若手の授業でいろいろ考える(その2)

昨日の日記の続きです。

5年生は社会の授業で情報を扱ったものでした。
情報に関する授業は、何を考えさせる、どんな力をつけるといったことが、先生方自身がまだよくわかっていないところがあります。最初の課題が、「商品の情報にはどんなものがある?」というものでした。思いつくものを言わせるのですが、「情報」という言葉が定義できていません。授業者自身が「メディア」と「情報」を混乱していました。ポスターを例に挙げましたが、これはメディアです。メディアを挙げさせたいのなら、「商品の情報は、どんなもので知ることができる?」にすべきです。
子どもたちからはいろいろなレベルのものが出てきます。授業者は笑顔で子どもの発言を受け止めます。子どもたちの表情から、先生に聞いてもらえることをうれしく思っているのが伝わります。子どもたちから出たものをどのように整理していくかについては、あまり考えていなかったようです。TVという発言は「コマーシャル」とまとめました。しかし、ラジオはラジオのまま扱います。新聞、ちらし、看板、広告、インターネット、言葉が整理されないまま進んでいきます。
ここで、インターネットの広告を実際にスクリーンに映して見せます。検索サイトの画面を見せて、広告を探させますが画面が小さいのでよくわかりません。電子黒板でなくてもブラウザーの拡大機能をつかって拡大したい場面でした。ICTを活用する時は、こういうところにも気をつけたいものです。また、PCがプロジェクタの下の方にセッティングされていたので、操作をしている時に子どもたちの方を見ることができませんでした。それほど高いものではないので、自腹でもワイヤレスマウスを用意するとよいと思います。

子どもにどんどん発言させますが、つねに子どもと1対1の関係です。他の子どもにつなぐことはしません。子どもから出たものを板書するので、中には写している子どももいます。友だちの考えを聞く姿勢を育てることを意識する必要があります。
「携帯に届く」という発言をした子どもがいます。授業者は、最初何を言っているのか理解できませんでした。しかし、子どもとやり取りをしながら、携帯メールによるDMだとわかりました。発言者とやり取りして、本人に言葉を足させていくのはよいことなのですが、どうしても2人だけの世界に入ってしまいがちです。途中で、「○○さんの言っていること、どういうことかわかった」「だれか、説明を足してくれる」と他の子どもも参加させることを考える必要があります。DMの実物を用意していて、子どもに見せます。子どもたちからおもしろい意見も出ます。「TVでコマーシャルと違う・・・」とうまく説明できませんが、タイアップや、情報番組での紹介のことを言っているようです。授業者この他にもいろいろなメディアの例を見せていきます。最後に、「ここまで書きましょう」と板書を写させました。

ここで、この課題の位置づけがよくわからなくなりました。メディアをいろいろと挙げることで、子どもたちに興味づけをしたいのか、メディアの特性を考えさせたいのかどちらだったのでしょうか。前者であれば、あまり時間をかけずに、どんどん出して早く本題に入るべきでしょう。後者であれば、ただやみくもに取り上げるのではなく、そのメディアの特徴、不特定多数対象か、直接個人に届くのかといったことを整理する必要があります。少なくとも、TV、ラジオ、インターネットといったメディアと、広告、口コミといった情報の質・内容・目的を別の軸とすべきでしょう。(とはいえ、5年生では、少し難しいかもしれません)

続いて、この日の主となる課題が提示されます。「情報とどうつきあうか」です。ここでTVのCMを複数見せます。子どもたちは楽しそうにコマーシャルを見ます。何かを考えているわけではありません。こういう時間にあまり意味はありません。この後、何か聞いても漫然と見ているので、答えられないからです。授業者は、もう1度見せるというのです。ちょっと驚きました。今度は「どんな工夫をしているかよく見て」というのです。なるほど、とりあえず見せることで満足させてから、もう1度真剣に見させようという訳です。確かに2度目は子どもたちの姿勢が違っています。しかし、2回見せるにしても、できれば1度目から課題を意識して見させたいところです。発表を聞いて自分の気づけなかったことがあった時、あれそうだっけと思い出せないことがあります。また、気づかなかった視点を得られることもあります。そこで、もう1度見せることで、「確かにそうだ」と納得できたり、新しい視点で見ることで別の気づきがあったりするのです。子どもたちが得る情報量がぐっと増えるのです。

「どんな工夫をしているか」という問いは、実は不完全なものです。工夫は何か目的があってするものです。「工夫」は「目的」と対になっているはずです。その「目的」が明確になっていないのです。この場合、授業の展開は大きく2つ考えられます。1つは、まず「何のためにCMを流すのか」を先に考える。もう1つは、工夫から「何を目的にしているのか」を考えるというものです。授業者は後者の考えを取ったようです。
子どもたちから、「音楽」「出演者」「演出」などの事実が挙げられます。大切なのは、これらと「CMの目的」=「送り手の意図」と結びつけることです。続いての発問は、「どんないいことがある」です。子どもからは、「わかりやすい」「印象に残る」「(タレントだと)信頼できる」といった意見が出てきます。とても大切な場面なのですが、残念なことに友だちの発言をしっかり聞いている子どもは半分くらいです。発言が終わるとすぐに手が挙がります。自分の意見と違うとわかれば発言の機会がまだあるので、指名されたいと勢いよく挙手するのです。「わかりやすいってどういうこと」「わかりやすくするための工夫は他にない」というように、子どもの意見をつなげる工夫が必要です。

「CMを見てどんな風に思うか」が最後の発問です。子どもは「おいしそうだから食べたくなる」「買いたくなる」といったことを言ってくれます。しかし、授業者はそういった意見を発表させるだけで、授業のねらいに向かって深めていきません。というか、授業者自身ねらいがはっきりしなくなっていたように感じます。子どもたちがCMから感じたことと、送り手の意図をつなげていかなければなりません。ここで、面白い意見が出ました。「CMでやっているのは食べない。そんなのは、売れていないから売ろうとして宣伝しているだけだ」という、送り手の意図を意識した意見が出ました。それに対して、「CMで紹介するのは新製品だから、そんなことはない」と座ったまま反論します。この対立を取り上げて考えさせれば、授業のねらいにつながっていきます。一部で議論するのではなく、全体でしっかり話し合うべき場面です。しかし、時間があまり残っていないこともあり、授業者はこのことを取り上げませんでした。とても残念でした。こうなると最初の課題で時間を使いすぎたことが悔やまれます。結局1つ1つの活動や発問がつながらないままに終わってしまいました。本時の目的である、情報とのつきあい方については何も考えることはできませんでした。

情報には「送り手」と「受け手」があります。情報の先には常に人がいます。情報を単独でとらえるのではなく、その先にいる人の意図を考えることが大切です。CMを見せて工夫を考えるのも、工夫の先に送り手の意図があるからです。今回の授業は「どんないいことがある」「どんな風に思う」と工夫と受け手の関係は扱いましたが、送り手の意図との関係は扱えませんでした。情報に隠れて見えにくい送り手の意図を考えることがより大切だったのではないかと思います。

授業者は笑顔を絶やさず、子ども一人ひとりを大切にしています。こどもたちの笑顔がたくさんあった授業でした。一方、子ども同士のかかわり合いはあまり見ることができませんでした。子どもたちの関係が悪いわけではありません。そのような場面をつくればちゃんとできる子どもたちです。まずは、1問1答をできるだけ避け、教師が意図的に子ども同士をつなぐことから始めてほしいと思います。素直に聞く耳を持っている先生です。これからも、どんどん伸びていくことと期待しています。

3人の若手の授業は、本当にたくさんのことを考えるきっかけを与えてくれました。先生方の可能性と同時に子どもたちの可能性を感じる場面がたくさんありました。子どもたちの可能性を引き出すのが先生の仕事です。先生が成長することで、子どもたちも成長するのです。これは、私にも言えることです。私自身の成長が、先生方の成長につながっていくはずです。先生方の成長のお手伝いを通じて、先生だけでなく子どもたちの成長にもかかわれることの喜びとともに、その責任の重さをあらためて感じました。よい振り返りの機会をいただいたことを感謝します。また機会があれば、ぜひ先生方の成長を見たいと願っています。

若手の授業でいろいろ考える(その1)(長文)

昨日の日記の続きです。若手の授業は考えることがとても多いものでした。

3年生の算数の授業は、表とグラフの単元で、表を使って見やすく整理する場面でした。
ワークシートを配布しますが、その前に指示を出しません。すると子どもがワークシートに関して質問します。授業者はその子どもに直接答えます。こういうやり取りが授業中に何度かありました。前回見た時も気になったのですが、その理由がわかりました。子どもが「ワークシートは片づけるのか」という質問をする場面が2回ありました。1回目は「まだ使うから、そのままでいい」、2回目は「もう使わないから片付けてでした」。そうです、1回目は指示を出す必要がないから出さないのだと思ったのですが、片づける指示を出すべき2回目も出していなかったということは、こういった指示を出さない、または出し忘れるということです。指示を出さないことを子どもたちが知っているので、先回りして聞いていたのです。このことから、授業者が、授業での指示や発問、展開に関してあまり深く考えていないことがわかります。

この日の課題は、ワークシート上のカードに書かれた参加したいスポーツの集計をすることです。子どもたちに集計するにあたって気づいたことを発言させますが、数人しか挙手しません。また、友だちの発言を聞こうともしません。特定の子どもばかりが発言します。発言した子どもも、発言したことで満足して、発言が終わると集中力を失くします。ところが、問題文を読むといった、だれでもできることには勢いよくたくさんの手が挙がります。子どもたちは、間違えるリスクのあることには手を出さないのです。
授業者は都合のよい意見を取り上げて、結局自分で説明をします。というより、やり方の指示をするのです。「正」を使って数えることを教えます。なぜ「正」の字かを問いかけ、「5画」を引き出しましたが、なぜ5がよいのかの確認はしません。1年生でやった、5とびで数えるといったこととつなげませんでした。私たちが活用している10進表記と、10の約数である2と5の関係を押さえておきたいところです。

続いて、表を作って「正」を使って各スポーツの欄を埋めるように指示をします。子どもたちは実に様々なやり方をしていました。スポーツごとに数えてその数をわざわざ「正」を使って書いている子どもがたくさんいます。「正」を使うのはかえってムダです。しかし、「正」を使うという指示に従っているのです。「何のために工夫するのか」という整理する目的が明確になっていないのです。数えたカードをチェックしている子どもとチェックしていない子どもがいます。スポーツごとに色分けしてチェックしている子どももいます。この時間で教えたかった、1枚ずつそこに書かれているスポーツをチェックして、表の欄に「正」の字を書いて集計している子どもはほとんどいませんでした。
この活動に当たっては、「正確に」「速く」集計するという目的を明確にしておくことが必要です。また、実際にカードを作って集計する。黒板に付箋紙を貼って考えるといった工夫もほしいところです。目指す考えを引き出すための発問や手立てといったものが明確なっていませんでした。

スポーツごとに1人ずつ指名して、黒板の表に「正」を使って結果を書かせます。結果の確認は必要ですが、大切なのはその過程です。わざわざ時間を使って書かせる意味はありません。そもそもこの発表の仕方が、スポーツごとに数えるという方法へのミスリードになっています。数を確認した後、どんな工夫をしたかを聞きます。子どもからは、数えた終わったカードをチェックすることが出てきます。ここでどのようにチェックをしたか確認しますが、出てきたのはスポーツごとにチェックをするというものです。同じようにやった子どもを挙手させたところ、半分ほどでした。授業者はチェックが大切だとまとめ、次に進んでしまいました。残りの子どもはチェックしなかったのでしょうか。それとも、違うやり方でチェックをしたのでしょうか。結局、「正」の本来の使い方は取り上げられませんでした。集計した結果が出ただけで、子どもたちのいろいろなやり方はまったく取り上げられず、当然その評価もされません。作業することが算数の活動になっています。算数本来の考える活動が微塵もないのです。1時間かけて学習すべきところなのに、時間が余って当然です。

本来学習すべき「正」の使い方をきちんと押えなかった、子どもたちに考えることをさせなかったことも問題なのですが、一番の問題は子どもたちを見ていない、見ようとしていないことです。たとえ教材研究が不十分でも、子どもたちの作業の様子を見て、子どもたちの考えを把握すれば、それを取り上げることで必然的に考える場面ができます。しかし、授業者は子どもたちの手元をろくに見ようともしなかったのです。
このことに関連して気になる場面がありました。他の子どもが指名されて問題文を読んでいる場面で、授業者の顔がちょうど自分に向いた時に、わざわざ髪の毛をいじる子どもがいるのです。それも後ろから大きくかき上げて、頭の上に持ち上げて目立つようにしているのです。これは、私は「退屈しているよ。先生わかって」というメッセージのように思います。同じように髪の毛をいじる子どもが何人かいます。どの子もよくできる子どものようです。授業後確認したのですが、授業者は子どもが髪の毛をかき上げたことに気づいていませんでした。目線は子どもの方を向いていても、見えていなかったということです。子どもの訴えは届いていなかったのです。

授業者へのアドバイスは、授業についてはあえて何も触れませんでした。子どもたち一人ひとりを見ることとはどういうことかを理解してもらうことに専念しました。私の言葉が届いたかどうかはわかりませんが、子どもたち一人ひとりのよいところ、どうなってほしいかといったことを書き出すようにお願いしました。申し訳ないですが、教務主任にフォローをお願いすることになりました。
「子どもを見る」ということの大切さはよく言われますが、具体的にどうすることかを伝えることのむずかしさを改めて感じました。

4年生の音楽の授業は、日ごろは特別支援の担当している先生です。
この日は「ゆかいに歩けば」の歌い方を考える場面でした。前時の復習で、CDの歌い方の特徴を子どもたちに確認します。子どもが発言した後、授業者がその言葉を板書してくれるので、子どもたちはあまり友だちの発言に集中しません。「同じように思った人いる」と子ども同士をつなぐ言葉を入れてから板書するだけでも違ってくるのではないかと思います。子どもからは、「楽しそう」「ゆかいな感じ」といった、前半部分の特徴がでてきます。ここで、他にはないかと、CDを聴かせます。聴きながら体を揺らしている子どもがいました。音楽を楽しんでいる様子が伝わってきます。子どもたちがよく集中しています。こういうよい姿は、ほめておきたいところです。
指名されて一生懸命に説明するのですが、うまく伝えられない子どもがいました。授業者は、笑顔でしっかりと受け止め、聞き返します。子どもたち一人ひとりの発言を大事にしようとする姿勢が伝わります。しかし、その間まわりの子どもの集中力は落ちてしまいます。2人の世界に入ってしまうからです。こういう場合、「○○さんの言いたいことわかる?」とまわりの子どもを巻き込むようにするとよいでしょう。

子どもたちは、後半の滑らかな歌い方になかなか着目できませんでした。曲の部分ごとで歌い方が違うという意識があまりありません。どうしても、前半部分の印象が強いようです。授業は前半部分、後半部分、それぞれの歌い方を工夫するという流れです。このことも考えると、最初の復習場面で出てきた意見に対して、「みんなが言ってくれたのは、曲のどの部分?」と発問するとよかったかもしれません。前半部分であることが出てくれば、「じゃあ、そうでないところ(後半)は、どんな風に歌っている?」と問うことで、子どもたちが気づいてくれたと思います。どの部分かを意識することで、この後の展開も楽になったはずです。

歌い方を「楽譜が教えてくれる」と楽譜に引き付けます。どんなことが楽譜に書いてあるか探させます。子どもたちは「スタッカート」があることに気づきました。授業者はCDの歌い方からその意味を子どもに想像させようとしたのですが、指名された子どもは教科書に説明が書いてあるのでそこから答えました。この日は時間割の変更があったため、教科書のコピーを使っていました。であれば、説明の部分をカットして印刷してもよかったかもしれません。また、拡大コピーを黒板に貼っていたので、教科書(コピー)を見ないで、黒板に注目させて考えさせるという方法もあります。
後半部分の「タイ」も同様に確認しました。前に出て発表した子どもに授業者は「ありがとう」と言って席に戻しました。その子どもはとてもうれしそうに席につきました。ちょっとした一言ですが、大切なことです。前回見た授業以上に子どもたちの表情が明るく、集中が続いていたのは、こんなところにも秘密があるのかもしれません。

この日の主の課題である、それぞれの部分の歌い方を考えるのに、「どのような感じを伝える」「どう歌う」という2つのことをワークシートに書かせました。しかし、子どもたちはこの違いをうまく表現できません。「どう歌う」を具体的な表現方法で表わせないのです。「元気よく」という感じは「元気よく」としか歌えないのです。
書き終った後、ペアで聞き合います。互いに「どのような感じを伝える」を相手に伝えてから歌い、よかったところを聞き合います。子どもたちはペアの活動に前向きです。とても楽しそうにしています。この授業に限らず、学級担任の授業でもペア活動をうまく取り入れていることがよくわかりました。しかし、なかなか歌いだせません。ペアごとにばらばらだと歌いにくいのです。そこで、CDをかけてそれに合わせて歌うことにしました。今度は、しっかり歌えました。
子どもたちの評価は、最初にねらっているところを伝えているので、どうしてもそれに引きずられます。評価の後に、どのような感じが伝わることをねらっていたかを言った方がよかったかもしれません。

さて、この「どう歌う」を具体的な表現方法、「大きな声」「歯切れよく」といったものに変えるためにはどのようにすればよいのでしょうか。
1つは、「歌を聞いて感じること」に対して、「どういう歌い方でそう感じるのか」ということを日ごろから問いかけるという方法があります。「明るい」に対して「声が大きい」「音の区切りをはっきりさせる」というようなことを引き出すのです。音楽的な表現の具体的な方法をできるだけたくさん身につけさせておくという訳です。
また、今回のペア活動であれば、「どのような感じを伝える」だけを書かせて、それが伝わるように意識して歌わせてもよかったかもしれません。「どんな歌い方をしていたか」を評価することで、歌い方を客観視するのを聞き手の仕事にするのです。その上で、どんな感じを伝えたかったかを聞き、歌い方と感じることの関係を互いに確かめ合うことで、具体的な表現方法と結びつくようにします。実際にはすべてのペアで上手くいくわけではありませんので、全体で発表させ、具体的な表現方法を評価することで共有していくことが必要になります。

前回の訪問時に指摘したことを素直に取り入れようとしていたことをとてもうれしく思いました。子どもたちがとても積極的に取り組んでいることと、集中力が最後まで切れなかったことが印象的でした。子どもたちに活動を止めて授業者に集中するように指示する場面で、早い子どもをほめて行動をうながすと、すぐに子どもたちは顔をあげました。授業者が「子どもたちの個々の問題をつぶしてもきりがない、それよりもできていることをほめるようにすると、驚くほど子どもたちがちゃんとやってくれる」と言ってくれましたが、そのことを裏付ける場面でした。短期間に大きく成長していました。新しいことに挑戦してくれたので、わたしも音楽の授業についてたくさんのことを考え、学ぶことができました。今後の成長がますます楽しみになってきました。

長文になってしまいましたので、最後の一人の授業については明日の日記で。

先生方の意識の変化を感じる

先週、小中一貫校の現職教育に参加しました。この日は小学校で全学年の授業を参加しました。特に若手3人の授業はそれぞれ1時間ずつしっかり見せていただきました。

今回驚いたのが、前回訪問時と比べて先生方の意識に変化が見られたことでした。明らかに、子どもを受容しようとする姿勢が強くなっているのを感じました。子どもたちのどんな発言もしっかり受け止めようとしていました。ただ、挙手した子どもしか指名しないので、ノートにちゃんと考えを書けている子どもでも挙手しなければ指名されません。子どもたちは挙手して指名されることに対してリスクを取っているように感じます。先生方は子どもの発言を受容するのですが、評価をしません。正解かどうかではなく、どのようなよい点があったかの価値づけがされないのです。子どもにとっては、発表してもあまりいいことはありません。しかし、間違えたら恥をかきます。リスクしかないのです。子どもの発言を価値づけする。発言がたとえ間違いでも友だちの考えとつなぎ、自分で間違いを修正させる。このようなことを意識し、子どもたちに、発表すれば最後は必ずポジティブな評価で終わると思わせたいのです。
子どもの発言に対して、それを受けて教師がすぐに説明する傾向があります。そのため、子どもたちは、友だちの意見を真剣に聞こうとはしません。友だちの意見を聞く意味がないからです。「今の意見どう?」「○○さんの考え、もう一度説明してくれる」と他の子どもにつなぐことを意識してほしいと思います。

この日はたまたま算数の授業が多かったのですが、板書や図の見せ方などの工夫に対して、発問や、授業の展開に関する教材研究がまだ甘いと思いました。例えば、

九九を使った1桁のかけ算から、1桁×2桁のかけ算へのつなぎであれば、かける数が1増えればかけられる数だけ増えることを押さえておく。九九の表の性質を使うのなら、表の性質を予め復習しておく。このような、子どもが考えるための足場をつくっておく。

真分数と仮分数の性質で、分子と分母の大小関係に注目させるのであれば、真分数と仮分数
が、数直線のどこに現れるかを押さえる。同じ分母であれば分子が大きい方が大きい。1がn/nであることと合わせて、分子と分母の大小関係につなげていく。こういうスモールステップの展開を考えておく。

こんなことが必要だと感じました。

若手以外の授業はすべて算数でした。
1年生の担任の先生の授業は最初しか見ることができませんでしたが、見事な授業規律でした。遅刻してきた子どもに対しても、状況をきちんと聞いて受け止めています。以前は厳しくしつけていると感じたのですが、今は子どものできたことを認めながら規律を作っているようです。温かい雰囲気を感じました。指示に対する子どもの動きがとても速いことが印象的でした。是非皆さんに参考にしてほしいと思う姿でした。
100までの数の数え方を復習します。10とび、5とびと全体で数えていきました。ここで、ちょっと不安な子どもを指名して2とびを言わせます。こういう場面では他の子どもの集中が切れやすいのですが、一つ数えると続いて全員に言わせることで、子どもたちの集中を切らしませんでした。なかなか見事です。ただ1点残念だったのが、98の次がなかなか言えないときの対応でした。「助けてあげて」と他の子どもを指名し、発表させて全体で確認しました。ここは、全体で確認する前に、最初の子どもに「どう?」と聞いて、自分で言わせたかったところです。「助ける」時は、「まわりの人、助けてくれる」として本人が直接教えてもらうようにするとよいでしょう。本人が教えてもらって発言することで、初めて「助けられた」ことになるのです。「助けてくれてありがとう」「助けてもらってよかったね」と評価することも忘れないでほしいところです。
私が以前の現職教育で全体に話したことで、自分が使えそうだと思ったことは積極的に取り入れてくれています。素直で前向きな方なのでしょう。これからもどんどん伸びていかれることと期待します。

2年生の担任の先生は、子どもたちの言葉をていねいに拾っています。課題の提示にも気を配っています。子どもたちとの関係もとてもよさそうに見えました。子どもをしっかりと受容しているように思います。
この授業では、子どもからいろいろな考えを引き出したいと考えていたようでした。このこと自体はとてもよいことですが、まず基本となる考えを全員が見つけられことを優先してほしいと思いました。いろいろな考えが同じレベルででてくると、子どもたちが混乱しやすいからです。そのためには、必要な知識や既習事項を課題に入る前に、しっかりと整理しておいて子どもたち意識させることが大切です。ヒントといった言葉を使わずに、子どもたちが自然と意識できるようにしたいところです。

4年生の担任の先生は、数直線を大きく示して、とてもわかりやすく黒板を使っていました。用語の定義もしっかりと教えていました。用語は考えることではなく教えることです。定着させることを意識していることがよくわかりました。
他の時間にこの学級でおこなった若手の音楽の授業で、ペアでの練習場面がありました。この時子どもたちはとても自然に取り組めていました。日ごろからペア活動を道徳などに取り入れられているそうです。そういった取り組みのせいか、子どもたちのよい表情をたくさん見ることができました。

6年生の担任の先生は、子どもの発言をしっかり受け止めていました。子どもの発言を聞き終ってから、そのまま板書します。これは意外とできないことです。子どもの発言が長くなると、どうしても聞きながら板書してしまうのです。ただ、今回の場面ではせっかく板書した発言を使う場面がありませんでした。結果論かもしれませんが、もしそうであるのなら、板書することにこだわらず、同じようなことに気づいた子どもがいるか、その意見に納得したかといったことを他の子どもにつなぎたいところでした。
この場面は2つのグラフを見て「気づいたこと」を発表するものでした。この「気づいたこと」という問いかけは注意しなければいけません。抽象的で、子どもたちに視点が育っていないとなかなか答えられないものです。単に気づいたことと問うのではなく、事前に視点を整理したりすることが必要です。ここでは、そのようなことをした形跡はありませんでした。ところが、どの子どもも「一方は○○で、他方△△」ときちんと2つのグラフを比較できています。一方から気づいたことで終わりという子どもはいません。これは「比較」という視点が子どもたちにしっかり育っているということです。日ごろどのようなことを大切にしているかよくわかる場面でした。

ベテランや中堅の先生が授業改善に前向きだったことがとても印象的でした。では、若手の授業はどうだったのでしょうか。この続きは明日の日記で。

授業改善の進め方について講演

先週、市主催の研修で講演を行ってきました。ずいぶん以前に中学校での研修をお引き受けして以来の訪問でした。対象は市内の小中学校の管理職やミドルリーダーが中心で、テーマは授業改善を学校でどのように進めていくかというものでした。学校での授業の実態をあまりよく把握していない市なので、事前に電話で指導主事から学校や授業の様子を教えていただきました。あとは、当日の皆さんの反応を見ながら、話のどの部分を広げるかを決めることにしました。

最初に、授業改善は、どのような学校、子どもの姿を目指すのかを具体的にすることから始まることを話しました。ここがはっきりしないと、何をどう改善していけばよいか具体的になりません。目指す姿を明確にするためには、まず管理職やミドルリーダーが日ごろから学校や授業の様子をよく見ておくことが大切です。実際に見た子どもたちのよい姿から、学校全体で目標にすべき姿が見えてきます。逆に見つけた課題から、どのような子どもたちの姿を目指すべきかがわかります。
私が学校現場でよく見る子どもたちの姿を、そのような場面で教師はどう対応すればよいのかというアドバイスと合わせて、いくつか例を挙げて説明ました。特に、教師の対応に関して参加者の反応が多く返ってきます。授業改善の進め方だけでなく、具体的な改善方法に興味を持っていることがわかりました。このことを意識しながら、話を続けました。

目指す姿を学校全体で共有することが大切ですが、言葉に頼るだけでは、一人ひとりが持つ具体的なイメージは異なってしまいます。そのずれをなくすためには、実際にその姿を見ることが一番です。特に子どもの姿は、全員が研究授業などの具体的な場面を見ることで共有しやすくなります。もう一つの方法は、研究実践校などの公開授業で見てくるというものです。しかし、他校の場合、「素晴らしいが、自分たちの学校ではとても無理だ」「子どもたちが違う」といった否定的な言葉でてくる危険性があります。また、いくらその学校で話を聞いてきても、どうすればいいのか、細かいことはわかりません。学校の置かれている環境でもとるべき方法は変わってきます。自校で、ほんのわずかな場面でもいいので、具体的な姿を見られるようにすることが大切です。研究授業で、「よかった姿」として検討会で共有する、日ごろの授業で見つけた目指す姿をホームページなどで先生方に見える形にするといったことが求められます。

そのためには、まずどこかでその姿をつくり出す必要があります。「全体で進めながらそのような姿を見つけて広げていく」のか、「特定の個人やグループで集中的に研究し、そこでつくりだす」のか、そこにはいろいろな戦略があると思います。
全員が一緒に変わっていくというのは理想ではありますが、簡単ではありません。ターゲットを意識することも必要です。若手が伸びればベテランにプレッシャーがかかります。ベテランや中堅が若手に伝えることを意識すると、若手が育つだけでなく、自身の授業の質が変わります。結果として全体がよい方向に変わっていきます。どこをターゲットにして、どのようなアプローチを取るのかを、学校の状況に応じて工夫する必要があります。

研修の具体的な方法とポイントを整理しました。
全体を対象にする研修
講演は、聞いてよかったという声は上がっても、その後本当に変わったということはあまり聞きません。同じやるにしても、一般的な理論のお話よりも、学校の課題にピンポイントに対応した具体的な実践の話の方が、効果は高いように思います。
最近増えてきているのがワークショップ形式のものです。参加型で受け身にならないことが利点の1つですが、目的意識やゴールがはっきりしていないと授業と同じく「活動あって学びなし」になってしまいます。先生方が抱えている課題とワークショップの内容が一致していることが大切です。
こういった研修を代表者が外部の講習や研究発表に参加して、学んできたことを伝達する形で校内研修を行うという方法があります。こうすることで、代表者は真剣に学んできますし、内容も自校にあったものにアレンジされます。最近よく目にする方法です。
全体で行う校内研修の定番は授業研究ですが、形式的なものになっていることもよくあります。何よりも、授業者がやってよかったと思うものにする必要があります。そのための基本は授業のよいところを見つけようとすることです。授業から学んだこと、参考になったことを共有することが大切です。

個を対象にする研修
個別の授業アドバイスは、授業が上手くなりたいと思っている先生にはとても有効な方法です。私のような外部を活用するのでなければ、管理職やミドルリーダーが行うことになります。大切なのは、子どもを見る視点を共有しておくことです。視点が育てば、毎日の授業で子どもをしっかり見るようになります。子どもたちの姿から授業を正しく評価できます。評価できれば、課題が見えてきます。その課題を解決しようとすることで、授業は自然に改善されていきます。アドバイザーと視点の共有できていれば、自分で解決できない時は、相談してくれるようになります。こういう関係をつくることが大切です。
視点の共有に有効なのは、一緒に授業を見ることです。今教室で何が起こっているか、子どもたちはどのような状態であるの、その場で解説することでよく伝わるのです。
また、アドバイスの内容は、ある程度絞ることが大切です。たくさんのことを一度に言われても全部ができるわけではありません。今必要なことに絞って具体的に伝えることを意識する必要があります。その上で、継続的に授業を見ることが求められます。できたことをほめる、できていなくてもやろうとしていればほめる。小刻みにアドバイスと評価を続けることが大切です。

グループを対象にする研修
若手ややる気のある先生方で、グループを作って授業づくりをするのは力をつけるのに効果的な方法です。指導案を一緒に検討し、模擬授業を行ない、ブラッシュアップを一緒にすることで、学びあう関係が構築されます。同じ教科にこだわる必要はりません。教科内容そのものに意見を言うことはできなくても、模擬授業で子ども役をやって感じたことを伝えることができます。子ども役をやることは子どもの気持ちを理解することにもつながります。本番の授業では、いつも以上に子どもの様子が気になり、より深く学ぶことができます。このグループが授業について気軽に話し合う学校づくりの核となってくれます。

このようなことを、実際の授業場面の例をできるだけ交えてお話ししました。
資料として、具体的な授業改善の方法もつけましたが、こちらの話も聞きたかったというお声を何人もの方からいただきました。積極的に参加いただけたようでうれしく思いました。

久しぶりお会いした指導主事とどのような研修が有効なのかについてお話しすることもできました。研修の充実が言われていますが、それを具体的にするためにたんと者の方がいろいろと思い悩んでいることがよくわかります。来年度、新しい形の研修を企画したいという気持ちなられたようです。またの機会があればぜひおじゃましたいと思います。よい時間をありがとうございました。

愛される学校づくり研究会の役員会に参加

3連休の最終日に、愛される学校づくり研究会の役員会に出席しました。「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の当日の会場設営や流れ、配布資料など本番に向けての準備、検討が主な話題です。

事務局が事前にいろいろと検討の上で提案してくれたので、参加者からの疑問や質問に対しても的確な回答が得られ、大きなイベントの運営にもかかわらずスムーズに議事は進みました。
とはいえ、出演者の入れ替えの動線、司会者の立ち位置、必要な機材の確認とセッティング、検討すべきことはたくさんあります。模擬授業一つとってもどのようなレイアウトで行うのが見やすいのか、あれやこれやと悩むところです。当日貴重な時間を割いて参加してくださる方に少しでも多くの役立つ情報を提供できるように知恵を絞りました。
このようなイベントでは、どうしても出演者にスポットが当たりますが、いつもながら思うのがそれを支える裏方があってのことです。事務局はじめ企業会員のたくさんのスタッフが事前の準備や当日の運営を引き受けてくれるので、私たち主演者は自分の役割に専念できます。
学校の行事などでも事情は同じです。子どもたちにも、先生方にも裏方の役割が必ず必要ですが、彼らに対する感謝の気持ちを明確に表わすことを忘れがちです。このことを意識するよう心がけたいものです。

役員会の最後に、新しいイベントが提案されました。継続的に開催しようという企画ですが、どのようなものになっていくかは未知数です。だからこそ面白いとも言えます。今年の夏にまず第1回を行うことが役員会で承認されました。全体で承認されましたら、ここで紹介させていただきます。楽しみにしてください。

フォーラム開催まで1月を切りました。準備にも拍車がかかってきます。研究会の会員の力を合わせて、参加される方に満足していただけるフォーラムにしたいと思います。

ICTを活用した授業研究ツールの打ち合わせ

2月9日(日)に開催される「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」では、ICTを活用した授業研究を紹介します。そこで紹介するICTソフトの打ち合わせをおこなってきました。

この日見せていただいたプロトタイプは、私がイメージしていた以上に見やすく、使いやすそうなものに仕上がっていました。これから動作チェックや細部の詰めが残っていますが、参加された皆さんが自分の学校でも使って見たいと思えるようなものになっていると思います。授業検討だけでなく、研究授業中に参観者がどこに注目しているかがリアルタイムにわかるツールにもなっています、また、授業検討に利用するだけで、特別なことをしなくても授業と授業検討会のインタラクティブな記録も作成されます。非常に可能性の高いツールになっていると自負します。短い時間でここまで仕上げてくださった開発チームの皆さんに感謝です。このツールの詳細についてはフォーラム当日のお楽しみとなっています。これ以上詳しくは書けないのが残念です。興味のある方は、ぜひフォーラムにご参加ください。

フォーラムの残りの座席はあとわずかになっています。参加を希望される方はお早目に、こちらのページからお申し込みください。

「話す力」をテーマに介護関係者向け研修を行う

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「話す力」がテーマです。相手に伝わるためにどのようなことを意識すればいいのかを具体的な場面に即して考えていただきました。

話すことで一番意識してほしいことは、話せば伝わるわけではないということです。コミュニケーションにおいて話すことが目的ではありません。伝えたいことが相手に伝わることが目的です。そのためには、相手に伝わる言葉を選ぶことが求められます。同じ言葉でも人によって受け止めることが違ってくるのです。このことをいつも頭の片隅に置いておく必要があります。
また、子どもたちへの指示と同じですが、相手がうなずいても本当に伝わっているかどうかはわかりません。
確認が必要になってきます。ただ相手はお年寄りであることを考えて、確認の反応をせかさずに受け止める姿勢が強く求められます。忙しい現場だと思いますがそのような余裕を持ちたいものです。

同じことを伝えるのでも、どのような言葉を使うかによって相手が受ける印象は異なってきます。否定的な言葉は相手の気持ちを否定的にします。できるだけ肯定的な言葉を使うようにしたいものです。「焦らないで」というよりも「落ち着いて」といった方がポジティブな気持ちになります。否定的な言葉で言われると、今まで簡単にできていたことができなくなっている現実を直視させられます。話す側に悪気はなくても、気持ちが暗くなってしまいます。私たちは普段何気なく否定的な言葉を使っています。日ごろから肯定的な言葉を意識して使う訓練をする必要があります。

もう一つ意識してほしいことは、主語です。「Iメッセージ」と「Youメッセージ」です。「Youメッセージ」は柔らかい表現でも、命令的なニュアンスが含まれてしまいます。「言ってください」(Youメッセージ)と「聞かせてください」(Iメッセージ)では、同じことを相手に求めていても受ける印象は変わってきます。また、「Youメッセージ」は上から目線と受け取られることがあります。「すごい、頑張りましたね」は相手をほめているのですが、ほめるということはこちらが評価者になっているということです。立場を上に置いていると思われる可能性があります。現役のころに自分が評価する立場で接していたような若い人に評価されるのは、プライドが傷つくかもしれません。「やった、うれしいな」と「Iメッセージ」で「あなたが頑張ったことがうれしい」というポジティブな気持ちとして伝えると、同じ目線で相手に寄り添っていると感じてもらえます。自分が頑張ったことが相手を喜ばせたと感じることは、自己有用感にもつながります。こういったことを大切にしてもらいたいと思います。

最後に、言葉以外にも相手に伝える手段がたくさんあることを確認しました。具体的な場面を想定して伝える練習をしていただいたのですが、皆さんジェスチャーを入れるなど、言葉以外のコミュニケーション手段を上手に使われていました。さすが、実務経験のある方は違います。私からは、今コミュニケーションを取っている姿が第三者からどのように見えるか意識してほしいことを伝えました。まわりの人がどのように感じるかは場の雰囲気に大きな影響があります。授業でもそうですが、特定の子どもに対する教師の対応が他の子どもたちに影響するのです。
また、どんな場合でも笑顔を忘れないこと、立ち位置や目線の高さも意識することをお願いしました。笑顔で、相手に寄り添うようにして、目線を相手の目の高さに合わせることができれば、それだけで伝わりやすくなるはずです。

研修終了後、簡単に見えるけれどいざやろうと思うと難しいという感想をいただきました。その通りです、こう言えばいい、こうすれば絶対うまくいくという方法があるわけではありません。大切なのは、相手に伝えたい、わかってもらいたいという姿勢で接することなのです。同じ言葉を使っても、そのような姿勢であれば間違いなくより伝わりやすくなるはずです。今回の研修でそのことに気づいていただけたのなら幸いです。
いつものように、職場での実践に基づいた対応を見せていただくことで、私も大変勉強になりました。ありがとうございました。

活動とねらいのずれた英語の授業(長文)

昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。初任者の英語の授業です。1年生の現在進行形の導入の場面でした。
以前に授業を見た時、指示が徹底できていない、子どもが聞く態勢ができていないのに話を始めるといったことが気になった先生です。今回どのような授業を見せてくれるか、期待と不安が混じった状態でした。

子どもたちの英語での挨拶の様子は、たくさんの先生方が観ているので多少緊張気味でしたが、笑顔も見られました。子どもたちとの関係もよいように思います。この日は1月になって初めての授業です。”What’s the date?” という問いかけに、子どもたちは ”January” を思い出せません。起立しているせいか、調べる子どももいません。わかった子どもを指名して答えさせます。すぐにそうだねと確認して、教師の発音を繰り返させました。こういう1問1答が子どもたちの参加意欲を下げてしまいます。「今なんて言ったか聞けた?」「言ってみて」「どう?」とうように、他の子どもたちにつないでいくことを意識してほしいと思いました。

現在形の表現の確認のために、授業者が学校へ出かけて、授業をし、パソコンを使うことを、現在形を使って英語で話します。この時の子どもたちは、全員集中して授業者を見ています。聞き取りたい、理解したいという気持ちが伝わってきます。話し終えた後に内容を確認します。手を挙げる子どもがいません。1人の子どもが思い切って発表してくれました。しっかりと聞き取れていたのですが、その後すぐに授業者が説明をしました。いくら説明されても聞き取れなかった子どもはわからないままです。もう一度聞かせて本当にそう言っていたのか確認をさせなければ、力はつきません。こういう場合、一部分であれば聞き取れた子どももいますから、聞き取れた内容や単語を発表させればいいのです。キーワードが見つかった後、再度聞き取らせれば大きく変わってきます。授業に参加することで、できるようになるという経験を積ませたいところです。
ここで疑問だったのは、この活動で子どもたちにどんなことを伝え、教えたかったのかということです。子どもたちは、単なるヒアリングだとしか意識していなかったと思います。授業者は、現在形は習慣的・日常的な行動を表現することを教えたかったのだと思いますが、その押さえが明確ではありません。子どもたちにはこのことは伝わっていないのです。

続いて授業者が毎日していることをワークシートの英文から抜き出させます。ワークシートは、Ms. ○○ 〔walk / write English / play soccer / speak Japanese / teach English / use her pen / talk with my sister〕every day. となっています。想像して○をするように指示します。子どもたちはまわりと相談したりしながら取り組みます。この課題はいったい何を目的にしたものかかがわかりません。この中から選ぶこと自体は英語の学習とは何の関係もない活動です。〔 〕の中の英文を理解するのが目的でしょうか。だとすれば、そのことをストレートに問えばいいのです。この作業にかなりの時間を割いていますが、英語の授業としてはムダな時間です。
指名してどこに○をつけたか発表させます。そして、”Ms. ○○” に続けて読ませます。3人称単数現在の ”s” を付け忘れました。このことを指摘して修正させます。次の子どももまた “s” を付け忘れました。結局 “s” をつけたのは1人だけでした。原因はどこにあるのでしょうか。授業者は3人称単数現在の ”s” の復習をするつもりだったのかもしれませんが、指示は「選んで○をつけて」です。課題とねらいがずれているのです。せめて、「英文を選んで完成させて」であれば子どもたちの意識は変わったと思います。子どもたちは求められた、英文を選ぶことに意識がいっていたので、英文を作ることが頭から消えてしまっていたのです。3人称単数現在の ”s” の復習が目的であれば、人物のアイコン、動詞のアイコンなどを用意して、その組み合わせで英文を作って発表させればすむことです。
現在進行形との比較のために現在形の確認をするのであれば、文が表現する状況を伝えることの方が大切です。授業者は ”every day” を使って日常の行動であることを意識させようとしましたが、これは危険なことです。”every day” があるから日常の行動を表わすと考える可能性があるからです。現在進行形は “now” をつけた例文を用意しています。現在形、現在進行形の違いではなく、”every day” “now” の違いに目がいってしまうかもしれません。できるだけ、単純な例文で違いを考えさせることが大切です。

現在形と、現在進行形の違いを考えさせるために、先ほどの ”every day” の例文を、動作しながら “now”をつけた現在進行形にして言います。ここで、子どもたちへの指示は、「違いを見つける」です。子どもたちは、何を問われているのかよくわかりません。比較すべき一方の対象である現在形の表わすものが明確になっていないからです。反応がないので別の例文に変えます。一生懸命理解しようとしているのに、次の文に変わってしまうとますます混乱してしまいます。ここで、指名した子どもは「be動詞+〜ing」と答えました。塾で習っているのでしょう。授業者のねらいと全く違う答えが出てきました。この日初めて現在進行形に触れる子どもは何のことかわかりません。しかし、授業者は仕方がないので、発言を受けて「be動詞+〜ing」の説明を始めてしまいました。せめて、「ingって何?先生はingって言ったっけ」とぼけるくらいはしてほしいと思いました。授業者が説明を始めると先ほど答えた子どもはずっと手遊びをしていました。自分はわかっているからもういいという態度です。このことが、この日の授業を象徴していました。子どもが考える場面はほとんどなく、知識のある子にとっては何も学ぶことのない、知識のない子どもは一方的に教えられるだけの授業になってしまっているのです。

ここは、「違いを言葉で説明する」ことよりも、状況に応じて現在形と現在進行形を使い分けられることをねらうべきだったでしょう。例えば、”I eat bread. Do you eat bread?” “I eat nattou. Do you eat nattou?” のようなやり取りをする。続いて、”I am eating bread. Are you eating bread?” “I eat rice. I am not eating rice.” などとして、違いを理解させる。”speak Japanese” “speak English” “speak French” などでもよいでしょう。そして、実際に動作をして、その状況を子どもたちに英語で表現させる練習をたくさんするのです。コントラストがわかりやすい動詞を使って、英語で表現することを通じて理解させる工夫をしてほしいと思います。

続いて、現在進行形の練習をするためにゲームを行います。横の見出しに”Stand” “Read the book”などの動詞句、縦の見出しに ”I” “You” などの主語が書かれた表がワークシートに書かれています。その表の欄にマークをつけます。マークは3種類ありそれぞれつけることのできる数と点数が決まっています。見出しの主語と動詞句を使って現在進行形を作って、ペアで交互に言い合います。もし、その組み合わせの欄にマークが書いてあれば得点になるというものです。
授業者はゲームの説明をしますが、子どもたちはワークシート見ていて顔が上がりません。説明終了後グループの形になるですが、説明を理解できていない子どもが目立ちました。実物投影機が使える環境にないのでちょっとつらいのですが、表の一部だけでも板書するか、拡大コピーを貼るかして、子どもたちが顔を上げる状態にする必要があります。また、活動の指示は、実際にやって見せるのが一番効果的です。余計な説明をせずに、見せるだけで子どもたちはしっかりと集中します。ちょっとしてことですが、こういうことが大切です。
ゲーム終了後、得点を聞きます。ここで気をつけなければいけないことは、英語の力と得点に何の相関関係もないということです。たまたま選んだところと文の組み合わせが一致したかどうかだけで得点は決まります。評価とねらいがずれています。こういう活動は学習が定着しません。やるだけ時間のムダなのです。このことは、次の場面で顕著になります。

授業者は、今度は書く練習をしようとねらいを示してから次の課題に移りました。授業者の動作を英文にして書くというものです。授業者は教室内を行ったり来たりします。しかし、子どもは何を書けばいいのかよくわからない表情です。授業者は ”walk” のつもりなのですが、子どもは理解できません。なぜなら、”be walking” を示す動作が恣意的だからです。初めて学習する場面では、表現と動作はできるだけ1対1である必要があります。ある時は横に移動する、ある時は行ったり来たりすれば、違った表現をするのかと思います。実際に ”walk” “walk around” などと区別する場面もあるからです。また、書くことがねらいならば、英文は100%作れる状態にしておかなければ、手の着かない子どもがどこでつまずいているかわからなくなります。
書く練習と言いながら、発表は口頭です。スペルを確認はするのですが、このずれが気になります。ここで、発表した子どもは、be動詞を落としました。先ほどのゲームを使った練習では定着していなかったことがわかります。修正した後、次の発表者もまたbe動詞を落としました。このことがこの授業の問題点を浮き彫りにしています。常に活動とねらいがずれてしまっているのです。
先ほどのゲームでは、子どもたちの意識は主語と動詞句の組み合わせに目がいきます。それで点数が決まるからです。表には主語と動詞句が英文で書かれています。最初の課題と同じく、英文で書かれているのでそのまま使うことを考えてしまいます。ワークシートの表を見ながらしゃべるのですから、書かれた英文をもとにしゃべります。動詞を現在分詞にしても、書かれていないbe動詞は落ちてしまうのです。こういうことを避けるためにも、アイコンを使うことを勧めます。アイコンであれば、そのアイコンが示す状況を英文で表現しようという意識が働きます。このことが大切なのです。
ゲームでのもう1つの問題は、ペアで言い合うだけなので、修正機能が働かないことです。子どもは、主語とどの動詞句を選んだかにしか意識は向きませんから、正しい表現でなくてもスルーしてしまいます。英語としての正しい評価がない活動だったのです。グループやペアでの活動はこのことに注意をする必要があります。各人にバディをつけて、間違いをチェックしたり、わからない時に助けたりする役割を与えるとよいでしょう。終わればどこがよかった評価する。こういう役割が必要なのです。活動の前に、チェックポイントを板書などで明確にして、バディに意識させます。当然自分がやるときにはそのことを意識できるようになります。

書くことに関して、”write” は “writing” 末尾の “e” をとって ”ing” をつけることを ”Ms.○○ is writing English.” で説明します。このことは、最初に ”ing” の例文を板書した時に押さえておく必要があるでしょう。”ing” の登場と説明が離れすぎているのです。

授業後の検討会で、授業者は「授業規律ができていない。(コーラスリーディングで)口を開いていない子がいた。何度も同じ間違いを子どもがするのであれば、自分が10分ほど説明して練習に時間をかけた方がよかった」と反省しました。私は、この言葉を聞いて安心しました。自分の授業の問題点をしっかりと理解できているのです。子どもたちに考えさせようとしていたから、自分が説明した方がよかったという言葉が出てくるのです。進歩するために大切なのは、自分の現状を正しく把握することです。次のステップはその問題を解決するためにどうすればいいかを考えることです。この授業者が苦しんでいるのは、その具体策を見つけることができていないからです。だから、「自分が説明すればよかった」という言葉が出てくるのです。できるだけ具体的にアドバイスはしましたが、日常的に相談する相手が必要です。歳の近い先生が何人かいますので、自分から声をかけてほしいと思います。子どもたちとの関係は決して悪くはありません。今はまだ先が見えなくて苦しいかもしれませんが、前向きな気持ちで授業に取り組めばきっと大きく成長できると思います。また授業を見る機会を楽しみにしたいと思います。

青少年健全育成会議で考える

先週末に、学校評議員をしている中学校区の青少年健全育成会議に参加させていただきました。

いくつかのグループに分かれ、それぞれの地区での子どもたちの様子の情報交換をする時間がありました。私はこの市の住人ではないので、もっぱら皆さんのお話を聞く側でした。その中で印象的だったのが、親が子どもに無関心な家庭についての話でした。
子どもたちがお菓子を買ってその場で食べ散らかしている。その子たちの話を聞くと、親から食費としていくばくかの小遣いをもらって、そのお金でお菓子を買って食べているというのです。子どもの食事に親が関与しないのです。また、問題行動を起こした子どもの多くは、家族で一緒に食事をしたことがないということも話題になりました。そういう家庭のあることはもちろん知っていますが、具体的に聞かされると、やはり重いものがあります。そのような家庭で育った子どもが必ずこうなるなどと軽々しく口にすることはできません。しかし、苦しい、悲しい思いをすることは他の子どもと比べて多くなることでしょう。子どもは親を選べません。そのような子どもたちにまわりにいる私たちは何ができるのでしょうか。関心を持つことや声をかけることはできますが、親の代わりとなることはできません。地域の大人としてできることは何なのか、難しい問いを投げかけられました。私が発言できるようなことは何もなかったのですが、このことがしばらく頭から離れませんでした。

そのような子どもたちでも、学校には通っています。学校という場でどれだけ居場所をつくることができるのか、自分が掛け替えのない大切なものだと感じる機会を与えることができるのかが問われているように思いました。「あなたがいてくれてよかった」というメッセージを子どもたち一人ひとりに伝えることも、学校の大切な役割なのだと改めて思います。
多くの大人が愛情を持って地域の子どもたちを見守っていますが、その接点も限られています。そのような接点をつくることが地域と学校の連携なのかもしれません。地域の大人たちが子どもの活躍できる場を用意する。学校がその場へ多くの子どもたちを誘う。このようなことが求められているように思います。
私たちの力で個々の家庭を変えることなどはできることではありません。だからこそ、些細なことでいいので、子どもたちに寄り添い支えるために何ができるかを考えなければならないと強く思いました。

私立中高一貫校の校長とお話

私立の中高一貫校の校長と授業改善に関するお話をしてきました。

積極的に学校改革を進めている方です。まずは挨拶をきちんとするといった日常生活の基本から手をつけられたそうです。以前に訪問した時と比べて、すれ違う子どもたちがきちんと挨拶をしてくれます。表情も心なしか穏やかになったように感じられます。校長の特別授業などでも、子どもたちの聞く姿勢がよくなっているそうです。そこで、来年度は改革の力点を授業改善に移したいと考えられ、今回私がお話をさせていただくことになりました。

子どもたちが受け身でなく、自ら学ぶような授業に変えていきたい。子どもたちが興味を持って活動するようにしたい。ICTも積極的に活用したい。そういう校長のビジョン(思い)に共感する中堅・若手もいるようです。お話をうかがって、ポイントは大きく2つあるように思いました。
1つは、この校長のビジョンをどのように学校全体で共有するか。もう1つは、そのような授業を実現するための具体的な方策をどのようにして身につけるかです。
1つ目に関しては、言葉だけでは一人ひとりのイメージするものがずれる可能性があります。できるだけ具体的な授業、子どもの姿で共有しなければなりません。そのためには、まず校内で少しでも目指す姿を実現することが必要になります。このことは2つ目とも関連してきます。幸いにも校長のビジョンに共感する教員がいますので、まず彼らを中心に授業改善を進めます。そして、その授業をもとに学校全体でビジョンを共有し、具体的な方法も合わせて学び合うようにするのです。

公立の学校と比べて教員の異動が少ない私立です。長期的な視点に立って計画を立てることができます。上手くいくようになれば、それを維持することはさほど難しくありません。慣性力が強いのです。逆に、このことは変化させるためには大きな力が必要だということです。異動が少ないということは、変わろうとしない方を簡単に排除できないということでもあります。改革を成功させるためには、目指すものを全員にしっかりと浸透させるために大きなエネルギーが必要なのです。
この学校と今後どのような形でかかわるかは未知数ですが、私立だからこその授業改善の方法を提案できればと思っています。

道徳の模擬授業から多くを学ぶ

先日、愛される学校づくり研究会に参加してきました。前半はICTを活用した授業検討法の研究です。今回は会員による道徳の模擬授業をもとに授業検討を行いました。

「二通の手紙」という読み物教材です。随所に授業者の工夫がありました。道徳では資料を読み取ったあとが勝負です。子どもたちに資料を読ませて内容を理解させるよりも、教師が範読して進める方が効率的です。とはいえ、そこそこの長さの教材であればそれでも時間がかかります。授業者は、登場人物の関係をわかりやすく板書し、だれのことか板書を指さしながら読みます。そして、必要ないところは思い切って端折り、ポイントとなるところは詳しく説明します。軽重をつけて短い時間で内容を理解させました。話の骨子は次のようなものです。

動物園でずっと働いていて、退職後も再雇用された元さんは、入園時間を過ぎてやってきた姉弟を規則を破って入園させます。子どもたちが閉園時間になっても見つからず、騒動になります。無事に見つかるのですが、その後元さんのもとに二通の手紙が届きます。一通は子どもたちの母親からの感謝の手紙、もう一通は解雇通知です。その手紙を読んで、晴れ晴れとした表情で元さんは退職しました。

最初の課題は、元さんの気持ちを想像して書かせるものです。子ども役の間を回り、声かけをしながら○をつけます。「おお、疑問があるんだ」「価値観ねぇ」と他の子ども役に聞こえるように声に出します。ここでは、できるだけ多様な意見を出させたいところです。いろいろな視点をわざと聞かせることで、子どもたちの考えを広げます。書き終った後、全員に起立させます。まず全員を動かし参加させるのです。友だちの意見を聞いて、同じ意見、近い考えの人は座ります。このやり方には引っかかるものがあります。似たような意見を一つのものとしてしまうと、一人ひとりの考えの微妙な違いが消されてしまうからです。中には似た意見であっても、ここが違うと発表してくれる子ども役もいます。この進め方をどう評価すべきか悩みながら見ていました。全員が座った後、発表しなかった子どもに、みんなの意見を聞いて感じたことを問いかけます。同じ意見で発言できなかった子どもにもちゃんと参加する機会を設けています。この場面は、いろいろな意見を聞きながら考えを深めたいというよりも、代表的な意見を素早く出させることで子どもたちの考えを早く焦点化したかったということです。ここでは時間をかけずに、次の課題に早く向かわせたかったのです。つまり、この課題はまだ主たる課題ではなかったということです。

授業者は「二通の手紙」の二の横線を一本消して「一通の手紙」としました。「なるほど、こういうことか」と感心しました。「もし、母親からの感謝の手紙がなくて、解雇通知だけでも元さんは晴れ晴れとした顔になっただろうか」と問いかけます。○か×か書かせます。予想通り子ども役の意見は大きく分かれました。見事に揺さぶられたのです。授業者は、母親からの感謝の手紙に寄り添った意見が子どもたちから多く出るので、このような発問を考えたそうです。こうすることで一気に子どもたちは深く考えるのです。

資料は、この事件の何年かのち、元さんの部下だった佐々木さんが、自分の部下が入園時間を少し過ぎてやってきた高校生を入れてあげようとしたのを止めたところから始まっています。授業者は、佐々木さんが高校生を入園させなかった理由を、最後に想像させました。この問いであれば、子どもたちは「佐々木さん」とは言っても自分に置き換えて考えるでしょう。道徳のねらいである、自分に引き寄せて考えさせる問いになっていると思います。授業者は「心に汗をかく」という言葉で、道徳の授業を語っていました。心に汗を書かせるためには、心が動かなければなりません。「一通の手紙」だったらという問いかけが、まさに「心に汗をかかせる」発問でした。

この資料は、規則を守ることの大切さを強調したいがために、佐々木さんが規則を守らせる場面を無理に入れているようにも感じました。子どもたちに、自分により引き付けて考えさせたいのなら、「あなたが佐々木さんなら部下を止めるか」という発問もあったように思います。また、「一通の手紙」を母親からの感謝の手紙だけにするというのも、あるかもしれません。
いずれにしても、読み物資料を使った道徳の授業のあり方を考えさせてくれるとても面白い授業でした。

授業検討会は、授業検討法を考えるためのものだったので、時間の関係もあり深く話し合うことができませんでした。もし、純粋に授業検討を行えば、とても多くのことを学べたと思います。ちょっと残念でした。皆さんが授業を見て興味を持った場面は、○つけでの声かけの仕方、全員を起立させた場面、「一通の手紙」としたところなど、どれもポイントとなるところばかりでした。ICTを活用した授業検討法の可能性を確信することができました。この検討法に興味のある方は、ぜひ「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」にご参加ください。

後半は、フォーラムの前半「劇で語る! 校務の情報化 パート2」のシナリオの検討でした。関西地区の現状を聞かせてもらい、より参加される皆さんにとって有意義な内容にしようとブラッシュアップを続けています。こちらも楽しみにしていただける内容だと思います。

互いにたくさんのことを学び合い、学んだことを多くの方に対して発信している研究会です。この日もたくさんの収穫のあった研究会でした。

「教師力アップセミナー」の来年度講師選定

先日、教師力アップセミナーの運営委員会で来年での講師の選定を行いました。

話題になるのはどのような内容が今の学校現場で求められているかです。例えば算数に関連して、素晴らしい教材や課題を活かした授業を紹介することで、参加された方に勉強になったと思ってもらえても、その方々の毎日の授業がよくなるのか。それよりも、教科書をどのように活用して授業を作っていくのか、そういう基本を押さえることが大切ではないのか。そのようなことが話されました。ある程度の力がある教師であれば、素晴らし授業から学んだことを自分の授業に活かすことができます。しかし、教科書の何がポイントかもよくわからない少経験者がそのような授業に接してもそのよさを自分の授業に取り入れることはまずできません。真似をしても失敗するだけです。いやそれどころか、自分には無理だと最初からあきらめてしまうかもしれません。野中信行氏の言うところの「ごちそう授業」と「味噌汁、ご飯の授業」です。今回算数では、「教科書をベースに毎日の授業をどのようにしてつくっていけばいいのか」という視点でお話しいただける方をお願いしようということになりました。

また、学級経営の筋道や子どもたちとの人間関係づくり、授業での子どもたちとの接し方など、教師としての基本的な部分を底上げするような講演をたくさん企画しました。もちろんごちそう授業も用意しています。これから手分けしての講演依頼が続きます。お願いする先生方からよい返事がいただけることを願っています。
来年度の講師陣については2月にはご報告できると思います。ご期待ください。

コミュニケーションにおける「聞く力」をテーマに介護関係者向け研修を行う

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「聞く力」がテーマです。いつものように、実際の場面に即して一緒に考えていただくことで、互いに学びを深めていこうというものです。

前回の復習もかねて、笑顔で接することと合わせてうなずくことを大切にしてほしいことを伝えました。うなずくことは相手のことを受容しているというメッセージです。「あなたの言うことを聞いています」「あなたのことを見ています」「あなたのことを受けて止めています」「それでいいんですよ」といったことを伝えてくれます。相手に物を頼まれた時、相手が行動に不安を覚えてこちらを見た時、相手が名前を間違えて呼んだ時、このような場面でどのように対応すればよいか考えていただきました。

コミュニケーションは互いに伝え合うことが基本です。相手に自分のことを理解させようという姿勢では互いにぶつかり合ってしまいます。互いに相手を理解しようとすることからスタートします。聞くことから始まるのです。聞くことは、相手を受容し、理解しようとする行為です。相手が受容してくれるからこそ、安心してこちらも話すことができるのです。
ここで注意をしなければいけないのが、相手の「言ったこと」を理解するだけでは不十分だということです。相手の「伝えたいこと」「望むこと」を正しく理解することが大切なのです。そのためには、単に話を聞くだけではなく、相手の表情や視線、姿勢など全身からの情報を、五感を駆使して読み取る姿勢が求められます。

コミュニケーションで相手の伝えたいことと受け取ったことがずれてしまうことがよくあります。その原因の一つが、自分にとっての常識が相手にとっても常識とは限らないことです。よく例に挙げられますが、目玉焼きは塩をかけるのか醤油なのか、それともソースなのか。半熟か中まで火を通すのか。片面を焼くだけかひっくり返して焼くのか、それとも水を入れてふたをして蒸すのか。人によって常識は異なります。しかし、目玉焼きを作って頼む時には、ここまで細かい指示はしません。自分にとって当たり前のことは情報として与えないのです。確認しないままにことを進めると大きな齟齬が出てきてしまいます。すれ違った後で議論しても水掛け論です。想像力を働かせて、確認すべきことをきちんと押さえることが必要です。
確認をする時は、いきなり質問しないように注意する必要があります。質問することは「疑問」を持っているということでもあります。相手に自分が「否定」されたと感じさせることにつながります。まず相手の言ったことをそのまま「復唱」することで「ちゃんと聞いていますよ」と伝えることが大切です。この時、相手の言葉を勝手に自分の言葉で置き換えないように注意しましょう。特に言い間違えた時にはそれを勝手に修正しないように気をつけます。言葉を置き換えられると、それは自分が言った言葉でなくなります。特に言い間違えた時には、間違いを指摘されたことになるので、ネガティブな気持ちになります。自分が受容されていないと感じてしまうのです。では、どうすればいいのでしょう。そういう時でも受容の言葉「なるほど」を頭につけると、とても復唱しやすくなります。「なるほど」は肯定も否定もしません。相手の言っていることを受け止めていることを伝える言葉だからです。「なるほど・・・ですね」と復唱すると、自分の言葉を客観的に聞くことができるの、自分で言葉を足したり、修正したりできるのです。復唱する時に、「なるほど」という言葉をつける習慣をつけるとよいでしょう。

相手の言った言葉の確認や詳しく聞き直すために問い返すことがあります。この時、「なぜ(Why)」はできるだけ使わない方がよいと言われます。それは、「なぜ」で聞かれるときちんとした理由を求められているように感じるからです。何度も「なぜ」と聞かれると、相手から詰問されているように感じます。そのことを避けるためには、「どういうことですか」と聞き返すとよいでしょう。この聞き方は、何を言っても答えになるので言いやすいのです。すぐに求める回答を得ることができないかもしれませんが、何度もやりとりすればいいのです。言葉のキャッチボールをすることで、コミュニケーションがとれるようになっていくのです。また、「・・・ですか?」「○○と△△のどちらですか?」と相手に寄り添って想像して問いかけることも有効です。気持ちをわかろうとしてくれていると感じてもらうことが大切です。

今回は相手の伝えたいことを正しく理解するためのスキルについて具体的な例をもとに、皆さんと一緒に考えさせていただきました。いつものように、皆さんから出てくる疑問や答にハッとさせられることがありました。よい勉強をさせていただいていることに感謝です。

考えるべき課題が明確になっていく(長文)

昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。定期試験も終わり、保護者面談が終了したところです。この時期の子どもたちの様子がどのようなものか楽しみです。

学校全体としてはとても落ち着いていますが、2年生と1年生の子どもたちの様子がとても興味深いものでした。どちらも、子どもたちが授業によって見せる姿が違うのですが、その違いに特徴があります。2年生は、落ち着いて授業を受けるのですが、教師の説明を聞いてもよくわからなかったりすると話を聞かずに、まわりの子と相談する傾向があります。ある意味正しい判断です。授業に前向きであることと子ども同士の人間関係よいことの現れでもあります。とはいえ、決していい状況とは言えません。教師が一方的に説明することを止めて、相談している内容を全体で共有させて、子どもたちで課題を解決するような動きを取り入れたいところです。
一方の1年生は、教師が子どもたちにこうあってほしいと願う姿が明確な授業では、素直にそのような姿を見せます。顔を上げて教師を見て話しを聞いてほしいと思えば、そのようになります。ところが、教師が子どもに望むものを明確にしていないと、子どもたちは適当に自分で判断をします。話を聞くのに、下を向いていたり、板書を写しながらであったりするのです。授業規律を含めて、こうあってほしいという姿を学年全体で共有することが大切になります。また、わかりたいという思いはあるのですが、授業の途中で力が尽きる子どもが目立ちます。まわりの助けを借りながらでも、できた、やったという達成感を味あわせるようにすることが求められます。

若手を中心に授業アドバイスを行いました。
初任者の3年生の数学は、相似の活用の場面でした。以前と比べて、子どもたちとの対話を意識しているのですが、1人に発表させてすぐに説明をしてしまいます。また、どうしても1対1の関係になり、他の子どもにつなぐことはまだできません。また、数学の授業としては、この学習で何が大切か、どこがポイントかがはっきりしないものでした。授業者自身がこのことをきちんと整理できていないことがその理由です。教材研究をしっかりしてほしいと思います。子どもたちの意識が答を求めることに向かっていることも気になります。子どもたちの説明を聞いても根拠を明確にして説明しよういう気持ちが感じられません。授業者も、子どもの中途半端な説明に対して物わかりのよい教師となって、言葉を勝手に足します。根拠を明確にするための問いかけもしません。そのため、子どもたちは友だちの説明や答案に対して興味を示しません。2人の異なる解答を板書させている場面でも、どのようなことが書かれているのか見ようとはしません。よそ事をしているのです。授業者の解説を聞いて、補足された板書を写せば事足りるからです。指名されなければ直接授業に参加する必然性がないということです。
子どもたちを参加させる授業の進め方を工夫すること、教材研究をしっかりすることが求められます。

初任者の2年生の国語の授業は、子どもとの人間関係が気になりました。学級によっては、一部の子どもが指示に従えないようです。どのように注意をすればいいのか困っているように感じました。指示を徹底させようと、「3、2、1」とカウントダウンをするのですが、なかなか素早く動いてはくれません。指示を徹底する方法としては、カウントダウンはあまり勧めません。カウントダウンでは、できたかできないかのチェックになってしまいます。一度できれば、次からはできなかったというネガティブな評価か、現状維持です。ポジティブを意識するのならカウントアップの方が有効です。「何秒でできた」という評価を通じて、「次は○秒でできるといいね」「何秒進歩した」というように進歩で評価できます。子どもたちをポジティブに見ることができるのです。
「私と同じスピードで板書してね」と素早く書くことを促しますが、授業者が板書を始めても、子どもはまだペンも持っていません。授業者は子どもたちを見ないで板書しています。これでは、効果がありません。まず子どもたちが筆記の準備をしたことを確認してからスタートする必要があります。素早く書いている子どもを評価しなければ、指示しただけでは動きません。指示に対する評価をもっと意識する必要があります。
授業規律の徹底に関連して、Iメッセージを使った子どもへの注意の仕方を紹介しました。あなたの行動が私(I)にとって困ったものであることを伝えるという方法です。上手くいくという保証はありませんが、子どもたちとの関係がある程度できていれば、有効だと思います。
子どもたちとうまくいっているように見える学級にも落とし穴があります。活発に発言してくれる子どもの影で、参加しようとしない子どもが目立つようになっているのです。授業を妨害するような行動はとりませんが、授業者と積極的な子どもとのやり取りを横目に我関せずの状態になっているのです。「今の意見に対してどう思う?納得した?」というように、挙手しない子どもに参加を促す、わからなくても聞いていれば参加できる場面をつくる、そういうことが必要なります。全員を参加させたいという教師の姿勢を明確に伝えることが大切です。
また、国語の授業としては、課題の必然性を意識してほしいと思いました。説明文の単元でしたが、説明文であれば、筆者の主張・考えを正しく理解することが授業のゴールになります。筆者は自分の考えを正しく理解してもらうために、根拠や具体例を述べます。この段落で、何をねらってどのようなことを述べているのかという視点を与えれば、課題は自然と明確になってくるはずです。こういう視点を明確にして授業を組み立ててほしいのです。
笑顔は意識しているのですが、対応に困った時などはそのことが表情に出てしまいます。少し余裕を失くしているのかもしれません。冬休みにリフレッシュして、余裕を取り戻してほしいと思います。

初任者の体育の授業は1年生のマット運動でした。気になったのが、子どもが自分の順番以外の時に遊んでいたり、集中していなかったりすることです。開脚前転に挑戦しているのですが、ただ連続して実技をしているだけです。いったん活動を止めてその場で説明を始めます。子どもの視線が授業者に向く前に話しはじめます。説明が終わりさあ活動かと思ったところ、また説明が始まりました。活動することに意識がいった子どもは、集中力が切れます。すぐに説明が終わるかと思ったのですが、しばらく説明が続きます。一部の子どもの集中力は戻らないままでした。「勢いをつける」「手をしっかりとつく」といったポイントをいくつか説明したのですが、その確認はされませんでした。子どもたちの実技に対して、ポイントがきちんとできているかどうかはどこでも評価されません。明らかに上達した思える子どもが少ないことと関係があるように思います。互いに見あって、どこよいか、どこが上手くいっていないか聞き合うことが大切です。ただ活動すればよいという発想では上達しません。
集合の時の子どもたちの姿勢がバラバラなのも気になります。集合時にはどのような姿であってほしいかが明確でないということです。求める姿をちゃんと伝えないと、そのようにはなりません。そもそも、子どもたちに求めていないことが問題なのです。
体育の教師として子どもたちにどのような姿を求めるのかをもう一度自分に問いかけてほしいと思います。

講師の体育の授業は、2年生のハンドボールでした。4対3の練習でしたが、遠目に見ても子どもたちの視野が広く、コート全体を上手に使っているのがわかります。中学2年生としてはかなりレベルが高いと思いました。ハンドボール部が何人もいるのかと思ったのですが、1人しかいないということです。ちょっと驚きました。声をかけ合うことやアイコンタクトがしっかりできていて、パスがよく通ります。子ども同士の関係がよいことの現れでしょうか。授業者に確認したところ、指示は、「まずゴールをねらい、だめならパスをする」というものでした。その前の時間は3対2で、ポストを使ったプレーを練習したそうです。一つひとつの練習に対して、ポイントを絞ってきちんと身につけさせていると感じました。4つのゴールに分かれて練習をしていましたが、授業者はどこのプレーもきちんと見えるポジションで、全体をよく見ていました。話をして、子どもたちの様子をよく把握していると感じました。集団競技以外でも、子ども同士のかかわり合いを大切にするようにお願いしました。

2年目の先生の社会科の授業は、課題の工夫がみられるものでした。この学校の社会科はどの先生も課題や進め方に工夫をしています。そのよい影響が若手にも見られます。この日の授業の導入は、雪国に住みたいか、住みたくないかという質問でした。無責任に答えられるので、どうしてもテンションが上がり気味です。たとえ理由を聞いても、それは個人的なものなので、議論としてはかみ合いません。このような導入をするのであれば、短時間で終わらせる必要があります。意味なくテンションは上げない方がよいのです。このことを意識することで、様子はずいぶんと変わると思います。より根拠を意識したものにしたいのなら、「友人に雪国住むのを勧めるか、それともやめるように説得するか」といったものにすればよいでしょう。客観的な理由が求められるからです。「深く考えさせたい」「掘り下げたい」のであれば、雪国の市長になって人口増加のための施策を考えるというのも一つです。子どもが「考える」ことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

中堅の先生の国語の授業は、1年生の古文でした。明るく、子どもたちをよく受容できる先生です。ちょうど文法の場面でしたが、中学校では子どもたちにほとんど知識がありません。係助詞の説明をするのですが、活用形のことすらよくわかりません。どうしても一方的な説明になってしまいます。知識を教えたい気持ちはわかるのですが、今の時点で最小限伝えるべきことは何かを考えて、絞り込むことも大切でしょう。
説明中に1人の子どもが手を挙げずに質問しました。私にはその内容がよくわかりませんでしたが、授業者はそれに答えました。おそらく、他の子どもも私と同じ状態だったでしょう。もし、全体に説明すべき内容であれば、その質問内容を全体で共有する必要があります。個人的に答えればすむのであれば、後で個別に対応すればいいのです(「公的」か「私的」か判断する参照)。ちょっと気になる場面でした。
古文では音読が大切です。授業者はそのことしっかりと意識していました。授業者は口をしっかりあけて読むことを第一のポイントとしていたようです。範読もそのことを意識しています。しかし、教科書に目がいったまま、子どもたちの口元をしっかりとは見ていませんでした。ここは、目指す姿(口をしっかりあけている)を見つけて、ほめることをしたい場面です。評価することで子どもたちも意識をするようになります。目指す姿がしっかりとあっても評価と一体とならなければ実現はできないのです。

中堅の先生の理科の授業は、光の屈折の実験でした。授業者は子どもたちをしっかり受け止めながら授業を進めていました。半円柱のガラスを使った実験の後、直方体ガラスを使って光の進み方を実験します。ここでは時間がないため記録を取らずに光の進み方の観察だけするよう指示しましたが、その前に屈折や全反射についての実験をしているので、それを活かしたいところでした。前の実験でわかったことを使って、どのように光が進むか予想をさせるのです。その後に実験をすれば、予想が当たった、外れたことについてもう一度じっくり考えるはずです。理科は、実験からわかった性質や法則を、現実を予想したり、期待した動きをするものを作ったりすることに役立てる教科です。そういう理科のよさや面白さを体験させることができたはずの場面でした。次の機会にはそのような課題を与えてほしいと思います・

5年目の先生の数学の授業は、定期試験の結果が悪かった学級でした。そのことを意識して観察したのですが、授業者と子どもの関係は良好です。どの子どもわかろうと話をしっかり聞いています。友だちと相談もできます。ただ、力のない子どもが教師の説明の途中であきらめてしまうのが目につきます。また、授業者もわからせたいと思うあまり、一方的に説明する時間が増えているようにも感じました。ここは、あえて子どもたちでわかるための時間を多めにとる必要があるように思いました。子どもが友だちの発表をあまり真剣に聞かないことも気になりました。発表に対して授業者がすぐに説明をするようになってきていることと無関係ではないでしょう。
子どもが習熟するための時間も少ないように思いました。教師の説明が増えるということは、考える、習熟するといった子どもの活動の時間を奪うことにつながります。悪循環にならい内に断ち切ることが必要だと感じました。

3年目の先生の数学の授業は、円の接線の場面でした。円の接線の定義と性質の因果関係がはっきりしません。よく整理できていないままに授業に臨んだようでした。
このことについて授業者は、「教材研究の時間が取れなくて不十分な状態で授業をしてしまった。子どもたちに申し訳ないことをした」と語りました。言い訳をせずに「申し訳ないことをした」という言葉が出てきたのは好感が持てます。教材研究ができなかったことはほめられたことではありませんが、子どもに対する姿勢は評価できます。
今、困っていることを聞いたところ、「子どもの発言が減ってきた」ということを挙げました。その理由を聞いたところ、「子どもが自信を失くしている」というのです。先ほどの学級だけでなく、1年生全体の数学の試験の結果が悪いこともその一因のようです。「子どもが勉強していない」といった理由であれば、叱ろうと思っていたのですが、そうではありません。子どもたちに自信を持たせなければいけない。それは教師の責任である。そう思ってくれているのです。教師としての力が足りなければつければいいのです。子どもに自信をつけるために必要と思えることをやればいいだけです。どれが正解かわかりませんが、世間ではいろいろな試みがされています。わからなければ聞けばいいのです。しかし、子どもたちのせいにしてしまえばそれで終わりです。教師の問題だと思うところから始まるのです。真剣に考えていることが表情からも伝わってきます。成長していることを強く感じました。
1年生の担当者で知恵を絞って、子どもたちに自信をつけさせるための手立てを考えてくれることと思います。先ほどの5年目の先生もそうですが、皆さん子どもたちに真剣に向かい合ってくれています。力を合わせればきっとよい解決策は浮かんでくることと思います。私も、自分がやってきた方法をいくつかお伝えしておきました。

1年生の数学の問題は、おそらく数学だけの問題ではないと思います。授業についていけない子どもが増えてきている。それに伴い学級でも孤立し始めている。その危険を感じています。教師によって態度が異なるということは、教師側が変われば済むことです。極論すれば、2年生になった時に担任や教科担当者が変われば解決してしまうことかもしれません。しかし、学力の問題は待ったなしです。単に勉強をさせるという発想ではなく、先ほどの3年目の数学教師が言っていた、「自信が持てる」ということとその一つ前の段階、「自信がなくても参加できる」授業をどのようにして実現するか。それと並行して、学力的に苦しい子どもが学習に前向きに取り組めるようにするために、授業以外の場面でどのような手立てを講じるか。これらのことが課題となっているように思います。いろいろと困難はあるでしょうが、学校全体で力を合わせて乗り切ってほしいと思います。

小学校でPTAに講演

小学校のPTA対象に「子どもたちをどう育む‐メンタルケアとネットの問題について‐」と題して講演を行ってきました。今年4回訪問して授業アドバイスを行った学校です。

収容人数60人ほどの会議室が満席でした。参加されたのはお母さん方ばかりでしたが、皆さんとてもよく反応して下さり、とても話しやすい雰囲気でした。
最初にお子さんのよいところ10個以上書いていただきました。真剣に取り組んでいただけます。なかなかペンが止まりません。ある程度動きが止まった時点で、まわりと見せ合うようにお願いしました。よいところなので、気軽に見せ合うことができます。全体の雰囲気が和やかになりました。挙手で確認したところ10以上書けた方はあまり多くはありません。意外にいいところが書けないことに気づいていただけたようです。

いじめる子、いじめられる子を例に、子どもたちが自己有用感を持てていない苦しさを伝えました。自分が人に必要とされている、自分が自分を認めることができることはとても大切です。学校、家庭、…どこかに居場所がある子どもは崩れません。そのことをまず知ってほしいと思います。家庭での役割を持たせることは、家族の一員として必要とされていることを伝えることです。報酬を対価とせずに、「ありがとう。あなたがいて助かる」というメッセージを伝えることが大切です。

親が子どもに向き合う姿勢として、いかによい聞き手になるかを意識してもらいたいと思います。まずは無条件にあなたを認めていることを伝えるのです。そのために、どんな言葉でも否定せずに受容することが大切です。親が結論を与えるのではなく、一緒に考えて子どもに判断させることを心がけるのです。親の価値観を一方的に押し付けないようにしてほしいと思います。子どもを他者と比較せずに、その子の進歩を認めてほめる。このことを心がけるようお願いしました。

言葉には強い力があります。言霊という言葉があるくらいです。「わがままな子」というレッテルを貼ってしまうと、本当に「わがままな子」になってしまいます。子どもの行動には理由があります。その理由を考えるようにしてほしいと思います。子どもがキレル時は、言葉が切れる時です。自分の気持ちを伝える言葉を持たせてあげることが大切です。子どもにたくさんの言葉を使って語りかけるようにしたいものです。

Iメッセージを大切にすることもお願いしました。あなたがいてうれしい、あなたが私の子どもでよかった。こんなメッセージを日ごろから送り続けてほしいと思います。叱るときも、その行為を叱るのであって、決して人格を否定しないようにお願いしました。

よい子であることを求めすぎないということも強くお願いしました。よい子は親の期待に応えたいと考えます。自己実現が親の期待に応えることになってしまうと、親の愛情は自分がよい子であることによって得られると思うようになります。よい子と言われて育った子は、今更悪い子になれない、苦しいのです。うまくいかないストレスの発散の方法を知らないのです。「あなたは、いい子だからお母さんはうれしい。愛している」といったメッセージを送らないように注意してほしいと思います。よい子という評価は、一つ間違えると「よい子になれ」という強迫なのです。

最後に、ネットの問題について少し次時間を取ってお話ししました。今やネットのトラブルは小学生にまで下りてきています。
携帯ゲーム機などがネットにつながり、小学生が犯罪の被害者にも、加害者にもなっている。時代の変化が早いためついていけない。誰にも相談できずに直接警察に相談に来る子が目立つ。まわりの大人に相談できる関係が大切である。
こんなことをお話ししました。日ごろから無条件に子どもを認めてあげることが、困ったことを相談できるためにも大切です。このことを改めてお願いして講演を終わらせていただきました。

講演終了後、PTAの広報部の方とお話する時間をいただけました。ここでは、ネットのトラブルについていくつか質問をいただきました。この種の情報は保護者より子どもの方が進んでいることは間違いありません。保護者の情報交換の場が必要であることを痛感しました。この地区でも是非そのような試みが広がることを期待します。

アンケートの結果は好評だったようで、一安心です。近くの小学校からも参加者があったのですが、その学校は学級崩壊が目立っているようです。アンケートにぜひその学校でも講演をお願いできたらと書かれていました。おそらくは、保護者への講演のことだけでなく、学級の立て直しのことも頭にあるのでしょう。たまたまその学校の校長と知り合いなので複雑な思いです。よい形でかかわることができるように少し動いてみようかと思います。

5時間目の学校の様子を教務主任と見させていただきました。授業の上手いベテランの学級で子どもたちが印刷物を後ろに配るときに、「ありがとう」と言っていたのが印象に残ります。よいと思うことはすぐに取り入れる柔軟さに感心しました。ただ、子どもたちが相手と目線を合わしていないのが残念でした。子どもたちがきちんとコンタクトを取りながら「ありがとう」を言えるようになればとても素晴らしいと思います。
若手の学級で少し気になることがありました。私のアドバイスを忠実に実行しているのですが、教室が今一つ落ち着きません。2人くらい行動の遅い子どもがいます。その子どもに素早い行動をうながすのですが、なかなか聞きません。あえて無視しているようにも見えます。また、できる子どもだと思いますが1人だけ体を横に向けて、後ろと話をしたりと授業規律を乱すようなことをします。とはいえ、限度を超えるようなことはしないので、授業者も注意をしません(できません)。苦労をしているなと感じました。Iメッセージでのしかり方を伝えておけばよかったかもしれません。「○○さんが横向いていると先生が話しにくいんだけれど」と自分(I)が困っていることを伝えるのです。行動の遅い子どもにも同様の対応をするといいかもしれません。うまくいく保証はありませんが、挑戦する価値があると思います。よい方向に変化することを願っています。

この日もとても充実した時間を過ごすことができました。教務主任からは来年度に向けた思いも聞くことができました。このようなエネルギーがあれば、きっとこれからも学校がよい方向に変わっていくことと思います。また訪問できる機会があれば幸いです。

養護教諭の授業から学ぶ

養護教諭の研修会で、授業研究に参加してきました。単元は、小学校2年生の「ぼく・わたしの誕生(命の学習)」です。担任とのTTで行われました。
夏休みに講演をさせていただき、それに続いて今度は実際の授業をもとに皆さんと一緒に考えようという企画です。

授業者は若手の養護教諭です。この授業に向けて他の学級でも事前に授業をして臨んだようです。授業の導入は赤ちゃんになる前は何だったかを問うことから始まります。すぐに卵と正解を言う子どもがいます。ここのやり取りは担任にお願いしていました。担任はベテランで、優しい笑顔が印象的な方でした。3択で進めます。「じゃあ誰かが卵って言ったから、1番は卵」と受けました。なかなか見事です。クイズですから子どもたちのテンションは上がります。正解の発表から養護教諭の出番です。卵という意外な答えに子どもたちは「え〜」とテンションが上がります。続いて卵の大きさを問います。学習していない知識を問うことばかりです。何か根拠をもとに考えることでもありません。無責任に参加できるのでテンションが上がっていくのは当然です。チョークで黒板に点を打って、この大きさだと示します。実際に紙に鉛筆で点を打たせてその小ささを実感させます。こういうところはよく考えられていると思いました。子どもたちのテンションが上がりすぎた時は、担任が介入してくれます。担任の声が聞こえると、子どもたちはすぐに落ち着きます。日ごろからよい授業規律を作っているのでしょう。

ここで、この日のめあてが示されます。「ぼく・わたしがうまれてくるまでのようすをしろう」です。このめあてに違和感を覚えます。この時間は知識を得ることが目的なのでしょうか。実はそうではありません。家族への感謝の気持ちを持ってもらい、メッセージを書くことです。授業者はそれをストレートにめあてにすると展開が見えてしまうので、悩んだ末にこのようにしたそうです。
子どもとやり取りしながら、黒板に赤ちゃんが生まれるまでの成長の様子を示していきます。授業者は、どの子もきちんと固有名詞で呼びかけます。お腹の中の赤ちゃんの大きさを考えさせると、とてつもない大きさを示すことどももいます。担任は生まれてくる赤ちゃんの大きさを考えるようフォローを入れて、根拠をもって考えるように誘導します。参加できていない子がいればそれとなく近づいて声をかけています。よいサポートをしてくれます。
へその緒の役割を聞く場面でした。手が挙がる子どもは数人です。指名した子どもが答えた後、「どうですか」とみんなにたずねます。「いいです」と声が返ってきます。こんなおかしなことはありません。子どもが発表したのは知識です。知っていなければ、いいかどうかの判断はできません。とすれば、これだけ多くの子どもが知っていたのに、手を挙げなかったということです。それとも、無責任に「いいです」と言ったのかもしれません。また、知らなかった子どもは、参加しようがありません。この話型はどうやらこの学校の統一ルールのようです。すべての場面で否定するわけではありませんが、少なくともこのような場面ではナンセンスです。再考してもらいたいと思いました。

子どもに知識を問うて、答えさせるという場面が延々と続きます。知識のない子ども、答えられない子どもの集中力は下がります。自分で考え?るように指示すれば、無責任に想像するしかありませんから、テンションが上がります。この繰り返しになってしまいました。

赤ちゃんがさかさまになって生まれる理由を聞きます。「手足が引っかからないため」と答えてくれました。授業者は「それもあるかもしれない」と受けて、他にないか聞きました。子どもを否定しないように対応したつもりなのかもしれませんが、授業者が求めていた答ではないことはすぐにわかります。こういう場面が続くと、子どもたちは教師の求める答探しをするようになってしまいます。意識して気をつけたいところです。

赤ちゃんの人形を見せます。子どもたちのテンションは上がります。ここで、担任が「あとで抱いてもらう」とフォローします。後で触ることができるとわかることで落ち着きます。また、何か課題があるのかと考えて、話を集中して聞くようになります。
最近弟が生まれた子どもがいます。当然赤ちゃんに関する知識をたくさん持っています。積極的に発言してくれます。そうであれば、授業者が説明することをもっと減らして、「○○さんに教えてもらおうか」というようにして、子どもを活躍させて進めるように切りかえてもよかったのかもしれません。
赤ちゃんの首がすわらないことと抱き方を関連して説明します。続いて、子どもに赤ちゃんの人形を順番に抱かせます。予想通り、テンションがマックスになりました。なぜなら、赤ちゃんの人形を抱く目的が示されていないからです。順番を待つ子ども、終わった子どもの役割はありません。まさに、活動だけの場面だからです。「赤ちゃんの首が折れてしまわないように抱けるかな」「上手に次の人に渡せるかな」「だれが上手く抱いているかよく見ていていてね」というように、目標や評価を明確に与える必要があります。
子どもたちの感想を聞きます。「重たかった」ばかりです。当然です。子どもたちに親の視点をきちんと与えていないからです。気をつけることをきちんと与えて、親はいつもそのことに気づかいながら、重たい赤ちゃんを抱いている。その気持ちを問わなければ意味のない活動です。

妊婦体験も代表の子どもにさせます。消しゴムを拾わせて、物を拾うのも大変なことを知らせます。そこから、まわりの大人たちも妊婦を思いやっていたことに気づかせなければいけません。でなければ、この日の授業者の本当のねらいに近づかないのです。

友人に書いてもらった、母親から子どもへの手紙を朗読します。子どもたちはこの話を聞く意味がわかりません。赤ちゃんがお腹の中にいた時の気持ち、生まれた時の家族の喜びを伝えるのですが、子どもたちにとっては他人事です。BGMまでかけているのですが、その演出も子どもたちには伝わらないのです。

自分の誕生に関しての感想や感謝の気持ちを書かせるという、本時の本当のねらいの活動に行き着くまでに、大半の時間を使ってしまいました。
「ぼくは、私は家族みんなから(   )ている」という穴埋めを考えさせます。今までほとんど、誕生と赤ちゃんに関する知識の伝達ばかりです。先ほど知らない人の気持ちを聞かされただけで、突然このようなことを聞かれても戸惑います。そのような視点はこの授業で、今初めてでてきたのです。
ある子どもが「愛されている」と答えてくれます。ここでもまた、「どうですか」です。この答に対して「いいです」は全くそぐいません。いいかどうかではないのです。その子しかわからないことだからです。これでは、この問いの意味が全くなくなります。ここは、本当は「どういう時に感じる」と聞き返すべきところなのです。しかし、そう返してもおそらく子どもは困ってしまうでしょう。自分の家族を振り返って答えたのではなく、授業者の求める答を想像して答えたと思われるからです。

最後におうちの人にメッセージカードを書かせます。ここで、多くの子どもたちは手がつきません。何を書いていいかわからないのです。当然です、今まで家族のことを考える場面が一つもなかったからです。担任が「考えたこと」「感じたこと」とフォローを入れますが、家族のことを考えたり感じたりはしていません。どのようなことが書かれるかは想像がつきます。
何人かに発表させますが、この日授業で知ったことが発表されます。「愛されているんですね」といった言葉が出てきますが、それを「言え」と指示されていると感じたから書いたのでしょう。具体的にどのような時、どのような場面で感じたかは語られないからです。

授業者はねらいを達成するためにどのような活動をしなければいけないかを明確にできていなかったのです。このことがよくわかります。参加者にとって学びの多い授業でした。

授業検討会で、授業者は本当のねらいと、子どもに示したねらいのずれをどうすべきだったのかということと、最後のメッセージを書く場面で子どもたちの手が動かなかったことを話題にしました。そこに気づけることが素晴らしいと思いました。また、参加者からは、養護教諭の専門性を活かすにはどのようにすればよいのかが話題になりました。その他にも、たくさんの意見が出ました。このような授業研究の機会が今まであまりなかったそうです。皆さんの学びたいという気持ちがとても伝わる検討会でした。
めあてについては、「妊婦やまわりの人の気持ちを考える」といったものにすれば、自分の親に置き換えて考えやすかったのではないかと思います。また、養護教諭の専門性に関しては、どこまで小学2年生に伝えるかは別にして、出産にはいろいろな危険が伴うことを伝えることが専門性を活かすことにつながると思いました。そのような危険があるけれどもあなたたちを産んだ。まわりの人もそれを支えた。どうしてだろう。そんな切り口から迫ってもよかったかもしれません。
最後に授業者から私に質問がありました。今日の授業のねらいから考えれば、どのような導入を私なら考えるかというものです。その場での思いつきですが、「みんな、赤ちゃんの時や、お母さんのお腹の中にいた時のこと覚えている?」と言った問いかけから、「じゃあ、今日はその時みんなはどんな風だったか、お母さんやまわりの人はどんな気持ちでどんな風にあなたたちと接していたか考えてみよう」として、知識はできるだけ簡単に伝えて、母親やまわりの人がどんな気持ちで、どのように接していたかについて時間を使いたいとお答えしました。

私自身養護教諭の授業を見るのは初めての経験でした。TTのあり方も含め、いつもの授業以上にいろいろなことを考えるきっかけになりました。来年以降もこのような場を設けるということでした。とてもよいことだと思います。またお手伝いさせていただけることを楽しみにしています。

どの子どもも参加できたグループ活動

昨日の日記の続きです。

研究授業は若手の英語の授業です。1年生の代名詞の使い方の練習の授業でした。
子どもたちはとてもよい表情で授業に参加します。授業者と子どもたち、子ども同士が、日ごろからとてもよい関係であることを感じさせます。
前回訪問時に私がお話したことを自分なりにアレンジして実行しています。主語を表わす絵カード、述部を表わす絵カードを準備して、その組み合わせで ”I play tennis.” “He plays tennis.”と文を作って全体で言わせます。授業者の言ったことをそのまま言うのでも、カードに書かれた文字を読むのでもありません。子どもが絵の表わしていることを表現しようと英文を作るのです。当然要求レベルは上がります。子どもたちは考えて声に出すのですが、自信のない子もいます。ついていけなくて口が開かない子どももいます。問題はここではありません。この後、すぐに次の文を作らせていたことが問題なのです。1回だけでは、わからない子は全く参加できません。全員の口が開くまで、何度も言わせてほしいのです。同じ文を、みんなの声がそろうまで何度も言わせるのです。友だちの声を聞くことで理解することを経験させるのです。大切なのは活動ではなく、全員が身につけることです。
この場面で、最初から代名詞を使って表現させたことが引っかかりました。”Ms.○○ plays tennis.” ”She plays tennis.”というように、最初は固有名詞で表現して、それを代名詞で言い換えさせると英語における代名詞の使い方をより理解させることができます。そういう ”situation” を大切にしてほしいと思います。

グループでの最初の活動は、グループごとに用意されたカードをめくって、そのカードが表す動詞を使って全員が英文を作るものです。何人か苦しい子どもがいます。他の子どもたちは辛抱強く待ってくれますが、なかなか声を出すことができません。まわりの子どもの言葉をまねして何とか進んでいきましたが、自分から助けを求めることはできません。表情もさえません。とは言え、全体的には子どもたちは頭を寄せ合いながらよい表情で取り組みます。カードを机の真ん中に積んでいることも、子どもたちの体が近づくことに影響しているかもしれません。
活動終了後、どのグループが頑張っていたか、No.1はどこと授業者が評価します。一部のグループだけを評価するのかと思ったのですが、数グループに順位をつけた後、残りのグループも「じっくり取り組んでいた」「助け合っていた」というように、具体的によいところを評価しました。丁寧な対応です。子どもたちをしっかり見ていることが伝わります。子どもたちの表情がよい理由がわかった気がしました。

次に芸能人の写真を見せて、”Who is this? Do you know her?” と知っているかどうか挙手で聞きます。子どもたちの手が挙がりません。手の挙がらない子どもを指して、”He doesn’t know her.” ”She doesn’t know her.” と全体に対して伝えます。こういったやり取りを何人かの芸能人の写真で行い、 “she” と “her”、”he” と “him” の関係を理解させます。やり方としてはよいのですが、この関係を理解するのに必要のない、だれがだれの妹であるといった情報も簡単な英語で授業者が伝えます。確かに英語のコミュニケーションとしては意味があるのですが、この場面で押さえるべきこととしては、ノイズになってしまいます。シンプルな例で、ねらいとなるものをきちんと理解し、身につけさせることが大切です。テンポを上げて、すぐに口から出てくるようになるまで、何度も練習することが大切です。活動の密度がちょっと薄いのが気になりました。

ここで、初めての試みとして、バディを利用したグループ活動を行いました。前回の私のアドバイスをヒントに、授業者と英語科、研修部が知恵を絞って考えた新しい活動です。子どもたちがどのような姿を見せてくれるか、とても楽しみです。
具体的には、ペアで相手の持っている情報を英語でたずねて、その情報をもとにその人が誰かを当てるという活動です。それぞれにバディ(相棒)がいます。バディは、困った時に助ける役です。質問側のバディは質問の答も記録します。バディとの対話は日本語を使うことが許されます。答える側の情報は用意された封筒に入っていて、それにもとづいて答えます。最後に、対話を聞いていてよかったところをそれぞれのバディがメモします。

子どもたちに情報の入った封筒を渡します。授業者は、“Don’t open.” 「まだ、開けちゃダメ」とすぐに日本語で言い直します。せっかく英語を使っているのですから、すぐに日本語にせずに、何度かジェスチャを交えて子どもに少しでも自力で理解させたいところです。
子どもたちは、とても楽しそうに課題に取り組みます。英語でのグループ活動が楽しいものになっていることがよくわかります。先ほど気になった子どもの様子はどうでしょうか。答える側になった時、どうしていいかわかりません。そこで、助けを求めるようにバディの子を見るのです。バディやペアの組み合わせはすべて男女です。バディの子はそれまでぼうっとしていたのですが、そのことに気づいて何とか助けようとします。苦しいながらもなんとか進んでいきます。表情が笑顔になっていきます。自分のバディが答える時には、助けてあげることはできません。しかし、体をバディの方に傾けて手元をずっと覗いています。対話の内容を知ろうとしているのです。
もう一人の気になる子どもは、バディが優秀なのでしょう。つきっきりで、一言一言どういえばいいのか伝えてもらっています。たどたどしながらも、教えてもらうことで、なんとかクリアしていました。
最初のグループ活動と比べても、どのグループも集中度が高いことが印象的です。最初のグループ活動は、友だちが話す時は正しいかどうかちゃんと聞いているのですが、役割としては ”one of them” です。自分でなければいけないということはないので、他の友だちに任せておけばいいという気持ちもあります。今回のグループ活動は、それぞれに明確な役割があるので、集中度が高いのです。
子どもたちの、対話を聞いていると ”his” と “him” が混乱する間違いがかなりあります。三人称単数現在の ”s” もよく落ちています。しかし、それを自分たちでなかなか修正できていません。英語の活動としては、ここは何とかしなければいけないところです。1回終わったところで止めて、どんなことを助けてもらったかを聞いて、間違いを共有する方法があります。教師が「こんな間違いがあったから気をつけよう」とはっきり指摘してもよいかもしれません。
役割を交代する時、課題の入った封筒をもらいます。その時少しテンションが上がります。緊張から解放されているのかもしれません。しかし、活動が始まればすぐに落ち着きます。とてもよい状態でした。
よいところを伝え合う場面でも、子どもたちはとてもうれしそうにしています。どの子どもも参加できたグループ活動でした。

最後に答える役の子どもを前に一人出して、全体で取り組みます。挙手によって質問して、答えるのですが、一部の子どもしか参加できません。こういう場面はもう少し工夫をする必要があります。”His favorite animal is cats.” といった、質問の答に対して全員で “Oh, I see. His favorite animal is cats.” と答える。授業者が ”Is his favorite animal dogs?” “What is his favorite animal?” といったことを、全体に問いかけて答えさせる。このような、友だちの発言を聞くことが参加につながる活動を入れ込むことが必要でしょう。

授業検討会は子どもたちの事実について多くのことが語られるよいものでした。自信がない子どもが参加できていたこと、子ども同士がかかわれていたことがたくさん報告されました。先生方が評価に困っていたのが、できない子どもは助けてもらいながらやっていたが、バディが言った単語をそのまま繰り返しているだけだった。これで学力がつくのかということです。確かにその通りです。これで学力がつくとは言えません。では、他にどのような方法があるのでしょうか。できない子どもが参加して学力がつく方法があるのならそれをぜひ共有して、みんなで実践すればいいのです。このことを先生方にお話ししました。彼らが、授業に参加することさえできない状況から、一歩進んで授業に参加できた。このことをまず評価してほしいと思います。佐藤学氏がよく使われる、有名な「一人ひとりの背伸びとジャンプ」という言葉があります。今回は、授業に参加するという「背伸び」ができたと評価したいところです。できる子たちも、友だちに教えることでいつも以上に多くのことを学べたと思います。
もう一つ話題になったのが、子どもたちが間違えたままそれを修正できずに進んでいたグループがあったことです。このことの原因の一つが、代名詞の使い方が定着していなかったことです。この活動で必要とする使い方を、もっと全体で練習しておく必要があったと思います。この活動は定着というより、活用です。密度の濃い、定着のための訓練も必要だったということです。

今回も非常に挑戦的な授業研究でした。私自身たくさんのことを学ばせていただきました。毎回、授業者と教科、研修部それぞれが力を合わせて授業をつくり上げています。研究とはこうありたいと思います。授業研究で互いに学んだことがどう全体に広がっていくか、次回がとても楽しみです。

この日は懇親会を催していただき、楽しい時間を過ごすことができました。たくさんの先生とお話することができました。授業に前向きな方がたくさんいらっしゃいます。授業談義に花が咲きます。素直に自分の授業を振り返って、改善しようという意欲を見せてくれます。このような学校とかかわらせていただくことで、私も多くのことを学ぶことができ、元気をいただくことができます。皆さんに感謝です。

授業の課題が明確になっていく

中学校の現職教育に参加してきました。今年度4回目の訪問で、3回目の授業研究です。毎回質の高い提案授業なので、この日もとても楽しみでした。

授業研究の前に、学校全体の様子を2時間見せていただきました。先生方に子どもを受容しようとする姿勢が見られだけでなく、柔らかい雰囲気の中でしっかりと授業規律ができている学級も増えています。指名されて答に詰まった子どもを、まわりの子どもが助ける姿も目にします。

一方、指示の徹底ができていない場面も前回同様まだ目につきました。多いのが、子どもに顔を上げるように指示しても、待ちきれなくて全員の顔が上がっていないのにしゃべることです。中学校は進度が気になるので、なかなか待てないのもわかります。であれば素早い行動をうながすことが大切です。顔を上げて教師の話を聞くことは、授業規律として一番注意したいところです。

また、子どもの発言に正解といった言葉を返す授業はほとんどないのですが、1人指名してすぐにそれを引き継いで教師が話すことが多く見られます。一問一答形式になっているのです。「今の意見と同じ人」と問いかける場面は多く見るのですが、そこで終わらずに、同じ意見の子どもを指名して、発表させたいところです。何人か同じ意見の人を発表させ、納得したかどうかを他の意見の子どもに問いかけるのです。そうでなければ、子どもたちが友だちの意見を聞く意味がありません。つなぐことは難しいように思いますが、同じ意見、その意見を聞いて考えがどう変わったか、変わらなかったのか、その理由などを聞くことを意識すれば、それほど苦労せずにつながっていくと思います。大切なのは、何を話してもバカにされないという安心感、間違えても笑い飛ばせるおおらかさのある教室にすることです。

子どもの外化や活動を評価する場面もまだ少なく思いました。教師ができるだけ具体的にポジティブな評価をすることが大切です。また、自己有用感を持たせるためには、子どもが自己評価できることも重要です。活動のゴール、目標を子どもにわかる形で伝えることが大切です。行動だけを指示するのではなく、評価基準を具体的にして示すのです。例えば、音読であれば、ただ音読するのではなく、「主人公は誰か」「主人公の気持ちが変わった場面はどこか」といった目標を明確にするだけで、子どもの動きは変わっていきます。

子どものつぶやき拾うことを意識している方もいらっしゃいます。このこと自体はよいことなのですが、つぶやいた子どもと2人の世界に入ってしまうことが気になりました。価値のある発言であれば、全体で共有する必要があります。「今いいこと言ってくれたね。みんなにもう一度聞かせてくれる。みんな○○さんの考えを聞こう」と全体向けて発言させるのです。もし、個人的なことであればその場で答える必要はありません。にっこり笑ってうなずくだけでよいのです。聞いていることを伝えておいて、必要であればあとで個人的に話をすればいいのです。

作業の準備態勢ができてから教師が話す場面も気になります。印刷物を配れば、読みたくなります。そこに課題が書いてあれば取り組もうとします。そこで、教師が説明をしても集中させるのは難しいものがあります。説明するのに印刷物を見せる必要があるのなら、実物投影機などを使います。先に説明をすることで、印刷物が配られたらすぐに作業に入れるようにするのです。同様のことが、グループ活動にも言えます。グループの形にしてから説明を始めるのではなく、指示をしてからグループの形にするのです。グループになって上がった子どもたちのやる気、集中力を削がないためです。

ICTの活用で、机の上に置いたパソコンを操作しながらしゃべっている場面が気になりました。手元のパソコンを見ているために、子どもを見ることができないのです。せめて、ワイヤレスマウスを準備すれば、子どもを見る機会がずいぶん増えます。こういった工夫を大切にしてほしいと思います。

理科の天体の動きとその見え方の時間で、太陽や地球役にした子どもを動かして考えさせる場面がありました。しかし、天体役に指示を出したり、他の子どもたちを見やすい位置に移動させたりで、何を見ればいいのか、何をしようとしているのか、再度子どもに確認することがありませんでした。子どもたちは、天体役を楽しそうに見ていますが、その目的をあまり意識はできていませんでした。

国語の授業で登場人物の気持ちを読み取る場面でした。なぜその人物の気持ちを読み取ることが課題なのかがわかりません。物語を読むとはどういうことなのかを明確にして、課題に必然性を持たせたいところです。授業者は、読み取るための方法を意識していました。わからない子どもに、わかるための手段を提供することは大切です。気持ちは何でわかるかを問いかけ、「表情でわかる」を引き出しました。こういう姿勢はよいのですが、いつも表情で表現されているとは限りません。今までの経験をもとに、「思ったといった言葉で直接表現される」「表情や様子といった人物の外見で表現される」「人物の取った行動で表現される」「まわりの情景描写で表現される」というように、きちんと整理をしておくことが大切です。

いろいろと気になることはたくさんあるのですが、それは確実によい変化があらわれている証拠でもあります。できることが増えれば、できないことがよりはっきりと浮かび上がるからです。課題が明確になるのです。変化に個人差がありますが、学校全体としてよい方向に変わりつつあるのです。授業研究がよいきっかけとなって、変化を促しています。今回の授業研究もその期待を裏切らないものでした。

授業研究については明日の日記で。

新たな一歩を踏み出そうとした数学の授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。授業者は他府県で2年間勤めた後、愛知県に来られて3年目の先生です。2年ぶりに授業を見せていただきました。3年生の数学で、幾何ツールを使った重心の授業でした。

授業者は、今回の課題で初めて幾何ツールを活用した授業に挑戦しました。指導案を見る限り、コンピュータを活用した授業にまだ慣れていないと感じました。そのことを事前に校長にお伝えしたところ、「普通の授業ならもう安心して任せられる。だから今回は、あえて挑戦させたかった」ということでした。

授業の第一印象は先生も子どもも笑顔が多いということでした。指示もきちんと通ります。子ども同士の関係も良好で、友だちと相談する姿がよく見られます。授業規律も人間関係もしっかりとできています。日ごろから、基本的なことがしっかりできていることがよくわかります。この日の授業は、教科面に集中してアドバイスすることにしました。

最初に紙で作った三角形のある点P(重心)にコンパスの針を刺して回転させます。クルクルと回ります。この点がどんな点かがこの日の課題です。「どんな点」という言葉は明確ではありません。この言葉を使うのなら、より明確な言葉に変えていく活動が必要です。しかし、考えるための材料が全くありません。「どのような性質があるのか」「どうやれば見つけることができるのか」といったところに視点をもっていきたいのですが、全く手がかりがありません。子どもの中から「実はどこでも回る」というつぶやきが出てきました。とてもよいつぶやきです。本来なら、他の点ではうまくいかないことを確かめて、クルクル回る点の秘密を知ろうと進めたいところです。しかし、この「クルクル回る」を追究しても、数学としてはうまく扱えません。「クルクル回る」という物理的な性質を条件として重心を導き出そうというのは、中学生ではまず無理だからです。この導入は数学的につなげることはとても難しいのです。

考えやすいようにと、二等辺三角形でまず考えます。なぜ二等辺三角形だと考えやすいのでしょうか?そのことには全く触れられません。点Pについて一切の情報がないのですから、おかしな話です。「一般ではよくわからない時には特殊な場合を考えて見通しを持つ」というメタな考え方を過去の授業で経験しているのでしょうか。もし、そうならその場面を思い出させることが必要です。そういった経験がないのなら、そのことに気づかせる活動が必要です。二等辺三角形にこだわらず、幾何ツールで「自由に変形させて、手が出ない」「意図的に動かしたら何かに気づいた」といった経験をすることが必要なのです。

「頂点を底面と平行に動かすと、点Pも平行に動く」「点Pを底辺と垂直に動かすと点Pも垂直に動く」「頂点を底辺の中点から底辺と垂直に動かすと点Pもその垂線上にある」「点Pをまっすぐ(直線上を)動かすと、点Pもまっすぐ(直線と平行な直線上を)動く」といった気づきを子どもから引き出し、そのように動かした理由を聞いて、そのことを価値づけするのです。結論だけに注目しては、数学的なものの見方・考え方は身につきません。
点Pと頂点を結びたい。3つの頂点と結びたい。長さを測りたい。子どもからいろんな欲求が出てきます。そこで、考えを広げ、思考を深めるのです。頂点と点Pを結ぶと必ず底辺の中点を通ることに気づきます。点Pが中線を一定の比(2:1)に分けることに気づきます。3つの頂点と点Pを結んだ子どもは、すべて中線になっていることに気づくかもしれません。数学の授業としては、ここからです。やっと課題が見つかったのです。3つの中線が1点で交わること。どちらかから、他の性質が成り立つこと。こういったことを課題として数学的な探求をするのです。

授業者は二等辺三角形で頂点と点Pを結び、底辺との交点をDとした二等辺三角形を電子黒板に提示します。これも天下りです。また、点を結ぶことと延長することは、別の発想です。その必然性を考える必要があります。続いて、線分ADがどんな線分か考えさせます。考えるといっても、根拠がありません。見た目での想像でしかありません。しかし「考えて」と言います。数学としては違和感のある言葉です。子どもにたちに実際に幾何ツールを使って「調べさせたい」ところです。
子どもからは、「垂直二等分線」「中点と頂点を結んだ線」「二等分線」「線対称の線」といった言葉が出ます。授業者はそのまま進んだり、自分で「∠BACの」二等分線と足したりします。物わかりのよすぎる先生です。「二等辺三角形」の線対称の「軸」とは修正しませんでした。授業者は数学的な言葉に非常に鈍感です。主語がよく抜けます。数学ではありえないことです。「二等分線」と子どもが言ったら、「何の?」「どこの?」と問い返すことが必要です。教師が意識していないので、子どもも用語をきちんと使えません。1年生からしっかりと育てることが大切です。
子どもから言葉を引き出してから、幾何ツールで確かめました。全体で進めるのなら、「考えて」の前に、「どこを調べたい」「何を測りたい」と子どもに問いかけてから測るべきでしょう。「○○が言えそうだね」「予想がつくね」と「予想」であることを強調し、「予想」は確かめなければいけないと、次の活動につなげるのです。

「ADがどんな線か考えよう」と個別のパソコンで、どれが成り立つかを確認させようとします。課題が「点Pがどういう点か」から「ADはどんな線か」に変わっています。子どもたちは、その関連が今ひとつわかっていないようです。初めてのソフトの利用で戸惑う子どももいますが、まわりの子どもが助けています。戦略的に動かす子どももいますが、思いつきで動かしている子どもが目立ちます。本来はグループで探求させたいのですが、パソコンの配置が横にずらりと並んでいるのでグループ活動がやりにくいのです。環境面のハンディがあったことが残念です。
全体で何が言えそうで、何がダメかを確認します。指名した子どもに、ダメなことがわかるように頂点を動かすように指示します。感覚的にダメで終わりますが。1つでいいので測定して、否定すべきでしょう。「いつも」「絶対」成り立つは、1つでも反例をあげればいいことを押さえたいところです。

画面を見て、気づくことがないかと子どもたちに問います。点Pが中点を2:1に分けることを言わせたいのですが、ただ画面を見て気づくのなら、幾何ツールはいりません。黒板に図を貼っても同じです。子どもたちにどのような活動をさせて、どんな力をつけたいのかが、明確になっていません。
3つの頂点と点Pを結んだ図を指示に従って動かし、気づくことをワークシートに書かせます。このことにも違和感があります。自由に動かせるから幾何ツールです。自由に動かすことで発見があるのです。
全体で、気づいたことを発表させます。「頂点と点Pを結んだ線がすべて中線になっている」「点Pは中線を2:1に分けている」といったことが出てきます。これらの性質の因果関係は明確ではありません。条件や定義が明確ではないからです。「どうやったら作れる?」といった発問で、条件や定義を意識することができますが、もう時間がありません。
1人だけ中線で分けられた6つの三角形の面積が等しいと言った子どもがいました。どうやって気づいたのかは問いません。3つの線分が中線になっていることから気づいたのかもしれません。なんとなくかもしれません。そのことを確認せずに、幾何ツールで面積を測りました。
結局最後まで、根拠が語られることのない授業でした。ここまでを15分以内で終わり、出てきた課題を追究することに時間を使うべきでしょう。気づいたことから課題をつくり、それを追究することが数学では大切なのです。

厳しいことをたくさん書きましたが、授業者は数学の教師として大きな一歩を踏み出そうとしています。最初からうまくいくわけはありません。挑戦し続けることで初めてできるようになるのです。授業の基本は、本当によくできていました。2年前に指摘されたことを愚直にやり続けてきたことがよくわかります。そのことを本当にうれしく思いました。

授業アドバイスの後、何人かの若手の授業を見せていただきました。
挙手した子どもだけで進む授業が目につきました。一見すると子どもをよくほめているように見えますが、「いいですね」「素晴らしい」と抽象的にほめているだけなので、子どもにとってリアリティがなくなっている方もいました。子どもの方を向いているのですが、視線が子どもに落ちない方もいます。子どもが作業している時に、作業を止めずにしゃべる方も目立ちます。
机間指導をしても、本当に支援が必要な子どものところにいかず、自分から教師に声をかける子どもとばかり話している先生もいました。上手くかかわれる子どもとだけ関係をつくっています。こういう先生の学級は崩れやすい傾向があります。要注意です。

先ほどの数学の授業者のように、基本がしっかりとできている先生もいる反面、基本がまだ徹底できていない方もいます。このギャップを学校としてどう埋めていくかが大きな課題でしょう。互いに授業を見せあって学ぶような機会をもっとつくる必要あるのかもしれません。

小学校で授業研究(長文)

小学校の現職教育に参加しました。今年度2回目の訪問です。

授業研究に先立って全学級の様子を参観しました。全体的に感じるのが、授業規律がまだ確立できていないことです。作業が終わった時には鉛筆を置いて姿勢を正すように指示します。しかし、全員が姿勢を正さないままに教師は話し始めてしまいます。友だちの話を聞く姿勢もできていません。発表を聞く子どもたちの視線はなかなか安定しません。また、せっかく子どもが友だちの話を聞こうとしていても、教師が板書することで、子どもの視線を奪ってしまいます。一方、教師の視線も子どもたちの上を流れていきます。子どもたちに視線を送ることができません(視線を送る参照)。机間指導も、漫然と歩いているだけで何を指導するのか明確に感じられません。まわりを見ながら歩くだけなので、全体を見ることはできません。教師の死角で起こっていることに気づくことができないのです。
子どもたちの作業中に追加の指示や説明が目立ちます。なかなかきちんと止めることができません。教師が子どもたちの集中を乱すのです。
子どもの発言や活動に対する評価も、あまりありません。「いいです」以外の評価を聞くことはほとんどありませんでした。
挙手した子どもだけを指名して授業が進むので、わかる子、発言できる子どもしか参加できません。子どもたちは、教師がまとめてくれることを知っているので、それを写せば困りません。友だちの発言を聞くことの必然性がないのです。同じ考えの子どもを発言させる。それを聞いて納得したかどうかを確認し、その根拠を聞く。納得しなかった子どもに、納得したか再度聞く。納得できない子どもに、どこが納得できないのかをたずねる。このような活動が必要です。また、まとめは、常に教師がするのではなく、子どもにまとめさせ、板書が必要であれば子どもの言葉をそのまま使う。こういった工夫が必要です。
子どもはまじめに作業に取り組みます。板書も写します。しかし、先生の話は聞きません。子どもの作業をする姿と、教師が一方的にしゃべる姿を見ることがほとんどでした。
基本的な授業技術が身についていないように感じます。必要性を感じていないのかもしれません。学校全体で取り組むべき基本を具体的にして共有することが大切です。
その点でキーとなるのは教務主任です。授業参観に同行した教務主任は、私の指摘に納得して同意はするのですが、「今日はたまたま」という言葉を何度も使いました。しかし、では普段は具体的にどうなのかは一度も語られませんでした。残念ながらこの言葉を聞く限り、教務主任主導での改善はあまり期待できません。なぜなら日ごろから授業を見ていて「たまたま」と言うのなら、具体的にそうではない場面を伝えることができるはずです。「たまたま」という言葉の裏には、本当は「できていることもある」「できているはず」が隠れています。これは事実を認めたくない、言い訳の気持ちです。自分の意志で、改善のための具体的な行動を起こすとは思えないのです。
とはいえ、以前に訪問した時と比べて表情のかたい先生が減ったように感じます。子どもを受容しようとする意識がでてきたようです。管理職やリーダーに求められるのは、その次のステップを具体化することです。
また、算数では手順を教えて確認するだけの授業が目立ちました。子どもが思考する場面がないのです。これでは算数は解き方を覚える教科になってしまいます。教科の学習の基本は何かもしっかり共有してほしいところです。
もう一つ気になったのが、実物投影機を使わないことです。この学校はフューチャースクールでICT環境は整っています。タブレットを使わないまでも、実物投影機を使った方がよさそうな場面がたくさんありました。しかし、ほとんどの教師が使わないのです。

授業研究は2年目の先生の国語の授業でした。5年生の「大造じいさんとガン」の話のあらすじをつかむ場面でした。
授業者は少々緊張気味でしたが、笑顔を絶やさないように意識していました。子どもを受容しようという意識を感じます。前回通読した感想をたずねます。「長い」「感動した」といった言葉が出てきましたが、授業者は「感動した」だけを拾いました。こういうことが続くと、子どもは授業者が求めることを言おうとするようになります。無視されたということはその言葉は不正解です。子どもは挙手をして発言することを避けるようになります。不正解で恥をかくリスクがあるからです。それでも発言したければ、挙手せずにつぶやきます。この場面では、「長い」もきちんと拾うべきだったのです。「長い」はあらすじにつなぐことができる言葉です。長いからこそ、あらすじを追って整理する意味があるのです。
前時の復習の場面で、挙手しない子どもが多いことが気になります。中にはノートを開く子どもがいるのですが、そのことを取り上げません。挙手した子どもだけで進みます。ノートを開いている子どもを評価し、挙手していないのにノートを開かない子どもに参加を促すことが大切です。
この日の授業のめあては「大造じいさんとガンの話のあらすじをつかもう」です。
板書を写すのに「素早く、ていねいに」と指示します。評価の視点が具体的になっています。しかし、実際にどうだったかは評価しません。「○○さん、早いね」「△△さん、ていねいに書けたね」と評価しなければ定着しません。
机間指導しながら、「書けた人は自分の好きな場面を読んでください」と追加の指示をします。作業を止めずに指示しても通りません。「まだ、書いている人」と時間が来ても延長してしまいました。手を挙げたのは2人だけです。しかし、教科者を読んでいるのはほんの数人です。指示されたことにあまり意味があると思えないこともあり、ほとんどの子どもが無視したのです。この間、子どもの集中力は下がり、ざわつきます。最初の「素早く」という指示が全く意味を成しません。
気持ちの変化をとらえるために、2つの段落で、それぞれ大造じいさんの気持ちに線を引かせます。ここで、ただ気持ちに線を引いて、それを発表するだけでは意味がありません。どのようにして見つけたか、何に注目するのかといったメタを意識する必要があります。小学校の低学年では、「思った」「考えた」と直接的表現から見つけます。学年が上がると、「表情」「行動」といったもので表現されるようになります。高学年になると、「情景描写」で表現されるようになります。天気、色、音といったものが何度も出てくると、その変化が読み解くカギになります。そういうことを意識して読むことが必要になります。過去にどんなことに注目したか復習してから始める。発表をただ板書するのではなく、「どのような言葉」「どのような表現」に注目したかを明確にして整理する。そういう場面が必要になります。しかし、授業者は、そのどちらもせずに、ただ発表させるだけです。そして、大造じいさんの残雪に対する気持ちに点数をつけるように求めます。子どもたちは反応できません。当然です。基準がないからです。基準がないからわからないと話している子どももいます。なかなか答えてくれませんが、1人が点数を言うと、今度はテンションが上がります。一つの例が基準となると言いやすくなります。しかも、根拠は必要ありません。無責任に考えられるので、テンションが上がりだすのです。
続いて次の場面に移ります。せめて、今発表した気持ちがどう変わるか、対比することを意識して線を引かせたいところです。例えば「たかが鳥」という言葉に対する表現はあるかと問うのです。こういう視点を意識して文を読む訓練が必要なのです。
授業者は、点数をつけることで、大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化をわかりやすく意識させたいと思ったのでしょう。再び点数をつけて、点数が上がったことを根拠に気持ちが変わったことを説明しはじめました。感覚的に点数をつけて、それを根拠に説明しても読解力はつきません。素直に本文の表現を対比することで明確にすることができたはずです。国語として大切な活動は何かを考える必要があります。
続いて、大造じいさんがガンを捕まえようとした3つの方法に名前をつけるように指示します。この活動の意味がわかりません。名前をつけることよりも、大造じいさんの気持ちの変化とこの3回の挑戦の関係の方が大切です。そのことをしっかりと押さえる必要があります。必然性が必要なのです。また、授業者は3つの方法と言っただけで、具体的に確認しませんでした。これも要注意です。3つを全員が納得してから取りかかる必要があるのです。
子どもたちを3つにグループに分けて、それぞれにとらえ方を割り振り、名前をつけさせます。各自に渡した短冊に書かせて、黒板に並べて貼ります。
ここで、子どもたちにあらすじを書くように指示します。「えーっ」という声が上がります。当然でしょう。一つひとつ指示に従って作業しただけで、あらすじについては何も考えていません。そもそもあらすじとは何かということがきちんと定義されていません。「大造じいさんとガンは・・・お話しです」と文頭と文末を指定し、大造じいさんの残雪に対する初めの気持ちと終わりの気持ち、3つの方法を入れることを条件にします。なぜ、あらすじにこのことが必要なのでしょうか。これがわからなければこの活動に意味はありません。
国語の授業としては???が並ぶものでした。

授業検討はグループを活用した「3+1」で行いました。この授業をつくるにあたって、指導案の検討を全体で行い、模擬授業も事前に行ったそうです。参加者も、自分たちの授業として見ていたように思います。そのためか、模擬授業時点ではなかった、気持ちに点数をつけるがかなり話題になったようです。
今回、この市内の大学の学生も20人ほど参加しました。教員志望の学生に少しでも現場で学ばせたいという試みです。そのため、1グループの人数が多く、全員が意見を言うだけで、じっくり話し合って考えを深める時間を取ることができませんでした。気づいたことをあらかじめ付箋紙にまとめ、全員で模造紙にグルーピングするといった方法をとる必要があったように思います。
皆さんからでてきた意見は、どれもなるほどと思うものでした。私からは、皆さんから出てこなかった視点から、2点お話をさせていただきました。1つは授業の進め方にについて、全員参加を意識してほしいこと、もう1つは国語の授業として、教材を超えて共通な見方・考え方、メタな視点を意識してほしいことです。

今回の授業研究では、授業の準備段階から皆さんが前向きにかかわってくれていました。とてもよいことです。今後意識してほしいことは、授業改善の方向性です。中途半端にいろいろと手を出すのではなく、ポイントを絞って取り組む必要があります。本当に基本的なことでいいのです。まずは、全員が同じように取り組むことで、次のステップが見えてくるのです。授業改善のスモールステップを意識してほしいと思います。
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