていない子どもが目立ちます。背伸びをしている子どもがいるのですが、授業者は「めあてを書きます」と、次に進みました。子どもたちにどのような姿になってほしいかを意識する必要があります。
めあてを読むように指示をして、板書をします。子どもたちは一字ずつ読むのですが、集中していない子どもがいることが気になります。授業者は板書に専念しているので、その様子はわかりません。書き終ると、一斉に読ませます。この時は、子どもたちはよく集中していました。授業者が見ていると違うようです。
子どもたちは、読み終ると、指示をされなくてもすぐにノートにめあてを写します。こういったルールがきちんと浸透しているのはよいことです。ただ、すぐに動けない子ども、書くのが遅い子どももいます。書けた子どもは姿勢を正してじっと待っています。全体のスピードを上げることや、早い子どもに次の指示を与えることも意識してほしいと思います。

黒板に熟語を貼りながら、読める人は読むように指示をします。これは知識ですから、知らない子どもは何ともできません。貼り終わった後、読んでみようと全員で読みますが、読めない子どもはわからないままです。きちんと読みを確認する場面がありませんでした。わからない子どもがわかる場面をつくることを意識してほしいと思います。
6つの熟語を2つのグループに分けるのが課題です。どういう基準で分けるのかを4人のグループで話し合います。
授業者が課題の説明している途中に「わかった」と声を出す子どももいました。グループになると、勢いよく話す子どもが目立ちます。わかったので、しゃべりたいのでしょう。同時に何人もの子どもが口を開きます。その一方で、最初から授業に集中できていない子どもは、ここでも参加できません。授業者は前から子どもたちの様子を見ていましたが、この子どもに対して友だちとかかわるようにうながしたいところでした。
授業者は、子どもたちのテンションが上がりきらない前に話し合いを止めました。よい判断です。理由は後でいいから、まずグループに分けてほしいと問いかけますが、「理由を言いたい」という子どもがいました。よい反応ですが、授業者は特に対応しませんでした。「○○さん、意欲的だね」と評価したいところでした。

指名した子どもが熟語を2つのグループに分けます。同じかどうかを確認すると、ほぼ全員の手が挙がります。授業者は、「そうなの。みんな同じなの?」と返しますが、手を挙げていない子どももいます。ここは、手を挙げていない子どもに、「○○さんは違うの?」と声をかける必要があったと思います。同じだと答えることがわかっているかもしれませんが、反応することを求めることが大切なのです。こういったことが、全員参加の第一歩なのです。

理由をたずねると、挙手する子どもが減ってしまうことが気になります。先ほどグループで確認をしているのに発言しない理由を考える必要があります。ここは、挙手に頼らずに指名してもよい場面だと思います。上手く説明できない子どもがいてもよいのです。その時こそ授業者の出番です。2つに分けられた熟語を取り出して、「これとこれはどこが違うと思ったの?」というように、具体的な言葉を引き出すような問いかけを考えておく必要があります。
指名した子どもは、一方は「真反対」だけど、片方は「そうじゃない」と説明します。授業者は、「なるほど」と受容して、そのまま黒板に書きます。「そうじゃない」に反応する子どもがいます。そこを突っ込みたいのでしょう。
「同じように、真反対とそうじゃないのグループに分けた人?」と聞くと、子どもからは「違う」という声が上がってきます。指名された子どもは、「増減とかそういうのは逆の意味で、行進とか身体は同じようだけどちょっと違う」と答えました。授業者は「逆」と「同じような」と板書します。「ちょっと違う」が落ちたことが残念でした。「堂々」「益々」といった言葉もあるので、「全く同じじゃないんだね」というように確認したかったところです。授業者は似た意見かどうかを全体で確認します。「大体同じ」と手を挙げる子どもがいますので、同じと一緒にしてしまわずにその子どもにも聞きたいところです。ちょっとした違いを取り上げることも大切だからです。
続いて指名した子どもは、「反対言葉」と「似た意味の言葉」と説明します。授業者はみんなが言ってくれたように、反対の言葉を組み合わせてできた熟語と、もう一方はそうじゃないんだけれど、同じような、似たような言葉を組み合わせてできた熟語とまとめました。ここまで、上手に子どもの発言をつないでいたのですが、最後に授業者がまとめてしまったのが残念でした。子どもたち自身で最後にまとめさせたかったところです。
気になるのが、反対「言葉」と言葉を使ったことです。ここは、同じ意味を持つ「漢字」とまとめていくことが必要です。漢字にはそれぞれ意味があることをきちんと押さえることが必要です、そのためには、訓読みをさせることも必要でしょう。音は中国語本来の読み、訓はその意味を表わす日本語に対応させた読みであることをきちんと教えることが必要です。

授業者は結論を説明しながら板書します。気になったのが、子どもが言った「逆」を「対」という言葉に直したことです。できれば子どもの言葉を活かしたいところです。用語として教えるのなら、これを「○○という」と明確に定義する必要があります。また、対は反対でなくても組になっていれば使う言葉です。用語としてあいまいです。「反対」「反意」を使うべきだと思います。
子どもがまとめを写している間、授業者は黙って子どもたちを見ていました。子どもたちの集中を妨げず、見守ろうとしているのはよい姿勢だと思います。

最後の課題は、「忠誠」「仁愛」「玉石」「公私」の4つの熟語を先ほどの2つのグループに分けるというものです。今度は子どもたちが知らなさそうな言葉が混じっています。その漢字や熟語の意味を知らなければ手が出ません。そこで、グループに一冊、辞書を用意します。解決のための手段を与えるのはとてもよいことです。授業者は「一つひとつの言葉の意味を調べると……」と使い方を説明しますが、先ほどの問題で確かめることをしておけば、すぐに活動に入ることができたと思います。ここでも「漢字」ではなく「言葉」を使っていたのが残念でした。また、課題を提示した後、聞いたことのない熟語や意味の分からない漢字があるかを確認して、「どうしよう?困ったね」と投げかけて、辞書の必要性に気づかせてもよかったかもしれません。

すぐに話し出すグループもありますが、先ほどのまとめをまだ書いている子どもがいて動き出さないグループもあります。机を移動させずに体の向きを変えて話し合っているため、4人がきちんと向き合わずに、全員がかかわり合えていないグループもあります。机をきちんとくっつけることも大切だと思います。
先ほどと違ってよくわからない言葉もあるので、子どもたちのテンションは上がりません。一生懸命考えています。これまで集中していなかった子どもが、自分の前に辞書を置いて取り組んでいます。それに対して他の子どもがページをめくったりしてかかわり合っています。うれしそうに取り組んでいたことが印象的でした。
予定の時間が来ましたが、子どもたちは結論が出ないのか、まだまだ熱心に取り組んでいます。授業者は時間を延長しました。子どもたちがかかわり合って問題に取り組めているので、よい判断だと思いました。
5分ほどして、子どもたちの集中が切れてきました。ぼつぼつ活動の止めどきです。何分でやるようにと指示すると、その時間はやり続けなければいけないと考えがちですが、状況に応じてその前でも止める判断も必要です。

作業を終えて、全体で確認します。ここで指名された子どもは、「最初のは、……」と熟語を読まずにグループ分けだけを行います。授業者は「読んで」と指示します。よい対応ですが、ここまで熟語の読みを確認していないので、グループ分けの結果を聞く前に、全体で確かめたいところでした。
「玉石」がどちらのグループなのか意見が分かれます。子どもから「意見交換したい」という声が上がります。子ども自身の疑問になっています。よい展開です。子どもが積極的に自分の考えを発言したくなっています。
「どちらも丸いもの」「玉は値打ちがあって、石は値打ちがない」「玉は凹凸がなくて、石の方は凹凸があって……」と次々に意見が出てきます。その間、一生懸命辞書を引いている子どもも目立ちます。授業者は、「ほうほう」「ああ」「なるほど」と受容しながら上手に子どもの言葉を引き出します。辞書を引いて、「○○さんは、玉は値打ちがあって、石は値打ちがないと言ったけれど、宝石は石だけれど値打ちがあるから、似た意味の漢字の組み合わせ」という意見も出ます。白熱してきます。
「(辞書の)玉のところを見てみて」という説明をする子どもがいます。「何ページ?」と声が上がります。ページを伝えると、子どもたちが辞書をめくります。説明を続けようとする子どもを授業者は制して、そのページを開くまで待たせます。「美しい石、宝石と書いてあって……」と続けますが、他の子どもたちは辞書を囲んで真剣に見合っていました。「石は美しくない」と言うと、「宝石は石だよ」「宝の石とかいてあるよ」とすかさず反論が出てきます。双方譲りません。
授業者は辞書を持って何か言いたそうにしている子どもを指名します。「……つまらないものと書いてある」と発言しますが、子どもたちはちょっと興奮気味で、よく聞き取れません。授業者はすかさず「みんな聞いた。今の○○さんの言ったこと」注意を引きます。聞いていた子どもから「本当だ。辞書の玉石のところに書いてある」という声も上がります。授業者が何ページに書いてあるかを共有すると、全員が辞書をのぞき込んで確認します。どうやら決着がついたようです。全員が反対の意味の漢字でつくられた熟語だということを納得して終わりました。

子どもたち自身で疑問を持ち、自分たちで考え、議論し決着を付けました。辞書を与えたことが、子どもたちが根拠を持って考えることにつながっていました。とてもよい授業だったと思います。授業者が子どもたちの発言をしっかり受容し、余計な言葉を足さなかったことがこのよい状況をつくり出したと思います。このような状況をつくりだすことができるので、あとは子どもたちが何を考えればいいのか、そのための課題をどうするのか、何を焦点化すべきなのかといった、教材研究とその場での判断が勝負になってきます。
教材研究の面では、まだ課題も見られます。よい学級の状況を活かすためにも、教材研究を大切にしてほしいと思います。今後が楽しみな先生でした。

この続きは次回の日記で。

授業者の進歩が見えると、課題もよく見える

前回の日記の続きです。

5年生のもう一つの学級の授業は国語の同じ読みを持つ漢字の意味の違いを考えるものでした。
授業者が子どもを認めたりほめたりすることを以前より意識していることを感じました。子どもたちとの関係もよくなっているように思います。
授業の始めに、机上に必要な授業道具を出すことを徹底していました。その上で、今日は使わないのでしまうように指示します。子どもたちからは「意地悪」といったブーイングが出ますが、決して険悪な雰囲気ではありません。子どもたちが授業者に対してネガティブな感情を持っているわけでないと思います。ただ、授業者が、子どもたちのそういう言葉に対してそうではないと否定するような言葉を返すことが気になりました。子どもたちが軽く言っているのに先生の方が真剣になっているように見えてしまいます。笑顔で「そう?」と受け流せばいいのです。

ワークシートを配って番号と名前を書かせます。書き終って待っている子どものよい姿勢を固有名詞でほめます。こういった場面でほめるべきことを意識できています。できれば、続いてよい姿勢を取った子どもをもう2、3人ほめるとよかったでしょう。こうすることでよい行動を増やすことができます。
ワークシートのタイトルは「カンジー博士からの挑戦状」です。子どもたちから、「ネーミングがダサイ」「本当にいるの?」「どこに住んでいるの?」といった声が上がります。授業者がそれに反応するので、子どもたちの反応がエスカレートしていきます。最後に、「本当です、日本のどこかに住んでいます」とちょっと強い言葉で断言しました。こういう時は、笑顔で「どうかなあ」と軽く受け流して、「さあ、今日の課題は……」と次に進めばいいのです。これ以外でも子どものつぶやきに過剰に反応するように感じる場面がありました。授業に直接関係のないつぶやきは無視するか、笑顔で受け流せばよいのです。

子どもたちに例題を見ているようにと指示をして、その間に板書をしますが、先ほどのやり取りのあときちんと一度集中させていないので、ざわつきがおさまりません。板書を終えてから、前を向くように指示をしますが、なかなか全員の顔が上がりませんでした。その状態で指示をするので、集中できない子どもが何人もいます。
スクリーンに例題を写し、全体で解きます。せっかくスクリーンに映すのですが、手元のワークシートに同じ問題があるので、それを見ていて顔が上がらない子どもがかなりいます。ここまでワークシートが必要な場面は特にないので、まず例題を全体で解いてからワークシートを配ればよかったと思います。
例題には○、△、□の穴が空いた文が書かれています。これを全体で読むのですが、授業者はそこに何が入るかわかる人は入れて読むように指示をします。子どもたちは想像で読むのですが、根拠はありません。多くの子どもが適切なものを入れて読むことができるところとそうでないところがあります。中にはみんなが入れることができているところでも、よくわからない子どももいるようで、「えっ」という声が聞こえます。授業者は根拠を示さずに、多くの子どもが入れることができた読みを正解として書き入れるように指示します。これでは、よくわからない子どもは、できるようにはなりません。
授業者が主導して正解を導きますが、どうやればそれに気づけるかはよくわかりません。

この問題を解くには、まず○、△、□には、それぞれの記号ごとに同じ読みの漢字が入るというルールを押さえておくことが大切です。漢字は違うが同じ読みであるということが解答するための手掛かりだからです。その上で、2つのステップを意識することが必要です。まず記号にどのような読みの漢字を入れると意味が通じるかを考えることです。子どもたちに、いくつかの候補を上げさせて、その読みを他の文の同じ記号に当てはめた時に、意味の通じる言葉になるかを考えさせるのです。わざとおかしなものを入れて、「こんな言葉あるかな?」「ひょっとしてみんなが知らないだけで、あるかもしれないよ」と揺さぶるとよいでしょう。「絶対ない」という子どもに対して、どうすればそれが言えるかを聞くことで、辞書で確認することの必要性に気づかせることができます。当てはまる読みが一つとは限らないことを意識させることで、とりあえず一つ見つけたからいいやとならないようにすることもできます。
うまくいきそうな読みが見つかれば、次に正しい漢字を書くことです。ここでも、わからなければどうするかを問うことで、漢字の意味を考えることや辞書の必要性に気づかせることができます。
解決するためのステップや手段を、例題を通して気づかせて、見通しを持たせることが大切なのです。

子どもたちに問題を解かせますが、「お隣さんに聞くのはなし」と注意をします。例題で見通しを持てていない子どもは、手詰まりになった時に動けなくなります。言葉を知らなければ、考えてもできるわけではありません。授業者は集中力を失くしている子どもに頑張るように声をかけますが、頑張ればできるというものではありません。「困っている人、まわりと相談してもいいよ」と声をかけてあげればよいのです。ちょっとしたきっかけをもらえれば、自分で見つけることもできるはずです。知識を問うテストではないのですから、わからなければ相談することを許してもよいでしょう。日ごろから、答ではなく、過程を共有する活動をしておけば、ただ友だちに答を聞いて写すのではなく、「どうして?」「なぜ?」と根拠を聞くようになるはずです。こういったことを意識するとよいでしょう。
時間が経つにつれ、子どもたちは自然にまわりと相談し始めます。そのことを授業者は止めません。そうであれば、最初から許してもよかったと思います。
子どもたちの声が次第に大きくなっています。授業者が相談してもよいと指示しているのであれば、問題に関連したことから外れてしゃべることはあまりありませんが、指示を無視してもそれを止められていないので、勝手に雑談をしてもよいと思う可能性があります。こういった点にも気をつけるとよいでしょう。

挙手で指名した子どもに、用意した小形のホワイトボードに答を書かせます。「一発勝負だよ。後で書き直すことはできません」とプレッシャーをかけますが、その意味がよくわかりません。「間違えてもいい」「気がつけば直せばいい」という安心感を大切にする方がよいと思います。
指名された子どもがホワイトボードに書いている間、他の子どもはすることがありません。待っている間にすることの指示が必要だと思います。時間がもったいないので、ワークシートの不要な部分を紙で隠して、実物投影機を使えばよいように思いました(子どもの書く字は薄いので上手く映らないのかもしれませんが……)。

正解かどうかを授業者が判断します。子どもたちが迷っていたものも、授業者が、「これが大正解」と説明しますが、根拠ははっきりしません。漢字の持つ意味をきちんと確認して、子どもに納得させることが必要です。ただこれが正解だと熟語を覚えさせるのではなく、漢字の意味とつなげて身につけさせなければ、この活動の意味はありません。それぞれの漢字と言葉の意味を確認して、それでよいことを全員が納得するようにしたいところです。
「放課後」を「放火後」でもよいのではないかという子どもがいます。一般的にはそういう状況はないでしょうが、ありえないことではありません。その意味をわかってその状況を説明できるのなら、それも認めてよいと思います。子どもは一生懸命、「放火した後に……」と説明をつぶやいています。しかし、授業者はそれを無視して先に進んでしまいました。こういった子どものつぶやきこそしっかりと受け止めたいところです。
「3問とも正解の人」と挙手をさせて、「いいですね」とほめて、拍手をさせますが、今一つ盛り上がりません。続けて2問正解についても同様に対応して終わります。できた子どもだけが評価されます。正解することに価値をあまり求めないようにしたいところです。

続いてまた個人で問題を解いて、全体で確認しますが、問題を解く過程や漢字と読みの関係について考える場面がありませんでした。答がわからない子どもは、答を聞いて覚えるしかありません。漢字は覚える要素は強いのですが、漢字の意味を知ることで、知らない言葉でもその意味することを類推することもできます。明治以降、それまで日本語にない外国の言葉を、漢字を使うことで新たな日本語として付け加えてきたという歴史もあります。漢字の持ついろいろな特性に気づかせることを意識して、授業を組み立ててほしいと思いました。

授業者は子どもたちのよい授業規律をほめることができるようになりました。子どもとの関係もよくなっているように感じます。授業者の持つよさが、だんだん子どもたち伝わってきているように思います。ほめるという点では、次は、子どもたちの発言を価値付けすることを意識することが課題だと思います。発言を価値付けするためには、教科で大切にするべき見方・考え方を意識することが必要です。この点を意識することで教材研究も深くなると思います。前向きに取り組むことで、きっと大きく進歩することと思います。

この続きは、次回の日記で。

道徳授業を答探しにしない

小学校で授業アドバイスを行いました。今回は、5、6年生の授業でした。
前回の訪問時に私がお話したことを、皆さんが意識しているのを感じられたことをうれしく思いました。

5年生の一つ目の学級は道徳の授業でした。
この日の教材は副読本の「給食の時間」でした。何ページかを伝えて開くように指示をすると、子どもたちは一生懸命に副読本をめくります。素早くページを開く子どももいますが、何ページかを聞き洩らしたのか、なかなか見つけられない子どももいます。授業者は大体の子どもが開いたのを確認して、範読を始めました。しかし、まだ副読本をぱらぱらめくっている子どもも目に付きます。隣の子どもがページを見つけられないのを気にしている子どもが何人かいたのですが、範読が始まっているためか、教えることはしませんでした。「わからない人は、隣の子に聞いて」と子ども同士が助け合うことをうながし、全員の準備ができるまで待つとよかったでしょう。
また、副読本を手に持って読んでいる子どもと、机の上に置いている子どもとに分かれていることが気になります。昨年度までの担任の指導が違ったのでしょうか。授業者は歩きながら、一文ごとに顔を上げて子どもを見ていますが、特にそのことを気にしている様子はありませんでした。
副読本を忘れて隣を覗き込んでいる子どもがいますが、隣の子どもは本を自分の前に立てて見せようとはしていません。子ども同士の関係がちょっと気になる光景です。授業者がそのことに気づいて「見せてもらって」と指示をすると、副読本を間に置きました。
面白いのは、最初はかなりの数の子どもが教科書を立てていたのですが、時間が経つにつれだんだん倒れていったことです。何となく聞いていても、手元の副読本を見ればわかるので、集中力を失くしていくのです。副読本を持たせずに範読するか、途中で子どもに問いかけるといったことが必要だったようです。

範読が終わると、「いつものように」と言って、印象に残ったところ、心に強く残ったところを発表させます。すぐに5、6名の子どもの手が挙がりますが、多くの子どもはまだ副読本のページをめくっていました。授業者がすぐに指名するとページをめくっていた子どもの動きが止まります。
授業者は子どもが発言している途中でも板書を始めます。ちょっと進めることを焦っています。まず子どもたちがじっくりと考えたり、友だちの話を理解したりすることが大切です。
子どもたちがだれも発言者を見ないことも気になります。授業者の方を向くでもなく、視線の定まらない子どもが目立ちます。授業者は発言が終わった後も板書に専念しているので、子どもたちの様子が見えません。すぐに発表したくて手を挙げ続けている子どももいます。板書中も子どもたちの様子を見ようとすることが大切です。板書を終ってから、「なるほど、性格を言ってくれたね」と発言を評価しますが、あまりに時間が経ちすぎていました。

子どもが発言するたびに、授業者が一言、整理してまとめることが続きます。そうではなく、似たような意見の子どもを何人もつないでいき、色々な視点を共有させることが必要です。
授業者は自分がねらっている発言が出てくると、「その理由は?」と発言者に聞いて深めようとします。しかし、他の子どもは他人事なので反応しません。子どもたちが聞きたいと思う必要があります。「○○さんがそう思う理由わかる?」といったつなぎ方もするとよいでしょう。
表情豊かに、子どもの発言を受容することができるのですが、立ち止まって子どもに考えさせる場面がありません。それでも、子どもたちの手がだんだん挙がってきますが、自分の思ったことを話すばかりで、なかなか焦点化されていきませんでした。15分ほどこの状態が続きました。次第に子どもたちの集中力が落ちてきます。他の子どもの発言中に机に伏せる姿も目につきました。

授業者はここでいったん止めて、主人公の性格について子どもから出た「完璧な人」を別の言葉で置き換えるように問いかけます。子どもの顔が上がります。「違う言葉があると思うんだけど、わかる人いるかな?」と聞くのですが、「わかる人」という表現には注意が必要です。授業者の求める答があることになるからです。子どもたちの考えを深めるのであれば、広く受けることのできる聞き方を意識することが必要です。「完璧な人という意見があったけれど、みんなはどう思う?」といった聞き方もあると思います。同じという意見やちょっと違うという意見をもとに、焦点化するのです。
子どもたちは授業者の求めるところとはちょっとずれた発言をします。「○○な人」という答ではなく、このような人だと詳しく説明します。授業者は「そうそう」と受容して「そういう人のことを、なんか言えることない?」と返します。何とか求める答を引き出そうとしていますが、ちょっと強引です。子どもは、「言えること」を長々と発表します。そこで、いったん話を止めて、「自分は主人公と同じタイプだという人?」と問いかけます。主人公を「完璧な人」「みんなに信頼されていないからそこまで完璧ではない」といった人物評がでている中で手を挙げる子どもはなかなかいないでしょう。そのことに気づいたのか、授業者はちょっと間を置き、他の登場人物も含めて、どのタイプかを考えるように指示しました。子どもたちのほとんどは、ちょっと失敗をした男のたちに手を挙げますが、手を挙げない子どももいます。手を挙げていない子どもを確認して、自分はどんなタイプなのかを聞きます。授業者が選択肢に挙げなかった登場人物と同じだと答えてくれました。全員参加を意識したよい対応だと思います。

主人公のタイプがほとんどいない中で、主人公に望むことは何かを聞きます。子どもたちとってリアリティがない話です。「怒りっぽい性格を直した方がいい」といった、第三者的な視点になってしまいます。これでは、自分に引き寄せて考えることはできません。他者に対する無責任な批判になり、子ども自身の変容にはつながりません。
ここで先ほどの主人公の性格をどう表現するかに戻ります。授業者は「何々の強い人という言い方ができると思う」と、その何々を考えるように指示します。どうしても、自分の求める答を子どもから出せたいようです。
すぐに挙手した子どもを指名します。「言い方の強い人」「意志の強い人」と続きます。授業者はその答をちゃんと受容しますが、次に「責任感の強い人」という答が出ると、すぐに板書して、説明をし始めます。「これが授業者の求める答だったのか」と子どもたちは思うでしょう。こういうことが続くと、子どもたちは授業者の求める答探しをするようになってしまいます。
授業者は「責任感」という言葉をキーワードにしたいのですが、言葉そのものよりも、その意味することを押さえることが大切です。主人公がそのように思った、そのように行動したのはなぜかを問いかけることで、それが「責任感」であることに気づかせるのです。「責任感」という言葉がでなくても、そのような気持ちからの発言、行動であることが焦点化できれば、授業者が「それを責任感というんだよ」と定義してもよいのです。大切なのは、その中身だと思います。
授業者は「先生は責任感が強いと思いますが、どういう責任感が強いと思います?」とたずねます。これはもう授業者の気持ちを理解する授業です。子ども自身の気持ちとはずれていってしまいます。
子どもたちが何人か発言した後、「主人公は仕事を頑張ってやっていたけれど、ちょっと言い方がきつかったり、こわかったりして友だちが縮こまっちゃった」と主人公の言動を授業者がまとめました。子どもたちはここまでたくさん発言しましたが、授業者の言葉でまとめてしまいました。

続いて、主人公ともう一人の登場人物の性格の違いを問いかけます。客観的な人物評価をしているだけで、子どもたちにとっては他人事です。
主人公を「怒りの人」というように、相対的に悪く言う言葉が出てきます。授業者は、「主人公は悪役ではないからね」とフォローしますが、人物を比較する発問をすればどうしても無責任に他方の欠点を強調する意見が出やすくなります。単純なよい、悪いの二極構造になっていきました。ちょっと注意が必要です。
この話では、主人公は悪いことをした子どもがそのことを忘れたように遊びに行ったことを怒りました。最後に、そのことに対して「悪いことをしたからといって、給食が終わった後、遊びに行っていけないことはない」という意見が出ました。授業者は自分の望む意見がでたので、「そうそう」と強い同意を示し、「そのことを何と言うのか教えてほしい」と返します。手を大きく広げて、「手の動きからわかってほしいな」と「広い心」を引き出そうとします。子どもが深く考えて出てきたのではなく、たまたま出てきた意見をもとに授業者の求める結論に誘導しているのです。

授業者は「ありがとう」という言葉をよく使います。このことが明るい雰囲気の学級につながっていると思います。子どもを一生懸命受容しようとしていますが、授業者の視線はどうしても発言者ばかりに向いています。発言を聞いている子どもの反応もよく見る必要があります。その反応を次の展開につなげるのです。また、自分のねらう言葉を引き出そうと誘導して、そこにつながらない答は受容だけしてスルーすることが多いことも気になります。確かにこれはよく使われる授業技術なのですが、道徳では「意外な答」「思いもしなかった考え」を「どういうこと?」と聞きたいと思うことが大切です。一人ひとりの子どもの考えや気持ちをしっかりと聞き、全体で共有することが必要なのです。自分に引き寄せ、自分のこととして考えることが、子どもたちの変容につながります。答探しの道徳にならないようにしてほしいと思います。

この続きは次回の日記で。

技能系教科の公開授業から学ぶ

前回の日記の続きです。

技能系の教科の授業はそれぞれの特性を生かした工夫を感じられるものでした。

中学1年生の家庭科の授業は、ポーチの製作実習の場面でした。
男の子も楽しそうに裁縫をしています。子どもたちは、わからないことがあるとすぐに先生にたずねますが、先生の体は一つです。すぐに対応することはできません。しかし、そんな時も子どもたちはまわりの友だちに聞くことができています。授業者は、子どもから聞かれても「できている人がいるから、聞けばいいじゃん」と子ども同士をつなごうとしたりもしています。よい姿勢です。明るい雰囲気に、実技教科のよさを感じることができました。授業者は忙しく教室の中を動き回りながらも、笑顔を崩しません。こんなところにも雰囲気のよい理由があると思います。
裁縫のことに関して聞き合っている言葉の合間から、雑談も聞こえてきます。しかし、手は動いています。昔の主婦が繕い物をしながら雑談をしていた様子が思い出されました。授業者は上手に子どもたちの活動のバランスをコントロールしているように感じました。

高校3年生の家庭科は、調理実習でした。
黄身返し(ゆで卵の黄身と白身が反転したもの)をつくります。こういった題材は子どもたちを惹きつけるよいものだと思います。子どもたちはそれなりに意欲があるのですが、つくり方の指示が文章中心なので、わかりにくいようです。相談してもよくわからないので、困っています。授業者は子どもたちの作業中、個別に、全体にと指示をし続けることになっていました。手が止まる場面が多いために子どもたちはどうしても集中を失くします。雑談が増えざわつきますが、それに対応して授業者は、指示を通そうとテンションを上げていきます。すると子どもたちもテンションが上がって、悪循環になってしまいます。こういう時は、逆にテンションを下げてしゃべるとよいでしょう。
黄身返しでは、通常の料理ではありえない過程があります。想像がつきにくいので、実際に子どもたちが使う道具を使って動画をつくり、ICTを活用してポイント見せるとよいと思います。また、指示をして後は任せるのではなく、チェックポイントをつくって調理の流れをコントロールすることで、よりスムーズに進むと思います。
子どもたちの状況に応じて進行をコントロールする方法をいくつか持つことを意識するとよいと思います。

高校1年生の男子の体育の授業はバスケットボールの授業でした。
子どもたちにまかせて準備運動をしていますが、ちょっとだらだらしている子がいます。そこで授業者が一声かけると子どもたちの様子は変化します。子どもを見て必要な対応の取れる方です。
スクエアパスの練習を行います。前回もやっていたのでしょう。あまり指示をせずに進めます。スクエアパスは動き方がわかりにくく、学校の授業では上手くやれないことが多いものです。ここでは、通常行われるものではなく、単純化したものでした。それでも、子どもたちはポイントがよくわかっていないように感じました。授業者は活動させながら、うまくできていないことをワンポイントで指示します。指示するごとに子どもたちの動きは確実によくなります。事前に指示をしても、徹底することは難しいので、まず経験させてから修正するという方法を取っているようです。なるほどと思いました。体育館という比較的狭い場所で、指示が届きやすく、集合させるのにも時間がかからないという環境を活かした手法です。
授業者は、このあと少しずつ条件を付け加え、やり方を変えることで通常のスクエアパスをできるようにしたようです。スモールステップを意識した授業構成でした。子どもたち自身も、ステップがはっきりしているので達成感を味わいやすかったのではないでしょうか。よい学びをさせていただきました。

高校3年生の体育の授業はテニスでしたが、雨のためコートが使えませんでした。
使える場所が狭く、柱などの障害物があり、全体を見通すこともできず、環境的に苦しいものがありました。授業者は笛を使ったりして子どもの動きをコントロールしますが、動けない子どもも目立ちます。ラケットを使う場面になれば子どもの意欲が上がるかとも思いましたが、思ったほどではありませんでした。環境が大きく影響したようです。ちょっと残念でした。別の機会に授業を見せていただく機会を持ちたいと思います。

高校1年生の美術の授業は、彫刻の鑑賞の授業でした。
まず、日本の彫刻の作品4点を示し、個人で制作年代順に並べ、その後グループになって答を一つに統一するように指示します。通常、考えを一つにさせるのは難しいのですが、思ったほど意見は分かれなかったようです。どのグループもすんなりと決まったようです。
作品がいつの時代かを確認してから、次の課題に移ります。それぞれの作品に対して、「材料」「モチーフ(テーマ)」「感想」「好感度(好きか嫌いか)」を書きます。グループごとに作品の大きな写真を配ると、子どもたちの集中度が上がりました。手元に物があるということは、こういった活動では大切な要素だということがわかります。あまり友だちとかかわらずに自分の考えをまとめることに集中する子どももいれば、友だちとしゃべりながら自分の考えをまとめる子どももいます。いろいろです。高校生ぐらいになると、個でやることにこだわる子どもが増えてくるように思います。こういった子どもを無理やり参加させる必要はありませんが、まわりの子どもが「聞かせて」と言ってかかわるような場面をつくれるとよいと思いました。
ただ感想を言わせるのではなく、作品を見る視点を与えることで、個々の意見の違いや感性の違いが明確になります。ちょっとしたことですが、よい工夫だと思います。

高校3年生の情報処理の授業は、情報処理検定の受験直前ということで、実践問題の演習を行っていました。
子どもたちは端末に向かって個別に問題を解いています。授業者は机間指導をしながら個別に対応をしていますが、対応しきれません。まわりの友だちに教えてもらっている子どももいますが、手が止まっている子どもが目につきます。確かに本番の試験ではだれにも頼ることはできませんが、授業者が個別に教えるのであれば、相談することも積極的に許してよいのではないかと思います。
また、子どもたちが困っていることは共通のことも多いと思います。途中で活動を止め、困っていることを共有して、できた子どもにどこがポイントかを説明させることをしてもよかったと思います。
授業者がポイントを解説する場面があったのですが、端末に向かって作業を続けている子どももいます。ディスプレイから視線を外させて授業者に集中させることが必要でしょう。こういったことが何度かあると、子どもは授業者の話より問題を解くことを優先してよいと判断するようになります。ヒドゥンカリキュラムです。こういったことにも気をつけてほしいと思います。

全体での検討会は、公開授業の教科ごとに分かれて、授業から学んだことを話し合いました。その教科以外の人が意見を言うことで、教科を越えた共通の視点が浮かび上がってきます。「全員参加」「子どもの姿」「意欲」「声かけ」「見せ方」「指示」「安心て間違えることができる雰囲気」「子ども同士の教え合い」「子ども同士の聞き合い」といったキーワードが各グループから出てきました。
先生方が、互いの授業から学べていることがよくわかりました。
授業研究の進め方も進化しています。授業改善の大切な要素です。私からは、先生方の努力や工夫が子どもたちのよい姿につながっていることを、お伝えして終わりました。

英語の公開授業から学ぶ(長文)

前回の日記の続きです。

英語科は授業改善を積極的に進めている方が多い教科です。GDMに取り組む方もずいぶん増え、そうでない方も独自の工夫をされている方がたくさんいます。今回公開にはなっていないのですが、個別に授業を見てほしいというリクエストもありました。うれしいことです。

今回の公開はGDMが中心でした。高校1年生のGDMは今年度から挑戦される方がほとんどです。いろいろと苦労されていると思いますが、定期的に学び合う機会を持って確実に自分たちのメソッドとして確立されつつあります。3学級を4つに分けての同時進行の授業を参観しました。
一つ目の教室では、授業者が笑顔で子どもたちをほめています。絵本を見せながら、”What do you see in this book?”と一人ずつ順番に子どもに問いかけます。子どもたちは、一生懸命答えようとします。指名されていない子どもも、自分のこととして考えています。
続いて、”What do you see on the table?”と質問を変えます。”I see ○○ on the table.”と、授業者が教卓の上にあるもの使って例を示します。子どもたちは一生懸命に答えようと聞いています。一人の子どもが、”I see an eraser.”と答えてくれました。授業者は”Very good!”とほめ、「聞きました?」と言って、”He sees an eraser.”と言い変えました。三人称単数現在の”s”の練習です。続いてすぐにペアで練習するように指示しました。それまで、全体では口を開くことができず、あまり参加できなかった子どもたちも一気に動き出します。子どもたちは意欲があっても、なかなか言葉にすることができなかったようです。よいタイミングでペアに切りかえたと思います。

別の教室では、子どもたちの動きはまた異なっていました。
よく理解できない子どもが個別の練習場面では動けません。また、ペアワークの時に下を向いて参加できない子どもがいました。自信がないのかもしれません。相手の子どもが上手くかかわれるといいのですが、なかなかそうはいかないこともあります。しかし、全体でのやり取りでは、そういった子どももちゃんと口を開けたりします。子どもがわかる、自信を持てるようになるためには、全体練習、ペア練習、個別の練習といったものをうまく組み合わせることが必要です。どの活動でわかるようになるのかは、子どもによっても違います。状況に応じて、活動を切りかえることが求められます。また、多くの子どもが理解できていない時には、その一つ前の活動に戻ってやり直すことも必要です。
授業者はシナリオ通りに授業をすすめることができるようになっています。次は子どもたちの状況に応じてシナリオをちょっと入れ替えるといったことにも挑戦してほしいと思います。

また、別の教室では、子どもたちの声がとてもよく出ていました。授業者は笑顔で子どもたちをとても上手にひきつけています。子どもの反応に対して常に受容的で、しっかりとほめることができています。個別の指名でも、全体に対しての問いかけでも、子どもたちが一生懸命に答えようとしているのが印象的でした。
困っている子どもも、友だちに助けられて参加できています。また、ペアでの練習もほとんどの子どもがしっかりとかかわれています。しかし、中には声をかけられても反応しない子どももいます。相方がちょっと困っていました。こういった場合は、授業者が声をかけて参加を促す必要があります。それで反応しない子どもが変化するかどうかはわかりませんが、声をかけた子どもに先生がこの状況をわかっていることを伝えることにはなります。授業者が常に見守っていることを知らせることが大切です。

最後の一つは、昨年度からGDMを経験している方が授業者です。
GDMの授業スタイルに慣れてきているのがわかります。落ち着いて子どもたちの様子を見ながら進めています。子どもたちにわかってもらいたい、わからせようという思いが強い方です。時として、そのためにテンションが上がり気味になることがあります。子どもたちの声を引き出そうと先導して声を出し続けてしまいます。最初だけは授業者の声で引っぱっても、すぐに声を落として子どもたち自身で言葉を出させるようにしたいものです。
なかなか声が出ない子どもも一生懸命わかろうとしています。何度も繰り返しているうちに、声を出せるようになっていました。この授業に限らず、どの授業でも子どもたちがわかろうとする意欲を感じる場面がたくさんありました。子どもたちにGDMが定着しつつあるようです。

高校2年生では、GDMと通常の教科書やテキストを組み合わせた新しいカリキュラムづくりに、日々挑戦しています。そのことを知っている先生も多いのでしょう、多くの方が参観していました。
1年生からの学習成果が感じられる場面が多い授業でした。全体での練習では、”situation”をしっかりと英語で表現しています。ちょっと不安な子どもも、ペアでの練習でしっかりとかかわりながら理解しているのがわかります。この日のテキストで必要な文法事項をまずGDMの手法で何度も練習をします。テキスト主体の従来の授業では、本文の例をもとに文法事項を学習しますが、文法事項を理解するには例文が少ないため授業者が解説したり、全く別の例文で練習をやり直したりします。そうではなく、最初からその文法事項を理解するのに最適な例でしっかり練習することで、定着を図ることをしています。テキストはその学習事項の活用という位置づけです。テキストを理解するために文法を学習するのではなく、学習したことを使ってテキストが理解できたという達成感を持たせるのです。
基本的に授業者は説明をしないので、子どもたちが英語を「話す」時間が圧倒的に多いことが目を引きます。言われたことの”repeat”ではなく、自分で”situation”を表現しているので子どもたちは英語を話している実感があります。そのことが子どもたちの意欲につながっていると思います。
“listening”や”reading”にICT機器を積極的に活用することで、子どもたちの顔がしっかり上がっています。ICTがムダのない密度の濃い授業につながっています。テキストを読むために必要な単語や語句の練習を、PCを使ったフラッシュカードで行います。こういった知識は知らなければ何ともできないので教えるのです。ただ、英単語と日本語の意味を1対1で対応させていることが気になりました。”root sense”をどう意識するか、もう一工夫が必要です。
この日のテキストはスティービーワンダーと人種差別に関する話です。スライド上で画像と音声を組み合わせたテキストをスクリーンに映すことで、上手く子どもたちの集中を引き出しています。全体とペアで”reading”を繰り返しますが、子どもたちは真剣に取り組んでいます。わかりたい、できるようになりたいという意欲が感じられます。
テキストの内容に関する問題が映し出されます。全体で答えさせますが、よくわからないために声が出ない子どもも目立ちます。しかし、ペアで答を確認し合った後に全体でもう一度確認をすると、かなりの子どもが答えることができていました。
子どもが困っている時には、関連する本文をすぐにスクリーンに映し出します。口頭でヒントを出すよりわかりやすく、ワイヤレスマウスを使ってスライドを戻すだけなので時間もかかりません。訳を写したり覚えたりするのではなく、英文の内容を理解することを大切にしている授業でした。
授業者が話す量が少ないので、丁寧にやっているようでテンポは速く、子どもたちの活動量はとても多くなっています。
子どもたちが英語をしっかり話せていることが、参観者の先生方には驚きだったようです。先生方の工夫で、子どもたちの持っているポテンシャルを引き出すことができることに気づかれたのではないでしょうか。よい刺激になったことと思います。
まだまだ完成形ではないでしょうが、確実に自分たちのカリキュラム、メソッドができつつあるのを感じました。

公開授業ではありませんが、2つの授業を見せていただきました。
一つは高校1年生の授業で、英作文に個別に取り組んでいる場面でした。苦戦をしている子どもが目立ちます。友だちと相談している子どももいますが、全体としては子ども同士があまりかかわれていません。授業者が個別に指導しますが、困っている子どもすべてには対応できません。子どもたちの集中力が切れてきました。隣同士で相談している子どもの間に授業者が割って入って教えます。一方の子どもは、今度は反対側の子どもと相談を始めました。先生が子どものかかわりをじゃまする形になってしまいました。授業者の指導は、何を参考にしたらよいかの提示程度にし、子ども同士のかかわりを大切にしてほしいと思います。子ども同士が相談しやすいように、個別の作業でもグループの隊形で行うのも一つの方法です。
下書きが書けたら、提出用の紙に書き直すように指示をします。子どもの作業を止めずにしゃべるので、子どもたちは聞いていません。「聞いて」と言った後、提出したものを添削して返すので、それを再度書き直すようにと指示をし直しましたが、徹底できたかよくわかりませんでした。鉛筆をいったん置かせて集中させ直してから、明確な指示をすべきでしょう。また、授業者が添削するのは悪いことではないのですが、子ども自身の手で修正させたいところです。子ども同士で見せ合って、指摘し合えるとよいでしょう。
課題に取り組ませて、個別に教師が正解を教えても子どもの力はつきません。英文が書けるようになるためには、どのような活動が必要なのかを考えて授業をつくることが必要です。このことに気づいてほしいと思います。

もう一つは高校2年生の授業で、問題演習の場面でした。
ペアで互いに正対するように机をくっつけて問題に取り組んでいます。授業者は自力でできなければペアと相談するように指示しました。
机間指導をしますが、子どもの手元をしっかりと見ているわけではありません。かえって子どもの集中を乱します。全体が見える位置から子どもたちの様子を見るようにするとよいでしょう。困っている子どもがいれば、そこに行って必要な支援をすればよいのです。子どもたちは集中して取り組んでいますが、相談する様子はあまり見られません。時間が経って体が倒れている子どももいるのですが、相談しようとはしませんでした。問題が解けてすることがないのかもしれません。
授業者は歩きながら、問題を解くには根拠が大切だとしゃべります。文章を読んで答える問題だから、できた人は文章の何行目に書いてあることから答えが出たかをメモするように指示しました。子どもたちの動きを止めずに説明するので、子どもの顔は上がりません。指示がきちんと通っているのか不安です。
子ども同士のかかわりが見られないまま時間が過ぎていきます。残り時間を1分30秒と切って、この時間は積極的に相談するように指示をしました。自分で解くことに集中していた子どもたちがここで体を起こして、ちょっと緩みました。子どもの声が聞こえ始めますが、全員が相談しているわけではありません。友だちに聞く必然性がないのかもしれません。
全体で答を確認していきます。授業者が簡単に問題の説明をしてから、子どもを指名し、答を聞いた後、どこに書いてあるかを確認します。4行目という答に対して「そうだな、4行目だな」と返して、その英文を読ませます。確認が終わると次の問題に進みます。指名した子どもとのやり取りはありますが、一問一答には変わりありません。
次の問題では、「”must”の意味がいろいろあったけど」と問いかけます。指名した子どもと、「しなければいけない」「その他には?」「”must not”で?」「していけない」「あと、もう一個、ポイント問題」「違いない」とやりとりをして、「ということは、○○さん、どういうことでしょう?」と問題の答を問いかけます。これでは、まるでパズルです。”must”の意味を覚えて、どれが当てはまるかを選ぶのです。”must”の”root sense”は「どうしても」「なければならない」という必然を動詞に付加するものです。日本語で「違いない」と訳しますが、”must”の別の意味ではないのです。”must”によってあらわされる必然という状況を自然な日本語に直しただけです。日本語と対応付けて理解するのではなく、原文の表わす”situation”を理解するようにしたいところです。
子どもが記号で答え、授業者が正解であることを判断して、その理由を説明し始めます。根拠を大切にするのはよいのですが、一方的に授業者が説明しているのが残念です。子どもが正解したのですから、子どもに根拠を聞きたいところです。
「普通、”for”の意味は何かな?」「何とかのため」「普通みんな、何とかのためというんだよな。実は今回はちょっと異なってくるんだな、知ってる?」と畳みかけていきます。子どもが考えたり調べたりする間がありません。知識を蓄えて素早く引き出せる訓練をしているようにも見えます。
英語をきちんと理解することができれば問題は解けるようになります。問題を解くことを目的とするのではなく、問題を解くことを通じて英語を理解できるようになることとして授業見直してほしいと思います。とても熱心な先生です。授業を改善する意欲も旺盛です。視点をちょっと変えることで大きく進歩するはずです。今後の変化を楽しみにしたいと思います。

この続きは次回の日記で。

理科の公開授業から学ぶ(長文)

前回の日記の続きです。

理科の先生方は、日ごろから科目に応じていろいろな工夫をされています。今回公開された授業はアクティブ・ラーイングを意識したものでした。

高校1年生の物理(基礎)は、力のつり合いの問題の解説の場面でした。
授業者はポイントを確認し、指名した子どもとやりとりしながら解答を進めていきます。最初に指名した子どもは、基本がよく理解できていないのか、力の向きや作用点が混乱しています。授業者は、「○○?」と子どもの発言を復唱しながら修正させています。上手い対応です。ちょっとおかしな答にはまわりの子どもが声をかけて修正してくれます。よい雰囲気なのですなのですが、それ以外の子どもは他人事です。他の子どもにも、「ちょっと○○さん困っているね。どこに着目するといいかな?助けてくれる?」とつないでみるとよいでしょう。
授業者はポイントを整理するのですが、言葉だけでのやり取りになっています。もちろん演習前にきちんと押さえているはずですが、問題を解く前や解説する時に「物体が静止⇔物体にかかる力(合力)が0」と板書したりして、困った時に戻れるようにしておくとよいでしょう。
注意をしなければいけないのが作用点です。物理のベクトルは数学のように始点がずれていても平行で大きさが同じであれば等しいというわけにはいきません。大きさが同じで向きが反対でも、作用点が同一直線上になければ、釣り合わず、回転モーメントが生じます。ただ、回転についてはまだ扱っていませんので、このあたりを上手に押さえておかないと混乱します。力がかかっているところが点の場合はよいのですが、机の上に平たい物が置かれている場合、抗力の作用点がどこかを考えるのは、実は難しいのです。正解を書ける子どもでも、なぜそうなるかをきちんと説明するのは難しいと思います。また重力のように遠隔力の場合は接触面がありません。そのために重心という概念が必要になってくるわけです。接触力と遠隔力を意識しないと作用点は混乱するのです。場合に分けて、きちんと理解させる必要があります。混乱している子どもがいるようであれば、一度全体できちんと確認をするとよいでしょう。
また、子どもの中で力と力の大きさが混乱している場面がありました。授業者も正しくは力の大きさというべきところを、単に力と言っていることがありました。わかる人にはそれで通じるのですが、子どもによっては混乱の原因になってしまいます。意識することが必要でしょう。
授業者は子どもを指名して対話的に進めようとしています。子どもが期待とずれた答をしても認めて受け止めることができ、その考えを活かそうとしています。とてもよいと思います。しかし、どうしても指名した子どもと2人だけの世界になりがちです。他の子どもたちをどう参加させるかを意識するとよいでしょう。
一問一答の連続で進むのですが、答を聞くことが主となっています。問題を前にしてまずに何を考えるの、どこから手を付けるのかといった見通しを全体で共有するとよいでしょう。「この問題は何を求められているの?」「何がわかる必要があるの?」といった問いかけから始めるのです。
板書も問題の答だけしか残っていません。どうやって考えたのかといった問題を解く過程は、「授業者と指名された子どものやり取り」と「授業者の説明」なので、メモを取れる子どもならよいのですが、そうでなければ消えていってしまいます。問題を解くための見通しと合わせて、どこかに残すようにするとよいでしょう。
授業者は子どもとの対話を意識しています。ちょっとずれた子どもの発言も受容して、キャッチボールをしながら正解に導こうとしています。とてもよい姿勢だと思います。次は、そこから出発してどのようにして全員参加にするのかを工夫してほしいと思います。

2年生の化学(基礎)は、molを使った計算問題の演習場面でした。
子どもたちがグループの形で問題に取り組んでいます。とてもよい表情です。学級の雰囲気のよさを感じました。授業者は机間指導の途中で子どもたちに呼び止められると、その質問に答えます。授業者が個別に教えていても、まわりの子どもは一緒に聞こうとはしません。せっかくのグループですので、「他にも困っている人いない」「わからなかったら聞いてごらん」と、自分で教えずに他の子どもにつなぐようにするとよいでしょう。
グループでの問題演習は前時から始めたので、まだ2回目だそうです。しかし、子どもたちは他の授業でグループの形に慣れているので、抵抗なく進みます。多くの先生がグループ学習を取り入れているので壁は低くなっているのです。この先生も、これからグループ活動のポイントを自然に身につけられると思います。
この授業でとても面白い出来事がありました。ある子どもが、一緒に授業を参観していた校長に「先生、何の(教科の)先生?」と声をかけてきました。「この問題教えて」と聞くのです。校長は「自分でできるよ。やってごらん」と優しく返します。ここで教えないのはさすがです。校長が用事でその場を離れると、今度は私に聞いてきます。もちろん自分でやるようにうながしました。その子どもは、その後も問題に取り組んでいましたが。答え合わせが終わった後、ワークシートひらひらさせて「できたよー!」「○○(コース名)もやればできるんだから」とうれしそうに声をかけてきました。「ほら、自分でできたじゃない。すごいね」と声をかけると、、向き合っている子どもを指して「いっしょにやった」とちょっと照れたように答えてくれました。そして、「先生は私たちをチェックしているの?」と聞きます。そうではなく、授業をしている先生にアドバイスをするためだと伝えると、授業者の評価をするのだと勘違いしたのか、「○○先生は、とってもいい先生だよ」と授業者のよさを私にアピールし出します。私が「わかっているよ」と言っても止まりません。「とても面倒見がよく、私たちのことを真剣に考えてくれる……」と、話し続けてくれました。とても幸せな気分で教室を後にしました。実はこの子どもは、化学の成績は一番下の方だそうです。その子どもからこのような姿が見られたことをとてもうれしく思いました。
この学校では、中学生のころの成績が真ん中あたりの子どもたちが入学してきます。中学校時代はあまり先生方にかかわってもらえなかった層です。だから、先生が子どもたちとかかわることで、意欲的になるのです。子どもたちのよい姿を見ることができるようになったのは、この学校の先生方が子どもたちとしっかりかかわっているからだと思います。このことをこれからも大切にし続けてほしいと思います。

高校3年生の化学の授業は、ベンゼンの学習でした。
教科書が大事だということで、時間を取って子どもたちに教科書を黙読させます。子どもたちは集中して読んでいます。
読み終わった後、授業者が「大事なのはベンゼンの形……」と、この時間のポイントを説明しますが、今一つ子どもたちが集中していません。授業者が椅子を手にして、「脚が4つあるけど、これが3つになるとどうなるの?」と問いかけると、子どもたちが一気に集中します。物を使うよさがよくわかる場面でした。椅子の脚が3本になると座れないことから、形が大事だと確認します。私たちの世界が3次元であることから、立体構造が大切なことを説明しまが、すぐにスルホン化の話になりました。化学の授業ですので、分子の構造が変わると化学的な性質が変わることも押さえてほしいところでした。
ここで、授業者はどうして水素とスルホン基が入れ替わるのか、模型を使って確かめようとつなげましたが、立体構造を考えることと、水素とスルホン基が置換することの関係がよくわかりませんでした。
ここまで、5分ほど授業者が一方的に話します。柔らかい口調でとても聞きやすいのですが、子どもたちとやりとりする場面がほしいところです。続いて、ベンゼンに関連して豊洲市場の汚染問題について話をします。子どもたちに有機化学の学習が現実世界と結びついていることを教えようとするのはとてもよいことですが、ここまでで子どもたちの集中力が切れています。残念ながら子どもたちの顔は上がってきませんでした。
グループに分かれて、ベンゼンの分子模型を組み立てます。準備ができてから、授業者が追加で説明を始めますが、物を前にするとどうしても触りたくなります。この状態で話をしておあずけ状態にすると、せっかくのやる気をそいでしまう可能性があります。説明はグループにする前に終わっておきたいところです。
ベンゼン環の二重結合と単結合が局所化していないことを説明します。高速で二重結合が切り替わっていると説明しますが、どうしてそうなのか、どうやってわかったのかは説明されません。二重結合の2つの結合が等価でなく、一方のπ結合が弱いことを学習していないため、π結合が特定の結合に寄与していないことを説明できないのかもしれませんが、どういうことか疑問に思う子どももいると思います。そもそも、模型をつくると言っても、あくまでもモデルです。炭素間の間隔が一定であることから、何が言えるのかといったことを子どもたちに考えさせなければ、構造は見えません。同じ距離でも平面上に六角形をつくることも、上下に交互にねじれた形にもできます。構造を決定するに至る情報を与えなければ、考えることはできません。
授業者は二重結合の方が強いことを子どもたちと確認して、距離が短いので短い方の棒でつなぐように指示します。こういった説明のために手元に模型を持たせたかったのかもしれませんが、ICT機器を活用すれば手元に模型が無くても説明できたと思います。
この考え方であれば、炭素間の距離は高速で切り替わっていることになりますが、子どもたちは疑問に思わないのでしょうか。また、炭素の混成軌道による結合角度をきちんと確認しておかなければ、どのような形になるのかはわかりませんし、分子模型の結合部分の角度がどうしてそうなっているのかも理解できません。組み立てて考えるといっても、単にパズルを解いているだけになってしまうのです。
子どもたちは、何を手掛かりに、どうやって進めればいいのかよくわかっていません。そのため、なかなか動き始めません。答から組み立てようというのでしょうか、教科書をめくる子どももいます。子どもたちは、何となく模型を組み立てますが、感動は感じられません。そこから何がわかるかよくわからないのです。
全体で、ベンゼンが正六角形になっていることを確認します。いびつになるはずだと指摘があれば面白かったのですが、正六角形に見えるので子どもたちは疑問に思いません。結局、答を受け入れるだけです。ベンゼン環が平面になることも、模型から説明しますが本末転倒です。せめて、混成軌道なら結合角度はこうなるはずだということを押さえてあれば、そこを根拠に納得できるのですが、論理の流れがおかしくなっています。
物を使うことで、子どもたちに意欲を持たせようとしたことはとてもよいことだと思います。ただ、課題の意味が子どもたちによくわからないため、子どもたちの活動が低調なまま終わり、深く考えることにつながらなかったことが残念でした。子どもたちが疑問を持つことや、考えるための手掛かりをきちんと与えることが必要です。化学的に何が根拠でこの結論が出てきたのかを意識して授業を組み立てる必要があります。そうでなければ、化学はただ覚えるだけの教科になってしまいます。そのことに気づいていただければ、今後授業が大きく進歩すると思います。

どの授業も今後への課題がよく見えるものでした。自分の課題を意識して授業に取り組み、改善することを続けていってほしいと思います。理科は分野によって様々な工夫が求められます。互いに見合うことで学べることの多い教科だと思います。理科がチームとして授業改善に取り組んでいただけること期待したいと思います。

この続きは次回の日記で。

数学の公開授業から学ぶ

前回の日記の続きです。

数学の先生方は、問題演習をグループでやることが増えてきているように思います。ただ、数学的なものの見方・考え方を子どもたちに身につけさせるという視点がまだ弱く、(試験に出る)問題の解き方を覚えさせることが主なように感じています。また、今回は授業を公開されたが少ないことが残念でした。

中学1年生の数学の授業は関数の導入場面でした。
授業者は以前と比べると笑顔つくることができるようになっています。子どもをほめる場面も増えてきているように思います。教室の空気がよくなっているように感じました。
座標表面上に与えられた座標を持つ点を取る練習です。点を結ぶと絵が浮かび上がるようになっています。子どもたちは、一生懸命に作業をしています。こういった訓練も大切なので、よい工夫だと思います。「先生、できた」と声を上げる子どもに対して、「あー、正解」と笑顔で返します。子どもとのコミュニケーションとしてはよいのですが、正解かどうかを常に先生が判断すると、子どもたちは先生に正解を求めるようになります。中には、席の離れた友だちに見せている子どもいます。こういった雰囲気を活かし、子ども同士で確認し合う場面をつくるとよいでしょう。
もう一つの学級では、定義域が有限区間となっているグラフをかく場面でした。授業者は「グラフはこの先続いているから」と定義域以外は点線でかくように指導していました。この説明は?です。というより、グラフは定義域以外には存在しません。関数は対応と定義域、値域とで定義されるものです。数学的にはこの点線部分はグラフの一部ではないのです。比例であれば、グラフが直線の一部分になっていることをわかりやすくするために、点線で延長しているのです。
授業者の表情が説明の場面になると固くなることが気になります。子どもたちを説得しようとしているのからでしょうか、一方的にしゃべっています。
子どもたちにグラフがかかれているプリントを配り、「グラフの正体は何なのか、考えてください」と指示します。グラフの正体とは何を意味するのかよくわかりません。グラフを表わす式を求めることを言っているようなのですが、関数はグラフで定義することも可能です。というか、グラフそのものが関数を表わしていると言ってもよいのです。対応を表わす式を関数だと思ってしまい、式と関数が混乱している子どもにもよく出会います。対応(写像)であることを意識し、その表現方法にグラフや式(定義域、地域を含む)があると理解してほしいと思います。
机間指導しながら子どもに声をかけますが、全員ではありません。中途半端なことをせずに全員○を付けることを意識するとよいと思います。
時間が無くなったので答を確認せずに、「正解だった人は計算で求めることができるので、どういう計算をしたら答が出るか考えてほしいと思います」とまとめます。授業者がこういう発言をすると、結局先生の求める答探しになってしまいます。
課題に取り組む前に、「できるだけ、いろいろなやり方を考えてみよう」と指示することで、子どもたちからいろいろな考え方が出るようにし、それを全体で出し合い、共有することが大切です。答ではなく、考え方が大切であることを伝えることが重要です。
また、グラフだけから対応の関係を表わす式をつくることはできません。定義域が実数であればグラフのすべてを書くことはできないからです。「比例である」「直線である」といった条件(仮定)がなければ、決定することはできないのです。このことを意識できていない先生に多く出会います。関数とは何か、グラフとは何かをきちんと理解して授業を組み立てる必要があるのです。
数学的に何が大切か、また活動を通してどのような見方・考え方を身につけさせるのかを意識してほしいと思います。

高校1年生の数学の授業は三角比の演習の時間でした。
子どもたちは個人で問題に取り組んでいますが。自分たちで相談をしています。わかりたいという意欲を感じます。子どもたちは相談することに慣れているようです。最初からグループの形で活動をしてもよかったのではないでしょうか。
時間の都合で答え合わせの場面を見ることができませんでしたが、授業者が説明をしないでも、子どもたちの発言だけで進めることができるように思います。子どもたちが相談できるようになってくれば、授業者が余計な説明をするよりも、子どもたちを信じて、子ども同士で解決させることを意識するとよいと思います。
子どもたちのよい姿を見ることができました。

今回はたまたまかもしれませんが、数学の先生方全体から、授業改善に対するエネルギーをあまり感じることができなかったことが残念です。数学の授業をどのように変えていけばよいのかという方向性が見えていないからかもしれません。今度の学習指導要領の改訂では、学び方が大きく問われます。また、これからの時代に生き抜く子どもたちに、数学の教師としてどのような資質・能力を育てるのか、そのためにどのような数学的な見方・考え方を身につけさせるのかも問われます。数学の教師としてどう対応していくのか、教科全体で考えてもらいたいと思います。

この続きは次回の日記で。

社会科の公開授業から学ぶ(長文)

前回の日記の続きです。

社会科は、以前から積極的にアクティブ・ラーニングに取り組んでいる方が多く、また、ICTを積極的に活用されている方も多いように思います。

中学2年生の社会科はアメリカ合衆国の独立についてでした。
授業者は用意したスライドを使って説明をします。子どもたちの顔はしっかりと上がっています。手元の資料を使うのではなく、スクリーンに大きく写すことの有効性がよくわかります。ただ、教師が一方的に解説しているので子どもたちは受け身です。次第に集中力を失くす子どもがでてきます。授業者は一通り説明をすると黒板にまとめを書きます。すると子どもたちはそれを一生懸命に写し始めます。授業者は板書している間は子どもの方を振り返りません。板書が終わると子どもたちの方を見るのですが、しばらくすると補足的なことをつぶやきます。しかし、子どもたちは、写すことに専念しているので顔は上がりません。ほとんどの子どもたちがまだ写しているのに、「アメリカの人は紅茶を飲むか?」とか、「アメリカンコーヒーを知っているか?」と子どもたちに問いかけます。こういったやり取りを全くムダだとは言いませんが、本質的なことではなく、子どもたちが考えるようなことで問いかけてほしいと思います。
途中でどうしても眠ってしまう子どもがいるのですが、授業者は声をかけたり、指名したりして何とか参加させようとしています。窓を開けて空気の入れ換えもしますが、なかなか効果が上がりません。しかし、眠っている子どもも、授業者が板書をするとまわりの子どもの動きでそのことに気づき、ノートに写し始めます。
ICTは、授業者がより効率的に情報を与えるための道具として使われていますが、子どもたちの理解するスピードや情報処理の能力には限界があります。それを越えては頭の中に入っていきません。情報を処理して整理する時間が必要です。授業者がまとめて写させるのではなく、子どもたち自身にまとめさせるだけでも様子は違ってくると思います。
せっかくのICTの活用ですが、従来型の授業の枠を越えることができていませんでした。授業者が一方的に説明するための道具ではなく、ここぞという資料を大写しにして、それをもとに子どもたちに考えさせるといった使い方も視野に入れてほしいと思います。

日ごろからグループでの活動を取り入れている先生の高校1年生の世界史の授業は、イギリスと中国、インドの三角貿易について考える場面でした。
6人のグループもあるのですが、どうしても子どもたちが2つに分かれてしまいます。3人ずつにした方がよいかもしれません。また、子ども同士の机が離れているグループがあることも気になりました。距離があるとどうしてもかかわりにくくなるからです。
授業者は子どもたちがグループ活動している間、ずっと笑顔でいます。簡単なことに思えますがそれほどたやすいことではありません。このことが学級の雰囲気に大きく影響しているように思います。子どもたちが安心して授業に参加する空気ができているのです。子どもたちの表情がよいことが印象的です。
活動の途中でいったん止めて、着眼点について説明をします。途中で止めることはよいのですが、授業者がポイントを確認するのではなく、子どもたちにどこで困っているのかまず共有して、子どもたち自身でポイントに気づくようにしたいところでした。
作業が終わった後、子どもたちに課題の答について確認します。貿易品目を問いかけ、指名した一人が答えると、それを受けて授業者が解説をしますが、他のグループの子どもたちにも確認したり、どこからわかったかを問いかけたりすることも必要だと思います。
貿易品目の中の銀がなぜ重要かを問いかけます。これは知識なので調べさせるか、この課題に取り組む前に教えておいた方がよかったでしょう。当時のイギリスの中国との貿易不均衡を確認して、合法的に銀を取り返すにはどうすればよいのかを問いかけます。授業者は「結局どうしたの?」と問いかけ、子どもたちのワークシートにそのことがきちんと書かれているか確認するように指示しました。
子どもたちはグループの活動で何を考えればよいのか明確に意識しておらず、教科書や資料集に書かれていることをまとめただけのようです。課題意識がないのです。三角貿易について考えさせるのであれば、まず「イギリスが貿易不均衡での銀の流出を止めたい」状況であったことを早く確認して、イギリスとしてはどうすればよいのか子どもたちに考えさせるとよかったでしょう。三角貿易は現在でも行われることですので、そういった方法があることに子どもたちに気づかせ、続いてイギリスが具体的にどうしたかを調べさせるのです。
子どもたちはグループでの活動に積極的に取り組むようになっていますので、次は、授業のねらいを明確にして、どのような課題で活動させるとよいのかを考えることが必要になります。子どもたちに何を情報として与え、何について考えさせるのかを意識することで子どもたちの学びが深くなると思います。今後、どのように授業が進化していくのか楽しみです。

高校2年生の日本史の授業は、平安時代に関する選択肢問題をグループで解く場面でした。まずグループにしてからこの日の進め方について説明しますが、子どもたちの顔は上がりません。授業者の指示が終わる前に問題に取り組む子どもも目立ちます。まず、授業者に集中させることを徹底してほしいと思います。
授業者は何となくではなく、根拠を説明できるようにと強調します。とても大切なことです。このことを子どもたちがどこまで意識できて取り組めるかがポイントです。
多くの子どもたちはしっかりと問題に取り組んでいますが、中には集中できていないグループがあります。問題を解き終っているのかもしれません。授業者の何らかの働きかけが必要だと思いました。
グループでの活動を止めて、全体で解答の確認をします。授業者は子どもたちの動きがまだ止まっていないのにしゃべります。いったん授業者に集中させてから次の指示をするとよいでしょう。
子どもたちの意見は、2番と3番の2つに分かれました。意見が分かれるのは、子どもたちに考えさせるよい機会です。授業者はここで根拠を問いかけるのですが、一方の側からは、明解なものが出てきません。出てきた方の根拠についても全体できちんと共有してそれに対して納得するのかどうかを問う場面がありませんでした。子どもたちからそれ以上の意見は出てこなかったのですが、実はグループの中では話し合いが起こっていました。全体で進めるのではなく、子どもたちに戻すべき状態になっていたように思います。授業者は、しばらく待ってから、もう一度理由を考えるようにとグループに戻しましたが、その前にまず、他の選択肢が正しくない理由をきちんと確認することが必要です。その上で、2番と3番の選択肢についてどこが違うのかといったことを焦点化することが必要でした。
再び、全体で確認するとほとんどのグループが2番に変わっていました。変わった理由も確認しますが、教科書の記述と同じだという理由です。「では、3番はどこが違っていたのか?」と確認することも必要なのですが、それはありません。また、2番、3番と番号で確認するだけで、その記述をきちんと読むこともしませんでした。正解を導き出すことが目的化しています。この問題を解くことを通じて、きちんと学習内容を確認、復習することが大切です。選択肢で何が述べられているのかを確認し、正しい理由だけでなく、正しくない理由も明確にすることで、なんとなく選択していた子どもたちにも知識が定着していくのです。
続いての課題は、有力な農民が荘園を守るためにどのようにしていったのかのストーリをグループで有力農民、中級貴族、国司といった配役を決めて考えるというものでした。ワークシートにはヒントとなる事例が載っているようですが、それを使わなくてもよいと指示しています。答は一つでないことも強調します。授業者は何度も言葉を足しながら指示をしますが、考えるための足場となるものが整理されていません。子どもたちと言葉のキャッチボールを通じて必要な知識や視点を明確にし、見通しを持たせてから取りかかるようにするとよいと思います。
子どもたちは配役を決めるのに結構な時間がかかっていました。誰がどの役のやるのか、授業者が指示してもよかったかもしれません。子どもたちにとって興味を引く課題なのでしょう。活動は盛り上がっているように見えます。しかし、ここで注意をしなければいけないのは、この活動の目標や評価基準がはっきりしないことです。農民の行動のきっかけとなった法律や制度を明確にするといった条件を付けて、どれだけのものを関連づけることができたかを評価にしてもよかったでしょう。
ワークシートには○割という穴埋めがあります。収穫高のどれだけを献上するかというものですが、それをいくらにするかが一つのポイントになっていました。授業者は、「正解はないが、つじつまが合う」ようにと指示をしています。ここでも根拠を意識させることが大切です。結局、時間がないため、最後まで作業が終わらすに宿題となりましたが、途中でいったん止めて、何割という答ではなく、どのようなことを根拠に数字を決めたかを聞き合うとよかったと思います。
子どもたちが興味を持つような課題を工夫しようとしていることは、とてもよいと思います。その上で、子どもたちの考えを深めるために教師がどのようにかかわるのかについて考えることが必要です。教師の指示・説明、子どもたちの活動・発表といったことだけでなく、考えの共有、揺さぶり、焦点化、新しい疑問や課題の発見といった要素も意識して、子どもたちの学びを深めてほしいと思います。

高校3年生の地理の授業は、問題演習をグループで行うというものでした。授業者は日ごろからアクティブ・ラーニングを意識した授業を続けていますが、今回はどのような工夫をしているのか興味を引くところです。
グループが基本ですが、グループにならずに個別に取り組んでいる子どもたちもいます。そういった子どもの中には、よそのグループをのぞき込む者もいます。一人で取り組むことを否定する必要はありませんが、形だけでもグループにした方がよいように思います。全体的に子どもたちのテンションが高いように感じました。問題に関係のあることをしゃべっているのですが、集中して取り組めていないようです。授業者は机間指導をしているのですが、全体を眺めて集中できていない子どもに集中を促すことを優先した方がよいと思います。
途中で活動を止めて追加の指示をします。子どもたちは静かにはなるのですが、顔が上がらない子どももいます。もう少し、子どもたちの顔が上がるまでしゃべるのを待つようにしたいところです。この後、子どもたちは少し落ち着くのですが、しばらくすると今度はテンションが上がるのではなく、集中力が落ちてきました。ここが、活動の止め時だったように思います。
子どもたちは、活動はしているのですが、そこで終わっています。より深い学びにどうつなげていくのかが課題のように思います。
別の学級でも同じように問題演習を行っていました。
その学級では、子どもたちのテンションは落ち着いていました。集中して個人で問題を解いています。時々聞き合っている子どもがいますが、グループ全体でのかかわりにはつながっておらず、子どもたちの相談する姿はあまり見られません。調べればわかるのでしょうか、子どもたちにとって、まわりと相談する必然性のある問題ではないのかもしれません。授業者は時々、個別に子どもの質問に答えていますが、せっかくですのでまわりとつなげたいところでした。
授業者は特に答え合わせをしません。自分たちで完結できるようです。これは、よいことなのですが、その先に何か子どもたちが考えるような課題がほしいところです。グループを活かすのなら、一問一答形式の問題の結果や資料をもとに、どのようなことが言えるのかを考えるような課題を用意したいところでした。
授業者が、問題演習でのグループ活動を今後どのような形にしていくのか楽しみです。

高校3年生の時事問題の授業は、ニュース動画をもとに考える場面でした。
原発の再稼働についてのニュースを子どもたちに見せます。今一つ集中して見ていない子どもの存在が気になります。グループの形で進めているので、スクリーンを見にくいことも要因かもしれません。椅子の向きを変えるなどして、見やすい態勢を取らせるとよいでしょう。「安全だという電力会社の意見に対して、汚染水が流れると危険だという意見がある」と動画の画面を使いながら授業者が解説し、これは一般に言われていることだから、授業者の意見ではないことを強調します。
「ニュースを見て意見が変わった?」と問いかけながらその日の朝刊の記事のコピーを資料として配ります。記事を見て子どもたちが反応をします。授業者は資料の説明を始める前に「おしゃべりはやめてください」と、ちょっと強い口調で言いました。資料に興味を持って、それに関することをしゃべっている子どももいます。「やめてください」という否定的な言葉を使うと、子どもたちの学習意欲が下がる心配があります。「今から説明するから聞いてくれる」といった言い方にするとよかったでしょう。
「もんじゅ」の廃炉に関連した記事です。指名した子どもに「もんじゅ」の説明の一文を読ませます。子どもたちは、集中して目で追っています。読み終わった後、授業者が、「再稼働するためにも数千億円の費用がかかる」といったポイントとなる部分に線を引くように指示をしますが、指示や説明を始めると子どもたちの集中が落ちることが気になりました。子どもたちはそれなりに興味を持って記事を読んでいます。授業者がポイントを解説するのではなく、子ども自身でポイントと思うところに線を引かせるとよかったと思います。ほとんどの子どもたちは、朝、新聞に目を通していないようです。子どもたちにこういった活動をやらせても時間がかかると思ったのかもしれませんが、彼ら自身で記事の内容を整理させなければ、自分で理解して考えることができるようにはなりません。子どもたちを鍛える意味でも、できるだけ子どもたちにまかせたいところです。
「もんじゅ」の再稼働についてのニュース番組を見せます。授業者は途中で動画を止めて「青森県の六ケ所村に使用済み燃料貯蔵プール」とメモするように指示しました。所々でビデオを止めながら、授業者が内容をまとめます。確かにこうした指示やまとめをしないと記憶に残らないかもしれませんが、子どもたち自身の判断でメモするようにさせたいところです。見終わった後で、内容をグループや全体で確認して共有する時間をとるのです。
最後に、この日の内容について自分の考察を書いて提出するように指示しましたが、じっくり考えて書くだけの時間はありませんでした。早々と片付ける子どもが目につきました。
子どもたちにニュースの内容を知識として与えることが目的なのか、その知識をもとに考えさせるのが目的なのかをはっきりさせるとよかったと思います。前者であれば、子どもたち自身でニュースの内容を再編成して記事を書かせるといった課題、後者であればその日のテーマを元に社説やコラムを書くといった課題を与えると面白かったと思います。こういった課題であれば、子どもたちの活動量を増やすことができるでしょう。
授業者の意欲が感じられる授業でした。子どもたちに知識を与えることに加えて、子どもたち自身に考え、出力させる場面が増えることを期待します。

社会科として、グループを活かす課題や活動の在り方についてこれからも工夫を続け、互いに見合うことで高め合ってほしいと思います

この続きは次回の日記で。

国語の公開授業から学ぶ(長文)

私立の中学校高等学校の3日間の公開授業研究を参観しました。各教科から数人ずつがテーマを決めて授業を公開し、教科を越えて互いに見合うというものです。延べ、50を超える授業が公開されました。中には、一人で何回も、何種類も公開される方もいらっしゃいます。中学校や高等学校で教科を越えてこれだけの規模で授業を見あうというのはなかなか目にしません。ごく一部の方を除いて、公開された先生の授業をわずかな時間でも見させていただくことができました。どの授業も、工夫や授業改善への取り組みが見られます。多くの先生方がこのような姿勢を見せてくださったことをとてもうれしく思いました。

全体的に、授業規律を意識できていない授業がまだ目につきました。子どもたちの顔が上がっていないのに話を始めたり、板書を写すことに専念しているのに説明をしたりといった場面が気になります。授業の工夫をしても、子どもがきちんと参加していなければムダになります。もちろん、しっかりと子どもたちが集中しているとても素晴らしい場面もたくさん見ることができました。
互いに授業を見合うことで、こういったとろも学び合ってもらえればと思います。

国語の授業では、子どもたちを活動的にする工夫が多く見られました。
中学2年生の国語で、枕草子の「瓜にかきたる稚児の顔」を題材にして、子どもたちに瓜に見立てた紙に顔を書かせるという授業がありました。子どもたちの体を動かして、当時の人の気持ちを考えるというものです。なかなか面白い試みだと思います。子どもたちは発表者をよい表情で見ています。ただ、見ている子どもたちの意見を聞く時間があまり取れなかったことが残念です。授業者がまとめたのですが、もう少し子どもの言葉を聞きたいところでした。
こういった新しいことに挑戦することはとても大切です。これをきっかけにして、授業をどんどん改善していってほしいと思います。国語の授業として何を目標にするのか、どこにつなげていくのか、評価はどうするのかといったことを意識することで、子どもたちのより深い学びを生み出すことができると思います。

別の枕草子の授業では、清少納言の感性についてまとめることが課題でした。感性という言葉は中学生にはちょっとわかりにくい言葉です。授業者が感性について説明しますが、一方的な説明では苦しい子どももいると思います。簡単な事例をもとに、「この人はどんな感性を持っている?」と全体で一度考えて発表させるとよかったのではないかと思います。
この課題はちょっと難しいと考えたのでしょう。授業者はペアで考えるように指示をします。よい判断だと思います。日ごろからこういった活動をしているのでしょう。子どもたちはすぐに後ろを向いて活動を始めます。子どもたちは、よく話し合っていました。しかし、中にはすぐに動きださない子どももいます。相手の子どもはしかたがないので、一人でノートに書き始めています。授業者はこの間、ヒントとなることをしゃべっていました。活動の始めは、全員が参加できているのかに注意を集中させることが必要です。上手く活動できていないペアを見つけて、かかわるよう働きかけることを意識するとよいでしょう。ペアは逃げられない関係なので、中学生や高校生では難しいことがあります。そういう時はグループの活用も視野に入れるとよいと思います。また、前後と言うのは子ども同士が対峙する形になりやすいので、隣同士で机をくっつけて寄り添うような形にするとよいでしょう。
全体での発表では、授業者が子どもの発表を「いいじゃないですか」と受容します。しかし、他の発表に対して、「いいですね、すばらしいですね」と評価が微妙に変わります。ここで気になるのは、何がよいのかという評価の基準です。子どもたちはそれを示されていません。何気ない場面なのですが、子どもたちからすれば、授業者が絶対基準(神様?)になってしまいます。授業者の考えを探る、答探しをすることにつながります。「先生はいいなと思ったんだけど、みんなはどう?どこがよかった?」と子どもたちに判断をさせる場面も必要だと思います。
他にも、ペアの活動の後グループにして意見を聞き合い、子どもたちに「なるほど」と納得したものを発表させるという方法もあります。どこを「なるほど」と思ったかを全体で共有することで、子どもたちの考えが深まっていくと思います。
子どもから出た言葉を引き取って、最後は授業者が黒板にまとめました。子どもたちからするとこれが正解だということになってしまいます。ペア活動の時間をもう少し減らして、全体での発表を増やしたかったところです。全体で考えを深めてから、子どもたち自身でまとめさせるのです。
授業者はペア活動を取り入れて子どもたちの活動量を増やそうとしています。次は、時間配分を工夫して、全体で考えを深める場面をつくることを意識するとよいと思います。

高校1年生の国語総合の授業では、資料を読み取る場面でグループを活用していました。子どもたちはワークシート使いながら作業をしています。全体的によくかかわり合っていますが、中にはしゃべらずにワークシートを回しているグループもあります。授業者がそういうグループに対してかかわるように指示することが必要です。授業者は机間指導をしながらいろいろな指示やアドバイスを追加で行いますが、子どもたちが一生懸命に活動している時には、こういった指示は雑音になってしまいます。時として、子どもたちの声に負けないようにより大きな声で話しますが、逆効果です。また、個別のグループと内容について話をするのですが、個人とだけの対話になってしまうこともあります。子どもも先生に聞けば確実なことがわかると思い、友だちではなく先生に個人的に質問するようになってしまいます。授業者がかかわることでかえって子どもたちを分断してしまうのです。個別の指導を減らし、全体を見て、必要な支援だけを行うようにすることが大切です。授業者はよい表情で机間指導をしていましたが、その表情で子どもたちを見守るようにすればよいと思います。
2枚目のワークシートを配って、まずは個人でやるように指示をしますが、個人でやることにあまりこだわらなくてもよいと思います。子どもたちは、自然に相談しながら作業をしていました。授業者は途中でどうしてもヒントや指示を追加したくなるようですが、子どもたちで相談できていればその必要はありません。子ども同士でなんとか解決するのを見守ることが大切です。どうしても子ども同士で解決できずに活動が止まっているようであれば、全体で困っていることを共有して、解決の見通しを持たせるようにすればよいのです。
グループ活動の時の子どもたちとのかかわり方について、意識するとよいと思います。

高校1年生の現代文の授業では、読解力をつけることを意識していました。この段落ではどこを手掛かりにして読むのかの視点を明確にしていました。このこと自体はよいのですが、なぜここを手掛かりにするのかというメタな視点を与えることが必要です。この文章にどういう特徴があるのかといった視点でまず見ることで、何を手掛かりにするといいのかを子どもたちに考えさせる場面があるとよいと思いました。子どもたちが読解力を獲得する過程をどうつくっていくかを意識することが大切です。
また、結論を授業者が板書するので、どうしても子どもたちはそれを写すことに意識が行ってしまいます。せっかくの授業者の解説に子どもたちが集中していないことが残念でした。授業者がまとめるのではなく、子どもに発言させ、考えをつなぎ、子どもたちの言葉でまとめることを意識してほしいと思います。

高校2年生の現代文の評論の授業は、詩の言葉の持つ意味について考えるものでした。授業者は穴埋め形式のワークシート使っていました。しゃべりが上手く、子どもたちを惹きつけることができていると思いました。「ミーハー」の意味の説明など、とても楽しく聞かせます。ただ、全体的に授業者が説明しすぎるように思いました。
グループで子どもたちに「くうねるあそぶ」といった、過去のCMのキャッチコピーをもとに、どんな人がどのような気持ちでこの商品を買おうと思うのかを考えさせます。子どもたちの興味を引く課題を工夫しています。子どもたちは、テンションも上げずに集中して話し合っています。ただ、子どもたちは時代背景がよくわからず、想像するしかありませんので、深く考えることにはつながりません。もう一工夫ほしいところでした。時代を表わす言葉とキャッチコピーをつなげるといった課題の方が、言葉の持つ力に気づきやすかったかもしれません。面白い課題ですので、さらに洗練したものになることを期待します。
子どもたちに考えさせたのですが、最後は授業者の解説になりました。子どもたちの活動を活かす場面をもう少しつくることができるとよかったでしょう。
評論の授業は子どもたちが興味を持てないことが多い中、子どもたちを惹きつける工夫はとても参考になるものでした。

高校3年生の現代文の授業は、テキストを授業者が範読していました。とても聞き取りやすいのですが、子どもたちにとってはちょっと長い文章だったのでしょう。集中力を失くしている子どもが、ちらほらいました。範読終了後、本文の内容について質問します。「ガレージの中でパソコンを組み立てていた青年が情報化社会をつくりだした」という一節に関連して、この青年が誰かを問いかけます。ここで授業者は、ちょっと集中力を失くしていた子どもを指名しました。その子どもは、ちょっと戸惑いながらも「ジョブス」と答えます。「偉いね、すごいね。会社の名前は?」「アップル」と対話します。授業者は、この子どもがIT関係に興味を持っていることを知っていて問いかけたようです。注意をするのではなく、活躍させて授業に引き込もうとするのはさすがでした。
授業者は「働く」「仕事」について考えようと課題を提示します。教科書からそのことについて触れられている個所を「3つ」拾うように指示します。しかし、「3つ」と限定することで答探しになってしまいます。数は指示せず、「いくつ見つかるかな?抜き出してみよう」といった指示の方がよかったように思います。
授業者は子どもの手がなかなか動かないことが気になったのでしょう、ヒントとなることを作業中にしゃべります。しかし、子どもたちは先生からの情報を処理しきれていないように思いました。授業者の方を向く子どももほとんどいません。ここは、途中で作業を止めて、どこで困っているのかを確認して進めるとよかったと思います。
授業者は知識も多く、たくさんのことを伝えたいと思っているようです。しかし、それだけでは子どもの興味や集中は続きません。子どもから言葉を引き出し、それを価値付けすることを意識すると、より子どもたちが集中すると思いました。

高校1年生の漢文の授業は、ワークシートを使って(訓読)漢文を書き下し文にする場面でした。子どもたちに解かせた後、授業者が解説をします。ここでの活動は知識の獲得と、使う訓練です。どうしても授業者がしゃべることが多くなります。しかし、子どもたちは授業者の説明にあまり集中せずに、板書を写すことを優先しています。大事な説明であれば、しっかりと顔を上げて聞かせることも重要です。一方的にしゃべるのではなく、確認をしたり、どう解答したかを問いかけたりして対話を心がけるとよいと思います。
教科書を開くように指示をしますが、ワークシートの始末などに時間がかかり、すぐに開けない子どもも多くいます。授業者は待ちきれずに説明を始めました。こういった場合は、子どもたちに早い行動をうながすことも必要でしょう。
教科書の問題を解くように指示をしますが、指示の途中で解き始める子どももいます。授業者が子どもたちの状態と関係なく授業を進めているように見えました。今、子どもにどうあってほしいかを意識して進めるとよいでしょう。

高校2年生の漢文の授業は、史記の導入の場面でした。授業者は子どもたちの興味を引くために、司馬遷の受けた屈辱的な刑や覇王別姫など、いろいろな話をします。ちょっと残念なのは、宿題なのでしょうか、一部の子どもが顔を上げずにノートに何かを書いていました。なかなか難しいところです。
教科書の本文に入る前に、登場人物と人間関係についての説明を行います。準備の時間がないため、ICT機器を使って視覚的にできなかったことを子どもたちに詫びていました。ふだんはこういったものを効果的に使っているのでしょう。
授業の進度が遅れているのか、秦の始皇帝の話やそれに関連して万里の長城といった話もするのですが、どうしてもテンポが速くなってしまいます。ノートにメモを取りながら聞くように指示していましたが、中には情報量が多すぎて処理できない子どももいるように見えました。
この日の課題は、グループで「鴻門之会」を読んでその筋書きがどういうものかを考えるというものです。グループにした後、書き下し文の読みの確認を互いにしてから始めるように指示をしました。続いて謝罪の場面であることを何度か説明しますが、グループになって、活動の指示も出ているので、すでに話し合いが始まっているグループもありました。ここは、まず子どもたちに活動させて、様子を見るとよかったと思います。
この授業に限らず、グループで活動する時間が増えているのでしょう。子どもたちは、慣れた様子で集中して取り組んでいます。受け身でいた時間が長かったので、余計にそうなのかもしれません。授業者は、子どもたちがよい状態で進んでいる時でも、つい追加の説明をしてしまいます。ちょっと我慢して、子どもたちの学習の状況を見守ってほしいと思いました。

3年生の古文の授業は、文法の復習場面でした。授業者は若手で、日ごろから意欲的にグループなどを活用した授業を行っています。グループごとに悩んだことを発表させ、「なむ」の識別に困っていることを共有します。そこで、子どもたちが持っている参考書に「なむ」の識別が載っていることを伝えます。答ではなく、自分で学習する方法を教えることはよいことです。この後、また子どもたちに戻して続けさせますが、すぐに子どもたちは動き出します。よい対応なのですが、すぐに授業者が方法を教えしたことが気になります。子どもたちにこういう時はどうすればいいのか、どうしているのかを聞く時間があってもよかったと思います。
しばらくして、先ほどの参考書の該当箇所を見つけられたかをたずねます。まだ途中の子どももいますが、見つけた子どもにどこにあったのかを答えさせました。指名した子どもは、助詞の「なむ」のページを発表します。授業者は、ハッキリと否定はしませんが、そこではなく識別の方法が書いてあるところを見つけたグループがあるかと問いかけます。ちょっと、先を急ぎ過ぎのような気もします。「そのページで係助詞と終助詞のなむについてわかるね。なむという言葉は終助詞だけだっけ?」とつないで、子どもたちから、それではまだ足りないことを出させたいところでした。
指名した子どもが識別を書いてあるページを発表すると、そこに書いてあると授業者が判断します。子どもたちに、「どう、そのページを見ればわかりそう?」と問いかけて、他の子どもとつなぐとよかったと思います。ページを開かせて、ポイントはどこかを子どもたちに問いかけます。「上の形」と答えが返ってきます。授業者はそれを受けて、「そうだね、上がどうかがポイントになりそうだね」と言って、また子どもたちに戻しました。
足場をそろえて、再度取り組ませるのはよいことですが、ちょっと授業者が引っぱりすぎだと思います。短い時間で小刻みに確認していくのですが、もう少し子どもたちにまかせてもよいでしょう。気づくまでに多少の時間差はあってもよいので、子どもたちだけで動けている時は待ってあげることも必要です。
再度取り組ませた後、「なむ」の識別を発表させます。「係助詞」と答がでたところで、その理由を確認します。子どもの解答に、「そうだね」と授業者が復唱して確認しました。すぐに続けて、「もう一つ特徴があったよね。○○のグループが何か話していたね」と問い返し、そのグループに発表させます。ここは他の子どもたちに、「どう?」「同じ理由?」「納得した?」「他の理由の人はいない?」とつなぎたいところでした。
子どもたちができるようになるための手段を意識し、スモールステップで足場をそろえることを大切にしています。子どもに答を言わせようともしていますが、最後は授業者がまとめています。すべての場面で行うのは時間的に無理かもしれませんが、大切なところは、子どもたちをもっとつないで、子どもたちの言葉でまとめたいところでした。
わずかな期間に、確実に授業力がアップしています。この日の授業についても、自分がしゃべりすぎたことを反省していました。日々工夫をしながら、子どもたちの姿をもとに改善を続けていることがよくわかります。これからの成長がとても楽しみです。

どの先生の授業も、工夫が感じられるものでした。子どもたちを意欲的にすることができている方が多かったと思います。グループを使うことにも多くの方が取り組まれています。しかし、グループを使う時の授業者のかかわり方については、まだよくわかっていない方もいらっしゃるようです。だからダメだというのではありません。まず、一歩を踏み出すことが大切です。日々取り組みながら、先生も学んでいけばよいのです。もちろん、かなり高いレベルに達している方もいらっしゃいますので、公開授業だけでなく、日ごろから互いに見合うことで多くのことを学び合えると思います。それぞれで工夫をされていますが、今後、教科としての方向性が見えてくるとよいと思います。

この続きは次回の日記で。
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