ともに生きる

今日のお話 −12月7日(火)−

   トーマス・エジソンの名言

 機械は生活を便利にした、

 将来はもっと便利になるだろう。

 しかし、用心しなくては

 人間が機械に使われるようになってしまう

ちょっといい話

   日記 

 嫁の日記を盗み読みしたらいつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。友達とファミレスに行くのも、月に1度と決めてるらしい。俺に「美味しい料理を食べさせたいから」みたいな意味のことが書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。しかも、すげー明るく書いてあんの。「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ」とかさ。俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば、昼から寿司でも何でも食わせてやるんだけどな。給料少ないのに、「専業主婦でいてくれ」って言ったの俺だし。金のことで責められたこと、一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)、「節約も楽しいよ」とか言ってたし。盗み読みはよくないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。何もしてやれんから、浮気だけはしないと誓うよ。ま、浮気しようにももてないからできない俺だがな。

12/6表彰集会

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お昼の時間に表彰集会を行いました。
部活動
・バスケットボール部女子
・ハンドボール部男子、女子
・ソフトボール
・バレーボール女子
応募作品
・赤い羽根協賛児童生徒作品コンクールポスターの部
・犬山市民点 文芸の部
で優秀な成績を収めた人たちです。
おめでとうございました。

また、校長先生から、新城中SNS使用五箇条や良好な人間関係についてのお話、年末に向けてまとめをしましょうというお話がありました。

今日のお話 −12月6日(月)−

   トーマス・エジソンの名言(2編)

 □ 最上の思考は孤独のうちになされ、

   最低の思考は混乱のうちになされる。


 □ 首から下で稼げるのは1日数ドルだが、

   首から上を働かせれば、無限の富を生み出せる。

ちょっといい話

   叶わなかった夢 

 「おつかれさま、また明日ね」アルバイトのKは翌日も普段通り16時に出勤してくるハズだった。私が出勤したら、明らかに妙な空気、慌ただしく電話している上司、沈痛な表情で仕込みをしているシェフ達。「今朝、Kが火事で亡くなった」。原因はタバコの不始末。開業資金を貯めるため、朝から晩までバイトを掛け持ち。朝目覚めの一服で亡くなりました。酒、タバコ、そして競馬が大好きだった。独立して店を構えるために、物件も決まった矢先だった。いつも好きな焼酎を飲みながら、夢を語り、彼の話に周りは半信半疑だったけど、熱く語る夢をひそかに応援してた。ちょっと変わり者だったけど、不器用で嘘のつけない、純粋な人でした。
 数日経ってから、その日Kは朝のアルバイトが休みだった事を知りました。昼までゆっくり疲れを癒やせたはずなのに……。いつもの早朝に目が覚め、いつものようにタバコに火を付けたんだと思います。お酒を飲んで、ぐっすり寝たら、早朝目が覚めなかったかもしれない。そう考えずにはいられませんでした。彼の夢は叶わなかった。でも、私は灰皿に水を張って使い、それを周りに薦めています。彼の死を無駄にしない。それが同僚として、仲間として出来るせめてもの事だと思っています。

人権週間

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 12月4日(土)〜10日(金)の期間は、第73回人権週間です。昼の放送で、担当の先生から、人権を尊重することの大切さについて話をしました。道徳や学活の時間にも人権について考えていきます。また、人権啓発活動として、PTAとともに「いじめ防止標語コンテスト」にも参加します。いじめ防止について深く考えることで、互いを尊重する精神を育てるとともに、家族で人権について考えるよい機会となればと考えます。

今日のお話 −12月2日(木)−

   トーマス・エジソンの名言

 成功しない人がいたとしたら、

 それは考えることと、

 努力すること、

 この2つをやらないからではないだろうか。

ちょっといい話

   愛してるって言いたい 

 初恋の人が亡くなりました。初恋で初めての彼氏で、私も若くてわがまま放題で、悔やまれることばかりです。ある日、突然「別れて欲しい」と言われ、意地を張って「いいよ」と言い返してしまって。半年後に突然電話があった時も、強がって「彼氏ができて幸せ」だと伝えた。嘘。大嘘。彼氏なんかできていなかった。それから約1年後、彼の友人から連絡が来た。彼が肝臓癌で亡くなったそうだ。1年前に。「1周忌になったら私に連絡して欲しい」と遺言を残していたらしい。私に遺書を残していて、そこには、「こんな別れ方しかできなくてごめん。幸せになって欲しい。愛してる」と書いてあった。どうして一人で全てを抱え込んで死んでいったのか。どうして一緒に病気と闘わせてくれなかったのか。どうして私に本当のことを言ってくれなかったのか。色々なことを聞きたくて仕方がなかった。彼を責め立てたかった。
 あれから2年経ち、ようやく心の整理が付いた。 彼が病気を知らせなかった優しさも理解できるようになった。でも頭では解っていても、まだ感情がついて行けない。一生私は彼を忘れないだろうし、彼に色々問いかけてしまうと思う。もう一度だけでよいから会って優しくしたい。「愛してる」って言いたい。

今日のお話 −12月2日(木)−

   トーマス・エジソンの名言

 私たちの最大の弱点は諦めることにある。

 成功するのに最も確実な方法は、

 常にもう1回だけ試してみることだ。

ちょっといい話

   リアルな夢 

 母親は事故で亡くなった。パートの帰りの運転中の事故だった。交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もなかった。過労だと思う。
 葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿ともとれるようなノートを見つけた。食費や光熱費、私は家計をやりくりした事など当然ないが、そんな私が見てもギリギリの生活だった。母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。なのに私の進学のための貯金があった。ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。後でわかった事だが、勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。増えた分は全て貯金。私はバカだった。自分のことだけだった。母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう。私は何一つ親孝行などしてない。母がいなくなってから、後悔の連続だった。苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。何の親孝行もしていない。なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか。謝りたい。心から母に謝りたかった。
 そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。夢の中で母親は居間で座っていた。母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。「ひどい事を言って、ごめん」と。本当に子どものように泣いた。母親は私の手を握って、「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、ごめんね」と言った。それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
 起きた時は枕まで涙で濡れていた。手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、その夢を見た朝、父が「今朝、母さんの夢を見た」と言うのだ。「私のことをよろしく」と言ったらしい。父が「直接会いにいって話したらいい」と母に言うと、「もう会ってきたから」と言ったそうだ。後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。でも、夢であれ母に謝ることができてよかった。

今日のお話 −12月1日(水)−

   トーマス・エジソンの名言

 もちろん、生まれつきの能力の問題も

 まったく無視はできない。

 それでもやはり、これはおまけみたいなものだ。

 絶え間なく、粘り強く努力する。

 これこそ何よりも重要な資質であり、成功の要といえる。

ちょっといい話

   天国のあなたへ 

 娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。おそばに行った時、「おまえはどこの人だ」なんて言わないでね。「よく来た」と言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。あなたは優しく、「そうか、そうか」とうなずきながら、慰め、「よくがんばったね」と、ほめて下さいね。そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など四季のうつろいの中を2人手をつないで歩いてみたい。私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。

今日のお話 −11月30日(火)−

   トーマス・エジソンの名言(2編)

 ○ 私は失敗したことがない。

   ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。

 ○ 失敗したわけではない。

   それを誤りだと言ってはいけない。

   勉強したのだと言いたまえ。

ちょっといい話

   大切な宝モノ 

 これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
 幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と2人暮らしをしてた。誰が見ても私を、大事な宝モノのように可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。私の願い事は、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。寂しい思いはしていなかった。2人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。けど、10代半ば、反抗期のせいで、父の優しさがすごくうざくなってきたんだ。私は毎晩夜遅く帰ってきて、心配する父に罵声しかあびせなかった。友達と遊ぶ事が楽しくて、家にも帰らなくなった。そんな毎日を繰り返していた夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずと小さなケーキが置いてあったんだ。誕生日を2〜3日過ぎてたのに毎日ご飯作って、いつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていたんだと思ったら、切なくて悲しくて涙が溢れてきた。無造作に置かれていた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。父にとって私は、誰よりも大切な宝モノなんだって事が胸に突き刺さった。そして、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。この日以来、私はちゃんと帰るようになった。
 そんなこんなで私は今、結婚をしてもうすぐで子どもが産まれます。私は、父がくれた愛情をこれから産まれてくる子どもにたっぷり注ぎます。そんな私をこれからも空から見守っていてください。父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。大好きだったよ。

今日のお話 −11月29日(月)−

   トーマス・エジソンの名言

 今取り組んでいることに関心をもち、
 全力を傾けてそのことだけを考える。
 時計を気にせず、ひたすら続け、
 休みたくなったら必要なだけ休む。
 休んだあとは、また同じ集中力で作業に取り組む。
 熱心に働くことの価値と満足感を知っている人に
 世間は高い評価を下すものだ。

修学旅行

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初めてのテーブルマナーで緊張しながら頂いています。
魚を食べるときに、ナイフとフォークを使うのは初めてでしたね。
大人の階段を登ることができました。

ちょっといい話

   生きることは簡単なこと 

 私は就職が上手くいかず、バイトを繰り返していた時期があります。何をやってもダメで、精神のバランスが崩れて、死にたいと考えるようになりました。その時に私は、遠い親戚のお寺子どもに勉強を教えていました。心のバランスは不安定でしたが、勉強を教えることは楽しかったので、家庭教師はずっと続けていました。その当時は、子ども達に会うときが人と接する唯一の機会でした。心の闇を抱えながら私は、先生としてのクオリティを落とさないように気を付けて、勉強を教えていました。
 その後、友人が交通事故で亡くなったことをきっかけに心のバランスが保てなくなりました。そんなときに、話したこともない父親の住職と話す機会ができたのです。「少し話を聞いてもらってもいいですか」と言って、「友人が亡くなったことや私が心のバランスを崩していること」等を話しました。住職は、何も言わずにただ聞いていて、私が話し終わるとゆっくり口を開きました。住職は、「生きることは食べることだ」と言うのです。「食べなければ生きられない。食べているなら君はまだ生きられる」とも言われました。そのときに涙がこぼれてきました。「すごく悩んでいたことも苦しんだことも、関係ないんだ」と思えたのです。「私は生きているし、まだ生きられる」と思えました。「友人が叶えられなかった生きるということを、私はできる」と住職に言われてボロボロと涙を流しました。「食べるだけで生きられる、生きるというのは簡単なことなんだ」とそのときに気付いたのです。

今日のお話 −11月24日(水)−

   トーマス・エジソンの名言

 私はこれまで、偶然のひらめきで、

 価値ある発明をしたことなど1度もない。

 全ての発明というのは、

 その発明に関わった人の想像を絶するような

 熱意が注ぎ込まれているものなんだよ。

ちょっといい話

   生まれてきたこと

 私は右手に障害があります。兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから幼児期の写真がたくさんあるのに、私の写真はありませんでした。両親に理由を聞くと、「カメラが壊れていたから」と言っていました。小学校の頃は両親に「右手は20歳くらいまでには治るかな」等と聞いたりしていました。が、次第に「何で俺は右手が使えないの、何で俺を生んだの」と不躾な、両親からしてみると非常にやりきれない文句を言っていたことを覚えています。
 今、私は大学の卒業を控え、両親の私を育ててきた苦悩を多少なりとも知ることができます。障害をもって生まれてきた私に、衝撃を受けて生後しばらく自暴自棄になってしまった母親と、それを立ち直らせるために母親を殴った父親の悲しみ、写真が少ないのもしばらく私に愛情を注ぐことができなかったから、なんです。
 でも、私の記憶にある両親は私にたくさんの愛情を注いでくれました。幼い頃、寝るときいつも、父に右手を握ってもらって寝てたことは忘れません。「おまえの手が早く治るように」この父の願いが叶わない事は、今ではわかります。一生付き合っていかなければならない障害ですが、私がこの世に生を受けてきたこと、両親が頑張って育ててきてくれたこと、絶対恩返しします。
 来春から就職。本当に頑張って働いて絶対に親孝行します。パパ、おかあちゃん、長生きしてください。

今日のお話 −11月22日(月)−

トーマス・エジソンの名言(2編)

□ 天才とは1%のひらめきと99%の努力である。

□ 私は1%のひらめきがなければ
  99%の努力は無駄になると言ったのだ。
  なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、
  私を努力の人と美化し、
  努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている。

■ プロフィール
  トーマス・エジソンは米国の発明家、起業家。傑出した発明家として知られている。生涯におよそ1,300もの発明を行った人物。人々の生活を一変させる重要な発明をいくつも行ったことで知られている。例えば蓄音器、白熱電球、活動写真。電球などの家電だけでなく、発電から送電までを含む電力システムの事業化に成功したことが最も大きな功績、とも言われている。また、エジソンはエジソン・ゼネラル・エレクトリック会社の設立者。現ゼネラル・エレクトリック社 (世界有数の巨大企業) の前身となった企業である。
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