「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の準備で当事者意識を考える

愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」まで、あと1週間を切りました(申込み受付は終了しています)。おかげさまで定員を上回る申込みをいただいて、うれしく思うと同時にこれだけの皆様の期待を裏切るわけにはいかないというプレッシャーも高まっています。そんな中、先週末は最終確認や補足の連絡がたくさんありました。

こういった確認や連絡はほとんどメーリングリストだけでおこなわれています。忙しいメンバーなので直接会って話し合う時間を取ることはとても難しいため、この方法はとても有効です。当日皆様にお配りする資料は60ページもあるとても内容の濃いものですが、この冊子の最終チェックの依頼がメーリングリストに流れました。どうでしょう、「チェックしてください」という依頼があった時、自分の原稿をチェックして、あとはざっと全体を見て気になることがないかを見るのがせいぜいではないでしょうか。メンバーがたくさんいるのですから、自分の仕事(領分だけ)をすればいいという感覚になるのが普通です。また、原稿を書いていない者は直接顔を合わせての会議でもないのですから、見もしないかもしれません。「みんなの仕事≠自分の仕事」になるのです。しかし、愛される学校づくり研究会のメンバーには自分の原稿以外も細かいところまで読んで指摘してくださる方がいます。今回は原稿を書いていない方もしっかりと読み込んでチェックをしてくれます。これは自分の仕事だという、当事者意識があるのです。とても大切なことです。
これは学校でも同じことです。うまく回っている学校ではこの当事者意識が教員全体に必ずあるのです。それぞれが自分の役割をきちんとこなす。組織としてそれは大事なことです。しかし、それだけでは足りないのです。行事でも自分の係だけこなせばいいという人ばかりで、違った視点からのフォローがなければ思わぬところでほころびが出てきます。

では、当事者意識のあるなしは個人の資質の問題なのでしょうか。もちろんその要素は否定しません。しかし、それだけではないと思います。今回の冊子の例であれば、フォーラムの成功が研究会のメンバー個人にとってのよろこび、達成感に直結しているからです。たとえば、パネルディスカッションの事前検討(「愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」の事前検討会参照)では、登壇しないメンバーも聴衆役を通じて意見を述べる機会があります。自分たちがフォーラムづくりにかかわっているという意識を持っていただけます。参加された方に満足してもらうことが自分たちの満足につながる、その手ごたえを自分のものとして感じられる、そういう仕組みが会の中にあるのです。
これを学校に置き換えてみましょう。たとえば行事であれば、成功することが教員一人ひとりの満足・達成感にどうつながるかが問題なのです。それは、行事を学級経営にどう活かすか、成功することが学級にどのようなよい変化をもたらすのか、といったことが明確になっていると言ってもよいでしょう。このことを具体的に伝え合う、共有化していることが教員一人ひとりの当事者意識につながるのだと思います。

フォーラムに向けて研究会のメーリングリストに様々な情報が流れています。みんなで少しでもよいフォーラムにしようと頑張っています。当日壇上に立つ以外のメンバーもフォーラムづくりに積極的に参加しています。スタッフとしてお手伝いいただいている企業の方も損得抜きで取り組んでいただいています。当事者意識のある多くの人の力でつくられているフォーラムです。当日の参加者にとって満足いただけるものになると信じています。
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