最新更新日:2024/05/31
本日:count up18
昨日:250
総数:1838958
ともに生きる

ちょっといい話

   愛する妻と抱くことのできなかった我が子

 私の話で命の誕生というのがどれほど尊いものなのか、奇跡であるのかを感じてほしい。そして愛する妻と、愛する子どもをお持ちのお父さんは、今を「当たり前」だと思わないでほしい。私たち夫婦をおそった話を伝えることで、胸に何か響くものがあればいいと思っています。
 私たち夫婦は、結婚10年目を迎えて、ようやく待望の赤ちゃんを授かることができました。エコーに写る小さな小さな我が子に、2人で感動して涙を流したのを覚えています。「この子を大切に大切に育てよう」と、2人が親になる決心をしたのもこの頃です。妊娠中の生活は気を付けなければならないことが多く大変でした。毎日の食事面や生活面で常にお腹の子を気遣いながらの生活は、緊張感がありながらもどこかワクワクした気持ちがあって全く苦ではありませんでした。妊娠5ヶ月を過ぎて、妻のお腹がちょっとずつ大きくなるにつれて、自分が親になる実感もわいてきました。
 大きなトラブルもないまま10ヶ月が過ぎました。あの日もいつものように、笑顔で妻は健診に向かいました。もしかしたらもう産まれてくるんじゃないかと思い、ソワソワして妻の帰りを待っていました。ですが、もう妻が帰ってくることはありませんでした。この手で抱くことを10ヶ月間待ちわびた我が子にも、1度も会うことができませんでした。死因は、常位胎盤早期剥離でした。妻も大量出血により死亡しました。原因は、はっきりとはわかっていませんが、高齢出産や高血圧などの人に比較的多いとされているようです。妻は基礎疾患もなく、高血圧や糖尿にも人一倍気をつけていました。常位胎盤早期剥離は通常のエコーでも気づきにくく、早期発見は難しいそうです。
 これから家族3人になる予定だったのに、気づいたら家には私1人取り残されていました。新しく迎え入れるはずだった我が子のために用意した服やおむつ、ベッドを見るたびに涙が溢れ、胸を締め付けられます。「なんで妻が、何でうちの子が……」と、何度も自分自身に問いかけました。けれどこれは誰が悪いんじゃない。誰しもが起こりうることです。たまたま私の妻が、私の我が子が常位胎盤早期剥離によってこの世を去ってしまった。
 これから出産を控えている人にとっては不安になるかもしれません。最後まで、決して油断せずに元気な赤ちゃんを産んでください。そして無事に生まれたことは決して当たり前なんかじゃない。命の誕生は奇跡なんです。そのことを忘れずに大切に大切に育ててあげてください。

今日のお話 −10月31日(月)−

   高杉晋作の名言・格言

 おもしろきこともなき世をおもしろく

□ プロフィール
 長州藩士高杉晋作は吉田松陰が主宰していた松下村塾に学び、大きな影響を受けました。尊皇攘夷に傾倒し、1862年イギリス公使館焼き討ちを実行するなど過激な行動で長州藩に手を焼かせます。しかし、長州藩が外国船砲撃などで欧米諸国、幕府、朝廷の全てを敵に回してしまった時、それを救ったのは高杉晋作でした。身分に関わらず参加することのできる最強部隊、奇兵隊を結成。また長州藩代表として英・仏・蘭・米の四カ国連合軍との和議交渉をまとめました。功山寺にて挙兵し、揺れる長州藩内の意見を倒幕へと統一。そして薩長同盟を経て、第二次長州征伐では高杉が海軍総督を務め幕府に勝利しました。ところが、その時高杉はすでに肺結核に冒されており、療養の甲斐無く1867年に病没。29歳。

ちょっといい話

   父の視線

 俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。ガンだった。確か年齢は34歳で亡くなったと思う。自分がまだ6歳と幼かったこともあり、父の記憶はあまりなかった。だから父のイメージは、怖いという印象しかなかった。
 父の記憶といえば、1つだけ鮮明に残っているものがあった。それはラーメン屋の中での思い出だった。父はラーメンの大盛りを1つだけ頼み、取り分け皿に俺の分のラーメンを入れてくれた。食べるのに時間がかかった。一生懸命食べたとは思うが、時間がかかった。ふと見ると、父が俺のことを見ていた。じっと見つめていた。「早く食え」と急かされているようで、少し怖かった。ちらちら父の視線を盗み見たが、父はいつまでたっても俺を睨んでいた。「何でそんなに睨むんや…」と思ったが、父の表情が何となく怖くて……、それが数少ない父の記憶だった。
 そんな俺も母に女手一つで育てられ、30になったころ結婚もし、男の子を授かった。とてもかわいく、「目の中に入れても痛くない」とはこのことかと初めて知った。先日、息子も幼稚園に入る歳になった。先週、息子を連れて2人で出かけた。昼飯時になり腹が減ったので、「何が食べたい」と尋ねたら、息子は「スパゲティが食べたい」と言った。息子はまだ食が細いのでスパゲッティの大盛りを頼み、2人でシェアして食べた。息子は一生懸命食べていた。俺は、頑張って食べている息子がとても愛おしく、ずっと眺めていた。そんな俺の視線に気づいたのか、息子はちらちらと俺の方を見ていた。普段あまり会話もない俺と息子だが、俺は息子がとても愛おしく思えた。気が付けば、いつまでも見つめていたいと感じていた。あの時の親父の視線の意味が、今になってようやく理解できた。

 父さん、ありがとう。

今日のお話 −10月28日(金)−

   勝海舟の名言・格言

  事を成し遂げる者は、

  愚直でなければならぬ。

  才走ってはうまくいかない。

ちょっといい話

   誓った双子 

 私には双子の妹がいます。名前はあやか。両親もたまに間違えるほどそっくりでした。でも性格は全く違って、あやかはとても活発で明るい性格でした。一方私は、ネガティブで、体を動かすことがあまり好きなほうではありませんでした。でもあやかと一緒ならどこへ行くのも、何をするのもとても楽しかった。私はそんなあやかに憧れていました。
 そんな彼女を病魔が襲いました。乳がんでした。発見されたときには、既に末期状態で、余命1ヶ月と宣告されました。あやかは、「まだ1ヶ月あるやん。あと1ヶ月、何しようかな。どっか旅行いかへん?くよくよしてる時間がもったいないわ」と言って旅行の計画を立て始めました。「あやかがこんなに前向きに頑張っているんだから、最期まで楽しい思い出いっぱい作ってあげよう」と私は心に決めました。北は北海道、南は沖縄まで、あやかの行きたい所にたくさん行きました。毎日あやかの笑顔を見ていると、本当にガンは消えてなくなるんじゃないかと思えてきました。
 でも現実はそう甘くはありませんでした。急に状態が悪化し、そのまま入院。私は「このままあやかがいなくなったらどうしよう」と、そんなことばっかり考えて泣いていました。するとあやかが「なあ、私ら双子やからわかんねん。お姉ちゃんが笑えば、私が笑っているのと一緒やで。だからな、約束してや。最期までずっと笑顔でおろ。みんなにあやかとお姉ちゃんの笑顔見せたろ」。
 その日から、私は涙を封印しました。あやかのために、あやかを支えてくれている人のために常に笑顔でいると2人で約束しました。あやかは29歳という若さでこの世を去りました。常に笑顔でいると約束したはずなのに、あやかを想うと涙が止まりません。ふと空を見上げると、「お姉ちゃん、笑顔やで」と、怒ってくるあやかの声が今でも聞こえてきそうです。2人で行ったたくさんの旅行の写真を見ながら、あやかの笑顔を常に思い出します。最期まで、そして、これからも笑顔で……。

今日のお話 −10月27日(木)−

   勝海舟の名言・格言

  人には余裕というものが無くては、

  とても大事はできないよ。

学校評価アンケートの結果について

学校評価アンケート(前期)の結果についてアップいたしました。
以下のリンクよりご確認ください。


https://www2.schoolweb.ne.jp/weblog/system/file...

ちょっといい話

   小旅行、地図もお金も何も持たずに…… 

 夏休みに自転車でどこまで行けるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。国道をただひたすら進んで行った。。途中大きな下り坂があって、自転車はひとりでに進む。ペダルを漕がなくても、何もしなくても……。ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。子ども心に凄く遠い所まで来た事を知り、一同感動。滝のような汗と青空のもとでの笑顔。しかし、帰り道がわからず、途方にくれる。不安になる。怖くなる。イライラする。当然けんかに。「泣いてね〜よ」と、全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。交番で道を聞いて帰った頃には、もう晩ご飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるわ、蚊に刺されるわ、自転車は汚れるわ……。でも、次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。
 大人になってあの大きな下り坂を、電車の窓から見下ろす。家から電車でたかだか10個目くらい。子どもの頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。でも、あの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに……。今もあの坂を自転車で滑り落ちる子ども達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。彼らもいつの日にか思うのだろうか。
 今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう2度とは味わえないと……。もう2度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと……。あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう2度とないだろうと……。

今日のお話 −10月26日(水)−

   勝海舟の名言・格言

  生死を度外視する決心が固まれば、

  目前の勢いをとらえることができる。

  難局に必要なことはこの決心だけだ。

ちょっといい話

   母が亡くなった

 今年、母が亡くなった。遅い反抗期だった。中学生まで親に逆らわずよい子だった俺が、高校生になり、母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。 高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。
 最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、いつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。唯一電話番号を教えていた弟から電話が来たのは、2月の事だった。母が倒れたと言う。翌日俺たちが高速道路を走っている頃に母が亡くなったらしいい。久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。葬儀も終わって1週間位たった頃、親父から俺宛に段ボール箱が届いた。父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、そして、1つひとつの指輪が入っていた。手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、俺が家を出た頃から書いていたらしい。母らしい丁寧な字で、ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。同封されていた指輪にも1通の手紙が添えられていた。
 この指輪は、あなたのおばあちゃんの形見です。私が結婚するときにもらったものです。あなたにいい人ができたら、この指輪をプレゼントしてください。そして、幸せな家庭を築いてください。
 と書かれていた。俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。すすり泣いていた。その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。涙が出てきた。止まらなかった。
 母さん、ごめんな。そしてありがとう。生まれてくる娘の名前には、あなたから1文字頂きます。あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために……。

今日のお話 −10月25日(火)−

   勝海舟の名言・格言

  人の一生には、
  炎の時と灰の時があり、
  灰の時は何をやっても上手くいかない。
  そんなときには何もやらぬのが一番いい。
  ところが小心者に限って
  何かをやらかして失敗する。

ちょっといい話

   自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん

 ちょっとした事で母とケンカした。3月に高校を卒業し、4月から専門学生となる私は、1人暮らしの不安からピリピリしていた。「本当に一人暮らし、できるの、ゴミ出す曜日は確認した」など、事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、ついに今日、「あぁー、もぉーうるさいなあ、自分の娘ならもっと応援してくれたっていいじゃん」と、自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。母は何も言わず、悲しいような怒ったような、どこか複雑な顔をして、そのまま車に乗って行ってしまった。夕方をすぎても、夜になっても、母は帰って来なかった。「遅い、遅すぎる。まさか事故にでもあったのか……。」などと考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。
 「何でこんな帰りが遅いの」と問いただそうとした瞬間、目の前に大きな薬局の袋が置かれた。「何これ」と母に聞くと、「あんたの薬。1人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。あんたはすぐ体調崩すからねぇ」と母が答えた。こんな時間まで私のために母は……。「一人暮らしかぁー、お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。風邪引いた時とか、お母さんが側にいてあげたいんだけどねぇ」、もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、何で気づかなかったんだろう。もっと応援しろだなんて……。1番私のことを思ってくれて支えてくれたのはお母さんなんだよね。
 いつも、いつも、いつも、いつも、ありがとう。その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

今日のお話 −10月24日(月)−

   勝海舟の名言・格言

  やるだけのことはやって、

  後のことは心の中で、

  そっと心配しておればよいではないか。

  どうせなるようにしかならないよ。

ちょっといい話

   事故の日から2日後が、妹の誕生日だった

 1年ほど前、両親が死んだ。東京に出てきて数年、正月ぐらいしか帰ることのなかった俺は、仕事を放り出して慌てて帰郷した。家に帰ると、半狂乱で妹が抱きついてきた。事故で即死だったのが唯、一の救いだったかもしれない。その後、警察に行って事故車両を見せてもらった時、一緒に渡された物があった。燃えて炭化した財布と靴。女物の靴は、大柄な母にしてはサイズが小さく少し不思議に思っていた。でも、財布を空けて気がついた。事故当日の日付の入った靴屋のレシート。間違いない、妹の誕生日プレゼントだったんだと。事故の日から2日後が、妹の18回目の誕生日だった。
 あれから1年、東京に来て最初はほとんど口を聞かなかった妹もなんとか立ち直ったような気がする。だけど、実家においてきたあの靴、あれをいつあいつに伝えるべきか、未だに迷っている。

オリオン座流星群 10月21日(金)

 オリオン座流星群が、今日21日(金)夜から明日22日(土)明け方にかけて見頃を迎えます。出現ピークはなだらかな流星群のため、極大日以外の数日間も観測チャンスがあります。
□ 気になる今夜の天気は?
 今夜〜明日の明け方は、高気圧が日本の東に離れますが、東日本や東北地方の太平洋側では晴れて流星観測に問題のない夜空が広がりそうです。

□ オリオン座流星群はどんな流星群?
 オリオン座流星群とは、毎年10月21日頃に活動のピークを迎える流星群です。ゴールデンウィークに活動のピークを迎えるみずがめ座η(エータ)流星群と同じ、ハレー彗星を母天体としています。
 流星は放射点が空に昇ってくる21時頃から流れ始めますが、真夜中ほど放射点が高く昇るため観察に適しています。
 ※ 放射点:流れ星(群流星)が飛び出してくるように見える天球上の点。

今日のお話 −10月21日(金)−

   勝海舟の名言・格言

  いわゆる心を明鏡止水のごとく、
  研ぎ澄ましておきさえすれば、
  いついかなる事変が襲うてきても、
  それに対処する方法は、
  自然と胸に浮かんでくる。
  いわゆる物来たりて順応するのだ。

ちょっといい話

   おかんみたいな、おかんになることが私の夢です

 高校の頃、バイトと遊びではしゃぎまくってた。そんな中、高2から高3まで、ダイエットと忙しさで拒食症になった。すごいガリガリになって、普通の生活が辛くて、眠くて、イライラして……。でもバイトも学校もしっかり行っていた。毎朝おかんが作るお弁当は……。家に置いたままにした。ほとんど食事をとらず、友達にも家族にも相当心配かけてた時期。高校卒業間際、拒食症の症状も軽くなり、最後のお弁当がある日。久々の母との朝の会話。「お弁当忘れてるよ」、……。その日学校で丁寧に包まれたお弁当箱を開けた。母からの手紙が……。
 「あなたがダイエットをする頃から、母はお弁当を作らなくなり、悲しいような、楽チンだったような……。一時期は本当にどうなるのか、不安で仕方ありませんでした。たくさん心配をかけてくれたあなたですが、体だけは健康にね。いずれあなたにも子どもができて、文句を言いながら、お弁当を作る様子を思い浮かべると笑っちゃう。でもあなたはママの娘。何があっても大丈夫。これからも頑張ろうね」
 学校で泣いた。友達に自慢しまくった。泣きながら「手紙入ってるよ!」って。そのお弁当には、私の大好きな母の「手作りだし巻き卵焼き」が入ってました。うちのおかんは本当に料理がうますぎて、絶品。
 私は今、19歳。就職して1人暮らししています。おかんのお弁当、何で、何で、もっと欲張って食べなかったんだろう。人生最大の悔い。今更だけどおかんのお弁当ってどれだけあったかくておいしかったのか、思い知らされました。あの愛情に勝てるものはこの世にないでしょう……。
 おかんみたいなおかんになることが私の夢です。

今日のお話 −10月20日(木)−

   勝海舟の名言・格言

  その人が、どれだけの人かは、
  人生に日が、当たってない時に、
  どのように過ごしているかで図れる。
  日が、当たっている時は、
  何をやってもうまくいく。

ちょっといい話

   きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから

大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいて、みんなと仲よくしてました。私は、女の子の1番の友達だったんだけど、彼とも仲よしでした。最後に3人で会った時、「結婚しないの……」って聞いたら、「うん、まあね」と、お茶を濁す様な返事……。
 その後、彼女が病気が水頭症のために入院。治療も空しく、彼女は25歳で亡くなってしまいました。お通夜と告別式の時、喪服を着た彼に「何て言っていいか、わかんないよ」と泣きながら私は言いました。すると彼は、「そうだね」と、ニッコリと笑顔で言いました。私は耐えられなくて号泣。出棺の時、「これが最後のお別れです」って式場の人が言った途端、彼は、崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。その姿を見て、またしても私は号泣でした。数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。彼は、彼女が昏睡して意識を失う前に書いた最後の手紙を見せてくれました。
 「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ』って言ったんだ。そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね』って言ってたんだ。俺は、役所に行って結婚届け貰ってきたんだ。でも、俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。そしたら、アイツが死んだ日に、お父さんが黙ってこれを渡してくれた」と言って、私に手紙を渡してくれました。
 手紙には、見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。「うそつき。でも凄く嬉しかった。本当にそうなったらなって何度も思いました。私には、あなたの代わりはもう見つからない。だから私はずっとあなたのもの。だけど、私の代わりはいるんだよ。気にしないでいいからね。落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。その人にこの手紙を見せてあげて下さい。本当にありがとうございました。じゃあね!」って……。
 私は、あれからずーっと引きずってる彼と仲よくして4年、今度、結婚します。

今日のお話 −10月19日(水)−

   勝海舟の名言・格言

  何でも大胆にかからねばならぬ。

  難しかろうが、易しかろうが、

  そんな事は考えずに、

  いわゆる無我の境に入って断行するに限る。
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
学校行事
4/6 入学式準備(在校生登校)

お知らせ

緊急のお知らせ

1年生学年通信

2年生学年通信

3年生学年通信

犬山市立城東中学校
〒484-0094
住所:愛知県犬山市大字塔野地字田口洞39番地の101
TEL:0568-61-0501
FAX:0568-63-0270