最新更新日:2024/06/11
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ともに生きる

ちょっといい話

   たとえ火の中でも 

 私の両親は小さな喫茶店を営んでいます。私はそこの1人娘で、父は中卒で学歴はありませんが、とても真面目な人でした。バブルが弾けて景気が悪化してきた頃、父は仕事の暇な時間に店を母に任せ、バイトに出るようになりました。景気はどんどん悪くなり、お店はモーニングやランチの時間以外はガラガラ、バイトも掛けもちするようになりました。バイトが1つ増え2つ増え、1番厳しい時は、朝のモーニングの時間にお店に出て、それが終わったら弁当配達。そして再び店でランチをこなし、その後、郵便配達へ。それが済んだら、店の閉店処理。月曜から金曜までそうやって過ごし、土曜日は1日酒屋の配達のバイトへ行き、日曜もアルペンで荷物運びのバイト。足も肩もいつもパンパンで、母が夜によくマッサージをしていたのを覚えています。50代で細身の父が休む間も無く、私の学費と住宅ローンのために働いてくれました。
 結婚して親になって、本当に思う。お父さん、凄過ぎるよ。おばあさんの葬式の時、酔っ払った父が言った、「お前のためなら何でもできる。たとえ火の中でも飛び込めるぞ」という言葉は本気だったと思う。家族のためにあんなに一生懸命になれる人を、私は他に知りません。私にも働き者のお父さんの血が流れているのだから、どんなことでも乗り越えていこうと思います。

今日のお話 −12月23日(木)−

   細木数子の名言(3編)

□ 自分に自信がないのは、心が曇っているからです


□ 何事も全てに混乱をきたしている時代というのは、

  原点に戻るのが一番確実なのです


□ 運命は動かせられるんです

ちょっといい話

   普通の一家の物語 

 その昔、大学の同級生の女の子にガリガリに痩せた子がいた。細身の娘が好みだったので声を掛け、程なく恋仲に。ある日、「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子どもも無理。諦めるなら今のうち」と告白された。本人は死ぬ気だったらしい。それでも迷うことなく、恋人のまま。手術ができるのならと、心臓外科を探しまくって何とか手術に漕ぎ着けた(ドキドキ)。成功した。嬉しかった。術後も良好。
 でも、子どもは無理。「妊娠しないだろう」と言われた。当然、親同士は結婚に猛反対。俺の親は勿論、向こうの両親も。無視。無視し続けてもなお、説得も続け、6年かけてやっと挙式・入籍。10年後、余程経過がよかったのか、妊娠が発覚。主治医に相談したら、「妊娠できたのなら出産は問題ないだろう。挑戦しましょう」。「お前、俺の女房だぞ、俺の子どもだぞ、大丈夫なんだろうなぁ」(ドキドキ)。無事出産。3,000グラムの元気な男の子。あまりに嬉しくて、二寸ほど宙に浮いていた。
 半年後、かみさんに似たような心臓障害が発覚。「成長しないだろう」と言われた。どういう事……。「様子を見ながら手術をしましょう」。かみさんの執刀医の紹介で、小児心臓外科の先生にお願いする。「大事な一粒種、殺すなよ」。頼むから……(ドキドキ)。成功した。これ以上ないくらい。
 あれから15年。コロコロに太ったかみさんがいる。「うぜえんだよ、親父」。憎まれ口をたたく、ちょっと小振りな男子高校生がいる。ここに、冴えないサラリーマンの普通の一家がある。
 かみさんにも、せがれにも言わないが、幸せを噛みしめている。

今日のお話 −12月22日(水)−

   細木数子の名言(2編)

 □ 自分で自分を傷つけてるんです。

   だからどんどん、どんどん安い方へ行っちゃう。


 □ 行く先に光が見えるのなら、人間は自然と我慢する。

一人で悩まないで相談しましょう!

心に負担を感じたとき、誰かに相談をすることは、一人で抱え込むことなく、問題解決に向けての一歩を踏み出す上で、とても大切なことです。愛知県の教育委員会から、心に悩みを抱えるお子様や保護者様がいつでも相談できるよう「子どもSOS ほっとライン24」をはじめとする、様々な相談機関についてのお知らせがありましたので、ご紹介します。

一人で悩まないで相談しましょう!

ちょっといい話

   白血病の男の子と看護婦さんとの約束 

 おれが入院してた時、隣の小児科病棟に5歳くらいの白血病の男の子が入院していた。
生まれてから一度も外に出られない子だと聞いた。ある日、大声で泣く声がするので病室を覗いてみると、点滴の注射が嫌だと泣いていた。看護婦さんが、「我慢しなさい。お注射して、早く元気になりましょうね。そしておねえちゃんとお外で遊びましょう」と諭すと、べそをかきながらも「うん、分かった。 約束だよ」と言って必死に痛さを堪えていた。病室を出て来た看護婦さんをふと見ると、目には一杯涙が溢れていて、ナースステションの前でしゃがんで泣いていた。
 それから1週間後。その子は亡くなった。とても安らかに、眠るように亡くなったと聞いた。誰も居なくなった病室で、あの看護婦さんが、あの子が寝ていたベッドの整理をしていた。「ごめんね。約束守れなくてごめんね。」と呟きながら自分の涙で濡れたシーツを抱きしめていた。
 自分の死を知らずに、看護婦さんと外で遊ぶことを楽しみにして痛さに耐えていた男の子。死が間近であること知りつつ、必死に笑顔で励ましていた看護婦さん。病室に戻ったおれも涙が止め処なく流れた。

今日のお話 −12月21日(火)−

   細木数子の名言(2編)

□ 占いで人生変わりゃ苦労する人いないよ。

□ 心掛け一つで、どうにでも結果は出せます。

ちょっといい話

   娘が好きだったハム太郎の映画を観た 

 娘が6歳で死んだ。ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。葬式には別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく、機械的にすませた。
 初七日も済んで、俺は独りで娘が観たがっていた、「ゴジラ」と「とっとこハム太郎」の2本立ての映画を観ることにした。「とっとこぉ はしるよ ハム太郎」の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、「とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお」と歌っていたっけ。
 ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし、成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。女房と離婚してから俺は100%子どものために生きることにして、必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。

今日のお話 −12月20日(月)−

   細木数子の名言

 あなたには余裕が感じられない。
 それでは子供は逃げていきます。
 全てのことを上手くやらせようと思うから辛いのです。
 それは学校側の自己満足でしょう。
 生徒にだって都合があるのです。
 子供たちがこの先この時代どうやって生きていくのか、
 それを生徒と一緒に悩めばいい。

ちょっといい話

   海軍にいた新郎のおじいさんの挨拶 

 ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。披露宴もお披楽喜(ひらき)に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。一通りの祝いの言葉の後に、「自分は海軍にいた。孫が艦に乗っている事を誇りに思う。自分達の世代の不甲斐なさのせいで、今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う」と、たとたどしくですが話をされました。同僚達は知らなかったらしく、酔っ払っていたが段々背筋が伸びていき、神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の1人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「大和です」と。それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり、イスが倒れるのも無視して、直立不動で敬礼を送りました。おじいさんも見事な答礼を返されました。
 私は、その後は仕事になりませんでした。ウェイトレスの女の子達は、不思議そうな顔をしておりましたが……。

今日のお話 −12月17日(金)−

   細木数子の名言

 勉強が得意な子どもには

 深く勉強させればいいし、

 勉強が得意でない子どもには

 技術を身につけさせればいい。

ちょっといい話

   母が描いた絵のアルバム 

 うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった。だから写真のかわりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた。絵は上手じゃない。ただ、どうにかして形にして残したかったらしい。ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた。絵の隣に「キゲンが悪いのかな」とか「すやすや眠ってます」ってコメント付きで。小学4年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された。めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた。友達が帰って直ぐ、俺はアルバム3冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた。パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした。破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた。翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた。「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」と申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺は「ごめんなさい」と謝った。

今日のお話 −12月16日(木)−

   細木数子の名言

 痛みや苦労もなく

 順調な人生を歩める人はいません。 

 どんなときも感謝の心を忘れることなく

 「心の眼」を磨く努力を怠らないでください。

ちょっといい話

   父がいきなり泣き出した 

 自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、しかも「父はとにかく強くてかっこいい」と信じていたので、凄くびっくりして変に印象に残ってる。その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも「夢でも見たんだろう」と言っていたので、自分もそう思うようになっていた。
 が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。寝顔をそっとのぞき込むのが日課。「このままでは娘に顔を忘れられてしまう」と不安に思っていたらしい。そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。「やばい、よく寝ていたのに……。ぐずってしまう」と父が焦っていると、私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。ほとんど顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多かった父。しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は「自分の顔を見て喜んでくれるのか」、「こんなふうに笑ってくれるのか」と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、本当のことが言えなかったらしい。
 「嘘付いててスマン」と告白される結婚式前夜。「明日目が腫れたらど−してくれる」と私が切れたので、笑い話になったが、父が涙を流していたあの記憶は、私にとってよい思い出になった。

今日のお話 −12月15日(水)−

   細木数子 名言

 生きていく上で1番大切にしなければならないこと、

 それは、正しい心をもつことです。

 その出発点は「人間というのは、生かされている」

 それを実感することにあります。

ちょっといい話

   ガイドブック 

 東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。母にも、「たまには東京来いよ」と言ってたんだけど、「人混みが苦手」だと決して来なかった。そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、東京のガイドブックが出てきた。皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしくボロボロになってた。親父に聞いたら、「行きたかったんだけど、嫁の方ががいいだろう」って我慢してたんだそうだ。自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も「息子が来い」と言ってくれたと喜んでいたらしい。一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…。死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
 田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。

ベルマーク週間【12月14日(火)〜1月12日(水)】

今日からベルマーク週間です。ご協力をよろしくお願いいたします。
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今日のお話 −12月14日(火)−

   細木数子 名言

 心は本当は丸いものなのよ。

 それが現実の環境から受ける影響によって

 少しずつゆがめられ、

 そのためにおかしな形になってしまう。

 そうすると、どこか一部分が固くなったり、

 凹んでしまったりするんです。

ちょっといい話

   パパになったたかしへ 

 俺の母親は、俺が12歳の時に死んだ。ただの風邪で入院してから一週間後に、死んだ。親父は俺の20歳の誕生日の1ヶ月後に死んだ。俺の20歳の誕生日に入院中の親父から手紙を渡された。黄ばんだ封筒を開けるとセロハンテープの後がくっきり写る。中を読むとお袋からの『パパになったたけしへ』という題の手紙だった。
 内容は、俺が生まれてから中学の入学した頃までのことが書いてあった。生まれた子が俺でよかったって。短い間だったけど楽しかったって。感謝してるって。でも、ゴメンって。だからあなたの子どもにはあなたと同じ思いはさせないで頂戴って。泣きながら読んでる俺に親父が謝った。「すまんな」って。でも何を謝ることがあるのか。お袋が死んでから親父は忙しい中俺のために働いてくれた。遊びにも連れてってくれた。反抗期の息子に何を言われても黙ってた。俺は知ってた。お袋が死んだ直後親父の手に出来た沢山の包丁傷の跡。あれほど好きだったゴルフをやめたこと。いつの間にかタバコもやめてたな。 こっちこそゴメン。ダメな息子でゴメン。俺は普通の人より早く両親を亡くしてるだろうけど、他の誰にも負けないくらい幸せだ。家族3人で過ごした思い出は何よりの宝物。 父さん、母さん、ありがと、ほんとにありがと。

今日のお話 −12月11日(土)−

   細木数子 名言

 人生でムダなことは

 何ひとつとしてありません。

 すべて自分の肥やしになります

□ 細木 数子(ほそき かずこ 1938年4月4日〜2021年11月8日)
 日本の作家、タレント、占術家、新興宗教家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家、人間学研究家などと称する場合もある。養子は占術家の細木かおり。 中国の易学から編み出したとされる「六星占術」の創始者。
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