最新更新日:2024/06/04 | |
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北梅魂今から約950年程前、陸奥の覇者(北辺の王)安倍貞任(あべの さだとう)が率いる北の勢力は、中央の勢力に空しく破れ(前九年の合戦)、安倍一族のうち宗任がとらわれ都(京都)に移されました。季節は梅の咲く春の頃のことでした。 中央(朝廷)の役人(大宮人)がたまたま梅の花を見せ、何の花かと問いました。それにはきっと北の者は梅の花など知らないだろうと、さげすみの意図もあったことでしょう。 宗任(むねとう)はそれには答えず、和歌で返しました。 わが国の 梅の花とは見たれども 大宮人は 何というらん 東北の人たちを文化程度の低いただの乱暴者とあざけり笑っていたのが、時の中央の役人たちでした。しかしわけもなく三十一文字で即座に切り返した宗任の行いには、少なからず驚いたことでしょう。 当時北の文化がいかに高かったか。そして一族が敗北の憂き目にあい、囚われの身となったとしても、反骨の精神と誇り高き尊厳を備えもつ生き方は北の者だけのことではなく、現在にいたるまで広く人間的な共感を呼びます。 厨川中学校の校章の梅の花は、この由来にちなんで作られました。私たち厨中の学区はかつて前九年の合戦が展開された所です。ここに暮らす私たちは、この誇り高い生き方を「北梅魂」として活かしていき、北の地の高い文化の継承を決意するものです。 |
盛岡市立厨川中学校
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