授業検討で考える(その1)

昨日は愛される学校づくり研究会に参加してきました。今回は夏休み中ということもあり、終日の会です。2月のフォーラムに向けていよいよ本格的に始動しました。

午前中は、フォーラム前半の「校務の情報化」についての打ち合わせでした。昨年好評だったものをバージョンアップしようというものです。グループごとに真剣に内容を検討し、方向性を発表してくれました。どのグループもとても意欲的です。会員の私がどのようなものになるか早く見たいと思うような内容です。期待していただきたいと思います。

午後は、フォーラム後半の「授業検討法」について、本番と同じく3つの模擬授業で授業検討を行いました。
1つ目は、中学校国語の授業を「3シーン授業検討法」を使って検討しました。授業者は私にとって国語の授業の基準となる先生です。20分と短い時間の中でどのような授業を見せてくださるのか楽しみです。
授業は「こそあど言葉」を考えるものでした。「こそあど言葉」の例、「これ、それ、あれ、どれ」など、だれでも答えられそうな問いを導入にもってきます。何人も指名して、その発言をしっかり受容します。うまく答えられなかった子ども役にも、何人か指名したのちまた指名して挽回の機会を与えます。子どもの活躍の機会をつくり、授業の課題に取り組もうという気持ちを高めます。「こそあど言葉」のなぞについて考えるという課題を提示したところで、小(大?)道具を取り出しました。人気アイドルの等身大のパネルです。実際の子どもたちであればテンションが上がるところです。授業者の恋人という設定です。「誰か知っている?」と問いかけたところ、「○○チン」という答が返ってきます。「ニックネームだね」と返し、名前が出たところで、「ピンポン!」と正解であることを宣言して本題に入りました。子どもの発言に対しては、「正解」という言葉を授業者は使いません。常に「なるほど」と受容しています。ここで「ピンポン!」といったのは、この話はこれでおしまいとそのことに関する思考を停止させたのです。こういった小道具を使って子どものテンションを上げることは簡単ですが、ともするとその状態を引きずって本題に子どもが集中しないことがあります。「ピンポン!」の一言で区切りをつけたのは見事でした。

等身大のパネルは単に子どもの興味を引くためだけではありません。「これ」「あれ」「それ」の違いを考えるために意味のある道具でした。パネルのアイドルと肩を組み、「○○チン、これ」と話しかけます。この「これ」はどの場所を指すか子どもに問いかけます。「こ」と書いた紙を黒板上で動かし、このあたりと思うところで挙手させます。子どもたちが参加しやすい方法です。同様に、「あれ」でもおこないます。こうして、「こ」が近く「あ」が遠くを表わすことを確認します。ここからが本題です。「それ」はどこを指すかを問いかけます。ところが子ども役から、後ろの方を指すというちょっとおかしな意見が出てきました。ここで授業者は否定しません。「なるほど」とまずは受容します。「『○○チン、それ』と言ったら」とパネルを後ろ向けて、「ここを見るんだ」と返します。子ども役は、「それ」は距離を考えないという言葉を足します。授業者としては距離で押さえたいのですが、このままだとおかしな方向に話が進みます。そこで、この考えをなるほど思う人を挙手させます。半分ほど手が挙がりました。では、手を挙げなかった人は距離で考えるということです。手を挙げた人はちょっと休んでもらって、手を挙げなかった人だけで「それ」はどこを指すかを同じようにやってみます。「こ」と「あ」の間に落ち着きました。想定外の意見を否定することなく、本来の流れに戻しました。これも、見事な対応です。

教科書を使って、「こ」が「近称」、「あ」が「遠称」そして「そ」が「中称」であることを確認します。教科書を使って、いったん自分たちの考えを納得させておいて、ここから子どもたちを揺さぶります。
恋人の「○○チン」と別れたと言って、パネルを先ほどの「あ」の位置にもっていきます。パネルの肩にハンカチを置いて、ハンカチを取ってもらうときにどういうかを考えます。「○○チン、これ取って」「あれ取って」「それ取って」と言い比べると、この場合は「それ取って」がふさわしいことがわかります。自分だけでなく、相手との距離も関係あることを気づかせようというわけです。この状況は、先ほどの「こ」と「あ」の間が「そ」という考えではうまく説明できません。「あ」の距離でも「そ」を使うのです。ここで「教科書違うじゃん」と揺さぶりました。さきほど、教科書を使って納得させた後ですから、効果は絶大です。子ども役は演ずることを忘れて真剣に考えていることがわかります。
ここで考えを聞いていきます。「そのもの自身を指す」といった言葉が出てきました。これはちょっとずれた意見です。しかし、授業者は否定しません。しっかりと受容した上で、自分が評価せずに子どもにわかったかどうかを問いかけ、子ども役から「まだ、よくわからない」という言葉を引き出します。先ほどの言葉を否定しないことで、「もの」に対して「場所を指す」という考えが出てきました。ずれた答を受容することで、別の考えが引き出せたのです。「場所」という言葉が出てきて、もう一息で結論がでそうというところで時間が来てしまいまた。おそらく、このまま続けていけば、どういう「場所」かを考えることで、「相手」に近いという言葉を引き出せたと思います。
子どもから言葉を引き出し、それをどう活かし、つなげるのかを大切にしていることがよくわかる授業でした。子どもの言葉を活かす授業をしようとすると、子どもの数が重要になることもわかります。今回子ども役の数が少なかったため発言の絶対量が少なく、ねらいにつながる言葉を引き出すのに苦労しました。少人数での授業がよいように言われますが、必ずしも良いことばかりではないということです。

検討会は「心が動いた」場面を参加者に挙手してもらうことで、検討するシーンを選ぶことから始めます。今回は検討時間も20分と短いので2シーンに絞りました。コーディネータは、参加者の意見を拾いながら焦点化し、深めていきます。距離という視点で進めていたのに「それ」は距離とは関係ないという意見が出た場面が話題になりました。すかさず、授業者にその時の心の動きを訊ねます。想定外の意見にどうしようかと頭はフル回転だったことを語ってくれます。ゆっくりと「なるほど」ということで時間を稼ぐ。笑顔をつくっている時は苦しい時。といった言葉を出てきます。こういう言葉を引き出すこともコーディネータの役目です。あっという間に20分は過ぎました。

ここで、フォーラムでの進め方が話題となりました。今回は授業検討法を紹介して、参加者に自校でもやってみようと思っていただくことが目的の一つです。授業検討をやって見せるだけでそのよさが伝わるのか、価値づけの時間が必要なのではないかという意見です。コーディネータはそのよさが伝わることを意識して進めますが、価値づけの時間を特には設けません。授業検討の見せ方を含め、3つの授業検討場面をどう構成するのか、あらためて課題であることがわかりました。次回以降の研究会で検討していくことになりました。

残り2つの授業検討については、明日の日記で。

質の高い子ども役を通じて大いに学ぶ(長文)

昨日は市主催の授業力向上研修会の講師を務めました。今回は11月におこなう研修での授業を、模擬授業を通じて参加者全員で検討しようというものです。

まず授業者に簡単にこの授業について説明してもらいました。小学校5年生の算数、平行四辺形の面積の求め方を考える時間で、次の時間に平行四辺形の面積の公式につなげるためのものです。そこでは、目指す子どもたちの姿が語られませんでした。そこで、私が確認したところ、「いきいきと発表し、伝えようとする姿が見たい」ということでした。この言葉が少し気になります。聞く側の姿が語られていないこと、「いきいき」という曖昧な言葉が使われていることです。また、そのための要素は何かを意識しているかどうかもちょっと聞いてみたいところでしたが、模擬授業の中で明らかにしていけばよいと考え、「いきいき」という言葉に絞って、参加者に「いきいきしているかどうかは具体的にどういう姿でわかるか」と問いかけました。挙手の様子などがあがってきます。子ども役には、「いきいき」を意識してもらうことをお願いしました。この他に、前提条件として伝えておくことはないか訪ねましたが、特にはありませんでした。この時点でこの日の模擬授業は難航しそうだと予測できます。この授業までに子どもたちはどのようなことを学習して、授業者は何をポイントとして押さえてきているかを説明しないと子ども役は反応できないからです。逆に言えば、授業者は授業において、前時までの学習が本時にどれだけの意味を持つか、布石を打っておくことがどれだけ大切かを意識できていないからです。そこで、教科内容に関係のない指摘をしないで済むようにと、以前の模擬授業であった、黒板を見ていて子どもの様子を見ていなかった例などを少し話しておきました。

黒板に向かってめあてを書きだしまた。子ども役は戸惑います。「ノートに書いていいですか」と質問してくれました。授業者に確認したところ、板書は写すことになっているということです。授業者は子どもが板書を写すタイミングをコントロールすることを意識していないようでした。このことも少し詳しく話したかったのですが、先に進めることを優先しました。「ちゃんとノートに書いていますね」と子どものよい行動をほめていますが、最初だけです。全員がきちんと書き終っているかは確認していません。授業者は板書を見ながらめあてを全体で読ませます。当然死角ができるのですが、その死角でまだ板書を写している子ども役がいました。事前に注意はしておいたのですが、残念なことになりました。逆に子ども役は私の説明を意識して、わざとゆっくり書いていてくれたのです。指示はきちんと全員ができるのを確認することが基本です。子ども役の質が高いとこういったことがきちんと浮き彫りになっていきます。

前の時間何をやったか問いかけます。当然子ども役は反応できません。事前にきちんと伝えていないからです。そこで、いったん授業を止めて説明をしてもらいましたが、短くシャープに伝えられません。この1時間の授業のことだけを考えていて、単元全体の流れをきちんと考えていないからです。一般の四角形を2つの三角形に分けて面積を考えたことを強調します。しかし、実際には長さを測って面積を計算したりしてはずです。この時間では、長さを測ることはしません。この時間の授業の展開のことが頭にあるために、そこに直結することだけを強調したのです。
再び「どんな四角形の面積を求めたか」と問いかけます。やはり子ども役は反応できません。一般の四角形をどう称していいかわからないからです。子ども役のレベルの高さがうかがえます。子どもの気持ちになって考えているからです。「何をやった?」と聞いて、前時のいろいろな活動を思い出させるといった方法を検討する必要があります。発問は模擬授業の終了後の課題と考え、ここは先に進めました。

「平行四辺形の面積の求め方予想しよう」と発問します。授業者は、2つの三角形に分けるという答を期待していたのでしょう。しかし前時の流れから言えば、これは予想ではなく立派な解答です。子どもにとっては戸惑う発問です。子どもに考える時間を与えた後、一人を指名しました。「斜めの線と横の線をかける」という答が出ました。子ども役はよくわからないという顔をします。授業者は予想していない答に狼狽しています。「わかる人いる」と子どもに助けを求めます。一人の子ども役がわかりやすく説明してくれます。それを受けて、もう一人指名して、前の図で示させようとしました。授業者はどう対応していいかわからないまま進めています。ここで、いったん止めました。実際の授業でなくてよかったです。簡単に対応の方法を示しました。まず、正しくないことでも、何を言っているか全員にきちんと理解させる必要があります。最初の発言を本人に繰り返させるか、前に出て図で説明させます。その上で、「なるほど、いい予想をしてくれたね。この予想が正しいかどうか、このあとみんなで考えていこうね」とすれば、この時間の最後か次の時間に正しい答が出た段階で本人に訂正させればすみます。時間をかける必要はないのです。
助けてくれた子ども役に、よく言っていることがわかりましたねと確認したところ、こういう答えが出るだろうと予想していたようです。子ども役をやりながら、教師の視点に立っていたようです。しかし、この答は予想できるものだったということです。授業者が教師の視点で授業を組み立てていたことがよくわかります。

この場面もとばして、本題の平行四辺形の面積の求め方をいろいろ考える場面に入ります。いろいろ考えるようにと指示をして、個別作業に入ったのですが、一人の子ども役から質問が出ました。「前の時間に四角形の面積の求め方をやっているのに、平行四辺形の面積の求め方を考える意味がわかりません」。全くその通りです。前時ですでに解決しているはずのことをなぜ問うのかその必然性がこの時間のポイントなのです。この言葉が子ども役から出た時点で、模擬授業は終わることに決めました。模擬授業終了後に、子ども役にどのように授業者の発問受け止めたかを聞いて、どのようにすればいいかをグループで話し合ってもらおうと思っていたのですが、子ども役からこのような言葉が出た時点で、授業者は立て直すことができないと判断したからです。今回の子ども役はとても優秀です。この授業の課題を見事にあぶりだしてくれました。

ここで休憩にして、授業者も含めて各グループでこの授業の主発問はどう設定すればいいか話し合ってもらいました。参加者の中からでてきた皆さんにとって必然性のある課題だったのでしょう。休息時間中からもうすでに話し合いが始まっています。私の出番はありません。頭を寄せ合って真剣に考えてくれていました。
いつまでも話し合いが続きそうでしたが、30分ほどで区切りをつけました。
各グループでどのようなことを話したかを聞きました。どのグループも非常によい話し合いをしています。まず子どもにいろいろな方法を考えさせた上で、「簡単」をキーワードにして整理する。グループでどれがいいか考える。子どもの考えを広げた上でどう収束させるのかを意識しているグループが多いようでした。たくさん見つけることを課題にすれば小学生ならいろいろな考えを出してくれる。けれど、それを整理していくのが難しいという経験を持っているのでしょう。皆さんが話したことは、どれも納得のできることです。どれが正解というわけではありません。子どもたちのそれまでの経験によってもよりよい発問は変わってくると思います。参加者は子どもの視点で課題を受け止め、それをもとに課題のあり方をしっかりと考えてくれました。それだけで、今回の研修は意味のあるものになったと思います。私としては大満足でした。

私からは、子どもが算数の時間に共通して持つべき価値観を日ごろから意識して授業をすることの大切さを話しました。「他のやり方はないか」「もっと簡単な方法はないか」「いつも使えるのか」「どんな場合でも大丈夫か」「どんな条件の時に使えるのか」・・・。こういう算数・数学的な価値をいつも問うことをしてほしいのです。
どんな四角形でも、三角形に分ければ面積を求めることができます。一般的な求め方です。しかし、いくつもの長さを測ることが必要で面倒です。一方、特別な形である長方形の面積は、わざわざ三角形に分けなくても簡単に求められます。この2つのことから、じゃあ平行四辺形はどうなんだろうといった問いかけを考えても面白いかもしれません。参考にしてもらえばと思います。

質問の時間をとったところ、1年生を担任している方から、「算数で共通した価値観を持たせることの重要性はわかったが、では1年生の算数ではどのようなことを大切にすればよいのか」という質問をいただきました。とてもよい質問です。
問題の解き方を教えるスタンスではなく、具象と半具象(半抽象)、抽象を行き来することを大切にしてほしいと話しました。計算は抽象です。それを現実の問題と結びつけるのが、ブロックや図です。問題が示す事象は、ブロックのどのような操作と同じだろうか。その操作が表す演算は何だろう。そういう過程を大事にしてほしいのです。ですから、教科書には絵に描かれたものを元に、問題文をつくるという課題があります。言語を媒介にして具象と抽象をつなぐ課題です。問題文に書かれたものはどのような具象を表わしているのか、その逆にある具象はどのように言語表現されるのか。こういうことを考えようとする姿勢を身につけさせてほしいことを伝えました。算数・数学では、式も線分図も、図やグラフも表もすべてが思考を整理し伝えるための言語です。このことを大切にしてほしいのです。

授業者は、今回の研修でどのようなことを学んだのでしょうか。最後にこの授業をどうしたいか聞いてみました。「教師の視点で考えていたが、子どもの視点で考えることの大切さがわかった。・・・」といった抽象的、一般的な言葉がたくさん語られました。具体的なものは出てきません。これは、授業者自身がまだ整理できていないということです。端的な言葉で語れないとはそういうことなのです。厳しいですが、そのことを指摘しました。本番の授業がどのようになるか、参加者も私もとても楽しみです。

実は、彼を指導していた教務主任と学年の違う同僚2人がこの研修を見学していました。この3人は実によく反応してくれていました。最初から研修に特別参加してもらえばよかったと反省です。次回には、この学校の先生方で1グループつくってもらえればと思いました。
彼らと授業に関してお話をしたのですが、とてもよい話を聞かせてくれました。こういったよい同僚に恵まれているので、彼らに相談することで授業はきっとよい方向に変わっていくと思います。

研修終了後に研修担当の先生と授業者、教務主任を交えて雑談をさせていただきました。非常に勉強熱心で、前向きな教務主任でした。授業者はまだ飽和状態で学んだことを整理できていない状態でしたが、この教務主任ならしっかり支えて(鍛えて?)くれることと思います。これを機会に授業者が大きくに成長してくることを楽しみにしています。
参加者の質の高い子ども役を通じて多くのことが学べた研修でした。次回の研修も、大いに期待が持てます。いつもながら、私自身が多くのことを学べる研修です。このような機会をいただけることに感謝です。

「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その4)

昨日の日記の続きです。

小牧市立小牧中学校校長玉置崇先生の講演です。お会いして教育談義をすることはよくありますが、講演の形でお話を聞くのは久しぶりです。また、セミナー前日のご自身のブログで「授業の本質に迫る話と模擬授業を試みたい」と語っておられました。否が応でも期待は高まります。

玉置先生の講演は小話で場を柔らかくすることから始まるのが常です。ところが、この日はいきなり本題に入ります。私の講評が入ったことで講演時間が短くなったことに加え、参加者が集中していて自身のテンションも高まっていたことが、ウォーミングアップなしの全開スタートにつながったようです。

最近よく話される、「講義=その時間で一番大切なことを教師が言う」「授業=その時間で一番大切なことを子どもが言う」から始まり、子どもが出力することの大切さを伝えます。
よく言われる、実物投影機やフラッシュ型教材などの活用に関しては、このセミナーの参加者であればよく理解されているし、先ほどの3本の模擬授業で十分伝わっていると判断されたのでしょう。子どもが考えるための道具としてのICT活用についての話に絞られました。

自身の失敗談を通じて、課題は子どもにとって必然性のあるものでなければならないことを伝えます。これは、ICTの活用だけでなく、どのような授業にも共通のことです。ICTの活用を例にすべての授業に共通の本質に迫っていきます。
そして、玉置先生の大きな転機となった授業、実は私にとってもそうだったのですが「当たるのはどこ?」の話をされました(その内容は玉置先生のホームページで)。コンピュータのソフトを操作しながら情報を集め、問題解決に向けて子どもたちは実に多様なアプローチを見せてくれました。互いの思考過程を共有することで、私たちの予想以上に子どもたちは学び合ってくれました。圧巻は、誤差の問題について子どもたちから出てきた疑問を、子どもたち自身で解決した場面でした。説明した女生徒の姿と自然に沸き起こった拍手を今でも鮮明に思い出すことができます。今から20年前のことでした。今でも色褪せない実践だと思います。

続いて模擬授業に入ります。「☆☆☆をそろえよう」というソフトを使った授業です。以前につくったものをExcelで作り直したものです。1〜100までの整数を画面上の表に入力して、ある条件を満たせば☆が出現するというソフトです。連続して☆を3つ揃えるのが課題です。
急遽アシスタントとして私がソフトの入力を引き受けることになりました。おかげで、正面から参加者の様子を見ることができました。順番に好きな数を言ってもらいます。「13」に続いて、次の方は「33」と言われました。画面には何の変化も起きません。そこで玉置先生は、「何か考えて決めていますね」と意図的に数を入れたことを評価しました。子どもの発言に対して数学的な価値づけを意識するのが玉置流です。この後、「53」「73」と続きました。☆が出ていないのに20ずつ増やしています。このことについて帰りの電車の中で玉置先生と話しました。「子どもなら、☆が出なければすぐに別のことをしようとするのに、参加者はなぜ同じ規則で数を入れようとしたのだろうか?」と疑問を述べられました。私の推測は、2人目が「33」と意図を持って値を入れたことを評価したので、それが正解へのヒントだと考えたというものです。玉置先生は、意図を持つことを価値づけしたのですが、規則そのものを評価したと考えたのでしょう。日ごろの授業で、直接答につながるような発言を評価していて、メタな考えを評価することはしていないのだと思われます。とても、面白い場面でした。
最初の問題は偶数であれば☆が出るというものでした。次の問題に移ります。今度は、ランダムに値を入れます。なかなか☆が続きません。玉置先生は、子ども役の発言を数学的に価値づけしていきます。「あなたはこういうことを考えて数をいれたんだね」と評価することで、次の子どももその視点を意識します。こういう授業を続ければ、「今○○さんはどんなことを考えてこの数を入れたかわかる」といった問いかけで、子ども自身で価値づけできるようになっていきます。参加者はなかなか戦略的に値を入れることをしません。子どもであれば、すぐに1から順番に入れようとするのですが、大人は頭が固いのかもしれません。1から順番に入れていくと簡単に規則が見つかります。答を見つけようとソフトを操作することが子ども自身で数学的な見方・考え方に気づいていくことにつながるのです。「等差数列(子どもからは出ませんが)」「3の倍数に2を足したもの」「3で割って余りが2」「2から3ずつ増える」・・・数学的にも多様な言葉が引き出されます。これがこのソフトの魅力です。また、先ほどの偶数の場合であれば、「2」「12」「22」で☆をそろえる子どもも出てきます。自信を持って答えると、それだけじゃないという反論に出合います。必要条件や十分条件を考える必然性も出てきます。参加者は子どもの立場で経験することで、玉置先生が授業を通じて子どもたちにつけたい力を理解してくださったと思います。

この日紹介された3つの実践すべてに私はかかわっていました。私自身が玉置先生とのかかわりを通じてたくさんのことを学ばせていただいていることをあらためて感謝しました。
当時は、玉置先生を含む何人かの先生方と定期的にソフトづくりをしていました。深夜遅くまで議論していて行き着くところは、「この教材の本質は何だろう。いや教科の、授業の本質とは」ということでした。この日の講演を「授業の本質に迫る」とブログで語られたことの原点をここにあったのだろうと想像しました。
講演で紹介された実践は、今よく言われている「普段使い」の、「手軽」なICT活用とは少し方向は違うかもしれません。しかし、あえてこの実践を紹介したことに、もう一歩進んで授業の本質に迫るようなICT活用を目指してほしいという思いを感じました。

しかし、感動ばかりしていられません。休む間もなく私の講評です。玉置先生の話を受けてどう展開すればいいのしょうか。玉置先生が話の中で触れられた「子どもの発言の価値づけ」を意識してそれぞれの授業をどのように進めればより素晴らしいものになるか、いくつかの視点で話をさせていただきました。
中村先生の算数の模擬授業については、子どもを認める・ほめるに関して、特に「○つけ」では一部の子どもだけほめるのではなく、全員をしっかりほめること。子どもの発言の受けに関して、「長さに注目したんだ」「三角形を探したんだ」「角に気づいたんだ」といった算数・数学的な価値づけをするとよいことをお話ししました。
南先生の国語の模擬授業については、指示をスクリーンに映すよさに関連して、スクリーンに映しつづけるのか消すのかという判断が大切なこと。子どもの活動に関して、目的や目標を明確にすることで評価や価値づけができることをお話ししました。
楠本先生の理科の模擬授業については、実物を使ったよさに関連して、理科での実験観察は課題解決を意識して、何をすれば解決できるのかを子どもが考える必要があること。ワークシートに関して、子どもが育つにつれ、指示や話型といった情報が少ないもの、最終的には単なる1枚の紙になっていくことが理想であること。ワークシートをデジタルで保存するなら、子どもが自身の成長に気づくきっかけとして活用してほしいことをお話ししました。

20分の中で話を詰め込んだので、参加者に理解いただけたか甚だ心もとないものでしたが、参加者が非常に集中して聞いていただけことをとてもうれしく思いました。
玉置先生のブログには、「大西さんの総括は、いつも以上に厳しい。こんなに斬られたのは、3人とも初めてではないだろうか」と書かれてしまいました。玉置先生がそういうのですから、かなり辛口に感じられたのでしょうか。反省です。

セミナー終了後、楠本先生があいさつに来てくれました。お話を聞くと私の指摘したことは実際の授業ではかなりできていたようでした。20分の模擬授業にまとめようとしたため、そこを省略してしまったようです。失礼なコメントをしてしまいました。それにもかかわらず、玉置先生と私に対して「清々しい気持ちです」と礼を言ってくださいました。この言葉に救われたと同時に、この姿勢であれば今後ますます成長されるだろうと、ぜひもう一度授業を見せていただく機会を得たいとおもいました。

セミナー終了後、懇親会にも参加させていただきました。楽しいお話とおいしい料理・お酒に大満足です。一参加者として勉強させていただくつもりだったのが、思わぬ素晴らしい時間を過ごさせていただきました。三重教育工学研究会の皆様に大いに刺激を受けたことと温かいもてなしに大感謝です。
帰りの電車では再び玉置先生と教育談義。最後まで本当に充実した素晴らしい1日でした。

「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その3)

昨日の日記の続きです。

3つ目の模擬授業はフューチャースクールの指定を受けていた松阪市立三雲中学校の楠本誠先生のiPadを活用した理科の授業でした。野菜は植物のどの部分かという課題の授業でした。
花、茎、葉、根などの名称が空欄になっている植物の模式図を見せて、その名前を指名して言わせます。授業の導入のよくある復習場面です。答えるとすぐに正解が表示されます。テンポよく進んでいきます。こういうスピード感はICTを活用するよさです。しかし、この進め方は全員がほぼ100%の状態であることが前提です。今回は20分という短い時間でまとめようとしたのでこのような進め方になったのだと思いますが、原則一問一答は避けるべきだと思います。最低3人ほど指名して、全員が同じ答であれば「○○でいい?反対の人はいない」と言って答を表示すればいいのです。こうすることで、知識が曖昧な子どももしっかり復習できます。また、次々指名すればテンポは決して悪くなりません。

最初の課題は、トマトは「花」「茎」「葉」「根」のどの部分かです。グループに2台のiPadが用意されています。この2台というのもどのように使い分けるか興味のあるところでした。各グループに枝についたトマトが配られます。ICT機器ばかりに頼らず実物を見せるというのは理科として大事にしたい姿勢です。iPadの1台は先ほどの植物の模式図、もう1台はワークシートが転送されました。ワークシートには理由を書く欄があります。根拠を持って考えることを意識させようとしています。子ども役に与えられたのは、これだけです。インターネットで調べれば答はすぐにわかります。しかし、それでは学習になりません。情報を制限された中、与えられた情報を元に考えさせようというわけです。ここで、気になったのは、子どもたちがどのような結論を出そうが、それが正しいことをどうやって確認するかです。教師が「正解は○○だよ」と言っては話にならないからです。また、ここではトマトは眺めるだけでした。観察して結論を出すのであれば、観察の手段を与えるか方法を考えさせるべきです。具体的には、「このトマトをどうやったら、答が見つかると思う」と投げかけたり、「トマトは切ってもいいよ。ただし食べたらだめだよ」と手段を与えたりするのです。もちろん、トマトの中には種があることは多くの子どもが知っています。しかし、その知識を使うのであれば、実物を与える意味はありません。また、トマトを切ってみることで、子房の断面と同じような構造をしていることに気づけると思います。理科は実験や観察を大切にする教科です。それは、教師に指示されたからおこなうものではありません。問題を解決する手段、仮説を確認する方法として、どのような実験・観察をすればいいのかを考え、その結果から気づきわかったことから、また次の実験・観察を考えるのです。
また、ワークシートがグループに1台のiPadで書かれるというのが気になりました。意見をまとめる時に、どうしてもiPadを持って仕切る子どもが出やすいからです。一人1台の環境でなくても、紙を使えば個人の考えを書くことができます。考えをまとめる時に、その考えに納得できない子どももいると思います。そんな時、自分の考えにこだわることも大切です。手元に自分の考えを書いたものを持っておくことは大切なのです。

発表は、iPadのワークシートを画面転送して進めました。それぞれの理由が話されます。問題はどのようにして、その確認をするかです。授業者は用意しておいた、トマトの花に実がついて大きくなっていく何枚かの写真を見せることで説明しました。ICTが「教師が説得する」ための道具になっています。これは、ある意味後出しじゃんけんです。この情報は教師だけが持っているからです。せめて、子ども役の根拠が正しものかどうかを、この情報を元に子どもたちが確認する場面がほしいところです。茎と花のつなぎ目を拡大することで、トマトのへたの部分が「がく」であることや、子房の部分の変化を拡大してトマトの「実」を食べていることを確認するといったことを子ども主体でおこなってほしいのです。ICTを「子どもが納得する」ための道具にしてほしいと思います。

続いて、タマネギはどの部分かを課題にします。今回も実物を配りますが、切ったりはさせませんでした。子ども役の頼りは模式図だけです。これは教師が子どもをミスディレクションするための方法のように思いました。タマネギには根があります。模式図では根は茎から生えています。数少ない材料から、「茎」と答えることは想像に難くありません。案の定、子ども役は「茎」と答えました。正解は「葉」でした。タマネギを切ってその切り口を見せてその説明をしました。やはりここは、子ども役にタマネギを切らせて、その情報を元に考えさせたいところでした。その上で、根拠となる部分を写真で拡大するなどしたまとめをiPad上でつくらせて、全員で共有したいところです。
ただ、理科で気をつけなければいけないのは安直に写真に頼りすぎないことです。たとえば顕微鏡で観察したものを写真に撮るという活動はまずありえません。人は意識したものしか見ません。観察で気づかなかったものはスケッチに描かれません。だからこそ、自分の手で描くことで、何を気づけたかが明確になるのです。また、植物図鑑では写真よりも手書きの絵を重視します。それは、その植物の各部分の特徴を端的に表すことができるからです。植物には個体差があります。写真ではたまたまその個体の特性が写しだされることもあります。そして、写真はどうしてもピントの合う場所が限られます。小さい植物などは花を接写すれば葉や茎などは、まずぼけてしまいます。記録に写真を使うべきところと手書きであるべきところを意識する必要があります。

この授業のツッコミ役は、この後講演する玉置先生でした。たった一言、「紙でもこの授業はできるのではありませんか?」とこの授業の急所を突きました。授業者は、ワークシートを共有できるよさや保存ができるよさを話しましたが、この授業に限って言えばその必然性はありません。玉置先生はそのことを追及はせずに、グループに1台のiPadを使うよさやフューチャースクールでのICT活用へと話題を移しました。この授業ではうまく現れなかった授業者のよさを引き出そうとする姿勢は見習わなくてはいけません。
話を聞いていて、授業者がICT活用に真剣に取り組み、工夫していることがよく伝わりました。

3つの模擬授業を見せていただき、私の講評の方向性が決まりました。授業者がねらっていることを実現するために、それぞれの授業はどういうことを意識するといいのか、具体的にどこをどのように変えればいいのかを話すことにしました。
玉置先生の講演の間に構想を練ろうと思いましたが、そうはいきません。講演に集中してしまったからです。

この続きは、明日の日記で。

「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その2)

昨日の日記の続きです。

2つ目の模擬授業は、伊勢市立御園中学校の南和美先生の国語でした。3年生の随筆をもとにした、発展的な学習です。
授業者は明るく元気で、子どもたちはきっとこの先生が大好きだろうなと思いました。「ありがとう」という言葉がごく自然に出ます。授業の中で「ありがとう」という言葉が出る先生の学級は、温かい空気にあふれているのが常です。この授業がどのようなものになるのか期待でワクワクします。
筆者が「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」と述べているのに対して、子どもたちから「言葉で表現できる」という意見が出てきたことを受けて考えられた授業でした。
4枚の空の写真をスクリーンに提示します。「朝焼け?」と「夕焼け?」、2種類の「雲」です。この構成から、「子どもに書かせたものを元にどの写真を表現したものかわかるか」と問う流れが見えてきます。

まず4枚の写真のうちどれが好きかを問います。誰でも答えやすい問いで全員を参加させます。挙手で確認した後、指名してその理由を問いました。好きか嫌いかは他者を納得させるような明確な根拠を必要としないので、答えやすいものに思えます。しかし、あらためて聞かれると答えられないこともあるのです。うまく説明できない子ども役に「なぜ?」と迫りました。国語の授業で根拠を求めることは大切なことですが、好きな理由を言うことが国語として大きな意味を持つ場面ではありません。「なんとなくかな?」と軽く問い返して、子どもがうなずけば次に進めばいいでしょう。また、「なぜ?」という問いかけは、一番答えにくいものです。「どこが好き」といった答えやすい聞き方をすれば、言葉が出たかもしれません。
続いて4枚のうちの1枚が「夕焼けか朝焼けか」と問いかけます。授業者は伝えるための表現を意識して発したのでしょうが、この日の課題が明確になっていない段階では子どもにとっては考える必然性がわからない問いです。また、その理由を考えさせても根拠を持った議論ができるようには思えません(一般的に夕焼けの方が広い範囲が赤くなるようですが・・・)。国語の授業は論理的でなければなりません。そのため理由を問うことはとても大切ですが、根拠を持って明確に議論できることが前提です。また、根拠となる知識が必要であればまずそれを全員で共有する必要があります。このことを意識してほしいと思いました。

スクリーンに作業の手順を映して指示をしました。一連の動きがとてもなめらかです。日ごろからICT機器を使い慣れていることがよくわかります。いくつかのステップに分かれている指示は、このように全体がわかるようにしておいて、一つひとつ説明すると徹底しやすいと思います。中心となる課題は、「選んだ写真のイメージが伝わるように書く」です。この指示が実は曖昧なのです。イメージが伝わるとは、具体的に読み手がどうなればいいのでしょうか。ゴールが不明確なのです。写真を見て自分が感じたイメージが伝わればいいのでしょうか。それとも写真がどのようなものか、そのイメージが伝わればいいのでしょうか。ある子ども役は、情景描写にこだわり、ある子ども役は写真には写っていない情景を想像して書いていました。同じ土俵で評価ができなくなる可能性があります。

作業に入った時点でスクリーンの表示を再び、4枚の写真に戻しました。作業に入っても指示を確認したい場合があります。子ども役は手元に写真を持っていたので、写真に切りかえる必要はなかったでしょう。もし写真を配らずに再度表示する必要があるのなら、従来のように紙に書いて黒板に貼るか、指示が終わったあと、印刷したものを配った方よいでしょう。ICT機器を使うよさの一つが、瞬時に映したり消したりできることです。だからこそ、どのタイミングで写すのか消すのか、今、映す必要があるのかないのかを判断することが大切です。ずっと映している必要があるものならば、かえって紙に書いて貼っておく方がよい場合もあるのです。

付箋紙に文章を書かせ、隣同士で交換して読み合います。この時、素敵な表現だなと思ったところに線を引くように指示します。最初の指示の「イメージが伝わる」に対して評価は「素敵」です。指示に対して評価がずれています。「素敵」というのは「いい」と違って主観的なものです。こういう「Iメッセージ」を送ることは人間関係をつくるのにとてもよいことです。相手は自分が認められたと感じます。このことを授業者はよく知っているのでしょう。だからこそ、ここでは使ってはいけないのです。客観的に議論できないからです。ここが素敵だという意見に対して、それ以上深く話し合うことはできません。疑問をはさむこともできません。個人の気持ちに対して何も議論できないからです。国語の授業では自分の感想を言って終わることが多くあります。読書ならばそれでいいのですが、国語は正しく読み取ることが求められます。客観的に議論することを常に求めてほしいのです。
何人かのものを実物投影機で拡大して見せます。付箋紙のように小さいものに書いても、拡大すれば全員で共有できます。また、何枚も貼って比較することもできます。ちょっとしたアイデアですが、ICTのよさをよくわかっていると感心しました。
ここで、もし「素敵」にこだわるのであれば、「ペアの人の書いたのをぜひ紹介したい人?」として、発表させるとよかったでしょう。こうすることで、よい人間関係がつくられます。

「たなびく」という言葉に注目して、2年生で学習した「枕草子」を想起させました。ここで「覚えている人」と問いかけました。覚えている人に発表させてもいいのですが、それを聞いても全員がきちんと復習できるわけではありません。今回は環境的に難しいでしょうが、デジタル教科書があれば、「どこで出会った?」と出典を確認して、すぐに表示をすることができます。全員で読むことで復習することも可能です。

実際の授業では、他の学級の子どもの書いたものを見せて、どの写真を表現したものか考えさせることをしたようです。表現の評価としてとてもよいのですが、このような評価をすることは活動前に伝えてはいません(実際の授業では違っていたのかもしれませんが・・・)。子どもは毎回指示に従って活動しているだけで、どこに向かっているのかが明確でありません。ミステリーツアーになっています。
では、どうすればよかったのでしょうか。
最後にどの写真を表現したものか考えさせるのであれば、視点によって2つの流れがあると思います。一つは資料的に比較してみるという視点です。予め何枚かの写真を与えておいて、「どの写真を表現したものか伝わるような文章を書く」という課題です。他の写真と比較しながら書くことが、目標達成の近道です。
もう一つが、素晴らしさを表現するという視点です。たとえば朝焼けに絞って、いくつかの写真を準備します。一人に1枚ずつ写真を配ります。他にどのような写真があるかは知らせません。「与えられた写真の情景の素晴らしさを伝える文章を書く」というのが課題です。その上で、それぞれの文章がどの写真を表現しているのか互いに読み取るのです。通り一遍の表現では、他の写真との違いを際立たせることができません。表現の難しさを知ることができると思います。
いずれにしても、「どこでわかったか」を問うことで、表現を価値づけすることができます。ゴールが明確な言語活動になると思います。
それに対して、「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」という随筆の内容を意識すると、「君たちの言葉は写真の表現力に勝てるか」という課題もあるでしょう(自然相手は教室では難しいので)。写真に対して、その表わす情景を言葉で表現してより感動を与えられるかを問うのです。詩などに近い表現活動となります。客観的な評価は難しいかもしれませんが、自分たちの「言葉の貧しさ」を知ったり、友だちの「豊かな表現」に出会ったりすることができると思います。
授業者のねらいは、また別のところにあったのかもしれませんが、このようなことを考えました。

言語表現と視覚を結びつけるというアイデアは古くからあるものです。以前は写真一つ見つけるのも大変でした。意を決して取り組まなければなかなか越えられない壁があったのも事実です。しかし、今はインターネットを活用することで簡単に素材が手に入ります。授業者はインターネット上で著作権の心配のないものを見つけてきたようです。ICTという羽で今まで越えることのできなかった壁を軽々と飛び越えています。
懐かしいような、それでいて新鮮な授業に出会うことができました。

今回のツッコミ役は、松阪市立殿町中学校森喜世子先生です。
前セクションとはまた違ったアプローチです。ツッコミ役というよりも、引き出し役という感じでした。南先生の授業のよさや日ごろのICT活用の様子をよくご存じなのでしょう。そのよさを価値づけたり、引き出したりする言葉や質問がたくさん出てきます。
関連資料、情景や背景を素早く見せる。子どもの発表の道具として使う。南先生がチョークや黒板のように自然にICT活用していることとそのよさが伝わるものでした。

この続きは、また明日の日記で。

「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その1)

先週末は、三重県教育工学研究会に主催の「授業で活かすICTセミナー」に参加しました。3本の模擬授業と解説、それに小牧市立小牧中学校の玉置崇校長の講演という興味深いプログラムに、個人的に申し込んだのです。ところが参加申し込みに私の名前を見つけた古くからの知り合いでもある研究会の会長とこの研究会のメンバーで愛される学校づくり研究会の仲間でもある方から、登壇をお願いされてしまいました。玉置先生の講演を20分削るだけの価値ある話をできるかどうか自信はありませんでしたが、私自身の勉強の機会だととらえお引き受けしました。

会場までは、玉置先生と名古屋から電車で向かいました。車中、授業づくりや授業アドバイスについて話をしているうちに気がつけば目的地の津。この時間だけでも参加した価値がありました(まだ参加していないって!)。駅での出迎えから、開始時間まで細かい気配りで接待していただきました。その間スタッフの皆さんは本当にいきいきとよく動いておられました。これだけの会を自主的に運営できる力に驚きました。自ら学ぼうとする意志とそして楽しもうというエネルギーを感じます。

開始前に、若いスタッフから声をかけていただきました。面識のない方です。この日記の愛読者で、授業づくりの参考にしていただいているということです。実践する中で、グループ活動をどこで止めるべきか悩んでいると質問をいただきました。その内容は子どもたちを活かすことを意識して実践しているからこその悩みでした。とても楽しくアドバイスをさせていただきました。その時、そばにいたこの日の模擬授業者もしっかり聞いていてくださるのに気付きました。この学ぶ意欲には感心しました。こんなメンバーがたくさんいる研究会の質の高さが感じられます。セミナー開始前にテンションが上がっていきます。こんなことはそれほどあることではありません。

セミナーのトップバッターは会長である、三重県大紀町立錦小学校校長中村武弘先生です。会長自ら範を示し模擬授業に挑戦するという姿勢は、上に立つべきものの手本となるものです。
授業は小学校3年生の算数、二等辺三角形の導入の場面でした。実物投影機を使って、教科書の図を大きく映します。この時点で授業者の「特別なことをしなくてもICT機器は活かせるんだよ。ただ、どう使うかを意識してね」というメッセージを感じました。
図は円の中に、中心を頂点とした半径を2辺とする2つの三角形が描かれているものでした。2つの三角形の辺は色を変えてあり、中心の点には「中心」と書かれていました。発問は「図を見て何でもいいから気がついたことをノートに書く」です。「何でもいい」という言葉は、どんな意見でも大丈夫だよ、先生が受け止めるからというメッセージです。この後の子ども役とのやり取りが想像できます。しかし、「何でもいい」は子どもにとっては、何を答えたらいいのか悩む問いでもあります。日ごろから視点を育てていないと答えにくいものです。また、教科書には図の説明で「円」という言葉があります。あえてこのことを言っていないということは、「円」という子どもの言葉も活かそうとするのではないかと想像しました。どのように展開するか興味津々です。

子ども役が作業をしている間、机間指導をします。一部の子ども役には「なるほど」と、また、ある子ども役には「いいね」と声をかけます。この違いが私には気になりました。「なるほど」は受容の言葉です。それに対して「いいね」は称賛の言葉です。すべてどちらかであればよいのですが、「なるほど」と言われた子どもは評価されたと感じない可能性があります。授業者は志水廣先生の○つけ法を意識されたのだと思いますが、そうであれば、全員に肯定的な声かけをする必要があります。声をかけられなかった、受容はされたが称賛はされなかった。こういうことが起こらないように気をつける必要があります。また、残り何分というような言葉が必要以上に多かったような気がします。全体に伝えるべき情報はいったん止めて伝えるべきです。そうでない情報はできるだけ控えた方が子どもたちの集中を乱しません。

いよいよ発表です。指名された子ども役は、前に出て図を使って説明しようとしました。その態度を「積極的」と授業者はほめました。ほめることはもちろんよいことなのですが、ここは算数のとしての価値もほめたいところです。図を使って説明しようとすることの価値づけをしてほしかったのです。発表者は、「円だから半径が等しい、2つの辺が等しいから、二等辺三角形」ということを指で図を示しながら説明します。ここで、発表をほめた後、もう一度今言ってくれたことを説明するように他の子ども役に指名しました。しかし、話し言葉ですからムダな言葉もあります。それを復唱することはそれほど簡単ではありません。実際に子ども役はすぐには言うことはできませんでしたし、「円だから」という言葉を落としました。残念ながら授業者はそのことを見過ごしました。他の子どもの話を聞くことを大切にする姿勢は素晴らしいのですが、そのための足場をつくってあげる必要があります。まず、全員が発表者の言葉を共有する必要があります。発表の後、「いいこと言ってくれたね。まだよくわかっていない人もいるようだから(挙手で確認をしてもいい)、もう一度言ってくれるかな」と再度聞く機会をつくります。そして、今度は、一言一言を区切りながら確認します。「円だから」「なるほど円なんだ。みんな円だってわかった。それで」「半径だから等しい」「半径だから等しいんだ。半径は図のどこ?」といったように、まず発表者の考えを図も使い、時には本人や他の子どもに問いかけながら、理解する場面をつくるのです。その上で、他の子どもに聞けばより多くの子どもが共有できます。このような場面は、大きく映すというICT機器のよさが活かされるところです。今注目している三角形部分だけに拡大することで、よりわかりやすくなったと思います。

授業者は、どの子ども役の発言も肯定的に受け止めます。しかし、「意外な意見」という言葉を使うことがありました。この言葉も要注意です。授業者に想定している意見があるということです。子どもは「あっ、外した」と考えるかもしれません。こういう経験を何度もすると教師の求める答は何だろうと「教師の求める答探し」をするようになってしまいます。「すごい意見だな。こんな意見が出たことがない。素晴らしい。でも、3年生では扱えないから、5(?)年生になったら考えよう」といった対応をすると子どもは納得してくれます。

子ども役から意見を一通り聞いたあと、「二等辺三角形は他にはないか」と問いかけます。「気づいたこと」ことから「二等辺三角形」に視点が移っています。子どもの発表からここに話題が移る必然性が求められます。また、今まで図そのものから気づいたことを発表していましたが、新たな二等辺三角形を見つけるには図に線を描きこむ必要があります。ルールが変わったのです。このことを明確にしないと子どもは困ってしまいます。「二等辺三角形を見つけてくれた人が何人もいるね。今日は二等辺三角形の勉強をするんだけれど、図の中にもっと二等辺三角形を見つけてくれるかな。線を1本だけ足していいからね」というように新たな課題として、少し考える時間をとる必要があるでしょう。「他にはない」と迫られても、子どもは考えられないのです。

説明の時に子ども役が「円」と言う言葉を使わなかったが、「円の半径」と授業者が付け加えた場面がありました。「半径。何の?」と子ども自身につけ足させるようにしたいところです。
また、子どもの発言に対して「いい言葉」という評価をしたのですが、それがどの言葉で、どのようにいいか具体的にしませんでした。これでは、せっかく評価しても共有できません。「いい言葉を言ってくれたね。先生はどの言葉をいいと思ったかわかる?」「この言葉がいいってどういうことかわかる?」というように子どもに考えさせるとよいでしょう。

最後に、二等辺三角形になる理由を説明する場面がありました。子ども役は「半径だから2つの辺が等しい」と説明したのですが、授業者は「どの辺のこと」と聞き返します。あえて、等しくない2辺を示したりするのですが、どうでしょう。子どもの説明をより明確にさせるために、物わかりの悪い教師になることはとても大切です。しかし、この場面では「半径」と言っているのです。であれば、「半径ってどこ?」と聞き返すべきです。そうでなければ、せっかく「半径」という算数用語を使って説明していることが死んでしまいます。

子どもを受容して活躍させたい。そういう思いに溢れている授業でした。いつも言っていることですが、だからこそ、たくさんのことに気づけ学べるのです。指摘の多さはその裏返しです。

続いてアドバイザーの元津市立倭小学校校長中林則孝先生の「ツッコミ」です。アドバイザーと机には貼ってありながら、ツッコミ役と紹介するところがこのセミナーの姿勢を表わしています。内輪の予定調和の解説ではなく、ツッコムことで授業者の考えを引き出し、より深く学ぼうということです。中林先生のツッコミは、その期待通りのものでした。
まず、授業者の机間指導でのしゃべりの多さを指摘します。子どもの集中を乱さない方がいいということです。それに対して、授業者は本人に聞こえるような声かけと、大きな声を使い分けていると主張します。オープンカンニングの発想です。時間がなくてそれ以上話題にできなかったので、私の講評の場でこのことについてお話することにしました。
また、ただ大きく見せるのではなく、MAX拡大を利用することも指摘されました。ここぞというところでは、MAX拡大を使うべきということです。これも納得できます。
実物投影機がなくて使えないという先生は自腹で買うべきだという主張もなるほど思いました。「道具を自腹で揃えない大工さんはいない」という言葉には説得力がありました。
いつもの中林先生らしい、明確なツッコミです。思わず何度も手をたたきそうになりました。
「ここまでツッコムか」と、スタートからわくわくするセッションでした。次の模擬授業がますます楽しみになりました。

この続きは明日の日記で。

夏休みをいただきます

明日から、今週いっぱい夏休みをいただきます。
日記もお休みさせていただき、19日(月)より再開します。

夏休み前半の研修を振り返って

夏休みの前半が終わり、研修の仕事も一段落がつきました。夏休みということもあり、模擬授業を組み合わせた研修を多く持つことができました。実際の授業と違って途中で止めることもできます。今見た具体的な場面を元にすぐ話ができるので、一方的に話すのとは違って参加者にはわかりやすいものとなります。また、子ども役をやっていただいた方は子どもの気持ちを想像しようとすることで、普段はなかなか意識できない子どもの視点で授業を考えることができます。このことも大きなメリットです。多くの場合、講演に替えて模擬授業を元にお話しする形を取っています。そのため、私が伝えたいことを話すための材料として模擬授業をとらえることになります。授業者には申し訳ないのですが、この場面を元に伝えたいと思えば、そこで授業を止めてしまって解説をすることになります。切れ切れになりますので、授業者にとってはとてもやりにくいものになります。この点をうまく解決する方法を思案しています。

今回、ある学校では私の解説中心ではなく、通常の授業研究に近い形で模擬授業をおこないました。途中で私の解説を入れずに、1時間の授業を通したあと、検討をおこなったのです。今までの授業検討のやり方を変える試みとして、模擬授業を元に子ども役と参観者を組み合わせた小グループで検討をおこないました。子ども役が加わることで、第三者の視点だけでなく、子どもの視点での意見も出るので、とても学びが深くなるように思いました。この学校にはすでに何回もおじゃましてお話をさせていただいているので、あえて私が場面ごとに解説しなくても先生方の気づきを元に話し合うことでしっかりと学び合えました。

また、夏休みの後半には、模擬授業を通じて授業案の検討をおこなう研修があります。この検討を元に、秋に授業研究をおこなうのです。授業研究では、ともすると授業者一人に負担がかかり苦しい思いをすることがあります。模擬授業を通じてみんなで考えることで、授業者の負担を減らし、参観者の授業への参加意識を高めることができます。また、子ども役をやることで、本番の授業での子どもの様子をより意識して観察するようにもなります。一つの授業からより深く学ぶことができます。

講演では、先生方の受け身の時間を減らすことを心がけました。参加者が活動する場面を意識的に組み込むようにしました。単に問いかけただけでは、意見を言っていただけません。しかし、グループやまわりと相談する時間を少し入れるだけで、様子は大きく変わります。先生方の活動量が一気に増えるのです。子どもと同じです。相談した結果を聞くときに、「答がわかった方」とあえて正解を求めたり、「自信のある人」とプレッシャーをかけたりして、子どもの気持ちも体験してもらいました。こうすると先生でもなかなか挙手はできません。このような問いかけがいかに答えにくいかわかっていただけたと思います。それに対して、挙手に頼らず「よく話し合っていましたね。どんなことを話しましたか。聞かせてください」と聞けば、しっかりと話してくださいます。「同じようなことを考えた方」「今の意見になるほどと思った方」「納得した方」とつなぎ方も実際にやって見せるようにしてみました。つなぎ方については特に説明をしないことも多かったのですが、気づいていただけたでしょうか。講演を授業とまったく同じようにはできませんが、いろいろな授業技術を取り入れることを意識してみました。

毎年、たくさんの場所でお話をする機会をいただきますが、参加された方にとって意味のあるものになっているかどうかがとても気になります。講演を聞いて授業がよくなった、学校が変わったという報告を聞くことがあまりないからです。講演よりも実際に授業を元に先生方と一緒に考えることや、具体的なアドバイスをすることの方が効果的と思うのですが、夏休みは授業そのものをする機会がありません。どのような形で研修をおこなえばより効果的なのか、毎回毎回試行錯誤の連続です。参加者の反応を頼りに少しでもよいものにしようと考えていますが、力不足を感じさせられる毎日です。夏休みの後半にも研修の講師をいくつか務めます。私自身の勉強の機会とらえ、よりよいものにしていきたいと思います。

模擬授業で現職教育

先週末は中学校の現職教育に参加しました。2名の若手の社会と英語の模擬授業をもとに私が解説するというものです。夏休み前に授業の様子を見せていただき、校長、教務主任と打ち合わせをしました。その結果、一方的な講演ではなく授業場面に即して先生方に考えていただいた方がよいだろうということになり、今回の模擬授業となりました。
「聞く」をテーマにとして、「子どもが教師の話を聞くこと」「教師が子どもの話を聞くこと」「子どもが子どもの話を聞くこと」について考えてもらうことをねらいとしました。授業者には申し訳ないのですが、授業の流れは無視して場面ごとに授業を止めて私が解説しながら皆さんに考えてもらう形式をとりました。

社会科の模擬授業は、最初の指示や説明の場面から授業を止めました。よく目にする、特に問題がないように思われる場面です。しかし、そこに大切なことが隠れているのです。
課題をノートに写させるのですが、授業者が板書している時に、できない子ども役がごそごそしていてなかなか写しはじめませんでした。また、写し終わったら顔を上げるように指示しましたが、まだ写し終っていない子どもがいるのに説明を始めました。
すぐに取り掛からない子どもに気づいていたかどうかを授業者にたずねました。全く気づかなったと素直に答えてくれました。授業者は書くことに集中して書き終るまで振り返らなかったのです。このこと自体がよい悪いではなく、黒板に向いて板書をしている時には子どもは見えないということを意識してほしいのです。意識すれば、時々振り返ったり、子どもを見やすい姿勢で板書するようになったりします。
わずか数行を写すのにも、子どもたちは結構な時間がかかります。すぐに取り掛からない子どもがいれば、結果的にその子どもが書き終るのを全体で待つことになります。素早い行動をうながしてムダな時間を使わないようにすることが必要です。板書を写すことがどんな意味があるのかを意識することも大切です。目から入って手に伝わるだけであれば、プリントして配ることと変わりません。頭を使って写させたければ、「できるだけ黒板を見ないで写そう」「黒板を見るのは○回まで」といった指示をすることが必要になります。
顔を上げるように指示をしてもまだ写している子どもがいるのであれば、全員の顔が上がるまで待たなくてはいけません。子どもの聞く姿勢ができていないのに教師が話せば、結果として聞くことを軽視させることになります。子どもたちが「教師の話を聞く」ためには、聞く姿勢をつくることを意識することが大切です。また、子どもが全員顔を上げていないのに「みんな顔が上がったね」と言ってしまえば、その子どもは、自分は「みんな」には入っていないのだと思ってしまいます。そういうことが続けば教師と子どもの人間関係は崩れてしまいます。注意が必要なのです。

まだ学習していないことを子どもに問う場面がありました。教科書や資料集を見ればわかるのですが、「調べてごらん」と明確に手段を示すことが必要です。知識を得るためには「調べる」という方法を取ればよいと教えることが必要なのです。調べさせたのであれば、その結果を答えさせることにあまり意味はありません。見つけることができれば答えられるからです。また、いつも調べた結果が発表されることがわかっていれば、調べようとしない子どもも出てきます。「どこで見つけたか」「どうやって見つけたか」を問うことが必要です。見つけられなかった子どもにも、資料を見つけることを経験させなければいけないのです。自分で資料を確認しようとするかが心配なら、隣同士で確認し合うようにすれば大丈夫です。子どもたちに受け身でない学習姿勢をつくることが大切です。

資料を見て「気づいたこと」を問う場面がありました。この「気づいたこと」という問いかけは、教師としては「何を答えてもいい」という受容的な思いで発しているのですが、子どもにとっては必ずしもそうではないのです。「何を答えてもいい」というのは、「何を答えればいいのかわからない」につながります。教師の求める答を言わなければという意識が強ければ強いほど困ってしまうのです。初めのうちは「○○と比べて」と視点を与えた上で「気づいたこと」と問いかけるようにした方がよいでしょう。何度か経験した後、「前の時は、何と比べてみた」「どんなことに注意する」と自分たちで視点を意識するような問いかけをするようにし、最終的には「気づいたこと」だけで子どもが答えられるように育てていくのです。

英語の模擬授業は、受け身表現の学習で、とてもテンポよく進んでいくものでした。授業者はまだ経験も少ないのですが、なかなかの授業技術です。ドラえもんがどら焼きを食べているところ、クレヨンしんちゃんが携帯電話を使っているところの2枚の絵を元に導入部分を進めました。ドラえもんが何を食べているか英語で質問し、子ども役がそれに答えます。その答を聞いてハンドサインで「いいかどうか」を確認します。英語だけで進めていくので、実際の子どもの場合全員ちゃんと聞き取れるかどうか不安があります。そこをハンドサインで補おうというのです。しかし、ハンドサインだけに頼ることは危険です。ほとんどの子どもが賛成のハンドサインを出していれば、残りの子どもの多くは追従します。ほとんどの子どもが賛成しているのにハンドサインを出さなければ、指名されて確認される危険があるからです。逆に、常に賛成の子どもに確認の指名をすれば、わかっていないのに賛成する子どもは減ります。ハンドサインも確認が必要なのです。
ハンドサインを出さなかった子ども役がいました。しかし授業者はそのまま進めました。授業者に確認したところ気づいていたとのことでした。ハンドサインは全員が出すべきものです。わからない子どももわからないと意思表示をさせるべきなのです。ハンドサインを出さない子どもがいることを確認したのに対応しないということは、悪い言い方をすれば、賛成のハンドサインを教師が先に進むための言い訳に使っているのです。1問1答でハンドサインを使って確認をするよりも、正解と言わずに何人も指名し、そのやり取りを何度も聞かせた方が、わからない子どもがわかるチャンスを増やすことができます。

携帯電話を英語で何というかを問う場面がありました。これは知らない子どもには何ともしようがない、知っている子どもしか活躍できない問いかけです。もし、こういう知識を問うのであれば、辞書を引くといった手段を与えておくことが必要です。指名した子どもが、”cellphone” と答え、それを簡単に確認して終わりました。もし、この単語を後で使う必要があるのなら、きちんと全員で共有することが必要です。ある子ども役の方は ”sell phone” と勘違いをしておられました。

ワークシートで、ドラえもん、どら焼き、クレヨンしんちゃん、携帯電話を主語にして日本語の文を書かせました。この活動が何のためかその目的が子どもにとっては明確ではありません。教師の指示に従って活動するだけです。当然、その評価もありません。教師の都合による活動なのです。子ども役は自分の答を書き終ると自然と他の子ども役の答を見ています。単純な興味だけでなく、評価の観点がないので自分の答でいいのか気になっているのです。その後、グループになって確認します。このとき、活動の目的、目標が明確ではないので、無責任に見合うだけです。当然テンションが上がっていきます。一見活発な活動に見えますが、決してよいことではないのです。テンションが上がることの意味、危険性を説明しました。

このあと、受け身の表現の仕方を教科書から子どもに探させる活動がありました。文法事項は知識です。調べるという発想は決して悪くはありません。しかし、英語の学習としてはどうでしょう。実際に受け身を使う必然性のある場面で受身表現と出会いながら学んでいく方が自然だと思います。”situation”ベースでの英語教育について、全体で少し話をさせていただきました。他の教科の方にとっても、子どもにとっての学ぶ必然性、子どもが考えることの大切さを考えるのによい材料だと思ったからです。

授業者の2人には大変無理なお願いをしましたが、おかげで皆さんにとっても、私にとっても考えることが多い現職教育になったことと思います。また、参観している方にもいろいろと質問をさせていただきました。質問される立場になることで、日ごろの子どもたちと同じ気持ちを味わっていただきました。正解を求められる問いかけはとてもプレッシャーがかかるものだとわかっていただけたのではないでしょうか。そんな中でも挙手をして答えてくれる方がいらっしゃいました。その答も素晴らしかったのですが、授業に関してもっと学びたいという意欲が感じられたことに感心しました。このような先生がいることは皆さんにとってもよい刺激となると思います。

授業場面に応じて解説をしたため、本来の「聞く」についてまとまった話ができませんでした。ちょっとまずかったなと思っていたところ、質問の時間に、校長から「聞かせるためにどうすればいいのか」ということを聞いていただけました。さすがは校長です。しかも「3分で」と時間を区切っていただけました。世に言う質問力の高さを感じました。「聞く必然性を与える」「聞くことに価値を持たせる」この2点を中心にまとめさせていただきました。とても助かりました。

3時間近い研修になりましたが、素晴らしい子ども役のおかげもあって、最初は硬かった雰囲気も最後は笑顔がたくさん見られるとても柔らかいものになり、気持ちよく終わることができました。充実した研修になったと思います。私自身本当によい勉強をさせていただきました。参加したすべての先生に感謝です。

授業力向上研修

一昨日は市の授業録向上研修会の講師を1日務めました。今回のテーマは「言語活動の充実」です。午前中は前半に私が講演をおこない、後半は受講者を4チームに分けて午後からの模擬授業の検討をおこないました。具体的な授業場面を例にして説明したところ、先生方がとてもよい反応をしてくれました。そこで、用意したスライドはほとんど使わずに、授業のような形式で先生方とやり取りしながらお話ししました。教師に正解を求められても答えにくいこと、隣同士で相談すると話しやすいこと、「どんなことを話したか聞かせて」と問いかけられると答えやすいことなどを実感していただけたのではないかと思います。

講演の中で、教師は「全員が発言したいと思ってくれること」を目指すが、もし本当にそうなったら全体の場で発表させるという従来の形の授業は破たんすることを話しました。講演が終わったあと、一人の先生から相談を受けました。その先生の授業でまさにそのような状況になったそうです。何とか全員を発表させたいと思ったが、結局うまく整理できなかったそうです。具体的にどのようにすればよかったのかという内容です。隣同士やグループで発表させる。自分の考えを紙に書いて黒板に貼らせ、それを子どもたちでグルーピングしながら、意見を発表させる。といった方法をお話ししました。考えを紙に書いて貼るというやり方が、その先生にはしっくりきたようでした。自分流にアレンジして、挑戦していただけたらと思います。

グループでの授業検討は各グループの個性が出ていました。教材研究に時間を割くグループ、模擬授業をすぐに始めて実際の場面で考えるグループといろいろでした。どのグループもとても雰囲気がよく、私の講演の時には硬かった表情も柔らかくなり、笑顔をたくさん見ることができました。午後からの模擬授業がとても楽しみになりました。

午後はほとんどの時間を各グループ代表の模擬授業とその解説に使いました。最初は小学校2年生の国語でした。
あったらいいと思う道具を友だちに発表するという単元の、各自が道具を考える場面でした。このグループはどのように課題を提示すれば子どもたちが考えやすいか試行錯誤をしていたようです。あったらいい「こと」とするか「もの」とするかで悩んだようです。「もの」とすると考えにくい、「こと」とすると「ゲームがたくさんほしい」というようなものが出てきて道具につながりにくい。そこで、模擬授業では、まずあったらいい「こと」と提示し、その後で「今はないけれど」と条件をつけました。こうすることで、道具を考えることにつなげやすいと考えたわけです。授業を止めて、子ども役の先生にどう感じたかを答えていただきました。条件をつける前は、「○○がたくさんほしい」といったことが浮かんだけれど、条件が付けられると何を答えたらよいか戸惑ったということでした。授業者としては、目指すゴールに近づきやすいように工夫したのですが、子どもにとっては必然性がなくかえって混乱させてしまったようです。授業者の都合を子どもに押し付けた形になってしまったようです。ここは「○○がたくさんほしい」といったものも含めてたくさんの意見を共有し、「今はないけれど」実現できるような道具を考えることを次の課題として提示すれば、子どもにとって必然性が出てきます。自分のものこだわらず、友だちのものを解決する道具を考えてもいいとすれば、考えやすくなるでしょう。
子ども役の考えた「あったらいいこと」を黒板に書かせました。それを見ながら同じようなものがないか問いかけます。いくつかをグルーピングしたのですが、同じと括っていいかどうかを本人に確認はしませんでした。授業を止めて本人に確認したところ、同じと括られることに抵抗があったようです。同じと括ることの是非はともかく、本人には確認すべきだったでしょう。ここで、「どこが違うの」と問いかけることで、言葉が足されより明確なものになっていくはずです。まさに言語活動のチャンスなのです。

2つ目の授業は小学校4年生の国語の詩の授業でした。
詩を読んで気に入ったところに線を引き、その理由を書かせます。隣同士で聞き合います。しかし、ただ聞き合うだけで、目的や目標がはっきりしません。友だちの考えを聞いて、いいなと思ったら書き足すといったことをするとよいでしょう。
発表の場面で、最初に発表した子どもと同じところに線を引いた子どもに発表させました。面白い視点の理由を発表してくれました。かなりの数の子ども役が反応しました。ところが、授業者は、「他にはない」とスルーしてしまいました。ここは、間違いなく言語活動のチャンスです。反応した子どもに、その理由を問いかければ間違いなく言葉が出てきます。また、同じところに線を引いた子どもに感想を聞いてもいいでしょう。こういう反応をとらえて子どもに問いかけることが大切です。
また、とても抽象度の高いことを発表してくれた子ども役がいました。このような子どもが実際にいるかどうかわかりませんが、授業者はどう扱っていいか困ってしまいました。自分で他の子どもたちにわかるように説明しようとしたからです。難しく考えず、本人に「どういうことかもう少し聞かせて」と説明を足させる、「今の○○さんの言っていることなるほどと思った人いる」とつなぐことをしながら、子ども同士で理解し合うようにさせればいいのです。子どもたちに任せる勇気も必要です。

3つ目の授業は小学校6年生の算数の授業でした。比例となる関係を見つける課題でした。言語活動で算数を選んでくれたのはとてもうれしいことです。算数はとても幅広い言語活動が可能な教科だからです。
簡単な復習をしたという前提で、比例の定義と性質を書いた紙を貼って、この日の課題に取り組みました。課題を確認した後、「比例となるのは、・・・」「・・・を確かめる」と子どもたちに解かせる前に手順をそれとなく説明しました。そこで私が授業を止めた時に、授業者はすぐに「誘導しすぎましたよね」と自分で気づいてくれました。自分の授業を素直で客観的に見る力のある方です。ちょっと意識するだけで伸びていくことと思います。
ここでは、まず比例の定義の段階で、関数的な考えを押さえておくことが大切です。一方が変わると他方が変わるときに、この2つの間にどのような関係があるかを考えていくのが基本です。今回の課題は、値段が与えられた鉛筆の数が増える、一定の速度で歩く、円の直径が増える、花とカードの値段が与えられて花の本数だけ増やすという4つの場面で比例関係を探すというものです。鉛筆や歩く問題であれば、ともなって変わるものは、値段や進んだ距離ですが(違いは離散的か連続的か)、円となると、円周や面積が考えられます。花とカードであれば、花だけの代金、花とカードを合わせた代金が考えられます。まずともなって変わるものをきちんと押さえた上で、比例関係があるか表やグラフで表すことで考えるという2段階になります。このことを意識して授業を組み立ててほしかったところです。
算数や数学では、式や図、そして表やグラフも立派な言語です。今回はこれらを使って考えを整理し伝えることのよい例だったのです。

最後の模擬授業は中学校の道徳でした。
友だちでライバル関係の一方が病気になって大会に出場できなくなった。一人は友だちがいないから優勝できると考え、そう考えた自分を他人の不幸を喜ぶのか?と悩み、意を決して見舞いに行く。一方見舞われた方は、皮肉を言ってしまい、そんな自分に対してなぜ冷たくしたのだろうと思い悩む。このような内容の読み物教材を使ったものでした。
まだ4年目の授業者でしたが、終始笑顔でとても柔らかい雰囲気で授業を進めました。2人の気持ちを整理した後、病気になった方が見舞いに来てくれた方に対して手紙を書くという課題を提示します。この手紙を書くということを子どもから引き出そうと、「みんなならどうする」と問いかけます。「メール」「ライン」「電話」といった言葉に対して、「病院だよ」「携帯は使えないね」と返して、「手紙」を引き出しました。よくある場面です。こういうやり取りは面白いのですが、どういう手段で伝えるかを考えることはこの授業の本質とは何の関係もありません。このことに時間を使うのははっきり言ってムダです。できるだけ早く「手紙」を書くことを課題として提示するべきでしょう。
自分が病気になった方の立場になって手紙を書き、それを隣同士で読み合い、よいところを伝えます。ここで注意しなければいけないことは、道徳には評価がなじまないことです。友だちの考えに触れ自分の考えが変わることはとても大切です。しかし、評価の場面をつくると、どうしてもそのことを意識してしまい、本音が出にくくなります。評価を意識したことをいくら話しても内面には切り込むことができないのです。
この後、隣以外とも読み合って、感想を書いて終わるという流れでした。面白かったのが、手紙の内容が、自分の反省と友だちへの気持ちがほとんどだったことです。教師力アップセミナーで川崎雅也先生が、大体の子どもが反省と友だちへの気持ちで止まり、次の行動がなかなか出てこないと言われたのですが、その通りだったからです。川崎先生の講演の感想を書いたブログを配って、このことについてお話しました。友だちと読み合って終わるのではなく、次々に発表させながら、次への行動に触れている部分を焦点化し、今後どうするのかを多くの子どもに語らせるのです。こうすることでより深く考えることができるはずです。

4つのチームのどの発表者もとても前向きで、それぞれ個性的な授業を見せてくれました。子ども役も参観者も、そして私自身も多くのことを学ぶことができました。
最後に感想を何人かの方に聞いたのですが、「ほめ言葉をこれから意識したい」「子どもの目線で授業を考えることを大切にしたい」といった、これも前向きな言葉を言っていただけました。とてもうれしいことです。
また、昼休みには個人的にいろいろと質問をしてくれた方もいらっしゃいました。最初は全体的に硬かった皆さんですが、最後は笑顔いっぱいで終わることができました。とても充実した1日を送ることがでたことを感謝します。

子どもが理解できないからといって説明を増やさない

教師が説明をした時、子どもが理解できていないなと感じることがあります。そのような場合、どのように対応すればよいのでしょうか。よく目にするのが、同じ説明を何度も繰り返す、その反対に先ほどとは別の説明をし始めることです。いずれにしても、教師の説明の時間が増えていきます。説明の良し悪しよりもこのことが問題なのです。教師の与える情報が増えると子どもの処理が追いつかなくなるのです。

同じ説明を繰り返すことを考えてみましょう。子どもは理解するのに時間がかかります。教師の説明を一つひとつ消化していかないと次のことが頭に入っていきません。一連の説明を何度も繰り返えされても、わからないところで立ち止まってじっくり理解する時間を与えなければ先に進めないのです。説明をスモールステップに分けて、一つひとつ子どもに確認しながら進めることが大切です。

先ほどと別の説明をすることはどうでしょう。確かに別の説明をすることでわからなかった子どもがわかるようになることはよくあることです。しかし、前の説明を理解しようとしている子どもは、別の説明になっても、まだ考え続けていることがよくあります。情報を整理できずによけいにわからなくなってしまいます。一度説明した以上は、その説明を納得させないと子どもは落ち着きません。また、別の説明ならわかるという保証もありません。もっというと一番わかりやすいと思った説明を選んでいるはずですから、次の説明でわかるという確率はそれほど高くないのです。説明を変えても納得しないのでまた説明を変えるという、いたちごっこのような授業に出会うこともあります。

ちょっと視点を変えてみましょう。
実技、たとえば刺繍のステッチを教えることを考えます。図や言葉でいくら説明されてもすぐに理解できないことはわかっていただけると思います。教師が針と糸を使って実際に見本を見せる(実物投影機で手元を拡大して見せるとよくわかります)。子どもが自分の手で試してみる。こういう過程が必要になります。もちろん、多くの方がそのようにして教えていることと思いますが、実技でなくても考え方は同じです。子どもが理解するためには、説明されたことを実感できる場面が必要です。教師が一方的に説明するのではなく、スモールステップで具体的な問題や例に取り組ませる。隣同士で説明し合ったりするといった、子どもの活動を組み合わせるのです。与える情報を増やすのではなく精選し、子どもが理解するための活動を組み込むのです。

子どもが理解できないときに教師の説明の言葉が増えるというのは、子どもが理解する過程を意識して授業を組み立てていないということです。教材研究が不足しているのです。子どもが理解できないときに、何を話すかではなく、何をさせるかを考えてほしいと思います。

市の研修で講演

昨日は市の研修で講師を務めました。「言語活動の活性化のために」と題して、言語活動を充実させるための教師のかかわり方を中心に話をしました。

先生方がやや緊張気味で思った以上に硬かったので、本題に入る前に「緊張と集中の違い」について実際の授業場面を例に話をしました。皆さんに少しリラックスしてもらおうと思ったのですが、かえって真剣に話を聞いていただくことになってしまいました(私の表情が硬かったのかと反省)。とはいえ、皆さんとても集中していただけたので、具体的な場面を元に話をした方がよいと判断し、当初の予定と進め方を変えさせていただきました。「復習場面で子どもが数人しか手を挙げないとき、その理由としてどんなことが考えられるか」と問いかけ、まわりと相談してもらいました。先生方からは、「自信がない」という答の他に、「教師の問いが不明確」「前回の授業がきちんと理解されていなかった」といった教師側の問題を指摘する意見が出ました。面白い答だと思いました。先生方の教室の子どもはとても素直なのでしょう。わかればしっかり挙手してくれるということです。「挙手しない子どもはわかっていないと判断できる」ということは、挙手の多い少ないが子どもたちの理解度を判断する指標となるということです。「なるほど」と思いました。そこで、挙手しない子どもの様子はどうであるかを聞いてみました。「ぼうっとしている」という声が上がりました。もしそうであれば、子どもたちは答えようとする意思がないということだとお話ししました。答えようとするならば、教科書やノートをめくって思い出そうとするはずです。わからなくてもだれかが答えてくれる、正解を聞けばいい。わざわざ挙手して答えることに価値がない。そう思っているのです。すぐに指名するのではなく、子どもに復習を促す必要があります。教科書やノート見ている子どもを見つけてほめる。どこに書いてあるかを問いかける。こういうことが必要なのです。
また、自信がないのであれば、「○つけなどをして自信を持たせる」ことが有効です。しかし、発想を変えて、「自信がなくても安心して間違えることができる」「間違えても最後は必ず正解を答えて終われる」、そういう教室を目指してほしいことをお話ししました。言語活動を充実させるには、まず安心して話せることが大切だからです。

私の話がちょっと単調になったので、少し動きを入れてみました。机間指導を実際に2回見せて気づいたことはないかと問いかけたのです。こういう問いに答えるのはなかなか難しいものです。反応してくれる方もまずいないのが普通です。授業でもよくあることです。そこで、まわりと相談していただきました。すぐに、声が出ます。子どもたちと同じです。反応のあった方に聞いてみました。「最初の机間指導は、できている子ども、教師の期待する答を書いている子どもには声をかけたけれど、そうでない子どもは無視した。2回目はできていない子どもにも、声をかけていた」。「なるほど」と感心しました。確かにその通りです。少し意識して演じたのですが、そのことに気づく方がいるとは思っていなかったのです。子どもたちすべてに声をかけようと普段から授業をしている方なのでしょう。素晴らしい先生にお会いできました。声かけについて少し補足したあと、私が伝えたかった、机間指導で死角をつくってしまい子どもたちを見ない危険性について話をしました。下手に机間指導をするくらいなら、全体をしっかり見て、必要な子どもに対してピンポイントに働きかける方がよいことを伝えました。

この他に、多くの子どもが発言意欲を持つと、全体での発表中心では時間が確保できないので破綻すること。したがって、ペアやグループで聞き合う場面をつくる必要があること。また、子どもの言葉を活かすためには、「受け」「切り返し」「つなぎ」「もどし」が大切なことを具体的な場面を例にして話させていただきました。
準備したスライドとはかなり違った内容になったのですが、これもライブの面白さと思っていただければ幸いです。

スライドは準備していたのですが時間の関係で扱わなかったグループ活動に関して、「『リーダーは必要ない(誰とでもかかわりあえることが大切)』とレジメにはあるが、リーダーとなる子どもをグループに入れないとうまくいかないのではないか」という質問をいただきました。実際にグループ活動を取り入れているからこその質問です。少し時間をとって説明させていただきました。
グループで結論を1つにまとめるのならリーダーがいた方がよいかもしれませんが、個人の考えを持つことを目的とするのなら、特にリーダーは必要ありません。それよりも、リーダー役が場を仕切ってしまい、かえって自由に聞き合うことができない心配があります。「わからない、教えて」、「わからないね。どう考えればいいんだろう」と互いに聞き合える関係があれば、リーダーがいなくても十分に活動できます。また、自分たちで解決できず話し合いが止まっているグループが出てくるようであれば、一旦グループ活動を止めて、全体の場で「どんなことをやってみた」「どこに目をつけた」「何を調べた」と答ではなく課題解決の過程を共有するのです。こうすることで、活動が止まっていたグループも考える足場ができます。ここで、もう一度グループに戻せば、再び活動することができるようになります。リーダー役の子どもがいないからこそ、今まで活躍できなかった子どもの中から、リーダーが生まれてくる可能性が出てきます。リーダー役を配分してバランスを取るのではなく、どのようなメンバーでも子どもたちが活動できるように育てることを意識してほしいと思います。

若手からベテランまでたくさんの方が参加してくださいましたが、今回面白かったのが、ベテランの男性の反応がよかったことです。これは割と珍しいことです。もちろん、若手や女性の反応もよかったのでとても話しやすく、あっという間に時間になってしまいました。もう少し時間があれば、先生方とじっくりやり取りしながら、もっと多くのことを一緒に考えることができたのですが、残念でした。またの機会があることを願っています。

講演終了後、教育長、教育委員会の次長、運営をしてくださった担当校長と1時間ほど最近の学校事情や若手の育成について楽しく情報交換することができました。教育長の発案で、この市では教師塾が開かれています。2年目3年目の若手だけでなく、日ごろ研修の機会の少ない期付・非常勤・臨任の先生方にも門戸を開いています。次長から郷土学習に関する資料と一緒にこの教師塾の資料もいただくことができました。授業DVDをもとにストップモーションで授業研究をするなど、具体的かつ実践的な内容だと思いました。このような試みが各地に広がってくれることを期待したいと思います。

今回の講演は、事前にこの市の子どもたちの姿を見ずに話したので、的を外した内容があったかもしれません。先生方の反応を見ながら、興味や関心がありそうだと思われることを探りながら話題を選んだつもりでしたが、どうだったでしょうか。2学期からの授業に取り入れたいと思うようなことがあれば幸いです。次は、子どもたちの学習の様子を見せていただく機会があること願っています。

グループ活動では意見を1つにまとめない

グループ活動では、意見や考えを1つにまとめない方がよいと言われます。このことについて少し考えてみたいと思います。

グループで1つにまとめようとすると、意見や考えが分かれた時にどのようにするかが問題になります。互いの考えを聞き合って納得して結論が出ればいいのですが、まとまらない時もあります。こういう時、勉強のできる子どもや力の強い子ども対して他の子どもがなかなか反論できずに、そのまま収束することが多いように思います。納得していない子どもは無理やり自分の意見を変えさせられたように感じてしまいます。これでは子どもたちの人間関係も悪くなってしまします。
また、意見が分かれた時に多数決で決めてしまう場面をよく目にします。班活動などでの行動を決める時には多数決も致し方ありませんが、考えたことを多数決で決定するというのはかなり乱暴です。対立する意見を伝えあい、理解しようとすることで考えは深まっていきます。多数決はその時点で互いの考え理解し、深めていくことを放棄する行為です。無理に1つにまとめようとするとこういうことが起きるのです。
また、1つにまとめるとグループの中にあったよい意見が全体の舞台に載らずに消えてしまうことがあります。以前見た家庭科の授業で、冬に温かく生活する工夫についてグループで意見を出し合っている場面のことです。1つのグループ内で「エアコンを使う、使わない」で意見が分かれていました。また、別のグループでは「換気扇を回す、回さない」を議論していました。前者は電力不足が話題になっていたころなので意見が分かれたのでしょう。後者は安全のため部屋の空気を入れ替えるか、温かい空気を逃がさないようにするかがで分かれたのでしょう。いずれにしてもグループでまとめるという指示だったので、全体ではこの意見の違いは話題になりませんでした。全体の場で話し合えれば面白い展開が期待できたと思いますが、残念でした。

このようなことを避けるためには、たとえグループでまとめるとしても、意見が分かれたら併記する。「どのようなことを話し合った?」「どんな意見が出た?」と結論ではなく過程を問う。こういう工夫が必要になります。
また、グループでまとめるのではなく、友だちの考えを聞いて最終的に自分の考えを持つことをゴールにすれば、友だちの意見に納得しなくても無理に自分の意見を変える必要はありません。あくまでもグループは個人の考え広げ、深めるための手段と考えるのです。

グループで答を出すことを目的にすると、結論をグループでまとめることになってしまいます。そうではなく、グループ活動を通じて一人ひとりが考えを広げる、深める。子どもたちが考えた過程を学級全体で共有する。こういうことを大切にしてグループ活動を取り入れてほしいと思います。

2つの中学校区の先生方に講演

先週末は、2つの中学校区の小中学校合わせて5校の先生方を対象に「学習規律を整え、子どもの力を引き出す授業づくり」と題して講演をおこなってきました。100余名の先生方が参加してくださいました。

今回は、途中で校区の小中学校混成のグループでの話し合いを2回入れました。事前に見せていただいた3校の子どもたちの様子を参考にして、話し合いのテーマを決めました。

1回目は、
「指示をしてもすぐに動かない」
  どうすれば指示が素早く、徹底できるでしょうか?

「ノートに答が書いてあるのに数人しか挙手しない」
  理由はなぜでしょう?
  どうすればみんなが手を挙げるようになるでしょうか?

2回目は、
「教師が説明しているのに板書を写す子どもがいる」
  理由は?
  どうすればいい?

「友だちが発言しているのに子どもが教師を見ている」
  理由は?
  どうすればいい?

どのグループも積極的に話し合っているようでした。小中学校で子どもに対する見方が違ったりしますが。そういうことにも気づいていただけたのではないでしょうか。面白かったのは座席の配置で、話し合いの様子が違っていたことです。一部のグループが横一列に並んだまま話し合いをしていました。たまたまかもしれませんが、他のグループと比べて話し合いが低調に見えました。向かい合って互いの顔を見て話すことも、話し合いを活発にする大切な要素のように思いました。
時間の関係もあり数人しか発表していただけませんでしたが、「同じ考えの人」「話を聞いて納得した人」と子ども同士をつなぐことを実際に少し体験していただきました。気づいていただけたでしょうか。

いずれの問題も正解があるわけではありませんが、私なりの答につながるような話をさせていただきました。
子どもを認める、ほめることや安心して話せる雰囲気づくりの大切さ。子どもたちに聞く姿勢をつくること。そのためにはまず教師が子どもの言葉をしっかり聞いて見本を示すことが必要なこと。このようなことです。

また、次のことを自己チェックしていただきました。
・「わかった人」と子どもに問いかけていないか?
  わかった人しか答えられない。
  「わからない」を共有することが大切。
  「困った感」に寄り添う姿勢が必要。

・子どもの答に「正解」と答えていないか?
  正解は思考停止のキーワード。

・正解が出たらすぐに説明をしていないか?
  教師の求める答探しにしない。
  一問一答から脱却することが大切。

・「試験に出る」から覚えるようにと言っていないか?
  消費者的な行動をとる子どもたち。
  早く、労力をかけずに結果を得ようとする。

参加された方は、自己チェックしてどのように考えられたでしょうか。

大人数相手の講演でしたので、先生方の反応が気になりました。しかし、どなたも目を合わせてうなずくなど、しっかりと反応してくださいました。集中して聞いていただけたようです。2学期以降、何か一つでも意識して授業を変えようとしていただければこんなうれしいことはありません。
思いがけず古くからの知り合いも参加していて、昔話に花を咲かせました。また、会終了後、各学校の管理職や主任の方と昼食をご一緒させていただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。とてもよい学びの機会と楽しい時間をありがとうございました。

学校力向上研修

昨日は、市の学校力向上研修で講師を務めました。管理職、ミドルリーダー対象の研修です。今回は先生方の授業力アップのためにリーダーにどのような力が必要か考えてもらうのが目的です。私にとっても初めての試みなので、手探りでの研修でした。前半は模擬授業をもとに、具体的にどのような視点で授業を見るかを考えてもらい、後半は先生の授業力アップのためにリーダーに必要な力について考えてもらいました。模擬授業は会場校の教務主任お願いすることができました。子ども役は受講者から事前に選ばれていました。私が講師を務めている授業力研修の過去の受講者が何人もいてとても心強く感じました。

模擬授業は小学校4年生を想定した総合的な学習の時間でした。地域や学校のお宝を鑑定するという内容です。子どもたちが持参した写真を使ってお宝のPRをし、ランキングをつけるというものです。

導入はお宝鑑定団の曲名当てクイズから始めました。問題児役がテンションを上げます。スタートしてすぐでしたが、あえて何度か止めて話をしました。子どもたちのテンションが上がる要因。テンションが上がることの是非。すぐに先生に話しかける子どもをどうするか。それに関連してオフィシャルとプライベートを意識して、価値ある発言であれば全体に対して再度発言させて共有化してから答える、そうでなければあとから個別に対応すること。「はいはい」と指名されたくて声を上げる子どもをどうするか。それに関連してペアレントトレーニングについてなどです。どうすればいいかについての話をすることが目的ではありません。こういう視点を持って授業を見てほしいということです。子どもの様子を見て、それを話題にすることが大切なのです。実際の授業研究であれば、司会者やコーディネーターが上手くその場面を取り上げ焦点化することが求められるのです。その解答を自分が持っていることは必ずしも重要ではありません。解答はみんなで考えればいいのです。その場面に気づき、俎上に載せることができるかどうかが問われるのです。

持参したお宝写真のPRをつくる場面です。5分間でつくるように指示が出ました。作業終了後授業を止めて、見ていて気づいたことを参加者にたずねました。誰も答えません。実際の授業でもそうですが、漠然と「気づいたこと」と聞いてもなかなか答えられないのです。そこで、「子どもの関係」という言葉を足したところ、すぐに答えてくれる方がいました。「子ども同士のかかわりがない」ということです。個人作業の場面です。かわり合いがないのは当然と言えば当然ですが、実際の授業ではこのようなことはまずありません。隣を見たりするはずです。子ども役が優秀な子どもに徹したからでしょうか。私も明確な答えは持てていません。そこで子ども役に聞いてみました。「時間に余裕があればのぞいたと思うが、5分しかなかったから」という答が返ってきました。なるほど、納得です。時間をたくさん与えないことが集中力を生み出すことに気づけました。与えた時間でできなかったら延長するといったことを日ごろからしていると、だらだらやる子どもが出てくることもわかります。気になる場面を取り上げて話し合うことが大切だというのはこういうことなのです。

何度も授業を止めて、参加者とやり取りをしたり解説をしたりしたので、グループでお宝のランキングをつくったところで、模擬授業は終わりとしました。事前に指導案もしっかり立てて臨む意欲的な授業者です。授業研究そのものが今回の目的であれば、本当にたくさんのことを学べたであろう授業でした。2時間フルに使って授業検討をする価値のある授業だっただけに残念です。授業者にも申し訳ない限りでした。

この後、教員の授業力アップのために、「リーダーに必要な力」と「どうやって身につける」をグループに分かれて話し合っていただきました。実は、私としては前半に授業を見る力の大切さを意識させたので、そこばかりに目がいくことを予想していました。そこで、グループの発表の後、足りない視点について話をするつもりだったのです。ちょっと意地の悪いことを考えていました。
ところが、どのグループも授業に関する力以外のキーワードがたくさんでていました。「ほめる」「一緒に考える」「雰囲気をつくる」「企画力」・・・。脱帽です。私が足すようなことは何もありませんでした。この市の先生方はとても優秀です。こういったことを自分たちでちゃんとわかっているのです。そうと知っていれば、でてきたキーワードを元に、具体的にどのようにすればいい、どのようにしているかを共有することに時間を割くべきでした。残念ながら、その時間は既にありません。私の完全な読み違いです。参加者の皆さんには大変申し訳ないことをしてしまいました。もし、次の機会があるのなら、具体的にどうするかに時間を割くプログラムにしたいと思います。

まわりが校長や管理職ばかりというプレッシャーの中で模擬授業をしていただいた授業者には、どれだけ感謝してもしたりません。この模擬授業を通じて私自身が学べることがたくさんありました。また、以前の研修の受講者がグループでの話し合いを積極的にリードしている姿をたくさん目にしました。これもとてもうれしいことでした。私自身は反省すべきことがたくさんありましたが、とてもよい研修をさせていただくことができました。事務局を始め、授業者、子ども役、参加者すべての方に支えられた研修でした。本当にありがとうございました。

「禁句」を意識する

講演などでは、授業中や子どもと接する時に大切にしたい言葉を必ず資料としてつけるようにしています。「なるほど」「ありがとう」「聞かせて」といった子どもを受容したり、称賛したり、外化をうながしたりする言葉です。その一方で、講演等であまり話しませんが、使ってほしくない言葉があります。「禁句」です。この「禁句」を意識することについて考えてみたいと思います。

いくつか例をあげてみます。
「正解」(「『正解』は思考停止のキーワード」参照)
子どもが問いに正解を答えた時に、「正解」と言えないと困りませんか。教師が正解を判断できないのですから、嫌でも子どもたちに判断させることになります。

「わかった人」(「『わかった』は禁句!?」参照)
質問をしたり、問題を解かせたりすれば「わかった人」「できた人」と聞くのがふつうです。しかし、こう問いかければ「わかった人」「できた人」しか発言できません。これを禁句にすれば、わからない子ども、できなかった子どもも発言できるような問いかけをせざるを得ません。

「考えて」(「『考えて』では考えられない」参照)
「考えて」「気づいたことない」といった問いかけは抽象的です。わからない子どもにとっては、何を答えていいかわかりません。これを禁句にすると、具体的な指示をすることにつながります。

「他には」
子どもが教師のねらいと違った言葉を言った時、つい使ってしまう言葉です。自分の発言をしっかり評価されず、活用もされないで「他には」と言われれば、「あっ、外した」と子どもは感じます。教師の求める言葉があり、自分の発言はそれとは違ったと思います。子どもたちは、自分の考えを言うのではなく、教師の求める答探しを始めてしまいます。「他には」を禁句にすると、自分のねらっている言葉に近づけるような切り返しが求められます。また、子どもの発言の中からねらいにつながるような言葉を見つけることを意識するようになるはずです(「教師のねらいに近い考えをどう深めるか」参照)。

「なぜ」(「切り返しの言葉」参照)
私たち大人でも、「なぜ」と聞かれると答えにくいものです。こちらは子どもなりの理由を聞きたいと思っていても、聞かれた子どもは明確な答を要求されているように感じます。授業だけでなく、個人面接などでも注意したい言葉です。子どもが話してくれたことに対して、「なぜ」と問い返すと詰問されているように感じます。「それってどういうことか聞かせてくれる」といった、広く受ける問い返しが求められます。「なぜ」を禁句にすることで、問い返しの言葉を工夫することになります。

「(あなたの)気持ちがわかる」「そんなことないよ」「頑張れ」
悩みごとの相談などで注意したい言葉です。苦しい気持ちを話してくれたときに、つい「気持ちがわかる」と言ってしまいますが、苦しんでいる人は自分の苦しみは他人にはわからないと思うものです。安易にこの言葉を使うと、調子のいいことを言っていると心を閉ざす可能性があります。
「自分はダメな人間だ」といった否定的な言葉に対して、フォローするつもりで「そんなことないよ」と言うと、自分の言葉を否定されたと感じます。たとえ、否定的な言葉でも、「なるほど、自分はダメな人間だと思っているんだね。それは苦しいね」とそのまま受け止めることが必要です。
また、「頑張れ」はとても励まされる言葉ですが、頑張ってきたと思っている人には、「これ以上頑張れというのか」と追いつめる言葉になることもあります。諸刃の剣なのです。
これらの言葉は、うっかり使うと人芸関係を決定的に損なう危険性のある言葉です。禁句にすることで、そのリスクを軽減することができます。(「悩み事の相談」、「保護者からの相談への対応」参照)

例に挙げたように「禁句」とすることで、自然に授業のあり方が変わる言葉があります。また、何気なく使う言葉の中には、ひとつ間違えると相手を傷つけてしまうものもあります。こういう言葉は「禁句」として強く意識しないと、うっかり使ってしまい思わぬ事態を招くこともあります。
ここで取り上げたもの以外にも、「禁句」にするとよいものがあると思います。もちろん、ここに挙げたものすべてを「禁句」にすべきだとも思いません。「禁句」をつくる意味を考えた上で、授業や子どもと接する場面で、どのような言葉を「禁句」にすべきか一度思いを巡らせてみてください。

友だちに「助けてもらう」とは?

授業中に指名された子どもが上手く説明できなかったり、途中で立ち往生したりすることがあります。先生が一生懸命ヒントを言ったりして何とか答えさせようとするのですが、うまく答えられないこともよくあります。これ以上は無理だなと判断して、「すわっていいよ。じゃあ、他の人」と次の子どもを指名すると、答えられなかった子どもは「ダメだった」「失敗した」というネガティブな気持ちになります。そこで、「誰か助けてくれる」と他の子どもに助けてもらうように働きかける場面に出合います。助けてもらって、失敗のピンチを乗り切らせようというわけです。子どもに挫折感を味あわせないためのよい方法に思えます。しかし、中には?と思うような場面を目にすることもあります。友だちに「助けてもらう」ことについて考えてみたいと思います。

よく目にするのが、挙手して指名された子どもが自分の考えを説明し、授業者が「そうだね」とそのまま先に続けてしまう場面です。これでは、「すわっていいよ。じゃあ、他の人」とした時と何も変わりません。答えられなかった子どもは何も助けられてはいません。自分をだしにして友だちが活躍しただけです。
また、「誰か助けてくれる」という言葉に、子どもたちが反応できない学級があります。「助ける」とは具体的にどうしていいかわからないからです。「助ける」ということは、困っている子どもが自分で答えられるようにすることです。そのことを意識すれば対応は見えてくるはずです。

「ヒントを言って助けてくれる」というようにすれば、そのヒントを聞いて「どうかな」と本人に答えさせることができます。誰かに代わりに説明させたのであれば、「どう納得した」と本人に確認します。納得できていれば、「じゃあ、もう一度説明してくれるかな。みんな、○○さんの説明を聞こう」と活躍の場面をつくるのです。「まわりの人、助けてあげて」という対応もあります。これならば、まわりの子どもたちが直接教えることもできます。教えてもらってから、発表させればいいのです。グループ活動の後の発表などに有効な方法です。
また、本人が途中まで説明できていたのなら、「○○さんの考えを代わりに説明してくれる人いる?」としてもよいでしょう。説明してくれた後、必ず「どう、△△さんの説明でよかった?」と確認することを忘れないようにします。自分の考えと同じかは本人にしか判断できないからです。それでよければ、「わかってもらってよかったね」と言って本人に再度説明させる。そのあと、「△△さんに、助けてもらってよかったね」「△△さん、助けてくれてありがとう」と「助けられた」「助けた」ことをポジティブに評価します。

友だちに「助けてもらう」場面は、本人が助けてもらってよかったと思うことが大切です。必ず本人が助けてもらって活躍する場面をつくること。そして、「助けられた」「助けた」ことをポジティブに評価して、子ども同士の関係をつくることを意識してほしいと思います。

子どもの発言の機会を確保する

子どもの発言を増やすこと、発言意欲を高めることについて何度か述べてきました(「子どもの発言を引き出すには」、「子どもの発言量を増やす」参照)。子どもの発言意欲が高まってくることはとてもよいことです。多くの教師が目指す子どもの姿だと思います。ところがここで困ったことが起こります。子どもに発言させるといっても時間に限りがあります。全員が発言したいと思っても全員に発言させる機会を与えることは難しいのです。どのように考えればいいのでしょうか。

一つは、教師の発言量を減らして、子どもが発言できる機会をできるだけたくさんつくることです(「子どもの発言量と教師の発言量」参照)。また、できるだけテンポよく次々指名することで、密度を高める方法もあります。1時間の中で全員が1回は発言できることが理想ですが、なかなか難しいのも現実です。小学校であれば1日に1回とすれば現実的には可能でしょうが、発言意欲が高まっているのに発言の機会がなければせっかくの意欲も下がってしまいます。一斉授業の形を取ると、子どもの発言したい気持ちが高まることが、かえって発言できないという不満を高めることにつながりやすいのです。そこで全員で同時に言わせる先生もいます。確かに、簡単な答の時などには有効な方法だと思います。しかし、特に低学年で目立つのですが、このような時に子どもはとても大きな声で答を言う傾向があります。発言したい気持ちを満足させているだけのように感じます。発表は必ず聞き手を意識して、伝えることが大切になります。簡単な答の時と限定した理由はここにあります。

そこで、もう一つの方法です。全体で発言することにこだわれば、同時に話せるのは常に1人です。そこで発想を変えて、ペアやグループで発表させるのです。理論上は、ペアであれば2人が発言する時間、4人グループであれば4人分の時間で全員が発言することが可能になります。子どもたちが自分の考えを持ち、発言したい意欲があれば、これが一番の解決策だと思います。ここで、注意しなければいけないのは、発言したい意欲が高いと互いに言いっぱなしで終わりやすいということです。これでは、先ほども述べたように発言したい欲求を解消しただけです。互いに聞き合い、聞いたことを評価し、考えを深めることが大切になります。日ごろから友だちの意見をしっかりと聞き合い、聞いたことをもとに話し合うことが学級全体に浸透していることが必要です。ペアやグループを活用するための基本的なことが子どもたちに身についていなければいけないということです。発言する意欲だけではなく、聞く姿勢も合わせて育てなければいけないのです。

子どもたちの発言意欲を高めることは、発言の機会を確保することと一体で考える必要があることを意識してほしいと思います。

愛される学校づくり研究会の運営委員会

先週末は、愛される学校づくり研究会の運営委員会に参加しました。来年2月のフォーラムと8月の拡大研究会の内容についての会議です。

今回のフォーラムの午前の部は、関西での初開催ということを意識するかが少し話題になりました。地域性を考慮するよりも、私たちが日ごろから考え実践していることを発表して評価いただくことの方がよいという結論になりました。昨年の発表をバージョンアップさせたものをぜひ見ていただきたいと思います。
午後の部については、今年のテーマである授業研究をどのような形で見ていただくかが論点となりました。私たちの提案する検討会を見ていただくことを主眼にし、その上で当日会場に参加された方の声も積極的に取り上げようということになりました。企業会員からはとても魅力的な授業研究をアシストするシステムの提案がありました。ぜひこれは試してみたいということになり、次回の研究会ではプロトタイプを使った実践をすることになりました。詳細はここではお話しできませんが、フォーラム当日の目玉になってくれるのではないかと期待します。

2時間余りで、ずいぶんたくさんのことが決定しました。効率的に進むというのがこの研究会のよさでもあります。毎回のフォーラムも定例の研究会とメーリングリストだけでほとんどのことが進んでいきます。裏を返せば、事務局と協賛企業の方々がそれだけ裏方として支えてくれているということです。ありがたいことです。

参加しようかどうか迷っていた、三重県教育工学研究会(Mie-ICT)主催の「授業で活かすICTセミナー」の関係者である、N先生もこの日参加されていました。迷っていた理由は内容ではなく、当日の交通事情です。名古屋から会場の津まで普段なら車ですぐなのですが、その日はお盆最後の土曜日なので渋滞が心配だったのです。聞いたところ、この日は熊野の花火大会もあるということで渋滞の可能性が高いということでした。しかし、会場は電車での便もそれほど悪いところではないことがわかり、参加することに決定しました。玉置崇先生の講演と、ICTを活用して模擬授業3本、今からとても楽しみです。

N先生とお会いする時の楽しみが、必ず「教室はドラマ」という新聞形式の通信をいただけることです。日ごろの初任者への指導や授業などの具体的な事例から、授業論・教育論まで多岐に渡った内容です。ブログとあわせてとてもよい刺激をいただいています。こういう刺激を受けることのできる方がたくさん参加されているのも、愛される学校づくり研究会の魅力の一つです。

この日も充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

1学期を振り返って

1学期も終わり、学校へ出かけての授業アドバイスは一休みです。たくさんの授業を見せていただきました。多くの授業に共通して言えることがいくつもあります。また印象に残る授業にもたくさん出会いました。少し振り返ってみたいと思います。

・育てる視点で子どもを見ている学級は授業規律が確立している。
教師が「できていないことを叱る」姿勢の学級では、その瞬間は子どもが緊張して指示に従いますが、すぐに緊張が弛みます。そうするとまた叱られるので、子どもは安心して授業を受けることができません。教師が視線を外すとすぐに落ち着きがなくなります。授業者が子どもをチェックする視線で見ている学級では、一見落ち着いているように見えても子どもが集中していないことがほとんどです。授業規律が確立しているとは言えない状態です。
それに対して、「できている子どもをほめる」。できていない子どもに対しても「できた瞬間にほめる」。そういう姿勢で接している学級では授業規律が確立しています。子どもが緊張せずに、柔らかい雰囲気で集中している姿を見ることができます。

・教師の笑顔が多いと、子どもの笑顔も多い。
当たり前のことですが、教師が笑顔で子どもに接していると、子どもの表情もよくなります。しかし、意外にこのことができていない方に多く出会います。私は教師の基本は笑顔だと思っています。

・指示の徹底は授業規律の確立につながる。
指示をして、全員が指示に従うまで待っている学級では、授業規律が確立していることが多いようです。指示を徹底するためには、一度に複数の指示をしない、指示をしたら確認をするということも大切です。こういうことが意外とできていない場面に出合いました。

・教師が温かい視線で子どもを見ることが集中につながる。
子どもは作業を始める時は集中していますが、しだいに集中力を失くします。そんな時も、顔を上げて教師の優しい視線に出会うとまた集中力を取り戻します。音読をしている時なども、教師がしっかり子どもを見ていると集中力は落ちません。

・基本ができるだけで子どもの授業態度はすぐによくなる。
笑顔で子どもに接する。子どもの言葉を受容する。できたことをほめる。子どもをよく見る。こういった基本を意識することで、経験の少ない教師でも驚くほど授業が変わります。数か月、時には数週間で、子どもたちが落ち着いて、集中して授業に参加するようになった例をたくさん見ました。

・数人しか手が挙がらないときの対応。
数人しか手が挙がらないのにすぐに指名して授業を進める場面にたくさん出会いました。答がわかっていても手を挙げない子どももたくさんいます。安心して答えられる雰囲気をつくること。まわりの子どもと確認し合う時間を取る。挙手した子どもにヒントを言わせる。など、いろいろな対応が考えられます。挙手した子どもを指名しなければならないという思い込みは捨てて柔軟な対応をしてほしいと思いました。

・見たい子どもの姿が明確な教師の成長は早い。
1学期見た中で、急速に進歩したと思う教師に共通していることは、素直であることにプラスして、子どもたちのこんな姿が見たいということがはっきりしていることです。子どもが友だちの方を見て集中して話を聞く。自分の言葉で友だちに伝えようとするといった目指す姿が場面ごとにはっきりしているのです。このことを意識していれば、授業中にそのような姿が見られるか常にチェックをするはずです。うまくいった、いかなかった理由を毎日考え続けることで、確実に力がつくのです。

・子どもを受容することが学校全体で共有できていると、異動者が苦労する。
できていない子どもをチェックして指導してきた方は、そのやり方でそこそこうまくいったという成功体験を持っています。ところが、受容されることに慣れている子どもは、できていなことばかり指摘されたり、叱られたりすることにうまく対応できません。そのスタイルをなかなか受け入れられないのです。結果、教師は同じようにやっているのに今までのように上手くいかないので、この学校の子どもたちははやりにくいと思ってしまいます。子どもが悪いと思うと、自分を変えようとせずに子どもを変えようとします。ますます叱るようになっていきます。子どもとの関係が決定的に悪くなっていくのです。
こういう教師は基本的な指導力はあることが多いので、そのスタイルを変えることですぐによい方向に変わっていきます。難しいことではないので、そのことに気づく機会をどうつくるかが問われます。4月5月の早い時期に、そのような機会をつくった学校ではこの問題にかなりうまく対処できていました。

・学校全体を考えるとリーダー層の動きが大切。
全体がよい方向に変わってきている学校は、間違いなく教務主任クラスの動きが大きく影響しています。日ごろから授業に関する情報を発信する。先生方の授業を見て、よいところを共有するようにする。若手に対して、授業についての相談に乗ったり、授業を見てアドバスしたりする。スタイルは一人ひとり違いますが、間違いなくこういう動きをしているのです。

多くの先生から本当にたくさんのことを学ぶことができた1学期でした。授業を見せていただいた先生すべてに、あらためて感謝です。
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