子どもを評価する必要性を感じる

一昨日は、中学校で授業アドバイスと体育の授業研究への参加でした。前回訪問から冬休みをはさんで2か月以上経っています。子どもたちの変化が気になります。この日は、2年生と1年生を中心に授業を見せていただきました。

2年生は教科による差があるのですが、全体的に授業に対する参加意欲が低いように感じました。話は聞いているし与えられた課題には取り組むのですが、集中力がないように感じるのです。
英語の授業ではフラッシュカードを使った発音の練習で、顔が上がらない子どもが目立ちました。顔を上げない子どもも口は動いています。まわりに合わせてなんとなく声を出しているようなのです。ところが、後半課題を前で先生にチェックしてもらう場面ではとても意欲的になっていました。ペアで相談している姿も見えます。合格という評価があるので意欲的なっているのです。また、数学は少人数で行っているのですが、どの教室も集中度が高いように見えました。わかりたいという気持ちを感じます。わかった、できたという手ごたえを感じやすい教科ですので、意欲を持てるのかもしれません。
子どもたちは手ごたえをほしがっているように思えます。自信を持たせることが必要だと感じました。授業を含め様々な場面で子どもたちをポジティブに評価してほしいのです。そのためには意図的に評価する場面をつくることが必要になります。ちょっとしたことでよいのです。子どもたちが自己有用感を感じるような活動を学年経営や学級経営、授業の中に組み込んでほしいと思います。
また、3学期になって進路指導に力を入れているそうです。進路指導はともすると進学指導になりがちです。うっかりすると、今頑張らないと希望の学校へは入れないぞという脅しになってしまいます。子どもたちは、自分は進学で失敗するのではないかと不安になり、かえって勉強への意欲が低下することがあります。そうではなく、まず15年先の将来を考えることが必要です。社会に出て自分はどんなことに頑張っているのだろうかと想像するのです。まだ中学生で具体的なイメージは湧かないかもしれません。しかし、「今自分がやるべきことをきっと一生懸命にやっているにちがいない」、そう考えさせるのです。そうすれば、今やるべきことをきちんとやることが将来につながるはずだと前向きな気持ちにさせることができると思います。子どもたちに暗い将来でなく、明るい未来に目を向けさせるのです。実際にどのような指導を先生方がしたのかわかりませんが、このようなことを意識してほしいと思います。

1年生は、授業によく集中しているようでした。社会科の調べ学習でもノートにぎっしりと書き出しています。ただ、以前と比べると全体的に授業に向かうエネルギーがやや低下しているように感じます。授業を見ているとほめる場面が減っているように思います。できて当たり前のことはもうほめないというのは間違いではありません。そのかわりに次は何ができたらほめるのかを明確にすることが必要です。子どもたちがよい状態なので、先生方はもっと高いところを目指しているのだと思います。その結果、子どもたちは高い要求をまだ達成できていないのでほめられていないのでしょう。ここは苦しいところなのですが、スモールステップを意識して、わずかな向上を見逃さずにほめるようにしてほしいと思います。

1年生の社会科の歴史の授業では、いろいろなことを考えさせられました。
授業の初めに年号の小テストを行います。語呂合わせの覚え方も教えますし、その出来事の簡単な復習もします。そのこと自体は決して悪いことではないのですが、なぜその年号を覚える必要があるのか、歴史的な意味をきちんと子どもたちに伝えてほしいと思いました。
続いて、ディスプレイに職人の絵を写して、「職業は何?」と聞きます。教科書を調べようとした子どもに「見ちゃダメ」と言います。この職業が何かを考えることにあまり意味はありません。単に知識です。授業者としても子どもに興味を持たせたいだけですので、ここに多くの時間を使う必要はありません。用意した絵を見せて質問し、わからなければすぐに教えて次にいけばいいのです。最後に、「これらの職業の共通点は?」と聞けば、これまでの学習から室町時代に生まれたという答が出てくるはずです。その上で、なぜでこの時代だったのかと問いかければいいのです。クイズを授業に活かすには3つの視点があると思っています。「既存の知識の復習」「興味づけ」「考えるきっかけ・視点を与える」です(クイズの有効な使い方参照)。この場面は「興味づけ」ですので、正解や考える時間を与える意味はあまりないので、テンポよく進めたいところです。
子どもたちに、農業、商業、村の視点で室町時代に何が起こったかを調べさせます。子どもたちは、集中して作業を行います。たくさんのことを書き出しています。それぞれについて、順番に子どもを指名して答えさせます。板書はしません。そのため、子どもたちは友だちの発表をしっかりと聞いて、じぶんの書き出したものと比べています。しかし、発表者に対する評価がありません。しっかり聞いている子どもたちとつなぐこともしていません。ちょっともったいないと思いました。同じことを書き出した子どもを挙手で確認するだけでも子ども同士がつながっていくと思います。また、全員を立たせて、書き出した数が少ない子どもから一つずつ発表させて、発表するものが無くなったら着席するといったやり方もよいかもしれません。
全員発表してから、まとめをします。先生がまとめてしまうのかと思ったら、子どもたちに言わせて板書します。子どもを上手く参加させています。ただ、声を出す子どもが少ないのが少し気になりました。途中で指名を混ぜてもよかったかもしれません。子どもたちは板書写すのではなく、自分のノートと照らし合わせています。その項目に線を引いている子どももいます。板書は確認の場であって、大切なことは自分の手でノートに書かれています。子どもたちの自己有用感を高めるよい進め方だと思います。
しかし、社会科の授業として考えると、ちょっと疑問を感じます。「二毛作」「堆肥」「馬借」「惣」といった用語が並ぶだけになっています。これらのことがつながらずに終わってしまいました。できれば、ここまでの時間を短くして、これらの因果関係を考える時間を取りたいところです。これらの間に因果関係をつけるような活動です。そうすると、第一次産業の発達が第二次産業の発達につながることや、第二次産業の発達が結果的に第一次産業のさらなる発達につながるという相互依存の関係が見えてきます。室町時代に商業経済が発達したことの理由もはっきりと子どもが理解できるのではないかと思います。これは一つの例ですが、この時代から子どもたちに何を学ばせたいのか、そのためにどのような活動をさせたいのかを考えることが大切に思います。このようなことをアドバイスさせていただきました。
授業者はとても素直に話を聞いてくれます。この学校に異動して1年目ですが、授業は目に見えて進歩しています。この素直さが原動力だと思います。次回授業を見せていただくことがとても楽しみです。

この日は、1人で授業を見る予定でしたが、私を見つけて空き時間に一緒に回ってくれた若手が2人いました。この2人に共通していたのが、廊下から教室を覗いてすぐに子どもたちの集中の度合いや、気になる子どもの姿に気づけることでした。簡単なことのようですが、意外と気づけない方が多いのです。彼らが日ごろ自分の授業で子どもたちをよく見ていることがわかります。こんなところからも成長を見ることができます。とてもうれしいことです。

体育の授業研究については明日の日記で。
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