ともに生きる

ちょっといい話

   お袋の小遣い

 前の会社で働いていた頃、母親からこずかい毎月1万ほどせびられた。1人暮らしの俺にとってはつらかった。払わないと「親不孝者」、「バカ息子」など罵倒の嵐。「この糞ババア」と呪った事もあった。しかし、中学時代グレて散々迷惑をかけた手前、半ばあきらめていた。
 やがて俺が就職して数年後、おふくろは死んだ。その時、通夜の席で親戚に1冊の預金通帳を渡された。額は100万程度。聞けば俺の浪費癖を心配したおふくろが、毎月俺からせびっていたお金を毎月積み立ててくれたものらしい。それを聞いた時、俺は号泣した。金を請求されるという表向きの事にとらわれ、なぜおふくろが金を請求するのか、という事を考えもしなかった自分自身が誰よりも許せなかった。
 母親が死んだ当時、俺は会社をリストラされ、貯金も無く、失意のどん底だったが、この100万円のおかげで、ホームレスにはならなくて済んだ。今でも駄目なリーマンには変わりはないが、つらい時はこの事を思い出して頑張れてる。
 今さらだけど……。お母さん、ありがとう。

今日のお話 −11月20日(金)−

上所 重助の名言

   「仕事」載

1 仕事は自分から「創る」べきで、与えられるべきでない。

2 仕事とは先手先手と「働き掛け」ていくことで、受身でやるもので
 ない。

3 「計画」を持て。長期の計画を持っておれば、忍耐と工夫とそして
 正しい努力と希望が生まれる。

4 「自信」を持て。自信がないから、君の仕事には迫力も粘りもそし
 て厚味すらない。

5 頭は常に「全回転」八方に気を配って一部の隙もあってはならない。
 サービスとはそのようなものだ。

ちょっといい話

   ユダヤ民族に伝わる寓話【アンダーマイニング効果】 

 ある町の偏屈な男たちが、ユダヤ人が開いた洋装店を町から追い出そうと、乱暴者たちを送り込んだ。乱暴者たちは毎日、店の前で嫌がらせをはじめた。
 しかし、店主は賢かった。ある日彼らが野次ったり罵ったりする努力に対して、全員に10セントコインを1枚ずつ手渡した。すると彼らは喜んで、ますます無礼なことを叫び続けた。次の日も彼らは10セントを期待して騒ぎにやってきた。しかし、「今日は5セントしかあげる余裕がない」と洋服屋は告げ、全員に5セントずつ手渡した。次の日、彼らはまたやってきた。洋服屋は「今度は1セントしかあげられない」と言って、コインを手渡そうとした。それを聞いた乱暴者たちは、あざ笑いながら言った。「俺たちはそんなはした金のためにわざわざ野次るような暇はないんだ」
 そして、彼らは騒ぐことなく立ち去った。

今日のお話 −11月19日(金)−

ホセムヒカ大統領の名言

 日本にいる子供たちよ。

 君たちは今人生で最も幸せな時間にいる。

 経済的に価値のある人材となるための勉強ばかりして、

 早く大人になろうと急がないで。

 遊んで、遊んで、

 子どもでいる幸せを味わっておくれ!

ちょっといい話

   錆びた缶

 俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6の時にクラスの給食費が無くなって、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。「貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!」って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ……。
 どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。今まで俺のおさがりを折って着ていたから。母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
 去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。泣いたね……。
 初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

今日のお話 −11月18日(水)−

ホセムヒカ大統領の名言

   「あなたは『自分の人生』を切り開いていける」

 人生というものは、刻一刻とあなたから逃げていきます。

 でも、足りないからといって

 スーパーで追加の人生を買うことはできません。

 だから、人生を生きるために闘ってください。

 人生に中身をあげてください。

ちょっといい話

   愛していたんだろう

 俺、中学の時ばーちゃん死んだんだけど、ばーちゃん、じーちゃんのことすごく愛してたんだろうな。じーちゃんが先に死んだせいか、「早く死にたい。じーちゃんのとこに早くいきたい」ってよく言ってた。俺、ばーちゃんのこと大好きだったから、毎日会いに行って「俺の結婚式に出て嫁さんと曾孫みるまで死んだらダメ!」って言ってた。
 結局じーちゃん死んでから2年後にばーちゃんも死んだんだけど、葬式の時、俺宛てに手紙があって、ただ一言「○○約束守れなくてごめんね」。泣いた。人前で泣くのは恥ずかしいって思ってたけど号泣した。
 結婚式、披露宴にじーちゃんとばーちゃんの席をつくった。明日、結婚します。近くで観ていていてください。貴方達のような夫婦になりたいです。

今日のお話 −11月17日(火)−

ホセムヒカ大統領の名言

「『幸せ』にしてくれるのは、生きていること」

 日本は、すごい進歩を遂げた国だとは思います。

 だけど本当に日本人が幸せなのかは疑問です。

 西洋の悪いところをマネして、

 日本の性質を忘れてしまったのだと思います。

ちょっといい話

   釣り竿くらい 

 長男の小学校時代だから、今から15,6年前になるのかな?
 学校で自然体験の校外授業があって、魚釣りをするから各自釣竿を持ってくるようにって通知があったんだ。その頃は貧しくて、忙しくて……。とても釣竿を買ってやるなんて、余裕も無かった。家の傍に竹やぶがあったのを思い出して、適当な竹竿に子どもの拾ってきた釣り糸をつけて「ホラ、これもってけ!」と。
 随分時間が経ってから、子どもの親の仲間に聞いた、「あの日、変な竹竿の釣竿持ってきていた子どもが居たらしいぞ」って……。「池の土手でかなり皆に囃し立てられて、馬鹿にされたらしい」って……。「僅か1500円くらいの釣竿、買ってやればいいのにな」と。
 自分の子どもの事だとすぐに解ったけれど、顔を上げる事もできずにその場を離れた。考えてみれば、その後も何回か釣りの授業はあったみたいだけれど、アイツは何も言わずに釣竿を担いで学校に行ってくれていた。アイツなりに気を使ってくれてたんだなって、その時に心から泣けた。
 孫が出来たら父親の分まで俺が可愛がってやるぞって思ってる!

今日のお話 −11月16日(月)−

ホセムヒカ大統領の名言

 「人は『発展』ではなく『幸福』になるために生まれてきた」

 
 私たちがこの地球に生まれ落ちた理由は、

 ひたすら発展を求めるためではありません。

 私たちは、等しく幸福になるために生まれてきたのです。

ちょっといい話

   兄の幸せ

今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。 兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが、それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。初めて作った料理とも言えないようなものを、「美味しい」と言って全部食べてくれた。仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり、宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。友達のを見て、「お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれた」とわがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに「こんなんじゃない、お母さんに会いたい」と兄をなじってしまった。 兄はそれを聞いて「ごめん」と泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子どもだったんだと今でも泣きそうになる。
 その兄が、1年前両親と同じように事故で突然この世を去った。兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より1才年上だった。兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うとそれがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。たくさんたくさん「ごめんなさいとありがとう」も言えないままだった。 「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。
 お兄ちゃん、天国で見ててね。今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。

今日のお話 −11月13日(金)−

ホセムヒカ大統領の名言

   「人生で最も大切なことは『歩き続ける』こと」

 人生で最も重要なことは「勝利すること」ではなく、

 「歩く」こと。

  歩き続けることなのです、と。

ちょっといい話

   母は他人

 私が5歳の時、両親は離婚(原因は父のDV)。私は、母親に引き取られました。
 しかし、大学の卒業旅行のためパスポートを作ろうと戸籍を取り寄せたら超びっくり。私、父親と父の前妻の子どもだった。つまり、私を引き取って育てて大学まで行かせてくれた母は、父親の後妻。つまりは全くの他人。あまりの衝撃に何も言えぬまま日々を過ごし、結婚する時にやっと母に聞いてみた。母は、あっさりと事実を認めた。私の実の母は、私が1歳の時に死去。育ての母親は、私が3歳〜5歳まで父と結婚していたのだそうだ。
 何故他人の子を引き取った?という質問には、「あの人(私の父親)の所に置いちょったら、何されるか分からん。かわいそうじゃけ、連れて来てしもた」とのこと。私自身が親となった今でも、母の情の深さには敵わない。
 母は、今血の繋がらない孫達に囲まれてとても楽しそうです。

今日のお話 −11月12日(木)−

ホセムヒカ大統領の名言

   「人生はシンプルに、自由な時間こそが大事」

スーツケースはいつも軽めで必要なものだけ。

物を持つことで人生を複雑にするより、

私には、好きなことができる自由な時間のほうが大切です。

旅をする時も荷物はなるべく最小限にして身軽にした方がいいですよね。

そうじゃないと、動きづらいしいざって時に身動きが取れなくなるから。

ちょっといい話

   子どもの目にも

 夫婦仲よくできず、子ども(当時3歳)と3人で飯食うこともほとんど無かった。
 ある日俺がたこ焼きを作って家族3人で食った。子どもも嫁もなんか久しぶりの団欒だった。みんな沢山食った。その後、子どもと風呂に入った。彼は大量に吐いた。「しんどいのか?」「風呂上がって休もうか」と俺は子どもに聞いた。子どもは「うぅん。だってとうさんが作ってくれたのを、かあさんと沢山食べて楽しかったんだ」「みんなが楽しかったから沢山食べたん。美味しかったで」3歳の子どもがこんなことを言うのかという驚きと、その頃折り合いの悪かった嫁との関係を恥じた。子どもの目にもそれが見えていたんだ。
 風呂でゲロまみれの子どもに、シャワーを浴びせながら泣いた。あまりに耐え切れず、その後子どもを抱きしめて泣きじゃくった。「ごめんな」を繰り返した。
 他の人が聞くとたわいの無い話だろけど、俺にとっては一生忘れられない話だ。

今日のお話 −11月11日(水)−

ホセムヒカ大統領の名言
   「人生で最も大事なのは『生きる時間』」

 人間のもっとも大事なものが 「活きる時間」だとしたら、

 この消費主義社会は、そのもっとも大事なものを奪っているのですよ。

 人の時間は「1日24時間」

 この資産は絶対に戻ってこないし、返ってもきません。

ちょっといい話

「そのうち」  上所 重助

 そのうちお金がたまったら
 そのうち家でも建てたら
 そのうち子どもから手が放れたら
 そのうち時間のゆとりができたら
 そのうち……
 そのうち……
 そのうち……と

 出来ない理由を
 くりかえしているうちに

 結局は何もやらなかった
 空しい人生の幕がおりて
 頭の上に淋しい墓標が立つ

 そのうち そのうち
 日が暮れる
 いまきたこの道
 かえれない

重要 11月は児童虐待防止推進月間です

11月は児童虐待防止推進月間です。文部科学大臣より全国の家庭・学校・地域の皆様に、児童虐待の根絶に向けたメッセージが寄せられていますので、ご案内させていただきます。よろしくお願いいたします。
文部科学大臣メッセージ〜児童虐待の根絶に向けて〜

今日のお話 −11月10日(火)−

ホセムヒカ大統領の名言
   「人はモノを「カネ」でなく人生という時間で買っている」

 モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。
 でも違うんだ。
 そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。
 生きていくには働かないといけない。
 でも働くだけの人生でもいけない。
 ちゃんと生きることが大切なんだ。
 たくさん買い物をした引き換えに、
 人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。
 簡素に生きていれば人は自由なんだよ

ちょっといい話

   「これでよし」と皆に 

 たった1日をどう生きていこう。俺は最近こんな事を本気で思うようになってた。俺、小さい時から両親がいなかった。兄弟いたけど、みんなバラバラ。長男と4男の俺は一緒にいたけど、次男、3男は親戚の家。次男、3男はその後結局親戚からも見捨てられその後、施設。俺と長男は祖父母にあずけられた。この祖父母が、俺にとって本当の父、母同然。小さい時から、今まで大事に育て上げてくれた。そんな祖父母も、立て続けに死んだ。まだまだ未熟な俺には本当に悲しかった。俺にとって本当のお父さん、お母さんだった。ショックだった。でも、まぁ、結婚式もひ孫の顔も見せられたんだし、よしとしよう。
 そんな矢先、今度は妻が病気になった。一生治んない病気になった。本当、俺どうしたらいいか分からなかった。俺は憎んだ。家族が居ない、家族みんなで過ごせなかった俺を大事に育ててくれた祖父母を一度に連れて行った神様を。こんな俺を大事にしてくれた妻を病気にした神様を。こんな人生に生まれさせた神様を。でも、俺も妻も愛娘2人も今のところ元気なので、よしとしよう。今では、兄弟4人、たまに会って酒飲んで喧嘩しあう仲になったので、よしとしよう。娘2人も、今のところ俺の事好きそうなので、よしとしよう。今のところ幸せなのでよしとしよう。
 こんな威張ってる俺だけど神様、お願いします。俺みたいに、家族みんながバラバラにならないように。神様、お願いします。俺みたいに、悲しい思いをしないように。神様、1日1日を家族みんなで、俺のまわりの人みんなで大切に生きていきます。神様、家族という事、父親という事、夫という事を最後まで責任とれる事を願います。最期は、笑顔で[これで、よし]とみんなに言える様に……。そんな息子であり、そんな弟であり、そんな孫であり、そんな父であり、そんな夫であり、そんな自分でありますように。
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
学校行事
11/20 文化の集い
11/23 勤労感謝の日
11/26 生徒委員会

お知らせ

年間行事計画一覧

PTA子育て八策

いじめ防止基本方針

学びの学校づくり

食育だより

給食献立

1年生学年通信

2年生学年通信

3年生学年通信

資源回収案内

犬山市立城東中学校
〒484-0094
住所:愛知県犬山市大字塔野地字田口洞39番地の101
TEL:0568-61-0501
FAX:0568-63-0270