最新更新日:2024/05/28 | |
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ちょっといい話
自転車に付いてるぬいぐるみ
さっきはじめて見たよ。晩ご飯の買い物に行った帰り、駐輪場で2、3歳くらいの男の子とその親(30歳くらいか?)が、自転車についてるスポンジボブのぬいぐるみみたいなのをとろうとしてる。 私は、あの親子の自転車だと思ってたら、中学生くらいの男の子が来て「その自転車、俺のやねんけど……。」と近づいてきた。 親 :「あっ……、間違えちゃった。ごめんなさい。」 中学生:「いやいやいや、間違えへんやろ。チビちゃん、これ欲しいの? (スポンジボブを指して)」 子ども:「うん。」、 中学生:「そうか。じゃぁやるわ。」 てな感じで子どもにスポンジボブのぬいぐるみみたいなんをあげた後、親に「中学生でも恥やと思うことすなや。チビがかわいそうやろ!」って一喝して自転車に乗り帰っていきました。 今日のニュースより
がんばれ かもだほいくえん
がんばれ かもだほいくえん―。高知市鴨部の鴨田保育園の玄関に20日朝、励ましのメッセージが書かれた応援旗が掛けられているのを職員が見つけた。鴨田保育園は、勤務する女性保育士が家族経由で新型コロナウイルスに感染し、19日まで休園。再開の朝に寄せられた匿名の激励に、保育士らは「うれしくて涙が出た」と話した。 見つけた職員によると、この日午前7時ごろに出勤すると、前日夕方にはなかった旗を発見。ピンク、黄色、緑、青などのフェルト生地(縦約60センチ、横約30センチ)に、子どもが書いたとみられる平仮名で、温かい励ましの言葉が並んでいた。 鴨田保育園は保育士の感染に伴い9日から休園。濃厚接触者として園児、同僚保育士人が検査を受ける事態(全て陰性)となった。感染者が心ない言動や中傷を浴びる例も相次いでいる中、職員も「最初に見えたときは『罵倒するような言葉かも』と警戒してしまった」と振り返る。 12日ぶりに園を開けたこの日は、高知市が感染防止のために各園を「原則休園」にしたため、189人の園児のうち登園したのは36人。やや寂しい園で、園長は、まだ入院中(軽症)という保育士を気遣い、「何一つ悪くないのに苦しい思いをしているはず。帰ってきたら温かく迎えよう」と職員に呼び掛けた。 不幸にして感染した人を責めることなく、みんなで励まし合って難局を乗り越えよう―。そんな願いの象徴とも言える手作りの旗。園長は「これからもずっと飾っておきます」と話している。 今日のお話 −6月16日−
金持ち父さんの名言
できないという言葉は 強い人間を弱くし 目の見える人を見えなくし 幸せな人を悲しませ 勇者を臆病者にし 天才から頭のひらめきを奪い すべての人間の心の中に住む 偉大な人間が 成し遂げられるはずのことを 小さくしてしまう。 ちょっといい話
ばあちゃんの自慢
僕のじいちゃんは、僕が23歳の時に亡くなった。じいちゃんの葬式で、ばあちゃんが涙しながら言った一言が、ずっと印象に残っている。 ばあちゃんは、じいちゃんに向かって「55年連れ添った、自慢の彼氏……。」 横で聞いていた僕は、素晴らしい一言だと感じていた。いつかそんな「自慢の彼女」に、僕も出会いたいと思った。 今日のお話 −6月15日−
金持ち父さんの名言
貧乏な人や怠け者は 成功する人より「できない」 という言葉をよく使う。 彼らが「できない」 という言葉をよく使うのは 「できる」と言うより 簡単だからだ。 「それはできない」 と言ってしまえば たとえ本当はできても やらなくてよくなるんだから。 ちょっといい話
道化師の涙行動を
昔、ある国に演技の上手い道化師がいました。その道化師が演技を始めると、どんな仏頂面の人も笑顔になりました。道化師の演技を一目見ようと近隣諸国からもくる程でした。ある日、国王が近隣諸国の来賓へのレセプションのために、その道化師と小屋の仲間を呼びました。 レセプションの当日、道化師の息子は大病を患い寝込んでいました。年をとってからできた子どもで、夫婦はとても可愛いがっていました。「今日のレセプション、断ろうか?」と道化師の夫婦が話していると、息子がベッドの中から「パパの道化師、大好きだよ。だって皆がパパを見て笑顔になるんだもん。僕は大丈夫だから皆を笑顔にしてきて!」道化師は、後ろ髪を引かれる思いでレセプション会場へ向かいました。仲間が口々に言います。「こんな日くらい、休めばよいものを。そんなに名声が大事なのか!」道化師は演技を始め、観客をわかせました。使いの者が道化師に耳打ちします。「息子さんが先程息を引き取りました。帰ってあげてください。」しかし、道化師は演技を辞めません。観客をわかせ続けます。「子どもより名声を取りやがった!」小屋の仲間は言います。道化師は演技を続け、観客をわかせ続けました。客席がざわつき始めました。「道化師が泣いてる……。」「皆を笑顔にしてきて!」、道化師は息子との最後の約束を果たすために、ステージに立ち演技を続けていたのですが、観客の子どもと息子がダブり泣いてしまいました。顔は笑っているのですが、涙が止まりません。道化師は、この時のことをを恥じて2度とステージに立ちませんでした。その後、その道化師を讃え、メイクに一筋の涙を書く様になりました。 道化師の笑顔の下には深い悲しみが隠れています。 4時間目の授業の様子今日のお話
金持ち父さんの名言
君は物の見方を 変えなくちゃだめだよ。 私が問題なんだと思っていたら 私を変えなければ解決しない。 もし自分自身が 問題なんだと気付けば 自分のことなら変えられるし 何かを学んで より賢くなることも出来る。 たいていの人が 自分以外の人間を 変えたいと思う。 でもよく覚えておくんだ。 他の誰かを変えることよりも 自分自身を変えることの方が ずっと簡単なんだ。 ちょっといい話
「変わろう」って
俺が中2の時だったかな?当時はすごく荒れてた。中2病ってこともあったとは思うんだが。窃盗、暴力…、いろんなことをやってきた。部活は野球部。荒れていたけれど、部活だけは一生懸命だった。でも顧問の先生はすごく怖かった。何度もやめそうになった。 それでも俺は続けた。なにより野球が好きだったから。 そんなある日、事件が起きた。俺は万引きで警察に捕まったんだよ。署で指紋を採ったり、事情聴取などをした。無論、警察から親に連絡をして、母が迎えに来ることになった。母が来て、母は必死に警察の人に頭を下げていた。その後親にはこっぴどく怒られた。母は口をきいてくれない。親父には殴られる。そのあと警察から学校に連絡され、俺は一週間の部活停止。顧問の先生にはもちろん怒られた。めちゃくちゃに言われた。もう終わりだと思ったよ。このまま部活を退部して、ぐれて、ろくでもない人生を送るんだと思った。それでも顧問の先生は俺を見捨てなかった。部活停止の一週間はすべてトイレ掃除だった。全学年のトイレを掃除した。顧問先生は部活には顔を出さず、その1週間、ずっと俺のトイレ掃除を手伝ってくれた。一生懸命、便器をこすってる先生を見て、俺は思ったよ。「変ろう」って。 それから俺はぐれることなく、中学、高校を卒業した。今は普通に働いて、家族もいる。今の俺があるのは、あの先生のおかげなんだよ。ありがとうございました。先生。 危険箇所における登校中のルールの変更
6月11日(木)、12日(金)に、「四季の丘」「善師野」方面の自転車通学者を対象に「危険箇所における登校中のルールの変更」の指導を行います。
善師野駅付近の踏切の前・横のT字路をスピードを出して侵入すると、車と正面衝突する可能性があります。 6月15日(月)からT字路の手前で自転車ひいて歩いて移動にします。ご協力をお願いします。 詳しくは、プリントでご確認をお願いします。 危険箇所における登校中のルールの変更について 今日のお話
金持ち父さんの名言
これから先の人生で、 君は自分よりも頭が良かったり 速く先に進めたり 金持ちだったり 力が強かったり 才能に恵まれていたりする人に 何度も出会うだろう。 そういう人がきみよりも 有利なスタートを 切っているからといって 君が競争に勝てない 訳じゃない。 自分を信じ たいていの人が やりたくないと 思うようなこともやり 毎日少しづつ前進し続ければ 人生というレースは きみのものになる。 ちょっといい話
4歳の娘がパパにあてた手紙
4歳になる娘が、字を教えてほしいと言ってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしい」って言われたんです。 こっそりと中を読んでみたら、「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」と書いてあったそうだ。 旦那は去年、交通事故で他界した。字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ……。受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。 「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。 娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。 今日のお話
金持ち父さんの名言
私は金持ちの家に生まれたわけじゃない。 学校の成績もよくなかった。 きちんと卒業した訳じゃない。 また、特に才能に恵まれたわけじゃない。 それなのに今の私が、たいていの人よりずっと金持ちでいる。 理由は簡単だ。 立ち止まらなかったからだ。 私は学ぶことも、そして人生における可能性についての 現実を広げることも決してやめなかった。 ちょっといい話
将来の夢は何ですか?
私は小さな小さな建築関係のメーカーの担当営業をしていた頃、私の担当に小さな個人商店がありました。先代の社長を亡くし、若くして社長になった社長には2人の男の子がいました。経営は苦しく、競合ひしめく地域で経験のなさも手伝い大手にお客さんをもっていかれ、みてるのも悲惨な状況の中、必死にがんばる社長の姿がありました。苦しい経営の割には支払いはよく、無理も言わず、若い私にも優しくしてくれました。「一緒に成長しような」と、いつだって前向きな社長が私も大好きで、いつもお邪魔しては商売の話やガンダムの話に花を咲かせていました。 私の会社には特別な得意先に配る野球券(東京ドーム)があり、先代の社長が健在で売り上げが好調だった時にはたまに配ったりもしていたのですが、担当営業に配分される年間シート割り当ては昨今の不況で大幅に減り、貴重な営業ツールとなっていました。ある日、「○○君頼みがあるんだけど……」と私に切り出してきて「来月、隼人の誕生日なんだけどな、野球好きなんだよな」、「この売り上げじゃもらえないと思うんだけど、頼む!」と珍しくわがままを言ってくる社長の言葉に断りきれず野球券をあげました。しかし社長はその月、故で亡くなり、野球券は仏壇に飾られることになりました。棺おけの隣に楽しみにしていた野球券がそっと置かれているのをみた時、涙がとまらなかった。数ヶ月後、会社は潰れた。 それから8年たった後、私は分不相応にも営業3課長の任を受けました。そして、2次面接の面接官をしてたとき、懐かしい声が聞こえました。「○○大学の○○隼人です。よろしくお願いします。」私には、彼が誰かすぐにわかりました。あまりに声がそっくりで 私は彼に1つだけ質問をしました。「将来の夢はなんですか?」面接で言わなくていいことを堂々と「独立して会社を興すことです。父を超えたいんです。」私は隣にいた人事部長にいいました。「僕が預かります」 彼は今年度営業戦略拡販商品のトップセールスに選ばれることになりました。会社を辞めて独立したいといった時はもう止める気はない。 今日のお話
金持ち父さんの名言
人生に一番害のある言葉は 「明日」だ。 この言葉を一番多く使うのは 貧乏な人、成功しない人 不幸な人、不健康な人なんだ。 彼らはよく 明日から投資を始めるとか 明日からダイエットを始める 明日から本を読むなどと言う。 「明日」という言葉ほど 多くの人の人生を だめにする言葉は他にない。 私が明日という言葉が 問題だと言うのは それを一度も 見たことがないからだ。 明日は存在しない。 明日は夢を見てばかりいる人 負けてばかりいる人の 頭の中だけに存在する。 今日は勝者のための言葉で 明日は敗者のための言葉だ。 ちょっといい話
誰かのために
僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。余命3か月と診断され、 彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこう言ったんです。「先生、助からないのはもう分かっています。だけど、少しだけ長生きをさせてください」彼女はその時、42歳ですからね。そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、「子どもがいる。子どもの卒業式まで生きたい。卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。9月のことでした。彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。でも私は春まで生きて子どもの卒業式を見てあげたい、と。子どものためにという思いが何かを変えたんだと思います。 奇跡は起きました。春まで生きて、卒業式に出席できた。こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば希望を持って生きている人のほうが、がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。 さらに不思議なことが起きました。彼女には2人のお子さんがいます。上の子が高校3年で、下の子が高校2年。せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕たちは思っていました。でも彼女は、余命3か月と言われてから、1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。そして、1か月ほどして亡くなりました。 彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、びっくりするような話をしてくれたんです。僕たち医師は、子どものために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、 彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」と娘さんは言いました。彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。そこで僕は、「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。 その時のことを娘さんはこのように話してくれました。「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。そのおむすびを持って、学校に行きました。久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて、切なくて、なかなか手に取ることができませんでした」 お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。でも、命は長さじゃないんですね。お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、大切なことを子どもたちにちゃんとバトンタッチした。 『致知』2012月7月号 より鎌田 實「誰かのために・・・」 子育てワンポイントアドバイス
成績「オール3」、選んでいるのは子ども自身だ!
「どうすれば成績が上がりますか」と相談されます。「成績を上げていくためには、『授業態度をきちんとする、提出物を期限内に出す、テストで一定の点数を取る』の3つのことをやればいい」と伝えています。しかし、成績を上げるためには、子どもと一緒に「どのコース(オール3なのか、オール5なのか)に所属したいか」を確認する必要があります。子どもはいつしか、自分は「このコース(オール3)」と無意識に決め、オール3の態度、勉強しかしていないからです。 このような話をすると、多くの子どもは、違うコース(オール4や5のコース)に所属したいといいます。それに対して「他のコースに所属することはできる」、そして「どのコースに所属するかを自分で決めて伝えて欲しい」と言います。ここでようやく「成績を上げるための」スタートラインに立ったことになります。その後、「それは本気か、そのコースに所属するためには、〇〇ぐらい勉強しなければならないが、わかっているか」と確認をします。これを繰り返し「はい」と言えるまで、次のステップには進めないのです。 さて、私は塾でこのように指導していますが、ご家庭では、 1 「今の成績は、自分で「予定」した通りである」と認識させる。 2 「自分でコースを変える決心をすると、成績が変わる」と伝える 3 選択したコースに所属するには、「勉強する、授業態度をしっかりする、提出物をしっかり出す」という当たり前のことをしなくてはいけない。それでもそのコースを選択するかを確認します。 そして、「現状のコースに安住するならば、決してして不平不満を漏らしてはいけない」こと、あわせて「新しいコースを選択し、努力をしていく人は必ず伸びる」ということを最後に伝えるといいと思います。 確認した後は、ご家庭ではあまり干渉せず、本人の選択を応援するといいと思います。 石田勝紀「ぐんぐん伸びる子は何が違うのか?」より 今日のお話
金持ち父さんの名言
プランは 夢に到達するための橋だ。 きみの仕事は、 夢を実現するための プランを立てること。 ただこちら側の 岸に突っ立って 向こう側のことを 夢見ているだけでは、 夢はいつまでたっても 夢のままだ。 まずプランを 実現することだ。 そうすれば夢も実現する。 □ プロフィール 金持ち父さんは、アメリカの実業家・著述家「ロバート・キヨサキ」さんの著書「金持ち父さん 貧乏父さん」シリーズに登場する架空の人物。作中では著者でもある「ロバート・キヨサキ」さんに、この世のお金の仕組みを非常にわかりやすく教えてくれる友達のお父さんという設定。また、金持ち父さんが登場する「金持ち父さん 貧乏父さん」は「20世紀最高の経済書」と賞讃されるなど、世界中で高い評価を獲得した名著としても知られています。 ちょっといい話
25年間隠していたものがある
この間の友人(新郎の方)の結婚披露宴。タイムスケジュールも最後の方、新婦の父親のスピーチ。「明子。明子が生まれてすぐ、お前のお母さんは病気で亡くなりました。お前は母の顔は写真でしか知りません。母親の声も知りません。母の愛情も知りません。片親でつらい思いもしただろう。それでも父の私に文句1つ言う事もなく、明るくて素直で思いやりのある子に育ってくれた。本当に手がかからない子だったし、よく家事もやってくれた。相手にも恵まれて、幸せになってくれてお母さんも喜んでくれてると思う。 最後にお前に謝ることがある。明子に25年間隠していたものがある。いつか嫁に行くときに見せてあげようと思ってずっと取っておいた物だ。」そして……。古ぼけたブリキみたいな箱からとりだした1本のビデオテープ。会場のセットで再生。会場ザワザワ。そこには、ベットの上で笑顔で赤ちゃんを手にする母親の姿。 そう25年前の新婦と母親。母親の笑顔のなんと神々しい事。まさに聖母の如く……。初めて見る母親の姿に、新婦どころか全員が嗚咽だったよ。とくに新婦はもう見ていられなかった。 そしてしてやったりの新婦の父。あの人だけは泣く事もなく、淡々としてたんだよなあ。 そこがまた泣けるんだけど。 今日のお話
鈴木一郎の名言・格言
手を抜いたことは一度もない やれることはすべてやってきましたし、手を抜いたことは一度もありま せん。常にやれることをやろうとした自分がいた。それに対して準備がで きた自分がいたことを誇りに思います。 |
犬山市立城東中学校
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