給食での死亡事故に思う

先日小学5年生の女児が給食のチヂミをおかわりして、アナフィラキシーショックで亡くなるという痛ましい事件が起きました。たまたま私の知り合いにその学校の保護者がいて、学校から保護者への説明の内容をかいつまんで教えていただけました。感じたことを少し述べたいと思います。

報道では3時間後に死亡となっていますが、実際はお子さんが不調を訴えたのが13時24分、校長がエピペン(アナフィラキシーに対する緊急補助治療に使用される医薬品で、使用者は患者本人か患者が未成年の場合は説明済みの保護者であるが、必要に応じて救命士、保育士、教師も使用可能)を注射したのが13時35分、13時40分の救急車到着後すぐに心肺停止が確認されているので、あっという間のことだったようです。

マスコミの論調は担任がチェックを怠ったことが原因ということでしたが、実際には不幸な偶然が重なったようです。

「これおかわりして大丈夫な食べ物か?」と担任は女児に聞き、女児といっしょに「親の作った献立表」でアレルギー物質の含まれている食事か確認したそうです(このとき、栄養士の作った献立表の確認はしなかった)。
女児は「お母さんの作ったリストに、マーカーが引いてないから大丈夫」と言ったそうです。急変後に担任はエピペンを打とうとしたのに、女児自身が「違う、打たないで」と言ったとも。

だから母親の責任だというつもりはありません。そんなことを言われなくても、母親は自分を責め続けるでしょう。担任もあのとき栄養士の作った献立表を再度確認しておけば、女児の訴えを聞かずにエピペンを打っておればと悔やんでいるはずです。除去食の受け渡しの担当者は、チヂミにはチーズが入っていて、除去食はチーズを抜いてあることを説明しておけばと・・・。多くの関係者がそれぞれに苦しんでいることでしょう。そして、目の前で友だちが死んでいくのを見ることになった子どもたちの心の傷はどれほどでしょうか。誰が悪いとかいう問題ではなく、事故は多くの人を不幸にします。

たまたまが重なって事故は起こるものです。ミスを起こさないようにすることも大切ですが、ミスは起こるものだという前提で最悪の事態を回避できるような体制をつくることが大切です。ミスは起きない「だろう」ではなく、起きる「かもしれない」と考えなければなりません。
事故が起きるたびに責任の所在が追及されます。誰かを悪者にしなければ悲しみや怒りの行き場がなくなることもわかります。法的な問題もあるでしょう。しかし、責任ではなく原因を追究することにより多くのエネルギーを割いてほしいと思います。そして、このような悲しい事故が2度と起きないような対策を取ることを最優先することを願います。もちろん子どもたちの心のケアはそれ以上に大切ですが。

女児の冥福と、保護者、子どもたち、担任をはじめ関係者の方々の心の傷が一刻も早く癒えることを心からお祈りします。

試験後の学習を考える

冬休みが明けて課題試験を実施している中学校も多いと思います。子どもたちが休み期間中に学習をするための動機づけとしているように思います。しかし、試験が終わってその結果を見て、よくできた、ダメだった次は頑張ろうといった思いを持つだけで、その結果が学習に反映されていないように感じます。私は、試験が終わったあとこそ学習をすべき時だと思っています。

試験は評価のためにおこなうものでもあります。評価ですから、何が目標に到達できていないかがわかるはずです。目標が達成できていなければ、達成させなければならないはずです。ところがせいぜい試験の直しをさせるくらいで、本当に目標を達成させるまでは学習をさせることはなかなかできていません。授業は先に進んでいかなければいけないので授業中にやり直しをしている時間はありません。結局、子どもたちは試験が終わって結果に一喜一憂して終わってしまうのです。

試験の結果をもとに子どもたちが学習をし直すための仕掛けをつくる必要があると思います。
私は、絶対的な目標を設定して試験をおこないました。その目標に達しなければ再度類題で試験をおこないます。担任にも協力いただき全員が合格できるまで週に一度くらいの頻度で授業後に試験をおこない続けました。子どもたちには負担だったと思います。時には次の試験までに全員が合格しないこともありました。しかし、特に積み重ねの必要な教科では、基本となることが定着していなければいくらその次に頑張ろうとしてもできるようにはなりません。連続性のある単元であれば、この試験に合格しようと学習を続けたことが、今授業で学習していることの理解を助けてくれることもあります。先に進むことよりも立ち止まって定着させることのほうが大切なこともあるのです。同じことを単元でこれだけは絶対定着させなければいけない基本事項に絞って小テストでもおこなってきました。
全教科で同じことをすれば子どもたちの負担は大きくなりすぎますし、教科特性もありますからどの教科でも有効だとは思いません。しかし、学校全体で目標達成を意識して試験後に子どもたちにどう学習させるかを考えることは必要だと思います。

学校での試験は、入学試験のような子どもたちを選別するものではないはずです。試験をして単元の学習が完結するのではなく、試験から再度学習が始まるという発想も大切にしてほしいと思います。

今年のアドバイスの方針

管理職の方から年賀状でいただいたメッセージに、若手の育成に関するコメントが多く見られました。現場に共通する課題です。私にとっても大きな課題ですが、即効性のあるうまい方法がないというのが実情です。今年は再度原点に立ち返って、次のようなことをていねいにおこなっていきたいと考えています。

・目指す子どもの姿を共有する
研究指定校などでは、管理職や研究のリーダとは子どもの姿について共有をするように努めています。そこで共有できると、学校全体と共有できたような気がして、個々の先生としっかり確認しないままアドバイスをしてしまうことがあります。一人ひとりの見たい子どもの姿をできるだけ具体的かつ詳細に聞き、しっかりと共有することから始めることを徹底したいと思います。

・人間関係をつくることを意識してもらう
授業が成立する基本は内容以前に子どもとの人間関係です。子どもの言葉をうなずきながらしっかり聞く、子どもをポジティブに評価する、こういう姿勢の大切さや子どもの言葉を活かすことをしっかりと伝えたいと思います。教師がしゃべりすぎないように気をつけ、子どもの言葉をつなぐことで、友だちの話をしっかり聞く姿勢をつくることが、子ども同士の人間関係をつくることにつながっていきます。ここまで意識してもらうことを目指したいと思います。

・子どもを見ることを具体化する
子どもを見るということはどの先生も大切にしていますが、何を見るか・見ているかは実は一人ひとり大きく異なっています。一緒に授業を見ながら子どもの姿から何がわかるかを伝える。授業の具体的な場面での子どもの姿がどうであったかを伝えて、それはどういうことか一緒に考える。このような機会をたくさん設けて、子どもを見る視点を増やし、自分の授業での子どもの姿をより意識して見るようになってもらえるようにしたいと思います。

・教科書の内容・意図を読み取ることを意識してもらう
経験が少ない先生へのアドバイスは、教科内容以前の授業技術や子どもとのかかわり方で終わってしまうことが多くなります。しかし、もう一つの軸となる教科内容を後回しにしていると、子どもはとてもよい状態で授業を受けているのに学力がつかないということになってしまいます。教科書は授業で押さえるべきこと、子どもたちに考えさせたいことを意識してつくられています。表面的に理解するのではなく、なぜこのような例や素材を用いているのか、なぜこのような課題になっているのか、なぜあえてこのような表現をしているのかといった、教科書の記述や内容にこだわることが大切です。教科書の内容・意図を読み取ることを常に意識することで、自然に授業のポイントが押さえられるようになります。教科内容についてのアドバイスは、授業の具体的な場面で教科書の記述をもとに一緒に考えることで、教科書の内容・意図を読み取ることを意識してもらえるようにしたいと思います。

教師が育つためにはたくさんのことが必要です。今年もたくさんの方へアドバイスする機会をいただけそうですが、まずはこの4つのことを大切にしたいと思っています。
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