ともに生きる

ちょっといい話

   兄の幸せ

今日は兄の誕生日だ。私より10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来ずっと私を育ててくれた。 兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。口癖は「お前は俺の半分しか父さんや母さんとの思い出がないんだから」だった。授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが、それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。初めて作った料理とも言えないようなものを、「美味しい」と言って全部食べてくれた。仕事で疲れているだろうに、家に帰ってきてから私の学校での話を聞いてくれたり、宿題を見てくれたり、学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。友達のを見て、「お団子ヘアにして欲しい、友達のお母さんならやってくれた」とわがままを言った時慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに「こんなんじゃない、お母さんに会いたい」と兄をなじってしまった。 兄はそれを聞いて「ごめん」と泣き出してしまった。あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子どもだったんだと今でも泣きそうになる。
 その兄が、1年前両親と同じように事故で突然この世を去った。兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より1才年上だった。兄はこの状態でまだ小学生の私を育ててくれたのかと思うとそれがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。兄は私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまったんだ。たくさんたくさん「ごめんなさいとありがとう」も言えないままだった。 「ちゃんと幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、兄の幸せはどこにあったのだろう。今も考えてる。もう兄に何も返すこともできないけど、兄のおかげでここまで来れた人生、恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。
 お兄ちゃん、天国で見ててね。今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。

今日のお話 −11月13日(金)−

ホセムヒカ大統領の名言

   「人生で最も大切なことは『歩き続ける』こと」

 人生で最も重要なことは「勝利すること」ではなく、

 「歩く」こと。

  歩き続けることなのです、と。

ちょっといい話

   母は他人

 私が5歳の時、両親は離婚(原因は父のDV)。私は、母親に引き取られました。
 しかし、大学の卒業旅行のためパスポートを作ろうと戸籍を取り寄せたら超びっくり。私、父親と父の前妻の子どもだった。つまり、私を引き取って育てて大学まで行かせてくれた母は、父親の後妻。つまりは全くの他人。あまりの衝撃に何も言えぬまま日々を過ごし、結婚する時にやっと母に聞いてみた。母は、あっさりと事実を認めた。私の実の母は、私が1歳の時に死去。育ての母親は、私が3歳〜5歳まで父と結婚していたのだそうだ。
 何故他人の子を引き取った?という質問には、「あの人(私の父親)の所に置いちょったら、何されるか分からん。かわいそうじゃけ、連れて来てしもた」とのこと。私自身が親となった今でも、母の情の深さには敵わない。
 母は、今血の繋がらない孫達に囲まれてとても楽しそうです。

今日のお話 −11月12日(木)−

ホセムヒカ大統領の名言

   「人生はシンプルに、自由な時間こそが大事」

スーツケースはいつも軽めで必要なものだけ。

物を持つことで人生を複雑にするより、

私には、好きなことができる自由な時間のほうが大切です。

旅をする時も荷物はなるべく最小限にして身軽にした方がいいですよね。

そうじゃないと、動きづらいしいざって時に身動きが取れなくなるから。

ちょっといい話

   子どもの目にも

 夫婦仲よくできず、子ども(当時3歳)と3人で飯食うこともほとんど無かった。
 ある日俺がたこ焼きを作って家族3人で食った。子どもも嫁もなんか久しぶりの団欒だった。みんな沢山食った。その後、子どもと風呂に入った。彼は大量に吐いた。「しんどいのか?」「風呂上がって休もうか」と俺は子どもに聞いた。子どもは「うぅん。だってとうさんが作ってくれたのを、かあさんと沢山食べて楽しかったんだ」「みんなが楽しかったから沢山食べたん。美味しかったで」3歳の子どもがこんなことを言うのかという驚きと、その頃折り合いの悪かった嫁との関係を恥じた。子どもの目にもそれが見えていたんだ。
 風呂でゲロまみれの子どもに、シャワーを浴びせながら泣いた。あまりに耐え切れず、その後子どもを抱きしめて泣きじゃくった。「ごめんな」を繰り返した。
 他の人が聞くとたわいの無い話だろけど、俺にとっては一生忘れられない話だ。

今日のお話 −11月11日(水)−

ホセムヒカ大統領の名言
   「人生で最も大事なのは『生きる時間』」

 人間のもっとも大事なものが 「活きる時間」だとしたら、

 この消費主義社会は、そのもっとも大事なものを奪っているのですよ。

 人の時間は「1日24時間」

 この資産は絶対に戻ってこないし、返ってもきません。

ちょっといい話

「そのうち」  上所 重助

 そのうちお金がたまったら
 そのうち家でも建てたら
 そのうち子どもから手が放れたら
 そのうち時間のゆとりができたら
 そのうち……
 そのうち……
 そのうち……と

 出来ない理由を
 くりかえしているうちに

 結局は何もやらなかった
 空しい人生の幕がおりて
 頭の上に淋しい墓標が立つ

 そのうち そのうち
 日が暮れる
 いまきたこの道
 かえれない

重要 11月は児童虐待防止推進月間です

11月は児童虐待防止推進月間です。文部科学大臣より全国の家庭・学校・地域の皆様に、児童虐待の根絶に向けたメッセージが寄せられていますので、ご案内させていただきます。よろしくお願いいたします。
文部科学大臣メッセージ〜児童虐待の根絶に向けて〜

今日のお話 −11月10日(火)−

ホセムヒカ大統領の名言
   「人はモノを「カネ」でなく人生という時間で買っている」

 モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。
 でも違うんだ。
 そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。
 生きていくには働かないといけない。
 でも働くだけの人生でもいけない。
 ちゃんと生きることが大切なんだ。
 たくさん買い物をした引き換えに、
 人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。
 簡素に生きていれば人は自由なんだよ

ちょっといい話

   「これでよし」と皆に 

 たった1日をどう生きていこう。俺は最近こんな事を本気で思うようになってた。俺、小さい時から両親がいなかった。兄弟いたけど、みんなバラバラ。長男と4男の俺は一緒にいたけど、次男、3男は親戚の家。次男、3男はその後結局親戚からも見捨てられその後、施設。俺と長男は祖父母にあずけられた。この祖父母が、俺にとって本当の父、母同然。小さい時から、今まで大事に育て上げてくれた。そんな祖父母も、立て続けに死んだ。まだまだ未熟な俺には本当に悲しかった。俺にとって本当のお父さん、お母さんだった。ショックだった。でも、まぁ、結婚式もひ孫の顔も見せられたんだし、よしとしよう。
 そんな矢先、今度は妻が病気になった。一生治んない病気になった。本当、俺どうしたらいいか分からなかった。俺は憎んだ。家族が居ない、家族みんなで過ごせなかった俺を大事に育ててくれた祖父母を一度に連れて行った神様を。こんな俺を大事にしてくれた妻を病気にした神様を。こんな人生に生まれさせた神様を。でも、俺も妻も愛娘2人も今のところ元気なので、よしとしよう。今では、兄弟4人、たまに会って酒飲んで喧嘩しあう仲になったので、よしとしよう。娘2人も、今のところ俺の事好きそうなので、よしとしよう。今のところ幸せなのでよしとしよう。
 こんな威張ってる俺だけど神様、お願いします。俺みたいに、家族みんながバラバラにならないように。神様、お願いします。俺みたいに、悲しい思いをしないように。神様、1日1日を家族みんなで、俺のまわりの人みんなで大切に生きていきます。神様、家族という事、父親という事、夫という事を最後まで責任とれる事を願います。最期は、笑顔で[これで、よし]とみんなに言える様に……。そんな息子であり、そんな弟であり、そんな孫であり、そんな父であり、そんな夫であり、そんな自分でありますように。

今日のお話 −11月9日(月)−

ホセムヒカ大統領の名言
   「貧しい人とは、限りない欲を持つ人のこと」

 私が思う『貧しい人』とは、
 限りない欲をもち、いくらあっても満足しない人のことだ。
 でも、私は少しのモノで満足して生きている。
 質素なだけで、貧しくはない
 戦後貧しかった日本はその貧しさから脱却するべく、
 がむしゃらになって働いて働いて 働きまくって……
 そして国としては確かに「豊か」にはなりました。

プロフィール
ウルグアイの政治家。 首都モンテビデオ郊外の貧しい家庭に生まれたムヒカ氏は、左派の過激武装組織で活動し、投獄されたこともある。2009年の大統領選挙に当選し、2015年までウルグアイの第40代大統領を務めた。大統領公邸に住まず、農園から古い愛車で出勤し、給与の多くを寄付した。12年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国際会議で「より便利で、より豊かで、私たちは幸せになったのか」などと演説し、反響を呼んだ。

ちょっといい話

   「おかげさま」 上所重助

 夏が来ると「冬がいい」と言う
 冬が来ると「夏がいい」と言う
 太ると「痩せたい」と言い
 痩せると「太りたい」と言う
 忙しいと「暇になりたい」と言い
 暇になると「忙しい方がいい」と言う
 自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い
 自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う
 
 借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
 金を持てば 古びた女房が邪魔になる
 所帯を持てば 親さえも邪魔になる
 
 衣食住は昔に比べりゃ天国だが
 上を見て不平不満の明け暮れ
 隣を見て愚痴ばかり
 
 どうして自分を見つめないのか
 静かに考えてみるがよい
 一体自分とは何なのか
 
 親のおかげ
 先生のおかげ
 世間様のおかげの固まりが自分ではないか
 つまらぬ自我妄執を捨てて
 得手勝手を慎んだら
 世の中はきっと明るくなるだろう
 
 「俺が」、「俺が」を捨てて
 「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

ちょっといい話

   中国からの留学生

 日本の大学に来て1年足らずという、20歳の中国人留学生がわが社のアルバイト募集を見てやってきた。背筋を伸ばし、日本語も上手で敬語などは日本の学生顔負けだ。好感が持てたので、その場で採用を決めた。
 私の会社は、ビルなどの掃除作業を主にやっている。採用の翌日から彼は毎日、自分で弁当を作って早朝から他の社員と一緒に働いた。ある日、市立公園の公衆トイレの洗浄作業があり、彼ともう1人の若い社員が行くことになった。アルバイトを始めて日も浅いのに、トイレ清掃は大丈夫だろうかと少し心配になったので様子を見に行った。清掃中のトイレをのぞくと、床を夢中で磨いている彼の姿が目に映った。すると、彼が顔をあげて、笑顔で「おはようございます」とあいさつしてきた。1人で日本に来て、働きながら学ぶにはつらいこともたくさんあるだろう。ましてこの日の作業はきれいな仕事ではない。それなのにこの笑顔は何だろう。そのすがすがしさに、思わず涙が出そうになった。
 「頑張ってね」と声をかけ、その場を後にしたが、黙々と作業をしていた姿を、その素晴らしい笑顔は忘れられない。(読売新聞より)

今日のお話 11月5日(木)

   萩本 欽一の名言

 自分のためだけじゃなくて、
 誰かのためにやっていると、
 途中で投げ出さないよね。
 自分のためだけだと、
 つらくなると、
 やめてしまうでしょ。
 でも、たとえば命の恩人や
 お世話になった人に
 お返しをしたいと思ったら、
 途中で投げ出せないよ。
 ぼくなんか、
 まさにそうだった。
 コメディアンの才能がない
 ってわかってたけど、
 ぼくが子どもの頃、
 借金取りに土下座して、
 泣いていた母親のことを思うと、
 途中でやめるわけにはいかなかった。
 お金持ちになって、
 家を建ててやりたいと思ったからね。

ちょっといい話

   部下の旅立ち悩みつつ応援

 それは突然の申し出だった。優秀な部下からの退職願である。理由は「したいことに一度も挑戦しないと、後悔する」。入社動機は美術関係志望だったが、法律専攻のため、配属は法務室。そのため自主的に学芸員資格を取得したり、ボランティア活動をしたりしていたようだ。しかし、たぎる思いは消せなかったらしい。
 この申し出を私は3つの人格で考えた。1つは上司。次に企業経営の視点。そして人生の先輩として。上司としては、有能であるほどつらい。経営の観点からは、将来性があればあるほど引き留めたい。だが、3番目の人生の先輩としては、「若者なら挑戦を優先させればよい」である。長岡藩家老・河井継之助の言葉だったかどうかと思うが、「進むときは人によってすすみ、退くときは自ら決す」という考え方もある。しかし、何よりもアイデンティティ(主体性の確立)を問われる今後は、自分の中に可能性を発見し、その可能性と競争して欲しい。
 不意に飛び込んできたこのテーマを、3つの人格で考えながら、若者と真剣にディスカッションした。では、何を優先するか問われたら、3番目であると答えるし、事実そのようにした。
 1月半ば、その女性はパリに旅立っていった。 (朝日新聞声欄より)

今日のお話 −11月4日(水)−

   萩本 欽一の名言

 振り返ってみると、ぼくの人生って、
 自分の思いもよらないところに
 広がっていってるんだよね。
 それはなぜかというと、
 イヤだなと思っても、完全には断らないで、
 うーん、じゃあ一回だけとか言って、
 まずはやってみたから。
 そのときには、そのイヤだなと思うことの
 いいところを探したんです。
 だいたいみんな、イヤな仕事の
 いいところは探さないんですよ。
 でも、イヤな仕事ほど、
 いいところを探したほうがいいね。

ちょっといい話

   「私の夢」 

 また笑われた。これで何度目になるだろう。笑ったやつらをひとまとめにして思いっきりけとばしてやりたい。
 そもそも、今の日本が悪いんだ。就職難だからって安定した職ばかりを求めるあまり、自分が本当にやりたいこと、本当の夢が見えていない人が多くなっている。そんな人たちを生みだしたのは、他のどこでもない、今の日本だ。おかげで友達や大人の人に将来の夢を聞かれて「世界的に有名な医者になってたくさんの人を救う。」と答えると、「フンッ。」と鼻で笑われるようになってしまったじゃないか。
 しかし、笑ったやつらの夢を聞いてみると、「まだ決まってない。」とか、「とにかく何でもいいから職につきたい。」という意見が多い。聞いて呆れる。私の夢を笑うくらいだからどんな立派な未来像を描いているのかと思ったら、何の夢や希望もないなんて。そんなの夢と言えるのだろうか?
 確かに、私は成績はよくないし、みんなから慕ってもらえるような性格でもない。あきっぽいし怒りっぽい。だけど、時代や周囲の人達に流されるような、そんな意志の弱い人間ではないと思っている。「ゆとりだから。」とか、「今の時代は就職難だから。」というのはただの言い訳にすぎない。誰に笑われようがバカにされようが、意地になってでも自分の意志を貫き通すのが、夢を叶えるための一番大切なことだと思う。私は私の夢を叶える。どんな困難が待ち受けていようとも、絶対に耐えて戦う。
 かかってこい、未来。
             (ニッケピュアハート・エッセイ大賞より)

今日のお話 −11月1日(月)−

   萩本 欽一の名言 

  僕、浅草で修行を始めたころ、
  「オマエは才能がない」
  と言われ続けていたの。
  でも、ぜんぜんめげなかったね。
  だって、チャップリンもエノケン(榎本健一)も、
  若いころは「才能がない」と
  言われていたらしいから。
  天才と呼ばれていた人よりも
  才能がないと言われていた人のほうが
  成功している。
  だから、「才能がない」と言われてむしろ
  うれしかった。
  「これで成功するための条件を
  ひとつクリアしたぞ」ってね。

ちょっといい話

   早く寝る理由(9歳)

 私は、どうして子どもは早く寝ないといけないかということを知りたい。寝る時間が少ないといろんなことがよくないといわれるけど、本当かどうかはよくわからない。大人はいつまでも起きて、テレビなど見てうらやましい。私は夜8時30分から遅くても9時までには寝る。もうちょっとテレビを見たいと思うことがある。新しい年になる日、近所で花火が上がる。2階の部屋の窓から見えるけど、夜中なので私は今まで見たことがない。だから今年は見たいなと、お母さんにずっと言い続けた。お母さんは笑って何も言わなかった。
 大晦日の夜になって、8時30分が過ぎていつもの「もう寝る時間」という言葉がなかったので、私はドキドキしながらテレビを見ていた。時々お母さんと時計をかわりばんこにチラッと見てはテレビを見ていた。でも11時過ぎに目が開いていられなくなった。もう少しがんばろうと思ったけど、お兄ちゃんが「もう限界」とギブアップしたので、私も寝てしまった。
 早く寝ないといけない理由はまだよくわからないけど、遅くまで起きていると、目も疲れて頭もボッとしてテレビが楽しめないことはよくわかった。

今日のお話 −10月30日(金)−

   萩本 欽一の名言

  人は誰しも同じ分だけ
  「運」を持ってるの。
  不運だけとか幸運だけの人生
  なんてあり得ない。
  不運の後には、
  必ず幸運がやってくる。
  だから嫌なことやつらいことがあったら、
  「ラッキー」って思わなきゃ。
  次は必ず運がまわってくるんだから。
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