「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」会場打合せ

昨日は「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の会場との最終打ち合わせでした。愛される学校づくり研究会の会員で、フォーラムに協力いただいているEDUCOM社からはたくさんの社員の方に参加いただきました。撮影をお願いするメディアワークスさんも交え、機材のセッティングや照明の仕込み、舞台音声の収録といった大きなことから、受付会場のセッティング、会場での飲み物やパネラーの弁当の手配、案内板の設置といった細かいことまで、2時間近くかけておこないました。

こうしたイベントでは表舞台に立つ人間以外にも実にたくさんの裏方が必要になります。
舞台に写すPC映像の作成、切り替え。照明の切り替え指示。会場への案内。受付。クロークでの荷物管理。・・・
打ち合わせをしながら、あらためてその仕事量に圧倒されます。これらのほとんどをEDUCOM社の社員の方が引き受けてくださいます。決して目立たない、目立ってはいけない仕事をいやな顔一つせずに明るく進めていく姿から、研究会のメンバーとして、また立場は少し違っても学校教育にかかわる人間として、このフォーラムの意義を理解し成功させようとしていただいていることが伝わってきます。受付担当は遅れて来場される方のため、開催中も受付場所から離れることができません。受付だけではありません、多くのスタッフがフォーラムにかかわりながらも舞台を見ることがかなわないのです。感謝以外の言葉がありません。

大人の社会ではEDUCOM社の社員の方のように、スポットを浴びなくてもそのモラルに支えられて意欲的に活動していただける方がたくさんいます。目を転じて子どもの世界はどうでしょうか。大人と同じように、目立たなくてもほめられなくても、きちんと与えられた仕事、やるべきことをこなしている子どもがいます。しかし、子どもの心は芽を出したばかりの草花のように小さくか細いものです。ほめるという光を当て、仲間が認めるといった水や肥料をやらなければ萎んで枯れてしまいます。教室の片隅の小さな草花にも目を届かせ、光と水、肥料を与え、育てていくことも教師の仕事です。EDUCOM社の社員の方もそんな教師と出会って育ってきたからこそ、このお仕事に就かれたのかもしれません。そんなことを考えました。

フォーラムまで1月を切りました。メンバー総出で、当日配布資料の原稿作成、寸劇の準備などを進めています。参加された方に少しでも多く満足していただけるよう、会員一同、本業の合間を縫って頑張っています。残り座席もあとわずかになってきました。申し込みがまだの方、もしお時間があればぜひご参加ください(申し込みはこちらから)。

学び合いの形を考えた授業(長文)

昨日は中学校で授業アドバイスと研究協議会での助言をおこなってきました。子どもたちの学び合いを進めている学校です。市松模様の4人組でのグループ活動に加えて、子どもたちが相手を自由に選んで聞きあう活動も取り入れています。これは、4人組ではうまく話せない子どもがいるために、仲のよい友だちであれば話し合えるのではないかという発想です。

授業アドバイスは、理科の講師の授業でした。2年生の静電気の単元でした。今年度初めて教壇に立った方です。ワークシートを中心に授業を進めているのですが、その空欄を埋めることが目的化しているように感じました。子どものどのような姿を目指しているのかが授業からは伝わりません。子どもに何を考えさせたらいいかが明確でないため、一方的に子どもたちに説明し続けます。実験を見せる場面では、子どもたちは「おおっ」と反応はしてくれます。それはショーを見ている観客の反応と同じです。そこで、子どもたちに気づいたことや、疑問を問いかけることはしません。ただ見ただけ終わってしまいました。その後また、授業者の説明が続き、ワークシートの問いの答えを埋めることを学び合いの課題としました。実験から考えるというよりも教師の説明がすでに答になっているような問いでした。すぐに答が出る子どもはたくさんいます。塾などで習っていれば模範的な解答はすぐに作れます。学び合いで友だちに聞きに行く場面では、わかっている子の答を写す姿が目立ちました。説明を聞いても問い返す子どもはほとんどいません。しだいに子どもの輪が大きくなって、説明する子どもの声が大きくなってきます。聞きあい考えを深めるという姿から遠いものになっていきました。
全体でのまとめの場面で、「正解に近い人もいる」と発言しました。これでは教師が神様になってしまいます。子どもたちは教師の求める答探しをし始めます。自分の考えをまとめることに価値がないのですから、学び合いの時間は半ば息抜きの時間と化していきます。教師の求める答ではないのですが、実験から言えることが発表されました。授業者は求める答ではないけれど、そういうことも言える、面白いと評価しました。しかし、発表者は正解よりも低い評価をされたと感じたようでした。表情は明るくなりませんでした。
結局、1時間の授業の中で学び合いの時間以外で子どもの意味のある発言はたった2つでした。

また授業とは直接関係ありませんが、授業が始まる前に子どもたちが席を立って、いくつかの小集団に分かれて時間を過ごしていたことも気になりました。学び合いを進めている学校では、座席の位置で話し合うことが多いために自然に周りの友だちと人間関係ができてきます。ですから、授業の開始前はあえて別の集団をつくらなくても、自分の座席で周りの子どもたちと談笑できるのです。子どもたちの人間関係がまだできていないのではと思いました。

授業後、他の理科の先生方と一緒にアドバイスの時間を持ちました。授業者が理科の授業で目指す子どもの姿を持てていないことが一番の問題です。そこをまず授業者に問いました。授業者は素直に持てていないことを話してくれました。自分でもどうあればいいのかわからないまま今日まで過ごしてきた。そのことから逃げてきたとも。とても、好感の持てる態度でした。授業者の中でイメージがないのです。先輩やまわりの仲間と授業を見せ合ったり、授業について話し合ったりする機会もなかったのでしょう。決して授業者個人の問題ではありません。組織としてどう育てていくのかを考えることが必要だと思います。同席したベテランの先生方には教えることを、若手の方には聞きに行くことをお願いしました。授業者は明日から逃げずに向かっていきたいと言ってくれました。今後の変化に期待します。

授業研究は1年生の国語の授業でした。事件の後の主人公の気持ちをまとめる場面でした。
本文を印刷しただけのワークシートを使いました。純粋に子どもたちの作業のためのものです。根拠となる1文に線を引きそこからわかる気持ちを横に書くように指示します。個人での作業のあと、友だちに聞きに行きます。ワークシートに書かれているので、多くの子どもは友だちのワークシートを見て写します。中には自分のワークシートは見せることはせずに、友だちのもの写すだけという子どももいます。自信がないのでしょう。学び合いを成立させようとするには、間違いやわからないことが悪いことではない、むしろ良いことだという価値観を持たせる必要があります。この価値観を持たないまま学び合いを進めているところに苦しさを感じました。また、情報集めに終始していて、なぜそう考えたのかといった理由を話し合う子どもの姿はそれほど多くはありませんでした。

全体の話し合いの場面はコの字型の配置でおこないました。子どもたちの相互指名で進んでいきます。発表の後「他には?」という話型で聞きます。答える側は「○○さんと同じで、・・・」「○○さんと同じ場所で、私は・・・」「○○さんと違うところで、・・・」の3つのパターンのどれかです。同じ1文に対して、同じ意見、違う意見、違う1文に注目しての意見の3つです。ランダムに指名されこのどれかの意見が発表されます。これでは、聞いている方は混乱します。考えが深まりません。このような進め方しかできないのであれば、相互指名は無意味です。「同じ考えの人」とつなげ、同じ文でも「違う気持ちと考えた人」の意見を聞き、「その意見に対してどう考える」と深めていくことが求められます。これは、教師でも難しいことです。少なくともそういう進め方を指導していなければなりません。子どもの挙手の仕方も気になりました。「他には?」と言った後すぐに手が挙がることが多いのです。これは、相手の発言の途中で、自分の言いたいものが3つパターンのどれになるかを判断してすぐに挙手できるように準備しているからです。子どもたちは明らかに発表することに価値を置いています。そうではなく、友だちの意見を聞いて考えることに価値を置く必要があります。そうすれば、友だちの意見を消化する時間を取るため、手の挙がるタイミングは遅くなっていきます。結局子どもたちの考えが絡み合い、深まることはありませんでした。

最後に授業者がまとめるのですが、「みんないろいろいいことを言ってくれた」という評価だけで授業者の言葉でまとめていきました。「みんな」という言葉は逃げの言葉です。固有名詞で、誰のどの発言か評価しなければ自分が評価されたとは思いません。教師の言葉でまとめられていくのでは、自分の言葉でまとめることに価値はなくなります。教師の求める正解探しになっていきます。教師がまとめるのであっても、その言葉は子どもからでてきたものであるべきです。「○○さんがこういってくれたよね」と固有名詞を挙げて、その言葉をそのまま使ってまとめるのです。教師が一人ひとりの意見をしっかり聞いておかなければそう簡単にはできません。教師がしっかり聞く姿勢を見せることで子どもたちも聞くようになるのです。もし固有名詞が出なければ、「・・・と言ってくれた人がいたね。だれだっけ、覚えている?」と子どもに聞けばいいのです。こうすることで、友だちの考えをより意識するようになるのです。

また、この学級の子どもたちの雰囲気は決して悪いものではないのですが、授業の開始前に「バカ」といった攻撃的な言葉を耳にしました。子どもたちが自己有用感を持って安心して暮らせる環境にはまだなっていないのかもしれません。この学校の先生方が子どもをポジティブに評価する場面が少ないことと関係があるようにも思いました。

授業検討会は、全体でおこなうものでした。共有化し全体で考えるべきよい意見や気づきが出てきましたが、時間の関係もあって次の話題に移っていきます。授業と同じく焦点化して学びを深めていく必要があります。
友だちに聞きに行く場面で子どもたちが素早く動いていたという気づきがありました。それに対して担任から、素早く動いていたのは上位の生徒であるという指摘がありました。彼らは仲のいい友だちというよりは、力のある友だちを選んでいるというのです。効率的に情報収集をしているというわけです。担任の目はさすがです。話し合うよりも答さがし、答を写すことが中心になってきているのです。また、市松模様の4人組では隣が異性なのでなかなか話し合わないという意見もありました。そのために、聞きやすい友だちに聞きに行く形をとったわけですが、その結果が4人組で話し合うことができることにつながっていくのかも問われることです。
これらの意見を受けて私からは次のようなことを話させていただきました。
聞きに行く形では、じっくり話し合うことはしづらい。ともすれば、誰かを中心に人が集まってしまい、一方的な説明会になってしまいます。適正な人数でじっくり聞きあうようにコントロールすることはなかなか難しく、また、話し合いがしづらいことから、課題が一定数の子どもがすぐ答えを出せるようなものにならざるを得ない傾向があります。この形態から出発して、子どもたちが4人組で誰とでも話し合えるようになる道筋を考える必要があります。子どもたちに話し合う必然性を持たせること、話し合ったことに意味がある、役に立つという実感を持たせることが必要です。そのためには、教師の価値づけが大切です。わからないと聞けること、間違いを大切して評価することを通じて、安心して自分の考えを言える、間違えることができる教室にすることが必要です。

先生方はとても熱心に話を聞いてくださいました。特に、授業の場面をとらえて具体的に受け止め方や進め方といったスキルを示すととてもよい反応をしてくださいました。こういった授業技術を整理してお伝えする時間も必要なのかもしれません。先生方の反応がよいためついつい時間をオーバーして失礼なことをしてしまいました。反省です。

これからこの学校としばらくおつき合いさせていただけそうです。素直で前向きな先生方がたくさんいらっしゃいます。目指す子どもの姿をより明確にして、その姿と学び合いの形、あり方の関係を整理することが必要と感じました。この学校のお手伝いをさせていただくことで、私も学び合いについてより深く学べると感じています。これからがとても楽しみです。

1年間の成長を感じた授業

先週末は、中学校の理科の授業アドバイスをさせていただきました。昨年度もアドバイスをさせていただいた方です。昨年度は小学校から中学校へ異動されたばかりで、戸惑うことが多かったように見受けられました。1年たってもう一度授業を観てもらいと手を挙げてくれたそうです。こういうチャレンジ精神はとてもうれしいことです。授業を見せていただくのがとても楽しみでした。

この日は、2年生の静電気の実験の場面でした。
最初の復習場面での子どもたちとのやり取りから、一人ひとりの発言をしっかりと受け止めようとしていることがよくわかります。発言をポジティブに評価しようとする姿勢も見られます。子どもたちとの関係もよいことが、子どもたちの表情からうかがえます。次の課題は、受け止めた発言を他の子どもにつなぐことです。「今の意見はどう?」「なっとくした」といったつなぐ言葉を意識するとよいでしょう。

面白い場面がありました、指名された男子が答えられなかったところ、隣の座席の女子が自分のノート見せて助けてあげたのです。男子は、最初はちょっと拒絶するような姿勢を見せていましたが、そのノートを読み上げて答えてくれました。男女の関係もよいことがわかります。よい場面です。ここで授業者は助けた女子をほめたのですが、答えた男子は評価しませんでした。確かに友だちのノートを読んだだけなのですから、評価に値しないようにも思います。しかし、友だちの助けを借りても答えようとした姿勢はほめるべきことです。「助けてもらってよかったね。答えてくれてありがとう」といった言葉をかけてほしかったところです。

実験の説明は教師が話すことが多かったのですが、子どもたちはしっかりと集中して聞いていました。ここでも子どもとの関係のよさが見られます。
子どもたちは笑顔で実験に取り組んでいました。男女も額を寄せ合いながらよく話し合っています。授業者は机間指導の間ずっと笑顔を絶やさずにいました。質問に対してそこでミニ授業を始めたりすることもなく、子ども同士で解決させるように働きかけたりもしています。子どもたちの様子からは、安心して授業に参加していることがよく伝わります。授業者の姿勢がこの雰囲気を作り出していることは間違いありません。昨年度は指示がなかなか徹底しなかった場面がありましたが、今年は違います。実験を終了してワークシートに考察を書く場面への切り替えの指示も実にスムーズでした。たまたまではありません。子どもたちが楽しく取り組んでいるときはなかなかやめようとはしないので、次への指示は徹底しないものです。これが徹底できるということは日ごろから指示が通るように指導している証拠です。昨年度の課題をクリアしようと意識していることがよくわかります。

考察を互いに発表して参考にするように促しますが、一部のグループを除いて中々発表し合えません。個人で一生懸命に考えているのですが、書けない子どももたくさんいます。行き詰って集中力が切れかけている子どもでてきました。書けていない子どもは発表できません。書けている子どもも、他の子どもがまだ考えている様子であれば、それを中断して自分の考えを発表はしません。ここは、「困ったら、聞き合って」とわからない子どもが自ら他者に働きかけるように指導していかなければならない場面です。

ここでも面白い場面がありました。考察が白紙のままの子どもに、「教えてもらったら」と授業者がつなぐ働きかけをしました。その子どもは、友だちに声をかけ書いている内容を読もうとしました。それを見届けて授業者は移動したのですが、友だちのワークシートを見ようとする行動を中断させる、ちょっとしたことが起こりました。子どもは気をそがれてしまい、また声をかけられた子どもも自分の作業に集中していたので自分からは働きかけようとせず、そこでつながりは切れてしまいました。声をかけた子どもは、またじっと自分のワークシート見たまま動きが止まってしまいました。アクシデントが原因ではあったのですが、授業者は声をかけられた子どもにも働きかけておくべきだったのです。「○○君聞けたね。いいよ」「○○君が聞いているよ。しっかり教えてあげてね」と2人をしっかりつなぐことが必要なのです。

実験は静電気を使って蛍光灯を光らせるというものだったのですが、教師が目的を明確にしなかったため、いろいろな方法で作った静電気で蛍光灯が光ることを確認することが目的となってしまいました。前回学習したいろいろな静電気の作り方を活用するということはわかるのですが、その結果から何を知ろうとするのかが明確でないため、子どもたちは考察に何を書いていいのかわからなくなっていました。

電極に火花が飛んでいたことに気づいた子どももいます。
反対側の電極を持っていた子どもで、手がビリッとした子どももいます。
蛍光灯が電極の周りだけでなく、全体が光ったことに気づいた子どももいるかもしれません。
静電気をたくさん蓄えようとしているグループは、明るさの違いに気づいたかもしれません。

教師が事前に目的を明確にしなくても、子どもから出てきたことから課題を見つけさせることもできます。この実験のように簡単に中断させることができるものであれば、考察までずっと実験を続けるのではなく、いったん止めて、気づいたことを発表させるとよいでしょう。先程の気づきを共有することで、子どもたちの視点を増やすことができます。
「火花はなんだったんだろう」「どうして、ビリッとしたのだろう。そのことから何が言えるのだろうか」「全体が光ったのはなぜだろう」・・・
こういう疑問もって再度実験することで、この実験のねらいに自然に近づくことができます。

静電気(電子)が流れることで電気を流すのと同じことが起こる。
ビリッとしたのは、手に電気が流れたからだ。
・・・

考察もしやすくなったはずです。

また用語についても少し気になりました。「電気」という言葉が理科の用語として明確になっていないことです。「電気」は私たちが日ごろ使っている日常用語です。そのため定義を明確にし、意識して使うことが求められます。子どもたちは「電気」と「電子」の2つの言葉を使っていました。教科書は「電気」を使っています。「電気」の実体は「電子」で同じだからいいと言ってもいいのかもしれませんが、少なくとも教師は「現象面」とその「実体」といった違いや教科書が「電気」を使っている意図を理解しておく必要があります。

授業後にアドバイスをさせていただきました。授業の基盤である人間関係がよくなってくると課題が明確になります。私の提示する課題を素直にかつ前向きに聞いてくれました。この姿勢がこの1年間の成長の原動力だと思います。
子ども同士をつなぐという課題は、何とかクリアしていけそうだが、理科の実験の扱いといった教材研究の面に関してはうまくできるか自信がないと、気持ちを素直に話してくれました。その通りだと思います。教科面に関しては、長い積み重ねが必要になります。日々、意識して教材研究をし続ける以外に特効薬のようなものはありません。もしあるとすれば、同じ教科の先生方同士で教科内容について話し合い、学び合うことを日常的にすることでしょうか。授業について互いに学び合う雰囲気が学校の中に広がっていくことを期待します。
参考までに、観察のような場面では、どのような「視点」で何と「比較」したかを意識させること。実験では、「何を知ろうとする」実験か、このことが言えるためには「どのような」実験が必要かを意識させること(「理科(実験)で大切にしたい問いかけ」参照)。モデルについては、モデルを前提として考えるのでなく、実験の「結果」、「事実」をモデルで説明できるかという視点を持たせること(「理科(モデル)で大切にしたい問いかけ」参照)。このようなことを伝えました。

この学校での授業アドバイスもこれで今年度最後となりました。先生方の授業からとても多くのことを学ぶことができました。最後に若い先生の成長した姿を見ることができたことをとてもうれしく思います。よい機会をいただけたことに感謝です。

「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の映像関係の打ち合わせ

昨日は「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の映像関係の打ち合わせを、愛される学校づくり研究会の会員で、フォーラムに協力いただいているEDUCOM社でおこないました。今回のフォーラムは寸劇や模擬授業という今まで以上にライブ感のあふれるものとなっています。しかし、舞台でのようすがよく見えなければその良さは半減してしまいます。300人以上集まる会場ですので、後ろの席の方はかなり舞台と離れてしまいます。そこで、プロのカメラマンに舞台を撮影していただき、その映像を正面のスクリーンにリアルタイムに映し出すことになりました。

撮影をお願いしたメディアワークスさんは、このようなフォーラムでの模擬授業のライブ映像や授業の撮影を得意分野としている会社です。指導案を見るだけで撮影のポイントを理解し、先生方でも見落とすような子どもたちの表情や動きなどもきちんとカメラにとらえることができる方たちです。模擬授業とはどんなもので、何をねらっているといったムダな説明も必要なく、打合せはとてもスムーズに進みました。当日の寸劇や模擬授業がライブ映像を通じてよりリアルに伝わることと思います。

打合せ終了後、EDUCOM社の社長さんに撮影スタッフを外部に頼ることについて考えを聞かせていただきました。

もし、外部を使わなければ内輪でスタッフを選んで撮影することになる。クオリティのことを考えなければこの方がコストを低くできるように見えるが、決してそうではない。そのための準備や打ち合わせのための時間は、プロを使うよりもはるかに多くなる。結局トータルコストは高くなってしまう。

学校では、時間にコストがかかるという発想はあまりありません。外部のプロに頼んで浮かせた時間をより意味のあること、生産性の高いことに使う。企業では当然の発想なのです。もちろん外部に頼むための絶対的な予算が学校にないことも原因なのですが、あらためて、時間をコストとして意識することの大切さを教えていただきました。また同時に費目の縛りのない、学校の自由裁量で使える予算の必要性も強く思いました。

フォーラムまであと1月あまり、素晴らしいものにすべく多くの方が精力的に動いてくださっています。申し込みも順調で、残席はあと100ほどです。参加を検討されている方は、お早目に申し込みください。
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